himajin top
せんきちの「日々是口実」


24時間、現実逃避!

せんきちの超おたくサイト「旅荘 愛のさざなみ」(総本家)にも、ぜひお立ち寄り下さい。

blog、てきとーに稼動中。

目次 (総目次)   [最新の10件を表示]   表紙

2003-02-10 だましだまされ・・・・(その2)
2003-02-08 だましだまされ・・・・
2003-02-08 李香蘭、テレサ・テン、そして蘇軾(その3)
2003-02-06 李香蘭、テレサ・テン、そして蘇軾(その2)
2003-02-05 李香蘭、テレサ・テン、そして蘇軾
2003-02-04 昔のアサヒグラフが面白い!
2003-02-03 なぜ九龍をクーロンと読むのか?(その2)
2003-02-02 なぜ九龍をクーロンと読むのか?
2003-02-01 新年快楽


2003-02-10 だましだまされ・・・・(その2)

中国ぼったくられ旅行、その実態です。

まず一日目、弘法大師が修行をしたという青龍寺へ。といっても、この寺自体は宋代(だったと思う)に廃寺になり、今ある建物は、日本の信者さんたちの寄進で建てられたものなんだそう。
で、こういう名所旧跡の類には、必ず出口の前にお土産ゾーンがあって、そこを通らないと出られないという、「地獄の関所」状態になってるんですねえ。
ここには、高齢の日本人が大好きな「ご朱印」(別に今では寺じゃないんだけど、なぜかあるのよ)が売られていて、高齢ではないがご朱印集めが趣味の私は、思わず飛びついて購入しちまいましたよ。
値段は「お気持ち」ということでしたが、「最低20元(約300円)」という、日本の寺院でご朱印を頂くのとかわらない値段設定になってました。
しかし、そこは弘法大師様のため、気前よく、50元をご寄進いたしましたわ。
これで「いいカモ」と思われてしまったのか、そこにいた兄ちゃんが、おもむろに「これはいかがですか?」と、ご朱印帖をすすめてきました。
「これは四国八十八カ所を回るときに使うものです。いいものですよ」ってあんた、中国で日本の四国八十八カ所めぐり用のご朱印帖売ってどうすんねん?
が、いつか八十八カ所めぐりをするのが夢(なんか年寄りくさいけど)の私は、このセールストークに、思わず心が動いてしまったのです。

「これ、いくらですか?」
「80元(だったと思う。約900円)です」

がーん!日本でご朱印帖買っても、そんなに高くないよ。
もちろん、買わずに出てきました。(つづく)

先頭 表紙

ほんまにあほやな / おへちゃ ( 2003-02-10 00:08 )

2003-02-08 だましだまされ・・・・

中国ネタが続きましたが、今回も同じようなネタを。

2001年2月、西安へ行く機会がありました。
「陝西省歴史博物館の地下収蔵庫に眠る壁画の特別見学」と「陝西省文物保護所の特別見学」という、二つの「特別見学」がウリの、格安ツアーでした。
格安といっても、宿泊ホテルは五つ星のシャングリラ、食事もほかほかでおいしいものばかりと、自由時間がほとんど無かったことを除けば、至れり尽くせりの旅行でしたが、困ったのが、つまらない「ショッピングご案内」の多さでした。
とにかく、だまっていても海外から観光客が押し寄せるところですから、そういう店の人間は例外なく日本語がうまい。
しかし、そういう人間こそが曲者で、「まあ、この人、日本語が通じるわ」とうっかり油断した日本人の懐から、がっぽりと金をせしめるのです。
ようするに、ぼったくりというやつですな。
しかも、始末の悪いことに、だまされた日本人は自分がだまされていることにすら、気づいていない。
ですから、街の店で買えば、日本円にしてせいぜい50円足らずのものを、200円、300円で買わされても、「ああ、いい買い物をした」なんて、むしろ悦に入ったりしているのです。

次回からは、そんな「だましだまされ」の実例を、少しではありますが、ご紹介していきたいと思います。

先頭 表紙

へいへい、貼っておくんなまし。 / せんきち ( 2003-02-12 00:54 )
来たぞ〜、今度うちからリンク貼ってもいい? / KEI ( 2003-02-08 23:17 )
あんたもだまされたんか? / おへちゃ ( 2003-02-08 17:00 )

2003-02-08 李香蘭、テレサ・テン、そして蘇軾(その3)


