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akiの「義理家族への愚痴日記」



→ホントのひまつぶし

目次 (総目次)   [最新の10件を表示]   表紙

2003-07-30 食べる順番。
2003-07-15 それでも娘か。
2003-07-15 義実家への手土産。
2003-06-04 下心なんてないのに。
2003-06-03 義父の退院。
2003-06-02 義父の入院。その2
2003-06-01 義父の入院。その1
2003-05-28 登場人物<義姉編>
2003-05-12 登場人物<義母編>
2003-05-10 登場人物<義父編>


2003-07-30 食べる順番。


一緒に食事をすると義父はいつも
自分がいかに裕福な家庭で育ったかを自慢し始める。
東京大空襲まではトイレが5つ風呂が3つある屋敷に住んでいた、とか、
駅から自分の屋敷まで他人の土地を一歩も歩かず帰れた、とか。
家族に自慢してどうするんだ。しかも毎回毎回もう飽きたよ。

その話のひとつに「食べ物を食べる順番」というのがある。
自分に出された食事のうち、好きな物は最初に食べるか、最後に食べるか。
義父いわく、
『オレは裕福な家に育ったので、誰に取られる心配もなく食事が出来た。
 だから、好きな物は一番最後まで取っておいてゆっくり食べるんだ』と。

で、必ず私にも聞く。
私は好きな物だけ美味しく食べる方だ。(ややお行儀が悪い!?)
嫌いな物やその時食べたく無い物まで全部食べようとは最初から思ってない。
なので『好きな物は最初に食べます』と答える。
そうすると義父は哀れんだような目で私を見る。

私の実家だって決して貧乏なわけではありません。
食べ物の順番なんて考えた事も無いのが普通じゃないでしょうか・・・
好きな物を一番最後まで残して食べるなんて、
ウチの実家なら卑しい事はするな、と一喝されるでしょう。

自分はお育ちの良い坊ちゃんだと言いながら、
ボロボロと口からこぼしながら食べ、唾を飛ばし、食事中でもタバコをガンガン吸う。
呆れたお育ちだと思うのですが・・・

また、義父・義母・義姉で必ず食べ物の交換が始まるのも我慢ならない。
自分の好きな物・嫌いな物、家族の好きな物を譲り合い、交換し合うのだ。
そのとばっちりは、たまに私やオットにも来る。
自分の食べたい物だけ黙って食べろ。食べたく無い物は残せ。
どうしても譲り合いたいのだったら、
せめてお店の人に頼んでシェアしても良いか聞いて、お店の人にサーブしてもらえ。

・・・と、一度大きな声で言ってみたい嫁なのでした。

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2003-07-15 それでも娘か。


義姉の行動は、私にはほとんど理解出来ない。

義父のガンが転移している事は、
やっと大手術を終えてホッとしている本人には
しばらく話さないでおこうと思っていた。

義父は退院するなり、大酒飲み&ヘビースモーカーに元通り。
あんなにツライ手術を受けて、
あんなに大きな傷が身体に残っているというのに懲りない人だ。
更に、服用している薬の副作用で身体が熱いと言って、
毎日アイスを5本もいっぺんに食べてしまう。バカ。

打つ手無し。

しかし、そこで義姉。とうとう義父に言ってしまったのだ。
『ガンが転移してるんだから、少しは自分の身体をいたわれ!』と。

それを聞いた義父はさすがにショックだったらしく、
何日間か口もきかず自分の部屋に閉じこもってしまった。
せっかく『これで命がつながった』と喜んでいたのに。
実の娘のくせになんて残酷なんだ。
言いたい気持ちは分かるけど、それをグッと堪えるのが普通でしょう。

そして数日後、なにかが吹っ切れたのか、
義父は更に酒&タバコがパワーアップしてしまったのだ!

この親子は、ホントに理解出来ない。疲れた。

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2003-07-15 義実家への手土産。


滅多に持って行かない。
たまに持っていくと、無駄使いした、と言われる。

それでも父の日だとか母の日だとか各々の誕生日だとかに、
相手が喜びそうな物を用意しておくと、何故か夫がとてもうれしそうにするので、
義家族のためではなく、夫のために用意する。
妻が自分の家族を大切にしてくれると思ってうれしいのだろう。

それでたまには持って行くハメになる。

すると一応、義両親は『ありがとう』とは言ってくれる。
どうしてなのか義姉は必ず迷惑そうな顔をする。理解出来ない。

そしてそのままテーブルの上にポンっと置いたまま放っておかれ、
そのうち新聞やら何やらの下敷きになって見えなくなっていく。
又は、部屋の隅に置かれネコが箱をけ飛ばしている。完全放置状態。なぜ?

