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口車大王「旅のおもひで」

 
口車大王の、旅行で遭遇したことなどを。。。

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2004-11-11 [Czech]トラバント
2004-11-07 [Czech]10月16日の晩ご飯
2004-11-04 [Czech]こんな感じで会議してます
2004-11-03 [Czech]10月15日の晩ご飯
2004-11-01 [Czech]洪水の傷跡
2004-11-01 [Czech]今日のお昼はイタリアン
2004-06-21 [Czech]路面電車
2004-06-13 [Czech]カレル橋まで その5
2004-06-06 [Czech]カレル橋まで その4
2004-05-31 [Czech]カレル橋まで その3


2004-11-11 [Czech]トラバント


 レストランを出てホテルまで戻ってくる道筋の途中で、珍しい車を見つけた。DDR(東ドイツ)製のトラバントである。

 ベルリンの壁がなくなるまで、東欧諸国ではそこら中走り回っていた。しかし、今やプラハでも実際に走っている車を全く見ない。もっとも生産中止から10年以上も経っているせいもある。

 東独の国民車として300万台作られたが、同じドイツでも西ドイツではメルセデス・ベンツやポルシェのような高級車を生産していたことを思うと、この落差はすごかった。「とりあえず、動けばよい。」という程度の車であった。

 ポーランドにいた時、クラコフ及びオフィシエンチム(アウシュビッツ)まで往復500キロトラバントのタクシーで旅行したことがある。2ドアでタクシーである!空冷エンジン独特のバタバタという音で少々やかましかったが、以外と乗り心地が良かったのには驚いた。2泊3日の旅行でタクシーをチャーターして、ガイドしてもらって100USドル(当時1ドル200円)であった。レンタカーを借りるとそれより高かったという、信じられない世界だった。

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kyoさま、そうですね。考えてみれば日本も特殊な国です。なお、ストックホルムのレストランでも水が最初にだまってただで出されました。ペットボトルの水は、私はあまったのもらってきていました(^^;)。 / 口車大王2号 ( 2004-12-01 09:37 )
喫茶店でコーヒーよりビールの方が安いなんて驚いてしまいます。でも日本ではお水が普通にもらえるし、国によっていろいろなんですね。お水といえば、会議の時のみなさんの机に置かれているペットボトルのお水、あれは会議が終ったら持ち帰るんですか? / kyo ( 2004-11-23 23:05 )
ばぁびぃさま、ありがとうございます。手ぶれしまくっているのを、なんとかごまかしています。 / 口車大王2号 ( 2004-11-14 23:22 )
海外に一度も行った事のない私です。教会の画像、とても綺麗ですね〜。 / ばぁびぃ ( 2004-11-14 21:41 )
すみおさま、さっそくのつっこみありがとうございます。プラハは、また行きたいです。ビールも安くてうまいし。 / 口車大王2号 ( 2004-11-14 18:25 )
私も5年くらい前にチェコに行きました。 懐かしいです。本当にきれいな町ですね。。 / すみお ひろし ( 2004-11-14 13:29 )

2004-11-07 [Czech]10月16日の晩ご飯


 10月16日の晩ご飯は、昼に入り損ねた規格協会近所のレストランに二人で行って見た。入り口は狭いが、奥は広くなっていて、趣のあるレストランである。そしておいしくて値段も手頃、繁盛するわけである。

 相席となった中段左の女性はブルガリア人である。仕事でプラハに来ている。ビールを軽くいっぱい飲んで引き上げていった。入れ違いに左隣のテーブルに地元の5人のグループが入ってきた。プラハで初めて英語が出来ない人達と会った。かつてはこれが当たり前だったのであるが、変われば変わるものだ。我々にチェコ語で「チーノ(中国人)か。」と聞いてきて「日本(ヤポン)」と返事をすると、本当にすまなそうに謝ってきた。彼らはなんとか会話をしようと「ドイツ語ができるか?」とか聞いてきたのだが、残念ながら当方ドイツ語はできない。チェコ語に近いところでポーランド語は片言できるが、それでなんとか手振り身振りを交えてなんとか簡単な会話を交わす。ちょなみに「ヤポン」はポーランド語である。

 さらに、写真はないが相席で目の前に東洋系のど派手な服装のおじさんが座った。日本人ではないしいったいどこの国の人だろうと思っていたら、向こうから声を掛けてきた。聞くと、彼は香港人で香港マカオの自動車レースの主催者の副会長であるという。彼は彼で、我々のことを韓国人だと思ったそうな。うーん、我々は典型的な日本人ではないのかな。プラハには中国人が多いのでチェコ人が中国人と間違えるのはわかるが。

 そして、ここでももちろんビールである。乾杯!

