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せんきちの「日々是口実」


24時間、現実逃避!

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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-07-19 元祖ユーミン(15)
2003-07-18 元祖ユーミン(14)
2003-07-17 元祖ユーミン(13)
2003-07-16 元祖ユーミン(12)
2003-07-15 元祖ユーミン(11)
2003-07-14 かぜ
2003-07-13 元祖ユーミン(10)
2003-07-12 元祖ユーミン(9)
2003-07-11 元祖ユーミン(8)
2003-07-10 元祖ユーミン(7)


2003-07-19 元祖ユーミン(15)


(前回の続き)

そして、映画の内容に関しては辛口の批評家氏も、こと尤敏に関しては、

洋服、和服、中国服と、十数着も衣装をかえる尤敏の美しさはかくべつ。彼女の日本映画出演はこれで四本目ですが、カタコトだった日本語もうまくなり、英語、中国語とちゃんぽんに話すセリフは、衣装同様、なかなか魅力的です。(以下略) (『週刊平凡』「試写室」 1962年8月2日号)

と、その魅力を称えています。

じっさい、この映画の尤敏は、本当に魅力的です。私が尤敏ファンになったのも、この映画を観てからでした。
とにかく、尤敏の魅力大爆発!(なんのこっちゃ)の1本です。

ところで、この映画の終盤で、星〔王連〕の父の追悼ミサのシーンが出てきますが、
尤敏は実生活でもカトリック信者でした。
彼女の英文名のLucillaは、クリスチャンネームです。

もう一つ付け加えておくと、函館に「尤敏」(もちろん、ユーミンと読みます)という名のラーメン屋さんがあるのですが、この店名の由来が、どうやら『香港の星』で尤敏が札幌ラーメンを食べるシーンにあるらしいのです。
そのうち、偵察に行ってきます(気軽に行ける距離じゃないけどね)。

短いですが、キリがいいので今日はこのへんで。


(つづく)

写真は、『香港の星』の一場面。

先頭 表紙

どうでもいいけど、カトリックだと追悼ミサ、プロテスタントだと記念式というらしいね。 / せんきち ( 2003-07-19 20:01 )

2003-07-18 元祖ユーミン(14)


(前回の続き)

(あらすじの続き)帰って来た星〔王連〕に、父は今まで自分のエゴを押し付けてきたことを詫び、これからは自分の好きな道を歩むようにと諭して、息を引き取ります。

その頃、長谷川の身にも転機が訪れていました。突然、サンフランシスコ支店に転勤になったのです。
長谷川は星〔王連〕の家へ電話を入れますが、悲しみにくれる彼女は電話に出ることが出来ず、長谷川は仕方なく、アメリカ行きの件と飛行機の出発時間を星〔王連〕に伝えてくれるよう、張に頼みます。

長谷川がアメリカへ発つ日。星〔王連〕の父の追悼ミサが、教会で行なわれていました。
長谷川は、空港でぎりぎりまで星〔王連〕を待ちますが、結局彼女は現れず、仕方なく飛行機に乗ります。
ミサの後、張は星〔王連〕に、「王先生の仕事は、私が引き継ぎます。あなたは自分の幸せを追い求めるべきです」と言われ、タクシーに飛び乗って空港へ向かいます。
しかし、タクシーが空港をのぞむ丘の上を走っているとき、長谷川を載せた飛行機が星〔王連〕の頭上を飛んでいきます。
タクシーを降りた星〔王連〕は、飛行機が飛び去っていくのを涙ながらに見送るのでした。(あらすじおわり)

『香港の夜』に続く第2弾ということで、今回、尤敏は日本で医学を学ぶ留学生を演じています。
前回の悲しい結末に続き、今回も二人は結ばれぬまま終わりますが、おそらくこの後、星〔王連〕は長谷川を追ってアメリカへ行くであろうことを暗示している分、こちらの結末の方が、いくらか救いがあるかも知れません。

しかし、星〔王連〕と加那子の譲り合いの精神(?)が、批評家氏にはいささか古くさく思えたらしく、

・・・・なかのいい女友だちが恋をゆずりあう、なんていうお話は、やはり古すぎます。それも、友人にも恋人にも、なにひとつほんとうの気持ちを伝えていないのです。うつくしい誤解、なんていうものではありません。発言しないで、相手の胸のうちを勝手に推察してしまうのでは、メロドラマの新しさもなにもありません。(以下略) (『週刊平凡』「試写室」 1962年8月2日号)