それでも私は贈り物を選ぶ時は色々と考えては、
義両親のためにわざわざ有名店まで買いに出掛けて行ったりする。
嫌みと取れる程、高級で珍しい物を持って行っては、
いつか興味を示す時が来るだろうと頑張ってしまう。

そして、必ず後悔するのだけど。これこそ、骨折り損。
いつか“食べた感想”などを聞いてみたいものだ。

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2003-06-04 下心なんてないのに。


義父は私たちが結婚すると聞いた頃から、ずっと私たちの家を建てる話に夢中だ。
頼んでもないし、期待してもないのに、
義父は早くも間取りを書き、各住宅メーカーに見積依頼している。
逆に、

  おまえ達が突然結婚するなんて言い出すから
  家建てるのが間に合わなかったじゃないか!

と、怒っているもよう・・・

しかし、その家を建てようとしている土地には現在アパートが建っていて、
もちろん住人もいるのだ。息子の家を建てるから出ていってくれ、と言うのだろうか。
しかもその貸し部屋の一室は、義実家の倉庫代わりにしていて、
ガラクタがたんまり保管してある。それらをどうするつもりなのだろう。

私は嫁という立場上、家の事については夫と義父が話合って決めてくれれば良いし、
建て売りを買ったと思って義父の考えた間取りでもガマンするから、
私には一切、その話は振らないで欲しいとお願いした。
なるようになれば、それに従うから。勝手にしてくれ!
しかし私の本音は、その家だけではなく、遺産一切の相続放棄だけどね。

それなのに。

義父の退院後の病院通いに、義母も義姉も全く付き添って行ってないと聞いて、
週一回の通院に私が付き添う事にした。
ガンが転移していることも心配だったし、
ちょっと体調に心配事があっても、格好を付けたがる義父は先生の前ですら
弱みを見せず、元気そうに振る舞い、具合が悪くても相談しないのだ。
何のために通院しているのか・・・呆れる。

で、私が義父と一緒に診察室に入り、
横からあーだこーだと先生に質問したりして帰ってくる。
最初は迷惑そうだった義父も、そのうち診察日に病院へやってくる私を
うれしそうに見て、帰りに一緒に食事をしたりするようになった。
ちょっと嫁として心が通じた気がして、私もウレシカッタ。

だがある日、義父は私にこう言った。

 『そんなに気を使わなくても、ちゃんと家は建ててやるから心配するな』

そんなつもりじゃないのに。心から義父の身体を心配していたのに。
ショックだった・・・

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2003-06-03 義父の退院。


義父が退院する日。
車で義母を迎えに行ってから病院へ。

義父は
「退院するだけなんだから、おまえは来なくて良いのに」
と義母に言いつつも、かなりうれしそう。やっぱりそうよね。ウレシイよね。


すると義母、

 「そう言われたって、
  こんなに毎日akiさんが来てるのに、私も来ない訳には行かなくて・・・」

なぁんて言う。そういう問題なの?

お義母様ったら、私が義父のお世話をしている間、
自分は何もしなかった事が後ろめたかったのね。そして迷惑だったのですか?

呆れました!

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2003-06-02 義父の入院。その2


義父のガン病巣部はキレイに取れた。
しかし、血液検査では転移しているようだ。
どこに転移しているかはまだ分からない、との事。

大手術を終え頑張った義父を励ましたくて、私は
 「ガン、全部きれいに先生が取って下さったよ。良かったね。頑張ったね」
と、転移については義父に話さないでおいた。


退院までの間、私と義姉が数日ずつ交代で見舞いに行く事にした。
24時間看護だが、やはり寂しいだろうし心細いだろうし、
洗濯物も思った以上にあるのだ。

数日が経つとだんだん義姉に腹がたってきた。
義姉は本当に「見舞い」にしか来ないらしい。

 洗濯物は一応持って帰って洗濯してきてくれるのだが、
 寝間着もT字帯もクシャクシャで丸まったまま紙袋に入れて持って来た上、
 その紙袋のまま病室に放置してある。

 義父のコップも洗ってあげてない。

 サイドテーブルやテレビの上がホコリだらけなのに放ったまま。

 新聞も雑誌も数日分が積み上がってるのに捨ててない。

など、まだまだ身体の不自由な義父のために、せっかく見舞いに来ているのだから、
義父が快適に過ごせるように気を使ってあげられないのだろうか。

 洗濯物はアイロンをかけてパリっとしている物を身につけると気持ち良いし、
 義父や看護婦さんが見つけて使いやすいように
 クロゼットの引き出しに入れてあげるのが普通でしょ。

