帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。 もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが もしこの先もおつきあいいただけるようであれば メールをいただければ幸甚です。 皆様、本当にありがとうございました。お元気で。 絵日記 |
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2003-05-19 嫌われ者のアメリカ人 1 |
2003-05-19 嫌われ者のアメリカ人 1 | |
4月中は自分の論文だけで充分忙しかったが人の論文の調査の手伝いまでしてしまった。と言ってもいい人自慢のような話ではなくてほんの一時間半程度で終わってしまうくらいの簡単な作業。同じセクションのヘイリーという韓国人の女の子に頼まれて、ネットオークションのeBayが何故日本市場でだけ事業に失敗したかについて日本語のサーチエンジンで関連サイトを検索した。本当のいい人自慢はこれから。検索したのはいいけれどヘイリーは日本語を解さないことにバカな僕は今さらのように気づいた。しかも検索の結果プリントした資料はあまりにも膨大で、時系列に順序だてて理解していくだけでも結構な作業だった。結局キーになるところにマーカーで線を引いて図書館で3時間近くかけてつきっきりで逐次通訳した。いい人だ。 |
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みほちゃん、↓この直後に例の事件が起こったわけだね? / Hidey ( 2003-05-20 22:05 ) うわー良い人!自慢できる位でしたら私の宿題も(なぜゆえ朝3時に起きて宿題・・・)当然手伝ってくれますよ、ね〜・・・っと。 / みほ ( 2003-05-20 01:21 ) |
2003-05-18 僕はドイツ人? 3 | |
External(人の運命は外的要因によって左右されるとする傾向)かInternal(人の運命はその人の能力・努力次第で内的要因が大きいとする傾向)かという指標では日本人はExternalでフランス人とアメリカ人はInternalだ。これは歴史的要因によって違いが出てくるものらしい。フランス人の集団的な意志はフランス革命において、自らが運命を切り開こうという内面の意志の集団的表出という形で培われたものであり、日本人に集団的な意志があるとしたらそれは黒船の来襲や二次大戦後のアメリカによる統治などの外的要因の触発によって形成されたものだ。アメリカ人は無論独立戦争、西部開拓のフロンティア精神など自らの意志で運命に挑んだ歴史の末Internalな文化をつくった。また古来より欧米人は自然に挑むことで文明をうち立て、日本人は自然と共存して生きてきたことも相違の要因として考えられる。日本人の方が運命に従順なのだ。 |
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ミサトさん、特に中国はあれだけの長い歴史にも関わらず、ほんのちょっと前の文化大革命とその後の自由化による反動というのが、現在の彼らのメンタリティに大きく影響を与えているのだと彼ら自身から聞きました。もちろん台湾や香港もその歴史上の岐路においてまた異なる文化を培うことになったし。面白いですよね。 / Hidey ( 2003-05-21 23:25 ) 当たり前だけど国民性って全然違うんですよね。同じアジアでも、お隣の中国(HKと大陸だとまた違うけど)や韓国とも違って。文化の違い、思考の違い、頭で理解できていても心で理解していくのが時々難しく感じることがあります。田中康夫氏が、サービスについて、日本人とイギリス人が似ていて、中国人とフランス人が似ているというような事を言っていてなるほどーと思ったことがありました。 / misato ( 2003-05-21 23:07 ) KATSUMIさん、サッカーがアメリカで根付かない理由も色々分析できるかもしれませんね。それこそフィー子さんのこの間の日記みたい。 / Hidey ( 2003-05-20 21:57 ) Ecruさん、本当に。知らないよりは知っていたほうがということだと思います。そして理性で分かっていても感情がついていかないことはとても多いし。 / Hidey ( 2003-05-20 21:56 ) なんとなくわかる気がします。サッカーファンの盛り上がり方も、国ごとに共通かもしれません。 / KATSUMI@適度に活動中 ( 2003-05-20 02:20 ) 相違点を認識しあうところからまた一歩進んで真の意味で尊重しあうのは何と難しいことだろうと思います。でも、何としてもそれはしていかなくてはならないことなんですよね。 / Ecru ( 2003-05-20 00:06 ) やっちーさん、続きです。ジンバブエはなかったのですがナイジェリアはありました。それによると若干Diffuseに寄っていて未来志向が強いこと意外はすべて中間点に位置していました。何かの参考になりましたでしょうか? / Hidey ( 2003-05-19 23:25 ) やっちーさん、本文にも少しだけ書きましたが違いって本来とても大切なことですよね。違いがあるから相手を愛せることにもなるわけだし。同時に憎むこともできるのだけど。