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こっしーさま、中国人は華僑として昔から世界中にちらばっていますからね。ただ、西ヨーロッパの大都市では日本人と言われる方が多いですね。私も、パリで韓国人からいきなりい韓国語で話しかけられたことがあります。 / 口車大王2号 ( 2004-12-01 09:42 )
お久しぶりです。あっしがスペインに行ったときはベルリンの壁がまだあった頃で、日本人はほとんど居ませんでした。生まれて初めて東洋人を生で見たと言う人もたくさんいましたし、現地の人からは中国人? と聞かれました。東洋の国と言うと中国くらいしか思い浮かばないのだそうです。←当時は。また、韓国人からよく韓国語で話かけられ、結局お互いに通じる言語がスペイン語しかなく、隣国だと言うのに遠い国の言葉で会話をしたのを思い出します。 / こっしー ( 2004-11-27 13:04 )

2004-11-04 [Czech]こんな感じで会議してます


 会議は図記号やドキュメンテーションの規格を決める会議なのであるが、こんな感じで会議が行われている。チェコ規格協会の建物も大きな被害を受けたが、2か月後の会議開催に良くこぎ着けたものである。上から3枚は10月16日の会議、残りの3枚は17日の会議の写真である。真ん中右の人物はチェコ規格協会の会長である。右下の写真の二人は今回の会議でリタイアする二人で、右側がオランダ代表、左側がフィンランド代表で30年にわたって委員を務めた人である。

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2004-11-03 [Czech]10月15日の晩ご飯


 プラハのレストランはおいしくないと事前に聞いていたのだが、それは鉄のカーテンが閉じていた頃の残滓のようである。ビロード革命から13年、急速に状況は変わり、会議しているオフィスの近くにはレストランがいっぱいいあり、しかも美味しくて安い。かつて、鉄のカーテンの向こう側のポーランドにいて、当時の状況を知っているだけに感慨ひとしおである。

 15日の晩ご飯はオフィスから宿泊先の途中にあるレストランに入った。この辺りも水害の大きな被害を受けた辺りであるが、このレストランは水害の痕跡ももうなく、完全に復活していた。水害から2か月、これだけ早く復旧するということは、チェコが豊かな国になったという証拠でもあろう。

 料理は、ポーランドの料理と良く似ている。出てくる料理の色は濃く味も濃そうに見えるのだが、以外と味は淡泊である。また、チェコでも米は良く使うようだ。これにチェコのビール。チェコはワインもなかなか良いのだが、やはりビールを頼んでしまう。ビールは本当に安い。喫茶店などでは、コーヒー一杯150円に対してビール一杯なんと120円である!

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つっち〜さま、なかなか日本人の口に合う味付けでしたよ。チェコは、ビール好きにはたまらんです。 / 口車大王2号 ( 2004-11-04 00:14 )
外国の料理ってあまり食べたことないんですが。。(中華を除く  画像の料理、美味しそうですねぇ!!しかしビ〜ルが¥120とは安い!いいっすねぇ〜 / ★つっち〜★ ( 2004-11-03 18:01 )

2004-11-01 [Czech]洪水の傷跡


 今年(2004年)は、日本各地過去最多の台風被害に遭い、駄目押しで新潟で地震である。台風被害で長岡市や豊岡市は水浸しとなった。プラハも訪れた年(2002年)の8月、市内を流れるブルダヴァ川が氾濫し、大きな被害を受けた。プラハを訪れたのは10月で2か月経っていたが、まだ街中のあちらこちらに洪水の傷跡は残っていた。地下鉄もまだ止まったままである。

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2004-11-01 [Czech]今日のお昼はイタリアン


