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さくらもちの「無用日記」

実用じゃない楽しみが、いくつも

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2007-05-14 魔法の万年筆
2006-06-18 ヴァージニア・ウルフなんかこわくない? @シアター・コクーン
2006-04-07 Who's afraid of Virginia Woolf?
2006-01-09 女王蜂
2005-10-11 「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」その2
2005-10-09 「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」 その1
2005-01-21 Mの悲劇 第一回
2004-12-08 記念書き込み
2004-11-30 笑の大学 アネックス
2004-10-02 八つ墓村


2007-05-14 魔法の万年筆

 一年ぶりじゃないですか(すいません)

 PARCO劇場で5月12日、最後列で初日を見ました。いろんな言葉がみっしりと綾織になってて、綾織が波になって、波に乗ってををを!と終幕に着いてしまうような芝居でした。ご贔屓役者が出ているというのとまた別に、この先どうなるんだと舞台にひきずりこまれていけるというのはもう、言うことないです。

 ご贔屓についてですが、吾郎さんが舞台に立つとき、タッパもあるし、身体のバランスも最上だし、顔はもちろんだしで、二枚目としてまず見た目に問題がないという長所があるわけですが、彼の最大の武器はあの「声」です。高めに響いて甘さがあって、声が見た目どおりのキャラクターであるというのはまっこと得がたい長所ではないでしょうか。その「出し方」については、昨年の「ヴァージニア・ウルフなんか怖くない」のとき、舞台が客席に囲まれた特殊なスタイルだったという条件がより一層、そういう印象を抱かせたと思うのですが、声がのどにはねかえるのでなく、キレイに頭を抜けて、劇場中央の天井から反って来ていたんですよね。こういう声がもう出ちゃってんのか、こりゃすごいとちょっとショックを受けたほどでした。今回のパーカーはセリフも多くて(「ウルフ」のニックはあんまりしゃべってなかったし)、美声の快感だけでもおつりがきそう。映像ならではのキメの細かい芝居も最高と思うものですが、こんなよい声は、電子機器を通すと消えてしまう、声の外側のなにかわからない周波数みたいなものを持ってるものなんだそうで、劇場に行って、客席で、ナマで耳にする、という意味はすごくすごくあるわけなのです。

 「さよなら五つのカプチーノ」「謎の下宿人」「ホシに願いを」と、映像と舞台と交互に4作目となった鈴木聡作品で、まあ、今回が集大成かなあと思うところもあったのですが、「パーカー」には、こういう役を書くのかと驚きました。まだまだいろんな可能性がありそうですね、うーん深い。

 ベージュのトレンチコートに黒いソフト帽の姿、ベルトをぎゅっと絞ったラインはボガートみたいな再現ぶりで、そのあと着る黒のコートよりも大好き。純白のスーツに純白のソフト帽もホントかよというカッコよさでしたね。頭の小さい人なので、今まであまりうまく帽子をかぶったのを見たことなかったんですが、今回はとてもキレイにかぶってましたです。帽子のあれこれ(ツバの返り具合とか)ペン先みたいに微調整したのかしらん。

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BxosQJBoNYEuaplA / rbwoqkn ( 2016-02-05 10:20 )
myMoENSB / tmjhsk ( 2016-01-25 14:46 )
再見したら黒じゃなくて茶色よりのベージュだったじゃないか>ソフト帽 スタッフ欄は気がつきませんでしたけど、言われてなるほどのステキな帽子でした。 / さくらもち ( 2007-05-15 22:51 )
パンフレットのスタッフ欄に帽子担当の方のお名前が挙がってましたね。オーダーメイドで作ったのでしょうね。ニューオリンズ帰りの植民地スタイルはどーしましょ、という感じの伊達男ぶりでしたね。 / かねちゃん ( 2007-05-15 00:42 )