新鮮な驚きはいつまでも大事にしたいと思います。 / Hidey ( 2003-05-19 23:24 ) kofukuさん、おっしゃる通りだと思います。そしてこの授業においても教授はそれを力説していました。私は正解を持っていない。あなたがたもこの教室でそこにたどり着けるわけではない。ここにあるのは考えるための材料に過ぎないのだと。それからおっしゃるとおり力技ってのも経営上はきっとありなんでしょうね。GEなんかそんな感じみたいだし。 / Hidey ( 2003-05-19 23:21 ) もちろん、Hideyさんが言っている通り、その相違点がはっきりわかったら、それで「ダメだ」じゃなくて、さらにいい関係を築けると思うんですよ。 / やっちー ( 2003-05-19 05:27 ) この宿題、ものすごくおもしろいですね!ジンバ人の標準値がめちゃくちゃ知りたいです!私もやって、ジンバと比較してレポート出したい(どこに?)!!!私も大学のクラスで、いろんなアフリカの国々の学生がいて、文化背景による違いからか討論でも意見がすごく分かれて、日々、国による文化や価値観の違いに驚きの連続でした。もちろん、私は日本人としてアフリカの人との大きな相違点を感じたりして。私の価値観は、個人だけれど、やはり多大に日本という国の影響を受けていると思います。いろんなアフリカの国の標準値、知りた〜い! / やっちー ( 2003-05-19 05:22 ) 文化的な相違点が理解できても、それを業務に生かすのは大変難しいと現在日々感じている次第です.客観的に理解することは出来ても日々起こる出来事の中でEmotionalにならずにそれを処理していくことは文化の相違に対する理解そのものよりも人間としての成熟性が要求されるなぁと痛感しています.多国籍多文化間でリーダーシップを発揮している人たちを見ていると案外意識的に文化的相違に目をつぶっているような気もするし・・・・ / kofuku ( 2003-05-19 02:15 ) |
2003-05-18 僕はドイツ人? 2 | |
Communitarianism(コミュニティ重視主義、団体志向)かIndividualism(個人主義)かという指標でも日本人、フランス人ともにCommunitarianisticだという。日本人のコミュニティ志向は論ずるまでもないが、フランス人も家族や仲間内という概念をとても大事にする国民なのだ。コンセンサスを重視し、自分たちのグループに属しているか否かによって対応が違う。clique(派閥)やétranger(外人)という言葉の概念にも日仏の共通性がある。フランスでは特にフランス文化を愛し理解しようと努力しないと本当には受け入れてくれないということだ。逆にその努力を見せればとても気前よく受け入れてくれるということらしい。アメリカ人はもちろんIndividualistsの典型だ。 |
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2003-05-18 僕はドイツ人? 1 | |
Managing across Culturesという授業をとっていたが、そこでは各国の文化の相違がビジネスを行ううえでどのような問題を生み出し、それらに対処するにはどうしたらよいかを学んだ。学んだというよりはともに考えたと言っていいかもしれない。文化の相違への対処の仕方はその人自身が持つ文化的背景によっても異なるし、しかも例えば複数の日本人が同じようにアメリカ文化に適応しようとしてもそのやり方は千差万別であり、唯一の正解はありえない。それぞれの学生がそれぞれの考え方やその根拠を発言し、議論しあった。教授はむしろナビゲーターに徹していた。 |
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僕と同じですね。少なくともuniversalismかparticularismでは中間ってことかな。 / Hidey ( 2003-05-20 21:55 ) 第1問は、NO。第2問は、YESです。質問に全部答えたら、どんな結果が出てくるのかやってみたいです。 / Ecru ( 2003-05-19 23:41 ) |
2003-05-17 地球をはさんで | |
またも話は一ヶ月ほど遡り、4月7日の出来事。 |
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八百屋六助さん、一応アメリカのラウンジ・バーでのブルックリンの音楽だったのでそこまでオーセンティックではありませんでした(笑)。そう言えばベリーダンスって生で見たことないなあ。 / Hidey ( 2003-05-19 00:38 ) みほちゃん、あなたは実は男子高校生?女装して女子高に通っている幸せ者? / Hidey ( 2003-05-19 00:37 ) ricaさん、気持ちを察していただきありがとうございます。ricaさんもかつて同じような思いをされたんでしょうね。僕もつとめてこれは一生を通じた地球をはさんだ友情の始まりであり、これから僕らは新しい関係を築いていけるのだと思うようにしています。でもほんと、ITさまさまというところは大きいです。 / Hidey ( 2003-05-19 00:34 ) 中東系だとベリーダンスあり? ダブリンに1件,ベリーダンスを見せる店があった.