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つばきさんの「笑顔でいこう〜」

男爵の色々な出来事をフィクションをまじえながらつづる気まぐれ日記でしゅら。主に「新選組」とか「山南敬助」とか「井上源三郎・松五郎」とか「木村継次(芹沢鴨)」
アニヲタなので「アニメ」とか「漫画」とか
「海外ドラマ」とか
「京都」とか「木曽義仲」とか「巴」とか
にゃんこ好きなので「ねこ」とか・・・嘘ばっかり・・・

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-02-08 特撮とか。ドラマとか。
2004-02-02 新選組!四話「天地ひっくり返る」
2004-02-02 マシュー・ C・ペリーの悲劇。
2004-01-29 新選組!三話「母は家出する」
2004-01-28 新選組!勇に「ここは分らんでいいとこじゃきに」って竜馬言ってたこと。橋本左内。
2004-01-26 新選組関係者紹介@佐藤彦五郎
2004-01-25 彦五郎A(3000バイトまでしか書けないんだもん)
2004-01-24 売り切れだとぉぉぉ。
2004-01-24 新選組人物紹介@芹沢鴨(木村継次)その@
2004-01-21 新選組 池田屋騒動食玩。   フルタより発売したねぇ。


2004-02-08 特撮とか。ドラマとか。

仮面ライダーブレイド
ストーリー・・・ワケわからなすぎる・・・ちょっとアギトっぽい気がする。
キャラ・・・・・一話に人が出すぎで・・・しかも顔(マスク)が似ている感じの役者で誰が誰だか区別がつかない。(二話目でなんとなく分ってきたが・・・)
江川は昔から好きだが・・・うーむ。
二話目ブレイドの変身スピード速すぎ。

セラムン

スタントの顔怖すぎでナエル。ここ二回くらいテンポ悪い。なんか変。

グランセイザー

やっぱキャラ多すぎなんだろなぁ。仲間が戦ってる時戦ってない人は仕事中なのかも。磯山をもっと出せー!!

アバレンジャー

いよいよ明日最終回!かなりよかったなぁ。アバレは。明日は楽しみ。キャラも立ってたし、ストーリーもよかったなぁ。デカレンジャーも期待したいな。久々に男三人女二人の戦隊なので楽しみやね。

ミニモニでブレーメンの音楽隊

特撮ではないかもしれないが一応。おいらはNHKの愛の詩シリーズは結構好きで「ズッコケ三人組」「双子探偵」(まなかな)「六番目の小夜子」(栗山・平田・鈴木)「幻のペンフレンド2001」(ナッキー)「料理人Kタロー」(さとえり)「どっちがどっち!」「天使みたい Twin Angel's Story」(黒川)「キテレツ」(大柳)
は見てました。「エスパー魔美」はちょっと・・・見れなくて・・・

で。このシリーズは結構出来がいいのだ。古くは武田鉄也の「コラ!なんばしよっと」(T〜V)「たけしくん、ハイ!」(続)などがあり、ストーリーや出演者の演技もイイ感じ。

「キテレツ」なんか短篇なのに、ものすごくイイ出来でした。
で。「ミニモニでブレーメンの音楽隊」なんだけど主人公が四週くらいで次々と変わっていき時代がさかのぼるにつれて謎が明らかになるという・・・感じです。全ての話のキーワードは音楽・幽霊・出来の悪いのけ者の主人公。で、その主人公が成長していく話。
この話長くなるので又今度。

「ザ ホワイトハウス」

これ面白いんだけど視聴率悪いらしい・・・うーむ。日本人はこーゆーのはダメなのかな・・・ちなみに今日の話は泣きましたよ。おじいちゃんが若い人のために命を惜しまず戦う姿はおいらの「泣くツボ」なのです。(Vガンダムの最終回一話前のおじいちゃんたちが若い者達を退艦させた後に敵艦に突っ込んでいく所も泣いたっけなぁ)

「ファイヤーボーイズ〜」

・・・もうやめてくれぇぇぇ・・・あの名作一巻に二話も泣ける話のある「め組の大吾」の評価を・・・これ以上・・・ドラマは別物だぁぁぁぁぁぁ・・・くそ・・・いい作品をここまでするってのは犯罪に近いものがあるよな・・・

