himajin top
ぴかぶの「らんち♪たいむ」

 美味しくて、楽しい、まいにち


+ 絵日記 +



var sRef,sCG;
try{sRef=top.document.referrer;}catch(e){sRef='err';}
if(sRef=='err'){try{sRef=parent.document.referrer;}catch(e){sRef='err';}}
if(sRef=='err'){sRef=document.referrer;}
sCG=' sCG=sCG+'&ref='+escapesRef+'&scw='+screen.width+'&sch='+screen.height+'&scd=';
sCG=sCG+screen.colorDepth+' border=0 width=1 height=1>';
document.write(sCG);
border='0' width='1' height='1'>

目次 (総目次)   [最新の10件を表示]   表紙

2002-01-01 みょうちきりんバスツアー アメリカ西海岸偏 その弐
2002-01-01 みょうちきりんバスツアー アメリカ西海岸偏 その参
2002-01-01 みょうちきりんバスツアー アメリカ西海岸偏 その四
2002-01-01 みょうちきりんバスツアー アメリカ西海岸偏 最終話


2002-01-01 みょうちきりんバスツアー アメリカ西海岸偏 その弐

中国人の群集の中に放り出された、私たち、3人の日本人駐妻。
もしかして、もしかして・・・・

とんでもないツアーに申し込んじゃったの!?


と、ワクワクが一掃され、不安で一杯になる。
だって、周りからは、英語すら聞こえてこないんだもの。

さて、なんとか、目的のバスに乗ることが出来ました。
座席は、なぜかツアコンの真後ろ。
中国語が出来ないから、お子様扱いってかんじ?

ホッとして、周りを見回せば・・・・
予想した通り、バスの中は、私たち以外全員チャイニーズ。
ツアコンもチャイニーズ

てことで、旅行の日程表から、車内のアナウンスまで、
英語ではなくすべて容赦なく中国語
英語の説明もしてくれるものだと思っていた私たちは、ショックを受けた。

英語だって満足に出来ないのに、すべて中国語、困り果てた私たちは、
近くにいたマジメそうな青年に通訳を頼んだ。
彼は快く引き受けてくれたのだが・・・。

コレが全ての始まりだった。By 九死に一生スペシャル

そのことは、おいおい語っていきましょう。

スケジュール表によると、一泊目はラスベガス(賭城)泊
だけど、夕暮れ時になってもまわりはまっくらな砂漠が延々と続く。
行ったことないけど、ラスベガスってとっても明るい街だという印象は持っていたので
いったい何事?と3人には不安が募る。

そして、そのまま砂漠の中のショボイ街に入ると、これまた、ショボイモーテルに到着。

ここ、ラスベガスなの? 百歩譲って、街のはずれ?


とあくまでスケジュール表とにらめっこの私たち。
とにかく、訳解らんまま、バスを下ろされた。

そこで、なにげに去っていく例の青年をとっつかまえると、
「予定が変更になり、まず、グランドキャニオンに行くことになった。
夕食はついていないので、適当に各自食べること、明日は4時出発だ

ということを、悪びれる事なく教えてくれた。
そんなのあり〜?

そして青年よ!

なぜ、教えてくれない!! ( ̄□ ̄; )


と、イカリモードの私だったが、これからも世話にならねばならないので、

「おーまいがっ! あいわずべりぃさぷらいずど!」

とだけ、言ったに留まった。


その参へつづく ・・・旅はまだまだ初日なのだ   

先頭 表紙

2002-01-01 みょうちきりんバスツアー アメリカ西海岸偏 その参

夕食は、他のチャイニーズのおじちゃんがレストランに誘ってくれてご一緒させてもらった。
そしたら、そのおじちゃん、ナント日本語がペラペラ。

なぜ、もっと早く手を差し伸べてくれない!

と、思ったのは、もうしばらくしてからで、その時は、ただただ、安堵感で一杯だった。
空腹も満たされたし・・・


さて、次の朝、頑張って早起きをして、4時集合のバスに乗り込みました。
バスは、一路グランドキャニオン(パンフレットによると大峡谷)へ向かった。
夜が明けたあたりから、空腹感が我慢できなくなってきた私は、例の青年に
何時ごろ、レストランに行くの?」と聞いてみた。

すると、青年は、あろうことか
朝食は、昨日のうちに各自が調達しておくことになっている
なんてショッキングな事を言い出し、自分はおもむろに菓子パンを食べ始めた。

なぜ、教えてくれない!(怒)

そんな最重要事項をなぜ? ひどいぢゃないの!!
食べ物の恨みは怖いんだからねっっっ! 
と思ったが、やっぱり口から出てきたのは

お〜まいがっ! あいむべりぃはんぐりぃ

という弱気な言葉だった。
はじめのうちはショックに打ちひしがれていたが、空腹は襲ってくる。
私は涙ながらに(うそです〜)、バスガイドに訴えた。「I'm very hungry !」

そしたら、バスガイドはなにやら中国語でアナウンスをした。
直後、バス中から、パンだの菓子だのが、大玉送りのように送られてくるではないの!
もう、大感激っす。思わず立ち上がって

さんきゅう、さんきゅう! 

