himajin top
Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-08-15 20年来の恋人を訪ねて 4
2001-08-15 20年来の恋人を訪ねて 3
2001-08-15 20年来の恋人を訪ねて 2
2001-08-15 20年来の恋人を訪ねて 1
2001-08-12 ケーススタディーとは? 2
2001-08-12 ケーススタディーとは? 1
2001-08-08 7月4日の出会い
2001-08-07 引越し
2001-08-05 ファイナンスのケーススタディー 1
2001-08-05 ファイナンスのケーススタディー 2


2001-08-15 20年来の恋人を訪ねて 4

客電が暗転する。どんなコンサートでも最もどきどきする瞬間だが、今回はその比ではない。幕が上がり、闇の中にバックバンドが演奏を始める。頭上に浮く球面のスクリーンに、過去のヒット曲のメドレーに合わせて、オリビアの半生を綴った映像が映し出される。眠っていた記憶がよみがえる。

曲調が変わり、闇の中からシルエットが浮かび上がる。スポットが彼女を射抜く。オリビアだ。これは、ファンだから言うのではない。52歳とは誰にも信じられないほど若く、美しい。体型も全然変わっていない。声は若干渋みが加わったもの、まったく衰えがない。彼女は何一つイメージを損なうことなく僕との再会に臨んでくれたのだ。

始めは座って観ていたが、目の前に体の大きなおばちゃんが座っており、よく観えない。左右に体を振って何とか頑張って観てたら、係員が、袖のほうなら立って観ていいぞ、と言ってくれた。東洋からきたらしい若者が必死になって観ようとしているので気を利かせてくれたのだろう。礼を言って立ち上がった。彼女と僕の間の5mには、もはや何も遮るものがない。僕の周りはやたら盛り上がって声を発している客が多かったが、僕は静かに立ち尽くして彼女を見つめていた。

上品なトークを混ぜながら、次々と馴染みの曲を歌う。Joleneなどのカントリー、Xanadu、Greaseからのメドレー、Physical。僕の最も好きなDon’t Stop Believin’、Samいったところも歌ってくれた。そして、環境へのメッセージを込めながら、Dolphin Song。途中、15歳の娘、Chloeもデュエットで登場。母親より低く、荒削りながら情感豊かな歌声が印象的だった。

オリビアは時々水を口にし、客席に”Cheers”と声をかける。会場もグラスを持って”Cheers”と返すと、彼女はさらに”Salute” “Kampai”と景気よく投げかける。なぜ、僕はそのとき大声で「カンパーイ!」と叫ばなかったのか。やさしい彼女のことだから、”Oh, somebody from Japan?”くらい言ってくれたに違いない。フィー子さんではないが、本当に機転の利かない自分の脳みそが恨めしかった。

アンコールのあと、ロングドレスに着替えた彼女は、かつてアルバムにも収めたことのある、Don’t Cry for Me, Argentinaを歌い上げ、最後はお約束のI Honestly Love Youで締めくくった。

もう多分彼女に会うことはないだろう。恋人との邂逅は一度で十分であり、僕はいつでも彼女のアルバムに帰っていけるのだ。満ち足りた気持ちで、翌朝僕は美しい湖を後にした。

最後に、飛行機代、レンタカー代、ホテル代、コンサート代と、貧乏学生には分不相応な出費にぶつぶつ文句は言いつつも、かつての恋人との再会を快く許してくれた日本にいる妻に、心からお礼を言いたい。