「エコエコ」

怖いです。


先頭 表紙

へいろん(=^・^=)そうなんだよねー。ドラマにすると役者さんによって印象がガラッと違ってくるし・・・辛いですね。漫画はやっぱりアニメにしてもらう方が安心して見れるよなぁ(笑)日本の声優さんうまいしね。 / 男爵30歳 ( 2004-02-12 22:18 )
マンガをドラマでやろうっていうのに無理があるんですよね〜。キャスティングもものすごく重要だし。難しいものです。 / へいろん<はじめまして ( 2004-02-12 20:08 )

2004-02-02 新選組!四話「天地ひっくり返る」

やっと山南さんが出てきたよー。まさか広岡が出てくるとはー。山口イカスねぇ。
源さんいい味だしてるよ。沖田ざまーないねぇ。周助ナイス。

四話あらすじ

貧乏道場試衛館・・・おかずの「めざし」も減る一方。

どうすれば道場を盛り立てられるかを相談する勇・歳三・周助。

弟子を増やす方法を考える・・・
歳三「金を持ってる町人を集めて道場を盛り立てればいい」
周助「それで行こう!」

が。どっちにしても最初に金がいるからと・・・道場に来ているが稽古代を滞納している門人から金を取り立てることになった。
とりあえず一番滞納している広岡子之次郎からとることに。

勇の結婚相手松井ツネが試衛館にやって来るが勇が逃げる(滞納金を徴収すると言って出て行った)

そんな中、北辰一刀流の道場破りがやってくる。歳三は北辰一刀流をやっつければ試衛館の名が上がる!と、惣次郎をけしかける。

その頃勇は広岡の家で「山口一(やまぐちはじめ)」という男に会う。彼は取立て屋らしくこれまた広岡から金を徴収しにきた。

広岡「家ではなんだから」と、知り合いの店へ勇と山口を連れて行く。

試衛館で「北辰一刀流の男」が「試合しに来たのではなく勇に会いに来ただけなので又来る」と、言い帰って行こうとする。
が、歳三「逃げるのか?お前が負けたと言いふらす」とまたけしかける。
試合になるが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・惣次郎は負ける。
勝った男の名・・・「山南敬助」

一方取り立てに行った勇・・・・・広岡は店からまんまと逃げる。追いかけようとするが店の主人に止められる山口。
店屋の主人・・・その男
「芹沢鴨(せりざわかも)」
「いくら借りてるんだ」と芹沢
「3両だ」と山口
芹沢が代わりに金を返そうとするが足りなく勇に借りて山口に返す。
勇は「私の方は返さなくていいですから」と。
その後「広岡の名・・・覚えておけ」と言われる。

試衛館に帰った勇は山南と試合することになる。
勇は山南に勝つ。

が、「ワザと隙を作ってくれたので勝たせてもらいましたが何故ですか?」と問う勇。
「おもしろい男だ。試合に負けないと相手の本当の強さはわからない」と山南。
どうやら坂本竜馬から手紙を貰い詩衛館に面白い男がいるから会いに行って来いと書いてあったから来たらしいことがわかる。

その夜、山南と勇は芹沢と広岡について話す。「どうして広岡は方々に借金をつくっているのか・・・そしてなぜ試衛館で剣術を習ったのか?」と勇。

「それは死ぬ気だからです。」と、そして天然理心流を習ったのも「短期間で実戦に役立つ剣術を身につける為です。それには天然理心流が一番ですからね」と山南。

そして・・・翌日・・・桜田門外の変が起こる。

そこには広岡の死体があった・・・。そこに来る勇・山南そして・・・芹沢。
時代の歯車は加速して廻りだしていくのであった。

先頭 表紙

タマ(=^・^=)↓のに突っ込み返しー。けっこう学校で習った歴史って間違ってるんですよー。歴史の先生ってのは自分の得意な時代しか研究してないから苦手な時代のことは広く浅く教えてたりするのだ。そして、新事実とか知らない先生が多いのも事実。困ったものですー。一回ハマると歴史ってそんなに難しくないよー。( ● ´ ー ` ● ) / 男爵30歳 ( 2004-02-09 03:13 )

