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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-05-05 うれしい、葉書
2002-05-04 転載「新世紀へようこそ 081 記念日だから少し憲法のことを考えてみる」−1
2002-05-04 転載「新世紀へようこそ 081 記念日だから少し憲法のことを考えてみる」−2
2002-05-03 鈍感
2002-05-03 過去の現在形と現在の過去形
2002-05-03 本日はお日柄も良く
2002-05-02 てるてる坊主
2002-05-02 不安もあれば期待もする
2002-05-01 いちにの、
2002-05-01 ご期待に添えません


2002-05-05 うれしい、葉書

五月の二日、僕は今度入社する会社に、採用に当たっての話と必要な書類についての説明を聞きに行った。予定では書類を整えて七日にもう一度、書類を提出してさらに細々とした話をする。
その帰り、報告も兼ねて海月と逢った。

今度の仕事は人に会う機会が多いので、二人で眼鏡を買いに行った。視力はそう悪くないものの、目が光に対して余り強くない僕は、これまでは薄い色の付いた度付きのサングラスしか持っていなかった。それでは少々柄が悪くて具合が悪い。
僕がいつも行く眼鏡屋さんは親切で気持ちがいい。眼鏡屋に入ったことがないという海月は、店員さんのはきはきとした応対に目を瞠っていた。
「急ぎでそこそこかっこよくて、それで安いものを」とこちらの虫のいい希望を伝えても、店員さんはイヤな顔一つせずに、それでいてうるさくはないくらいにあれこれと気を配ってくれた。
いい買い物が出来た。僕たちは店を出てご飯を食べに行った。

海月の仕事の話、僕が最近思ったことや翌日の田植えを楽しみにしていることなど、話すことはいくらでもある。時間が足りない。
「揚水くん、出る時郵便受け見てきた?」
「いや。なんで?」
海月は笑っている。
「あ、そうか。葉書出してくれたんだ」
「うん」
普段僕と海月は電話とメールで遣り取りをしているので、僕は彼女の住所を知らずにも済んでいた。最近になって、彼女の仕事について調べものをした文書などを送る必要を感じ始めた僕は、海月が引っ越しをしたのを機に、正確な住所を教えてくれるよう彼女に頼んでいた。
彼女は僕の住所を知っているので、「葉書に書いて出すよ」と言ってくれていた。
「うち、郵便届くのたいてい午後なんだ。今日はお午ちょうどに出てきたから見てないよ。どうせ何もないのは分かってるから」
「そうなんだ。多分今日くらいには着くと思うよ」
「うわあ、海月ちゃんから葉書が届くんだ。楽しみだなあ」

食事が済んで、僕は彼女を送っていった。
それから家に帰った僕は、早速郵便受けをさぐった。
公共料金の通知や友人の展覧会の案内に混じって、彼女の絵葉書が届いていた。

先月の二十二日、前日から僕の家に泊まりに来ていた海月は、面接に行く僕についてきて、近くで見つけた公園で遊んで僕を待ってくれていた。
そうそう時間がとれない僕たちは、海月が休みの取れる時は少しでも一緒にいたくて、面接が終わった後も二人で過ごすつもりだった。
指定された時間よりかなり早く着いたので、僕たちは大きく新しいビルの間に古い長屋なども残っている街を散策していた。
途中、海月が道端にかがみ込んでいるのに気付いた僕は
「何してんの?」と尋ねた。彼女は
「別に。何でもないよ」と答えた。

時間が近づいたので僕は会社に向かった。見送る彼女が僕を呼び止めた。
「揚水くん、待って」
「ん?」
振り向く僕に向かって、海月は両手にそれぞれ持っていた小石をカチカチと打ち鳴らした。合点がいった僕は大声で笑った。
かがみ込んでいた彼女は、火打ち石の所作を真似るにふさわしい石を物色していたのだ。
「行って来るよ」
「うん」

彼女はその二つの石を、僕が以前の仕事で炭焼き小屋を建てている時に出て拾っておいた檜の端材の上に飾り、僕の面接がうまくいくように祈ってお祀りしていた。そしてうまくいった。
僕たちは二人とも、昔から石を拾い集める癖がある。

僕はジャン・レノがとても好きだ。絵葉書は、多分「レオン」の頃のものと思われる彼の顔が大きく写されたものだった。嬉しかった。
彼女は文字面に、件の石のスケッチを描いていた。
「守ってくれました」と。

