帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。 もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが もしこの先もおつきあいいただけるようであれば メールをいただければ幸甚です。 皆様、本当にありがとうございました。お元気で。 絵日記 |
目次 | (総目次) [次の10件を表示] 表紙 |
2003-05-30 Capstone Class 2 |
2003-05-30 Capstone Class 2 | |
僕も手を挙げて発言した。「実は僕はこの学校での出来事を日記に書いており、印象に残った授業についてはそのダイジェストも記録しているのですが、その最初の授業があなたのベニハナの授業でした。別にお世辞を言おうとしているのではありません(と言うとなぜか教室中が爆笑した)。はじめはただのシンプルな読み物だと思っていたのに、あなたの指揮で教室中がオーケストレートされて、共同でそこに隠された一つひとつの問題を説き明かしていきました。そして一番最後にあなたの芸術的なまでの種明かしで一気にケースの中核に触れて鳥肌が立ったことを覚えています。これがこの学校を有名にしているケーススタディなんだ、と実感しました」 |
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ウェリントンで最年長のオバサンには言われなくない。 / Hidey ( 2003-06-02 22:12 ) 最年長・・・本当にオジサンだったのですね(微笑) / みほ ( 2003-06-01 08:37 ) |
2003-05-30 Capstone Class 1 | |
またも話は遡って4月24日のこと。この日は通常授業のあと午後3時からCapstone Classという卒業を間近に控えた二年生恒例の特別授業があった。Capstoneとは冠石という意味で、要するに二年間の総まとめ的な授業ということだ。と言いつつその実態は卒業前のクラス会のようなものだった。二年生になり選択科目ばかりのカリキュラムによってばらばらになった一年生のときの80人のセクションメイトがほぼ一年ぶりに同じ教室に集まる貴重な機会だったのだ。 |
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2003-05-29 最後の訪問 | |
4月の半ばにミネソタからうちに遊びに来ていた妻の姉のたっての願いでメイン州へドライブをした。海のない州に住む彼女に海を見せ獲れたてのロブスターを食べさせるためだった。彼女の願いを無事叶えたあと、せっかくここまで来たのだからと僕が高校時代ホームステイをさせてもらった家族を突然だが訪ねることにした。誰かがふらりと訪れることはここではよくあることなのだ。 |
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akemiさん、ありがとうございます。ホストファザーは糖尿病もちなのですが、しっかり摂生して辛い思いをしながらも透析に通い、でもそれ以外はとても健康にしています。また何度でも会いに行きたいと思っています。 / Hidey ( 2003-05-31 01:06 ) みほちゃん、ありがとう。みほちゃんの日記を読んでいるとそちらのホストマザーさんもとっても温かい方のようだね。みほちゃんは大丈夫だと思うけれど、当たり前に過ごす毎日にも感謝の気持ちを忘れず、いつまでも大切な関係を築いていってください。 / Hidey ( 2003-05-31 01:05 ) やっちーさん、もう20年の関係になります。その間ずっと彼らは僕を本当の子供のように扱ってきてくれました。やっちーさんは昔から海を越えて人とのつながりを大切にされていたのですね。そのご家族とまたいつか会えればいいですね。 / Hidey ( 2003-05-31 01:04 ) これはでじこママさん、いらっしゃいませ!いつもでじこちゃんと遊ばせてもらってありがとうございます。ホームステイをされていたのですね。そう言えば以前外国人の方が来られたようなことを書いてらっしゃいましたっけ。