さて、昨日の続き。いよいよ今日で完結です。

そんなわけで(どんなわけじゃ?←お約束の突っ込み)、楽しい海南島の旅を終えて帰宅した私ですが、旅の最中(「もなか」じゃないよ)は、例の『但願人長久』の詩が蘇軾のものだということは、すっかり忘れていました。
帰宅して数日後、「久しぶりに、テレサの『淡淡有情』が聴きたいのう」と思い、CDを出してみてようやく、『但願人長久』が蘇軾の詩であることを思い出したのでした。
で、聴いてみて、うーん、沁みましたねえ、心に。
遠い南の島に流されて無聊をかこつ蘇軾が、ただひとり月を相手に酒を飲む姿が、くっきりと浮かんできたのであります。
「人有悲歓離合、月有陰晴圓缺、此事古難全。但願人長久、千里共嬋娟。(人生に喜びと悲しみがあり、出会いと別れがあるように、月にも満ち欠けがある。完全無欠ということは、難しいことだ。ただ互いの長寿と健康を願い、遠く離れていても、この月の光を共に享受できることを願うのみだ)」
思い通りにならない人生への鬱憤を、蘇軾は詩を書くことで紛らわしていたのでしょうか。
南の島の美しい月夜も、蘇軾にとっては淋しく、切ないだけのものだったのかも知れません。

先頭 表紙

あんたは酒さえあればいつでもご機嫌じゃき / おへちゃ ( 2003-02-08 01:02 )

2003-02-06 李香蘭、テレサ・テン、そして蘇軾(その2)

さて、昨日の続き。

蘇軾という人が海南島に流されちゃったりして、とっても不遇な生涯を送った、と昨日書きましたが、彼が流された海南島へ行く機会が昨年ありました。

海南島北部にある省都・海口市、その雑踏の中に「五公祠」という史跡があります。
ここは、海南島に流されちゃった五人の清官(高潔な官吏のことね。反対は貪官)を祀っている廟で、その中に蘇軾を祀る廟(五人の廟とは別物)と、彼が掘ったという井戸がありました。
案内をしてくれたジャクソン(英文名。中国名不詳。ホテルのお抱え運転手。この人も強烈な人でしたが、その話はまたいづれ)曰く、「蘇軾が来るまで、この島には何の文化も文明もなかった。彼がそれらをもたらしてくれた」とのことでした。
井戸の水は、まだかすかですが沸いていて、細かい泡が時折浮かんできます。
台湾から来た団体客が、井戸の周りを取り囲んで皆でいっせいにジャンプし、着地の反動で大きな泡を作ろうと奮闘していました。
いまでこそすっかり繁華街になってしまった五公祠付近ですが、蘇軾が流された当時(宋代)は、それはそれは寂しい所だったことでしょう。
この賑やかな光景を見たら、ひとり孤独な生活を送ったであろう蘇軾は、きっと苦笑するに違いありません。
    
と、ここまで書いて紙数が尽きました。続きはまた明日。

先頭 表紙

つっこみ、ありがとうございます。末永くご愛読下さい。 / せんきち ( 2003-02-08 01:01 )
興味深い話です。つづきをお待ちしております。。。 / yumi ( 2003-02-06 22:44 )
それ、今でも飲めるんか? / おへちゃ ( 2003-02-06 22:01 )

2003-02-05 李香蘭、テレサ・テン、そして蘇軾


昨日、李香蘭の話題が出ましたが、日本では李香蘭というと、満州映画協会の花形として日中の複雑な歴史に翻弄された女性、というイメージがあります。
ですが、彼女にはもう一つ、1940年代の中国を代表する歌手、という側面もあります。
彼女の歌というと、日本人には「夜来香」ばかりが有名ですが、映画『萬世流芳』で歌った「賣糖歌」なんかも、中国語圏では今なお親しまれています。
そういえば、テレサ・テンも、日本ではいまだに「空港」「つぐない」「時の流れに身をまかせ」「愛人」といった、日本語の歌ばかりが有名で、「甜蜜蜜」や「千言万語」等といった中国語の名曲が顧みられることは、まったくといっていいほどありませんね。
そんなテレサの中国語の代表曲の一つに、「但願人長久」という曲があります。
これは蘇軾(蘇東坡)の詩に曲を付けたもので、この曲が収められたアルバム(『淡淡幽情』)は、香港のアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。
フェイ・ウォンのカバー・バージョンでご存知の方もいるはずです。
「明月幾時有?把酒問青天。(月よ、貴方はいつから有るのか?青い空に私は酒盃を掲げて問う)」と、中秋節の夜、明月を眺めながら酒を飲み、大いに酔った蘇軾は、月にそう問いかけます。
役人としては海南島に流されたりと生涯不遇をかこった蘇軾の、この詩に関するお話は、また明日。