 コップも1日中ほうじ茶などが入っていれば、茶渋でいっぱいだ。

 寝ているすぐ鼻の先のテーブルがホコリだらけなんて可哀想でしょ。
 まぁテーブルはともかくも、お風呂に入れない義父の顔や身体を
 拭いてあげようとは思いもしないのだろう。

 ゴミ箱だって、収集に来る前に捨ててあげれば義父も快適なのに。


とにかく、彼女は何をしにきているつもりだろうか。ムカムカ。

病院の食事に付いてくる夏みかんを、義父は大好きなのに、
むくのが面倒だと言って冷蔵庫に貯めていた。
それを聞いたら普通は義父にむいて食べさせてあげるでしょ。
でも義姉は自分でむいて自分で食べたと聞き本当に呆れた。
私がむいてあげると、義父は嬉しそうに全部一気に食べたのだ。
食べたいのに、まだその体力すらなかった義父。可哀想に・・・


ところが、そんな私のムカムカもすぐに治まった。
2週間ほど経つと、義姉は「風邪をひいて具合が悪い」と言って、
見舞いすらも来なくなったからだ。

何もしないなら来ない方がまだマシだ!やれやれ。

でも、そんな義姉でも、義父にとっては可愛い娘。
義父は私の前でもずっと義姉の話ばかりする。
義姉の事が心配で心配でたまらないのだ。

そして私には「まぁまぁ良い嫁だな」と言った。ムカムカ。

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2003-06-01 義父の入院。その1


1年半ほど前、義父がガンであることがわかり、病巣部を摘出する事になった。

入院は約1ヶ月ほどの予定だった。
普段の生活を全て義父にゆだねている義母&義姉がどうするのか見物だなって
私はちょっと意地悪な考えを持っていた。

義父がガンだよ。死んじゃうかも、なんだよ!
いくらグータラでも、こんな家族の一大事に力振り絞って頑張るのが普通でしょ?って思った。

手術の2日前から義父は入院した。
私とオットはもちろん付き添った。が、義母&義姉は来なかった。

手術当日、手術室まで義父を見送った後、
約7時間あまりにもなる手術の間、義父の病室で私とオットは落ち着かない気持ちで待った。
義父が無事手術を終え病室に帰ってきたら、当分は好きな物を飲食出来ないので、
目に見える所に色々あると可哀想だなって思って
病室の冷蔵庫にあったヨーグルトやらジュースやらを処分した。

そろそろ手術が終わる頃、
さすがに義母&義姉をオットがわざわざ車で迎えに行き病院に連れて来た。
すると手にはコンビニのビニール袋を2つ下げている。
なんだろう?って見ていたら、おもむろに病室の冷蔵庫を開け、
アイスやらジュースやら、たんまりと並べ始めた。

義父へのお見舞いですか?って聞いたら、
いいや、自分たちのだ、と言う。

  はぁっ?
  もうそろそろ手術は終わるし、大手術を終えて帰ってきたばかりの義父の前で、
  それを自分たちで食べるおつもりですか?

と心の中でつぶやきながらも私は口には出せなかった。
義父がとても可哀想に思えた。

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2003-05-28 登場人物<義姉編>


<義姉>38歳。独身。

見た目は若く、小さくて可愛らしくて、まるで子供みたい。
しかし、服装は義母と同じようなデザインのものばかり。
パンツはどれも、先細のくるぶし丈。
どんなシャツもキチンと一番上のボタンまでしめている。
しいて言えば、色合いだけは若いつもりなのか、
蛍光の黄緑色ブラウスなどを着ている。
もちろん、シャツやブラウスの裾はちゃんとパンツの中に入れられている。

か細い声で、どんな事があっても影響されずマイペースでしゃべる事が出来る。
それは単におっとりしている訳ではなく、
頑固で人には決して影響されない性格がなせるワザだ。お見事!