 随分間があいてしまった。

 15日のお昼はイタリア料理屋で食事と相成った。かつて鉄のカーテン健在な頃、ワルシャワで外国料理屋なんて望むべくもなかった。「上海飯店」という、ネオンサインの立派なレストランはあったが、中国人調理人はゼロ、中華料理とは似ても似つかぬ料理が出てきた。おそらく、プラハもかつては同じような状況だったと思う。それが今では日本料理を含め、色々な国の料理が食べられる。

 レストランのエクステリア(外観)は、プラハの一般的なレストランと異なり、かなりポップである。インテリアも同様。テーブルクロスの色だけで随分明るい雰囲気になる。メニューは以外と選択肢が多く、悩んでしまう。わが輩は、スパゲッティを頼んだ。飲物は、皆さんもちろんビール!

 ここの料理もなかなか美味である。

 最後は、人数分作ってもらったレシートを配付しておしまい。この辺、万国共通である。

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2004-06-21 [Czech]路面電車


 2002年10月15日。今日も朝から1日会議である。

 プラハは市内を網の目のように路面電車が走っている。今回宿泊したホテルを選んだ理由のひとつは、路面電車の停留所のすぐ近所だったことがある。朝、一番電車の音で目が覚める。

 実は、チェコにはタトラという有名な路面電車のメーカーがあり、旧ソビエト連邦を含み旧共産圏諸国に車両を輸出していた。クリームに赤いボディの丸顔の旧型車両は、不思議とプラハの町並みに合う。最近は新型車両も走っているが、旧型の丸顔の電車もまだまだ健在だ。

 前述したように、東欧の都市ではどこでもタトラの路面電車が見られる。例えばワルシャワの市内を走っているわけで、かつて共産主義政権の頃にポーランドに滞在した筆者にとっては、懐かしさを感じさせる路面電車でもある。

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チチロー様、ウィーンの路面電車も有名ですね。東欧諸国は、ほぼどこの国の首都にも路面電車が走っています。 / 口車大王2号 ( 2004-11-01 10:06 )
プラハは行ったことがないのですが、ウイーンの路面電車も風情がありました。 / チチロー ( 2004-06-22 00:39 )

2004-06-13 [Czech]カレル橋まで その5


 食事の後同行者とは分かれ、コンサートの呼び込みで入り口でトランペットを吹いていたカレル橋のたもとの教会の、この日のコンサートを聞くことにする。本日の演目を見ると、パイプオルガンをバックにしたアリア集である。日本ではあまり聴かれない曲であるし、歌手とパイプオルガンという組み合わせもまずない。これは、是非聞いてみるしかない。

 入り口で料金を聞くと日本円で2000円ほどであろうか。共産主義の時代に比べれが格段に高くなったであろうが、それでも日本でのコンサートに比べればはるかにお手軽である。そのかわりプログラムも粗末で、チラシ1枚である。その後何ヶ所かプラハではコンサートに行ったが、プラハのコンサートはこのような形式が定着しているようである。

 もちろん、チェコはスメタナやドボルザークといった大作曲家を排出した国であり、大規模なコンサートホールや歌劇場もある。しかし、教会やちょっとしたスペースでお手軽な料金で気軽に1時間半ほどのコンサートを聴くこともできる。それだけ音楽がプラハに定着している証拠である。ウィーンに負けず劣らずの音楽の都と言って良いのではないか。重厚な文化の厚みを感じる。それはプラハの街を形造る建物の重厚さから来るもかもしれないし、文化の重厚さが建物に反映しているのかもしれない。

 ヨーロッパの教会で聴くコンサートは格別である。建物の残響が独特であり、教会内部の装飾と相まって日本では絶対味わえない心地よさを体感できる。教会入口の説明によると、この教会のパイプオルガンはチェコ国内でも最古のパイプオルガンであるという。古いだけあってさすがに鳴らないが、逆にその古さがしみじみとした素朴さを醸し出す。その上に女声と男声のアリアが乗っていく。