と、かなり点が辛いです。

が、今観ると、この譲り合い、むしろ床しく思えます。失われた美徳を見るような思いがしてしまうのです。

実は、『星星・月亮・太陽』で、尤敏が演じた朱蘭(阿蘭)も「譲る女」で、どこまでも他人のことを気遣ったあげく、自らは病に倒れて夭逝するという設定でした(臨終シーン、涙なくしては観られません)。
尤敏にとって「譲る女」は、まさにうってつけの役どころであったのだと言えましょう。
山川登美子の「それとなく紅き花みな友にゆづり そむきて泣きて忘れ草つむ」という歌を思い出します。


(つづく)

写真は、『香港の星』の一場面。

先頭 表紙

おにぎり様:あ、ちと違う気がいたしますです。。。。李香蘭でもありません。 / せんきち ( 2003-07-19 19:37 )
シャルウィダンス??様:どうも。また連絡下さい。これ、まとめてアップしたいんで。まだまだネタがあるんですよ。 / せんきち ( 2003-07-19 19:35 )
この人、ゆみ かおる? / おにぎり ( 2003-07-19 17:31 )
おひさしぶりです。ロンドンに行ってました。その前に福井、宇部、佐渡にも行ってました。何も語る気はしません。んでも、6月21日のユー民コンサートには何故か出席してましたです。何故だろう?? / シャルウィダンス?? ( 2003-07-19 03:20 )
も一つどうでもいいけど、今日、昔の新聞広告見たら、赤坂のミカドって家族連れで行けるナイトクラブだったのね。そういえば、私、吉原のおいらんショーに6歳の頃行ったわ。 / せんきち ( 2003-07-18 23:10 )
どうでもいいけど、国会図書館の新聞マイクロフィルムの複写は、なんであんなに画質が悪いんじゃ。尤敏の顔なんか真っ黒だよ。それで60円だぞ。しかも消費税も取るんじゃ。いいかげんにしてくれ! / せんきち ( 2003-07-18 23:07 )

2003-07-17 元祖ユーミン(13)


(前回の続き)

(あらすじ続き)東京へ戻った後、加那子は北海道でのお礼にと、長谷川を赤坂のクラブ「ミカド」に招きます。
長谷川、加那子、星〔王連〕の3人でテーブルを囲みますが、すっかり意気投合した長谷川と星〔王連〕の様子を見て、長谷川にひそかに思いを寄せる加那子は、1人ひっそりとその場を後にします。

星〔王連〕を誘ってドライブに出かけた長谷川は、星〔王連〕に自分の気持ちを告げ、二人は交際を始めました。
しかし、星〔王連〕の気持ちが長谷川に傾けば傾くほど、彼女の学業は疎かになっていき、心配した張は彼女に忠告をします。
星〔王連〕は、長谷川を愛しながらも、父の意思を継いで医師になることを最優先にし、長谷川に別れを告げます。

自棄になった長谷川は馴染みのバーへ行き、ママ(草笛光子)と飲み明かしますが、
長谷川に興味のあるママは、わざと酔いつぶれたフリをして長谷川の部屋へ押しかけて、彼を誘惑します。
長谷川は仕方なく、ママを部屋に置いて一人深夜の街へ出て行きますが、その隙にママは長谷川の写真をひそかに盗み出します。

そんなある日、加那子の勤めるブティックに、ママが新しく頼んだ洋服の代金を払いに現れました。
ママが落とした長谷川の写真をぐうぜん拾った加那子に、ママは「私の彼の写真よ」と言い放ち、加那子は動揺します。

後日、洋服を届けにママの部屋を訪れた加那子は、ママに長谷川との関係を質しますが、軽くあしらわれてしまいます。
傷ついた加那子は、家に戻って一人涙しますが、それを見た星〔王連〕は、加那子が長谷川のことを本当に愛しているのだと悟ります。

一方、再び香港行きを命ぜられた長谷川は、そのことを告げに星〔王連〕の許を訪ねますが、加那子のことが気がかりな星〔王連〕は、「私には、張英明というフィアンセがいます」と嘘を言い、その場を立ち去るのでした。