先頭 表紙

え、Pizzicato Fiveもう解散しちゃったんですか!知りませんでした。なんか、もったいないですね。アメリカのCD屋は基本的に歌詞が英語じゃないものはあまり置きませんが、喜多郎(←アメリカではメジャー)、坂本龍一、富田勲あたりはけっこう見かけました。 / lamancha ( 2001-08-16 12:50 )
lamanchaさん、最も最近入れ込んだアーチストはPizzicato Fiveだったのですが、解散してしまってちょっと残念。そう言えば、こちらのCDショップで日本のアーチストでもコーナーがあって実際にアルバムがいっぱい並んでるのはPizzicatoだけですね。 / Hidey ( 2001-08-16 00:44 )
フィー子さん、昨日妻と電話で話したのですが、残念ながら彼女のバイオではメモリ不足で「ひまじん」が表示できないようです。メールで報告しろと言われてしまいました。トホホ... / Hidey ( 2001-08-16 00:41 )
ブルーさん、はじめまして。52歳でも若くいられる秘訣はスポーツだそうです。僕も何とかしないと... / Hidey ( 2001-08-16 00:38 )
そこまで入れ込んでいるアーチストが居るのは素敵ですね♪ / lamancha ( 2001-08-15 18:06 )
これだけ立派に報告が書けたのだからきっと奥様も許してよかったと思うんじゃ? / フィー子 ( 2001-08-15 11:21 )
静かに見ていたからきっと叫べなかったんでしょうね。でもきっとカーテンの陰にいたJAPANESEに気づいていたから「カンパイ」って言ってくれたんじゃないかしらん。 / フィー子 ( 2001-08-15 11:20 )
オリビアニュートンジョン、とても懐かしい響きですね。シドニーのオリンピックで歌ってるのを見てとても若若しいと思いました。 / プルー ( 2001-08-15 05:25 )

2001-08-15 20年来の恋人を訪ねて 3

スタンフォードの親友宅から、空港で借りたレンタカーに乗り、一人レイクタホへ向かうことになった。5時間くらいの道のりと聞いていたが、何しろほとんど始めて左ハンドルで右側通行をするのに加え、とある事情から、車の運転自体3年ほどご無沙汰しているのだ。レンタカー屋でもらった大雑把な地図を頼りに、初めてのカリフォルニアのハイウェイをぶっとばした。

結局6時間あまりかかって、無事レイクタホに到着。日本とほぼ同じくらいの大きさのカリフォルニアを横断し、隣のネバダ州に入ってすぐのところなので、感覚としては東京から新潟に関越をぶっとばしたようなものだ。青く巨大なレイクタホは緑の山に縁取られ、静かに横たわっていた。

コンサート会場はシーザーズ・レイクタホという、あのシーザーズ・パレスの系列と思われるホテル内のホールである。周辺は一大リゾートエリアになっており、それほど趣味のよろしくないホテルが立ち並んでいる。ラスベガスのあるネバダ州ということで、ギャンブルに関しても規制がゆるいのだろう。すべてのホテルにカジノがある。気分にはまったくそぐわないがこの際無視することにする。

ホールはカジノのあるホテルらしく、小さいテーブルに8人ずついすを並べたユニットで構成され、目算3000人位のキャパというところか。山奥の保養地でカジノのホテル、しかもオリビア・ニュートン・ジョンというくらいだから、客層は言うまでもなく高い。白髪の客に混じって、今年35とは言え、アメリカ人から見れば20歳くらいにしか見えない、日本人にしても童顔の僕は、どう見ても浮いていた。僕の席は、ステージに向かって左端の方だが、ステージまでの距離5メートルという絶好の位置だった。

先頭 表紙

ひゃー、良かった、無事で。 / フィー子 ( 2001-08-15 11:18 )

2001-08-15 20年来の恋人を訪ねて 2

実は、そのオリビアに一度だけ会ったことがある。1990年、広告代理店に勤めて2年目の僕は、なぜか外国人記者クラブの会員であった上司あてに、「国連環境名誉大使オリビア・ニュートン・ジョンを招き、外国人記者クラブにて昼食会および記者発表を開催」というFAXが届いているのを目撃した。当の上司は末期ガンで入院中だったこともあり、外国人記者クラブに電話、「代理のものですが出席しても構いませんか」と、ずうずうしく招待状を手に入れることになった。昼食代のみ負担でたった3000円というプラチナチケットである。

当日、ひな壇にはオリビアや、日本で同じように環境保護活動を続ける加藤登紀子さんが座り、我々メディア関係者は昔風の結婚式のように、列になったテーブルに掛けて食事をする。フランス料理だったと思うが、はっきり言ってまったく味などしなかった。いかにしてオリビアに近づき、話し掛けるか、そればかり考えていた。