先頭 表紙

ご無沙汰でしたね、ももたさん。幸せを伝染させることが出来たとしたら嬉しいです。 / 揚水 ( 2002-05-07 21:39 )
なんか、いいなあ。うらやましい…というか、こちらまで嬉しくなってきて、幸せをおすそわけしてもらった気分です。 / ももた ( 2002-05-07 13:57 )
あー、パーさん。そーいやそーだったねえ。頑張ってちょ。 / 揚水 ( 2002-05-07 00:10 )
あみすけさん。あれ、おかしいな、やっぱ少し違うかな。自慢というか、うーん、上手く言えないなあ。あ、そうだ、誇り、誇らしいんです。 / 揚水 ( 2002-05-07 00:09 )
あのねー、あしたから怒濤なのー。これから掃除とかするのー。ボリームのある揚水日記読むガッツがないのー。また遅れをとるのねー。やーん。 / パオラ@ハハ上陸! ( 2002-05-06 22:31 )
↓自分に自信があることであれば、自慢も必要ですよね! / あみすけ ( 2002-05-06 21:09 )
あみすけさん、へへへへへ。自慢してもいいですよね(笑)? / 揚水 ( 2002-05-06 00:40 )
しろねこさん。葉書をもらったことも嬉しく、何より、僕が好きなものをいつか渡そうと思って買っていたその時の彼女が楽しくて嬉しくてワクワクした気持ちになったであろうこと、面接がうまくいくようにと思いをのせた石を描いてくれたこと、ワクワクした葉書をこれ以上ないタイミングで使ってくれたこと、その全てが嬉しいのです。あんまり幸せで、切なくて胸が苦しい。 / 揚水 ( 2002-05-06 00:39 )
綺羅さん、人と向かい合う時本当に欲しいものは、付き合っている相手だけに限らず、その人の気持ちです。けれど、気持ちを形で表してもらうことも嬉しいのです。 / 揚水 ( 2002-05-06 00:39 )
す、素晴らしい!!相思相愛が伝わります!! / あみすけ ( 2002-05-05 23:42 )
彼女から葉書が来ると嬉しいよね〜。それに、メールとは違った嬉しさを感じるよね…。 / しろねこ ( 2002-05-05 11:45 )
手紙や葉書のようなものって、貰うとうれしいですよね。友達から貰っても、うれしくて一日中見ている感じです、私(笑) / 綺羅 ( 2002-05-05 11:26 )

2002-05-04 転載「新世紀へようこそ 081 記念日だから少し憲法のことを考えてみる」−1

今日は憲法記念日です。

日本国憲法が施行されてから55年になりました。

この間、さまざまな問題とぶつかりながらも、日本はこの憲法のもとで運営されてきました。

それはよいことだった、とぼくは考えています。

改めて読みなおしてみても、日本国憲法はよくできている。

しかしながら、憲法が悪いから日本はこんな駄目な国になった、と言う人もいます。

今の憲法は国民の権利ばかり尊重して、義務を軽視している。だからみなが無責任になって、国に甘えるばかりで、その結果、こういう国になってしまった。

本当にそうでしょうか。

現行の憲法のどこに問題を感じるか、という問いに対してある論者は「例えば国民の権利と義務を定めた第三章。権利という言葉は十六回、自由は九回出てくるが、責任は四回、義務は三回しか出てこない。自由と権利を重要視し、責任と義務を軽視してきた戦後の日本が実によくここに現れている」と言います。

とてもわかりやすいけれど、この論は根底から間違っています。

なぜならば、憲法というのはもともとの性格からして国民の権利と国の義務を既定するものだから。

国民と国の関係は最初から対等ではありません。

対等というのは、夫と妻のように、両者が同じカテゴリーに属する場合にだけ使える概念です。

国と国民の間では、国の方が強すぎて問題が生じることが多い。

官僚機構や法体系など、国の装置は強力です。放っておいたら、国を運営する権力者にとって都合のよい方にばかりことが進む。

それでは国民は幸福になれない。

この事実を人は歴史から学びました。

国民のために国があるのであってその逆ではないとしたら、何らかの形で国の力を制限しなければならない。

主権在民を確実にするために憲法を作る。

これが近代国家の基本原理であり、だからこそ憲法は他のすべての法に優先するのです。

その憲法に向かって、国民の権利ばかり書いてあるから駄目だと言うのは、熊に向かっておまえは熊だから駄目なのだと言うに近い。

ちなみに、戦前の大日本帝国憲法でさえ、第二章「臣民権利義務」に義務という言葉は二つしか出てきません(兵役と納税)。権利と自由についての規程は九つ書かれています(公務就任、居住移転、逮捕監禁審問処罰、裁判ヲ受クルノ権、住所ニ侵入ならびに捜索セラルルコトナシ、信書ノ秘密、所有権、信教ノ自由、言論著作印行集会及結社ノ自由)。

実はこの先に「戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ」は「天皇大権」がすべてに優先するという条項があって、全部をひっくり返してしまうのですが。

