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ナライフの「怒涛の映画&サッカー日記」

サッカーも映画も前世紀に大いなる飛躍を遂げました。さて、この新世紀、この2つはどう進んでいくのでしょうか?誰も分かりません。でも好きなんです。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-05-30 明日です!!
2002-05-21 ゴダールの『愛の世紀』を観る
2002-04-12 ベスト4が決まりました
2002-03-25 映画の賞と同時代の評価
2002-03-18 ポルトガルのお年寄り、健在!〜『家路』を観て〜A
2002-03-18 ポルトガルのお年寄り、健在!〜『家路』を観て〜@
2002-02-25 オリンピックの周辺
2002-01-28 映画における視線(3)〜小津の革新〜
2002-01-28 映画における視線(2)〜魅力、堕落〜
2002-01-23 映画における視線 (1)


2002-05-30 明日です!!

 いよいよ明日です。待ち切れません。TVに噛り付き、街に出てお祭りを思う存分楽しみたいと思います。
 我らが日本代表がどこまで勝ち進めるのか、フーリガンはどうなのか、故障選手は復帰できるのか、チケット問題は解決するのか、等々、色々と取り沙汰されておりますが、何はともあれ世界最大のイベントであり、お祭りです。誤解を恐れず敢えて言うと、死傷者が出ても徳島の阿波踊りもリオのカーニバルも、祭りとして盛り上がり、皆楽しみます。そう、マスコミがしたり顔で細かい事を危惧するのを「ナンセンス」と葬り去って、全てを楽しみたいと思います。
 幸運なことに、21日(金)静岡で行なわれる準々決勝のチケットをget出来ました。順当に行けば、フランスVSブラジルでしょうか。あるいはH組を2位で突破し、ベスト16でブラジルを破った日本とフランスの対戦かも知れません。試合は勿論、会場の空気、街の空気、各国サポーターの熱い応援、彼らとの交流、TV観戦する各国の人々の視線、全てを体感し、楽しみたいと思います。
 

先頭 表紙

八百八六助様、前から5列目とは凄いですね。前評判がいまいちのドイツ、結構今回はいいんじゃないかと思ってます。対照的なチーム同士の対戦、まさにワールドカップならではですね。 / ナライフ ( 2002-05-31 09:02 )
良いカードになりそうですね.私は同じく静岡でドイツvsカメルーンを見に行きます.メインスタンド,移動席の前から5列目だった.どんな感じで試合を見られるんだろう.とにかく楽しみます. / 八百八六助 ( 2002-05-30 23:10 )
KATSUMI様、是非是非。 / ナライフ ( 2002-05-30 16:33 )
ガス欠コイン様、そうですね、ついに来ましたね。神戸のゲームですね。頼むから2位で抜けてくれ、っていう感じですよね。 / ナライフ ( 2002-05-30 16:32 )
いよいよ明日ですね。もうなにもかも投げ捨てて、我を忘れて楽しみます。一緒に楽しみましょう! / KATSUMI@狼男 ( 2002-05-30 12:24 )
僕はその前のC組1位とH組2位のゲームに行って来ます。ついに、ここまで来ましたね。 / ガス欠コイン ( 2002-05-30 11:06 )

2002-05-21 ゴダールの『愛の世紀』を観る

 ゴダールというフランス人映画監督は、一般的には「難解」とか「哲学的」とか「前衛的」というレッテルで「理解」され「流通」している。恐らくそれは、映画はストーリーを過不足なく観る者に理解させ楽しませてくれることが第一義にあるためだろう。僕は映画におけるストーリー自体にはほとんど興味がない。勿論見ながらそのストーリーを楽しんだりしてはいるが、実際に観る者が触れられるモノ、それは瞳と耳で触知するものであり、即ち「映像と音」そのものが映画の全てであると思っている。
 この日記の最初の方でも時折触れている通り、映画にはリメイクが沢山あるが、ストーリーは一緒でも映画としては全くの別物だし、一方は面白く他方はつまらないという例はザラだ。ゴダールはまず、ストーリーなんて気にするなよ、とでも言いたげな「ハチャメチャな」映画を一貫して作り続けて来た。デビュー作の『勝手にしやがれ』から最新作に至るまで、彼の映画の魅力は、物語を上手に語るための演出ではなく、まさに映画的な、つまりは、画面と音響と、そしてその連鎖において常に突出して天才的な点にある。
 しかし、それは「さあ、どんな面白い物語なのか、楽しむぞ」という気持ちが前提で接しようとする観客にとっては、「?」だらけの映画となってしまい、冒頭のようなレッテルを貼られることとなる。この、物語そのものを楽しもうとする「前提」は、一般的ではあり、メジャーだとは思うが、映画と接する一つの側面に過ぎない。映画とは比較にならない程の歴史を持っている絵画の場合、平面的描写から三次元的描写へ、また、事物の擬似物としての絵画から抽象的絵画へ、等々といった具合に、その歴史上様々な「転換」があり、観る者もその都度様々な視点を持ち得てきた。映画はたかだか生誕100年である。サイレントからトーキー、画面のワイド化、CG導入等々といった技術的進歩は、映画と観る者との間に革命的変化を生み出してはおらず、ゴダールが言うように、「映画はグリフィス以来進歩していない」のである。(グリフィスとは1910年代からハリウッドで活躍した監督。映画の父と言われる。代表作として『イントレランス』、『散りゆく花』、『東への道』等。)
 さて、新作の『愛の世紀』を観て来たが、実に初々しく美しい作品だった。前半モノクロ、後半カラーそれぞれの撮影の美しさは驚嘆に値する。ゴダールの映画はいつもキャメラがとてもいい。80〜90年代の作品のような、モノローグや音響の洪水が大人しくなった分、シンプルに映画の美しさを追及した感じだ。しかもゴダールが撮る久々のパリ。デビュー作『勝手にしやがれ』を観ているかのような眩暈を覚えた。物語などあってないに等しく、それでいて90分近く飽きさせないのだから不思議だ。今、東京では、この新作以外に70年代の傑作『ウィークエンド』やゴダール出演作の『そして愛に至る』などが上映されており、ゴダールの名が溢れ出している。ちょっとだけ時代より先に行ってしまっているが故に奇妙なレッテルを貼られ続けているが、ひたすら無心に映画と向き合えばこれほど楽しい作品も滅多にないと思う。