森林保護、動物保護など、さまざまな環境に関する記者発表があり質疑応答を経て、ようやく閉会。個人的にオリビアと話をしようとする人がちらほら出始めた。今しかない!と、僕もオリビアに歩みより、恥も外聞もなく、このときのために家から持参した10枚組みのボックス(購入当時はまだLP)とマジックを取り出し、”I am your biggest fan in Japan. Can you please give me your autograph?”と、何度も練習した言葉を口にした。極東の国でこんなボックスが発売されていることなど、彼女の記憶にはなかったらしい。「これ、何が入ってるの?」「あなたのアルバムが10枚」”Wow, 10 albums!?”この彼女の甲高い驚きの声は今でも耳に残っている。「Olivia」とサインが入ったボックスも、レコードプレーヤーなどもう持っていないにもかかわらず、きちんと保管してある。

しかし、彼女の生の歌声は、まだ聴くことはなかった。それから約10年。道中飛行機が落ちたりレンタカーで事故に遭ったりすることがなければ、僕はいよいよオリビアの本当の「声」を聴くことができるのだ。

先頭 表紙

そ、その末期がんの方は・・・!(*_*) 事故があったりしなければ、ってあえて書かれると何かあったんじゃないかと心配になりますねえ。 / フィー子 ( 2001-08-15 11:18 )

2001-08-15 20年来の恋人を訪ねて 1

8月10日〜13日でカリフォルニアに行った。スタンフォードに通う親友の家を訪ねたのだが、実はそもそもの目的は別にあった。オリビア・ニュートン・ジョンのコンサートを観るためだ。なぜ今ごろオリビア?と誰もが思うだろう。それもそのはず、彼女は今年52歳で、日本ではほとんどその消息を知る人はいないと思う。かくいう僕も、最近聞いている音楽といえば、ボサノバくらいのものだ。ではなぜオリビアなのか?

彼女との出会いは高校一年の頃に遡る。1981年、ビートルズの「イエスタデイ」に並ぶビルボード10週連続1位という大ヒット曲「フィジカル」を聴き、当初はそれほど好きではなかったが、次第に力強く魅了されていくことになった。もともと成熟した女性を好むこともあったが、(当時オリビアは32歳)それにも増して、彼女の「声」に引き込まれていったのだ。

か細い声に加え、平和的で人畜無害な70年代ポップスを代表する、かわいいだけの、歴史的には無価値な歌手。大方のオリビアの評価はそんなところだろう。だが、それは権威主義的で平板なものの見方でしかない。確かにマライヤ・キャリーやホイットニー・ヒューストンの圧倒的な声量には程遠い。しかし、そこに日本人好みの逆説の美学が生じうるのだ。

持って生まれた声質の限界を補うべく、彼女は知性と技巧をもって、自分のスタイルを確立する。「七色の声を持つ歌手」というのが、オリビアに対する僕の勝手な評価である。はかなげに始まる導入部に続き、いきなり声帯をフルに開いて歌い上げ、かと思うと惜しげもなくその語尾を抑制し、ハスキーに空気に溶かしてしまう。ワイルドに濁った声を出す曲もあれば、極めてフェミニンな裏声を多用する曲もある。ロック系の曲では最も響きやすい周波数帯の声を打楽器のように弾ませ、荘厳な曲では独特に霞がかかったアルトを響かせる。イギリス発音(育ちはオーストラリア)に固有の、鋭く弾かれるTの音が、華やかにアクセントを添える。曲や詞のコンテクストに沿って、発声法を瞬時に切り替える。声量はあっても芸のない多くの歌手に比べ、まことに味わい深く、耳の保養になる。

とは言え、この10年くらいは僕もすっかり彼女の歌にはご無沙汰していた。新しい音楽への興味に加え、正直なんとなく高校時代に夢中になった音楽を聴き続けるのは気恥ずかしかった。また、彼女は日本人が漁業を守るためにイルカを殺戮することに抗議して以来、決して日本でコンサートをすることはなかった。したがって僕も彼女の生の歌声を聞いたことはなかった。

