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せんきちの「日々是口実」


24時間、現実逃避!

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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-11-07 牧子の「寄り」
2003-11-04 ふたりの恋物語(2)
2003-11-04 ふたりの恋物語(1)
2003-11-01 何にもない何にもない全く何にもない
2003-10-31 「あの人は今?」とも言われないあの人は今?
2003-10-28 禁じられた言葉
2003-10-27 なぞのひとびと
2003-10-24 いまごろ。
2003-10-22 狂恋詩
2003-10-21 香港謀略戦


2003-11-07 牧子の「寄り」







←思わず「寄るな!」と叫びたくなるのは、わたしだけでせうか?

先頭 表紙

tomohiko様:ご参考までに。。。。 / せんきち ( 2003-11-08 22:24 )
誰だかわからず検索した結果、「寄るな!」と叫びたくなりました。 / tomohiko ( 2003-11-08 11:35 )

2003-11-04 ふたりの恋物語(2)


(つづき)康威は声優をやりながら一家を支え、その後自ら映画会社を起こし、監督業に乗り出しました。
夫妻の間には次男(子維)も生まれ、息子たちの教育のことを考えた康威と胡燕妮は、一家でアメリカへ移民、康威は保険業、胡燕妮は美容業と、実業界に転身します。

夫妻より一足先に結婚してアメリカへ渡っていた鄭佩佩(1946〜)は、ロサンゼルスでアメリカ在住中国人向けのテレビ番組を製作していましたが、夫妻の移民後、製作上のアドバイスをしばしば康威に求めるようになりました。
また、『あなたの世界』という情報番組では、美容と保険部門のアドバイザーとして、夫妻をゲストに招いていました。

1988年、台湾では蒋経国総統が没し、副総統の李登輝が総統に就任しますが、このとき、国民党主席への同時就任を蒋介石未亡人の宋美齢が妨害するという事件が発生しました。
これを知った康威は鄭佩佩に「今こそ、社会時評番組を作るべきだ」ともちかけ、番組を制作、自ら司会を務めました。
が、番組中で康威は、あろうことか宋美齢のことを「長くて臭い牛のうん○」とこき下ろし、外省人系の移民から猛反発を食らいます。
しかし、康威は断固として持論を曲げようとはせず、結局、番組は打ち切りになってしまいました。
そのせいかどうか、鄭佩佩の番組制作事業自体もうまくいかなくなり、1992年、香港へ戻って女優業に復帰しています。
そののち再びアメリカで暮らすようになった鄭佩佩は、今でも康威・胡燕妮夫妻との変わらぬ友情を保ち続けているそうです。

夫妻の息子たちはそれぞれ独立、次男が男優・尹子維(テレンス・イン)として活躍していることは、周知の通りです。
周囲の反対を押し切って結婚した当初こそいろいろと嫉妬された康威でしたが、現在では、二人の恋物語は香港映画界における美談の一つとして広く知られるエピソードとなっています。(おしまい)

先頭 表紙

ナルさん:出会いはあるかもしれませんが、長続きする例は少ないかもしれません。 / せんきち ( 2003-11-07 22:11 )
おにぎり様:はい、そうですね。よかったです。これで離婚なんかしてたら、何言われてたか。。。。 / せんきち ( 2003-11-07 22:10 )
こんな出会いと恋愛、結婚が出来る男女がどのぐらいの割合で居るのかが知りたい今日この頃です。(笑) / ナルでしぃ〜。 ( 2003-11-06 02:21 )
尾張除ければ全て葦。 / おにぎり ( 2003-11-05 21:08 )

2003-11-04 ふたりの恋物語(1)


『狂恋詩』のところで、主演の胡燕妮(ジェニー・フー。1945〜)が、私生活では大恋愛のすえ康威と結ばれ、二人の息子に恵まれた、という話をちょこっといたしました。
そこで今回は、彼女と康威の恋物語を鄭佩佩の『戯非戯』の記述に基づきつつ、まとめてみることにいたします。

1964年頃のこと。
台湾でスカウトされて、香港の邵氏(ショウ・ブラザーズ)へやって来た二人の若い女優がいました。
一人は何莉莉(リリー・ホー。1946〜。リンク先の生年間違ってます)、そしてもう一人が胡燕妮。