2004-02-02 マシュー・ C・ペリーの悲劇。

ペリー来航の6〜7年前、弘化3年(1846)既にアメリカ東インド艦隊司令長官ビットルが戦艦コロンバスで浦賀に来航していた。まぁ。ちょいと立ち寄って通商を求めたんだけど失敗。
(よく黒船が来て浦賀の人が驚いたー。ってあるけど、日本にはちよくちょく外国船が通商を求めてやって来ていた。庶民は船を見に野次馬しに来たり狂歌「泰平のねむりをさます 上喜撰 たった四はいで、夜も眠られず」や川柳を歌ってのんびりとしていたらしい。だから驚いたってのは半分嘘。武士階級は驚いただろうけどね。)

1852年オランダ東インド総監からの手紙に「来年四月にアメリカのペリーが交渉にくるよー」って書いてあったのさ。(だからペリーが来ることは事前に知ってたんだよ)
で。当のペリーの話。

当時のアメリカ大統領は共和党のフィルモア。彼は拡大路線で植民地を増やせー。ってな考えの人だったので、東アジア主に日本へペリーが行くことになった。
最新鋭艦プリンストン号で行こうとしたが建造が遅れてしまい旧式艦ミシシッピ1隻で嘉永5年(1852)アメリカのノーフォークを出航。ケープタウンを経由してシンガポール・そして琉球へ。琉球で交渉した時には途中で合流した二隻をともない三隻になっていた。(蒸気船1隻・帆船二隻)当然交渉は決裂。(琉球にいくら要求しても・・・薩摩が所有してるので意味なし)
ペリーは当初12隻で日本に来る予定だったが上海やら那覇やらでのごたごたで結局浦賀に来たのは4隻。旗艦はサスクェハナ。よく、黒船が4隻来たというが、蒸気船2隻に紐で引っ張られて残りの帆船2隻が来たわけだ。しかも、当時すでに蒸気船は旧式であり、最新式はスクリューであった。ペリーは日本に来る数年前から日本を研究しておりロシアのゴローニン(ゴローニンは、 ロシアのリャザン県出身の軍人で1809年カムチャッカへ赴任して以来、 沿岸調査に従事していたが、文化8年(1811) 国後島で松前藩士に捕らえられて函館に送られて、 26カ月と26日の長期にわたって監禁された)が書いた「日本幽囚記(にほんしゅうゆうき)」を読んでいたといわれている。

ペリーの目的は友好・通商・石炭と食料の提供・難破民の保護であった。
又来年大艦隊で来るぞーって言って国書を置いて去っていった。

老中「阿部正弘( あべ まさひろ )」などが奔走して各藩に発言の機会を求めたが知恵はなく下級幕臣の勝麟太郎(かつりんたろう)などの意見で積極外交し大船の造船し貿易を行いその利益で軍備を整え、人材登用や様式兵制をすると申し出た。
海軍伝習所の開設とかも其の一貫。

ペリーはその後各国の活発な動き(ロシア・イギリス・フランスなど)に反応して一月に蒸気船3隻と帆船4隻で江戸湾へ来て威嚇射撃を行う。
幕府はなすすべなく・・・嘉永7年(1854)3月3日に「日米和親条約」を結ぶ。

で。唐突だが、ペリーはアメリカへどうやって帰ったか?ってこと。
コレが悲惨で・・・軍艦ではなくイギリスの郵便船でパナマ運河まで行き其の後汽車とかを使って二年後やっとアメリカへ着く。どうしてこんな扱いになったのか・・・。
答えは多分、アメリカ大統領が共和党のフィルモアから民主党のピアーズに変わったからだ。ピアーズはフィルモアとは違い国内政策を中心に推し進めていった人らしい。だから・・・東の国の日本は結構どうでもよかったのだ。
せっかく帰ってきたペリーは余り誉められず歓迎されなかったのかもしれない・・・その2〜3年後・・・ぺりーは死んでしまうのであった・・・
ペリー「開国してくださいよぉぉぉ・・・・」


先頭 表紙

黒船でみんなびっくりしてるかとおもいきや! 男爵さんの日記、目から鱗ですー。 こういう話を聞くと、歴史っておくが深いって思えます。学生時代は暗記ばかりだったので歴史苦手なのですー。 / タマ ( 2004-02-08 21:43 )

