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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-05-21 代償
2002-05-21 空色を吸い込んで、葉、のびやかに
2002-05-20 イミテイションマリッジインドリームランド
2002-05-19 冒険野郎マグワイ屋
2002-05-19
2002-05-19 幸せの種
2002-05-19 フィードバック
2002-05-18 退治るとは≒ジェノサイドであるか?
2002-05-18 プント・インテッラガティーヴォ
2002-05-17 専門バカ


2002-05-21 代償

既成の膠着した枠組みの中で自身を持つことなく安寧としていることで得られる、「しあわせ」。
枠組みの中にいようとそうしたところから自由でいるように見えようと、自分自身を持たないそうした人は、何かきっかけがあればすぐに、「ありふれた」不幸に陥る危険を孕んで生きている。
自分自身を持つとは、自分のことばかりを言うミーイズムや他人を顧みない我が儘などとは、もちろん違う。
自分を持たない人の不幸が始まる時、彼ら彼女らは枠からはみ出すのではない。その中で、堕ちていく。

「既成」が全て悪いというのでもない。人類がこの世に現れて以来、このサルは「善きもの」をも沢山生み出してきた。
他の生物と同じ「生き物」として、あるいはその逆に他の生物とはまた異なる「人間」として、我々はその祖先から生命を繋いできた。
そこには沢山の善きものを生む機会がもちろんあった。

だが、よりよく生きるという欲求を満たすに当たり、当初は食料に関しての意味合いが強かったであろうが、「豊かさ」を求め、そこから生活の便利さやより多くのものの所有などの追求までもが派生した。それがただ悪いというのでも、原始に帰れというのでもない。
初め「豊かさ」の一部であったそれは、次第に「豊かさ」の範疇に収まりきらないほどの大きさを持つようになり、一人歩きを始めた。
ある意味過剰な「豊かさ」であるとも言えるかもしれない。
その一人歩きの萌芽はなにも近現代になって始まったことではなく、かなり時代を遡ることが出来るであろう。
そしてその過剰な「豊かさ」は、お世辞にも均等に分配されているとは言い難い。
「豊かさ」を求めた結果、過剰な豊かさを享受する人間が出る一方で、本来の豊かさの基本すら手に入れられなくされた人も出る。このことについての根も深く、古い。

「心の豊かさ」などという言葉が用いられるようになって、既に久しい。
物質的な豊かさに溺れる余り「心の豊かさ」を「失った」などというつもりは毛頭ない。
一面真実であろうし世の中が世知辛くなっているのも事実であろうが、多分人類は、共通の「心の豊かさ」を手にした経験は、それを誰もが皆等しく同時に味わう経験を得たことは未だかつて、無い。
もとから無いものを失うことは不可能だ。

ここに豊かな国がある。
その国の住人は、わずかな例外を除いて普通は飢えることなく、ただ生きるに必要な食料以上の多くの「もの」も持って暮らしている。
物質的な豊かさにも、「飽きて」いる。確かに普通に暮らしている限り飢えることもなければ、身の回りには多くのものも溢れている。
そこで、ものによっては満たされない「心の豊かさ」が欲しいと切望する。

たとえば母であり妻であるなどという、外に対する顔として持たされたものでなく、一人の「女」あるいは一個の独立した「人間」として見られたいと願う。それは結構だ。むしろそうあるべきことで、人はそうあらねばならないと考えることが出来るようになるまで、「進歩」してきた。
真実このままではいけないと考えるならば、痛みは伴うであろうが、たとえば妻子を捨てて他の恋に落ちることがあったとしても単純に咎めるものではない。
だがそこで、現に自分の関わり合っている人々にその心の豊かさを求めるのでなく、どこかにこの「閉塞」した状況から自分を「救い出し」てくれる人間がいるはずだと夢想するとしたら?

何かが変わる訳ではない。何かを失くす訳でもない。けれど、何かが確実に毀れていく。

先頭 表紙

いやね、「何かが変わる訳ではない。何かを失くす訳でもない。けれど、何かが確実に毀れていく。」ってフレーズを思い付いて、それを使ってみたくもあったのです。 / 揚水 ( 2002-05-23 02:57 )
普通じゃないってあなた…。 / 揚水 ( 2002-05-22 23:23 )
素晴らしくなんてないない(笑)。 / 揚水 ( 2002-05-22 23:23 )
アップするあたりが、何よ(笑)? / 揚水 ( 2002-05-22 23:23 )
でもねー、なんか普通と違うかなって思ったよ。焼酎かぁ〜。あのね〜夫婦観に関しては思うこといろいろあるんだけど、今オリジナルバナナミルクチョコレートカクテルをあおったから、思考が・・・。 / みるみる@うまいのだ。ごくごく... ( 2002-05-22 20:29 )
焼酎をあおりながらこんな素晴らしい文章が書けるのなら、私も今日は焼酎をも似ながら書いてみようかな...って、私には出来ない(^^;)。 / あみすけ@私ものんべ ( 2002-05-22 18:41 )
↓そんでもアップするあたりが・・・(汗)。。。 / パオラ@ボランチ ( 2002-05-22 10:20 )
最近、というより以前からずっと、ですね。しかしこの文章は焼酎あおって書いたから信用しない方がいいかもよ(笑)。 / 揚水 ( 2002-05-22 00:53 )
文脈がへんだった。堪忍して。 / パオラ@ボランチ ( 2002-05-22 00:25 )
うーん、最近この手のテーマについて思うところが多いのかしら?私はいずれにしろ自分を救い出すことができるのは自分しかいないということに早く気づくべきだよね。人は。 / パオラ@ボランチ ( 2002-05-22 00:25 )

2002-05-21 空色を吸い込んで、葉、のびやかに

昨晩、海月から伝えられた話。


テレビの上の空色の小瓶。そこに活けられたクローバー。
昨夜はくったりしてたのに、今夜はピンと上を向いている。

旦那さんが、私が部屋に入るなり、話す。
「きのうは下向いてたのに、今朝こんなにシャンとなった。何かいい事があるかもしれません」
「いい事あるといいですね」と返す。


海月が言うには、旦那さんは自分や奥さんだけにいい事があるというよりむしろ、彼女について言ってくれているように感じられたらしい。
海月は海月で、夫妻にいい事があるといいですねと返した。


奥さんはそのやり取りは聞いてなかった。
ふと指さして、にっこり笑った奥さんが私に言った。
「あなたにいいことあるよ」
二人の名前をそれぞれ呼んで、あなた方にもと私は返す。

そしてふたりして笑った。
「いい夢見てくださいね。おやすみなさい」と言って帰った。


偶さか、クローバーが活けられたのは空色をしたガラスの小瓶だった。
幾分萎れていたその葉っぱは、もう日は落ちている時間であるにも関わらず、何か晴れ渡る空の力にも似たものを吸い込んで、凛と立った。
一度萎れかけた葉が凛と立つ。それは水を吸ってそうなったのだろうか。
それともまた何か違ったものを?