当時、邵氏はスタジオの側に大きな宿舎があり、所属俳優やスタッフはそこで共同生活を送っていました。
新しく宿舎にやって来た二人の美女の内、何莉莉に男優の王羽(ジミー・ウォング。1943〜)が一目ぼれ。友人の男優・康威を誘って、王羽と何莉莉、康威と胡燕妮のダブルデートを計画しました。
しかし、王と何の仲はうまくいかず、お付き合いで参加した康威と胡燕妮が恋に落ちてしまいました。

この二人の熱愛に慌てたのが、邵氏の上層部。
なにしろ、売り出し前の大切な商品(女優)にちょっかいを出されてしまったのですから、怒り心頭です。
上層部は二人の仲を引き裂こうと画策、康威が台湾ロケに行っている間に裏で手を回して(どうやったんだか)香港のブラックリストに彼を入れてしまい、康威は二度と香港に戻ってこられなくなりました。
一方、理由はよくわからないのですが、胡燕妮も台湾側のブラックリストに名を連ねており、彼女も二度と台湾に戻れない身となっていました。
というわけで、二人はお互いが住む土地に行きたくても行けないという、悲劇の恋人になってしまったのでした。

邵氏の上層部は、「しめしめ。若い二人のことだから、二、三年も引き離しておけばあっさりあきらめるだろう」と思いましたが、そうは問屋がおろしません。
二人の恋の炎は、引き裂かれることによって逆に一層激しく燃え上がってしまったのです。

康威は、あらゆる手を尽くして密かに香港に渡り、胡燕妮と結婚しました。
このとき人々は、二人の結婚に関して「ありえないよ。彼女は馬鹿じゃないのか?康威と結婚するなんて」と囁いたといいますが、二年後、胡燕妮は妊娠、長男の子洋を出産しました。(つづく)

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tomohiko様:障害もないし、燃えたこともないわたくしでありました。 / せんきち ( 2003-11-07 22:09 )
燃える恋愛に障害はつきものですね。 / tomohiko ( 2003-11-04 22:08 )

2003-11-01 何にもない何にもない全く何にもない


『狂恋詩』(1968年、香港)に続き、『猟人』(1969年、香港)の感想なんぞを。
監督は、『狂恋詩』と同じく楊樹希こと中平康。
中平監督が1964年に撮った『猟人日記』(戸川昌子原作。映画にも出てます。怪演!)の半端リメイクです。

結果は・・・・まるでダメ夫。

オリジナルでは、主人公(仲谷昇)には妻(戸川昌子)がいましたが、奇形児を産んだことが原因で妊娠への恐怖(また奇形児を産んでしまうのではないか)から性交時に痙攣を起こすようになってしまい、ために夫婦生活は困難を来たして、耐えられなくなった夫は外で女漁り(これすなわち「猟人」)に励み出し、やがて犯罪に巻き込まれて無実の罪(連続殺人犯)で逮捕されるという設定。
これに対し、半端リメイク版では、主人公(金漢。ゆうたろうね)には婚約者(方盈)がいるものの婚前交渉を拒まれているため、有り余る精力を別の女たちに向けたあげくに連続殺人犯として逮捕されてしまうという、単なる薄っぺらなエロエロ君のお話。

真犯人はというと、『猟人日記』では妻で、しかも主人公が関係を持った女性のことを記録していた日記(猟人日記)の1ページ目に妻のことが実際には処女だったにもかかわらず「非処女」として記されており、これを盗み見た妻が怒りと絶望に打ち震えるという設定が、とてもなまなましかったです。
しかし、『猟人』では、真犯人は主人公の部下で、主人公の婚約者に懸想しての犯行という単純極まりないもの。

そして気になる映画のオチは、オリジナルでは真犯人として逮捕された妻は精神に異常をきたして入院し、妻を助けて犯罪に加担した家政婦は自殺、釈放された主人公は結局何もかも失ってしまうのに対して、半端リメイク版では「彼はそんなこと(殺人)をするひとじゃないわ!」という愛情深い婚約者が主人公を救うために奔走した結果、主人公は無事出所して婚約者と結ばれるというハッピーエンド。

なんのこっちゃ?

この他、オリジナルでは主人公の血液型が「Rh-AB」だったり、真犯人探しの過程でソープランドやゲイバーが出てきたりするのですが、そんなことはリメイク版ではすっぱりカット。

それにしても不思議なのは、自分の婚約者が別の女とさんざんやりまくっているというのに、それでも愛し続けることができるのかなあということ。

皆さんは、いかがですか?

