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マイケルの「旅の恥は書き捨て」リターンズ

自称「ワールドひまじん」の切り札!? 充分すぎる休養期間の後、満を持して復活!

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-12-19 【2003年スペイン旅行】 4/24 Alhambra 宮殿(序)
2003-12-17 【2003年スペイン旅行】 4/23 Alhambra 宮殿、夜のツアー
2003-12-17 【2003年スペイン旅行】 4/23 Albayzin
2003-12-16 【2003年スペイン旅行】 4/23 Granadaのカテドラルと王室礼拝堂
2003-12-07 【2003年スペイン旅行】 4/23 Granadaの宿
2003-12-05 【2003年スペイン旅行】 4/23 バスに乗り遅れる
2003-12-04 【2003年スペイン旅行】 余談...Cordobaの繁栄について
2003-12-03 【2003年スペイン旅行】 4/22 Madina Azahara
2003-06-18 【2003年スペイン旅行】 4/22 Julio Romero de Torres の展示を巡って
2003-06-10 【2003年スペイン旅行】 4/22 Julio Romero de Torres


2003-12-19 【2003年スペイン旅行】 4/24 Alhambra 宮殿(序)

さて、前日の夜のツアーで思いがけないガッカリを味わう羽目になったのだが、それはライトアップなどという過剰な演出を期待したからこそ。見学が可能だった部屋の様子は、昼に見るのとはまた異なった印象だったし、宮殿からみるアルバイシンの夜景は見事でした。

とはいうものの、時間が無くて昼の宮殿を見れない人に、「だったら夜があるよ」とは薦めにくい。あくまでも昼を見た上で、違った一面を見てみる、というスタンスが正解でしょうな。

さて、一夜明けた翌朝。

市街に泊っている人はきっと今頃あの急な坂を登っているか、バスで向かってるんだろうなぁ、なんて呑気なことを考えている場合ではない。昨日の教訓は何のその、また遠回りしてチケットブースに行かなければならないのだ。昨夜のうちに、この日の分もチケット発券してもらえれば良かったのにね。

僕が購入したチケットでの王宮への入場時間は8:30〜9:00の間。これに遅れるとチケットは無効になってしまう。一旦入ってしまえば、午前の部(14:00)まではず〜っといても良い。

どうでもいいが先日、NHKでアルハンブラ宮殿からの生中継というのをやっていた。スペイン国内のもう一つの世界遺産、「巡礼者の道」との多元中継だったんだけど、中継があっち行ったりこっち行ったり。掘り下げも浅くて正直がっかり。生である必要も無いし、多元である必要も無かった。じっくり取材してあとから編集を施すスタイルの方がどれだけましか、例えばアルハンブラに関しては「世界遺産」、巡礼者の道に関しては「世界ふしぎ発見」の方がずっと良かった。

===

申し訳ないですがこの続きは、新しい年が明けてからになります。何せアルハンブラは書くことが多くて、今写真とメモと資料を整理しないととっ散らかったことになりそうです。

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いや、ホント脱力モノでした... ただアルハンブラから眺めるアルバイシンの夜景がこりゃまた魅力的で...(←自暴自棄気味) / マイケル ( 2004-01-09 11:01 )
夜のアルハムブラ!なんて素敵〜。でも確かにそれって、ライトアップを期待するのが当然ですよねぇ。さすがアバウトアンダルシアってかんじなんでしょうか… / るりぴぃ ( 2003-12-20 23:21 )

2003-12-17 【2003年スペイン旅行】 4/23 Alhambra 宮殿、夜のツアー


ようやく宮殿...ですがその前に。

アルハンブラ宮殿を訪れる場合は注意が必要です。特に「風まかせ〜」な自由旅行者ほど。

というのも、宮殿の中でもメインであるナスル王宮には入場する時間が30分刻みで制限されており、その時間に行かないと中に入れないのです。(アルカサバやフェネラリフェなどは指定時間外でも大丈夫ですが、14:00を境に午前・午後の区別はあります)しかも人数も制限されているので、よく聞くのは「朝一番で2時間並んで、ようやくその日の夕方のチケットが取れた。」というような話。