そうしたこともあるものなのだろう。

先頭 表紙

僕はロマンチシストからは程遠いですよ。自分をそのように語ること自体、僕のロマンチシズムなのでしょうが。 / 揚水@語るに落ちる ( 2002-05-22 23:22 )
四葉のクローバーってハート型が四個で書けますよね。なんかとてもロマンチックでよいのです(笑) / 綺羅 ( 2002-05-22 05:38 )
まあどっちも幸せを呼ぶらしいからねえ(笑)。 / 揚水 ( 2002-05-22 00:51 )
茶柱みたいでいいなあ。(←おっさんの感性か?) / パオラ@ボランチ ( 2002-05-22 00:26 )

2002-05-20 イミテイションマリッジインドリームランド

きょうこには夫も子供もいる。良き妻として賢い母親として、彼女は申し分なく振る舞っている。
夫はまだ若いにも関わらず名の通った会社の重要なポストを占めていて、彼女の家の暮らし向きもいい。家も買った。
夫と知り合った時、彼女は処女だった。結婚するまでに処女を失うということについて、彼女は自分の価値を貶めることだと信じていた。
上の男の子は今度小学校に上がる。下の女の子は幼稚園だ。後で苦労をさせないためにも、いい学校、幼稚園に入れてあげたいと考えている。
世の母親が、時に父親をも巻き込んで子供がまだ小さいうちから過剰な受験競争に走るとの批判があることも知っている。
夫は優しい。二人目の子供を産んでから、彼が彼女の体に手を伸ばすことはめっきり少なくなってしまったが、彼は変わらず優しい。暮らしに困ることもない。これ以上を望むのは贅沢というものだ。どれだけ他人に批判されようとも、自分の子供をいい学校に入れて将来に備えたいと考えることはそんなに悪いことなのだろうか? 否、悪いはずがない。
それでいいんだ、と思う。わたしは、しあわせだ。
だがしかし、彼女を「女」として扱う人は、久しくいない。

彼女は息子をたくさんの稽古事に通わせている。
英会話、お絵描き、ピアノ、学習塾、スイミング、これらはきょうこが奨めて通わせている。初め水を向けた時に息子は、どの習い事に対してもあまり乗り気ではないように見えた。それでも彼も今では、そのどれに対しても不平一つ言わず熱心に通っている。
もし彼が嫌がったとしても、きょうこはどれも彼のためになるからと固く信じていたから、どれも辞めさせるつもりはなかった。何か彼が嫌がる稽古事が出てきた時には彼にそう言い聞かせなければならないかと多少の覚悟もしていたのだが、その心配の必要はなかったようだった。どれもきっと彼の気に入ったのに違いない。
もし彼が母親にも嫌々通っていることを隠して続けているお稽古があったとしても、それは息子が自分のために母親が言っていることを分かっているからだとも思うし、大好きな母親が自分に奨めるものを嫌がってはその母親を傷付けるのではないかと気遣っているのだとすら思えた。はじめは、そうしたところのある優しい子なのだ。
彼女はそういう息子をとても愛しく思う。優しいところも、物事に対して根気強いところも、息子は実によく夫に似ている。きょうこは夫のそうしたところに惹かれたのだった。
最近彼女は、よく似た二人の男のうち、どちらかと言えば夫よりも息子の方を愛しいと感じている。それは自覚している。だがそれは母親としての愛情がそうさせるもので、彼女は夫が自分に触れなくなったことが関わっているなどとは夢にも思わない。
きょうこは娘もまた兄と同じ稽古事のいくつかに連れて行ったことがある。けれど娘はそのほとんどどれもが気に入らなかったようで、一つだけ娘が自分からやりたいと言ったピアノなども、レッスンが少し難しくなりだすと今度は「辞めたい」と言い出した。頭にきたきょうこが「自分からやるって言ったじゃないの」と叱ると、娘は癇癪を起こして手がつけられなくなった。未だ辞めてはいないが、娘はほとんどピアノの教室には出掛けていない。
短気で我が儘。はるなはいったい誰に似たのかしら。きっとお義母さんね。
最近息子は、自分から空手を習いたいと言い始めた。
きょうこは野蛮だと反対したが、夫はむしろ喜んでいるようだった。