2006-06-18 ヴァージニア・ウルフなんかこわくない? @シアター・コクーン

あっという間に日本の舞台も始まりました。昨今、オペラもシェイクスピアも、時代背景を変えたりとか素直な上演はできにくい風潮ですし、60年代アメリカ東部を素直にやるのかなあ、やってほしいなと心配だったんですが、衣装や道具など、オーソドックスにできててなによりでした、というかロンドン版(というのはちょっと違うかなとも思うんですが、そもそもブロードウェイの再演版ですからね)のラインをほぼ踏襲していました。大竹しのぶさんがキャスリーン・ターナーとタメをはれる胸を見せたのが意外で(笑)あの衣装だけは違う感じになるかと思ってました。

日本は今回、劇場の中央に舞台を作って、客席が四方を囲む形。アチラ版はもちろん普通のステージで、奥から玄関、2階への階段、キッチンへの廊下、張り出し窓の読書コーナー、と作りこんでありまして、登場人物は中央のソファにたまってました。動きは日本版のほうが遥かに多い。アポロ劇場で、私が見た席は下手のはじだったのですが、ジョージがいつも下手から上手にむかってセリフを言うかたちになっていて、声が向こう側に飛んでしまうのですごく聞き取りにくかったのです。ジョージのセリフがメインといえる芝居なので、英語だっていうのに余計にどうしようだったのでした。ただ、舞台の密度はやっぱりさすがだし、構図にスキもなかったし、日本のほうでは全方向舞台でどうやってこの芝居をやるのか想像もつかなかったのですが、今回の演出はもう、感心するばかりでした。あと、夜の時間の感覚も、日本の舞台のほうがより強く感じました。壁が明るく照らされているのではなくて、視界の向こう側にも客席があって、そこが闇に包まれているし、出てくるときも闇の中から浮かび上がって来ますから、夜の暗い廊下から明るい室内に入ってくる感じが強くでるのでしょうか。

第二幕は「ヴァルプルギス・ナハト」という副題がついてまして、そこの感じは日本の勝ちだったんでは。もうその混沌と退廃ぶりが凄い。段田、稲垣の男優ふたりが陰性の色気を持ち合わせているのが大きいのかしら。ロンドンで見てきたのと非常にイメージの違うひと幕になってました。不健康すぎるかもしれないけど、でも副題がこうなんだから、作者のもともとのイメージはもともと退廃な感覚はあったのだろうかと。

戯曲の内容に含まれている色々な問題もさることながら、やっぱりあらためて劇場というものがよくわかって書かれているなあと。色々なエピソードが出ては消え、からみあうんですが、一つ一つのエピソードにかける時間が適当で、無駄に長いなあとか説明足りなすぎというところがないのが、ウマい作品だなあと改めて思います。そしてそんな傑作を、声のトーンのきれいに揃った4人で、言葉の洪水を苦にせずじっくり楽しめるという、そういう舞台に通えて(通っているのか自分)幸せな6月です。

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こんな劇評を活字で見たかったし、みんなに読ませてあげたいです。 / サイトー ( 2006-06-18 18:09 )
酒と煙草と混沌の夜が明けて、朝日(のライト)がサッと射しこんでくる時のしらじらとした雰囲気がたまらないです。ない英語力ふりしぼって戯曲と取っ組んでます。 / かねちゃん ( 2006-06-18 17:22 )

2006-04-07 Who's afraid of Virginia Woolf?

 生まれてはじめて行ったロンドンで、上演中でした。着いた翌日に昼はバレエ「ロミオとジュリエット」を見てましたので、劇場にもぐりこんだものの、二幕までで帰りました。

エドワード・オールビー作 ヴァージニア・ウルフなんて怖くない?