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tomohiko様:映画ですので。。。。 / せんきち ( 2003-11-07 22:05 )
恋愛についてはなかなか難しすぎてコメントできない事の方が多いです(汗) / tomohiko ( 2003-11-04 22:06 )
おにぎり様:「お古」ですからね。やっぱり中古よりも新品のほうが。。。。←もっとえろ。 / せんきち ( 2003-11-04 21:03 )
ぷるぷる様:『猟人日記』、丸山(美輪)明宏が出てきますよん。なかなかいい声でした。ミーたん、最近は、ホットカーペットに貼り付いています。 / せんきち ( 2003-11-04 21:02 )
ミーたん。。。 / ぷるぷる ( 2003-11-04 01:13 )
カストリ雑誌を思い出しました。(思い出したといってもそんな世代じゃないんですが。)なんだかねぇ、笑えないエロ話ってイヤですわ。 / ぷるぷる ( 2003-11-04 01:09 )
あたしゃ絶対無理!!!他の女に使用したモノを受け入れるなんて無理。←えろ。 / おにぎり ( 2003-11-03 15:08 )
ナル様:前半のエロエロ部分は、けっこう楽しめるんですが(巨乳炸裂!)、後半がだれるだれる。眠くなりました。 / せんきち ( 2003-11-02 23:14 )
jing様:やっぱりそうですよねえ。しかもこの婚約者、「あたしがやらせてあげなかったのがいけないのね」とか反省しちゃうんですよーん。でも、こんなに焦らし焦らされたあげく、相性が最悪だったら笑えませんねえ。 / せんきち ( 2003-11-02 23:13 )
ミー様、ステキ過ぎざます!!!あたくし、ちょっとやそっとの浮気も許されない性質なので、、、こちらの映画の主人公は論外な対象と思ってしまいました。(苦笑) / ナルでしぃ〜。@しかし見てみたい。(笑) ( 2003-11-02 11:00 )
私は無理で〜す♪ / jing ( 2003-11-02 01:12 )
キネ旬のデータベースや日本映画データベースでは、オリジナルでの弁護士(畑中)役を「宮口精二」としていますが、実際には「北村和夫」がやっていました。 / せんきち ( 2003-11-01 22:04 )

2003-10-31 「あの人は今?」とも言われないあの人は今?


1961年の東映映画『花と嵐とギャング』(石井輝男監督)。

この映画で、鶴田浩二演じる香港ジョーに寄り添う金髪女性を演じていたのが、リー・スミス
当時、テレビやラジオで活躍していた、おもしろ外人タレントのはしりだったようですが、日本人青年との心中未遂事件を起こし、結局、それからまもなく本国(たしかカナダ)へ帰っていきました。

あれから42年。
テレビ業界でも彼女を覚えている人は皆無らしく、「あの人は今?」でも取り上げられる気配がありません。

彼女のその後が気になるのは、私だけでしょうか?

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ぷるぷる様:スマイリー、スケベでちょっとオツムが足りないけど、憎めないやつです。あ、ポスター、リー・スミスの写真と入れ替えてしまいました。すんません。何れ別の日記の時にまた載せます。 / せんきち ( 2003-11-04 21:00 )
リンク先の【高倉健 タカクラケン (スマイリー健)】にぶっとび!!スマイリーて… / ぷるぷる@このポスターいいわ。 ( 2003-11-04 01:12 )
『猟人日記』、面白かったっす。『猟人』の100倍は面白かったっす。中平監督は、香港で生気を吸い取られてしまったのね。井上梅次監督みたいなタイプが、やはりぴったんこだったのかも、香港には。 / せんきち ( 2003-10-31 22:25 )

2003-10-28 禁じられた言葉


さてさて、またしても禁じ手の言葉問題です。

昨日、古書店に注文していた『東宝映画』(東宝友の会というファンクラブの機関誌)1961年9月号が届いたので、目を通していたところ、ファンが書いた『香港の夜』の批評の中に、こんな記述がありました。

文字通りの大作『香港の夜』は期待通りの佳篇でした。万事ぜいたくづくめの豪華さは東宝ならではの感を抱かせましたが、特に立派だと思った事は、主題歌を尤敏がちょっと支那語で唄うだけで、どこにも歌らしい歌を聞かせなかったことだと思います。(以下略)

あたしゃてっきり戦争に負けたらすぐに「支那」という言葉がアウトになったのかと思っていましたが、どうやらそうでもなかったようです。
いったいいつごろから、使うとヤバい言葉になったんでしょう。
そういえば、車田正美の『リングにかけろ』には、支那虎なんていう登場人物がいましたが、あれは大丈夫だったんでしょうかね。