しぶしぶ出掛けた空手教室で、きょうこは自分の中の女に火を点ける若い男と出会うこととなる。
アバンチュールの炎は、地獄の業火の口火だった。

先頭 表紙

ほほうほうほう。 / 揚水@感心納得関心 ( 2002-05-23 00:34 )
環境閾値説...例えば両親が教師だとします。その家庭環境は教師の閾に達しているので、その子供は自然と同じ道を選びます。逆に両親がその閾に達してないのに「強要」すると「反発」してしまいます。これが全てだとは思いませんが、「教養」と「強要」の微妙な関係が方程式では表せないんですよね。 / あみすけ ( 2002-05-23 00:23 )
うええ…、捕まったんですか。今度はその「犯人」の吊し上げや「異常性」の「分析」とかがまた「世論」を賑わすのでしょうか。それはそれで見たくない。個人情報保護法に反対する「心ある」マスコミ人はその踊りを踊らないで貰いたいと思います。それでは彼らが批判する政治家と同じ穴の狢に近い。 / 揚水 ( 2002-05-22 23:22 )
みるさん。パーさんとあなたご両人に対しての返答になりますが、「人として」、ということでしょうか。最低限必要なものであっても、そのラインぎりぎりをクリアしていればいいってもんでもないですしね。「構ってもらいたい」などとの子供じみた幼稚な欲望を満たされるのは自身に与えられた「権利」なのだと勘違いしているようであればまた、「人として」の自立は覚束ないものでもありますから。 / 揚水 ( 2002-05-22 23:21 )
なるほど、パーさん。確かに承った。 / 揚水 ( 2002-05-22 23:21 )
と、書き込んだところでなんだか例の猫殺害ネット事件の犯人検挙でその放送みてグッロキーになった。。。お腹も空いたのでまた後で来ます。 / みるみる@ふーーー。 ( 2002-05-22 12:13 )
広い意味では「教養」になるかもしれないけど、生きていく上での最低限の人間としての「常識」や「マナー」でしょうか。でもこれが人、家族それぞれの価値観にのですが。もちろん家族は根本です。が、それだけで人間形成されるわけではないと思うのでいかに社会(家以外)と接触するかが問題で、そしてその接触は大人と子供も同じだと思います。さしずめ大人(親)はその接触に関して子供にきっかけやヒントを与えているだけであることに気づくべきだと思います。それ以上の事をしようと藻掻きバランスが悪くなるのかな。と。 / みるみる@玉砕...いや、正に理想論です ( 2002-05-22 11:58 )
そーね。えーとね、「教養」ってのはね、結局愛情とか思いやりってのは歯止めがきかない面があるからそれでってことなの。理性ってことばが有効かどうかはわかんないけど、つまり「行き過ぎない」客観的目安を自分のなかに持つとしたらやはり教養、あるいはそれに類するものが必要ではないかと。要はそれが自分の中になければなんの意味もないんでしょうけどね。 / パオラ@ボランチ ( 2002-05-22 10:27 )
家族という単位を構成するための糊になるものは、何も教養だけではないと思うよ。愛情、信頼(たとえそれが盲信であっても)、各々の自己同一性、思い遣り、優しさ。それらは複合してもいいし、単体であってもいいかもしれない。なんにせよ自分を律する根本原理を自分の外に持っているようではどうにもならないね。この先。 / 揚水 ( 2002-05-22 00:54 )
更正→構成。しつれー。 / パオラ@ボランチ ( 2002-05-22 00:34 )
教育についてコメントしたらいいのか、それとも家族についてなのか・・・。いずれにしろ最近わたしが思うのは、家族という単位を更正して、互いを尊重しつつ自我を健全に育てるのは相当むつかしいのではないかとゆーことです。そのためには「経営」に近い才覚が必要になるし、お互いが教養を持っていることも条件だと思うの。それよりかは「教養」のある血縁ではない一個人同士のつきあいのほうがなんぼかうまくいくんではないかと思うこの頃。 / パオラ@ボランチ ( 2002-05-22 00:32 )
これもフィクションです、もちろん。親が子供に何事か強制することは、もうしょうがないというか当たり前です。そこで親自身の叶わなかった夢や趣味を子供に背負わせようというのなら、子供はそれこそいい面の皮、迷惑ですね。でも迷惑かどうかは、綺羅さんが図らずも仰るように、それを決めるのは自我を持つに至った子供です。でもね、自我を持つ前に前もって母親が子供に「この子はこういう子だ」との決めつけを行うとしたら?怖いですよこれは。既に「呪い」の域ですね。本筋からはズレましたが。 / 揚水 ( 2002-05-21 22:54 )
うちの母も私にいろいろな習い事をさせ、ピアノなどは半ば強制的で私は嫌でさぼったりしたのですが、今思うと習っておけばよかったと思うことがあります。現にバレエは好きで続けましたが本当に母に感謝してますし。・・・これもフィクションですよね?息切れして何書いているのか分からなくなってきました(笑)ふう、やっとここまでたどり着きました(笑) / 綺羅@ぜいぜい ( 2002-05-20 22:11 )
既成の膠着した枠組みの中で自身を持つことなく安寧としていることで得られる、「しあわせ」。枠組みの中にいようとそうしたところから自由でいるように見えようと、自分自身を持たないそうした人は、何かきっかけがあればすぐに、「ありふれた」不幸に陥る危険を孕んで生きている。枠からはみ出すのではない。その中で、堕ちていく。 何かが変わる訳ではない。何かを失くす訳でもない。けれど、何かが確実に毀れていく。 / 揚水 ( 2002-05-20 18:51 )

2002-05-19 冒険野郎マグワイ屋

あなたは数年前に結婚した。先だって子供も産まれた。
妻とは友人の紹介で知り合った。なんとなくつきあい始め、さもそれが当然のように結婚した。
休日には二人でよく出掛けた。日帰りか一泊の小旅行が定番だった。
だがそれも、彼女の腹が大きく目立つようになるまでのことだった。

「子供が産まれても、二人で出掛けようね」
妻は健気にもそう言ってくれていた。だがしかし。
実際に子供が産まれてみれば、妻はあなたのことなどそっちのけで子供に懸かりきりだ。
あなたは寂しい。古いアドレスノートなどを繰ってみる。
だがそれは止めておいた方がいい。断言する。
大学時代の知人の電話番号に目が留まる。きれいな女だった。
あなたは彼女に電話を掛ける。
「久し振り、元気にしてる?」
「ああ、久し振りね」
止めておいた方がいい。

「ずいぶん会ってないね。どう、久し振りに会わない?」
彼女は懐かしさも手伝って承諾してくれた。
止めておいた方がいい。

久し振りに会ったあなたと彼女は昔話に花を咲かせる。彼女は注意深くかつての傷に触れないように気を配る。誰しも若気の至りということがある。しかしあなたはそれに気付かない。何故ならあなたは妻が相手をしてくれない寂しさからアバンチュールを求めている。
そんなつもりは全くない彼女は、ここに来たことを後悔し始めている。あなたがどういうつもりで自分を呼び出したのか、うすうす気が付き始めたからだ。

「女の人にも性欲ってあるの?」
あなたはとっておきの質問をする。彼女が「いやだ、なに言ってるの」などと嫌がってみせたり「もちろんあるわよ」などと言ってくれたりすればしめたものだ。あなたは自分の描いたシナリオ通りに彼女と寝ることを得るだろう。
「男は射精したいばっかなんだよね」
あなたはそう言って彼女の返事を待つ。自分が妻とその程度のセックスしかしていないということをさらけ出してしまった自分のみっともなさに気付くことなく。

彼女は答える。
「色々嫌なことがあってストレスが溜まることがあっても、その捌け口にも色々あるわね。ご飯を食べたり友達と話したり、セックスしたり。それで解消されることもされないこともある。何かをしたい欲も何かあった時の捌け口も全部ごっちゃになっていて、その出方がいつも一緒とは限らないなあ。それはストレスがある時だけじゃなくて。嬉しい時なんかでもそうなのかもしれないわね。女の人がみんなそうなのかどうかは知らないけど、少なくともわたしはそうね」
あなたは面喰らってしまう。こんな答えは想定外だ。この女は恥じらうか媚びを売るかして、どっちにしろ俺に股を開くべきだったのに。