先頭 表紙

マイケル様、ああなるほど、言い得て妙ですね。僕、あの馬鹿さ加減が大好きなんですよね。 / ナライフ ( 2002-05-30 17:29 )
「女は女である」は何か映画オタクが無理して明るい話を作ってみました的作風がダメでした。どこまでも伸びる電話線はツボにはまりましたが。 / マイケル ( 2002-05-30 12:28 )
しまお様、おっしゃる通りですよね。今回もそのパリの映像が映画として素晴らしいと思いました。天才的だと思います。 / ナライフ ( 2002-05-28 11:15 )
マイケル様、「マリア」と「中国女」というのもなかなか渋いですね。「女は女である」はどうでしょう?馴染めない方でも面白いのではないでしょうか? / ナライフ ( 2002-05-28 11:13 )
ぽん様、そうですね、アメリカ批判に関してはかなりストレートにやっていましたね。僕は実はその部分はあまり気に入ってませんが… / ナライフ ( 2002-05-28 11:11 )
ひたすら無心に映画と向き合うかあ。最近そんな感覚をすっかり忘れてるような気がする。ゴダールの映画はいつも町の空気感をばしっととらえていて好きだなあ。「勝手にしやがれ」を見るとショートカットにしてパリの街を歩きたくなります。 / しまお ( 2002-05-23 23:28 )
ゴダールは多分10本以上見てると思うのだけど、「面白い!」 と思ったのは「マリア」と「中国女」くらいです...どうも馴染めなくて... / マイケル ( 2002-05-23 01:29 )
「愛の世紀」まだ見ていない〜。ナライフ様のお話を読ませていただいたら、モーレツに見たくなりました。くそー、今日が水曜日だった。。。来週の水曜レディスデーまで待たなくちゃ。なんかアメリカ批判が、気持ち良いくらいズバッと決まってる映画らしいですね。 / ぽん ( 2002-05-22 14:46 )

2002-04-12 ベスト4が決まりました

 欧州チャンピオンズリーグのベスト4が決まった。今週半ばに準々決勝のリターンマッチが次々と行なわれ、まさに寝る暇の無い日々だった。フィー子さん、起きてますかー?それにしても寝てはいられないほどの面白さ。実にレベルの高い、しかも緊迫したゲームの連続だった。この大会、決勝戦を除くと、ホーム&アウェイで進めていくので、やはり最初の1試合目はどうしても様子見がちになる。しかし、2試合目は、これで全て決着することになるので、やはり面白さがぐっと増す。
 「事実上の決勝戦」とか「早過ぎた決勝戦」などと言われた、レアル・マドリードVSバイエルン・ミュンヘン。ミュンヘンで行なわれた1試合目、バイエルンが2‐1で勝っていた。マドリードに舞台を移した2試合目、当然レアルは開始当初から自慢の攻撃陣が怒涛の如く攻め込んでいった。ジダン、フィーゴ、ラウル、ソラリ、ロベカル、…といったオールスター軍団は、それだけで溜息が出るプレーぶりだが、試合巧者でディフェンスだけだったら間違い無く世界一のバイエルンのゴールは果てしなく遠かった。試合後のボール支配率が、レアル65%、バイエルン35%である。両者の得失点が同じだった場合、アウェイでのゴール数が多い方が勝ち、となるルールでいけば、レアルは1‐0でも準決勝進出を決められるのだが…後半途中、コーナーキックを蹴ろうとしていたエッフェンベルグの頭にレアルサポーターから投げ込まれた何かが当たってエフェンベルグが倒れたりとか、そのエッフェンベルグとフィーゴが相当やりあっていたりするなど、レアルのサポーターの凄まじさが両チームのプレーヤーのむき出しの闘志をさらにヒートアップしていて、手に汗握る展開となった。レアル待望の得点が後半20分過ぎに生まれ、最後には駄目押しの2点目が入り、決着はついた。あれだけやりあっていたプレーヤーたちが、試合終了後には笑顔も交えて互いを称え合っていて、気持ちのいいゲームだった。
 3:30に起床し、試合が終わったのは5:30。続けて、前日に録画していたバルセロナVSパナシナイコスを観る。これもバルセロナ自慢の攻撃陣が爆発し、パナシナイコスに逆転勝利。サビオラは本当にうまい。あれでアルゼンチン代表に入れないのだろうか。もったいないことこの上ない。
 レバークーゼンVSリバプール、マンチェスターユナイテッドVSディポルティボの2試合もどちらも非常に見ごたえがあった。残念なのはベッカムの負傷だ。今朝のニュースだと骨折しているという。ワールドカップに間に合うのだろうか。常識的には間に合わないだろう。
 ベスト4の顔ぶれを見ると、どれも攻撃的なチームばかりだ。セリエAのチームが全て2次リーグで姿を消した。セリエAのチーム全てが守備的だとは思わないが、ローマやユベントスの戦いぶりにはその傾向があったと思う。6月のW杯でも上位に来そうなチーム、優勝候補に挙げられているチーム、フランス、アルゼンチンなどは、守備とのバランスを考えつつも攻撃力は突出している。何となくではるが、流れがオフェンスに傾きかけている感じがする昨今、是非チャンピオンズリーグもW杯も、攻撃的なサッカー、イマジネーション溢れる楽しいサッカーを、見せて欲しいものである。「点を取られなければ負けることは無い」のではなく、「点を取らなければ勝てない」という視点が好きだ。

先頭 表紙

Hidey様、こちらこそすっかりご無沙汰してしまっています。いつも拝読させていただいているのですが… お帰りなさい。確かにお会いするのも気恥ずかしいですね。。 / ナライフ ( 2002-05-07 15:44 )
一方は意外なチームとなりましたね。もう一方はあまりに順当でした。結果も楽しみですが、W杯にどういう影響を及ぼしそうなのかも楽しみです。 / ナライフ ( 2002-05-07 15:42 )
すっかりご無沙汰してしまいました。ちょっとサッカーの話はなかなかついていけないので別の話を。そろそろ一時帰国します。5月22日の午前中、うちの学生80人でうちの会社を訪問。4階のホールでlectureを予定しています。その前後でもお邪魔するかもしれないけど驚かないでね。実際会うのってでもなんか気恥ずかしいよね。 / Hidey ( 2002-05-05 07:12 )
ベスト2が決まりました。ね / フィー子 ( 2002-05-03 15:59 )
ガス欠コインさま、お疲れ様です。↓にも書きましたが、きっとTBSで準決勝とかも生中継するんじゃないでしょうか。確認していませんが。 / ナライフ ( 2002-04-15 09:42 )
八百八六助さま、WOWWOWには大変お世話になっている昨今です。ただ、レアルVSバイエルンはTBSでも生中継していましたよ。 / ナライフ ( 2002-04-15 09:40 )
フィー子さま、きっと「4強」というタイトルで更新されるのでは、と思ったのですが、僭越ながら私も書かせていただきました。 / ナライフ ( 2002-04-15 09:38 )
KATSUMI様、レアルとバイエルン、まさに「ライバル」ですね。それを言ったら、準決勝のクラシコも正真正銘のライバルですしね。見逃せない対戦が続きます… / ナライフ ( 2002-04-15 09:33 )
超多忙につき、見ることも叶いませんでした。最も、僕もWOWOWに加入していながら、BSチューナーの不具合で現在見られない状態が続いているのですが。準決勝は、仕事が落ち着いたら、高田馬場までチャリンコ飛ばして、フットニックで見よう(笑)。 / ガス欠コイン ( 2002-04-13 13:27 )
フィー子さんの所でも読んできたのですが,凄い試合だったみたいですね.残念ながらWOWOWは加入していないからなぁ. / 八百八六助 ( 2002-04-13 00:02 )
今アップしたところでこちらにきたら、同じようなことを書いていました!(笑)本当に見ているこちらもどっと疲れが、という感じですよね。 / フィー子 ( 2002-04-12 23:26 )
今年はレアルが雪辱を果たしましたね。見たかったなあ・・・。これでスペインダービーの準決勝ですね。これも激しそうで、見逃せませんね。 / KATSUMI@故障リスト ( 2002-04-12 15:14 )