そしてもう一つ。これは『週刊平凡』1962年3月22日号から。

・・・・李香蘭が日劇で爆発的人気を得たのは、満人でありながら、日本の歌をたくみにうたいこなしたことで(以下略)

旧満州、中国東北部における現地住民(漢族・満州族)のことを、あいかわらず「満人」と呼んでいます。
これも、戦争に負けたら即アウトの表現だと思っていたので、けっこう意外でした。

やっぱり、いろいろとうるさくなったのは、日中国交正常化以降のことなのでしょうか。

折に触れて、調べてみたいと思います。


付記:ちなみに、1962年の日台合作映画『支那怪談 死棺破り』も、支那でしたね。

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めらこ様:こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします。当方、ひねくれた餓鬼だったもので、つい変な観点からものを見る癖がありました。そして今でも。。。。 / せんきち ( 2003-10-31 23:43 )
ごめんなさい。。寅のバター?=究極のバター!にゴクリと咽を鳴らす子供でした・・・今の私もそんな感じ。日記をお休みしますが、せんきち部屋 毎日拝読@@させてもらいます、これからもどうぞ よろしくお願いしますね(^^* / めらこ@ありがとうございました。。 ( 2003-10-31 21:30 )
ナルさん:んまあ、そうですか。わたし、あの絵本が大嫌いで。。。。といっても、人種差別の部分に腹が立つのではなく、虎がかわいそうで。。。。あれは虎差別の本です。 / せんきち ( 2003-10-31 20:42 )
tomohiko様:支那で検索したところ、出てくる出てくる「ラーメン 支那虎」!『リングにかけろ』を読みながらラーメン食べた世代がオーナーでせうか。。。。 / せんきち ( 2003-10-31 20:40 )
「ちび○ろさんぼ」の絵本・・・今じゃ高値と聞きましたがホントーでしょうか???ぷるぷるさん、ただいまです。台湾サイコーでした。 / ナルでしぃ〜。 ( 2003-10-29 02:10 )
リングにかけろ、なっつかし〜。すぺしゃるろーりんぐさんだー、とか思い出しますね。 / tomohiko ( 2003-10-29 00:36 )
今調べてみたら、なんと漢族も放送禁止用語なのですと。中国語だと漢族って言うのにな。変なの。 / せんきち ( 2003-10-28 23:27 )
ぷるぷる様:支那虎という支那そばや、全国に分布しているようです。そして、スナックや昔ながらの喫茶店には、くろ○ぼという店、多いですよね。 / せんきち ( 2003-10-28 23:26 )
そのまま「支那虎」というラーメン屋が近所にあります。(味はまぁまぁ。)そして実家の近くには「くろ●ぼ」というスナックが。 / ぷるぷる@支那蕎麦もダメ? ( 2003-10-28 22:47 )

2003-10-27 なぞのひとびと


これは分店でも書いたことなのですが、さいきん、世の中を騒がせているニセ有栖川宮事件に関して、昨日いろいろと調べておりましたところ、なんともう一人、有栖川親仁(ついオヤジと読んでしまいます)なる人物のいることが判明しました。

この人、いったいどんな人なんでせうか?

それからまたまた調べておりましたら、今度は「明治天皇の孫」という方も出現しました。
なんでも、明治天皇の御落胤の娘さんだとか。

世の中には、いろいろな人がいるものです。


付記:上記の方々が講演している会で、なんとあの仮面ライダー1号も講演していました。しかも、彼だけ敬称略。なんで?

この方は、正真正銘伏見宮家の末裔だそうです。

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おにぎり様:ダイナミックなお血筋ですね。海で船を酔払い運転。 / せんきち ( 2003-10-28 22:38 )
ぷるぷる様:わたくし、カメハメハ大王の第7夫人の末裔です。 / せんきち ( 2003-10-28 22:38 )
ナルさん:実はね、この団体の別の講演会では、つかまった有栖川となぞの有栖川が同席してるんですよん。ますますあやしい。 / せんきち ( 2003-10-28 22:37 )
私は「漁師」と「酒飲み」の血を引いています。 / おにぎり ( 2003-10-28 20:30 )
今まで秘密にしておりましたがワタクシはロマノフ王朝の血をひいております。 あ、ナルさん、おかえり〜。 / ぷるぷる ( 2003-10-28 10:53 )
お写真拝見したら、(伏見宮親王)それらしいお顔をしてらしたので、、、期待を裏切らないお顔に・・・拍手してしまいました。(苦笑) / ナルでしぃ〜。 ( 2003-10-28 01:37 )