春、無事国家試験に合格した星〔王連〕は、張と共に香港へ帰ることになりました。
杉本家での祝いの宴の後、星〔王連〕は加那子に、「香港へぜひ来て下さい。香港には、長谷川さんがいます。私のことなら心配しないで。私は、張英明と結婚します」と告げます。
しかし、香港へ戻った星〔王連〕は、愛する長谷川のいるこの土地にいることが耐えられず、父に相談してシンガポール大学病院に赴任してしまいます。

何も知らない加那子が香港へ来てみると、星〔王連〕は既にシンガポールへ行った後でした。
加那子は張に、「お二人は、いつ婚約発表をするのですか?」と尋ねますが、張の口からは、「私たちはそんな関係ではありません。私は、王先生の弟子です。二人は、同じ道を歩む同志にしか過ぎません」と言われて、全ての真相を知ります。
加那子は長谷川に、星〔王連〕がシンガポールに赴任したことを告げ、会いに行くようにすすめます。

星〔王連〕を探しにシンガポールまで来た長谷川でしたが、星〔王連〕はクアラルンプールの病院に転任していました。
長谷川はすぐさまマレー鉄道に飛び乗ってクアラルンプールに向かい、ついに星〔王連〕を探し当てます。

長谷川は改めて星〔王連〕に愛を告白、プロポーズをしますが、星〔王連〕は父の許しを得るまでは返事をすることは出来ないと言い、その日はそのまま別れます。
その夜、父が倒れたという知らせを受け取った星〔王連〕は、急遽香港へ帰ることになり、二人は共に香港へ向かいます。(あらすじ続く)

(つづく)


写真は、『香港の星』の一場面。

先頭 表紙

ぷるぷる様:まず初日にチャンポンメンと春巻、翌日にユーミン丼と春巻にチャレンジします。 / せんきち ( 2003-07-18 21:01 )
尤敏ラーメン見ました〜。こってり辛そうでいいわ!せんきちさん、ぜひ食べてきてください。 / ぷるぷる@春巻きもいいわ〜 ( 2003-07-18 12:43 )
そういえば、尤敏ラーメンのメニューの中に、「ユーミン丼」なんてあったわ。今度行ってこよう。 / せんきち ( 2003-07-17 23:17 )
tomohiko様:まだまだ波乱が。。。。 / せんきち ( 2003-07-17 23:17 )
これが「尤敏ラーメン」です。 / せんきち ( 2003-07-17 23:15 )
うー、波乱万丈。続きがたのしみです。 / tomohiko ( 2003-07-17 21:54 )

2003-07-16 元祖ユーミン(12)


(前回の続き)

1962年7月12日、尤敏は14日の『香港の星』初日舞台挨拶のため、来日しました。
14日、渋谷・新宿・日比谷の東宝封切館を順に回り、舞台挨拶をしましたが、どこも満員札止めの盛況で、前作『香港の夜』同様のヒットを記録しました(同時上映は、『日本一の若大将』)。
監督と共演は、前作同様千葉泰樹と宝田明、脚本は笠原良三です。


例によって、ストーリーを見ていくことにします。

日本の商社「東南商事」の香港駐在員・長谷川(宝田明)は、帰国の挨拶のために立ち寄ったソニーの香港オフィスで、故障したラジオを持ってきた王星〔王連〕(尤敏)からソニー社員に間違われて、修理の依頼を引き受けるはめに陥ります。
急ぎの修理依頼でしたが、ラジオの故障の程度があまりにひどいため、新品と取り替えて納品することにし、長谷川は星〔王連〕の家へラジオを届けに行きました。
「ラジオを落としでもしない限り、こんなひどい故障にはならないはずだ」と釘を指す長谷川に、星〔王連〕は悪印象を抱きます。

星〔王連〕は日本の女子医科大学の留学生で、これからまた日本へ行くところでした。
その前に父の許を訪れ、父の物であるラジオも届けます。
星〔王連〕の父・王椿伯(王引)は、難民診療所の医師で、自分の仕事を娘である星〔王連〕に継いでもらいたいと考えていました。
ラジオを渡すとき、星〔王連〕はソニーの社員に失礼なことを言われたと王に告げますが、実は長谷川の言うとおり、ラジオは王がうっかり棚から落として壊してしまったのでした。星〔王連〕は長谷川に対して、申し訳なく思います。