2004-01-29 新選組!三話「母は家出する」

歳三の「石田散薬・・・ありゃ効かねぇんだよ。」ってのが笑ったねぇ。
今、東京薬科と東京薬剤師会北多摩支部が成分調べたり実験して結果はその内出ると思う。
試衛館がどこにあるか?という描写があったけど色んな説があるから難しいね。「甲良町」「市谷柳町」(試衛館は市谷柳町25番地8号ということがあ○く○ゆうによって行政のお墨付きで確定したが・・・)

三話あらすじ

近藤・竜馬再会する。
その後、蕎麦屋で竜馬の同士?「橋本左内」と会う。
何者かにつけられている左内。とりあえず試衛館で話をする。
 
その頃、土方歳三は江戸で薬を売っていた。
近藤・竜馬が左内より先に試衛館に着く。竜馬が「北辰一刀流と天然理心流どっちが強いか?と問う。「いつかお相手しましょう!」と近藤。
竜馬と左内に茶を出そうとするが近藤のぶ(勇の養母)に嫌われている勇に茶のありかを教えないのぶ。
しかたなくお湯を出す近藤。
試衛館で水戸藩であったことを話す左内・竜馬。が、ことあるごとに試衛館の人たちの邪魔が入り中々話しに参加出来ない近藤。(源さんと惣次郎がじゃれてたりしたのがよかったなぁ)

その邪魔とは・・・近藤周助(勇の養父)が勇の縁談話を持ってきたのだが、その相手が武家の人。近藤家はずっと子供がなく代々養子を取っていた。で、「そろそろ血の繋がった子供が見たい」と周助。
しかし、武家から嫁を貰うことに反対の近藤のぶ。
周助と喧嘩になりのぶは家出をする。

そこに江戸に来ていた土方が来て石田散薬を置いていく。
竜馬は今日土佐に帰ることになっておりそれの「見送りをしたい」と近藤。
竜馬は断るが「試合して一本とったら見送りさせてくれ」と近藤。
そして、一本取っちゃう近藤。
その後、土方に「あの人たちはすごい!俺たちと歳もそう変わらないのに自分の進む道が分っている」と興奮する近藤だが、
土方は「俺だって進む道は分ってる!俺は日本一の薬売りになる」と。
果たしてそれだけでいいのか・・・と悩む近藤。

また薬を売りに行く土方。
母の居場所が分り連れ戻しに行く周助と勇。

その頃土方は道場破りをして、相手に怪我を負わせ、相棒が石田散薬を売りつける。
が、二人がグルだと道場の人にバレてぼこぼこにされる。
土方「あれで武士かよ!試合で負けたからって・・・よってたかってと・・・」だが相棒に「俺たちは百姓だ。武士じゃない。あいつらと渡り合うには我慢するのが一番だと」土方は「違う違う!」と・・・

一方周助と勇は母のいる家へ着き、話し合い。
のぶは勇のような百姓の出が武家の人と結婚するのが許せない。(のぶは自分が苦労して今の暮らしを手に入れたのに勇が簡単にどんどん武士らしくなっていくのが嫌なのだ)
侍気取りが気に食わない。分不相応だと。
身の程を知りなさい。宮川勝五郎!」と。

その頃、竜馬待ちぼうけ・・・

周助が謝りなんとかのぶは家に帰る。

母に色々言われ考える勇の所へボロボロになった土方が来る。
「石田散薬を持ってくる」と近藤。
「いい!あれ効かないだ・・・」と土方。(笑)

土方「俺に剣を教えてくれ。もっと強くなりてぇ。俺は武士になりたいおまえのように」
近藤「無理だ。諦めろ!俺たちは多摩で生まれたら死ぬまで多摩の百姓だ。それがこの世の中だ。」「だから俺は決めたんだ。武士よりも武士らしくなる!」「日本一武士の心を持った百姓になってみせる!」
「侍にはなれないぞ・・・」
土方「侍らしくはなれるんだろ?」「どっちにしても俺には同じことだ」