そういう時間の無駄を避けるためにも、アルハンブラだけは先に日程を決めて、前売り券を入手しましょう。予約は1年前から受け付けています。

以前はスペインのBBVA銀行に電話するか、その支店の窓口で...という「スペイン語喋れんワシはどうすりゃいいんじゃ!」な方法しかなかったわけですが、最近Webでも買えるようになりました。

僕が購入したのはこの日の夜のツアーのチケットと、翌朝のチケット。チケットそのものは8ユーロ(1,000円強)。更に手数料がちょっとかかるけどね。Webで予約した後の確認画面は忘れずプリントアウトして持ってゆくように。

アルバイシンから夕陽に染まる宮殿を見てホテルに戻って一息ついた時に、ふと思う。「さてチケットはどこで引き換えるのだ?」今、自分がいるところはチケットが無くても入れるエリア。ところが目と鼻の先にある王宮はチケットが無いと入場できない。

一旦、宮殿の外に出てぐるっと回ってチケットブースに出なければならないのだ。まぁ、大した距離ではないのだが、これはちょっとした盲点だった。事前に予約していたお陰でチケットはすんなり引き換えできたのだけどね。

夜のアルハンブラ...チケットブースから足元の誘導灯に導かれて辿り着いた広場にあったのは...自分が泊ってるホテルだった!(笑)

そこから更に行くと王宮への入口がある。夜のツアーではヘネラリフェやカルロス五世宮殿などは見学できず、王宮のみなのだが、まぁ、王宮こそが肝なのだから...と思い、中に入る。

なななんと! ライトアップされとらんのじゃ〜!

そりゃ建物の中とか廊下には照明があるけど、アラヤネスの中庭やライオンの中庭が真っ暗で...写真に写らない...

良くガイドブックとかで、闇にコマレスの塔のファザードが浮かぶのを見て期待していただけに、かなりがっかり。

まぁ、翌日の予習になったと思えばいいか...

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るりぴぃさん、それって巨泉が出てたやつですか? ほかの美川憲一と神田うのが贅沢三昧するようなゴミ番組とは比べものにならないほどいい番組でしたが、自分の夫婦旅行を番組の企画として局に売り込んだことは容易に想像でき、その点に関しては何だか腹が立ちます。 ← もし他の番組だったらゴメンなさい。 / マイケル ( 2004-01-09 10:56 )
先日TVでスペインの旅番組を見てて、行きたくて行きたくてもうたまらん!状態になっているとこへ、またここに来て拍車がかかっています〜。来年は必ず必ず行ってやるぅぅ! / るりぴぃ ( 2003-12-20 23:20 )

2003-12-17 【2003年スペイン旅行】 4/23 Albayzin


アルバイシンはアルハンブラ宮殿から渓谷を一つ隔てたところにある。宮殿が建設される前はここに王宮があり、ここが町の中心だったとのこと。

アラブの国には行ったことが無いのだが、ガイドブック等によると、この地はアラブの雰囲気を色濃く残しているらしい。石畳の狭い坂道の道の両側には白壁の家々がそそりたち、まるで迷路のようである。ガイドなしでは目的地に辿り着けないと言う、モロッコのメディナもこんな感じだろうか?

1990年に初めて海外旅行した時に買った「地球の歩き方」のヨーロッパ篇では、「アルバイシン地区は浮浪者が多くて云々」みたいな記載があったような気もするのだが、全然そんな気配も感じなかった。確かに暗くなってから後は道に迷ってとんでもないところに出くわしそうではあるが。

このアルバイシン地区の一番上にはサン・ニコラスという、アルハンブラ宮殿が手に取るように見える広場がある。丁度夕暮れ時に行くと、シエラ・ネバダ山脈をバックにアルハンブラ宮殿が赤く染まっているのが見える。城郭に使われた石壁が多くの赤鉄分を含んでいるために、このような色になるのだと言う。