 演出 アンソニー・ペイジ
 出演 キャスリーン・ターナー ビル・アーウィン
    ミレイユ・イーノス  デビッド・ハーバー

 4月1日 ロンドン アポロ劇場

 3階の見切れの席。舞台の下手半分は見えず、客席へは普通の入り口でなく、歌舞伎座の幕見へ上がる階段とそっくりな急な階段を上がって入りました。差別的(笑)なつくりは古い劇場だから(100年ちょっとたっているらしい)なんでしょうか。黄金の装飾、豪華な天井画というクラシックなつくりでした。

 「皆様ようこそ。携帯電話の電源は切ってね。切ったなーと思っても、三回確かめてくださいね。あと、お菓子を持っている人は、はじまる前に紙をむいておくように!」というアナウンスにいきなり劇場がウケていました。(アメの紙とか、「ぱりっ」という音がやたら響くことがありますわね)

 吾郎さんが6月に出演するとわかってすぐ、翻訳を探して読んでいたのですが、あと映画はまだ見てないんですが、想像していたのとまったく違う展開でした。こんなに爆笑につぐ爆笑の戯曲だとは思ってませんでした。いちやりとりにいち爆笑、というほどで、話は知っててももちろん笑えないワタシは辛い思いをしましたが、でも芝居としてのリズムのよさにひきこまれて、退屈しなかった。

 一杯セットで4人だけ、しかけもなにもない、会話だけの展開でも、閉鎖感がなく、たたみかけるような展開のうまさ、四人でずっぱりではなくて、一人がひっこんだり、二人いなくなったり、また戻ってきたりと、人の出し入れが場面のリズムを作っていて、そのタイミングが絶妙にうまいのです。よくできた戯曲とはこんなもんなんですねえ、作者のいいたいことだけいってるのでなく、観客の生理をよく知ってるなあと。だんだんあぶりだされていく真実、さあこれから!というとこでメゲて帰ってしまったんですが、まあ続きは日本で。

 えー、とりあえず吾郎さんのやるニック、二幕までは五分くらいひっこんでいた時間があったかな?というくらいずっと舞台にいます。本で読んだとき期待していた、ジョージとニックの男二人の会話、これが面白かった、客席が一番笑いのうずになったシーンでした。身体的にとてもめぐまれた男で、頭も若干筋肉度が高く、それゆえにジョージにつっこまれまくり、という感じだったのですけど、吾郎さんがやったらどうなるんですかねえ、生物学の大学講師という設定なんで、もうちょっと知的でもいいと思うんですが。衣装はボストンカジュアル風味のスーツでした。しどころの多い役で、もうすんごい楽しみでございます。

とりあえず今日はここまで、続きは(もしかしたら)また書きます〜

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ぜひ『日本版』を踏まえてこの続きをお願いいたします! / かねちゃん ( 2006-06-06 23:28 )
お借りした本、読んでますー。酔っ払い男女の汚い言葉の応酬…なんですけれど、面白い!これは楽しみですね。 / りり ( 2006-05-03 16:32 )
うを、発見はやい(笑) ロンドンの本屋さんで戯曲もみつけて買ってきましたよん / さくらもち ( 2006-04-08 00:00 )
お帰りなさいませー。今月号のシアターガイド『ウエストエンド今月オススメ!』に出ております。うーん、やっぱり楽しみです。来週はいよいよ争奪戦開始ですね。 / かねちゃん ( 2006-04-07 23:13 )

2006-01-09 女王蜂

 クラシックミステリの映像化の魅力っていうのは、道具立て場所立ての、今とは違う世界を楽しむところが多分にあるのであって、星・稲垣金田一ならではの「美ステリー」でございました、「女王蜂」。CGもかなり使っているのだろうけど、テレビドラマなのにとても贅沢なつくりで、まあ、楽しかったことでした。こういうのって、時計台の歯車とか、扉のかんぬきとか、はてはキャンディーの包み紙ひとつでも、質感が違うと「駄目じゃないか」」な気分になってしまうもの。こんなひとつの異世界をつくるのに、監督さんの感覚はすごく重要なので、星監督の本領発揮なこんな作品が登場してくるのは、視聴者的にとても幸運なのではないかと。

 吾郎さんファンになってかなりたちますけど、今こうしてゴシックロマン真っ只中で名探偵を演じる姿っていうのも、俳優ファンとしてこんなのが見たいなあと常々言っていたものがかなっているわけで、そのへんも嬉しいし、本人の資質についてそうそう見当違いな希望を持ってたわけではなかったのねと充実感(笑)の今日このごろでございます。まあ、ホントは衣装もとっかえひっかえしてくれるともっといいわけですが、マントがこれほど無駄にひるがえってくれれば文句はありませんね。遠景の立ち姿にも、想像をかきたてる存在感があってさすがでした。