だから止せと言ったのだ。

それから、何も言えなかったあなたは当たり障りのない話をして時を過ごし、二人が別れて帰るべき時間となった。
「今日は楽しかったよ」
「そうね」
彼女は微笑んでそう答える。
「また会えるかな?」
「さあ、どうかしらね。お互いあの頃と違って忙しくなったから…」
彼女は微笑んでいる。あなたはまた会うことが出来るだろうと思う。
だがそれは間違いだ。憤懣やるかたない彼女があなたと会うことは二度とないだろう。
「じゃあ、また」
「さよなら」

冒険することは、それによって何かを失うことがあっても恐れない者だけに許された特権だ。
あなたは今の暮らしを、妻や産まれてきた子供との暮らしを壊すつもりなど微塵もない。
ただ他の女とやってみたかったのだ。俺の相手をしないあいつが悪いんだ。

自分の妻とそんな付き合いしか出来ない奴が、そうそう他の女とやれる訳がない。

先頭 表紙

やべえ。おんなじこと思ってた。 / 揚水@ほんとやべえ ( 2002-05-22 23:17 )
うう、すみませんパオラ様(涙)でも爆笑させていただきました。本当にドラえもんみたいです(笑) / 綺羅@しかも横レス失礼します ( 2002-05-22 12:06 )
↓あんた、やっぱおもろい(爆)ボランチづいとるわ。マジで。 / みるみる@FWはどうやるの? ( 2002-05-22 11:16 )
「パオら」イカス。「ドラえもん」、みたいでナイス。 / パオラ@ボランチ ( 2002-05-22 10:29 )
気付いてましたよ〜<パオらさんへのレス / 綺羅 ( 2002-05-22 03:48 )
なるへそ。でも気付く人もいる。気付かない人もいる、と。 / 揚水 ( 2002-05-22 00:57 )
わしへのレス。 / パオラ@ボランチ ( 2002-05-22 00:37 )
質問。どのこと? / 揚水 ( 2002-05-22 00:35 )
レスにレス。みんなもっと早くそのことに気づくべきです。 / パオラ@ボランチ ( 2002-05-22 00:33 )
あははははは、ユーモア。いや自分が人様からそういう評価をいただけるとは夢にも思わなかったのです。なんか滅茶苦茶嬉しい。 / 揚水 ( 2002-05-21 22:49 )
横レスですが、みるみるさん座布団ありがとうございます〜(ふかふか)//そして揚水様、18禁といいましてもそれが私にとって不快であればここへは参りません(笑)ユーモアがある、そういう風にとらえて読んでおりました。 / 綺羅@ふかふか座布団 ( 2002-05-21 10:13 )
綺羅さん、「18禁」に関しての補足です。僕は確信犯的に伏せ字にする(そうした手法を取ることもありますが)より、敢えて直截的な表現をした方がイヤらしくない場合もあると思っています。それはこうした書き言葉にしろ、話し言葉にしろ。それはそれで確信犯的なやり様であるとも言えますし、わざわざ説明せずとも判っていただいた上で読んでくださっているようですが。この「あなた」という男性は僕の想像上の人物ですが、こういう困ったちゃんはざらにいるのでしょうね。ばってん長崎よか町ばい。なんのこっちゃ。 / 揚水 ( 2002-05-21 02:14 )
あーっ、しまった! みるさん同感してくださっていたのですね。僕はそのあなたの言葉にさらに同感です。夫婦や恋人同士が他人であってもいいのです。他人であって他人でない、そうした関係を「そもそも他人なんだから」と重箱の隅をつつく人には、言わせておけばいいのですから。 / 揚水 ( 2002-05-21 02:13 )
みるさん、綺羅さんと二人して難解難解言わんとも…。変態と言われるのはともかく難解と言われるのには納得いかん(笑)! / 揚水@難解な変態 ( 2002-05-20 23:49 )
綺羅さん、そうか、変態が来るのか…。「類友」ですな。帰らない変態もいるっしょ。   例えばこいつ→ / 揚水 ( 2002-05-20 23:49 )
爆!!綺羅様の「難解な文にやられて帰っていく」に座布団3枚。 / みるみる@初めましての横レス失礼! ( 2002-05-20 23:00 )
なぜって、long eyeだのこの突っ込みの下の方でも18禁の言葉をたくさん使われているからです(笑)・・・変態が来たとしても難解な文にやられて帰っていく気もしますが(笑) / 綺羅@ぴちぴちマグロ女 ( 2002-05-20 22:45 )
綺羅さん。えっ! 嘘っ(笑)! / 揚水@なぜ? ( 2002-05-20 22:16 )
フィクションの逆? ああ、ノンフィクションということですか。どこにでも転がってそうな話書きましたからねえ。 / 揚水 ( 2002-05-20 22:03 )
ふむふむ。そして思ったこと、この日記はきっと18禁の検索に引っかかるでしょう(笑) / 綺羅@息切れしそう ( 2002-05-20 21:59 )
↓ごめんなさい、フィクションを逆のとらえてました(^^;)。 / あみすけ@おおぼけ(^^;)。 ( 2002-05-20 21:22 )
ありゃ、これフィクションですか!僕なんか昔のアドレス帳が残っていたとしても、男、男、男...といっても、危ない方面ではございません(^^;)。 / あみすけ ( 2002-05-20 21:20 )
それ同感。一番近くにいる人と(結婚、恋人に関わらず)きちんと向き合えずに他人とどう向き合うのか。思います。まぁ、夫婦も他人と言われればそれまでですが...。 / みるみる ( 2002-05-20 19:38 )
もちろん、みるさん。妻一筋夫一筋恋人一筋の人がいたって、そりゃいいでしょうともさ。一筋でなく新しく恋愛をする人だっていてもいい。この人しかいない! と思わせてくれる人に巡り会える人ばかりとも限らないし、数多くの恋愛経験で自分を磨くことだって出来る。それは間違いなくいいこと。ただね、現に今自分の傍にいる人との関係をきちんと作ること(壊すことも含めて)もせずに、自分に何かを「してくれる」、「与えてくれる」人を他に求めるのはどうかと思うのよ。口汚く言えば、安っぽい。 / 揚水@甘くない甘くない ( 2002-05-20 18:17 )
その程度のつきあいを求める男と女。でもそれが最高なのだと思っているのだからどうしようもない気がする。きっとそこから抜け出すのが怖いから。でもさ、↑そう言う夫婦、どこかにいるんだろうけど妻一筋って言う夫もいてもいいよねー。 / みるみる@よく甘いと言われるんだけどさ。 ( 2002-05-20 17:15 )
ははははは、パーさん。貧乏人の僕はしかし、フトコロを痛めてまでして得たその快楽は本当に気持ちがいいの? とか言いたくもあるのです。チンチンの乾きはアバンチュールでもゼニでも、そのどちらでも癒されません、多分。 / 揚水 ( 2002-05-20 16:04 )
しろねこさん。冒険とは本来そうしたものだと思います。ただしかし、僕の描いた「あなた」という男性は、このままではなんら新たな発見を得ることはないでしょう。 / 揚水 ( 2002-05-20 16:03 )
はいはい、綺羅さん。またお越しくださいね。 / 揚水@胃にもたれる男 ( 2002-05-20 16:03 )
しかしその程度のつきあいを求める女がいるものまた事実。だからこういう男は絶滅しない。個人的には「風俗に行け!」と言いたい。「いい思いをするならフトコロを痛めろ!」と。 / パオラ@ボランチ ( 2002-05-20 12:27 )
冒険するってことは良いことだと思うよ〜。 確かに、失うものもあるかもしれないけど、新たな発見もあるし。 / しろねこ ( 2002-05-20 00:14 )
また出直してゆっくりと読ませていただきます。アップしすぎですね。消化不良(笑) / 綺羅@ふ〜 ( 2002-05-19 22:33 )
久し振りにフィクションものです。 / 揚水 ( 2002-05-19 21:05 )