(この「戦時又ハ国家事変ノ場合」という規程は今の有事法制によく似ています)。

先頭 表紙

ここで話題になったことのどの問題についても言えることは、一人一人の個を尊重すると同時に、共同体の一員であることも大切にする。そうしたことが必ずしも欧米においてなされているのかどうかまでは知りませんが、幾度かの大きな変革の機会に、僕たちの国がそのチャンスを失ってきたのは事実でしょう。まだまだこれからってことですね。チャンスはまた来るはずだし引き寄せることも出来るでしょう。 / 揚水 ( 2002-05-07 21:38 )
向こうで感じたことは自分の考え(理論)がいかに大事で、それをいろんな角度から議論してコミュニケーションを愉しむということが当たり前になっていること。それは男性も女性も同じです。そしてなにも難しい話でなくていいのです。なんでもいいのです。しかしながら結局、女性の社会進出をやれば、やれば!といって認めながらも深い部分ではどこか違和感があります。認めた以上、女性は子供を産むという性も認めて欲しいです...いろんな意味で。 / みるみる@なかなか難しいです。。。 ( 2002-05-07 10:04 )
愛国心はやはり先の大戦後タブーになってしまったのでしょうか?でもそれと同時に誇りや自国を想う心も薄くなっているように思います。おっしゃるとおり、政治を見ればほんとそう思います。なんなんでしょうか。きっと皆様、ご自分なりに展望をもっているはずなのになぜか余計な争いやなんやらで進まない...。同感でございます。これからどんどん新しい世代になって行くのにこのバランスの悪さでいいのだろうかと思う今日この頃です。 / みるみる ( 2002-05-07 09:51 )
それでもって同時に、特定の大国の国政運営やかつて憧れた一部の西方地域の価値観に追随するのでなくて、他国も尊重しなければならないと思うのですが。それと、目を瞑ることが多いようですが、僕たちの国にも「祖国」を曖昧なままにさせられている人が、半島出身の人に限らず存在する問題もあります。単一民族の国などと、どの政治家のどの口が言うのでしょう。これだけ言っといてなんですが、僕、日本好きです。 / 揚水 ( 2002-05-07 02:14 )
下のみるみるさんに追加です。「愛国心」を嫌う風潮への反動として、次には極論が出てくる。それもまたおかしな話ですね、バランスが悪い。都知事然り首相然り、漫画家が「戦争論」をぶつご時世です。あれがだめならこっちだろってんで、どうしてそう端っこから端っこに飛ぶのかねえ。バランスが悪い。自国を愛すること、誇りに思うことは当然のことだと思います。 / 揚水 ( 2002-05-07 02:14 )
ほいほい。お越しをお待ちいたします。 / 揚水 ( 2002-05-06 01:25 )
ぶーぶー。アップするにもほどがあるう!!なんかさっきまで気絶しててお国の行く末に頭がまわらないの。だからあした読むわ。更新は気にしないでどんどんやってね。追加ツッコミ入れるからよろしうに。 / パオラ ( 2002-05-04 22:34 )

2002-05-04 転載「新世紀へようこそ 081 記念日だから少し憲法のことを考えてみる」−2

今の憲法では国に対する国民の義務は納税だけであり(第30条)、それで充分だとぼくは考えます。明治憲法にあった兵役の義務は、幸いなことに新憲法下ではなくなりました。

教育の義務(第26条第2項)は子供に対するものであり、勤労の義務(第27条)は自分と社会に対するものでしょう。

その他の具体的な義務については個々の法律や条例で、憲法の認める範囲内において、決めます。

憲法が国民の権利ばかり言い立てるから国民が無責任になる、というのも通らない理屈だとぼくは思います。 この憲法ができる前から、日本には無責任の伝統がありました。

1930年から1945年に至る長い戦争の間に、日本軍はいくつもの作戦に失敗して重大な損失を出したけれど、軍の首脳部は誰も責任を取らなかった。指揮を誤った参謀が栄転することも珍しくなかった(例えばノモンハンと辻政信)。

また、戦争が終わった後も自発的な戦争責任論は起こりませんでした、東久邇内閣が「一億総懺悔」と言ったのは、要するに誰の責任でもないということでしょう。

しかもあれは国民全員が昭和天皇に対して敗戦を謝罪するという意味であったらしい。話が逆ではないのか。

このところ確かに無責任の風潮はまた顕著になっています。官僚も、企業経営者も、銀行の首脳も、自分たちの失敗の責任を取ろうとしない。

しかし、景気がよかった時にはこういう責任論はあまり出なかった。経済が破綻したので、関係者が互いに責任を押しつけ合っている、としかぼくには見えません。憲法のせいではないでしょう。

憲法を変えれば彼らに責任感が戻るとも思えない。

法というのは倫理の最小限を決めるものです。

親孝行は美徳ですが、親不孝を法で罰するのは行き過ぎになる(1995年の刑法改正で、尊属殺人を他の殺人と区別して扱う規程もなくなりました。法の下における平等という憲法の原則に反するからです)。

1920年から33年までアメリカにあった禁酒法も、倫理的要求が高すぎたために失敗に終わった。

国民は国をよくするために力を尽くさなければならない。その義務を国民は国に対して負っています。

国民として生きる以上、これは国に対する国民の根源的な義務でしょう。

しかしこの義務はあくまで自発的なものであって、国はそれを国民に強制してはならない。

「国があなたの為に何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えよ」

ジョン・F・ケネディのこの言葉は美しい。

ただし、これは大統領の就任演説の中だから美しいのであって、この趣旨が法として国民に強制されたら、これは結構きついファシズムの社会になるでしょう。

という風なことを5月3日に考えるのも、国民の義務かもしれません。

     (池澤夏樹 2002−05−03)