日本へ行く飛行機の中で、星〔王連〕はぐうぜん長谷川と隣の席になります。
ラジオの一件を謝った後、お互いに自己紹介をし、星〔王連〕は、長谷川がソニーの社員ではないことを知ります。

東京へ着くと、星〔王連〕の下宿先の娘・加那子(団令子)と、王の弟子で東大病院に勤めている張英明(林冲)が空港まで迎えに来ていました。
星〔王連〕と長谷川はそのまま別れ、星〔王連〕は二人と一緒に下宿先である杉本家へ向かいました。
杉本家の当主・杉本玄太郎(山村聰)は、日中戦争の最中、王に命を救ってもらったことに恩義を感じ、留学中の星〔王連〕の面倒を見ているのでした。

杉本家に着いた星〔王連〕に、デザイナーの卵である加那子は、モデルの仕事をしてみないかと持ちかけます。
最初は戸惑う星〔王連〕でしたが、撮影で北海道に行けるという加奈子の誘いに乗り、二人はデザイナー(久慈あさみ)の一行に加わって、北海道に向かいます。

雪祭り会場やスキー場での撮影等、仕事は順調に進みますが、加那子が仕事の後スキーをしていて男性に衝突しそうになり、避けきれずに転倒して足を捻挫してしまいました。
男性に応急処置を施してもらい、車でホテルの部屋まで送ってもらった加那子を出迎えた星〔王連〕と、送ってきた男性はお互いの顔を見てびっくりします。
男性は、長谷川その人でした。

足を捻挫して歩けない加那子の代わりに、長谷川は観光案内を買って出、星〔王連〕と長谷川の二人は楽しいひと時を過ごします。
長谷川は北海道出身で、姉が営む札幌ラーメンの店に星〔王連〕を連れて行き、ラーメンをごちそうします。
「私の国にも、こんなにおいしいおそばはありません」という星〔王連〕の言葉に、姉夫婦は大喜びするのでした。

(つづく)


付記:写真は、来日中、銀座で釜飯に舌鼓を打つ尤敏。

先頭 表紙

ぷるぷる様:でも、この尤敏の罪作りな一言のせいで、今でも函館には「尤敏ラーメン」というラーメンのお店があるのですよ。そのうち食べに行きたいです。 / せんきち ( 2003-07-17 20:23 )
またもや「偶然の再会」なのですね(^^; 「私の国にも、こんなにおいしいおそばはありません」←ウソーっ。 / ぷるぷる ( 2003-07-17 09:11 )

2003-07-15 元祖ユーミン(11)


(前回の続き)

前々回、前回と『社長洋行記』『続社長洋行記』のストーリーをご紹介してきましたが、この2本のうち、特に前者はゴールデン・ウィークにあわせて公開されて、大当りをとったそうです(同時上映『どぶろくの辰』)。

正編を見る限り、前フリ(香港へ行くまで)が非常に長いので、シリーズのファンには面白くても、それ以外の人にはただだらだらとつまらないだけ、と思われるかも知れない映画ではあります。
ちなみに、香港で公開された際には、正編と続編を編集して1本にした上で、『三紳士艶遇』というタイトルで上映されています(1963年7月)。
おそらく、正編の前半部分を大幅にカットしたものと思われます。


続編に関しては、『読売新聞』(1962年6月5日付け 夕刊)に批評がありますが、

・・・・内容のたわいなさをいうのはヤボ。これだけスターの芸を楽しませてくれるのはやはりゴリッパというほかない。(以下略)

と、偉大なるマンネリを称えています。

続編の最後、尤敏の婚約者として三船敏郎が登場しますが、これはいわば「秘密のゲスト」だったらしく、映画の広告にも映画雑誌の紹介欄にも名前が登場していません。「観た人だけが得をする」といったところでしょうか。

正編や、この次の作品である『香港の星』での尤敏のチャイナドレスの着こなしを見ていると、『花様年華』の張曼玉(マギー・チャン)のチャイナドレス姿は、尤敏あたりをお手本にしたのかなあと思えてきます。
そういえば、王家衛(ウォン・カーウァイ)監督が、木村拓哉を『2046』(いつになったらできるんだ?)に起用しようと思ったきっかけは、写真集に載っていた木村の写真(清朝の貴婦人の装束を着けたもの)が、古装片(時代劇)での尤敏を彷彿とさせたからだったらしいです。ほんとか?