宮殿の名前もアラビヤ語の「赤い砦」(ケラト・アル・ハムラ)が由来らしい。

丁度BGMにストリートミュージシャンが「アルハンブラの想い出」や「アランフェス協奏曲」なんかを弾いていたりする。

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コーランですか...聞いたことが無いので良く分からないです...ソーラン節なら知ってます(爆)。 / マイケル ( 2003-12-17 15:14 )
写真だけを見ていると、コーランが聞こえてきそうな気もしますね。 / azzurri@朝のひまじんタイム中 ( 2003-12-17 11:04 )

2003-12-16 【2003年スペイン旅行】 4/23 Granadaのカテドラルと王室礼拝堂


グラナダという街は同じアンダルシアのセビーリャやコルドバに比べると、歴史は新しい。

ナスル朝の初代王アル=アフマールがグラナダに王国を築いたのは1238年。丁度その頃、イスラム・スペインの首都であったコルドバは、キリスト教徒の手に陥ちてしまった。王は脆弱な国家の基盤を整えるため、敵であるカスティーリャ王国に服属して、外交を安定させ、商工業の発展に力をそそいだ。

無駄な争いを避ける、この賢明な政治によって経済が潤うと、王はアルハンブラ城内に王宮を築城する。都を見下ろす丘の上の宮殿は、初代王亡き後も歴代王によって建設が進められ、約100年の歳月を経て完成をみる。

アルハンブラ宮殿はコルドバのメスキータのような力強さは無い。パッと見の外観は非常に地味だが、中に入ると打って変わって、そこには幻想世界が広がっている。アラビア文字とアラベスク模様が繰り返される漆喰の壁、鍾乳石のような天井、そしてかすかな水音。この世のオアシスのような空間だ。外見は質素に、内面を豊かにというのは建築様式に限らず、人間そのものもそうでありたいというアラブ世界共通の美意識のようだ。

その夢の終わりは1492年に訪れた。カトリック勢力のレコンキスタ(失地回復運動)に抵抗しきれないと判断した王・ボアブディルは宮殿を明渡し、北アフリカに逃れた。峠を越える際に未練がましく泣きながら宮殿を振り返るような王様だったらしいが、もし彼が徹底的に抗戦していたなら、宮殿は今のような状態を保ってはいなかっただろう。

レコンキスタの完了は奇しくもコロンブスが新大陸に到達したのと同じ年。ここからスペインの黄金時代が幕を開けるのだった。

旧市街の中心部に、カテドラルと王室礼拝堂は隣り合って建っている。

王室礼拝堂にはローマ教会からカトリック両王という称号を賜った、アラゴン王国のフェルナンド国王とカスティーリャのイサベル女王夫妻。更にその第二王女のフアナ(狂女王)、フアナの夫・フェリペ(美男王)の4人の霊廟がある。

レコンキスタを成し遂げたカトリック両王に負けず劣らず、フアナの生涯も劇的なものだったらしい。彼女は美男王と呼ばれる程ハンサムなオランダのフェリペと結婚し、後の神聖ローマ帝国の皇帝として、またスペインの最盛期の王となるカルロスV世(スペイン王としてはI 世)を産むのだが、その後夫とは殆ど同居せず、夫の浮いた噂を聞くたびに嫉妬に狂い、言動がおかしくなったのだという。

が、それは今回の旅の後で知った話。

王室礼拝堂にはボッティチェルリやメムリンクの絵画を楽しむこともできる。

写真はカテドラルに飾られていた楽譜。これじゃ良くわからないかもしれないけど (^_^; 、遠くにいる聖歌隊員でも読めるように、大きく書かれたもの。

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やはり大きさを実感するには隣にマイルドセブンの箱を置かねば... / マイケル ( 2003-12-16 16:47 )
写真を見た時に、楽譜???と思ったんですが、やっぱりそうだったんですね〜。 / azzurri ( 2003-12-16 13:00 )

2003-12-07 【2003年スペイン旅行】 4/23 Granadaの宿


コルドバもグラナダも、アンダルシア地方を代表する大都市だが、両都市を結ぶ鉄道でのアクセスはよろしくない。途中乗り換えでの待ち時間があるし、本数も少ない。バスの方が断然オススメだ。

オリーブ畑の間を通り、途中日本のガイドブックには乗っていないような「アンダルシアの白い村」で数回停車しながらの約3時間のバスの旅。5〜6月なら一面に咲き誇るひまわり畑も見えるのだろうか。

さてグラナダの宿といえばパラドール!