そして、土方は試衛館で天然理心流を習い始めるのであった・・・

先頭 表紙

2004-01-28 新選組!勇に「ここは分らんでいいとこじゃきに」って竜馬言ってたこと。橋本左内。

☆「わからんでいいとこ」ってのは、幕府がアメリカと「日米修好通商条約」を朝廷の了承もないまま結んでしまった。(勝手に開国通商しようとしたわけ)で。水戸藩が朝廷に働きかけた結果、条約撤回の勅令を8月8日に水戸藩主徳川慶篤(よしあつ)に伝えた。10日それが幕府に伝達されたので大問題となった。
・・・ここまでが、わからんでいいこと。
(で。ドラマで竜馬と橋本が話していた日付は安政5年8月14日。)(ドラマで竜馬が「コレで大手を振って攘夷が出来る」と言ってたが左内は開国派。ちょっと笑える。まぁ左内は頭のいい人だから開国派攘夷派みたいな区別は全くないだろうなぁ。)

そして井伊は反対派を根絶やしにするのである。それが、安政の大獄。(安政6年(1859)10月7日)


下の芹沢鴨の所で水戸藩の「徳川斉昭(なりあき)」について少し書いたが、ドラマに出てきた越前福井藩士「橋本左内(はしもとさない)」と少なからず関係している。

それは安政の大獄。(井伊直弼が反対派を弾圧した事件)

が、その前に橋本左内について。橋本左内は、天保5年(1834)3月、越前福井藩奥医師「橋本長綱(はしもとながつな)」の長男として生れました。(ドラマで、医師の長男なのに石田散薬を歳三から買ってるのが笑えた・・・)

子供の頃から勉学・武術に精を出し、15歳の時に、自分を奮い立たせ、鞭打つためにその決意を5つの文章に著した。(「啓発録」)。
16歳の冬、大坂の「緒方洪庵(おがたこうあん)」の適塾に蘭学修行に出かけたりもしているが本人は医師の家に生まれたことが嫌だったようだ。

越前福井藩主の「松平慶永(まつだいらよしなが)」の側近として、藩校の学監や藩政改革に当ったりした有能な士であった。雄藩連合による絶対主義的統一国家の構想を持つ経綸家で、井伊大老の専制政治に反発したとみなされていた。(ドラマの中で井伊派の武士に狙われていたのはそんなワケ)


薩摩藩の「西郷隆盛(さいごうたかもり)」が彼の死を惜しんだらしい。(安政2年(1855)12月27日。場所は江戸、水戸藩士「原田八兵衛(はらだはちべえ)」の屋敷で、二人は初めて対面している。

その後も二人の交流はつづく。慶永は左内 薩摩藩主島津斉彬(しまずなりあきら)は西郷を幕閣対策や朝廷工作に奔走させていた。(彼らは次の将軍に一橋慶喜(斉昭の子)を立てようとしていた。水戸藩主斉昭もその一人。)

そんな中、紀州藩主「徳川慶福(とくがわよしとみ)」を跡継ぎにする運動が、紀州藩の付家老・水野忠央(みずのただなか)を中心に開始され、それを後押ししたのが彦根藩主で大老に就任した井伊直弼。

安政5(1858)年4月に大老に就任した井伊は、独断で紀州藩の「慶福(よしとみ)」を「家定(いえさだ)」13代将軍の世継ぎに決定し、慶喜を将軍にしようと動いた諸大名や藩士達を一斉処罰し始めた。これが、安政の大獄の始まり。

福井藩では、藩主慶永が隠居謹慎を申し付けられ、左内は、「公儀憚らざるいたし方、右始末不届付」との理由で死罪を命ぜられ、江戸伝馬町の獄で斬刑に。享年25歳。(彼らも開国派だが、慶喜を将軍にしようとしたのでこのようなことに)斉昭も隠居になったりした。

幕末はおいらも分らないことだらけやから。間違いがあったら教えてねー。(又弱気)

先頭 表紙

ワニ(=^・^=)こんにちはー。三谷さんすごいよねぇ。まぁ。ドラマやから有名人とか出してまた後に再会した時に・・・みたいな盛り上がりも必要ってことなんだろなぁ。平家物語で言う所の木曽義仲と斎藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)の再会場面みたいな感じかな。今度は誰と知り合いになるのかなぁ。左内は本当に死ぬには惜しい人やーーー。 / 男爵30歳 ( 2004-02-01 11:27 )
こんにちは〜! まさか、三谷さん、「新選組!」に、橋本左内まで登場させるとは思わなかったよ〜。近藤勇は、橋本左内とも佐久間象山とも顔見知りで、坂本竜馬とは親しげ。。実際はありえないぃ〜。けど面白い〜 (≧∇≦)ノ彡☆ばん!ばん!! 橋本左内は、ホント死ぬには惜しい人だ〜! / ワニ ( 2004-01-27 06:30 )