(つづく)

写真は、『続社長洋行記』クランクアップの後、祝杯を挙げる尤敏と小林桂樹。

先頭 表紙

くすのき燕様:お読み下さり、ありがとうございます。一応、遠大な野望(それは秘密)の元に、目下全てをこの作業に注いでおります。 / せんきち ( 2003-07-16 21:08 )
久しぶりにのぞかせていただいたら、スゴイ長編になってるんでびっくりしました。よく調べますねえ。 / くすのき燕@感心! ( 2003-07-16 08:59 )

2003-07-14 かぜ







かぜ、引きました。
更新はお休みです。
皆さま、おだいじに。

先頭 表紙

シャルウィダンス??様:だいぶよくなりました。んー、薬下さい。 / せんきち ( 2003-07-19 19:31 )
で。風邪の具合はどう??ハイテンションの止まらない私に出来ることある??? / しゃるうぃだんす?? ( 2003-07-19 03:22 )
皆さま:抗生物質を飲んだおかげで、だいぶよくなりました。ご心配をおかけして申し訳ございません。 / せんきち ( 2003-07-15 21:09 )
あら、たいへん。長引かないようにお大事にね。どうぞごゆっくり〜。 / ぷるぷる ( 2003-07-15 20:49 )
ご無理なさいませんよう、どうかお大事に・・・ / めらこ ( 2003-07-15 02:03 )
気温差が激しくて体調崩しがちですよね。ゆっくり休んで治して下さいね。どうぞお大事に。 / aika ( 2003-07-15 01:50 )
お大事に。お忙しいでしょうけど、ゆっくり休んでください。 / tomohiko ( 2003-07-14 21:57 )

2003-07-13 元祖ユーミン(10)


(前回の続き)

(あらすじ続き)夜も更ける頃、本田が突然身体の不調を覚えて医者に診てもらいますが、鍋料理の店で食べた蛇のせいで奇病にかかったことがわかり、帰国を余儀なくされます。
翌日、本田が帰国するため空港に来た3人は、ライバルの「ツバキパスタ」の社長が香港にやってくるのを目撃します。
本田は、「アイシャルリターン」と勇ましい言葉を残し、日本へ帰っていきますが、残された南と東海林は2人だけで頑張ることを決意、空港を後にします。

と、ここまでが正編のあらすじ。
「これから何かが起こるぞ!」とさんざん期待させておいて、あっさり「続編をお楽しみに」と終わってしまうあたり、なかなか計算高い作りの映画です。

ところで、わたくし、実は続編をまだ観ていません。あちこちのレンタルビデオ店で探したのですが、どこにも置いていないのです。
「キネマ倶楽部」という大手映画会社が出資して作った会社がビデオ化したのですが、キネマ倶楽部自体が昨年解散してしまったそうです(ガーン!)。
というわけで、続編のあらすじは、当時の『キネマ旬報』(1962年7月下旬号)に載った紹介記事を元にまとめていきます。あしからず、ご了承下さい。


本田(森繁久彌)が帰国した後、香港に残った南(小林桂樹)と東海林(加藤大介)は売り込みに励みますが、仕事は一向に進みません。業を煮やした本田は、再び香港へ行く決意を固めます。

香港へ着いた本田は、マダム(新珠三千代)のいる東京亭へ行きますが、そこで2人と鉢合わせします。
東海林は、坂田(フランキー堺)が紹介したある商事会社との商談をまとめようと、てんてこ舞いの最中。
南は南で、柳(洪洋)の誕生祝いのため、秀敏(尤敏)とここへ来ていたのでした。

思わぬところで仕事に巻き込まれたせいで、マダムは怒って帰ってしまい、おまけに坂田がいんちきなタカリ屋とわかって、浮気も仕事も暗礁に乗り上げます。
しかし、秀敏が自分の勤める会社(美麗公司)に話をしてくれたおかげで、商談のチャンスがめぐってきます。
美麗公司の宗社長は、東京で桜堂製薬の経営状況を調査の上、正式に代理店契約を結ぶことを約束してくれました。