2002-05-19 凧

烏賊、海鼠、海老、水母、栄螺、海栗あるいは雲丹、鮟鱇。
海の生き物を漢字で書いてみる。

どうしてそのようなことをするかというと、海月の友人が遠方から彼女を訪ねてきて、その人が自分は水族館占いでタコだったと言っていたということを、一昨々日海月から聞いたからだ。
タコの漢字が思い出せない。

蛸、ですね。

先頭 表紙

どこにカツオやイクラやワカメが出てくるのだ(笑)? フェロモンねえ…。 / 揚水@登場するのはサザエのみ ( 2002-05-22 01:00 )
私はウミガメ。フェロモンがばしばしでてるはずなんだけど?おかしーなー?ところで感じの羅列を見たわたしの心の声。「あっ、波平がいない!」 / パオラ@ボランチ ( 2002-05-22 00:36 )
マグロはマグロでも魚河岸の冷凍物でなくマグロ船上のマグロであればいいのです。びちびち。 / 揚水@意味不明? ( 2002-05-20 22:28 )
「うそ魚漢字」(笑)。そもそも海月をここで「クラゲ」と呼ぶのは、彼女がその水族館占いでクラゲだったことに発します。僕はシャケでした。占いの内容は全く金輪際、完璧に覚えていません。付き合ってる人の血液型も覚えられないくらいですからね。 / 揚水 ( 2002-05-20 22:04 )
マグロ女・・・気づいているかと思って書いたのですが・・、書かなければよかったです(涙)お寿司とかは日本人に産まれてほんとよかったと思います〜。おいしすぎ(もぐもぐ) / 綺羅 ( 2002-05-20 21:45 )
寿司屋の茶飲みに、「うそ魚漢字」が書いてあるを見たことがあります(^^;)。どこぞやの暴○族のような当て字で...(^^;)。 / あみすけ ( 2002-05-20 21:17 )
綺羅さん、「マグロ女」…。おじさん気が付かなかったよ(笑)。 / 揚水 ( 2002-05-20 14:45 )
↓下の綺羅さんへ。うほほ、アップしすぎるとつっこむ場所も間違えるわな。すいません。僕はマグロに限らず青背の魚、イワシやサバやアジ、ブリなんかが消えたら、「ああ日本人に生まれてよかった〜」という気持ちが三〜四割がた目減りします(大袈裟?)。醤油とか日本酒とか椎茸とかも、無くなったらイヤだなあ。 / 揚水 ( 2002-05-20 13:12 )
「いか」、「なまこ」、「えび」、「くらげ」、「さざえ」、「うに」、「あんこう」、そして「たこ」、です / 揚水 ( 2002-05-19 20:13 )
すごいのだ。なんだか、たくさんアップされていてびっくし!ちなみに最後の漢字は何でしょうか? / みるみる@ひえぇー。 ( 2002-05-19 19:36 )

2002-05-19 幸せの種

突然海月から電話が掛かってきた。
彼女は今日仕事のはずだし、息を弾ませているので何事かと案じるくらいだった。

彼女は今日の夕刻仕事で訪問する予定の老夫婦のお宅に、他との兼ね合いもあって予定時刻より少し遅れてしまうということを、仕事の合間を縫って伝えに伺ったという。電話では耳の遠い夫妻に上手く伝わるかどうか判らない。
用件を伝えて車に戻ると、その傍には一面クローバーが生えている。
夫妻に四つ葉のクローバーをあげられるといいのにと何気なく緑の野に目を向けると、丁度目を向けたその先に、彼女は幸運にも四つ葉のクローバーがあるのを見つけた。

彼女はそれを摘み取ると、夫妻のお宅に取って返してそれを差し出した。
奥さんは「あなたが持っていなさい」と言ってくださった。
けれど彼女は「いえ、これはあなた方に」と再度勧めて受け取ってもらった。

余程嬉しかったとみえて、すぐに僕に電話してきたらしい。
彼女は息も弾ませてはいたけれど、それ以上に声が弾んでいた。僕はそれに気が付くべきだった。

幸福の種子は、それを求めて遙か彼方まで旅をしなくとも、自分のすぐ足下の地に落ちて芽吹いている。もしも旅が必要だというのであれば、それはきちんと足下を見つめて後の結果に他ならない。
そしてその種子が芽吹いて開いた花や葉は、自分の為だけの幸福を追い求める者の目には付きにくく、他人をも想う心を持つ者の、人の幸福を望む者の視界の中、さりげなく風にそよいでいるものなのではないだろうか。