2004-01-26 新選組関係者紹介@佐藤彦五郎

佐藤俊正、通称:彦五郎
日野本郷寄場名主 俳号「春日庵盛車」
文政11年(1828)〜明治35年(1902)
武州多摩郡日野宿(現在の東京都日野市日野本町)生まれ。

☆日野宿

「新選組!」二話で近藤が出稽古に来ていた佐藤道場の道場主であり、日野の名主(下佐藤)。土方歳三の姉ノブさんと結婚してます。歳三の叔父さんってことですね。
ちなみに、彦五郎の父(彦右衛門)は歳三の父(義あつ)の妹マサと結婚してます。当時日野は「八王子」「府中」よりは小さな宿場でした。泊まるというよりは、休息する感じの宿場。伝馬の囲いが五人五疋。その日野宿の名主(上佐藤が実はずっと本陣だった)が彦五郎です。日野宿は多摩川の渡船場の経営も任されていました。

☆天然理心流と佐藤道場

☆嘉永2年(1849)正月18日日野宿が大火にあった。佐藤家から道を隔てた一軒の農家から火災が発生し、強い北風に煽られて佐藤家をはじめ十数軒が類焼した。この火事の最中、一人の狂人が彦五郎の祖母と他一人が斬殺されるという殺人事件が起こった。この事件を契機として、自己防衛と治安維持の為に長屋を改造して佐藤道場を作った。

で。なんで天然理心流を習ったのか?ってことだけど、それは日野宿の千人同心(徳川家康が関東入国とともに,武蔵・甲斐の国境の甲州街道警備 をするために設置された十組千人の武士団)の井上松五郎(源三郎の兄)が、天然理心流をやっていて影響があったから。

☆裕福な名主彦五郎は、試衛館(市ヶ谷の天然理心流道場)の近藤周助(近藤勇の養子先の父)に支援を惜しまなかった。もちろん新選組にも資金援助をした。まぁパトロンみたいな感じ。(小島鹿之助もパトロンですね)

☆彦五郎 人となり

☆克己心が強く、義侠心に富んでいたので村人から敬慕されていた。

☆嘉永7年(1854)2月には極意皆伝の免許を得た。(早すぎるよなぁ・・・) 

☆近藤勇とは兄弟弟子で、後に小野路の小島鹿之助(名主)と三人は義兄弟の契りを結ぶ間柄となる。(これは三国志が好きだったかららしい。関羽・劉備・張飛ってな感じ)この三人は年齢差は六歳くらいしか違わない。一番歳上が彦五郎。一番歳下が勇。鹿之助は彦五郎の一歳年下。

☆すげえ!彦五郎!

☆安政元年(1854)幕府が品川沖に砲台を築造した時に献金をした。

☆文久2年(1862)のコレラ流行の際には私財を投じて薬剤を施与したので、幕府より前後2回白銀を給された。

ちなみに・・・多摩は田舎だとか言うが、薬や医者を商いにしている家も少なくなく、各地へ行商に出かけており情報や知識はかなり得ることが出来たと思う。

☆慶応2年(1866)飢饉のため武州吾野や名栗などの村々で蜂起した農民一揆(武州一揆)が小宮村(現八王子市小宮町)の地先、多摩川の対岸まで押し寄せたが、日野・駒木野の農兵隊はゲーベル銃を打ちかけて追い散らし、次々に斬殺して即死十四人、手負い数しれず、四十人余りを生け捕り、江戸送りにしたという。

   彦五郎Aへつづく・・・

先頭 表紙

2004-01-25 彦五郎A(3000バイトまでしか書けないんだもん)

☆極めつけは!!慶応3年(1867)薩州浪人ら12名が軍用金調達と称し、押し借りをしながら、江戸から八王子宿まで来た時である。

代官の命で農兵隊から討ち手を六名と岡引( 代官所もはじめから八王子千人同心に召し捕らせればよさそうなものだが、このとき千人同心は留守部隊しかおらず、前年から陸軍奉行付千人隊と改名して、全員が長州征伐に遠征してた。)を連れて彦五郎は、薩州浪士の止宿先である八王子壷伊勢屋の2階を探索した。