アメリカに来てから、ある日、暇にまかせてネットサーフィン(死語)をしていたら、彼女が近年積極的にツアーを行っており、8月にも西部を中心にアメリカを回るということを知った。20年来の恋人の歌声。失われた日々への憧憬。僕は、日程と場所と、よい席が取れるか否かを総合して検索、8月11日、ネバダ州レイクタホでのコンサートを選び、1人分のチケットをヤフーで購入した。ボストンからサンフランシスコに飛び、さらにレンタカーで約300kmの道のりだ。恋人との邂逅は近くにあるようで、まだまだ遠かった。

先頭 表紙

ほぅ、ワクワクしてきましたー。 / フィー子 ( 2001-08-15 11:16 )

2001-08-12 ケーススタディーとは? 2

(前回よりつづき)

サマースクールでも、既に大変活発なケーススタディーが展開された。特に南米の学生は英語もほとんどネイティブなので、怒涛の勢いで意見を述べ合う。学生の成績評価の50%は、授業中の発言でいかにクラスに貢献したかによるので、その練習ということで、みな真剣である。

日本人の僕としても負けているわけにはいかない。とにかく参加できそうな部分はがむしゃらに手を挙げて発言の機会を求める。しかし教授が指してくれないうちに、議論の流れが全然別の方向に行ってしまい、せっかく言おうとしたことが言えなくなったりということはしょっちゅうである。常に流れをつかみ、それぞれのポイントで的確な意見を言えなければいけない。

教授もできるだけ多くの学生に発言させようとするのだが、授業の流れ上、これは誰でも答えられるというような質問を時には振らざるを得ない。学生としては、1つの授業で1〜2回しか回ってこない貴重な発言の機会を、easy questionに費やすことになってしまう。従って、どのタイミングでどんな発言をするかが、よい評価を得る上で重要になり、微妙なテクニックも必要になる。

うちの学校の日本人はかなり英語ができる連中が集まっているので問題ないが、ほとんどのビジネススクールで最近取り沙汰されているのが、日本人学生の授業への貢献度の低さである。ある学校では、アメリカ人の学生が、「なぜ授業中お客さんのように座ったままで何一つしゃべらない日本人に、貴重な入学資格を与えるのか?」と学長に詰め寄り、実際翌年から日本人の合格者は大幅に減ったということである。多かれ少なかれどこの学校でも同様の見解らしい。

だから、MBAを持ってます、という人がまわりにいても、それだけでは何の評価にも値しない。本当の経営のプロへの道は、非常に厳しく険しいものなのである。いよいよあと2週間もすると本番が始まる。期待というよりは緊張という言葉しか浮かんでこないのが今の偽らざる心境である。

先頭 表紙

あ、申し送れました。そう、学部はアメリカのテネシー州で、修士はカナダのトロントで取りました。下の突っ込みは、発言が成績に響く授業で留学生の間で使われていたテクです。僕は理系で専攻科目では発言は一切成績に響かないので、教養科目以外使うことがありませんでした。 / lamancha ( 2001-08-15 17:05 )
Chieちゃん、大変といいつつ、8月に入って既に2週間のオフですので、大変さを忘れてしまうくらい遊びまくってます。遊びの話もそろそろアップします。 / Hidey ( 2001-08-14 23:37 )
大変だろうとはおもってたけれど、本当に大変なのね!でもその分とっても力が付きそうだわ! / Chie ( 2001-08-14 21:12 )
lamanchaさん、おっしゃる通りですね。僕もこの間図らずもアイスブレーカーをやらされました。しかし、lamanchaさん、何でそんなに詳しいんですか?さては経験者? / Hidey ( 2001-08-14 12:06 )
フィー子さん、考えることもそうなのですが、世界中から、ケースのモデルになりそうなビジネス体験をした人が集まっているわけで、それぞれ異なる視点を聞くということが生きた勉強になっているようです。入学のためのEssayで、あれだけリーダーシップの経験を問われた意味が今わかる気がします。 / Hidey ( 2001-08-14 12:04 )
↓なるほど〜。すばらしいテクを聞いた感じ。ってあたしはどこで活かすんだ?(ーー;) / フィー子 ( 2001-08-13 11:46 )
語学にハンデを感じるときは、一番最初に発言するのが良いとされています。皆がそのひとの発言を比較的ちゃんと認知する上、自分が話の発端なので、議論の展開について行きやすいです。先生が質問をする前に質問をするのとディスカッションの途中でも新しい論点を加えるのが良く見られる先頭をとる手段です。 / lamancha ( 2001-08-12 14:58 )
結局教授がやらせようとしていることというのは、「考えること」なんでしょうね。その考えてますってことをアピールしないといけないんですね。発言することが目的になってしまうと、本来の意味が崩れてきてしまうということなのかなあ。そのへんのバランスが非常に難しそうです。やはりMBAってすごい体験ですね・・・。(>_<) / フィー子 ( 2001-08-12 13:14 )