お孫さんに初対面してとても嬉しかったでしょうね。うちのホストペアレンツもだいぶ前ですが一度日本に来てくれました。お見舞いのお言葉、ありがとうございます。僕も早い回復を祈っています。 / Hidey ( 2003-05-31 01:02 ) Hideyさまのアメリカのお父さんとお母さんが、いつまでも元気でいてくださいますように。 / akemi ( 2003-05-30 15:11 ) 素敵なホストペアレンツ。私のホストマザーは良い友達という感じです。ホストって大切ですよね / みほ ( 2003-05-30 07:25 ) 高校の時のホストファミリーと温かい関係が続いてるなんて素敵ですね。きっとHideyさん達が会いに行ったことはMomさんを勇気づけたと思いますよ。私も、20歳の時ボランティアで行った初・海外のフィリピンの田舎に大好きなファミリーがいて、また会いたいと願い5年後に夢が叶いました。2回行ったかな。1回は新年を一緒に迎えたんですよ。そんなに簡単に行ける場所じゃないので、最後の別れの時は今度会える日が来るのだろうか、という想いがお互いにあったと思いますが、、、、いい出会いは大事にしたいですよね。 / やっちー ( 2003-05-30 06:51 ) 私にはアイオワにアメリカ人の両親がいます。数年前までパスポートも持っていなかった彼らが、昨年、日本人の孫に会いに初来日し、新しい思い出ができました。でも、別れは、いつも涙です。 再会を強く思い、彼らの健康を思う気持ち、私も同じです。 I hope your Mom will get better soon. / でじこママ ( 2003-05-30 01:24 ) |
2003-05-28 ricaさんご夫妻と食事 | |
昨夜はボストン在住のひまじんライターricaさんとそのご主人と食事をしてきた。ricaさんが日本で日記を書いていらした頃からかつてricaさんがボストンに住んでいらしたことがあるとは伺っていたが、ご主人の研究の関係で再びこちらにいらっしゃって日記をはじめられたのを知りびっくりしたのがこの二月のこと。それからというもの、僕とはまったく異なる環境でボストンライフを満喫され、たくさんの貴重な情報をご提供くださるricaさんの日記は僕にとって欠かせない存在となった。いつしかつっこみのやり取りから「一度お会いしましょうか」という話になって、昨日それが実現した。 |
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ricaさん、本当に楽しい時間をありがとうございました!どの当たりが思慮深いか?全部ですよ、ぜ〜んぶ。日記は焦らずマイペースで書いてくださいね。ゆっくり楽しみにしています。ご主人にもよろしく! / Hidey ( 2003-05-29 23:01 ) うう〜そんな、あのうちは2人とも全然、普通です〜(笑)。夫は「ricaの言葉のどの辺りが思慮深いのだろう?」と疑問に思っておりました(笑)。うちの日記、本当に怠惰なのでまだ27日分の更新まで追いついていません!数日先になっちゃうかもしれませんが私も昨日のお話は書かせて頂きますね〜っ。取り急ぎですが、とーっても楽しかったです!うちはもう夫婦ともどもとっても楽しい時間をすごさせて頂きました。ありがとうございました♪♪ / rica ( 2003-05-29 14:22 ) |
2003-05-27 心の休息 | |
一昨日から昨日にかけて妻と帰国前最後の小旅行へ行ってきた。ボストンと同じマサチューセッツ州の東南端、ケープコッドという海辺のリゾート地だ。ケープコッドは人が手を上げて爪先を肩の近くまで持ってきたような形の細い弓形の半島になっている。僕たちが滞在したのはちょうど肘の内側にあたる場所だ。二日続けて雨まじりの天気だったが、僕は雨の海も好きだし妻は仕事のための最後の一時帰国から戻った翌日だったのでゆっくりできさえすれば文句はなかった。ニューイングランド独特の質素なつくりのコテージには茶色く湿った板敷きのテラスがあり、そこから静かな入り江を見下ろすことができた。聞こえる音といえば青々と濡れた草木を揺らす風、何種類もの鳥のさえずり、そしてかすかな潮騒だけだった。ゆっくりするには申し分のない場所だ。 |