2002-03-25 映画の賞と同時代の評価

 今日はアカデミー賞の発表がある。WOWWOWで生中継しているようなので、見ればきっと結果も分かるだろうが、ま、きっと夜のニュースで取り上げられるだろうから今(25日14時現在)は特に追いかけて知ろうとはしていない。
 結果を知らないので、知らないなりに言うと、こういった映画賞の結果ほど面白くないものは無いと個人的には思っている。1映画ファンとして、毎年の結果は気にしているし、賞の模様も衛星放送で見たりしているが、ショービジネスの国アメリカだけあって、イベントとしては流石だと思うが、結果そのものは純粋な映画だけの視点で見ると、毎年選考委員の瞳を疑いたくなってくる。
 アカデミー賞を取った過去の映画で、今も光り輝いているものはどれほどあるだろうか。あるいは、才能ある映画監督を、特にその現役の時に名誉ある賞を与えたケースがどれほどあるだろうか。死の直前の老いたチャップリンに、やっと「特別賞」を与え、ヒッチコックやホークス、ルビッチといった全盛期ハリウッドを支えた天才たちの作品は全く無視。アメリカ映画そのものと言って良いジョン・フォードには、さすがに何回か監督賞を与えているが、と言っても『駅馬車』や『捜索者』といった西部劇には与えず、作品賞も『わが谷は緑なりき』の1つだけ。
 映画に限ったことではないが、歴史が評価を確定していく、という視点からすれば、同時代というのは評価が難しいのかも知れない。だからこそ「特別賞」みたいな枠を設置しているのだろうが、日本の文化功労賞とかみたいで見ていて情けない。ハリウッドのミュージカル全盛期を支え、今に至るミュージカル映画を築いたフレッド・アステアも、確か現役の頃は貰ってない。やはり晩年に特別賞をもらっていた。チャップリンにしてもアステアにしても、その場は非常に盛り上がる。かつての黄金期を支えた人間が、よぼよぼしながら登壇すると、会場はスタンディングで称え、作品賞等よりよっぽど盛り上がる。私も、「おお!アステアだよ!!」などと興奮しながら中継映像に食い入ったりするのだが、その一方で、アカデミー協会の予定調和的な策略と、擬似慈善的な演出に辟易したりする。
 さあ、今ごろ結果は出ているのだろう。明日の新聞も色々と書きたてるだろう。果たして50年後の映画ファンが見ても納得の結果になっているだろうか。

先頭 表紙

ねご様、トム・ハンクス、僕も同感です。どうも演技があざとくて好きになれません。僕の感覚では、いわゆる「演技派」=あざとい演技をする人、というイメージなのです。ちょっと苦手です。 / ナライフ ( 2002-04-10 19:08 )
つっこみ、ありがとうございました〜♪トム・ハンクスもいかにも「賞狙い」な作品が多くなって最近つまらないです。それは本人も感じているようですが。賞狙いの映画って、つまりは客が観たい映画とは相反するものになる確率がとても高い。それに多額の資金をつぎ込むのもも / ねご ( 2002-04-09 01:28 )
しまお様、そういうやり方もあるんですね!先日、『ビューティフル・マインド』を観ましたが… ラッセル・クロウには辟易しました。監督のロン・ハワードって、僕好きなんですが、よりによって賞を獲得した作品がこれとは・・・という感じです。 / ナライフ ( 2002-04-04 15:10 )
Hiroko様、僕も知らないものでした。多分まだ上映されてないと思いましたよ。タイトルも忘れてしまいましたが。 / ナライフ ( 2002-04-04 15:06 )
わたしは逆に、アカデミー賞受賞の作品は見ないことにしています。そういう意味では役にたっているかも?だってどれもこれもつまらない作品なんだもの・・・。でも友達に言っても、あんまり同意されないの。ナライフさまが言ってくださってすっきりしました♪ / しまお ( 2002-04-04 00:49 )
よく覚えてませんが、黒人の女性が賞をとった作品は名前も知らないものでした。日本で上映されてなかったのかな? / Hiroko ( 2002-04-03 00:30 )
さくらもち様、僕も見ましたが、あまり面白くなかったというのには同感です。確かにフィルムのコラージュって、毎年楽しみなんですけどね。ジーン・ティアニー、僕も大好きです。 / ナライフ ( 2002-03-29 17:01 )
今年のアカデミーはイベントとしてもつまらなすぎ。ダンス・パフォーマンスは10年前から全然ダメになってましたけど、今年はフィルムのコラージュものもつまらなかったです。 / ジーン・ティアニー好きなさくらもち ( 2002-03-28 22:23 )
ガス欠コイン様、グラミー賞もきっとそうなんでしょうね。そう言えばクラプトンも「アンプラグド」でグラミーを総なめしてましたが、あれもクラプトンど真ん中ではないですしね。(好きですが) / ナライフ ( 2002-03-26 17:44 )
フィー子さま、賞=凄いの図式の方がマジョリティだとは思いますけど…ま、役者もギャラが上がるらしいですし。 さすがに日本アカデミー賞=凄いと思っている人はあまり居ないでしょうね。あれはひどい。 / ナライフ ( 2002-03-26 17:37 )
きっと色んな圧力があったり、バランスを考慮したり、… 純粋に作品を見ることだけからの選考って、あまりないんでしょうね。賞目当てと言えば、スピルバーグって賞目当てになるとつまらないですね。ジョーズとかレイダースとかETの方がよっぽど面白い。 / ナライフ ( 2002-03-26 17:33 )
バロンドールと最優秀選手、そうですね、サッカーも。今年はW杯があるから優勝国から選ばれがちでしょうが、去年なんかは難しいですよね。フィーゴ、オーエン、ジダン、ラウル、ベッカム、カーン、等々… / ナライフ ( 2002-03-26 17:29 )
僕に言わせてもらえば、グラミー賞もしかり。大好きなSantanaが獲った時は、正直ショックだった。「Super Natural」は最もSantanaらしくないような気がして。ずっとマイナーでやってきたから、功労賞ということなのかと。へそ曲がりなので、その年の日本公演も行きませんでした。 / ガス欠コイン ( 2002-03-26 14:11 )
ほんとほんと。ラズベリー賞の方がよっぽど面白かったりして。賞をとってるから=凄いと思うような単純さは徐々に減ってきているのではないですかね。なんてそんなことないのかな。 / フィー子 ( 2002-03-26 09:28 )
最近の審査員、なに考えているのでしょうか???選ぶ基準がよくわからないです。カンヌでしたっけ?リュック・ベッソンが審査員長の時も納得いかず。。。明らかに賞目当ての作品も多いですね。 / ぽん ( 2002-03-26 03:09 )
一つの時間軸で、評価を「一つだけ」しようと決めていると、失われるモノが多い気がします。バロンドールと最優秀選手、異なる方が普通でよいのではないでしょうか。 / KATSUMI@故障リスト ( 2002-03-25 17:01 )