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先頭 表紙

未だに日本人が「和魂洋才」という考えを持っているとしたら、その精神の貧しさには溜息が出ますね。海を渡ってやってきたもののよいところを取り入れる能力に優れていると威張ってみてもすぐにお里が知れる。受け継いできたものもたくさんあるはずですよね。ちょうどあなた方ご夫婦はそうしたところをご覧になってきたばかりです。幸福なことだと思います。少しずれるかもしれませんが、昨今の日本の韓国紹介に対する情熱が、W杯までの一過性のものでないことを望みます。誇りを持って他国と接する学習の機会として。 / 揚水 ( 2002-05-07 00:08 )
ようこそ。お手柔らかにとはいったいどういうイミなんでしょうか(笑)? まるで僕が彼女らをいたぶっているかのような(笑)。日本人は「愛国心」という言葉を禁忌にしているようなところはありますよね。もちろんその大きな要因は前の大戦でしょう。あの時代の「過ち」を嫌うのは判ります。けれど、愛国心という言葉と共に国を愛する心まで失うのは行き過ぎですね。あたしゃ「だから日本人はダメなんだ」などと言う日本人が大嫌いです。ダメなのはお前だよ。 / 揚水 ( 2002-05-07 00:08 )
うまく言えませんが、日本は欧米の文化や風習や生活スタイルを取り入れるだけ取り入れてはいますが、真に理解をしていないが為にアンバランスになり、ついに自国や自国の文化にも目を瞑ってしまっているのではないかなと思います。アンバランスさをとても感じます。 / みるみる ( 2002-05-06 22:06 )
P嬢とTりす様以外のお宅では初のつっこみデビューです。お手柔らかに!私は以前ヨーロッパに滞在していましたが、自分が現地の人々にとって異人の立場になった時、改めて自国の事を考えました。と言うか考えさせられました。全ての人がそうと言いませんが、愛国心が少ないかなと思いました。というか誇りの持ち方が違うのかな? / みるみる@色んな事自分の肥やしにしたい ( 2002-05-06 22:02 )
出会いの妙に感謝しています。 / 揚水 ( 2002-05-06 03:58 )
そもそも僕がこのページで日記というか思い付いたことを書くようになったきっかけが、このメールコラムを探すことでした。パソコンを買ったネット初心者の僕が、海月から「揚水くんの好きな池澤さんがこんなことやってるよ」と教えてもらい、四苦八苦して「池澤夏樹・同時多発テロ」などで検索を掛け、lim.さんという方の掲示板に辿り着きました。そこでメールコラムの申し込みを、知っている方から教えてもらった。その時にlim.さんの日記を読むようになりなんとなくシステムを飲み込んだ後、自分でも書き始めたのです。 / 揚水 ( 2002-05-06 03:57 )
こういった文章を読むと、最近の一連の我が国の動きは、考えてみれば政治に携わる人たちが国民を支配したい欲望をもっているとも思えます。その為の根拠は、天皇大権でも首相の権限強化でも日米安保条約でも、使えるものなら何でも構わないようです。ある評論家の方が、我が国の首相を「クリーンなタカ派」と評するのもうなずけます。そういう国で規制緩和が進むなどとは絵に描いた餅そのものですね。人は皆幸せになりたいはずなのに。その為の方法は何であっても構いませんが、支配の為の方法は端からゴメンです。海月に逢いに行きます。 / 揚水 ( 2002-05-04 18:20 )

2002-05-03 鈍感

最近の僕は幸せです。その幸せのさなかにいながら考えることがあります。

幸せボケした僕は、ややもすれば世間には幸せなことや善いものばかりがあるように勘違いするのではないかと思うのです。
残念ながらこの世界には不幸や悪いこと、さらには悪意もあります。
僕は世界が幸せや善いことで満たされることを望みます。けれど、であればなおさら、今現在そうでない部分があることもきちんと知っておかなければなりません。

幸せボケして人の悪意に気が付かないだけなら単なる「お馬鹿さん」で済みますが、気が付かないことで相手の憎悪を煽ることもあり得るでしょう。
たとえ悪気はなくとも、僕が人を傷付けることもあり得るでしょう。

気を付けよう。

先頭 表紙

まさに、まさにそうなのです、おけいさん。僕がそう思って自分で実行するだけでなく、他の人にもそう感じて生きていってもらいたい。そう思います。 / 揚水 ( 2002-05-04 01:19 )
幸福で人を傷つけてしまう人よりも、不幸で人を傷つけてしまうことの方がずっと多い。人は、幸せにならなきゃいけません。幸せになるために生まれてきたのですから。 / おけい ( 2002-05-04 00:58 )
あみすけさん、迷惑はね、仕方ないと思うんですよ。昔誰かが僕に、「人は生きて存在するだけで誰かに迷惑を掛けているものだ」と言ったことがありました。しょうがないことなのだけど、だからこそ却って人に迷惑を掛けないようにしようということらしく、全部は賛同しない(「掛けても」というのであればまだ判るのです)にしろ一理あると思います。何か言われて腹が立ったり傷ついたりはするとしても、人からどう見られてもいいんです、僕。上の僕の言葉は、まさにおっしゃるような「自分に自信を持つ」ための自戒です。 / 揚水 ( 2002-05-04 00:57 )
難しいですよね、他人から見た自分を評価するのって。私は仕事柄、相手の仕草や行動に目がいってしまいます。相手はどう考えているのだろう?そしてうまく表現できているのか...と。でも最終的には自分に自信を持って行動すれば間違いはない...と自己解釈しておりまする。きっと他人に迷惑かけてるんだろうなぁー(^^;)。 / あみすけ ( 2002-05-04 00:06 )