 時計台は期待どおりでしたが、歌舞伎座のシーンのできばえがとてもよく、幕間の華やぎがよく、追いかけっこがテンポよく楽しく、舞台も妹背山の道行をやってくれてちょっと嬉しく、階段ですれちがう智子と衣笠殿下なんかもよかったですねえ。「八つ墓村」の鍾乳洞のシーンでも思いましたけど、星監督は追いかけっこを撮るのがウマイです、ちょっと意外。

 なんといってもヒロインがお美しく、衣笠殿下の風情(おんごふぜい、と言いたい)、多門さんは、演じている役者さんがこういう世界の描き方をよく知っているなあという見せ方で、思ったよりしどころはなかったけれどさすが。

 星護、佐藤嗣麻子、稲田秀樹プロデューサー、稲垣ファンとして色々長く見てきた方々の手によるこの作品、ひとつの到達点にきたかなあなどと感慨深い(誰だ自分)ものがありました、はい。

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美しい虚構の世界をこれだけ堪能させてくれるソフトがいまどれだけあるでしょうか?(いやない)って感じです。横溝ヲタクとしてはいつも脚本の妙にも感心しきりなのです。 / かねちゃん ( 2006-01-12 23:42 )
妹背山もまったりゴシック感があるような・・ 橘姫がでてきたときは「をを」と思いましたです。しかし見直せば見直すほど、すべての画面が大好きですわ。 / さくらもち ( 2006-01-12 20:23 )
映像美!でしたね〜。劇中劇は「ひょっとして妹背山?」と思っていたら当たっていて嬉しかったです。 / りり ( 2006-01-11 07:14 )

2005-10-11 「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」その2

 凄いドラマでございましたー。一見原作どおりのナレーションで淡々とすすめていくようでいて、映像はあっぱれ唖然の贅沢ぶり(あのヘリコプターは何?)で、その贅沢に足をとられず、じっくり芝居をさせつつ手さばきのキレもよく、タダで見られるテレビドラマでこんなのありか?というような良作でした。待った甲斐がございました。

 第一声「さようなら」でもう泣けてしまったのですが、途中から吾郎さんのお芝居をたっぷり見られるヨロコビの涙もちょっと入ってきたかもしれない。沢村先生として、患者を見つめる目の優しいお医者さんなんだけど、最初のころの理想に燃えて優しいまなざしと、自分の余命を知っている医師の優しいまなざしとが演じ分けられていたりとか、起伏が激しい話だけど、でも透明感を保たなければならないというこの主人公に本当にぴったりでした。

 全体を通して夫婦の場面が多くて、稲垣・紺野ふたりの夫婦らしいやりとりも上手かったです。家の会話のシーン、一緒に月食を見るシーン、恋人ではなく若夫婦である、というのがよくわかって、このあたりの機微がすばらしかった。最後の語り合いのシーンはBGMいっさい無しの大勝負でなんとも圧巻。その前の父親とのやりとりから息苦しいほどでした。父子の会話は、見ているときも凄いと思ったけれど、そのシーンの冒頭に血圧が70、といっていることに思い当たると、医師の父子なら、その数字がどういう意味を持つかがわかるはずで、そうするとより凄い意味をもつ会話になるんですね。

 着物姿が多くて嬉しかったでした。よく似合う♪ その3に(たぶん)続く

つっこみ 先頭 表紙

はじめまして。今回のドラマはずっしりとこたえて言葉にできないでおります。ああ、そうだったのか・・・と思ってその1、その2を読んでおりました。 その3を楽しみにしております。 / 司 ( 2005-10-24 23:40 )
夫婦のシーンは予告などで見てて心の準備があったんですが、父子のシーンでは机に涙がぽとぽと落ちました。…ふいうちなんですもん。 / かねちゃん ( 2005-10-11 22:41 )