昼食でたまたま入ったんだけど,ベリーダンスは夜の部.結局見られず. / 八百八六助 ( 2003-05-18 17:13 ) い・・・いいなぁ素敵な女性と踊ることができるなんてー!あ、そういう私もブラジル人のスタイルのいい姉様と向かい合って踊ったことありますけど、いやー至福の時でした / みほ ( 2003-05-18 14:27 ) 寂しいですよね、寂しいですよね。ううう〜。それぞれが国に帰ることが「友達の終わり」ではないのですが、でもやっぱり国が離れてしまうとそう簡単に会えなくなるし、結構仲良くても「もしかしたら会うのが最後かも」とか思える人も出てくるし・・・。アジア諸国の人は思っているより結構頻繁に会えるかもしれませんが、南米だと厳しいかな??でもそれでもやっぱり、今はメールとかあるので昔よりはマシ!新しいテクノロジーにホント、感謝ですね♪ / rica ( 2003-05-18 00:15 ) |
2003-05-16 衝撃 | |
久しぶりにかなりびっくりした話。それもポジティブな方向に。 |
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KNくん、ほんとにびっくりしました。きっかけをつくってくれてありがとう。でもあまりにうっとりしすぎて肝心の写真はあまり撮れなかったのでまた少し撮りに行ってきます。 / Hidey ( 2003-05-19 23:19 ) Newtonは本当に美しい街だよね。Newton Circusにあるchinese restaurantは結構うまかったよ。 / KN ( 2003-05-19 10:15 ) kofukuさん、お久しぶりです!もうそちらにいかれてからしばらく経ちますよね?僕も部署が決まり、期待と不安が入り混じっているところです。Wellesleyの情報ありがとうございます。さっそくドライブ行ってみます。 / Hidey ( 2003-05-19 00:40 ) お久しぶりです。私は年寄りのクラスにいたせいかクラスメートがNewtonやWellesleyに住んでいたのでこの辺にはよく行きました。私自身もChesnut Hillの近くに住んでいましたし。ちなみにWellesleyもとてもいいところですので帰国前に是非行ってみて下さい。 / kofuku ( 2003-05-18 01:34 ) みほちゃん、助手席で寝る女の子はかわいいけどイビキまでかかれたんじゃねえ。K氏に同情。 / Hidey ( 2003-05-17 23:09 ) 鳥さん、ボストンは本当に美しいですよ!日本から短期語学留学に来る方も多いです。ホームステイと英会話学校とセットでね。ぜひそのうちやってみてください! / Hidey ( 2003-05-17 23:08 ) ricaさんのことを考えるととても恥ずかしくて書けないなあなんて思ってたのですが。ricaさんの活発な毎日を読ませていただいていると僕もこうすればよかったと思うところが多々あります。これから毎日のように東西南北出かけていきたいと思います。 / Hidey ( 2003-05-17 23:06 ) りさ子さん、おひさしぶり!この写真じゃよく分からないしさすがに家宅侵入罪になっちゃうんでこんなになっちゃったのですが、この奥の庭の優雅なこと優雅なこと。それも成金的な優雅さじゃなくて、ずっとこの土地にあってここの自然と溶け合った美しさがあるのです。りさ子さんきっと気に入るよ。 / Hidey ( 2003-05-17 23:04 ) チチローさん、僕も運転しながら、これが戦前戦後を通じてずっと豊かでありつづけたアメリカの姿なんだなあとつくづく思いました。彼らは豊かであることを当たり前のように呼吸しているのではないかと想像します。本当に短い間ですがボストンの美しさを堪能して帰りたいと思います。 / Hidey ( 2003-05-17 23:01 ) 綺麗な景色の中をドライブですか。・・・私はその中で相手が5時間以上も運転しているというのに眠気にまけて助手席で寝てしまったことがあります。しかもイビキまでかいていたらしくKにはいい迷惑だったでしょう。綺麗な景色の中でのドライブは一人でするに限るなぞと呟かれましたが。けっ。 / みほ ( 2003-05-17 21:07 ) ドライブする機会があってよかったですね!そんなにも美しい街なのかぁ・・いつか行ってみたいな。 / 鳥 ( 2003-05-17 11:32 ) 6年前、私もまったく同じような後悔をした経験があるので、今回のボストン滞在ではできるだけアクティブに様々なことに参加し、行き、観るようにしているのです!学生の時って、学校のことと周りで起きている日常生活のことでいっぱいになってしまって、なかなか遠出(それが近所でも生活サイクルからはみでること)をしなくなっちゃうんですよね・・・。残りあと1ヶ月強くらい?たくさん色々なアメリカを楽しまれて下さいね! / rica ( 2003-05-17 02:40 ) すごい綺麗だねー ^^ / りさ子 ( 2003-05-17 01:44 ) アメリカの大都市の郊外には、大抵、本当に美しい地域がありますね。日本の大都市にはない豊かさ。この違いは、本当にどうしたことだろうと思います。帰国までの短い間、せいぜい、アメリカの美しさを味わってください。 / チチロー ( 2003-05-16 23:42 ) |