2002-03-18 ポルトガルのお年寄り、健在!〜『家路』を観て〜A

 洗練の極みとは、言い換えると、観客を馬鹿にしないことだ。「事細かに説明してやらないと分からないだろう」という視点で映画を作ると、当然説明過多のクドイ作りになる。教習所の啓蒙フィルムがいい例だ。中国の才能ある監督だと思っていたチェン・カイコーがハリウッドで初めて製作した『キリング・ミー・ソフトリー』が、あの『黄色い大地』や『子供たちの王様』の作り手と同じ人のものによるとはとても信じ難い出来映えだったのだが、もしかしたらチェン・カイコーはアメリカ人を馬鹿にし過ぎているのではないだろうか、などと変な勘繰りをしたくなってしまった程だ。そう言えば、北野武も『BROTHER』でも武らしからぬ不要なカットが多かった。クリント・イーストウッドに代表されるように、ハリウッドにおいても洗練された映画は沢山作られているので、ハリウッド自身の問題ではないと思うが。とは言え、あの才能豊かなチェン・カイコーの能力だけではいかんともし難い力学が有形無形に働いたに違いない。
 話はそれてしまったが、『家路』はもしかしたら洗練されすぎているために、一見地味で盛り上がりの欠けた映画だと思われるかも知れない。恐らく映画を沢山観ているような評論家でさえ、例えば上記のような洗練された演出を見逃してしまうに違いない。ただ、間違い無く言えるのは、決して『家路』はマニエリスムに陥っておらず、己の瞳で真正面からスクリーンと対峙すれば、これほど面白い映画は、そうそう見当たらない、ということだ。
 洗練の極みとは、また、同じ構図の場面を映画の中で複数回見せることでもある。日本で数多く作られているTVドラマは、キャメラを複数配置し、その中で役者が演技し、撮れた複数ある映像を繋いでいくやり方をしている場合が多く、そのため役者の顔や動きを追うことに主眼が置かれており、繰り返し登場する場所を描写するのに決まった構図でまず示すということをしない場合が多々ある。ところが、サイレント映画期に恐らくアメリカで確立された、ある特定の場所は必ず同じ構図で示すという手法を使えば、1カットで全てを語れてしまうのである。『家路』でのオリヴェイラ監督は、基本に忠実と言うべきか、簡潔に同じ場面では同じ構図のショットを見せる。因みに、黒澤明監督が、『七人の侍』等で複数のキャメラを同時に回して撮影する、という方法を編み出したと言われており、そのやり方自体にはメリットも勿論あるとは思うのだが、あくまで「応用篇」だと思うのだ。それに黒澤明の映画は、説明過多で無駄が多いという意味では、サイレント映画を撮ったことがある小津や溝口やマキノと、トーキーになってから監督デビューした黒澤明との差かも知れない。そう、やはり黒澤明は洗練には程遠いイメージの作家なのだ。
 また、洗練の極みとは、役者の思い入れたっぷりの演技で登場人物の心情なり行動を説明しようとしないことだ。事故で亡くした妻と娘の写真を見て思いっきり役者を泣かせ、そこに感傷的な音楽でもかければ、観る者の涙を誘うことは簡単である。『ニューシネマパラダイス』はそのオンパレードだ。しかし、先程触れたように、『家路』では役者の表情は逆光のため全く見えない。役者は黒いシルエットになっており、外は明るい。音楽は全く無く、庭にいるのであろう鳥のさえずり声が響いているだけなのだ。
 人それぞれ好き嫌いはあろうし、映画の好みも百人百様。『家路』を好まれない方、面白いと思わない方も沢山いるとは思うが、私はこの洗練された明晰さに「映画ならではの面白さ」と作り手の豊かな才能を感じる。
 

先頭 表紙

「家路」を観て感動し、ここのレビューを読んで更に感動致しました。有難う♪ / 乱入ごめん ( 2002-05-30 12:32 )
ぽん様、サインいいですねえ!僕も映画館等で何回かお見かけしたことはあるんですが… / ナライフ ( 2002-03-25 09:14 )
「家路」見ようかまよってたんですけど、見てみます!山田宏一さん、この間映画館でお見かけして、サインもらっちゃいました。てへ。 / ぽん ( 2002-03-24 12:09 )
山田宏一さんの文章って、一見何の変哲もないようでいて、映画を観る愛情に溢れていて大好きなんですよね。理屈から入らずに己の直感を大事にしているところとか。 / ナライフ ( 2002-03-22 18:11 )
洗練された明晰さ、いいですね。なにものをもバカにしないで生きていくことができたら世界ももっと変わるのに。自分も含めよく肝に銘じております(-_-)。(山田宏一さんのトリュフォーの本、今読んでます。) / フィー子 ( 2002-03-20 09:28 )
KATSUMI様、おっしゃる通りTVの映像に慣れてしまった人からすればあまりに不親切かも知れません。「慣れ」は無意識的に「制度」を捏造しているということでしょうか。この「制度」を軽々と超えてしまう力を持った作品こそ大事にしたいものだと思います。 / ナライフ ( 2002-03-20 09:19 )
八百八六助様、オリヴェイラ監督に2〜3年前に会ったことがある人の話によると、ホテルのプールで泳ぎまくっていたらしいです。よっぽど頑丈な人なのでしょうね。あと、僕のたどたどしい文章だと、いかにも凝った映像っぽく聞こえるかもしれませんが、実際は簡潔極まりない印象ですよ。 / ナライフ ( 2002-03-20 09:15 )
うーん、説明過多な映像という表現は当たっているかもしれない。でも一度の映像で理解できることも、今の人にとって少なくなっている気もします。寂しいことかもしれませんが。 / KATSUMI@故障リスト ( 2002-03-20 01:39 )
そんなに映像に凝った映画を1年に1本,しかも90歳を超えた監督が作るとは凄いですね. / 八百八六助 ( 2002-03-18 22:26 )