彼女の幸運は、人を想う彼女の心根が呼び寄せた。

愛おしくて、誇らしくてたまらない。

先頭 表紙

みるさん、「ごちそうさま」は僕ら他人の台詞です(笑)。 / 揚水 ( 2002-05-20 23:47 )
はぁ........いただきました。ごちそうさまでした。お腹いっぱい。 / みるみる@とうとうそんな委員会できたんか ( 2002-05-20 22:19 )
綺羅さん、僕は見つけられないくちだったので自慢したことがありません。うらやましいじょ。 / 揚水 ( 2002-05-20 22:14 )
あみさん、海月にしても探さず見つけられるというのはきっと初めてで、彼女曰わく珍しいことなのだそうです。 / 揚水 ( 2002-05-20 22:13 )
あーさん…。あなたには「のろけキャンペーン実行委員会会長」の座をお任せします。 / 人生薔薇色計画推進委員会 ( 2002-05-20 22:05 )
四葉のクローバーすっごく好きです。持っているのはネックレスですが・・・(笑)小さい頃はよく見つけ、それを母に自慢したものです。うーん(遠い目) / 綺羅 ( 2002-05-20 21:43 )
四つ葉のクローバーですか、私は小学生の頃、地元の空き地でよく探しましたよ。海月さんのようにぱっと見つけたわけではなく、執念で探してましたが(^^;)。みるちゃま、私はあなたに四つ葉のクローバで幸せを与えているわけはないよ。あなたを思う気持ちが、自然にそうさせてるんだと思うよ。 / あみすけ@のろけ(^^;) ( 2002-05-20 21:15 )
あ、綺羅さん。綺羅さん宛てのレスは上↑にあります。なんせこの通り↓↑、三日で七件も記事を上げたもんですから、自分でもどこがどこやら判らなくなりそう。 / 揚水 ( 2002-05-20 20:30 )
みるさん、そりゃ凄い。逆パターン(笑)。でもあなたは少しだけ間違っています。みるさんがあみさんのおこぼれに与って幸せなのではなく、二人がそれぞれ手持ちの幸せの種を持ち寄って、より大きな幸せを育むのです。こういうことを言うことは照れくさい面もありますが、本当のことです。これをもってキャンペーンとはよも言わせまい。これこそ「人生薔薇色計画」だ(笑)。 / 揚水 ( 2002-05-20 20:04 )
すごい事実発覚!!今、あみすけに「四つ葉のクローバー見つけたことある?」って聞いてみた。そしたら、「そんなの沢山見つけたよ。」だって。揚水さん達の逆パターンだ。東京にそんなクローバー畑があったと言うのも驚きだけど、あみすけが幸福になったおこぼれを私は頂いているのだろうか(笑) / みるみる@驚きました! ( 2002-05-20 19:31 )
夕方海月がそのお宅を訪れると、小さな小さなフラワーベースにクローバーが活けられて、テレビの上に置いてあったそうです。 / 揚水 ( 2002-05-20 14:43 )
↓すみません、一個上に書くべきでした(汗) / 綺羅 ( 2002-05-19 22:32 )
イカ海老蛸好きです〜。御寿司でしか食べませんが(笑)・・・あとマグロ〜、これがこの世から消えたら私は死にます(爆) / 綺羅@マグロ女と呼ばれるのはちょっと・・ ( 2002-05-19 22:31 )
はい、みるさん。よく判りました、「四つ葉」が抜けていただけだったのですね。そこに思い至らず申し訳ありません。なるほど、四つ葉のクローバーはわざわざ探さなくても与えられるべき人には与えられるもの、ですか。こと海月に関してはそうでしょうね。でも安心してください。昔から彼女は四つ葉を見つけていたようですが、見つけることの苦手だった僕ですら、海月に出会うという幸福を得ました。見つけると幸せになれるのが本当だとしても、見つけられないから幸福になれないというものでもないようです。 / 揚水 ( 2002-05-19 22:26 )
↓あ、ごめんなさい。「四つ葉のクローバー自体」です。私の近所ではクローバーが一面生えているのは見たことがないなぁ。富山にはありますね。子供の頃よく探しましたが、四つ葉のクローバーは見つかりませんでした。見つけた人は幸せになれるって言いますものね。でもわざわざ探さなくても与えられるべき人にはあたわるんですね。 / みるみる@見つからなかったのです... ( 2002-05-19 21:38 )
みるさん、クローバーって見掛けませんか? 都心はやはり他の地方とは違うのでしょうか。名古屋市近郊に限らず、市内であってもクローバーは大繁殖していますよ。逆に僕の住む山村が見掛けにくいくらい。彼女の人の幸せを望む心が、彼女に幸運をもたらしたのだと思います。そしてまたその幸運を人が喜ぶように使う。本当に尊敬します。 / 揚水 ( 2002-05-19 21:11 )
素敵な話ですね。クローバー自体なかなか見つけることが出来ないのに、きっと幸せが幸せを呼んだんでしょうね。 / みるみる@見たことがないです。。。 ( 2002-05-19 19:40 )
邪夢猫さん、どういたしまして。僕は彼女を尊敬しています。そういう彼女の振る舞いを見て心温めるにとどまらず、僕自身そうした人になりたいと思うのです。思うだけに甘んじるのでなく実際に行動できなければなりません。個を持って他の個を重んじることの出来る人になりたい。言うは易しとはこのことですが、行い難くともそうしていきます。 / 揚水 ( 2002-05-19 19:00 )
うふふっ。私も幸せもらったよ。ありがとう。 / 邪夢猫 ( 2002-05-19 18:39 )

2002-05-19 フィードバック

口当たりのいい、砂糖菓子のような言葉。

他人と何事かを語る時、相手の意に添う言葉を返してしまう。相手の発する言葉の表すところが自身の意見とは微妙に異なることを、どこかで小さく、しかし小さくともはっきりと認識しながらも、敢えてその違いをあげつらうことなく会話を進める。
そうしたことは、ままある。

ひとつには、いちいち枝葉に拘り合っていても話す内容の大意に関わりのないことだから無視する、ということももちろんあるだろう。
ひとつには、逐一枝葉まで言及して会話を滞らせるのがその会話の目的ではなく、相手の言うことを尊重する、ということもある。尊重、というのは大袈裟で、相手の言うことの大方が首肯できるものであれば、それに異を唱えて無用のトラブルや停滞を引き起こすことは避けたいと思うことも影響しているだろう。
それは論を進めるための知恵でもあるし、相手に対する優しさでもある。

他人が自分に思いも寄らなかったことを言い出すこともある。
そうした時、視点や論の組み立てが異なるだけであれば、その他人の言葉に対して理解が浅い場合、聞いた方は感心するか反発するかのどちらかの反応を示す。感心する場合は、相手を自分と同等以上のものと見倣していることが、反対に反発する場合は、相手を自分より下と見倣していることが多い。それは立場年齢の上下関係だけにとどまらず、あるいは関わりなく、自分がその相手をどう見ているかが大きく影響する。
自分の尺度を持たないか自分の尺度を相手に当てはめてしまうのかの違いでも、態度は分かれる。
相手の言説をお説ごもっともとありがたくご拝聴に及ぶか、そうでなければ取るに足らないものとして一蹴する。
自分より下だと思っている人間に対して「お説教」するなどということも、ひょっとすればこれに当たるのかもしれない。お説教が、される方にしてみれば全くとんちんかんな話である場合などは、これに起因する。