2003-05-15 最愛の女性教授 2 | |
この本は、ブランドを構築することによりその企業の競争力を高めて世界の最高峰に押し上げた六人の起業家たちに注目し、ブランド論にとどまらない奥深い経営術を歴史物語風に鮮やかに描き出したものである。六人の起業家とは陶磁器メーカー・ウェッジウッドのジョサイア・ウェッジウッド、食品メーカー・ハインツのヘンリー・ハインツ、昨日の日記にも書いた百貨店のマーシャル・フィールド、化粧品のエスティ・ローダー、スターバックスのハワード・シュルツ、そしてデルコンピュータのマイケル・デルである。ウェッジウッドについては一年生開始直後の特別期間の授業でも学んだことを2001年9月6日の日記に書いたが、実はその時使った教科書のウェッジウッドの部分はナンシー・ケーンによるもので、それがそのまま「Brand New」の第二章に使われている。いずれにせよこの本は六人の天才起業家の伝記としても読めてしまうほど一般の人にも読みやすく、またストーリーが起伏に富んでいる。あまりにも面白いので一日60ページ以上の宿題もあっという間に読めてしまったほどである。 |
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たらママさんにはとてもスーツが似合う印象があります。彼女のプレゼン能力には本当に学ぶものがありました。 / Hidey ( 2003-05-17 22:59 ) 私もエレガントで人を惹きつける話術を持ちたいです。もちろんシャネルとは言わないけど、お気に入りのスーツが似合うように努力したいです。 / たらママ ( 2003-05-17 21:37 ) 八百屋六助さん、おもしろいですよー!レポートはありませんでしたが最後の試験は五つの問題に対し4時間で2000ワード以内で10くらいのアメリカビジネス史の事象、人物をテーマについて論じるというものでした。オープンブックだけど辛かったです。 / Hidey ( 2003-05-16 22:32 ) akemiさん、ブランドについては日本ではあまりにも「ファッションブランド」という意味の解釈しか与えられないので、マーケティングの大事なエッセンスとしての意味合いが理解されず残念に思うこともあります。そもそもはその商品の特別な技術性などの付加価値を「刻印」として象徴しただけのものなので、有象無象の商品群から健全な差別化を図るためのツールに過ぎないのです。日本にはブランドの本当の価値を分からずに名前だけを偶像崇拝する人が多すぎる。 / Hidey ( 2003-05-16 22:30 ) こういう面白い講義って聞いてみたい.レポートはいやだけど.(第一英語じゃ期限守れない) / 八百八六助 ( 2003-05-15 23:08 ) 【感じたこと】話術って大事。何を知っているか?より 自分は何を感じ、それをどう伝えるか?が肝要なんだ・・ということ。そして「あたしの嫌いなブランド志向=人に金を出させて贅沢するのを当然と思う発想」は、本来自らが働くことの中で得た心の贅沢であったこと。 / akemi ( 2003-05-15 23:05 ) |
2003-05-15 最愛の女性教授 1 | |
昨日のマーシャル・フィールドに関する日記の原典は、The Coming of Managerial Capitalismの授業を教えてくれたナンシー・ケーン教授による「Brand New」という本である。僕はこの学校で20人以上の教授に教わってきたが、彼女こそもっとも賞賛に値する教授だと思っている。彼女に教わった学生は皆多かれ少なかれ同様の感想を持っている。1998年には学生投票により最も優れた教授の一人として表彰を受けたこともある。 |
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2003-05-14 高級百貨店の誕生と経営戦略 2 | |
1902年にリニューアル・グランド・オープンしたマーシャル・フィールドは彼のブランド観、顧客サービスの精神を具現化した金字塔である。その店舗はコリント式の柱に支えられ、ティファニー製のシャンデリアがマホガニーのショーケースにその煌めきを注いでいた。広大なアトリウムは12階まで吹き抜けになっており、イタリア宮殿風に各フロアがこのアトリウムに向かって開け放たれていた。トイレにはアメニティ設備が完備されており、髪をカールするためのアイロン、ブラシ、櫛などが置かれ、必要があればメイドが石鹸、化粧用パウダー、ヘアピン、針、靴紐などを無料で手渡した。 |
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2003-05-14 高級百貨店の誕生と経営戦略 1 | |
2月28日の日記「19世紀のブロードバンド」に続くような話をひとつ。同じThe Coming of Managerial Capitalismの授業からの抜粋である。この日の日記でも書いたように鉄道の発達に伴いアメリカは西へ西へと開発が進み、その過程でシカゴという大都市が誕生した。そのシカゴを舞台に希代の創造性をもって現代の百貨店ビジネスの基礎をつくりあげたのが、今もアメリカ中西部を中心に展開する高級百貨店としてその名を残すマーシャル・フィールドである。 |
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