2002-03-18 ポルトガルのお年寄り、健在!〜『家路』を観て〜@

 ひっそりと単館で公開されていて、きっと大した興行成績も上げず、話題にもならず、そのうちに終映となるに違いない映画がある。その作品の監督は、既に90歳を超えているのだが、最近は1年に1作のペースで映画を作り続けており、高齢を感じさせない。驚くべきは、その製作ペースだけではなく、中味の明晰さにある。
 監督の名は、マノエル・デ・オリヴェイラ。作品の名は『家路』。日比谷シャンテで公開中だ。この高齢のポルトガル人監督、私がその名を知ったのは、約10年前の『神曲』。日本では公開されていないが、機会あって観ることができた。次いで93年、日本では初お目見えとなった『アブラハム渓谷』。続いて、『階段通りの人々』、そして、『メフィストの誘い』、昨年の『クレーブの奥方』。『神曲』は同名のダンテの作品がベース、『アブラハム渓谷』はフローベール『ボヴァリー夫人』の現代版、『メフィストの誘い』の下敷きはゲーテの『ファウスト』、『クレーブの奥方』もその原作はラファエット夫人の古典文学、といった具合に、名だたる古典を映画化しており、いかにも「文学の香り」漂う「芸術臭い映画」のようだが、逆に全く「文学の香り」などしない。そもそも脚本自体も原作を大胆にアレンジしていることもあるが、原作通りの描写をすることなどまず無く、映像を映像として見せていき、余計な説明など一切しない(台詞も説明的演出、説明的演技も極力排している)、明晰かつ単純かつ無駄の無い、まさに「映画」になっている。
 最新作『家路』も、淡々と画で見せていく。舞台や映画で活躍するベテラン俳優が、ある日突然、最愛の妻と娘夫婦を事故で亡くし、残された孫と二人だけの静かな生活を送る中で、自らを見つめ直す姿を描いているこの作品、今回はオリジナル脚本のようだが、これまたイヨネスコの「瀕死の王」、シェイクスピアの「テンペスト」、ジョイスの「ユリシーズ」といった戯曲の上演の模様が作品全体のかなりの比重を占めるので、「名作好き」オリヴェイラらしい。しかしやはり、彼の演出は演劇とは対極にある。
 開巻後、舞台の様子を捉えた場面以外は、恐らく10分以上台詞がほとんどなく、必要最小限のショットを積み重ねていく。観る者は、それが余りに自然に展開されるので、台詞の無さを意識することはまず無いとは思う。本来は劇的な場面になり得る、妻と娘夫婦が事故で亡くなったことを主役のミッシェル・ピコリが知る場面は直接画面には示されない。そのことを知ったピコリが、しばらくすると後姿でフレームインし、小走りに画面奥のドアを開けて出ていくだけだ。そして数日後、ピコリは孫が元気に小学校に行く姿を微笑ましく見送り、部屋に戻って来て、机の上の写真立てらしきものを手に持って見る。物語上は、亡くした妻や娘の写真を悲しげに見ているのだろうが、全て逆光で撮っており、ピコリの表情など全く見せない。彼の後ろの窓の外は明るい陽が射しており、外と中の光の具合が素晴らしい。といった具合に、その演出は、オープニングから洗練の極みと言って良い。これぞ「映画」だ。

先頭 表紙

2002-02-25 オリンピックの周辺

 約1ヶ月もの間、各所のつっこみに出没していましたが、自身のページの更新を怠っていました。忙しかった、という理由しかないのですが、よーく考えると、その理由をここで表明したところで、「それがどうした?」というつっこみをいただきかねないので、言い訳はやめておきます。
 今日オリンピックが閉幕しました。僕は、そういうことで、オリンピックの様子を観戦できず、新聞で結果等を知る程度だったので、どうにも詳細が分からないのですが、気に食わないことが1つあります。それは、オリンピックを利用したビジネス周りに存在しています。
 オリンピックは巨大なビジネスソフトです。世界中の目が注がれ、多くのメディアで露出され、終わってからも様々な広がりが予想されます。従って日本の企業も、自身の広報宣伝活動の一環として、この魅力的なソフトを利用しようとします。歴史的には、ロス五輪の頃からだそうです。その頃、私は学生だったのでよく分かりませんが、今回の五輪も、当然、色々な企業がこのソフトを利用して、自身の商品や企業そのもののイメージアップを図ろうと、巨額の宣伝費を投入していました。私が知っている、ある企業も、民放でオンエアされるオリンピック番組にCMを流すことに決まりました。因みにオリンピック番組は、通常の番組と違って、高いです。また、ある程度パッケージになっていて、そこそこの金額を必要とします。放送局も、ここぞとばかりに、いろんな企業に対して、「いかにオリンピックは凄いか」、「いかに日本国中の注目を集めるか」を資料を作って説明し、企業がお金を出すよう促します。広告代理店は、これに輪をかけます。さて、このとある企業、そういったやり取りの後、民放のオリンピック番組を提供することとなりました。オリンピックの提供をするのは初めて、ということで、相当社内で検討を重ねつつ、「清水の舞台から飛び降りる」つもりでの決断だったようです。さて、いよいよ始まったオリンピック。その企業のCMは毎日のようにオリンピックを放送する民放の番組でオンエアされていたはず。そして、今日閉幕。・・・ ところが、番組提供を決定した頃と違って、今やその企業、放送局と広告代理店に対して、かんかんに怒っています。何故か。視聴率が悪いから。突き詰めれば理由はその1点です。「話が違う」、「こんなはずじゃなかった」、「弁償しろ」…
 呆れて何も言えません。この論理、94年アメリカW杯で、サッカーくじで大損した地元のギャングが、その腹いせに、コロンビア代表のエスコバルを銃殺したのと同じです。「弁償しろ」などという台詞、いかにもビジネスっぽいですが、要は命に代替物を何か出せ、と言っているに過ぎません。
 もちろん、これを機に儲けようとする、メディアや広告代理店にも責任はあります。スポンサーがそういう発言をする原因を作っているのは、逆に言うと彼らにあります。
 しかし、…と書いていて、情けなくなってきたので、もうやめます。自分もそのビジネスの真っ只中に身を置いている人間です。僕がこの状況に腹を立てても始まりません。第3者的に批評しても仕方がありません。ただ、今回のオリンピックのスケールを遥かに凌駕するビッグイベントが今年の6月にやってきます。別に視聴率のことを心配しているのではありません。僕もこの時ばかりは、ビジネスとしてW杯と接するつもりなど毛頭ないのですが、純粋にスポーツをやっている選手達と、その最高レベルのプレーに心酔している観客たちをないがしろにする企業とお偉方には、どうか、何も言わず、大会そのものを体験して欲しい、と切に思います。