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真冬さん、最後のカヴァティーナのギターの切ない音色が沁みるんですよね。「To Nick」というシーンでは自動的に涙が出ます(笑)。休暇を満喫することもそうですが、そろそろ前向きにどうやってこれからの仕事にあたっていくかを考えないとね。でも浦島太郎になることは分かりきっているので焦っても仕方ないですが。 / Hidey ( 2003-05-29 22:57 ) チチローさん、僕たちもプロヴィンス・タウンまで行ってきました。オフシーズンだったし雨で煙った景色だったのでちょっと物寂しげではありましたが。プリンス・エドワードとはずいぶん遠くまで行かれましたね。僕は高校時代にメイン州にホームステイをしていたのでこの2年間にも何度かホストファミリーを訪れています。今日これからアップする日記はその最後の訪問についてです。こんな日記に涙していただき誠にありがとうございます(笑)。 / Hidey ( 2003-05-29 22:54 ) ディアハンターは終わった後に心がシンとしてしまいます。それはとっても深くてすぐには生還できないほど(笑)。日本復帰までカウントダウンでしょうか?楽しい休暇が次のステップの栄養になりますように。 / 真冬 ( 2003-05-29 05:25 ) 10年前、我が家で最初の長い自動車旅行をしたときの、最初の宿泊地がケープ・コッドの先端のプロヴィンス・タウンでした。風光明媚で開放的な雰囲気が印象に残っています。その後、ボストン、メイン州の名もない町、プリンス・エドワード島、と北上しました。ケープ・コッドは姿が絵になるからか、アメリカ人の友人が、付近の海図を壁に張っていたことも思い出します。Hideyさんの日記を読んで、思い出に涙することの多い、今日この頃です(笑)。 / チチロー ( 2003-05-29 00:32 ) やっちーさん、最後の夏休みなのにどうも落ち着かなくて。でもこの日は本当にゆっくりできました。やることがあってもとりあえず何もできない環境に身をおくっていいですよね。サファリは真剣に僕も一生のうちに一度入ってみたいと思っています。いい時間が過ごせたようでよかったですね。下のつっこみちゃんと読ませていただきました。つっこみ返しをする時は必ず前の日記をチェックしながらするようにしているのです。一応ひまじんではベテランなので(笑)。 / Hidey ( 2003-05-28 22:59 ) コインさん、八ヶ岳いいじゃないですか!僕にとっては日本で最も好きな場所のひとつです。少し離れてかすかに雪のかぶったあの連峰を眺めるのが好きでした。Bostonにいらっしゃれなかったのは残念ですが、またアメリカにいらっしゃる機会があればNYのついでにでも寄ってみてください。穴場、たくさんお教えします。 / Hidey ( 2003-05-28 22:55 ) マイケルさん、アナ・カランに反応が相次いでますね(笑)。僕はボサはボサである限りあまり区別なく聴きます。MPBはそれほど聴かないけど。現代風アレンジがお嫌いなようならこのBlue Bossaはおすすめです。ジャズっぽいシンプルなアレンジはそれ自体ボサにおいては古典的な構図だし。余分な音が入ってなくて、聴けます。 / Hidey ( 2003-05-28 22:54 ) りりさん、ケープコッドはリゾート地であるとともにメイフラワー号がプリマスに上陸する前に立ち寄った歴史的な場所でもありボストニアンの誇りでもあります。Sunflower Timeは僕にとっても愛聴盤ですがこの日はBlue Bossa。最近はこちらの方が好きになりました。 / Hidey ( 2003-05-28 22:50 ) akemiさん、もうちょっとの辛抱ですね。お子さんが、成人するまでいかなくてももう少し育ったらきっとそんな日が訪れるでしょうね。和泉ピン子って愚痴ばかり言ってるんですか? / Hidey ( 2003-05-28 22:47 ) みほちゃん、冬休みはすこしはNZで過ごしたりはしないの?今回は難しいかもしれないけどこれからはそういう時間がたくさんとれるといいね。 / Hidey ( 2003-05-28 22:43 ) プルーさん、オフシーズンの最後だったのでホテル自体もほとんどまだ客がいない状態で、かえってゆったり過ごせました。朝食バイキングがかなり素晴らしかったのですが結局我々夫婦で終始独占状態。7月のケープコッドはひどいでしょうね。あのとおりの地形なので逃げ場がないし。 / Hidey ( 2003-05-28 22:42 ) 心の休息ができてよかったですね。そうそう、忙しすぎると毎日がさーっと過ぎてくって感じで、自分の心と向き合えないですもんね。私も、先週末、久しぶりの心の休息に車で出かけてきました(サファリに、、対照的ですね)。久しぶりにゆっくりできました。相棒ともいろんなこと話せたし。下の日記にもつっこみ入れたので忘れないでね(よく自分は忘れてしまうので)! / やっちー ( 2003-05-28 22:41 ) 心の休息、なかなか取れないでいます。来週にでも、親のいる八ヶ岳でも行ってみるか。とうとうHideyさんの帰国前にBostonに行けなかったことが残念ですが。 / ガス欠コイン ( 2003-05-28 17:51 ) 僕は変に現代風にアレンジしたボサノヴァはニガテだなぁ...Anna Caramも1枚持っているけど、「ジョアン・ジルベルトの伝説」があれば他は要らないかも。 ところでCape Codって有名なリゾート地なんですね。「Cape Cod Magazine」とかいう雑誌を見かけたこともあったけど、何せリゾート地に住んでたみたいなものだから当時は全然興味がわきませんでした(笑) / マイケル ( 2003-05-28 17:00 ) ニューヨーカーにイーストハンプトンだったら、ボストニアンにはケープコッドなのかしら? 素敵な休日になって良かったですね。Anna CaramのSunflowerTime、私も愛聴してます。 / りり ( 2003-05-28 14:00 ) なんか映画みたいだ・・・Hideyさんの語り口調がなおのこと。。。 大人になってから本当の意味で心も身体も休ませられる日って一日もなかったような・・・。子どもがいたら無理だ・・ましてや店やってたら・・・因果なもんだ。選んだ道とはいえ・・あ〜これじゃあ、泉ピン子の愚痴みたい(爆) / akemi ( 2003-05-28 11:39 ) レントな一日。私も過ごしたいもんです。日本でも無理そうだなぁ。 / みほ ( 2003-05-28 06:50 ) ケープコッド、本来ならこのメモリアルデイで混雑だったでしょうに、雨で残念でしたね。ずっと前に独立記念日の頃行ってとても混んでてケープコッドを抜けるだけで2時間かかったこと思い出しました。7月だったけれどあまり暑くなかったんです。やっぱり避暑地だからかしら。 / プルー ( 2003-05-28 00:08 ) |
2003-05-25 日本人学生の絆 | |
4月21日には一年生の日本人学生が我々二年生の日本人学生を送り出すフェアウェル・パーティーがあった。と言っても日本/韓国料理屋でテーブルを囲んで寿司や焼肉を食べるというカジュアルなものだ。この早い時期に開催したのは二年生がその直後に期末試験期間に入り、そのあとは6月5日の卒業式までの間旅行などの理由でばらばらになってしまうためだった。 |
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可哀想かどうかなんて他人が判断できることではないですね。サバイバル生活を楽しんでらっしゃるやっちーさんのお姿がいつも日記から伝わってきます。日本人学校で働いていらしたら色々と思うところはおありでしょうね。香港の学校は大きいだろうな。カラチは小中学校合わせて40人弱でした。 / Hidey ( 2003-05-28 22:40 ) あ、切れちゃいました:という環境で、日本人会にも入っていないし、大学はもちろん一人だし。日本人が少ないので、日本の友達は私をかわいそうって言いますが、逆にいろいろな人と友達になれるし、淋しいときもありますが、しがらみがなくて自由で、私はいいかなと。香港では日本人学校で働いていたので、狭くて閉鎖的な日本人社会の怖さ、よーく知ってます。Hideyさんがパキスタンの学校で経験したこと、よくわかります。 / やっちー ( 2003-05-28 22:30 ) 私ジンバの田舎に住んでいるので、ムタレには日本人は私入れて一般人4人、協力隊2人 / やっちー ( 2003-05-28 22:18 ) コインさん、これだけ国籍・人種が多様なのが当たり前の環境でしかもITによるバーチャルなコミュニケーションが多いと、あまり地理的要素が重要でなくなります。最後は思いっきり暴れます。ありがとうございます。 / Hidey ( 2003-05-27 23:32 ) マイケルさん、企業でそういう理想的な関係というのはなかなかないですね。社風にもよるのでしょうね。僕が中学時代を過ごしたパキスタンでは子供の中にも勘違いしている奴がいましたから。うちのパパは領事館だからみたいな。でもいつも彼らが惜しげもなく弁当に日本米を詰めてきていたのは羨ましかったです(笑)。 / Hidey ( 2003-05-27 23:31 ) akemiさん、ところによっては奥様方にまでヒエラルキーがあるそうですからね。会社の格や亭主の上下関係なんかで。あーばかばかしい。でも学校関係ではまったくないかというとそうでもなくて、僕の行っている学校の建築関係の大学院の日本人コミュニティではばっちりそういうのがあるらしいですから、結局はメンツ次第ですね。 / Hidey ( 2003-05-27 23:28 ) みほちゃん、僕も高校の留学では1000人を越える学校で唯一の日本人でした。あれは本当によかった。カラオケってまだ最近もはやってんの? / Hidey ( 2003-05-27 23:25 ) チチローさん、そうでしたか。このところランキング常時トップのあの学校ですか。僕はEssayの問題の相性があまりよくなさそうだったので受験もしませんでした。それにしても60人はすごいですね。時代という意味で言えば、銀行もないしメーカーもありません。自動車メーカー出身の者は二人ともデトロイトでアメリカのメーカーで働いていたので。 / Hidey ( 2003-05-27 23:24 ) 地理的なアイデンティティに依存しない。いい空間ですね。最後はぱあっとやってください。それぞれの道を祝福しながら。 / ガス欠コイン ( 2003-05-26 23:23 ) 僕がアメリカに赴任していた時も日本人は7人(全社で90人くらい)でしかも上下関係がなかったので、すごくすごしやすかった。独身で、ゴルフをやらなかった、というのも日本人コミュニティにどっぷりつからなくて済んだ要因だたかも... / マイケル ( 2003-05-26 17:17 ) わ〜いい感じぃ〜海外に転勤とかして、そういうのでウザい思いしたって話、よく聞くし。 あたしの地元では3校からの小学校から集まってる中学校で、あるひとつの小学校の母親たちがいっつも群れてて・・ほんと見苦しい。その群れの中の知り合いに注意(集まりのときなど一箇所にまとまって座り、先生の話が聞こえないくらい私語が多いので)したこともあるんだけどね。ダメだね、まったく。。レベル低いんだよね。そういう人って。 / akemi ( 2003-05-26 11:37 ) 日本人学生がいない私の学年は超楽です。そういえば上の学年に二人日本人学生がいますけど片方はNZに居すぎて日本語あんまり喋れない(・・・。)でも要は相性の問題ですけね。・・・しかしカラオケいきてー。 / みほ ( 2003-05-26 01:45 ) 金融機関の人がいない様子ですが、今という時代を感じさせます。私が経験したのは、700人中に日本人が60人という環境で、恐らく、学校や年次を通じて史上最高の比率。そういう時代もあったということですね。同じリーグの中で最も南にあって、Wのつく学校でした。仕事がそっち関係なので。野茂が渡米するよりも前の話ですが(笑)。時代と言えば、当時はまだ、インターネットもメールも使ってませんでした。Windows 3.1(だったかな)の時代です。 / チチロー ( 2003-05-26 00:24 ) |
2003-05-24 ジャック・ウェルチのコーポレート戦略 6 | |