2005-10-09 「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」 その1

 どっと間をあけてしまって、本編の前に、書き込めるかどうか不安でアップしてみようということで。

 今朝の「忘文」で「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」の一部が朗読されて、あえなくももう泣けてしまったのでありました。
 
「飛鳥」は第一次ブーム(?)のときも知っていて、映画は見なかったけれど、NHKスペシャルで宇野重吉さんが朗読した番組はよく覚えていました。あのころは柳田邦夫さんが、著作でも、NHKの番組などでも、ガン患者をとりあげることが多く、その中でも紹介されていたと思います。当時の柳田さんのガン関係の本は、父が買ってきて一緒に読むことが多くて、先年父はガンで亡くなったのですが、発病から経過をたどる中で、なんとなく父とは共通の認識があって、多くを言わずともわかりあえるところがあったのは、ひょっとしてこの頃同じ本を読んでいたからなのかもしれません。

 今回吾郎さんが主演ということで、改めて読み直しまして、ガンの治療は当時とはだいぶ変わっているけれど、古びたところがなくて、瑞々しく清潔な文章に心惹かれました。テレビ誌などの記事で、プロデューサーの方が「朗読だけでもよかった」とまで言っているのを見ましたが、今朝の忘文でしみじみそれを感じたものでした。とくにテレビ化の場合、原作のおもかげがアトカタもなく別ものに仕上がることも多いですけど、今回はそういった心配はなさそうというか、もとの作品に「献身的」といえるような、テレビドラマとしてはちょっと異例の作品になっているかもと期待しております。

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異常だって。以上ですね、なんか動揺していますね、わたしたち / さくらもち ( 2005-10-10 13:44 )
ホント不安ですよー 「ミリオン・ダラー・ベイビー」以来かそれ異常の爆泣きになりそうです / さくらもち ( 2005-10-10 13:43 )
↓最多は、って(汗)意味不明なミスタッチです。 / かねちゃん ( 2005-10-09 21:46 )
朝からそれはそれは泣いてしまいました。最多はどうなっちゃうんだろうねえ、と明日は夜9時までにすませることは全部済ませようと画策しています。 / かねちゃん ( 2005-10-09 21:44 )

2005-01-21 Mの悲劇 第一回

 俳優さんがいろいろな芝居をするのを楽しみたい場合どういう役がらで見たらいいかというと、追い詰める側より追い詰められる側なのでありましょう。というわけで主人公がいろんな目にあって、焦って慌てて驚いてがっくり来ててとそれはさまざまに面白くて、連続ドラマだからこれをあと何回も見られるかと思うと大変嬉しい。

 かなり酷い話なんだけど、こんな話をあまり正面から日常のテレビで・・という遠慮のせいか、イタタマレナイような状況でもちょっと斜めから見たような、誇張とずらしのトーンが、とくに主人公まわりの演出に多くて、実はあまり素直でない作りになっているドラマみたい。一本調子の平面路線じゃないところが好きです。

 ヒロインもいいですね、こういう黒い服を着て、髪が波打ってて「ふふふ」なんていってる美女は目の保養。とはいえコワい顔しているだけだとつまらないけれど、発端の「助けてください」の声と、衛の姿を認めてはっとするところ、「助けられたことはありません」という一言に新たに決意を固めるところ、となるほど話のタネはちゃんとわかって、美女の奥行きになっているのだった。こっちはオーソドックスな演出で、うまいバランスになってると思いました。

 「笑の大学」は映画館に行くと男性客の比率の高さにいっつも驚いてしまったのだけど、このドラマもそんな感じになってる気がしますでした。

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公式でも男の方の書き込みが目立ちますね。自分のことのように見てらっしゃる方が結構いて(笑)。早めの謎解きのあと、今後どう最後まで繋げていくのか、とてもとても興味深く視聴しています。 / おとと ( 2005-01-31 23:46 )