ご存知の人も多いと思うけど、パラドールとはスペイン国営のホテルチェーンで、中世の古城や宮殿、修道院といった歴史的建造物を活かした施設も多い。その中でも特にグラナダのアルハンブラ宮殿の修道院を利用したホテル・サンフランシスコの人気はダントツです。ここをおさえたかったのだけど、3ヶ月前でも予約がいっぱいだったので、同じく敷地内にある Hotel America で妥協しました。ここはここで人気のあるところなんですけどね。

ホテルまでは、Plaza Nueva からアルハンブラ宮殿行きのミニバスに乗ります。途中のゴメレス坂は結構な急勾配。確か「Carlos V」という停留所で降り、ちょっと坂を戻ったところから宮殿に入る小道がある。

ホテルはこじんまりとして、特にシングル・ルームは狭い。これで1泊65ユーロは高いような気もするんだけど、「宮殿の敷地内」というのは大いなるアドバンテージだ。街の喧騒からも離れ、心地よい眠りにつけそうだ。ちなみに写真がそのホテルで、入口の真上が僕が泊った部屋。

この日は王宮の夜のツアー(22時から!)に申し込んでいたので、それまでの時間を市内観光に費やすことにした。

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あ、南極に行きます。といっても半島の方をちょこっと回ってくるだけですが。 / マイケル ( 2003-12-09 17:44 )
お部屋は大したことありませんでした。スペインはホントに見所いっぱいです。アルハンブラ宮殿の紹介だけでどのくらい日記をアップしなきゃならないか、考えただけでおそろしい... / マイケル ( 2003-12-09 17:43 )
スペインもまだ未踏の地なのですが、マイコーさまの日記を読んでいると、かなり見どころがありそうですね。宿のお部屋も見てみたいです。ところで、南極に行かれるそうですが??? / azzurri ( 2003-12-09 15:11 )
昨日NHKの世界遺産生中継で村治さんが弾いてました。 / マイケル ( 2003-12-09 01:39 )
アルハンブラ宮殿でアルハンブラの想い出弾きたいです。 / トモコ ( 2003-12-09 00:30 )
いや、別に「お化け屋敷」になるわけではありませんが,それはそれで面白そうです。しかし、世界遺産でお化け屋敷(笑)... / マイケル ( 2003-12-08 12:52 )
夜のツアーということは・・・・出るんですか?やっぱ、あちらの世の方々が・・・?関係ない話かもしれませんけど、スペインに行ったとき、各地にロウ人形館があって「拷問シリーズ」が結構あるんですよねぇ。偏見かもしれませんけど、結構血なまぐさい国民性なのかと思いました。 / こひつじ ( 2003-12-08 08:49 )
昨夜と今夜、NHKにてアルハンブラ宮殿からの生中継をやってます。初日を見た感じでは、いまいち掘り下げが浅くて、おまけに生中継の意図も「?」な感じですが、興味のある方は是非見てください。 / マイケル ( 2003-12-07 18:39 )

2003-12-05 【2003年スペイン旅行】 4/23 バスに乗り遅れる


Granada行きのバスはCordobaに着いた日に、国鉄駅隣のバスターミナルにて購入済み。駅行きバスの時間もばっちり調べた。

さて、最短距離はチェック・アウト→朝飯→バス停なんだけど、飛行機の機内に持ち込めるサイズのガラガラ1個だけど(2週間の旅行をそれで乗り切るのだ)荷物もあるし、朝食→チェック・アウト→バス停だなと思い、朝食を宿近くのバルでトスターダス(トースト)とカフェ・コン・レチェで軽く済ませて宿に戻る。

僕が泊まっていたのは一泊20ユーロ程度のオスタル(ペンション)。部屋の中にシャワーとトイレがついている。中庭もあっていい感じ。ロケーションは観光の中心からちょっとだけ外れているけど、ポトロ広場に近く、静かなエリアだ。

チェック・イン時に支払いをしようと思ったら、会計は最終日で良いと言われたのだが、宿に戻ると...受付がいない...