2002-05-03 過去の現在形と現在の過去形

あるところである人にあるものについて、
「ちゃんと製造してる?」
と尋ねられた。
僕は
「作り方知らんもんでいかんわね」
と答えて笑われた。

長野に住む友人に子供が産まれたという。福岡に住む親しい高校時代の先輩のところは二人目が産まれたという。
僕は愛知の山村に住んでいる。
僕と同様この村に移り住んできた知人のところ二ヶ所でも子供が産まれた。
名古屋に住む親友のところの予定日は近い。村の消防団の知人四人にもそれぞれ子供が産まれた。うち一人の赤ん坊は、今日姿を見せてもらった生後八日のほやほやだ。

このところ僕の周りでは子供づいている。そういう年齢ということでもあるんだろう。
子供づいている人たちのうち親しい人からは「お前も子供作れよ」とよく言われる。
僕はそれもいいな、と思う。自分の子供に対してどうなるのかはともかく、僕は多分、子供好きな人間の部類に入る。

けれど僕は決まって「今すぐにはいいよ」と答える。海月は望んだ仕事に就いて頑張ろうとしているし、僕自身やっと再就職が決まってこれからそちらにも力を入れなければと思っているところだ。だいたい、僕ら二人はまだ結婚してもいない。
子供が欲しいと思うこともあるが、いなければいないでもいいと思っている。僕の親しい人たちは、僕がそう考えていることを知っている上で「お前も子供作ったら」と言ってくれているので、僕も素直に「今はいい」と答えることが出来る。

村内にある、僕がよく煙草を買いに行く店に入ると、おばちゃんが開口一番
「今日は二つ?」
と笑いかけた。
店内には、以前からたまに見掛けていた彼女の孫息子が遊ぶ姿があった。そういえばこのところ彼の姿を見ていなかった。しばらく見ないうちにずいぶん大きくなっている。
この店では、いちいち「エコーください」と言わなくても済む。
「一つでいいよ。大きくなったねえ」と僕が言うと、おばちゃんは
「三歳と五ヶ月」と嬉しそうに微笑んだ。
彼女は僕に子供がいないことを知っている。孫にかこつけた彼女は茶化して、
「ちゃんと製造してる?」
と笑った。
僕は「作り方知らんもんでいかんわね」
と答えた。彼女は朗らかに笑った。僕も笑った。

僕は笑った。ひとつには、可笑しかった。
僕と彼女は、口を利くことはしょっちゅうでもそう親しくしているのでもない。
彼女は僕が結婚「している」ことは知っていても、離婚「した」ことはまだ知らない。

子供が産まれるのって、いいな。

先頭 表紙

僕らは余りうるさくは言われません。カップルそれぞれで事情も考え方も異なるので一概には言えませんが、僕たちも似たようなスタンスです。思うのは、産まない(今は、ということも含めて)選択の人が蔑ろにされることがもちろんいいはずはありません。それに対して声を上げる人が見られるようになった反面、そうした趨勢の中、産む選択をした人がまるで考え無しのように言う人もいるようなのはいただけません。バランスが悪いですもんね。 / 揚水 ( 2002-05-07 00:07 )
私たち夫婦(あみ&みる)は、結婚5年目ですが子供が居ません。というより、揚水さん曰くの製造してません(^^;)。お互いに仕事をしており、お互いにやりたいことを尊重し、お互いに期がくるまで待っています。まわりはうるさいのですが、私たちはこれからもそうしたいと思います。 / あみすけ ( 2002-05-06 20:45 )

2002-05-03 本日はお日柄も良く

朝、陸丸と連れだって田植えを手伝うお宅に向かう。
家に着く途中で、既に知人とそのお父さんと弟さんが田圃に出ているのが遠目に見えた。
僕は他所の畑の脇の細道を通り、直接田圃に向かった。

知人が操作していた田植機。
手押しの一輪車状のもので先頭部にエンジンが付き、その後ろの一輪車とは逆向きに反った板の上にはシート状にされている苗が載せられている。
ゴムコーティングされたホイールの両脇にフロートが付いていて、車輪が回転しながら前に進む機械の安定を図っている。左右のフロートのそれぞれ内側、中央よりやや前部寄りには機械の爪が一つずつ付いていて、前に進みながらがっちょんがっちょんと、苗を摘み取って植えていく。

陸丸を繋いで最初に挨拶だけ交わすと、お互い余り話すことなく、僕はその作業の様子を見ていた。
「上手く植わらんとこは手で植えるんだあね」
「そう」

僕は田圃用の長靴を借りて、機械が入らなくて植えられなかったところに苗を新たに植え、浮いている苗は植え直し、植わっていないところや苗が細いところには植え足していった。
陸丸がキュンキュンピスピスうるさいので離してやると、彼はその辺をうろうろしていた。弟さんの小さな息子さんが母親やお祖母さんに付き添われて見物していた。

三枚の田圃に苗を植え終わると、坂道を上り、家のすぐ下にある四〜五枚の田に向かった。そこの一枚目がほぼ終わる頃お午になった。
裏庭に用意されたテーブルで昼食をごちそうになった。午前中はお母さんやお祖母さんにくっついていた、これもまた小さな知人の息子さんが従兄と一緒になってうろちょろしているのが笑えた。