2004-12-08 記念書き込み

 2年くらい前、このお店は吾郎ちゃんがよく来るところだそうだと出かけていって、首尾よく吾郎さんが来ているところを見かけたことがありました。そのとき吾郎さんを見た印象というのが、すごく「物書き」の風情のある人だなあというもので、彼の書くエッセイの雰囲気がそのままそこに座っているような感じだったのでした。文学部の大学院生みたいでもあって、昼さがりのショボい教授室に教授を訪ねていくと、助手の院生さんがすーっと出てくる、見た目がいいけど気難しそうな院生さん、そんな感じがぴったりするなと、本棚があってちょっと暗いその部屋の雰囲気まで想像してしまったりしたのでした。

「笑の大学」の椿一のキャスティングにあたって、三谷幸喜サンが「作家のオーラのある人」と吾郎さんを評したのや、テレビ番組で同席していた作家の谷村志穂サンが、突如として吾郎さんのことを「活字を読んでいる雰囲気がある人」と強調していたりしたのを見ると、そのときの私が抱いた印象は、そうそうズレてはいなかったのではないかしらと思う昨今であります。

 先日東京国際映画祭の舞台挨拶では、はじめてナマで見た役所広司サンの凄い色気にタマげて(ほんとびっくりした)、となりの吾郎さんは細身の顔の彫りも深く、喋っていないときの佇まいがやっぱり内向きというか、立ってるだけでなにか分析しているような、ついでにそういうのに頭の中で枝葉をつけてひろげているんじゃなかろうかというような、前に見た文学青年の印象をより複雑したような雰囲気でありました。

 去年の「謎の下宿人」で町田くんが言っていた「イメージしてました」というセリフ、作者の鈴木聡氏が素の吾郎さんを見て作ったキーワードなんだろうなと、そこで近頃思い当たるのであります。なんかなあ、面と向かって喋ってる相手が、脳内で色々分析したりイメージ膨らませたりしているなあ、と思うのって凄く妙なもんだと思うんですが、鈴木サンはそこが面白くて、ああいう町田くんのキャラクターを作ったのじゃないでしょうか。

 日本で、とくにテレビドラマの世界からは、そういう内向きの資質のある俳優さんというのはあまり出てこないので、吾郎さんがそういう資質をもって今活躍しているのはなかなか珍しい例ではないかと思うのです。彼の芝居がスクリーンや舞台ですんなりと広がっていけるのは、その内向きの資質があればこそなんだろうけど、アイドルグループだったりのキャリアからして、どうしてこういう人が出てきたのかけっこう不思議だったりもする。そんなこんなで見極めづらくもあった俳優としての彼が、三十すぎて方向が極まってきたみたいだし、これからもお芝居を見るのが楽しみでございます。

先頭 表紙

オフの時の、吾郎さんの期待を裏切らない文学青年の風情(というか、かるちぇらたん風文学青年という表現もさくらもち様の語録にあったように記憶していますが)ますます私を有頂天にさせ、国際映画祭などで白いスーツを着てピカピカの笑顔での挨拶などのギャップもまた私にとってはたまらないものでもあります。これからが本当に楽しみですね。 / サイトー ( 2004-12-09 21:32 )

2004-11-30 笑の大学 アネックス

「笑の大学」の椿一のモデルになったという、菊谷栄。宝塚好きなので菊田一夫は知っていたのですが、菊谷さんの名前は知りませんでした。「両菊」といわれたと聞いてへええ、でした。

 菊谷さんはもちろん喜劇作家としてとりあげられることが多いのでしょうが、かれこれひと月前、テレビであった映画の宣伝番組の中で、彼の残した脚本として「リオ・リタ」と「陽気な中尉さん」という二冊が出てきまして、これは当時封切られたミュージカル映画をネタにした作品ではないでしょうか。とくに「陽気な中尉さん」は、モーリス・シュヴァリエ主演のものが原作ではないかと。私はこれを、宝塚で白井鐡造が舞台にしたのを見たことがあるのですね。おぼこなお姫さまがプレイボーイの軍人さんと結婚することになるのだけど、野暮な女の子を彼は相手にしてくれない。思い余ったお姫さまは、軍人さんの愛人に教えを請いにいき、見事垢抜けたレディに変身してめでたしめでたし、という「まじっすか」な話でした。番組ではアナウンサーの笠井さんが「時局にあわせた題材でしょうか・・」みたいなことを言ってましたけど、たぶんこっちの話だろう。笠井アナは宝塚ファンのはずなんですが、古すぎてご存知じゃなかったんですね、きっと。ちなみに宝塚で上演したときの題名は「ラブ・パレード」になっていて、これには同名の別ネタの映画があるんでちょっとややこしい話なのでした。