視点や論の組み立てが異なるのではなく相手の言うことが全く思いも寄らなかった場合でも、感心したり反発したりする行動が現れることもあるが、そうした場面の多くでは、聞き手は、その時その時点では本当の意味での理解をしていないことが多い。
後から気付くことや理解することがあっても、人が自分の中に無いものをも即座に理解出来ることは、稀だ。
どういう場合にしろ、相手の言うことを全く理解もできずに感心したり反発したりするのであれば、それはもちろん論外だ。話がそもそも成り立っていない。

「食べるものがなければ、お菓子を食べればいいじゃないの」
本当にそう言ったのかどうかはともかく、断首台に上げられた王妃のものとして有名な言葉。

それぞれ異なる、あるいは意を同じくするとはいえ微妙には異なる見解を持つ人と人との会話が曲がりなりにも成り立つ時、だがその差異に無自覚である時。
ややもすれば言葉は、会話は甘い砂糖菓子になる。
しっかりとパンを食べてその滋養を血とし肉としている心算であっても、その滋養は胃袋に届かない。
人は会話からなにものをも得ない。ただ言葉の妙の快を、他と接することによって得られる「智」ではなく、「知的」な言葉の遣り取りの快楽を楽しむことのみに堕しかねない。

人はパンのみにて生くるにはあらざるようだけれども、それが菓子であればなおさらだ。
ただしかし、たとえ口にしたものが口当たりのいい砂糖菓子であったとしても、人はそこに滋味溢れる苦さを感じることも出来る。
そう信じたい。

先頭 表紙

あみさん、いえいえそんなそんな。ご謙遜を。お二人の様子を漏れ聞くに日記を拝見するに、きちんと人間的フィードバックの出来ている方だとお見受けしますよ。僕は出来ることなら誉め合ってヨロコブなんて気色悪いことは避けたいので(已むに已まれずおべっかを使うことだってそりゃありますが)、こりゃマジな話です。文章表現が強い弱いなんて二の次三の次です。 / 揚水 ( 2002-05-20 23:46 )
僕は機械的なフィードバックには詳しいのですが、人間的なフィードバックに弱くて困ってます(^^;)。揚水さんのような文章で表現することも不得意なので、この日記は大変勉強になります。これからも頑張って読破したいと思いますので、びしばし書き込んでくださいね(^^;)。 / あみすけ@脳が足らない(^^;) ( 2002-05-20 22:55 )
あー…、確かにこの文章を読むのは相当難しいと思います、自分でもそう思うくらいなんだから。まず言いたいことがてんこ盛りなのですね。閑話休題(それはさておき)。僕の書いたものを読まれているあみさんには既にお解りのことと思いますが、僕は物凄く「コトバ」に拘って生きている人間です。良くも悪くも。ですからこの場合の「フィードバック」とは、他人の言葉を聞くに際してきちんと飲み込み咀嚼吸収出来ているか、つまりフィードバック出来ているか、ということです。解りにくいですね。 / 揚水@制御に関しても興味深い ( 2002-05-20 21:38 )
ごめんなさい、日記の内容は徹夜明けの私の頭では理解できましぇん(^^;)。フィードバックについてですが、私は何事においてもフィードバックは重要だと思います。フィードバック制御が自然に行われているのをご存じでしょうか。歩くことに例えれば、平衡感覚が倒れまいと感じて手足を動かす。こんな些細なことでもフィードバックしてるのですから、生きることにもフィードバックが必要になるのだと思います。 / あみすけ@うーーむ、自分で書いて意味不明 ( 2002-05-20 21:04 )

2002-05-18 退治るとは≒ジェノサイドであるか?

再び毒薬の購入を検討している。
毒を買うことは簡単だ。金さえ払えばすぐに手に入る。

暖かくなって、ネズミたちの活動も活発になってきた。以前から家の中のあちこちにかわいらしい糞がコロコロと転がってはいたものの、夜中にガサゴソいわれるとうるさいくらいに思って放っておいた。
ところが最近、食品を荒らされることが目立って増えた。管理さえきちんとしていれば問題はないのだとも思う。
だがしかし、僕は奴らの退治を考え始めている。

猫が殺されることに「命を奪っていいのはそれを喰らう時だけだ」と言った人間がネコイラズを買おうかと思うことは、それこそ矛盾極まりないことだと自分自身考える。
自分に関わりのないところで可愛いものが殺されると怒りを感じ、自分に害をなす生き物は、殺す。その害も、せいぜい食品を荒らされないように管理するのが面倒臭いということが大きい、とも思う。
人のすることは糾弾し、自分のすることには目をつぶる。ネズミだって、可愛い。

なんて虫のいい話だろう。

先頭 表紙

2002-05-18 プント・インテッラガティーヴォ



生まれて死ぬまでが人生ならば、僕に何が出来るだろう?
何をも為さないとしても、為せないとしても、意味すらなくてもいい。

僕はちゃんと生きていきたい、死ぬまで。
現実との関わりの中で。

先頭 表紙

2002-05-17 専門バカ

例えば誰かに政治のことを話す。
すると、そんなに政治に興味があるなら政治家になればいいのになどと言われる。
確かに僕は政治家じゃないし、これからなるつもりもない。
それは僕の仕事ではない。
どんな仕事も、それをやりたくて、且つやる能力を持っている人間がやるのがベターだ。

けれど政治家でなきゃ政治について話が出来ないなんて、変だ。
自分に関わりのあることじゃないか。
自分に関わりのないことは関係ないという風潮の社会では、「関わりがあること」の範囲が狭すぎる。
世の中なんでもどこかで繋がってるもんだ。
しかも政治は生活に直結してるじゃないか。こうしたことは他のことについても言える。
自分に直接か大きくか関わりのないことは、「自分には、関係ない」

いいのか、おい?

職業病とは、分業を進めてみんなが効率よく飢えから逃れられるように進んできた社会に生きる者のツケで、宿命。

極端な話、原始人は慢性的な飢えに苦しみはしても、立ち続けて腰痛になったり座り続けて痔になったり、腱鞘炎になったりはしなかっただろう。
彼らはきっと、全身のもてる能力を使って食物を得ることで精一杯だった。
生きるために必要な動きの全てを個々それぞれが自分で担っている社会に、職業病の存在しよう筈もない。
作物を作る百姓も森の実りを集めることも、狩りをする猟師も、家を建てる大工も土器を作る陶磁家もみな自分自身の仕事の一部だ。
もちろんそう考えることは極端に抽象化された考えであって、実際にはそうした時代から分業は行われていたのだろう。しかしその頃とは大きく異なる今の社会、分業化はさらに進んで細分業化されていく。
かといって、行動規範まで細分化するものなのか?