どうも占いオタクらしい。
見た目の可愛さから、もっと若い頃はそれなりにモテたようだが、
どの人にも占ってはケチをつけ、現在もお付き合いしている人はいない。

結婚願望はスゴクある。
でも休日は具合が悪いと言ってはほとんど寝ていて滅多に出掛けないし、
会社も最近リストラにあってしまった。
全く出会いの無い生活なのだ。
最初の頃は私も義姉を励まそうと、テニスや映画に誘ってみたが全部断られた。
とにかく、具合が悪い、そういう精神状態じゃない、ばかり言う。

最近では、私のスタイル、髪型、性格、仕事運、、、等すべてが
なぜか義姉からすると何でも羨ましく見えるみたいで、
勝手にそう思い込み、勝手に自分を惨めに思い、勝手に私をさけている。
これほどネガティブな人に、私は生まれて初めてお会いした。

ネガティブなのに頑固。私には手に負えない。
 

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2003-05-12 登場人物<義母編>


<義母>62歳。

首都圏某所生まれ。

ワンマンな義父と結婚しただけあって従順で、
義父に一度も口答えしたことがない。

読み書きは好きだが、家事はもともと苦手らしい。
習字やそろばんは天才的才能の持ち主。
着付けの免状も持ち、以前は日常着が着物で髪も日本髪に結っていた。
時代錯誤も甚だしいけど・・・

10年ほど前に病気で開腹手術をし、もうすっかり完治しているはずなのだが、
未だに自ら外へ出掛けようとはしない。
帯がキツイので着物も着なくなり、髪型もロングのストレートに下ろした。

体調が悪い、風邪をひいた、
ちょっと歩くとおなかが痛い、
おなかに力が入らないから家事ができない、
こんな身体になったのは病院のせいだ、、、etc

が、口癖。

手術以来、眠れなくなってしまい、あんまり寝ていないと言うが、
毎晩、家中が揺れるほどの大いびきをかいて、ちゃんと寝ている。
それでも朝、また昨晩も寝られなかった、と必ず言う。

仕方なく、横の物を縦にもしたことがなかったという義父が
家事全般(買い物・炊事・洗濯・掃除など全部)をするようになったのだが、
私からすれば、義母はもともと怠け者だっただけに過ぎない。

30年以上も前に姑(義父の母親)に散々こき使われて虐められた恨みを
今も繊細に話し、思い出しては自らストレスをためている。
その姑なんて、すでに20年も前に亡くなっているのに・・・もう忘れろ!

彼女の人生のテーマは「ムリをしない」か!?(−−;

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2003-05-10 登場人物<義父編>


<義父>66歳。

首都圏某下町生まれ。
地元ではかなり名の知れた大地主&鉄工所経営の家の長男。
しかし、不甲斐ない先代が戦後まもなくほとんどの土地をなくしてしまい、
現在は猫のひたい程の土地のみ残っている。

義父はそこを賃貸アパートや月極駐車場にして、現在はその土地を離れ、
隣県に移り住んでいる。お家再建が彼の人生のテーマ。

某大会社に勤務しつつ、コツコツと土地やマンションを買っては人に貸し、
定年退職後の現在は、それなりに大家さんとして収入を得ている。

10年前に義母が病気で手術してから家事が出来なくなり、
それをきっかけに、家事他全般を義父が担当している。

お家再建のために若い頃からのケチケチ生活が板につき、食材は激安物ばかり。
食材が原因か、調理の仕方が問題なのか不明だが、とにかく食事はマズい。

野良ネコを4匹も飼っているのに掃除は滅多にしない。
あちらに行くと、私の目は真っ赤になり涙ぽろぽろ。
鼻は機能を無くし、クシャミ連発。
それを見て、
「温室育ちのお嬢さんだからいけないんだ。そのうち慣れる!」と言い放つ。

が、誰かが家事を手伝おうとしたり、アドバイスしようものなら、
一気に不機嫌になるため手出しは一切出来ない。

とにかくワンマンで家族は言いなり。全てを仕切っている。
ってか、言うこと聞いておかないと大変な事になるし・・・
それでも昨年、ガン摘出手術を経験。ちょっとパワーが落ちている。

でもね、義母と義姉はもっと最悪なの。
だから彼女たちを仕切っている義父には
いつまでもずっと元気でいてもらわないと、
もっともっとやっかいな事になるのだ・・・(__;

先頭 表紙

KJさん、来てくれてありがとう!一度出しゃばったら何もかも義母&義姉に押しつけられそうなので、その辺はとっても用心してるんだ・・・ / aki ( 2003-05-11 12:13 )
・・・とういうは、akiちゃん一番しっかりしないといけないポジション? がんばってね。o(;△;)o / KJ ( 2003-05-11 08:55 )

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