「笑の大学」のパンフレットにも、レビューシーンの演出をしている写真や、松竹少女歌劇の素敵なプログラムが出ていたりして、菊谷氏は「レヴュウ」の作家という面もかなり強かったのではないかと思われるのです。ニッポン・ジャズエイジ発掘隊による、作品の音楽付き復元の試みも以前にあったようですが。面白そうですねえ・・。

 白井鐡造作品は片鱗くらいは見られましたし、「すみれの花咲く頃」をはじめとする、アチラのメロディーにそれは美しい日本語をのせた歌はちゃんと残っています。白井レビューの全盛期を見てみたかった憧れが非常にあるのですが、菊谷レビューはどんなだったのだろう、西の宝塚、東の浅草で競い合っていたのでしょうか、同ネタ(笑)で競作になったこともあるのかもしれない。華麗・叙情性豊かな白井レビューと比べて、菊谷レビューはお洒落で大人っぽい雰囲気だったのかなあ・・などと思いもはせる秋の夜長、いやもう冬か、なのでありました。

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遺品にガーシュウィンやサッチモのレコードがあったと聞いて「なんとカッコイイ」と思ってしまいましたです。ところで、私はあまり宝塚と縁なくきてますが、好きな作家が宝塚をこよなく愛する人ばっかりということに最近気づきました。(だから何なんだ、ですが) / かねちゃん ( 2004-12-04 22:26 )

2004-10-02 八つ墓村

 三年前、新橋演舞場の「疾風のごとく」、若村麻由美をはじめて舞台で見て、芝居の鋭さとクールビューティーぶりにすっかり惚れこんでしまった。吾郎さんと似合いそうだしいつか組んでほしいと思っていたら、「八つ墓村」で実現した。謎ときのシーン、薄いカーテンごしのやりとりは結構でございましたねえ、今回だけと言わず、舞台でも・・とますます欲が出るではないですか。

 今回の呼びもの、洞窟の追いかけシーンがよくできていて、星監督の好調さがわかるというもの。金田一さんの洞窟滞在時間がちょっと短かったのが残念か、とてもよく似合っていただけに。あの声が反射するのもいいものでした。

 するすると流れていく物語(佐藤嗣麻子さんの脚本がウマい)を、巧緻な挿絵つきで見ていくような雰囲気で、絵面からはなぜかヴィクトリア朝の英国を日本に移し変えたような風情を感じる。このシリーズの特徴になった、横溝先生と「コウさん」のやりとりに、ワトソン先生とホームズを重ねあわせて見ているのは私だけではないでしょう。

 金田一耕助はたたずまいが一段とよくなって、細身なのに画面の中で大きく見える。横溝邸を尋ねてきて、玄関先でマントの滴を払うところ、犬神家の一族の単行本にフケがはらはらと落ちるところ、格子から橘署長と並んで顔を出しているところ、ちょっとずつ長すぎるショットにしてあって、そこんとこにそこはかとなく醸し出すシュールな気分、それも全部ひきうけて稲垣金田一って存在しているのでありましょうか。ストーリーは明快に捌いてありましたけど、金田一に関して、、星監督の見取り図は複雑なのかも。

 とりみきの「猫田一金五郎の冒険」 偶然なんでしょうけど、それにしてもよく似てるよと思いました、蛇足。

先頭 表紙

脚本は神の業でしたねえー / さくらもち ( 2004-10-03 16:05 )
脚本よかったですねー。思わず日記に書いてしまいました。 / かねちゃん@横溝ファン歴30年? ( 2004-10-03 00:02 )

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