昼からは僕も一度田植機を操作させてもらった。思った通り難しかったが、その時そばにいた知人とお母さんは誉めてくれた。自分でも初めてにしてはなかなかやるじゃないかと思った。それでも当然、知人やお父さんがやるようには上手くも早くもない。
弟さんは今年初めて田植えを手伝っているらしく僕とどっこいどっこいのようだった。

再び僕は手植え作業に戻った。浅い水のそこかしこに蛭が泳いでいる。やはり蛭は歩くことよりも泳ぐ方がスムーズだな、と思い、妙に感心した。

長袖を肘の上まで捲り上げて作業していると、日焼けの境目がくっきりと出来ていて陽差しが強いことが知れた。この頃から梅雨の時期の晴れ間は陽差しがなかなか強いので馬鹿に出来ない。
四時半過ぎには田植えは終わった。

「いつもは一日掛けて機械で植えてしまって、翌日から時間のある時を見て手植えするのが一日で終わって助かった」とやたら感謝された。ただやりたかっただけなのに。

縁側でビールをごちそうになった。弟さんと奥さんは帰る準備をしていた。知人の奥さんとご両親は何やかやと家の中で働いているようだった。
知人と二人で子供らが遊ぶのを横目に飲みながらお喋りをしていた。陸丸はいつの間にか友達の家にでも行ったようで、いない。
そのうち弟さん一家は帰っていった。

お母さんがお土産にお昼のちらし寿司と筍の煮物、沢庵を詰めてくれて、ビールも六缶くださった。寸志までいただいた。はじめは辞退したが、彼らは僕が無職なのを知っているし、実際助かるのでありがたくいただいた。ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんです、どうもありがとうございました。

帰りがけ、生後八日目の知人の娘さんを見させてもらった。
とても可愛かった。

先頭 表紙

赤ん坊、可愛いですよー。田植えは楽しかったです。 / 揚水 ( 2002-05-03 23:09 )
ちらし寿司おいしそう・・・・本日私はカレーでした。生後8日の赤ちゃんは見たこと無いですが、かわいいのでしょうね。田植え、ご苦労さまでした。 / 綺羅 ( 2002-05-03 21:38 )

2002-05-02 てるてる坊主

昔々、遠足の前日に作ったてるてる坊主。
雨が降って、「効き目ないじゃん」なんてボヤいてゴメンね。

明日は近所の田植えを手伝うのだ。
楽しみ。

先頭 表紙

パーさん、反射神経の方が注意力より先行しましたね。蛭より「ブト」が鬱陶しかった。この地方でのブヨの方言ですね。あれに刺されるとポンポコに腫れるし、いつまでも猛烈に痛痒いんですよ。森林組合の作業員やってた頃はずいぶん悩まされました。刺され続けるうちに多少は慣れるんですが、毎年最初に刺されるときは酷いんです。今回刺されずに済んで良かった良かった。 / 揚水 ( 2002-05-03 20:30 )
ようこそ、あみすけさん。専業農家の方たちがこの時期を田植えの季節としているのかどうかまでは知らないのですが、兼業農家の方にとって、ゴールデンウィークというのは格好の田植えシーズンなのでしょうね。そこかしこで田植えしてました。実は僕の大家さんも今日が田植えだったようです。いいのかなあ? 他所手伝いに行っちゃって。 / 揚水 ( 2002-05-03 20:29 )
↓つかれてるときにやると前のレスをみおとしてこーゆーアホなつっこみいれやがるわし。蛭には注意してね。 / パオラ ( 2002-05-03 18:34 )
田植えは機械でするの?それとも手? / パオラ ( 2002-05-03 18:33 )
丁度田植えの季節なんですね。農道を走ると少し怖いですね。どっぽんと落ちたらどうしましょう(^^;)。 / あみすけ ( 2002-05-03 08:27 )
いえ、多分機械です。んでもって抜けたところや狭いところで植わらないところは手で植えるんじゃないですかね。抜けたりつかなかったりしたところは日を置いてまた手で植えるはずです。目の端で見掛けたことはあっても、なんせ実際にやるのは初めてですからねえ。多分としか言えません。たーのしみー。 / 揚水 ( 2002-05-03 01:07 )
手で植えるんですか? / KYON ( 2002-05-03 00:36 )

2002-05-02 不安もあれば期待もする

さて、これから採用に当たっての説明を受けに行きます。
具体的に何を用意すればいいのか、いつからどのように動き始めるのか、その他諸々のことをうかがってきます。

再び働き始めれば、面白いことや人の他にも、イヤなことや人に出くわすこともあるでしょう。
のんきに平和なことばかり言ってなんかいられなくて怒ることだって出てくるでしょう。