と感謝の気持ちを述べた私だった。
たとえ、そのパンがまずくっても・・。


その四へつづく ・・・旅はまだまだ2日目早朝よ 

先頭 表紙

2002-01-01 みょうちきりんバスツアー アメリカ西海岸偏 その四

あらすじ・・・・
3人のうら若き美人日本人駐妻たちは、中国系の旅行社とはいえ、
アメリカの会社なのだからと甘〜い見通しを持って、安価な中国系のツアーに参加した。
しかし・・・考えは甘かった事を、初日の朝から思い知るのだった。


さて、旅は2日目の午前、バスの中でございます。

ここらへんで、バスのみんなと打ち解けてきて、例の日本語がペラペラのおじちゃんと
話に花が咲いた。
おじちゃんの身なりは上下なんちゃってアディダスの三本ラインのジャージ。
(当時はほぼ全員、中年以降のチャイニーズは、旅先では上下ジャージという人が多かった.
どうして、ホテルのドレスコードに引っかからないのかと、不思議なくらい)

ところが、どっこい、おじちゃんは私んちの側の小高い岡の上の超高級住宅街に
住んでおり、投資などをして生計を立てているらしく、どうもとてつもない、
金持ちのようだった。

そして、私たちに
「資産は10万ドル単位で(当時一千万円強)銀行を振り分けた方がいいよ。アメリカの銀行はすぐ潰れるからねえ〜
なんてアドバイスをしてくれるのだった。
(注)日本でも導入される予定の預金保護法で、銀行が潰れた場合預貯金のうち
10万ドルは保護してくれるという制度が当時からあったのだ。 
そんな危ない明日をも知れない銀行になぜ預貯金を入れる人がいるのかと言います
と、
そこらへんが護送船団方式の日本の銀行と違っていて、安定している銀行ほど
利率が低く、そうでない銀行は普通預金の年利が12%なんてところもあったのです。)

そんな、実りある資産運用の話をしていただいたのだけど。。。。

振り分けるほど、お金ありませんて!

という言葉は、プライドが邪魔して言わないでおいた。
わたしの夫は、あなたの周りにいるお金持ちのご子息とはちがう、タダの一介の
サラリーマンなのよぅ!


さて、バスはグランドキャニオン観光をサラっと終えて、世界一大きいといわれているフーバーダムをこれまたサラっと通り越し、魅惑のラスベガス(賭城と書いてあったような?)の街に入った。

私たちは頼りにする相手を、使えない青年から通訳と化したおじちゃんへ替え、
彼をすっかり頼り切って、夜もご一緒していただく事にした。
(注)怪しい意味でアリマセン。 おじちゃんはご夫婦参加よ。

最終回へとつづく

先頭 表紙

2002-01-01 みょうちきりんバスツアー アメリカ西海岸偏 最終話

無事ラスベガスの街に入り、前日とちがって、結構いいホテルにチェックイン。
夜にはショーを見る予定だし、気分は一気にハッピーになった。
おじちゃんたちとロビーで待ち合わせをして、みなでタクシーに乗り込み、
ちょっと遠くの大きなカジノへ向かうことになった。。

途中、私はあることに気が付いた。
おじちゃんは、英語がまったくできないのである。

そのレベルたるや、知らないにも程があるレベル。

そこらにある、ホテル名のネオンサインすら、読めないのであった。
当然、タクシーの運ちゃんにも行き先すら言えないので、私たちが替わりに
運ちゃんに指示をしてあげた。
(ひぇ〜! すごい低レベルの集団だあ!)

そんな英語力なのに、何不自由なくアメリカで生活できているおじちゃん。
心底びっくりしました。

その夜は、ラスベガス名物のショーやカジノを楽しみ、深夜部屋に戻る。
そして、次の朝、
私たちは前日の大チョンボを二度とするまいと早めに起きて
集合時間の一時間前に、ホテルのレストランに行き、朝食をとった。
ラスベガスのレストランは、ビュッフェスタイルが主流で、とっても安いんです。

朝からお腹一杯になった私は、前日の事を思い出すと誇らしい気分にさえなっていた。
そして集合場所のロビーに行き、バスに乗り込み、一路ロサンゼルスへ。

・・・・・・と思ったら、すぐ近くのホテルで降ろされた。

何かと思ったら、レストランに案内されたのだった。
そう、この日は、朝食付きだったのだ。

どうして、誰も教えてくれない!_( ̄□ ̄; )

と、この旅行で、何度も頭にこだまするフレーズが、やっぱり鳴り響く。
なんてこと!!っとクラクラした。

だけど、どうあがいても、お腹一杯という事実は変えようもなく、
もう、わらってコーヒーを飲むしかなかった。

そのあとは、旅はまあまあ順調。
夫の待つ、ロサンゼルスの南に位置する、海辺の町へと向かって行ったのだった。

さて、私たちはまたミニバンに乗り変え、それぞれの家の前で順次降ろされていった。
途中、例のおじちゃんの家にも立ち寄ったが、想像以上の素晴らしいお宅で、
驚く事か自宅内に厩舎まである。
おじちゃんちの近所では、真っ赤な乗馬服を着た人が颯爽と馬にまたがりなにげに通ってくのだ。

しかし、おじちゃんは、あくまで、上下なんちゃってアディダスのジャージである。
乗馬もアディダスのジャージでするのだろうか?
ううん、アメリカは奥が深いわ。

先頭 表紙


[最新の10件を表示] (総目次)