体調の変化をひしひしと感じ取る事が多くなってきたお年頃になりました。
先日、小学校時代の同級生チェ・ジウ(仮名)が来訪し
ガッツリ喋り倒して行きました。
保育園は別だったので
初めてであったのが小学校の入学式の日です。
私が出席番号13番で
チェ・ジウが14番で
前後に席を並べたのがきっかけ。
まさかオバちゃんになっても
こんな風に話すぐらいに縁が続くとか…
想像もつかんかった事です。
息子、娘の違いはあれど
お互いに一人っ子の親で
それも一歳違いなので親として
子に対する思いも共通の話題として盛り上がる。
また二人とも父親を見送っており
気になる母親の老いに向き合っている。
体調の変化とともに
自立していこうとしている我が子
邪魔にならんように応援しつつ
親にも心配掛けず大きな器で会えるように…
人生の折り返し、復路をどう過ごすか。
終活について考える。
遺影にしても良い写真を準備しておかねばねってチェジウが言う。
証明写真見たいのしか無かったら嫌やんって
「お父さんの写真をたまに見るんやけどさ
証明写真っぽいのって表情が悲しいのか怒ってんのかって
まぁ、自分の心情もあるんだろうけどいろいろ考えてしまうんよね。
だからさー、残された人が見たときに
大丈夫!心配無い!って思えるように笑ってる写真が良いなーって思うんよ」
ってさ、とても納得。
私の父親が亡くなった時
葬儀までのバタバタした時間の中で選んだ写真は
私たち子どもが選んだものではなくて
最終的に母がこれが一番お父さんらしいとか言って選んだ。
えぇ〜〜?って内心思ったんだ。
お父さんらしいか?
お父さんらしい写真はコッチやろーって別のをw
恐らく姉も、弟も…それぞれ違う気持ちあったんじゃないかな
確認してないけど。
で、葬儀が終わってしばらく経ってから母がポツリと言った。
「やっぱりこの写真じゃなかったら良かったかも。なんか泣いている風に見えて…」と
心の中で「ほらーーー!!だからーーー!!」って叫んださw
今じゃ、アプリで美肌にも小顔にもできるし
おばちゃんが自撮りってどうなん?って気持ちが無いと言えば嘘になるが
確かに撮っておくのも良いかな〜と思った。
SNSにペットや料理の写真ばかりアップしているのは
日本人独特なのだとか?
外国人は、あくまで自分が主人公で
料理を写したとしても食べようとしている自分とか
ペットを抱く自分とか…
自分をアピールしない日本人は外国人にとっては不思議らしい。
SNSに当たり前のように自分の写真をアップしている今の若者たちは
自分らしい遺影には困らんのだろうなーとか…変な事を考えていた。
今日は子どもの日。
昔は嫌いだった。
昔っていっても子どものころじゃなくて
大人になってからの子どもの日。
たぶん昔、ここにも書いた。
毎年子どもの数が減少しているというニュースが必ず報じられる。
一人しか産んでいない、産めなかった自分が責められているような気がして
いつも嫌な気分になっていた。
そういうのも被害妄想だったな〜と思えるぐらい
年齢を重ねたらしい。
終活も考えるわなぁ…。 |