「Oiga!」(すみませ〜ん)と何度も係を呼ぶも、空しく響くのみ。3分、5分と虚しく時間は過ぎる。実はこのオスタルと同じ通りには、同じ経営者がやっている3つ星ホテルがある。よし、そこで会計済ましちゃえ〜

...と思ったら丁重に断られた。

どうするよ、このままお金払わずに行くかい? それもアリ、だよな...

再び宿に戻り、「Oiga! Oiga!」と叫んでいると、掃除のおばさんがようやく気付いてくれた。やってきた係のお姉ちゃんに「20分も待ったよ!」というが、謝る気配なし。

乗るはずだった駅行きバスには間に合わなかったが、タクシーも来なかった...駅に着いたのはバスの発車時刻の15分後。のんびりしたスペインタイムでも流石に始発の時間は守ったか。

チケットを次のバスの予約に振り替えて、駅のカフェで1時間半ほど潰す。次の目的地Granadaでは時間を持て余すことになっていたからそれでもいいかと割り切る。

もっと余裕もって移動しておくか、はじめからタクシー手配しておけば良かっただけのこと。別に1日1本のバスじゃあるまいし…

【写真】暇つぶしの友、スポーツ新聞 Marca

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その後、ちょっと調べてみましたが、「東京ジャーミイ」はマナーを守れば見学は自由にできるようです。今度行ってみよ〜っと。 / マイケル ( 2003-12-09 17:42 )
代々木上原のモスクって駅から見えるアレですか?・・・確かそれを見学できるツアーみたいなのがあったような、、、何かのタウン誌で見ましたよ。 海外のモスクだと一番神聖な場所にはムスリムじゃないと入れないんですよね。 / azzurri ( 2003-12-09 15:04 )
わかるような気がするなぁ〜 そのいい加減さ... だから完全にまかせっきりには出来なくて、自然とバックアッププランを考えるようになってしまいます。 / マイケル ( 2003-12-07 18:40 )
アイルランドのゴルウェイでツアーに申し込んだら,泊まっているところに迎えに来てくれる言う.でも待てども待てども迎えが来ない.で,宿の女将さんに頼んで連絡してもらってやっと拾ってもらったけど,ついたらバスは出発ぎりぎり.どうなってんねん,って思ったよ.なんだかみんないい加減. / 八百八六助 ( 2003-12-05 22:53 )
ありがとうございます。僕も高所恐怖症ですが「聖家族教会(サグラダ・ファミリア)」登りました。別に展望台があるわけでもないのに...ただでさえ、高いところ苦手なのに、更に螺旋階段というのが輪をかけて苦手で...でも今でも懲りずにあの手の建物はびくびくしながら登りつづけています。 / マイケル ( 2003-12-05 11:07 )
面白いです!マイケルさん。私も10年前にスペインに旅行したことを思い出しまし・・・・いや、すっかり忘れてほとんど思い出せません。高所恐怖症なのにガウディの塔(名前わすれた。あと200年ぐらい完成にかかるやつ)にのぼって泣きを見たことぐらい。 / こひつじ ( 2003-12-05 10:23 )
過去に何度も中断した旅行記がありますが...旅行中メモは取っているので、いつかはちゃんと完成させたいと思ってます、ハイ。僕も巡礼の道は憧れています。トマト投げ祭も捨てがたいですが... / マイケル ( 2003-12-05 05:41 )
これはまた充実した旅日記を書いておられたんですね、マイケルさん!スペイン旅行、最初から読ませてもらいましたョ。(南極もこんな感じで期待いいんですよね?)私は、マドリッドとビルバオに視察でちょこっとと、バルセロナに旅行でいったことがありますが、スペインは各地方に強烈なカラーがあって面白いですよね。メディナ・アサーラのお話、非常にそそられます。次なるスペイン旅行はガリシア地方&巡礼の道を考えていましたが、アンダルシアも行かなくては。 / Kyuco ( 2003-12-05 05:10 )