2001-08-12 ケーススタディーとは? 1

ビジネススクールのカリキュラムによく登場するのがケーススタディーという方法論だが、うちの学校はまさにケーススタディーの権化のような学校である。なにしろ、年間通して、ケーススタディしかやらないのだ。1日に2〜3コマの授業があり、それぞれの授業で1つのケースをこなすことになる。2年間で400〜500のケースを経験するわけだ。

では、ケースとは何か?世界中のあらゆる種類の企業ないし事業体が実際に直面した経営的な課題やそのときの状況を、10〜15ページくらいの読み物的な形で具体的かつ多角的に再現、学生はそのときの経営者や事業担当者の立場で状況を分析、ある種の方向性や解決方法を提示する、という学習法である。

まだ本番が始まる前のサマースクールとは言え、1ヶ月で10本あまりのケースを経験した。アメリカのある州で試験的に創設された、特殊な運営方法をとる高校の経営危機、コンサルのドリームチームにおいて、すばらしい業績の陰に潜む人事管理上の問題、半導体のテスターのメーカーの将来的な財務計画の評価、同僚の女性が別の同僚の男性にセクハラを受けたという事実をたまたま知ってしまった中間管理職の対処法など。

学生は、これらのケースを、まずは各自で分析、方向性を見出す。授業当日の朝に、気のあう仲間で自主的に形成する5〜6人のスタディーグループに参加。1時間ほど互いの分析について意見交換する。いよいよ本番の授業においては、教授は音頭を取るだけで、実質的には学生がどんどん意見を発表しあい、互いの意見に反論、補足、全体の流れを勝手に作っていく。従って、毎年同じケースを取り上げても、そのクラスの性格によって、全く違うポイントに焦点が当てられたり、全く異なる結論が導かれたりする。学校側としても、現実の経営においてひとつの正解というものはなく、学生がそれぞれの視点や経験から、新しい解釈を提示することにこそ意義があるとしているのだ。

逆に言うと、いわゆる座学的に、教授から理論を教わることは皆無である。NPVの算出方法や、ブランディングの基礎知識など、学生はすべて事前に独習することになる。

(次回へつづく)

先頭 表紙

2001-08-08 7月4日の出会い

今日は振り返って7月4日のお話。この日は言わずと知れたIndependence Day、独立記念日である。

独立記念日というとNYというイメージが強いようだが、実はボストンも7月4日を祝うには格好の場所なのだ。ボストンポップスに酔いしれ、チャールズリバーから打ちあがる花火に興じる。

僕を含め、各国のクラスメートにとって、この日のイベントは、教室以外でのお互いの顔を知る貴重な機会となった。まずは景気付けにビアバーで乾杯。地元の誇りの濃い目のビール、サミュエル・アダムズでのどを潤した。

地下鉄でMITそばのCharles Riverのほとりまで出る。もう、ボストン中から人をかき集めたような大騒ぎである。この界隈は、ニューヨークでもなかなかお目にかかれないくらいのウォーターフロントの情景を味わうことができる。黄昏どきの逆光に輝く川面には何十艘ものヨットが漂い、その向こうにはジョン・ハンコック・タワーやプルデンシャル・タワーがゆっくりと灯をともし始める。普段の日ならこんな風景を独り占めできてしまうのだが、この日ばかりは芋洗い状態になる。明石では花火の混雑で人が死んで大変だったようだが、こちらもそれに負けないくらい人、人、人であった。