先頭 表紙

喜久蔵さん、後者の視点でもがっかりだったのですね。うーむ… / ナライフ ( 2002-03-05 13:20 )
Hidey様、おっしゃる通り、売らんが為の調子の良い嘘が代理店や放送局には多過ぎます。自戒の念も込めて言うと、まだまだこの業界、正確・緻密に推進すべきビジネスの話を勢いとかノリで済ませすぎです。 / ナライフ ( 2002-03-05 13:18 )
↓言葉足らずでした。放送時間を削って「無料で追加を」流してたということです。 / Hidey ( 2002-03-03 08:06 )
「収益」か「スポーツ選手の流した汗」。。オレは後者に感動します。今回のオリンピックにはかなりがっかりしました / りゃん吉屋喜久蔵 ( 2002-03-02 18:07 )
でも視聴率はactualが当たり前のアメリカでは、シドニー五輪の際、事前の見込みを大幅に下回っていたので、途中から放送時間を削ってCMを流したそうですね。それもそれで大変だ。actualとは言わないまでも、局と代理店はもっと言動に責任を持つべきだと思いますよ。 / Hidey ( 2002-03-02 14:42 )
心より、me, three. / Hidey ( 2002-03-02 14:39 )
フィー子さま、ちょっと今回の原稿、本来ここで僕が書こうとしているものではないんですが…あまり仕事のことを持ち込むつもりはないんです。つっこみ有難うございます。 / ナライフ ( 2002-02-26 18:58 )
ガス欠コイン様、いよいよフットボールモードですか!オリンピックの原稿、全部読んでいたのですが、なにせ何も観てなったので、つっこみできませんでした。(ここで詫びるな、って感じですが) / ナライフ ( 2002-02-26 18:56 )
おき楽大明神様、そうですか〜TV観なかったですか〜 / ナライフ ( 2002-02-26 18:54 )
八百八六助様、アテネ、そうですね。期待したいですね。そうですか、民放そんなにひどかったですか?なんとなく想像できますが… / ナライフ ( 2002-02-26 18:53 )
KATSUMIさま、金のかかるビッグイベントなので、スポンサーも必要だとは思ってますし、逆にスポンサーなくして成立しない要素も多々あるとは思っているのですが、金を出すのならイベントの精神というか本質を理解して欲しいと思います。 / ナライフ ( 2002-02-26 18:51 )
心より、me,too / フィー子 ( 2002-02-26 16:52 )
僕も多くを言える立場にはないのですが。「弁償」しろとはね。呆れちゃいますね。まあ、いよいよですね。世界最大のスポーツの祭典がやって来るのは。僕は、出身が北海道のせいもあって、ここのところオリンピックの原稿を書いておりましたが、いよいよ、フットボールモードに突入です。 / ガス欠コイン ( 2002-02-26 02:00 )
おき楽も〜TVを観なかった一人です〜☆ 選手個人〜いいプレ〜をすれば〜♪ どこからでも〜話は伝わってくる物ですね〜♪ / おき楽大明神 ( 2002-02-26 01:53 )
2004年はオリンピック発祥の地,アテネで開かれます.原点に戻って,商業主義を和らげたいというポリシーがあるようです.改善できると良いですね.それより,民放のオリンピック中継,あんなの誰が見るんだか.エキシビジョンで演技始まっているのにスタジオのタレントが映ってるんだもの. / 八百八六助 ( 2002-02-26 00:36 )
アメリカでのオリンピックに視聴率を期待するスポンサーが間違いましたね。ずいぶん早くからワールドカップとの抱き合わせ販売が噂になっていましたが。選手が最高のプレーを見せられる環境作りに、お金がかかるのはわかります。ただそれで儲けては欲しくないですね。特にIOCやFIFAといった団体は、奉仕の精神でいるべきだと思うので。 / KATSUMI@ジャマイ会 ( 2002-02-25 20:40 )

2002-01-28 映画における視線(3)〜小津の革新〜

 小津の映画は、「切り返し」の連続である。「静的」と形容されることの多い小津の映画ほど、カット数が多い映画も珍しく、その点では、小津の映画ほど目まぐるしい映画は類を見ない。彼が秀逸なのは、まず役者に心理的演技を一切させない。出演者が皆口を揃えて言う。「小津さんは身体の動き、目の動き、そして指の動きまで全部細かく指示を出して、何十回もリハーサルを繰り返す。動きは型にはめられ、窮屈だった。自分がどんな演技をしているかも分からず、監督の操り人形だった。」小津の映画での役者は、役柄になりきってなどいない。内面を露呈する表情による演技ではなく、あくまで身体のアクションを画面に定着させようとする。同じシーンでカットを変えるのにも必ずと言っていいほど、首に巻いたタオルに手をかける、とか、髪の毛を掻きあげる、とか、お茶を飲む、とかいったアクションをさせ、その間にスムーズに画面をつなげてしまう。恐らく小津は映画史上に残るアクション映画作家なのだ。

 そして、恐らく小津は、見つめ合うという行為を映画で表象するには「切り返し」という嘘をつかなければいけない、という不自然な事態とその「切り返し」が堕落しているさまを、理解していた。見つめ合うという同時間の行為が時間的な継起性に置き換えられる、という嘘。小津は、しばしば自作の中で、切り返しの「ルール」を破る。笠智衆と原節子の会話は、丹念な切り返しによって示されるが、観客から見て2人は同じ方向を向いているカットが続くので、2人の視線が交わらないのである。観る者は相当奇妙な印象を覚えるはずだ。成り行き上2人は会話しているのだが、てんでばらばらの視線なのだ。恐らくその誕生期から不自然さを抱え込んでしまった映画の嘘に自覚的な小津は、何よりも画面の画づくりを優先させた。原節子と笠智衆では体格も顔の大きさも違うはずだが、画面では同じ大きさ、同じ向きである。被写体とキャメラとの距離を役者に応じてわざわざ変えているのだ。明らかに小津は、編集での不自然さよりも己の美学に基づく画面の構図にこだわりを示した。自分の思う画づくりのためなら、「それらしく見せる」ためのテクニックは二の次でよい。虚構を「それなりにリアルに」見せる不自然さを自らの映画で露呈させるという暴挙に出た小津ほど、革新的な映画監督は他に居ないのではないだろうか。

 ゴダール、ロッセリーニ、大島渚、ソクーロフ、等々、映画史的に「革命家」と呼ばれる監督は、それぞれ確かに「映画の文法」を無視しつつも魅力ある映画を撮りつづけてきた。しかし、彼ら以上に小津は革新的な映画作家だったと思う。