2003-12-04 【2003年スペイン旅行】 余談...Cordobaの繁栄について

先日紹介した、メディナ・アサーラの素晴らしい点は、これほどの宮殿や繁栄が、異教徒も含めて豊かな暮らしを実現した上でのこと。同時代の日本の藤原氏が、全国の荘園から搾取して、平等院を造ったのとは訳が違うのだ。

アブデ・ラーマン三世が王位についたのは21歳。金髪に深く澄んだ青い瞳をしていたらしいが、それは母親がゲルマン系の捕虜奴隷だったのが由来とのこと。

当時のアラブ男性は金髪女性がお好きだったらしいですが(ん?これは今でも一緒?)、美貌はさておいて、金髪というのは頭が悪いとも考えられていました。(ん?これも今と一緒?)

なにしろ、「北方の民族は太陽のめぐみの薄い地域に長く暮らしているので、色素が薄く動作も頭の働きも鈍い」と当時のアラブ史家は書き残しているくらいですから...

ハーレムの中で寵愛する分にはいいんでしょうが、王様ともなるとやはり威厳が必要、とのことで、この若き王は髪を黒く染めていたそうです。

さて、当時のコルドバがいかに凄かったかというと

住宅の数が113,000、モスク(寺院)が600、公衆浴場が300、病院が50、公立学校が80、大学が17、公立図書館が20...

当時はコンスタンチノーブル(今のイスタンブール)やローマ以外に人口3万以上の都市はヨーロッパには無かったそうです。

ましてや、病院や学校や図書館がある都市は全世界探しても長安、コンスタンチノーブル、バグダッドくらいだったとか。しかも学校は無料で、図書館も誰でも利用可! 更に貧しい子供のための学校も王様のポケット・マネーにて建設されていたとか!

そんなコルドバには世界中のあらゆる分野の学者が集まりました。そしてその学者たちが自国に帰りその知識を広めていったのです。algebra - 代数、alchemy - 錬金術 など al- とか ar- で始まる学問の名前の語源はアラビア語に由来します。

「ゆりかごから墓場まで知識を求めよ。知識を求めて努力するものは、神に祈る」
「たとえ異教徒の唇からであっても知識を得よ」
「学生のインクは殉教者の血よりも聖なるもの」

これらはコーランに記された言葉なのだそうです。この言葉を実践した王によって栄えたコルトバなしに、その後のヨーロッパの繁栄 - ルネッサンスは無かったとも言われています。

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元々コルドバのウマイヤ朝は、アッパーズ朝に追い出された経緯があるので、「バグダッドを凌ぐ都を!」と必死だったそうです。そのバグダッドも今は見る影もないのかも知れません。関係ないけど代々木上原にあるモスクが気になってます。一般の見学はできるのだろうか? / マイケル ( 2003-12-05 05:44 )
確かに今でもアラブの人々は頭がいいと言いますよね。幾何学模様のモスクなどを見ていると、数学に強いのも納得?・・・そんな素晴らしい都市、一度見てみたいです。 / azzurri ( 2003-12-05 04:03 )

2003-12-03 【2003年スペイン旅行】 4/22 Madina Azahara


Cordobaの北西7キロほどの山間にある遺跡、Medina Azahara(メディナ・アサーラ)。夕方からのツアーで参加したのだが、ピックアップに来るバスが30分ほど遅れ、その為クローズ時間が迫り、後半は巻きが入っていた。

限られた時間の中で、しかも説明はスペイン語と英語のバイリンガル。雨も降っていて、あまり楽しい見学でなかったことは確かだ。ただ、ここは遺跡にまつわるエピソードがなかなか興味深いのだ。

19世紀半ばに発掘されたこの遺跡は、ウマイヤ王朝時代のアブデ・ラーマン3世が王妃アサーラの為に作った王宮の跡で、アラビア語でそのままズバリ「花の町」という意味。破壊されなければ、アルハンブラ宮殿など足元にも及ばないほど絢爛豪華な宮殿だったらしい。だが、復元作業の進み具合は随分とのんびりとした感じで、当時の繁栄を想像するのはかなり難しい。