暗闇の階上に至ると、不意に短筒の赤い閃光が光った。彦五郎は臆せず踏み込み、諸手突きにて賊を何人か討ち取った。残りは逃げたり千人同心が捕らえたりした。

近藤がその話を聞いた時、一驚して「鉄砲と刀の打ち合いは危ない、危ない。私もまだそれだけはやらぬ。」と言ったらしい。

☆その後、新選組や甲陽鎮撫隊・春日隊などを支援していたので、征討軍から狙われ一時身を隠したりしていた。
が、維新後日野宿に戻り、初代日野町長・明治6年に神奈川県第九大区(南多摩地区二宿六十三カ村)の区長、明治11年に神奈川県南多摩郡長を歴任した。

しかし、自由民権運動が盛んになった明治14年には退官して、今度は民権運動を支援した。
明治35年9月17日、76才で生涯を終る。

高幡不動にある近藤・土方「両雄の碑」は、明治7年8月に慰霊のための墓碑建立が許可された後、佐藤彦五郎を始めとする日野の有志が発起し、 同9年には建立の準備が整ったが、近藤・土方両雄の事績の顕彰が主たる目的であった為か、建立の許可がなかなか下りなかった。で、結局建立は、明治21年7月。

☆薬

佐藤家には、代々伝わっている「虚労散」という薬がある。これは、元来肺病肋膜の内服薬。(これ・・・石田散薬と同じ物で飲み方が違うだけ。白湯で飲用。効かなかっただろうな。沖田総司の持薬であったと云うことです。沖田の主治医松本良順先生もあえて服用を止めようともしなかったらしい。)

補足・・・彦五郎の家は、日野にある佐藤家(上佐藤と下佐藤)の下佐藤家であり、本来の日野本陣は上佐藤家。(上と下で交互に本陣をしていたこともあるが、基本的には上佐藤家が本陣。彦五郎さんの所は幕末、彦五郎の代一時的に本陣になってたこともある。(武州一揆を鎮圧した功績でらしい)
が、基本的には脇本陣。

先頭 表紙

2004-01-24 売り切れだとぉぉぉ。

プレーステーション用2ソフト「風雲 新撰組」が売ってない・・・いや・・・

目の前で売り切れた・・・

体験版やったら結構楽しそうだった。切って切って切りまくりー。ッて感じ。

鬼武者や三国無双みたいだった。まぁそのうち陣形とか色々追加されていくとは思うが。

うえぇぇぇぇん。売ってないよぉ・・・


先頭 表紙

留実菜(=^・^=)お久しぶりでーす。けっこういい感じて゜゛すよー。新選組。おいらは怖くてまだエースをねらえ!見てないー。見て見たいなー。 / 男爵30歳 ( 2004-01-25 20:00 )
にゃんこちゃん、八つ当たりはいけませんぞ(笑) ども、お久です。新選組のドラマ、恐くてまだ観たことないんですよ。期待した分、失望しそうで。でも悪い評判は特に聞かないので今日あたり観てみようかな〜と思いますよ。エースをねらえ!も実写は恐くて観られない。でも、先日ちらっと観たら、受け入れられそうでした(笑) / 留実菜 ( 2004-01-25 14:37 )

2004-01-24 新選組人物紹介@芹沢鴨(木村継次)その@

☆名前のこと・・・

芹沢鴨ってのは後から自分でつけた名前で幼名は芹沢龍寿(たつとし)違う可能性もあり・・・で。その後木村(下村の可能性・両方の可能性もあり。)継次(つぐじ)。下村家へ養子に行っているので下村を名乗った可能性。神道無念流を木村定二郎から習っており木村を名乗った可能性。そして、両方の可能性。

木村さんはなぜ・・・鴨って名乗ったんだろう・・・

ふと。思った。「鴨」とは元々「神」の意味がある(一言主(ひとことぬし)神社。)京都にある「下鴨神社」や「上鴨神社」とかの「鴨」も「神」の意味がある。
「土佐風土記」なんかに出てくる葛城一族の一門が京都に来て作ったのが上下の「鴨神社」

芹沢家の家系図(鴨の兄の子孫の血筋は続いている)を見ると、
その先祖は桓武天皇に行き着く。(戦国武将とかの武田が清和天皇からの血筋とか言ってるのと同じよくあることで・・・眉唾だけどね。全国天皇の血筋だらけやがな)