でも、大丈夫です。この先楽しみです。

だって俺生きてるんだもん。

先頭 表紙

綺羅さん。お許しも何も、お好きなようになさってください。全く構いません。ここにはよく暴走する方もお見えになるのですから大丈夫です。 / 揚水 ( 2002-05-03 20:29 )
すみません、変な所に突っ込んでしまいました。どうかお許しを・・・・、揚水様。 / 綺羅 ( 2002-05-03 07:10 )
シマウマの後に「さむっ」を入れるのを忘れました、とほほ。照る照る坊主は、幼稚園以来作ってないです、遠足の前の日に作った覚えが・・・。↓師匠に私も座布団を用意せねば・・・・。 / 綺羅 ( 2002-05-03 07:08 )
うまい! 座布団20枚! / 揚水@座れば倒れるか(笑) ( 2002-05-02 23:13 )
新就学児童のようなときめきと嫁入り前の娘のような恥じらいがないまぜに・・・とゆーかんじでしょーか? / パオラ ( 2002-05-02 13:57 )

2002-05-01 いちにの、

さ〜んーはいブギウギ。

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壊れるように遺伝子に情報が刷り込まれているからです(笑)。 / 揚水@僕の遺伝子にも ( 2002-05-03 20:31 )
リンダリンダを歌うと、どうして大抵の男性は壊れてしまうのでしょう?(笑)謎です。 / 綺羅 ( 2002-05-03 11:23 )
セロリ(まさやんバージョン)、上を向いて歩こう、リンダリンダ、YMCA、息子(民生さんのヤツね)、旅の宿、黒いカバン、涙のリクエスト、その他にもいっぱい歌いたい歌はあっても、これが十八番というのは思い付かない。 / 揚水 ( 2002-05-02 23:13 )
私のカラオケ十八番は「銀座カンカン娘」。 / パオラ ( 2002-05-02 13:56 )
あー、はい。にまにましながら例のあの歌を口ずさんでみてくだされば幸いです。 / 揚水 ( 2002-05-02 00:50 )
ここ、笑うところですか? / まう ( 2002-05-02 00:22 )

2002-05-01 ご期待に添えません

世にある質問のうち、そのほとんどは設問とそれに期待される答えがワンセットになっており、質問が発せられた時点で答えはごく狭いものに限定されているか、自問の場合質問を発した時に答えはほぼ出ている。
それは例えば数学の問いに対して解が用意されているようなことにとどまらず、「人を殺すことは是か」、「人はいかに生きるべきか」などの「崇高」な問い、はたまた「ねえあなた、このタマネギ腐ってると思う?」などの素朴な問いに対しても大概は当てはまる。

ここに一つの質問がある。

「自分の好きなように神を崇拝してよいのだろうか」
 (エホバの証人機関誌『目ざめよ!』2002年4月22日号表紙より)

設問が導き出そうとしている答えは自明のことと見なされていると想像できる。
ページをめくり目次を見ると

「自分の好きなように神を崇拝してよいのだろうか」
今日、ますます多くの人が上の質問に「よい」と答えることでしょう。この傾向の背後には何があるのでしょうか。宗教を個人的な好みに合うように作り変えることによって、霊的な必要を本当に満たすことが出来るのでしょうか。

とあり、設問の方向付けがさらに明確にされている。蛇足ながら「霊的な」とは‘spiritual’の対訳語だろう。もっとよい訳語を望む。
本文はB5版より少し小さい冊子の8ページが割かれ、さらに詳しく「宗教離れ」に対する危惧とそれについての対処法が述べられている。

本文を読めば納得させられるところもむしろ多く、その限りでは僕が設問に対して「それはよくない」と答えてもおかしくないと思う。けれど結論から言えば、設問に対する僕の答えは「よい」だ。それは本文を読んでの後の答えだ。

冊子ではローマ・カトリック教会が第二次大戦当時ナチスなどファシズムと結びついたことを告白し、「伝統的な宗教が戦争や抑圧的な政権を支持するため、そうした宗教に背を向ける人は少なくない」と宗教離れの原因を分析し、素直に反省を述べている。ただし十字軍などについては言及されていない。これが紙面の都合上割愛されたのか意図的に無視されたのかは僕には分からない。
冊子はさらに「自分の好みに合うよう」宗教を「作り変える」ことを「宗教を単なるセルフサービス方式の食事のように見なし、自分の気に入った信条を勝手に選ぶのは正しいことだろうか」と「個人宗教」を食事の給仕法に譬え、それは正しいか? とさらに答えの用意された設問を投げかけている。その設問に関してならば僕は「ノー、正しくない」と答える。
自分で心を決めて信奉し帰依する以上は勝手に教義を改変することはよくないことと思われるからだ。しかしそれならば、かつてカルヴァンやルターが教会の腐敗に対して立ち上がった側面も否めない「宗教改革」とそれとの間にどれほどの違いがあるのだろう。
僕はそこには意志の有無があると思う。難しくとも、神の真実に近づく意志と教義を盲信することは区別されるべきだと思う。時として与えられた教義に抗うことと神の声を聞くことは矛盾しない。

冊子は一足飛びに「霊的な必要を満たす最善の方法」としてキリスト教を信じることがそれだと結論づける。他宗教や不信心な輩を「最古の時代から、人は自分の目的にあった宗教を作り上げてきました。木片で神々を彫って崇拝する場合がそうです。宗教団体が自分たちで考え出した教理を教える場合がそうです。自分の好みに合う個人宗教を作り上げる人の場合も同じではないでしょうか」と断罪する。自分たちはそうでない、と。