ここは山の斜面にあわせて全体が三段に分かれて設計されている。上から近衛兵や宮殿を管理する役人たちのセクション、真ん中が宮殿、一番下がメスキータ(イスラム寺院)、マーケット、広場、動物園(!)などの公共施設、といった具合だ。

この宮殿を建築するに当たっては、400頭のラクダ、1,500頭のらば、10,000人の奴隷や職人たちを働かせて、25年かかったのだという。宮殿は大理石の柱の数が4,000本、扉の教が1,500枚。金や銀を多用し、王の部屋の金の天井からは、ビザンティン帝国皇帝から送られた鳩の卵ほどもある真珠玉、「干一夜物語」のアル・ラシード王が所有していたエメラルドの首飾り、現在はイギリス女王の王冠を飾っている巨大なルビーなどがつるされていたという。

外国からの来賓は、コルドバの町からメデイナ・アサーラまでの延々七キロの道のりに敷きつめられたカーペットに先ず驚かされ(そりゃ驚くわな...)、東西に1.5km、南北に750mという宮殿都市の規模に圧倒され、最後は山部の大理石、金、宝石に目を眩まされるという次第。太陽が差し込むように設計された謁見の間には、水銀をなみなみとたたえた大きな槽があり、奴隷がそれを揺すると客は本当に目を眩ます、という仕掛けもあったらしい。

しかし繁栄を誇ったウマイヤ王朝もアブデ・ラーマン三世の孫の代には、お家騒動から内部崩壊し、コルドバは無政府状態になってしまった。1010年、ベルベル人(北アフリカの先住民)の傭兵が宮殿を占拠し、火を放った際、暴徒と化した市民が押し寄せ、宮殿の財宝の略奪を行った、という。(最近、どこかで見聞きしたような話だ)

その後、「堕落したイスラムを元に戻せ」という大義名文をもったモロッコ王朝と、更にキリスト教徒軍によっても破壊活動が繰り返された。

セビリヤのヒラルダの塔や王宮、モロッコはマラケシュにそぴえるクトビアの塔、どれもメデイナ・アサーラから運び去られた材料で建てられたらしい。コルドバ旧市街の住宅地の一角にも、ここに使われていたものと断定できる柱や扉などがいくつもあるといわれる。

何ともやるせない気持ちになる。

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タイムスリップか...ドラえもんの登場を待たねば... / マイケル ( 2003-12-05 05:45 )
栄枯盛衰の極みですね、、、タイムスリップできるものなら、往時の繁栄ぶりを見てみたいものです。 / azzurri ( 2003-12-05 03:58 )

2003-06-18 【2003年スペイン旅行】 4/22 Julio Romero de Torres の展示を巡って


それにしても4/19にスペイン入りしたと言うのに、まだ日記上では4/22だ。
しかもこれからまだまだいっぱい書くことがあるのに...一体いつまでつづくのだこのシリーズは。

さてさて、今回は先述の Julio Romero de Torres の展示を巡って、Cordoba市内を縦横無尽に?歩き回った時のスナップショット。デジカメではなく、ビデオだったので、解像度が粗いのはご勘弁を...

Julio Romero de Torres の美術館前では、ちょうどこの展示会の様子を取材するテレビクルーに遭遇。絵の中から飛び出てきたようなアンダルシア美人が泉の前で絵のポーズを再現していました。この写真は撮影が終わった後のリラックスした感じのショットです。 (というか、声をかける勇気がなかったので他の人が撮影している後ろからちょこっと撮っただけ!)

別の展示会場近くでは、これまた他のテレビクルーと遭遇。テレビカメラを向けると、子供がピースサイン出しながら集まってくるのは何処の国も一緒。しまいには家庭用ビデオでその様子を撮影する僕の前にも人だかりが! その中の一人の少年が僕に向かって

「Chino!」(中国人!)と声をかける。
「No soy chino, soy japones!」

と一応行っては見るものの、アジア人を総称してそう呼んでいるようなところは否めないかも。

そういえば、ウルグアイのサッカー代表、レコバのニックネームは「chino」だというのを雑誌か何かの記事で読んだような気がする。まぁ、見えないことはないですが...