2003-10-24 いまごろ。


明日から、キネカ大森で『龍城恋歌』(原題:『龍城正月』)が公開されます。

これ、1996年に張芸謀(ちゃん・いーもう)が製作総指揮を担当した作品。
「なぜ今頃?」と思ったら、このところ、日本でコンスタントに張監督の作品が公開されているので、その流れでらしいです。

映画の内容はというと、結婚式の当日、家族を皆殺しにされて、自分だけ奇跡的に生き残った花嫁の復讐譚・・・・って、まるで○ランティーノの『○ル・○ル』(チルチルじゃなくて)みたいですが、こっちの方がずっと前の製作です、もちろん。

主演は、私が長年贔屓にしている呉倩蓮(閃爍旗袍Barbieの回でご紹介した方)。

この映画に出演が決まった頃の現地報道では、「ついに張監督作品の主演に!カンヌ映画祭参加も決定!」なんて華々しい文字が躍っていましたが、いざフタを開けてみたら張監督は製作で監督は別の人、カンヌ映画祭参加もいつの間にかうやむやになり、がっかりしたことを覚えています。

しかし、久々に日本のスクリーンで小倩(呉倩蓮の愛称)の姿に会えるのは、嬉しいことです。

皆さんも、ぜひご覧になってみて下さい。


付記:映画のオフィシャル・ページで紹介されている彼女のプロフィール、かなり間違っています。とほほ。。。。

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ぷるぷる様:おお!なんと素晴らしいご対面!ますます観たくなりました、チルチル(じゃないっつーの!)。 / せんきち ( 2003-10-31 20:45 )
こんなんありました。 / ぷるぷる ( 2003-10-30 12:25 )
ぷるぷる様:そのポンチョが売り物だったらしいっす。。。。 / せんきち ( 2003-10-28 23:41 )
↓裸体にポンチョ……。ラクエル・ウェルチさんはもっと仕事を選んだらいいのにと思いました。  / ゴーゴーぷるぷる ( 2003-10-28 22:51 )
ぷるぷる様:聴きたいです!「うらみ節」!!!ところで、タラちゃんがお手本にしたのは、この映画らしいっす。 / せんきち ( 2003-10-28 21:05 )
↓「キ〇〇ル」、ラストになんと『うらみ節』が流れるらしいですよ。 / 〇る〇る ( 2003-10-28 10:57 )
えー、まんま「キ〇ビ〇」じゃないですか。タラちゃんたら…。呉倩蓮は「1000の瞬き」以来やわ〜。大阪でもやればいいんだけど。 / ぷるぷる ( 2003-10-28 10:56 )
tomohiko様:いまごろもいまさらも似たようなものかもしれませんです、はい。 / せんきち ( 2003-10-26 22:26 )
私にとってのいまごろは、最近読み始めた「三国志演義」です。あ、これは、いまごろじゃなくて、「いまさら」かも。 / tomohiko ( 2003-10-25 22:37 )
『猟人』観てきました。昼下がりの『土曜ワイド劇場』再放送といった感じの映画でした。小川真由美がでてきそう。。。。 / せんきち ( 2003-10-25 20:14 )

2003-10-22 狂恋詩


ユーロ・スペースで、香港版『狂った果実』の『狂恋詩』(1968年。ショウ・ブラザーズ)を観て来ました。
監督は、『狂った果実』と同じ(鈴木清順曰く)「香港に飛ばされた」中平康。

んー、なんだろう、この違和感は。

50〜60年代の香港映画は、何と言っても「女優の時代」だったので、男優がさあ。。。。
裕次郎(金漢。1938〜。凌波の旦那さん)は、ゆうたろう(物まねする人)みたいだし、津川雅彦(楊帆。1943〜)もなんかなあ。
「そりゃないぜチチョリーナ(死語)」って感じ。
意外とよかったのが、岡田真澄(金峰。生年不詳)。酸いも甘いも噛み分けた大人の男でした。
役者としてのキャリアが、一番長い(50年代から活躍)せいからかも。

あ、でも、ヒロイン(北原三枝=胡燕妮。1945〔or1946〕〜。ドイツ人と中国人のハーフ)の美しさは格別。
それだけでも、お金(1500円)を払った価値はありました。