ぶじ仕事を終えた3人が帰国すると、彼らが香港芸者と浮気をしていたというデマが流れていました。
香港へ行けなかった営業部長の中山(三木のり平)が流したデマでしたが、そのために、本田は妻(久慈あさみ)から、東海林はママ(草笛光子)から、南は職場のガールフレンド・敬子(藤山陽子)からさんざんにやっつけられます。

香港から桜堂製薬のこれまでの実績と経営状況を調査するため、まず秀敏が来日、続いて宗社長も来日します。
調査の結果、両社の提携が決まり、記念パーティーが開かれました。
その席上、南は秀敏にプロポーズをしようと思いますが、秀敏は婚約者(三船敏郎)を連れて登場、南の恋は失恋に終わるのでした。

(あらすじ終わり)

続編を観ていないため、3人がそれぞれに出会った香港女性が、同一人物(秀敏)であったことにいつ気づくのかがよくわかりません。
正編のビデオの最後に入っていた続編の予告編には、本田と東海林が正式に秀敏を紹介される場面で、秀敏が「本田(ほんだ)」を「混蛋(ふんたん。馬鹿の意)」と聞き間違えて笑い出すという件がありました。
早いとこ、観てみたいものです。

(つづく)


写真は、『社長洋行記』の一場面。

先頭 表紙

2003-07-12 元祖ユーミン(9)


(前回の続き)
前回も述べた通り、『社長洋行記』と『続社長洋行記』は、1962年4月29日と6月1日にそれぞれ公開されました。
どちらも監督は杉江敏男、脚本は『香港の星』と同じ笠原良三が担当しています。

では、ストーリーを見ていきましょう。

桜堂製薬の貼り薬「サクランパス」は、国内では圧倒的なシェアを誇っていますが、東南アジア方面ではなぜか売り上げが振るいません。
そこで、社長の本田(森繁久彌)は、東南アジアへの販売を担当する商社の加藤(東野英治郎)を招いて接待ゴルフを行い、テコ入れを図ろうとしますが、当日、娘のめぐみが恋人の三条河原と朝帰りをしたので家の中はてんやわんや。
おまけに、めぐみの妊娠が発覚したため、狼狽した本田は接待ゴルフをキャンセルしてしまいます。

後日、改めて加藤を招き、中華レストラン・香港亭で接待を行ないますが、ゴルフがキャンセルになったことを根に持つ加藤は本田をさんざんに罵倒、頭にきた本田は自ら香港へ乗り込んで売り込みを図ることを宣言します。
香港へは、本田の他に秘書課長の南(小林桂樹)、営業課長の中山(三木のり平)が同行することになりますが、営業部長の東海林(加藤大介)の馴染みの店のママ(草笛光子)の弟が香港にいることがわかり、急遽中山に代わって東海林が同行することに決まりました。

出発前日、めぐみの結婚式をあわただしく済ませ、3人は香港へと向かいますが、機内でぐうぜん香港亭のマダム(新珠三千代)と乗り合わせます。マダムは、香港で東京亭という日本料理店を経営していたのでした。
マダムとすっかり打ち解けた本田は、香港に着いたら改めて連絡することを約束します。

香港到着後、あやしい日本人・本田(フランキー堺)の出迎えを受けた3人でしたが、どうにかホテルに落ち着いて、その日は終日自由行動ということになりました。

英語が少しできる南は、ガイドブック片手に市内観光に出かけますが、そこで大学時代の後輩・柳宗之(洪洋)と再会します。
柳は、日本に留学後、故郷の香港に帰って日本語教師をしていました。
柳に香港を案内して貰うことにした南は、柳から妹・秀敏(尤敏)を紹介されます。
英語が堪能で車の運転が上手、しかもとびきりの美人である秀敏に、南はたちまちのぼせ上がってしまいます。

一方、本田はさっそくマダムに電話を入れ、デートの約束を取り付けます。
しかし、東京亭の場所がよくわからないので、偶然通りかかった香港女性に覚えたての中国語で道を尋ねると、女性は親切に東京亭のあるビルまで本田を送ってくれました。
女性の美しさに鼻の下を長くする本田でしたが、その女性は、南がのぼせ上がった秀敏その人でした。
マダムとの浮気を夢見る本田は、それとなくマダムに迫るものの、うまくかわされてしまいます。