 居心地の良いコンサートであった。

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つっちーさま、ヨーロッパの教会で一度は音楽を聴いてみると良いですよ。最近でこそ日本にも良いホールがいっぱいできましたが、かつてはひどいものでした。その象徴がNHKホールです。紅白歌合戦に最適化されたホールで、クラシックのコンサートをやってはいけません。 / 口車大王2号 ( 2004-06-21 01:22 )
素晴らしい建物ですね!こんな所でコンサ〜ト、聞いてみたいです。 / ★つっち〜★ ( 2004-06-16 21:36 )

2004-06-06 [Czech]カレル橋まで その4


 カレル橋を渡って対岸まで行き、そこから引き返してきた。ちなみに、カレル橋は英語ではチャールズ橋になる。

 カレル橋から今来た道を戻り、橋からすぐのレストランに入った。明らかに観光客相手のレストランであり、こういうところのレストランは値段が高めでまずいのが通り相場であるが、なにせプラハに着いて2日目の夜である。現地人が一緒であるわけではなし、土地勘もない。もっとも、少なくともプラハでビールを外す事は内であろう。歩き疲れた事もあって、通りに並んだ屋外の席に座った。一番上の写真のレストラン入口の反対側である。

 さすがにプラハも10月半ばとなると、ストックホルム辺りよりはまだ暖かいとは言え、屋外は寒い。だいたいこんな時期にまだ屋外にテーブルを並べているのが信じられない。しかしながら、各テーブルにはヒーターが用意されてる。このヒーターがなかなかすぐれ物であり、我々の常識を覆すものであった。

 2番目の写真に、頭上に金属の円盤がポールの上に立っているのが見えると思う。これがヒーターなのである。この円盤部にガスバーナーがあって、ここからの輻射熱で暖められるようになっている。ヒーターというと足下に置くものという先入観では、こういう発想は出てこない。スタンドの上に熱源を持ってくる事で、脚がけっ飛ばす恐れもないし家事の心配もない。日本にもこういうヒーターがあったらと思う。

 さて、メニューを見るとチェコ料理というよりはイタリア料理に近い感じであった。しかも、安い。中でも驚くのはビール一杯の値段である。空港でも安いと思ったが、さらに安い。料理の味もなかなかであり、こうい観光客相手のレストランとしては合格点である。

 食事中に、カレル橋の方向からトランペットの音が聞こえてきた。食事を終えてから音の源へ戻ってみると、教会の前で来週やるコンサートの、言わば「呼び込み」をやっていた。教会のパイプオルガンとのコンサートであるが、その予告としてトランペットでデュエットをやっていたのである。見れば、今夜もコンサートをこの教会でやっている。

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2004-05-31 [Czech]カレル橋まで その3


 路地を抜けるとちょっと上り坂になって、目の前にカレル橋のたもとの塔が見えてくる。ここでも水害の後の修復工事が行われていて、路面電車の道床の作り直しをしている。水害の深刻さを物語っている。工事用資材の向こう側に、対岸のプラハ城が見えているのが、なんとも痛々しい。

 塔をくぐってカレル橋の上に立つ。カレル橋の上で薄墨色の薄暮は急速にその濃さを増していく。さすが世界で屈指の有名な橋である。人通りが絶えない。歩行者専用の橋であるから、安心してそぞろ歩きができる。車の騒音がないのも良い。ただし、当然であるが、カレル橋の形はわからない。

 橋から川面をのぞくと水面ははるかかなた下、10メートルはあるであろうか。水害が如何にすさまじいものであったか、改めてわかる。河から溢れた水が市内を襲ったのだから。

 それにしても、薄暮の時間帯がこんなに美しい街は、ほかにあるだろうか。夕暮れどきのカレル橋の上からの風景は、本当に素晴らしい。ライトアップした建物が河の両岸に並び、その上にプラハ城が幽玄な佇まいを見せている。

 橋の上はストリートミュージシャンにとって格好の演奏会場である。プラハしないで、カレル橋以外でストリートミュージシャンが演奏しているのは見なかった。この場所だけ許されているのであろうか。完全に暮れてからでも、橋の上で2、3組は演奏している。この日一番観客を集めていたのは、グラスハープの演奏者であった。グラスに水を入れてグラスの縁を指でこすり、音を出すのがグラスハープである。演奏者は地元の人なのだろうか。

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