でもね、でもね。
金漢が胡燕妮を押し倒す時、やたらニヤニヤしてて、なんかただのスケベオヤジにしか見えないのよ。
だから、本気で彼女に惚れちゃってるようには、とても見えないの。

悲劇性半減。

かの有名なラストも、オリジナルではヨットの残骸が映るだけだけど、こちらではわざわざ二人(金&胡)の血まみれの死体まで映しちゃってるもんだから、「おめえら、悪さすると、こんな目に遭うだよ〜」というご教訓映画のようでして。。。。

ちなみに、胡燕妮は、尹子維(テレンス・イン)のお母さん。
前途有望な新人時代に台湾出身の男優(後に声優・映画監督・保険屋さん)・康威と恋に落ちたため、会社(ショウ・ブラザース)はあらゆる手を使って二人の仲を引き裂こうとしましたが、結局愛を貫いて結婚、二人の息子に恵まれました。
テレンスは、次男に当たります。目元がお父さんに似てますね。


改めて、裕次郎の魅力を思い知りました。

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ははは、「怒るで〜」でしたね。 / せんきち ( 2003-10-23 22:54 )
中平康の中国名は、「楊樹希」。やんすーしー(やすし)と読みます。「起こるで〜!しかーし!」(BY横山やすし)。 / せんきち ( 2003-10-23 22:53 )
KEI様:「猟人」、土曜日に観に行こうと思っています。「猟人日記」はチャンネルNECOでやっているので、ビデオに撮って比較します。オリジナルのエグいシーンは、すべてカットらしいけど。。。。 / せんきち ( 2003-10-23 22:51 )
「猟人」は観ましたか?私も気になりつつ全然見に行けてません。 / KEI ( 2003-10-23 22:03 )
香港版、冒頭を除いてほとんどオリジナルに忠実なんですが、私の記憶に間違いがなければ、ヒロインがクリスチャンという設定は、オリジナルにはなかった気が。背徳の世界なのね。 / せんきち ( 2003-10-23 21:50 )
胡燕妮と康威の恋物語、なかなか波乱万丈なので、後ほど改めて取り上げてみましょう。でも、康威は、ぜんぜん美男子じゃないのよ。だから、二人が結婚した時は、羨望と嫉妬がすごかったとか。 / せんきち ( 2003-10-22 23:47 )
「国語時代曲の巨匠」王福齢のコテコテの音楽、なかなかいいです。あざとくて。 / せんきち ( 2003-10-22 23:24 )

2003-10-21 香港謀略戦


中国に返還される前の香港は、大陸の共産党と台湾の国民党、それぞれがそれぞれに自らのプロパガンダを繰り広げる、情報戦の舞台でもありました。

映画の世界でもそれは例外ではなく、北京語映画製作会社だけをとって見ても、この日記でしばしば取り上げている電懋(キャセイ・オーガニゼーション)や邵氏(ショウ・ブラザーズ)といった右派(国民党寄り)の会社の他に、長城や鳳凰といった左派(共産党寄り)の会社が存在していました。

今のところ、わたくしは左派の会社の映画を観たことがないので、確たることは言えないのですが、例えば、右派の戦争映画だと国民党軍が出てくるのに対して、左派のそれでは八路軍(現・人民解放軍)だったりと、お互いの寄って立つところによって、登場人物まで変わってしまうことが多かったようです。

そして、当たり前のことながら、左派の映画は大陸で上映できますし、ロケーションも可能ですが、右派の映画はそのどちらも駄目。
苦肉の策として、「北支平原」という設定のもと「御殿場」でロケをしたり、「重慶駅のホーム」という設定のもと「台北駅のホーム」でロケをしたりしていました。

更に複雑なことには、左派から右派の会社へ移る(その逆はほとんどなかったみたいです)ということは、自らの政治姿勢の「転向」を意味することでもあったようで、はじめ長城に所属していた樂蒂が、邵氏に移ったために恋人の高遠(鳳凰の二枚目スター)と別れることになってしまったと、鄭佩佩は記しています(『戯非戯』)。もっとも、その高遠も、60年代後半に邵氏へ移籍するのですが。

その他、電懋の『空中小姐』で、台北に着いた葛蘭が歓迎会で「我愛台湾同胞呀」(『台湾小調』)と歌う、その歌詞の内容に共産党が激怒したなんていうエピソードも残されていますが、かつての香港では、一見自由放任主義のように見えて、実は裏でさまざまな政治的深謀遠慮が働いていたのでした。

つくづく、特定のイデオロギーや政治からは、自由でありたいものです。

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