そして1995年、ウェルチは最後の重要なコーポレート・ストラテジーを講じた。あのシックス・シグマである。シックス・シグマとはもとはモトローラで開発されアライドシグナルというウェルチの旧友が営む企業で大いに威力を発揮した品質管理システムである。実はそのモトローラも1980年代に日本のポケベル市場に参入しようとしたときに品質の悪さから失敗したことを教訓にしてこのシステムを構築したのだ。シックス・シグマとは文字通りの意味としては100万個生産して3.4個の欠陥率を目指すという意味である。シグマとは統計学でいう標準偏差のことである。 |
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ぶちょー、ほんとにおっしゃる通り。シンプルな思考がアメリカビジネスの強みであり限界でもありますね。強みの部分は日本人もおおいに参考にしてほしい。うちの会社でももっとパッケージ化された知的資産をふやせば、もっと仕事ができる人が増えそうなものなのに。サラ金学、成功されてもあまり参考にしないようにします(笑)。 / Hidey ( 2003-05-27 23:21 ) アメリカ人というのはこういったものを体系的に整理して知的資産にするのが上手いですね。日本のその手はどうも苦労話と根性論になっちゃうもんな。知的欲求をすぐに学問にしていくリベラルさは学ぶべきだろうな。俺もサラ金学でも立ち上げようかと思いました。おっと、まだ成功してないや。 / ぶちょー ( 2003-05-27 11:38 ) チチローさん、こんな自分のための覚書のような長ったらしい文章をお読みいただいてありがとうございます。その本については僕も聞いたことはありますが、同じく手がまわらないうえにアクセスもありません。ウェルチの本くらいはこれからじっくり読みたいと思いますが。 / Hidey ( 2003-05-25 23:29 ) 確か、割と最近、長年秘書を務めた女性が本を書いたんですよね。面白そうですが、そこまで手が回りません。 / チチロー ( 2003-05-25 00:41 ) |
2003-05-24 ジャック・ウェルチのコーポレート戦略 5 | |
ベスト・プラクティスについては、ウェルチ自身がGEよりも生産性の高い他のいくつかの企業に注目し、何が違うのかを自問した結果、分からないのなら彼らから直接学ぼうと思いついたのがその起源である。それらの企業に社員を派遣しその成功の秘密を探らせてもらう代わりに同じことを先方企業にも認めた。こうしてGEが学びを交換し合った企業にはフォード、ヒューレット・パッカード、ゼロックス、東芝などが含まれていた。驚いたことに彼らの成功の秘密には共通性があった。それはこれらの企業が個々の部署の成果を上げることよりも部署間の連携をいかに高めるかに注目したり、在庫管理を効率化したりと、何をどれだけ生み出すかよりもどのように生産工程を管理するかを重視しているということであった。ウェルチは学びをここで終わらせることなく、企業内学習センターの一コースに仕立て上げ、全社員による知の共有を図った。 |
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2003-05-24 ジャック・ウェルチのコーポレート戦略 4 | |
「おそらく我々が事業部長たちに確約しなければならない最も大事なことは素早いアクションだ。我々役員の仕事は、彼らが仕事をし易くするために全社的な交渉をしてやること、彼らが必要とする企業買収や提携を取りつけてやることだ。彼らが我々を求めるとき、彼らは学問的な見解を求めているのではない。明快な答えを求めているのだ」 |
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2003-05-24 ジャック・ウェルチのコーポレート戦略 3 | |
「巨大な組織が機能するにはシンプルさが必要だ。巨大な組織がシンプルになるためには社員が自信に充ち溢れ知的な自負心を抱いていなければならない。自信のない経営者こそが複雑な仕組みを創り出すのだ。臆病で神経質になった経営者に限って、子供の頃から分かっているような当たり前のことばかり書いてある分厚く複雑怪奇な戦略シートやプレゼンテーション資料などを重宝するのだ」 |
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