夕食時、鍋料理の店で南と柳、本田とマダムがばったり出会い、4人でテーブルを囲みますが、その頃、東海林は頼まれたお土産を買うために奔走していました。
時計店で言葉が通じずに困っていると、通りがかりの香港女性が日本語で助け舟を出してくれ、代わりに買い物をしてくれました。
やさしくて美しいその女性に、東海林はほれ込みますが、実はその女性も秀敏なのでした。

ホテルへ戻った3人は、それぞれがそれぞれに、この日出会った美しい香港女性のことを自慢しあいます。もちろん、その女性が同一人物であることなど、彼らは知る由もありません。

(あらすじ続く)
(つづく)

先頭 表紙

おにぎり様:今度ぜひ、もてる女の秘訣をお聞かせ下さい。 / せんきち ( 2003-07-13 21:59 )
めらこ様:わくわくさせておいて、けっこう肩透かしな映画でした。。。。 / せんきち ( 2003-07-13 21:58 )
ナル様:ぜひご覧下さいまし。アホみたいな映画ですが、尤敏はとってもきれいです。 / せんきち ( 2003-07-13 21:57 )
私の事をめぐって、男達は大変なことになる!? / おにぎり ( 2003-07-13 19:12 )
ぉぉ!どうなるのだろう・・ワクワクしてきたぞぅ〜! / めらこ ( 2003-07-13 17:08 )
あらすじを見た限り、、、『マーサ・ミーツ・ボーイ』の香港&日本版ってトコロでしょうか。面白そうですね!早速、探してみます!!!(*^∇^*) / ナルでしぃ〜。 ( 2003-07-13 02:46 )

2003-07-11 元祖ユーミン(8)


(前回の続き)

1962年2月22日、尤敏は新作『香港の星』製作のために来日、雪の北海道ロケに参加します。
生まれて初めて間近に見る雪に、「(雪が)こんなにやわらかくてきれいなものだとは思わなかった。香港へ持って帰りたい」(3月7日付『朝日新聞』夕刊)と大喜びしたそうですが、実はこの時期、彼女は香港である訴訟に巻き込まれていました。
それは、金銭にまつわるトラブルで、尤敏と母親が訴えられたというものでした。
最終的に、「尤敏は無罪」という判決が4月に出るのですが、そんな精神的にも過酷な時期に見た北海道の美しい雪景色は、彼女の心を大いに慰めたに違いありません。


3月末、『香港の星』は香港ロケに入り、同時進行で、森繁久彌主演の人気シリーズ『社長洋行記』『続社長洋行記』、電懋の映画『珍珠涙』にも出演と、大忙しの状態が続きます。
『香港の星』はシンガポール、マレーシアでの撮影も行い、4月下旬、日本での撮影に入りました(このときも、『続社長洋行記』の撮影〔箱根ロケ等〕が、同時進行で行なわれたようです)。
日本に滞在中、尤敏はマスコミの取材などに対応する他、5月には日本語の歌『香港の花』(岩谷時子作詞、松井八郎作曲)のレコーディングを行なっています。
この曲、宝田明が歌う『香港のひとつ星』をB面に、堂々のA面としてコロムビア・レコードから発売、テレビにも出演してその歌声を披露した模様です(聴いてみたい・・・・)。

6月10日、撮影を終えた尤敏は香港へ帰っていきましたが、この間、4月29日には『社長洋行記』、6月1日には『続社長洋行記』が封切られています。

(つづく)


付記:写真は、秋山庄太郎撮影による尤敏。
尤敏は、邵氏にいた頃はかなり歌っているのですが、電懋に移ってからはほとんど歌っていないようです。
そういった意味でも、このレコード(『香港の花』)はかなりのお宝と言えそうです。
ちなみに、『香港の夜』『香港の星』の劇中でも歌っていますが、どちらも北京語の歌詞で、日本語ではありません。
わたくしの手元には、『捉迷蔵(かくれんぼ)』という、スウェーデン民謡をアレンジした曲を歌っているCDがありますが、かなりビミョーな歌です。
『香港映画スター '40〜'60』(1998年、平凡社)には、はっきりと「歌は得意ではないものの美人で演技力もある尤敏や樂蒂」と書かれてしまっています。
でも、劇中歌はなかなかいいですよ、伸びやかな歌声で。