人ごみでとても見ることができないが、大スクリーンにはボストンポップスの演奏が映し出されていた。演奏もろくに聞こえない位置にいた我々は、花火を待ちながら、開放された自動車道に座り込み、お互いの家族の話、趣味の話に興じる。

みな、口にこそ出さないが、学校が始まってからまだ3日、不安がないわけはない。ハードな授業に加えて、それぞれ異なる文化に育ったクラスメートとのコミュニケーションは、決して容易とは言えないだろう。お互い、どうしてもステレオタイプはある。

だからこそこの日は象徴的であった。225年前、欧州大陸の権威主義、形式主義から脱却、真の自由を求めて海を越えたこの国の祖先たちは、苦難の末にようやく築いた新しい生活基盤を、再び搾取されようとしていた。こうして自由のために戦い、自由を勝ち取ったその日が7月4日だった。同じ日に我々は、アメリカの自由の精神をたたえながら、自由の国ならではの、異文化との出会いを祝っている。ブラジル人、シンガポール人、ペルー人、中国人、フランス人、韓国人、そして日本人。一言交わすごとに緊張が解けていく。国境線がぼやけていくのを感じる。待ちに待った花火は腹の底まで強く響いた。この日の出会いのことを、多分僕は一生忘れないだろう。

先頭 表紙

無事サンフランから帰ってきました。はらぽ〜んの日記を心待ちにしているのですが。。。 / Hidey ( 2001-08-14 12:55 )
僕は25年前、つまり独立200周年の独立記念日にもボストンに来たんだ。でもあまり覚えてないから逆ツッコミしないでね。今度はカクテル飲みながらボストンシンフォニーホールでボストンポップス聞くのもめちゃくちゃいいですよ。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-10 16:08 )
Chieちゃん、ちょっとフィー子さんから聞きました。難しいけど心を開いてみてね。僕は明日から掛のところに遊びに行きます。その話もUPします。 / Hidey ( 2001-08-10 15:50 )
ついにデビューなのね!私はなぜか落ち込んでいるうちにログインできなくなっちゃったから日記更新できないんだけど、これからはこちらにお邪魔します!頑張ってね!! / Chie ( 2001-08-09 10:16 )
フィー子さん、ステレオタイプはきっとみな胸のうちにあるのでしょうが、ここの友達のいいところは、「絶対に」そんな発言はしないし、必ずどの国からも学べることはあると信じて疑わないところです。できるだけ日本の真実を語ってあげたいと思っています。 / Hidey ( 2001-08-08 14:48 )
reiさん、ニューヨークの7月4日はどうでしたか?僕は実のところ今でもニューヨークという町には未練があるので、reiさんの街の描写をいつも楽しみにしています。 / Hidey ( 2001-08-08 14:45 )
レベルや期間の差はあれ(ってものすごくあるけど)、短期留学をした経験があるので、その時のことが読みながらまざまざと思い出されます。何も語らなくても多国籍軍が一緒になって何かしているのって妙に嬉しいような、いい緊張感を味わいますよね。 / フィー子 ( 2001-08-08 13:42 )
私もボストンの独立記念日、大好きでした。毎年ブランケットを持って、チャールズリバーの真横でねっころがってました。アメリカの国歌の合唱を聞くたびに、ああ、ここまで来たんだ、と感慨深くなったの覚えています。 / rei ( 2001-08-08 13:40 )

2001-08-07 引越し

「過去1ヶ月を振り返る」シリーズを続けていると永遠に1ヶ月のタイムラグができてしまいそうなので、現在進行中の話とちょっと前の話を同時に書いていこうと思う。

今日は1ヶ月慣れ親しんだ寮をいよいよ出て、アパートに引っ越した。なにぶん貧乏な学生生活なので、すべて自前でやってしまうに限る。しかも、アメリカ人は通常家具の買い物は自分で引き取って持って帰る。さもなくば2週間待たされたり、結構高い運搬手数料を取られたりする。ということで、僕はAvisでVanを借りてきた。