先頭 表紙

甜蜜蜜は名曲ですね。わたしがカラOKで唯一歌える北京語曲です。 / yumi@はじめまして。 ( 2003-02-06 22:43 )
ケーブル駄目でした。位置が悪いらしい。そんなわけで、これからもジャンジャン突っ込みます。 / ニルヴァーナザセカンドことANDY ( 2003-02-06 01:42 )
あんた、すっかりうんちく親父だね。 / おへちゃ ( 2003-02-05 23:30 )

2003-02-04 昔のアサヒグラフが面白い!


昨日、例の九龍問題を調べるために昔のアサヒグラフの記事を集めた本(『アサヒグラフにみる昭和の世相』4 昭和12〜16年)を読んでいたら、ありますねえ、面白い記事が。

例えば、昭和14年11月22日号の「満州の名花、李香蘭」。

・・・・彼女の喋る日本語は流暢なる標準語で、訛りの多い日本人など到底足元にもよれない程達者だ・・・・

ですと。
当たり前だよ、日本人(山口淑子)なんだもの、と、今の人ならこう思うでしょうが、当時の日本人は皆彼女が中国人だと信じてたんですねえ。
小さい頃、テレビに出ていたジュディ・オングを見て、ジュディなんて名前なのに顔は東洋人で、しかも日本人じゃないのに(今は帰化したらしいですが)訛りのないきれいな日本語を話す、なんて不思議な人だろう、と思ったことがありましたが、当時の人も李香蘭を見て、そんなことを考えたのでしょうか。

ついでに言うと、その頃、ジュディさんは、私にとって「世界一の美女」でした、はい。

先頭 表紙

今は誰ですか? / おへちゃ ( 2003-02-04 22:02 )

2003-02-03 なぜ九龍をクーロンと読むのか?(その2)

昨日の続きです。

一体、いつごろから日本人は九龍をクーロンと言い出したのかなあ、と
考えつつ、昭和16年に日本軍が香港を掌握したさいの記事(アサヒグラフ)を
調べてみましたが、ただ「九龍」とあるのみで、特に振り仮名はありませんでした。

が、ひとつ面白いことを発見。
日本軍が香港に入城して、九龍半島の目抜き通りである「彌敦道」(ネイザンロード)を行進してるんですが、そこには「リートン街大通り」とあるんですね。
しかし、この通りは広東語だと「ねいとんどう」、英語だと先にも書いたとおり「ネイザンロード」ですから、やっぱり違う読み方なんです。
ちなみに北京語だと、「ねい」は「にい」になります。

この読み方も、変ですねえ。

先頭 表紙

あなたはどんどん真面目になる(高村光太郎風) / おへちゃ ( 2003-02-03 22:59 )

2003-02-02 なぜ九龍をクーロンと読むのか?


たまにはまじめなネタを。

よく日本人は、香港の九龍半島のことを「クーロン」といいますが、実際には、
広東語の発音だと「がうろん」、北京語だと「じうろん」、そして英語だと「カオルーン」になり、決して「クーロン」とは言わないんですね。

で、なんでやろ?と思いつつ、邱永漢氏の『香港』(昭和29年の作品だったかな?)を再読していたところ、見つけました。
九龍と書いてクーロンと振り仮名が振ってあるのを。

このあたりがルーツなんでしょうか?

ですが、何ゆえに邱氏は九龍をクーロンと読んだのか、ひょっとしたら邱氏の母語である台湾語の読み方なのか、謎は深まるばかりです・・・・

先頭 表紙

まじめな話もできるのね / おへちゃ ( 2003-02-02 23:18 )

2003-02-01 新年快楽


今日は春節。
しかし、この国は農暦(旧暦)ではないので、正月気分がなくてさみしいなあ。
せめて茶でもすすりつう、ひとり正月気分にひたるとするか・・・・

さみしい行かず後家。

先頭 表紙

いけず後家ですね、正確には。 / おへちゃ ( 2003-02-01 22:48 )

[最新の10件を表示] (総目次)