先頭 表紙

ぷるぷる様:ぜひご覧になってみてください。でも、わたくし、まだ続編は未見です。どこのレンタルビデオ屋に行ってもないのです。でも、何とかして観ます!!! / せんきち ( 2003-07-12 19:35 )
えっ、社長シリーズに出ているの?けっこう観てるんですよ、好きで。でもこれは未見やわ。。 / ぷる@なにやらアンハッピーの予感? ( 2003-07-12 16:36 )

2003-07-10 元祖ユーミン(7)


(前回の続き)

尤敏の人気沸騰ぶりを見て、他の映画会社が黙っているはずはありません。
大映は、尤敏引き抜き工作を開始、自社作品に出演しているフィリピン女優チェリト・ソリスと共演させようとしました。
そうはならじと焦った東宝は急遽次回作を決定、その名も『香港の星』の製作を発表し、結局、大映は引き抜きを断念します。
一方、東映は電懋のライバル会社であるショウ・ブラザーズ(邵氏兄弟)との合作を計画、邵氏の人気女優だった樂蒂(1937〜68。31歳の若さで自死した美人女優)をヒロインに起用して、『香港旅情』の製作を発表します(共演は高倉健、三田佳子、陳厚〔1929〜70〕)。
この『香港旅情』、1962年2月に東映本社で樂蒂、陳厚(二人は当時新婚で、箱根に新婚旅行に来ていました。しかし、後に離婚してしまいます)、高倉、三田出席のもとで製作発表記者会見が行なわれましたが、その後に樂蒂のオメデタが発覚、ついに製作されないまま終わってしまいました(この件に関しては、いずれまた稿を改めて執筆します)。
また、『香港の夜』がハワイやロサンゼルスでもヒットしたことを受けて、アメリカのユニバーサルは、東京支社を通じて尤敏に契約を申し出ますが、彼女はこれを断っています。


人気女優となった尤敏は、日本のマスコミによるゴシップ報道の洗礼も受けました。

まず、『香港の夜』撮影時から流されたのが、共演の宝田明とのロマンス(死語)。この報道はいったん収束した後、62年の『香港の星』撮影時に再燃します。

次に出たのが、彼女を日本に連れてきた藤本真澄とのロマンス。
これは、尤敏が記者会見の席上、「私を香港の真珠と言うけれども、ミキモト・パールではなく、フジモト・パールです」と言った、そのウィットに富んだ発言が、妙な憶測を生むことになったようです。
その後、尤敏自身が「藤本さんは私のパパ(変な意味のパパではありません・せんきち注)です。私の恋人は若い人がいい」と弁明、一件落着しました。

さらに、尤敏は独身ではなく、香港の男優・雷震(1933〜。最近では『花様年華』に出演しています)と結婚しているという怪情報が流れたこともありました。
もちろん、これは根も葉もないデマなのですが、お相手とされた雷震が樂蒂の兄であったことから、(樂蒂を合作映画に起用する)東映側が故意に噂を流したのではないかという、思わぬ波紋が広がりました。


『香港の夜』が製作されたのと同じ1961年、尤敏は彼女の生涯の代表作である『星星・月亮・太陽』に出演、翌62年、第1回台湾金馬奨(台湾のアカデミー賞)主演女優賞を受賞しました。
彼女は、女優として、その最盛期を迎えていました。


付記:写真は、『星星・月亮・太陽』の尤敏。
大映の引き抜き工作に関しては、田宮二郎と共演させようとした、あるいは大映と電懋が合作映画を製作、そこに尤敏を出演させようとしたという報道もあります。
ついでに言うと、『香港の夜』の大ヒットを受けて、東宝は菊田一夫作・演出の東宝ミュージカル『香港』に尤敏と同じ電懋所属の女優・李〔氵眉〕(1929〜1994)を起用、市川団子(現在の猿之助)、浜木綿子等と共演させています(1961年9月)。
映画だけでなく、舞台での合作も存在しました。

先頭 表紙

jing様:その通りでございます。儚く短いからこそ、美しいのであります。 / せんきち ( 2003-07-12 19:28 )
そうですね。そして儚いからこそ美しいのかもしれませんね。 / jing ( 2003-07-12 01:37 )
jing様:花の命ははかないものです。。。。 / せんきち ( 2003-07-11 01:07 )
これが最盛期・・・ということはこの後どうなってしまうのでしょうか? / jing@思う壺にはまってる読者その1 ( 2003-07-11 00:35 )

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