韓国人女子学生のジュンという子がたまたま僕と同様、寮を出るのと同時にベッドを家具屋からピックアップしなければならない状況にあったので、二人で朝からレンタカーに乗り、家具屋へ。分厚いマットレスをへし曲げて車内に押し込んだり、ベッドフレームをVanの屋根の上にくくりつけたり、なんか心の底からアメリカ人になったような気持ちになった。なんでもDo It Yourselfは当たり前だよね。

昨日は7人でビールを2ダースとワインを5本空けるパーティーを夜2時まで友達宅でやってたので、実は朝から少し頭が痛い。最後のほうはよく覚えていないが、ジャン・リュック・ゴダールの「勝手にしやがれ」を見ながらみんなで管を巻いていたような気がする。いっしょに家具屋に行くはずだったもう一人の韓国人女子学生ヤンミンは起きて来られず、昼過ぎから合流した。

ジュンの引越しも手伝ってあげたけど、僕の荷物のほうが全然多くて、結局女の子二人に助けられた引越しになってしまった。彼女たちはいやな顔ひとつせず、どんどん荷物を運んでいってしまう。大変恐縮だが、本当にみんないい人ばかりなのです。

荷物を全部運び込んで、ようやく一息してから、ふと気づいた。ベッドは買ったものの掛け布団を買っていなかったのである。今日は寒い夜になりそうだ。

先頭 表紙

フィー子さん、それいいね。ダンナが喜びそうだね。 / Hidey ( 2001-08-08 14:51 )
夜は寒いんですか?東京はパジャマさえ脱ぎたくなるような暑さです。 / フィー子 ( 2001-08-08 13:39 )

2001-08-05 ファイナンスのケーススタディー 1

7月上旬のボストンは、さわやかに晴れる日が続いた。青い空はどこまでも青く、水蒸気でだぶつくことがない。陽射しは強くても、からっとしているので汗ばむほどではなく、日陰に入れば結構涼しい。アメリカ人はエアコンの温度設定を、風邪をひいてしまいそうなくらい低く設定するため、ひとしきり授業を受けたあとには熱い陽射しがありがたいほどである。

ヨーロッパを髣髴とさせるこのボストンの中でも、うちの学校はもっともヨーロッパ的な情緒にあふれている。広大な緑の敷地に、レンガ造りで小窓が特徴的な建物が立ち並ぶ。レンガの壁には歴史の重みを感じさせる蔦が這い、建物ごとに、さまざまな模様をなしている。木漏れ日が揺れる芝生の上には、人なつこそうなリスが遊ぶ。

そんなすばらしい朝の風景をよそに、僕は学生ラウンジに向かった。ファイナンスのスタディーグループが待っていた。

この日のケースは、ドイツの家具メーカーが、二つの小売店からの売掛金の回収が滞っているため、今後どのような取引上のポリシーを取っていくべきか、小売店の財務諸表から分析する、というものだった。各自このケースを多方面から分析し、授業が始まる前の1時間、5〜6人の学生が自主的に集まってスタディーグループを形成、それぞれの意見を交換するのだ。サマースクールはまだ始まったばかりであり、学生はまだファイナンスについては何も教わっていない。80ページのテキストを読まされただけだ。しかも僕は、「今度のCMは藤原紀香にしましょうか?」などと、お気楽な仕事しかしていない。要するに、何も分かってないのだ。

ほとんどはじめてのスタディーグループなので、とりあえず日本人で集まることにした。僕も覚えたての比率分析などやってみたつもりだったのだが、へたな自己主張をしなくて大正解だった。「こっちの小売店は見かけ上は利益を出してるけど、営業活動でも投資活動でもキャッシュを生み出していないよね。」「こっちの小売店はキャッシュフロー的にはほとんど破綻しているけど、ドイツの企業は長期的な関係を重んじるので、なんらかのインセンティブを提示して関係を維持したほうがいいと思うよ。」そーかー、そうなんだ。なるほどね、と人の意見に感心しているばかりで、何も口をはさむことができない。どうして?みんな商社出身ばかりでファイナンスなんてやったことないって言ってたじゃない。しょっぱなの、しかも授業が始まる前から、敗北感を味わった瞬間であった。(次回へつづく)