さて、ここの近くの展示を見ている時に凄く気になったことがありまして...

それは「匂い」です。

美術館の中で、とあるご婦人が近づいた時だけ、異常に匂うのでゴザイマス。

パリはあれだけ美しい街でありながら、犬の落し物をそのまま放置しておくことで悪名高いのですが、それはスペインでも一緒。このご婦人がその犬のう○こを踏んだことは賭けてもいいくらいなのです。せっかく上品に着飾っても台無しなのですが、これだけ匂うのに自覚症状がないのが僕なんかには信じられなかったのですが。

最後の写真は、公園で一休みした時に見つけた、たわわに実ったオレンジの樹。その辺の街路樹とか、パティオでもオレンジはたくさん見かけました。メスキータにもオレンジのパティオがあったなぁ。これ見て「食べたい」、って思うのはきっと僕だけじゃないよね!

先頭 表紙

さすがに人前で手を伸ばして採る勇気はなかったなぁ。 / マイケル ( 2003-06-27 16:54 )
オレンジは食べちゃダメなんですか? / azzurri ( 2003-06-20 15:02 )

2003-06-10 【2003年スペイン旅行】 4/22 Julio Romero de Torres


今回泊まった宿の近くに Plaza del Potro(ポトロ広場)という広場がある。「ドン・キホーテ」に登場し、作者セルバンテスも宿泊したという Posada del Potro(旅籠屋ポトロ−今は営業していない)がある。何でもセルバンテスの時代には泥棒やならず者が徘徊する物騒な場所だったらしいが、今は広場の名前にもなっている Potro(子馬)の像を乗せた噴水が中央にあるだけの、のどかな広場だ。

更に広場の東側には Museo Julio Romero de Torres(フリオ・ロメロ・デ・トーレス美術館)と Museo Provincial de Bellas Artes(県立美術館)が小さなパティオを共有しながら建っている。

今回ちょうど美術館の名前にもなっている20世紀初頭のCordoba 出身の画家、Julio Romero de Torres の大回顧展が行われていた。会場は市内7箇所に散らばっており、展示を巡ったことで、所謂旧市街のメスキータ付近以外を見ることが出来たのも貴重な体験だった。

実は夕方から郊外の遺跡を見るツアーを申し込んでいたのだが、それまでの時間を持て余していたので、そういう意味でも好都合だった。

浅黒い肌のコルドバ女性の美しさを描いた彼の作品は、どことなくノスタルジアも感じさせる。中にはマリー・ローランサンやミュシャといった同時代の作家の画風を感じさせるものもあり(特にコルトバのお祭りのポスターとか)なかなか面白い。

こう言った地元に密着した画家の絵はまず日本ではなかなかお目にかかれないだろうし、更に街を歩いているうちに絵に描かれている風景に出会う、と言うおまけも楽しい。

彼の画集を買って帰ろうと思ったのだが、美術館に在庫は1冊だけでかなりくたびれており、なおかつ目茶苦茶重たかったので断念。

先頭 表紙

プルーさん、確かにこうやって目の部分だけクローズアップするととてつもない力強さを感じますね。この画の全体を見ていた時には気づきませんでした。単なる「情熱的」を超えた「何か」が宿っていますね。 / マイケル ( 2003-06-11 14:02 )
この美術館を紹介するいいWebが見つかりました。ただし、いきなり音楽が流れるので要注意です。 / マイケル ( 2003-06-11 12:12 )
下の写真といいこれといい私の知らないスペインばかり。この絵の女性はスペイン人らしい情熱的な目をしてますね。それともObsession? / プルー ( 2003-06-11 09:14 )
その1冊がもう少しきれいだったら買っても良かったんですけど。amazonで調べてみても在庫切れのようなので、現地の本屋で調べておけば良かった、と今になって思います。 / マイケル ( 2003-06-10 11:35 )
旅先での画集、持って帰りたいけれど、いつも重さと戦うハメになってしまうんですよね。。。それにしても在庫が1冊って、、、 / azzurri ( 2003-06-10 10:05 )

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