先頭 表紙

おとめ様、今、更新しました!  / ナライフ ( 2002-02-25 16:51 )
更新マッテマス♪♪ / おとめ ( 2002-02-20 16:33 )
いやほんと、小津監督は凄いですよね。小津映画の無駄の無さを観ていると、黒澤映画ですら無駄なカットが多く、説明過多の印象を持ってしまいます。 / ナライフ ( 2002-02-14 12:48 )
語りつくす映画が多い中、ここまで何も語らず伝えることのできる小津監督ってやっぱりすごいですよね。小津監督の「切り返し」(モンタージュと言っていいのかな?)は自己満足でなく、見る人に優しい気がします。音でも、カットのつなぎ方でも、人をハッとさせられることを知り尽くした上での使い方だな〜って思いました。 / ぽん ( 2002-02-13 00:52 )
しまお様、実はゴダールのビデオによる作品『ゴダールの映画史』は、映画史がこれまで持ち得なかった革新的なものだと思っています。実に面白いです。 / ナライフ ( 2002-02-07 11:03 )
フィー子さま、物語の意味を追い求める「奥の深さ」ではなく、画面に見えるものだけを見る「奥の深さ」なのでしょうか。でも「見たくなっちゃったなあ」というお言葉が一番嬉しいです。 / ナライフ ( 2002-02-07 11:01 )
Hidey様、なるほど、有難うございます。漫画はあまり詳しくないので勉強になります。 / ナライフ ( 2002-02-07 10:35 )
なるほど・・。小津映画をもう一度見直したくなりました。でも映画の文法や、それを破ることも出尽くしてしまった今、革新的な映画作家が登場するのも難しいのかな?でもいつも期待はしてるんですが・・・。 / しまお ( 2002-02-03 00:36 )
なるほど。映画の話も奥が深くて面白いですね。切り返しか・・・、今後映画を観る上で1つの視点を与えられました。小津映画を観たくなっちゃったなあ。 / フィー子 ( 2002-02-02 14:42 )
映画の模倣ではありますが、漫画の世界に逸早く「切り返し」を導入したのはやはり手塚治虫でした。しかし彼も予定調和だけは嫌だったようで、左右対称のコマ割りを有効に使うなど、数々の試みをしたようです。 / Hidey ( 2002-02-02 14:07 )
一見微差だとは思いますが、表情での演技が無いと思います。普通に見ていれば気付かないくらいですが。 / ナライフ ( 2002-02-01 21:28 )
心理的演技を一切させない。すごい作家ですね。賛否両論あると思いますが、革新的だと僕も思います。 / ガス欠コイン ( 2002-01-31 23:34 )
最近確かにお見かけしないですね。『御法度』は健在ぶりを充分アピールしていた、と思いましたが。 / ナライフ ( 2002-01-30 11:14 )
大島渚は健在なんですか??体調崩してる話を聞きましたが、、野坂氏と喧嘩した記憶が鮮明です / りゃん@話とは関係なかったですね、、 ( 2002-01-30 00:05 )

2002-01-28 映画における視線(2)〜魅力、堕落〜

 映画が1910年代から急速に普及し、「娯楽の王様」として君臨するようになった要因として、恐らく「切り返し」の魅力の存在は非常に大きかった。舞台演劇を観客席から撮影しただけの映画では、人々の飽きは不可避だっただろう。事実、発明当初の1900年頃は物珍しさもあって、活動写真小屋は人だかりだったが、数年で廃れ始めていたらしい。1911年から映画監督となり、後に「映画の父」と言われるグリフィス監督の映画には、切り返しと、その際のクローズアップの魅力に満ちている。その魅力は、『イントレランス』や『國民の創生』という大作より『散りゆく花』や『東への道』といった小品に、発揮されていると思うし、ゴダールが『勝手にしやがれ』で引用した『散りゆく花』のラストシーンなどは、観た者誰もがあのリリアン・ギッシュの瞳を忘れられないだろうが、そこにこそ切り返しの真髄がある。見つめ合う2人を示す際の「クローズアップ」は、当然演劇ではあり得ない表現であり、そこで画面に映し出される顔や目に観る者は心酔したのだろう。グリフィスの映画には、映画ならではの魅惑が満ちている。1910〜20年代のことではあるが、グリフィスの映画を観ていると、映画はこの時から進歩を止めてしまったのではないか、と思うことがしばしばだ。実際、アメリカ映画黄金時代を支えた、30年代〜50年代の映画は、簡潔な切り返しと効果的なクローズアップを用い、編集で効率的に語っていった。

 こうしてその創世期には、据え置きのキャメラがただ対象物を撮り続ける、という手法で作られていた映画は、切り返しを初めとする「編集」を用いて、物語を「それらしく」見せるという嘘をつくことで、一気に広がった。ハリウッド映画産業の類稀なる商品力と他国への流通力とで、グリフィスの映画に見られる「テクニック」は、それが「イコール映画」として恐らく全世界的に一般化した。現在、映画に限らず、TVドラマ、MTV、等々全ての映像手段において「切り返し」は当然の様に使われているが、多くの製作者は、「切り返し」を、交わる視線の表象手段としてではなく、2人の心情描写手段として用いるという事態に陥っている。かつて松竹のスタッフの間で「何も策が思いつかなかったらクローズアップに逃げろ」という格言があったと言うが、見つめ合い、ささやき合い、議論し合う2人それぞれの心情を、その役者の表情の演技によって見せようとするようになってしまったが故に、グリフィスやチャップリンのような簡潔な切り返しは陰を潜め、これみよがしな恍惚とした表情の2人をクローズアップ気味に切り返していく。この状況は映画を堕落させたと言うべきだろう。たまにスイッチをつけると放送しているTVドラマは、その最たるものだ。一体何回切り返しをしていることか。何回下品なクローズアップを見せることか。心理的説明を誇張するための切り返し。TVドラマが好きな方には申し訳ないが、見ていて気持ち悪い。役者の表情を、心情を示すための「記号」にし、クローズアップも同様にその「記号」とし、そして、その「記号」を機能させるために切り返しを多用するというのは、映画を「動く絵=モーションピクチャー」たらしめているエッセンスを自ら放棄している。不可視ではっても交わる視線は、方向性という運動を持っており、簡潔な切り返しはそのものがアクションである。賢明な監督であれば、心理的説明を誇張するための切り返しやクローズアップは避け、あえて簡潔でその眼差しを画面に定着させると思う。それが「映画」というものだろう。

