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せんきちの「日々是口実」


24時間、現実逃避!

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2003-02-06 李香蘭、テレサ・テン、そして蘇軾(その2)
2003-02-05 李香蘭、テレサ・テン、そして蘇軾
2003-02-04 昔のアサヒグラフが面白い!
2003-02-03 なぜ九龍をクーロンと読むのか?(その2)
2003-02-02 なぜ九龍をクーロンと読むのか?
2003-02-01 新年快楽


2003-02-06 李香蘭、テレサ・テン、そして蘇軾(その2)

さて、昨日の続き。

蘇軾という人が海南島に流されちゃったりして、とっても不遇な生涯を送った、と昨日書きましたが、彼が流された海南島へ行く機会が昨年ありました。

海南島北部にある省都・海口市、その雑踏の中に「五公祠」という史跡があります。
ここは、海南島に流されちゃった五人の清官(高潔な官吏のことね。反対は貪官)を祀っている廟で、その中に蘇軾を祀る廟(五人の廟とは別物)と、彼が掘ったという井戸がありました。
案内をしてくれたジャクソン(英文名。中国名不詳。ホテルのお抱え運転手。この人も強烈な人でしたが、その話はまたいづれ)曰く、「蘇軾が来るまで、この島には何の文化も文明もなかった。彼がそれらをもたらしてくれた」とのことでした。
井戸の水は、まだかすかですが沸いていて、細かい泡が時折浮かんできます。
台湾から来た団体客が、井戸の周りを取り囲んで皆でいっせいにジャンプし、着地の反動で大きな泡を作ろうと奮闘していました。
いまでこそすっかり繁華街になってしまった五公祠付近ですが、蘇軾が流された当時(宋代)は、それはそれは寂しい所だったことでしょう。
この賑やかな光景を見たら、ひとり孤独な生活を送ったであろう蘇軾は、きっと苦笑するに違いありません。
    
と、ここまで書いて紙数が尽きました。続きはまた明日。

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つっこみ、ありがとうございます。末永くご愛読下さい。 / せんきち ( 2003-02-08 01:01 )
興味深い話です。つづきをお待ちしております。。。 / yumi ( 2003-02-06 22:44 )
それ、今でも飲めるんか? / おへちゃ ( 2003-02-06 22:01 )

2003-02-05 李香蘭、テレサ・テン、そして蘇軾


昨日、李香蘭の話題が出ましたが、日本では李香蘭というと、満州映画協会の花形として日中の複雑な歴史に翻弄された女性、というイメージがあります。
ですが、彼女にはもう一つ、1940年代の中国を代表する歌手、という側面もあります。
彼女の歌というと、日本人には「夜来香」ばかりが有名ですが、映画『萬世流芳』で歌った「賣糖歌」なんかも、中国語圏では今なお親しまれています。
そういえば、テレサ・テンも、日本ではいまだに「空港」「つぐない」「時の流れに身をまかせ」「愛人」といった、日本語の歌ばかりが有名で、「甜蜜蜜」や「千言万語」等といった中国語の名曲が顧みられることは、まったくといっていいほどありませんね。
そんなテレサの中国語の代表曲の一つに、「但願人長久」という曲があります。
これは蘇軾(蘇東坡)の詩に曲を付けたもので、この曲が収められたアルバム(『淡淡幽情』)は、香港のアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。
フェイ・ウォンのカバー・バージョンでご存知の方もいるはずです。
「明月幾時有?把酒問青天。(月よ、貴方はいつから有るのか?青い空に私は酒盃を掲げて問う)」と、中秋節の夜、明月を眺めながら酒を飲み、大いに酔った蘇軾は、月にそう問いかけます。
役人としては海南島に流されたりと生涯不遇をかこった蘇軾の、この詩に関するお話は、また明日。

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甜蜜蜜は名曲ですね。わたしがカラOKで唯一歌える北京語曲です。 / yumi@はじめまして。 ( 2003-02-06 22:43 )
ケーブル駄目でした。位置が悪いらしい。そんなわけで、これからもジャンジャン突っ込みます。 / ニルヴァーナザセカンドことANDY ( 2003-02-06 01:42 )
あんた、すっかりうんちく親父だね。 / おへちゃ ( 2003-02-05 23:30 )

2003-02-04 昔のアサヒグラフが面白い!


昨日、例の九龍問題を調べるために昔のアサヒグラフの記事を集めた本(『アサヒグラフにみる昭和の世相』4 昭和12〜16年)を読んでいたら、ありますねえ、面白い記事が。

例えば、昭和14年11月22日号の「満州の名花、李香蘭」。

・・・・彼女の喋る日本語は流暢なる標準語で、訛りの多い日本人など到底足元にもよれない程達者だ・・・・

ですと。
当たり前だよ、日本人(山口淑子)なんだもの、と、今の人ならこう思うでしょうが、当時の日本人は皆彼女が中国人だと信じてたんですねえ。
小さい頃、テレビに出ていたジュディ・オングを見て、ジュディなんて名前なのに顔は東洋人で、しかも日本人じゃないのに(今は帰化したらしいですが)訛りのないきれいな日本語を話す、なんて不思議な人だろう、と思ったことがありましたが、当時の人も李香蘭を見て、そんなことを考えたのでしょうか。

ついでに言うと、その頃、ジュディさんは、私にとって「世界一の美女」でした、はい。

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今は誰ですか? / おへちゃ ( 2003-02-04 22:02 )

2003-02-03 なぜ九龍をクーロンと読むのか?(その2)

昨日の続きです。

一体、いつごろから日本人は九龍をクーロンと言い出したのかなあ、と
考えつつ、昭和16年に日本軍が香港を掌握したさいの記事(アサヒグラフ)を
調べてみましたが、ただ「九龍」とあるのみで、特に振り仮名はありませんでした。

が、ひとつ面白いことを発見。
日本軍が香港に入城して、九龍半島の目抜き通りである「彌敦道」(ネイザンロード)を行進してるんですが、そこには「リートン街大通り」とあるんですね。
しかし、この通りは広東語だと「ねいとんどう」、英語だと先にも書いたとおり「ネイザンロード」ですから、やっぱり違う読み方なんです。
ちなみに北京語だと、「ねい」は「にい」になります。

この読み方も、変ですねえ。

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あなたはどんどん真面目になる(高村光太郎風) / おへちゃ ( 2003-02-03 22:59 )

2003-02-02 なぜ九龍をクーロンと読むのか?


たまにはまじめなネタを。

よく日本人は、香港の九龍半島のことを「クーロン」といいますが、実際には、
広東語の発音だと「がうろん」、北京語だと「じうろん」、そして英語だと「カオルーン」になり、決して「クーロン」とは言わないんですね。

で、なんでやろ?と思いつつ、邱永漢氏の『香港』(昭和29年の作品だったかな?)を再読していたところ、見つけました。
九龍と書いてクーロンと振り仮名が振ってあるのを。

このあたりがルーツなんでしょうか?

ですが、何ゆえに邱氏は九龍をクーロンと読んだのか、ひょっとしたら邱氏の母語である台湾語の読み方なのか、謎は深まるばかりです・・・・

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まじめな話もできるのね / おへちゃ ( 2003-02-02 23:18 )

2003-02-01 新年快楽


今日は春節。
しかし、この国は農暦(旧暦)ではないので、正月気分がなくてさみしいなあ。
せめて茶でもすすりつう、ひとり正月気分にひたるとするか・・・・

さみしい行かず後家。

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いけず後家ですね、正確には。 / おへちゃ ( 2003-02-01 22:48 )

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