米が籾に包まれた草の実であることを知らずとも、金を出せばコンビニでおにぎりでも買って食うことが出来る。エンジンの構造を知らないどん百姓でも免許を取って車を買えば運転することは出来る。
では工場で車のリベットを毎日打ち続けるだけの人間はトマトを作る人間と関わりはないのか? 魚を捕って生計を得る人間は裁判所で誰かを弁護している人間と関わりはないのか?
直接には関わりはないかもしれない。

一生トマトを食わない工業従事者や車に乗らない農家、魚を食わない裁判官や被告にも原告にもなる機会がない漁師がいたって、ちっともおかしくない。
でも、だからといって「関係ない」のか?
ちょっと待てよ。お前一人で、一人だけの力で生きてるとでも言うのか?
それが大袈裟だというのなら、お前は自分の身の回りの、「関係ある」人間とだけ生きているのか?
こうして尋ねること自体馬鹿馬鹿しい。

とか、空想の中の架空の論争相手に向かって怒ってみたりして。

先頭 表紙

口車さん、そうしたことにまで敷衍するとは考えていませんでした。ははあ。みずほグループに関しては、そこのお偉いさんが「(顧客に)迷惑を掛けたということでなく、(通常より)クレームが多かったと理解している」とかなんとかのたまったということを聞いて大口開けて嗤ったにとどまりました。その後その発言に関してどうなったのかも知らないくらいです。なるほどねえ、自分のいる位置からしかものを見ることが出来ないということは、そうしたことも含むのかもしれませんねえ。 / 揚水 ( 2002-05-19 14:21 )
あみさん、初号機、ですか(笑)。僕は多分自分はエヴァシリーズの、それもまだ生産さえされなかった有象無象だろうなと思ってみたり。連邦軍でいえばジム、ジオンでいえばザク辺り。トヨタでいえばかつての高級志向の無かったカローラ。自分はコナンにもジムシーにも、ダイスにさえなれないと思った小学生の頃の一抹の寂しさ。長じて僕は、自分はアスベルやアシタカではないと思うように。せいぜい甲六です。でも三十越えた今、それでいいとも思っています。 / 揚水 ( 2002-05-19 14:21 )
こういう感覚がないと、事故の元になるんですね。危機管理はできるかどうかは、こういう、空間的な感覚がもてるかどうかです。想像力の欠如は決定的なトラブルを引き起こします。最近の事例では、みずほグループのトラブルが好例。 / 口車大王 ( 2002-05-18 20:48 )
揚水様、私はエヴァ初号機がいいです(^^;)。あ、脱線書き込みすみません(~~;)。 / あみすけ ( 2002-05-18 13:28 )
消費する側にいる僕が言うのはおこがましく口はばったいことですが、そこにはギブとシェアの違いが関わってきます。例えばアメリカがアフガン空爆をする際に食料を「贈り物」として「与え」ましたが、僕はそれが恐ろしい。分け合うつもりなどないことを、図らずも露呈したと思うからです。 / 揚水 ( 2002-05-18 02:30 )
本文の趣旨からははずれますが、現に世界には飢えて苦しんでいる人がいるということについても、分業が成立してしまっていることが関わっていると言うことが可能です。イヤな言い方ですが、誤解を恐れずに言えば、人類の富を生産する人と消費する人が分かれてしまっているということです。 / 揚水 ( 2002-05-18 02:23 )
うわ、すいませんまうさん。見落としていまいました。ごめんなさい。ちょっとだけは聞いてみたくもありますが、キリが無いというのは困りますね。大変でもあるということですし。 / 揚水 ( 2002-05-18 01:49 )
お察しの通り、既に何度も観ました、ええ、そうよ。 / 揚水 ( 2002-05-18 01:13 )
さしずめ僕たちはみんな「エヴァシリーズ」(笑)? ATフィールドは個を保つために、生き物が自分自身と外界を分けて生まれるものという前提でその生命を与えられている以上、必要なものであると僕は考えます。ただしかしそんなにATフィールド全開で他を顧みずに生きることもなかろう、と(笑)。 / 揚水 ( 2002-05-18 01:12 )
↓出た、エヴァ協会おやじ。揚水さんは多分もう観ているはずよ。きっと。ええ、そうよ。 / みるみる@パー様に見せなきゃ。 ( 2002-05-17 22:45 )
突然ですがエヴァンゲリオンって知ってます?あの話の中に出てくるATフィールドの解釈がまさにこれだと思います。ATフィールド=心の壁、物を形成する壁、どこからが自分か、どこからが他人かを確認するための壁。そして人間は自然に見えない壁を形成して自分の殻に閉じこもるのです。機会があったら見てみると面白いですよ、エヴァ。 / あみすけ@ビデオまたみたい! ( 2002-05-17 22:21 )
↓つっこみたいところですが、キリがないのとイニシャルトークが大変なので止めときます。>勘違いな方々 / まう ( 2002-05-17 22:02 )
ただ僕が危惧する事は、そうした人の中にごくまれに、アートが「全てに通じている」と感じるのでなくアート(のみ)が「全ての上にある真理に通じている」と勘違いする輩もいることですね。相手になる気もありません。そうでない素晴らしい人もたくさん知っていますから。 / 揚水 ( 2002-05-17 21:26 )
だからしょうがない我慢しろ、というのとはもちろん違いますが。全ての分野が「全て」に繋がっているということを感じて理解できるのは、素晴らしいと思います。僕がかつて学んで、今は少し離れていった美術の分野を例に引くと、やはり自分のやっていることが全てに通じると感じる人がいるようです。当たり前すぎるほど当たり前のことなのですが。 / 揚水 ( 2002-05-17 21:26 )
お待たせしました、みるさん(笑)。職業病という言葉に関して言えば、それを逃げや甘えで使うことがよく見受けられるというだけでしょう。実際、色々な生産その他の人間の集まりが生きていくための活動はかなり細分化されて、それはまた行き過ぎた効率化が「非人間的」だなどという「悪い」部分ばかりでなく、ある意味みんなで幸せ(飢えない、とか)になるために仕方がない面もありますから。その分業の上での、幸せを求める上での、言い方が正しいかどうか自信がありませんが、コストのようなものだと思います。 / 揚水 ( 2002-05-17 21:25 )
来ましたね、専門バカ。密かに待っていたのですよ。そうかぁ、職業病と言う言葉、要は逃げや甘えなのかもな。私の分野(全分野だろうけど)やはり全てに繋がっています。今これを理解できる自分が嬉しい。 / みるみる@今後もそうありたい。 ( 2002-05-17 19:29 )

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