先頭 表紙

フィー子さま、ねえ、気持ち悪いですよね。某国営放送のように、物語は下品でないものでも下品なものになっていると思ってました。撮影も、がんがん照明を役者の顔に当てていて繊細さのかけらもないものが多いと思います。 / ナライフ ( 2002-02-07 11:08 )
もちこ様、滅相もない。ただどうしてTVドラマはこうも下品なんだろう、という思いが強かったんです。 / ナライフ ( 2002-02-07 11:05 )
自分がテレビドラマをなんか気持ち悪いと思っていたのはそういう理由も1つあったのかと、納得しました。ぽん。(←ひざをたたく) / フィー子 ( 2002-02-02 14:40 )
す、すごくお勉強になる文章でした。。。。。私も目指してみたいです。いろいろまた教えて下さいね / もちこ ( 2002-01-30 09:50 )

2002-01-23 映画における視線 (1)

 恋愛、決闘、友情、挨拶、等々、題材上の特性から鑑みても映画において人と人が向き合っている場面というのは、恐らく最も多く撮られてきたシーンでないかと思う。見つめ合う2人。恋する2人。対決する2人。そしてそれら全てのシーンにおいて、その2人は互いを見つめ、視線を交わらすことになるのだが、フィルムは人や瞳は映し出せても視線は映せない。当たり前の様だが、視線というのは不可視であり、決してスクリーンには表象され得ない。しかし、こうしたシーンで私たち観る者は、ごく自然に、2人が見つめ合っている状況を理解している。遠景で向かい合っている2人を一つの画面に収める、というのはその解決策の一つだろう。視線が交わっているかどうかは不明瞭だが、人は恐らく物語上の文脈からそう理解する。しかし、決定的な方法は、まずAなる人物を例えば右斜めから撮り、向かい合うBなる人物を今度は左斜めから撮る、というもの。これをすると、連鎖する2画面を通じて、人はいかにもAとBが見つめ合っていると理解する。この時間違っても2人を、右なら右で同じ向きで撮ってしまうと、連鎖する2画面は、交わった視線を表象しえない。

 交わる視線なくして面白い映画などありえるだろうか、と言いたくなるが、スクリーンに視線を投げかけることで観ることが成立する映画は、皮肉なことに、その交わる視線を示すのに、一つのテクニックを必要とするのである。そして、さらに皮肉なことに、その交わる視線こそ映画史上で最も多くかつ重要な表象対象なのだ。この、2画面を連鎖させることで、向き合った2人を示すテクニックは、今や当り前の様に使われているのだが、映画が発明されたころのものを幾つか私も見てみて分かったのだが、当然その頃(1900年頃)にはそんな技法などあるわけもなく、ひたすら固定されたキャメラから被写体を撮るだけである。要は、舞台を客席から撮っている状況だ。いつからこの技法が使われるようになったかは定かではないが、やはり「最も多くかつ重要な表象対象」だけに、サイレント映画初期に発見されたのは間違いなく、グリフィスやチャップリンの映画でそれは確認できる。ただ、それなくしては、恐らく演劇をそのまま撮るだけだったはずだけに、この技法は間違いなく映画を映画たらしめるものにさせる、革命的なものであり、この技法の登場と共に映画は言語の異なる地域を越えて流通しうるものとなったに違いない、と私は確信している。その技法を「切り返し」と言うが、それは単なるテクニックではなく、映画の本質だと思う。

 こうして、映画はその創生当初から、不可視なものを画面に定着させようとする、決定的に不自然な形態を、その必然として内包することになってしまったのだ。

先頭 表紙

ぽん様、ありがとうございます。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:39 )
りゃん様、ありがとうございます。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:39 )
しまお様、ありがとうございます。そんなこと言われると照れてしまいます。変な奴なんだろうと思います。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:38 )
おとめ様、ありがとうございます。こんなこと考えるのって、自分でも変だな、と思います。楽しければいいと思ってんですけどね。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:37 )
たらママ様、ありがとうございます。そう、目は大切にしたいですね。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:36 )
フィー子さま、誕生日ってなんでばれてるんですかねえ?当日見てないんですが、なんか出てたんですかね…ま、有難うございます。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:35 )
ガス欠コイン様、さすがに同姓は気味悪いから… わざわざ有難うございます。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:34 )
ガス欠コイン様、徹夜、最近してないです。すいません... / ナライフ ( 2002-01-28 15:33 )
Hiroko様、そうですね、脚本同じでも撮る人によって全然違いますよね。僕も色々考えるきっかけはそこだったんです。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:32 )
ぽん様、市川監督、そうですね。あの方、大変遊び心がおあり、というか、撮る事にとても自覚的ですよね。 / ナライフ ( 2002-01-28 15:31 )
仙川様、そうですね〜ほんと楽しいですよねえ、理屈抜きで。あ、僕の言っていること、理屈か! / ナライフ ( 2002-01-28 15:29 )
はっぴーばーすでぃ! / ぽん ( 2002-01-28 11:58 )
お誕生日おめでとうございます! / りゃん ( 2002-01-27 23:42 )
はっぴーばーすでぃ♪いつも私の知らなかったことを教えてくれて、いろんな視線からものごとを見つめる大切さに気づかせてくれるナライフさまの日記、これからも楽しみにしています♪ / しまお ( 2002-01-27 22:02 )
お誕生日おめでとうございまーす♪おとめ映画好きだけど、こーゆー事考えた事なかったなー♪ / おとめ ( 2002-01-27 20:28 )
お誕生日おめでとうございます。目は大切ですね。目は口ほどに・・・とはよく言ったものです。 / たらママ ( 2002-01-27 20:27 )
お誕生日〜おめでとです〜♪ の〜んびりと〜素敵な一年になりますように〜♪ おめでとです〜♪ / 仙川亭おき楽 ( 2002-01-27 19:41 )
ふぅむなるほど・・・・。いろいろご存知ですねえ。というわけで、お誕生日おめでとうございます!! / フィー子 ( 2002-01-27 17:43 )
Happy birthday.いつもは歌を歌うのですが、男性につき、やめておきました(爆)。 / ガス欠コイン ( 2002-01-27 09:35 )
う〜ん、読み入ってしまいました。早く続編書いてください、徹夜して(笑)。冗談です、楽しみにしています。 / ガス欠コイン ( 2002-01-26 23:39 )
いつも何気なく見ている映画(映像)でもほんのひとつのシーンにこんなにも演出(?)を必要とするんですねー、、。同じ脚本でも演出家が変わると出来上がるものも変わるって言うことなのよね。(ちょっと内容と関係ないかも?) / Hiroko ( 2002-01-26 03:11 )
いろいろ試行錯誤してるサイレント時代のほうが新鮮だったりしますよね。視線の使い方は、市川崑監督とか遊びがあって好きです。 / ぽん ( 2002-01-24 17:13 )
観ている者の〜♪ 心をつかみ〜♪ 深く洗礼された映画の本質〜♪ 色々ありますね〜♪ 映画は〜楽しいですね〜♪  / 仙川亭おき楽 ( 2002-01-23 21:36 )

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