「寛容」とは自分にとっての異物に対してこそなされるべき美徳だと、僕は強く思う。

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パーさん、大きくなってしまった組織は身動きがとれなくなっているであろうことも判ります。個人が個人として立つことの重要さは今さら言うまでもありません。けれど、身動きのとれなくなった組織に対してアンチテーゼを呈することにとどまるより、その組織の力を利用してもいいと思うのです。上の立場の人も末端の人も、各々、出来ることなら全てが自身の個を持つことを前提あるいは目標にすることで、その組織は教育の優れた機関として働く可能性がないわけではないじゃないですか。多分、教育は大事なのでしょうね。 / 揚水 ( 2002-05-02 23:12 )
綺羅さん…。まあ、素敵なお師匠さんというかとんでもない悪影響の元というか…。あわわ(笑)。 / 揚水 ( 2002-05-02 23:12 )
つまり・・・よい教育は寛容を可能にするということです。 / パオラ ( 2002-05-02 14:21 )
やはり個人の信仰にとどまっていたほうがいいよーな?今は教育が行き届いているので組織を信仰で定義する必要もないでしょう。ただ、問題は教育の行き届いていないエリアのことです。それを解決するまえに紛争の火種をどーにかしなけばいけない・・・あるいは教育の力によってしかできないような気がするけどね。 / パオラ ( 2002-05-02 14:20 )
揚水くん長文読解はあいかわらずガッツがいるなあ(汗)。私は宗教の真実っていまだによーわからんのです。つまり、その宗教が何をもとめているか、たとえばキリスト教なら「罪からの救済」がテーマなのでしょうけど、そこにいたる過程とか背景が団体によりあまりにも違いすぎるので、「どーゆーこっちゃ?」という思いがぬぐいされないのです。ひどいときは同じ教団内でも相違がある。だから各自が好き勝手に信仰するというのはやむをえんことだと思うんですが・・・そうすると組織として困ることがぎょうさんあると。 / パオラ ( 2002-05-02 14:19 )
残念ながら20を超えてしまうま、←おやじギャグ?(笑)ただいまパオラさんの所で修行中です。ぱくりと言う言葉は受け付けません(笑) / 綺羅 ( 2002-05-02 06:05 )
Ahh, well. Wait a moment please. 5+(小学生年齢)ですか? 昔確かたけしさんの主演でもドラマ化されたんですよ。その当時でも僕は既に小学校高学年か中学生、下手したら高校生でしたよ。 ま、どーでもいいことですね。 ↑上の書き込みについては、テレビのコマーシャルを見ていて思いついたことをそのまま書いただけですが、平易とおやじギャグは違うのねと思うこの頃。 / 揚水 ( 2002-05-02 01:46 )
もう五年くらい前で、テレビでやっていたものです。ビートたけしではなく、もっと普通のひとでした。難しいから投げたしたい、易しかったら頭を使わないから嫌、そんな感じですね(笑) / 綺羅 ( 2002-05-02 01:04 )
矛盾…、してますか(笑)? / 揚水 ( 2002-05-02 00:20 )
綺羅さん、確かテレビで放映されていた覚えがあります。父親役がビートたけしさんではなかったでしょうか。今年に入ってある人とそのことが話題になり、彼は「(輸血できないなんて)笑っちゃうよね」と言っていました。僕は一瞬彼に憎悪にも似た感情を覚えましたよ。彼は自分の宗教が大切にしている「お題目」を誰かが馬鹿にするのを聞いたらどういう思いがするでしょう? 人が大切にしているものは、例え自分が容認できないことであっても馬鹿にしてはいけない。僕にも難しいですが。特に陰口は醜いですね。 / 揚水 ( 2002-05-02 00:19 )
↓輸血を親が拒否したため、子供が亡くなってしまう・・・そんな感じでした(内容)。揚水さん、もっと平易な文章を・・・でも難しそうだからこそ、読みたくなるんです。むぅ・・・矛盾してます。 / 綺羅 ( 2002-05-01 16:55 )
エホバの証人、という映画(?)がありまして、輸血に関する問題でしたが、当時小学生だった私は、随分もどかしさに駆られたものです。宗教に入ろうとは思いませんが、納得がいかないからその人を排除するような考え方は、私も嫌いです。自分の持っていないものも理解しながら進みたいですね、私は。 / 綺羅@理系なりにがんばりました ( 2002-05-01 16:49 )
共感する、あるいは反感を持つという方は、よろしかったら[たくさんの神様][真理][いい加減な奴に「いい加減」と言われて怒るいい加減な奴]をご参照ください。 / 揚水 ( 2002-05-01 16:02 )
このように言ったからといって僕が「エホバの証人」などを信仰する人々を否定するものではありません。僕は本当に心の底から、真実彼らを認めなければならない。僕にとって彼らは異質なものです。だからこそ知るべきだし、知った上で彼らの生き方を心底認めなければお互いの排斥を進めるだけです。異質なものの排斥。かつてそうしたことが原因の人類の不幸は多々あって、今もそれは進行しています。自分と人は異なるものだと知りその上でそれを受け入れるように努める。即実現できずとも、それが僕の「対処法」の一つです。 / 揚水 ( 2002-05-01 15:06 )

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