なので、鴨=神を意識してたってのもあながち・・・でしょ?(ただたんに鴨(鳥)が好きなだけだったり。酒の肴にはいいしね。)

まぁ、史実的にはなぜ「鴨」とつけたかは解ってないと思います。

芹沢っていうのは芹沢貞幹の三男として生まれたから(新選組は三男が多いね。(山南・井上とか)まぁ気軽に動けるし。三男は)でしょうね。

☆木村さんの病気

一説には木村さんは梅毒に犯され痛みから解放するために、酒を飲んでいたのでは・・と推測する人もいる。(おいらもそう)

当時、蘭学では治療に水銀を使った。が、水銀は言わずと知れた毒ですよね。治療しても毒でおかしくなるだろうし、病が進めば脳が犯される。
で、まぁ痛みを和らげるためにいつも酒を飲んでいたのではないだろうか・・・

漫画「新選組流血録 壬生狼」園田光慶 リイド社 を見ると分るが梅毒になると梅毒瘡が体中に出来るようになる。それを隠すために顔を覆っていたかは分らないが似たような感じに覆っていたんじゃないかな。鴨粛清はなんとなくこの漫画に近いのでは・・・とも思ったりする。(「脳を犯される前に切ってくれ!」とか「俺がおかしくなったら切ってくれ!」見たいな感じで。 その方がドラマとしてはかっこいいし。)
命が短いのを知りつつも新選組を作った男〜。なんてね。

☆人となり

色が白くて背が高く巨漢。お絵かきが好き。火が好き。(「火事にしてやる・・・」が口癖だったら面白いのに←史実ではありません(笑))八木家の幼女が亡くなった時に、近藤と受付とかしてた。酒飲み。女好き? 水戸浪士で天狗組のちの天狗党(水戸藩尊皇攘夷派の呼び名)にいたらしい。(いた記録はないが、15歳の時潮来学校(主に医学を教える学問所)で水戸学と尊王攘夷思想を学んだらしい。鴨の家では薬を扱っていたので、兄弟揃ってここで医学を学んだと思われる。)

関係ないが尊皇攘夷の考えの発端は水戸藩である。水戸光国(黄門)が作った「大日本史」(歴史書)を編さんしていく過程で、尊皇攘夷の考えが形成されていったらしい。

で。水戸藩主斉昭の考えに賛成していたのが天狗組または天狗勢。当時京都にいた斉昭の子「一橋慶喜」(のちの十五代将軍)と天狗組にいたと言われている木村・・・少なからず新選組設立当初、力を貸したかもしれないなぁ。(ってか手を貸してたらいいな)

継次の次兄成幹(元治元年七月、京都蛤御門の変のとき、成幹は幕府の命令で戦傷者の治療に当たったらしい。)の力は借りただろうね。(なんか推測ばっかりなので皆話し半分に読んどいて。と、弱気になってみる)

先頭 表紙

2004-01-21 新選組 池田屋騒動食玩。   フルタより発売したねぇ。

と、いうことで買いましたー。

池田屋騒動フィギアだから山南さんいないんだよねぇ・・・ちっ!

でもがんばって源さん出したいナァ。

で。おいらが出したのは・・・斉藤一フィギアでしたよ。ははは。
あぁ・・・でも全部集めたいなぁ・・・・


先頭 表紙

valkil(=^・^=)はじめましてー。こんにちはー!確かにシークレットの桂小五郎は・・・よく出るようですねー。源さんは確かに作るの苦労するよぉー。やれやれでした。 / 男爵30歳 ( 2004-01-25 19:55 )
はじめまして。あたしこれ、箱買いで集めてます。ただ、シークレットより局長と副長のほうが少ないんではないかと疑惑が…。だってシークレット3つも出てるのに、このお二人はいまだに…ちなみに源さんは階段組立てるのが凄くしんどかったです。 / valkil ( 2004-01-25 16:44 )
ほよよん(=^・^=)源さんと土方と沖田と武田出たよー。残るは・・・原田やー!! / 男爵30歳 ( 2004-01-24 03:07 )
こちらは永倉&斉藤でしたとさ。原田と井上と武田集めて五人でコンプリート、とか。 / ほよよん ( 2004-01-21 07:40 )

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