先頭 表紙

lamancha様、いいえ、MBAレベルのファイナンスの場合、ほとんどが加減乗除やExcel任せの計算で十分。それよりも、計算の結果、何を読み取るのかの方が大事です。 / Hidey ( 2001-08-06 23:46 )
ファイナンスってやっぱ、ブラック・ショールズ方程式みたいに微分方程式バシバシ出てくるんでしょうか。 / lamancha ( 2001-08-06 17:41 )

2001-08-05 ファイナンスのケーススタディー 2

(前回よりつづき)
実際の授業は言うに及ばず。南米系の学生は、発言の中身があろうとなかろうと、とにかく手を上げて発言しまくる。大変流暢だが、独特の訛りがあるため、僕には大変聞き取りづらい。でもアメリカ人の教授にはこれがわかるんだな。やはり言語の距離感というのがあるのだろう。アメリカ人はチャートのど真ん中に座っており、東洋系の英語にもある程度の理解を示し、南米系の英語には日常から慣れている。東洋人と南米人の距離は大変遠いのだ。

しかも、南米人もファイナンスの知識は非常に豊富で、とても覚えたてとは思えない専門用語をびしばし交えて攻めてくる。イスラエル人のZiv君やGady君などは、みんなの意見を総括して、次の方向性を示してくれたりなんかしてしまう。まるで教授が3人いるようだ。同邦のHarukiも、「僕の計算によりますと、こちらの小売店は営業活動、投資活動ともにキャッシュフローがプラスになっています。」と先ほどの理論を展開。さすがの南米系もキャッシュフローの自主計算まではやっていなかったらしく、これまで断片的な数値を論じていたのが、一瞬にして結論を提示され、しばし沈黙してしまった。

授業後、僕と同じ会社から来ているTomoと話した。「いかにうちの会社がお気楽ミーハーな仕事しかしてないか、よくわかったよね。」

とにかくつまらない見栄は捨てることだ。僕は、年下だがファイナンスのことはかなりわかっているMasaにお願いし、週末に今日の授業のおさらいをしてもらうことにした。Masaは快く引き受けてくれて、おかげでなんとなく概念はつかめたと思う。

12年も同じ仕事をしていれば、さすがに知識も備わるし、指導的な立場にも回る。そんな前提は簡単にしょっぱなから崩れ去り、例えようもない悔しさともどかしさを味わった。とにかく受け入れることだ。僕はこの悔しさともどかしさを求めてきたのだ、と言い聞かした。記念すべき、屈辱の始まりだった。

先頭 表紙

よちみさま、僕の失敗談シリーズでよければどんどん励みにしてください。本当に失敗には事欠かず、飽きない1ヶ月でした。 / Hidey ( 2001-08-08 11:38 )
ああ!ひさしぶりに(?)すごく励まされる〜。「悔しさともどかしさを求めてきた」というの、環境やレベルはぜんぜん違うけれどよ〜くわかります。がんばってください!言語感の距離・・・日本語もあやういよちみは一体どうしたら・・・(-_-;) / よちみ ( 2001-08-08 09:49 )
フィー子様、本当は写真もアップしたいんだけど、デジカメは日本にいる妻に取られてしまいました。10月に妻が着次第たくさんUPします。そうだね、35歳にして変身できれば素敵なことですね。 / Hidey ( 2001-08-06 23:24 )
あ、間違えた!↓このつっこみは上の文章にあてたものですー。それにしてもボストンの風景、空想してうっとりしてしまいました。小窓ってのがいい!! / フィー子 ( 2001-08-06 16:23 )
なるほどなるほどー!本当に新しい経験をしているようですね。竹が節目を作るように、きっと今新しい節目がぴしぴししてて、新しく青く素晴らしい芽が出てくるところなんじゃないかと、読んでて思いました。言語の距離感、興味ありますねえ〜。 / フィー子 ( 2001-08-06 16:22 )

[次の10件を表示] (総目次)