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おけいのテアトルな日々

人は役者、人生は劇場にちなんで、ページのタイトル名を
かえました。ときどき、芝居の感想も書きますね。

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2005-02-10 プログにお引越し
2004-12-23 「子どもの声を受け止める」高木眞理子講演会
2004-12-20 「ジャンピングラビット」(平常人形劇公演)
2004-12-16 「少女と老女のポルカ」(一跡二跳)
2004-12-11 「あなたがうまれるまで」(つげくわえ・北村直樹)
2004-12-08 子育ての風景
2004-12-01 なぞのかぼちゃプリン事件
2004-11-29 文学座公演「家路」
2004-11-28 「笑いの大学」(映画版)
2004-11-26 「ほぼ日手帳」届きました。


2005-02-10 プログにお引越し

サーバーが重くってアクセスが難しくなりました。
新年からはプログに引越しです。
こちらはごくごくプライベート用ということで。

では、また。

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そしてまたひな祭りの時期です。。。 / ( 2006-03-02 07:38 )
お誕生日おめでとうございます。今どこにいるの?おけい節が読めないから淋しいです。 / ( 2005-07-02 07:28 )
いや、別にいいんだけど、新しいサイトのご住所は、できればあった方が良いなあ。 / くすのき燕 ( 2005-03-07 12:51 )
え〜ん、三人官女がそろわないよぉ(泣) / ( 2005-03-02 15:30 )
どこよ、どこ? / きんとと ( 2005-03-02 15:20 )
え?え?どこ?どこ? / 秋 ( 2005-02-10 12:42 )

2004-12-23 「子どもの声を受け止める」高木眞理子講演会

石川県でチャイルドラインを実施し、NPO法人チャイルドライン支援センターの理事でもある高木さんのチャイルドライン実践の取り組みを通した講演会。子育て支援をしている10代の子どもたちを支援する大人サポーター向けの養成講座のひとコマで行われた。
チャイルドラインにかけてきた子どもたちの話は守秘義務が約束されているので、今回の話は主に受け手ボランティアのおとなの感想が中心である。
チャイルドライン(子ども電話)は子どもの相談を受けているのではない。子どもの声を「聴く」ことがその存在理由である。そして少なからぬ電話が無言電話であるという。
高木さんの今回の話でその無言を受け留めることの意味がはじめて解かった気がした。

チャイルドラインの「受け手」は、チャイルドライン研修を受けたボランティアが担当している。無償のボランティアだから子ども思いの心優しい大人ならば誰でもオッケーかというと必ずしもそうではないらしい。
「聴いてあげるよ」という大人は必要ないと高木さんは言う。ボランティアをしてあげるという意識ではダメ、させていただくという気持ちが必要だと。
高木さんの石川県では2ヶ月をかけて週1回全講座10回の「受け手」研修を行っている。
「聴く」ことの意味を改めて考え直すことができるメリットに気づいてからは、講座はボランティア希望者以外にも広く一般市民に開放されることになった。
チャイルドラインには、電話を受ける「受け手」ボランティアをサポートする「支え手」担当者がいる。かかってきた電話は切れた時点でおしまいではなくその後のふり返り(検証)を重視しているのだ。
子どもからかかってきた電話に先回りして訊き返してはいけない。次の言葉を促す言葉を返すだけ。無言には無言で待つ。実際子どもが話し始めると受け手(大人側)の予想と違うことが多く無言で待っていてよかったことに気がつくそうだ。受け手の大人はつい子どもの言葉をリードしてしまいがち。喋りすぎて相手の話を『聴け』なくなる。聴くこと=話さないこと、だと。
何度もかかってくる無言の電話に対しては常に一定の同じ反応を返していく。こちらがあきれたり投げやりになると電話の向こうには直に伝わってしまう。ひたすら子どもが信頼して話し始めるのを待ちつづける。
忙しさに紛れてつい子どもの話しを後回しにしがちな大人、問題がおきたときだけ即応を強いる。話の内容だけでなく、話をしたいという自分を受けとめて欲しい子ども。やがて「別に」「ムカつく!」くらいしか大人には喋らなくなる。
電話の向こうに見えてくるのは、孤独で辛さを抱えた子どもの姿。「私を観て欲しい!」という叫びだという。
「受け手」希望者は原則的に全員受け入れているが、結果から言うと教職経験者は向かないという。教師の対応は即解決の方向に行きやすく職業柄子どもの話を聴いていては勤まらないからだろうと高木さんは苦笑する。教師のような親になってはいなかっただろうかとちょっぴり悔やまれる。長く生きているほど自分の中のそぎ落とさなければならないものが多すぎて「受け手」には不向き。お年寄りにもなかなか難しいという。
子どもの話を聴けない人は、大人の話も誰の話も聴けない。自分のことを「聴いて」貰えたと感じた人だけがはじめて人の話を受け止められる。チャイルドラインで子どもたちと向き合うことでそんな大人をひとりでも社会に増やしていきたいと高木さん。
大人社会こそチャイルドラインを必要としているのかもしれない。

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チャイルドラインのシールが家の電話の横に貼ってあります。 / 秋 ( 2005-02-10 12:43 )
kouさま:ほんっと、みんな自分のことを聴いて貰いたい人ばかりですものね。 / おけい ( 2005-02-10 12:25 )
あるまじろさま:ホント、あたしも自分が聴き下手だなあと忸怩たる思い・・。 / おけい ( 2005-02-10 12:24 )
最後の「大人社会こそチャイルドラインを必要としているのかもしれない」、同感です。これはおけいさんの感想ですか? / kou ( 2004-12-28 10:51 )
僕も人の話を聞くのは難しいと自覚している。それより自分のことを語っていたい。表現したい。そういう独りよがりなとこがある。人の話を聴くこと、必要な場面も必ずあるだろうに。うん、意識しなければ黙っていられないことも自覚しようと思います。 / あるまじろ ( 2004-12-26 17:42 )

2004-12-20 「ジャンピングラビット」(平常人形劇公演)

この生意気で信じられないほど巧みに人形を操る若き人形劇俳優の平常(たいらじょう)の存在をどう伝えたら分ってもらえるだろうか。
知らないくせに何となく人が抱いてしまっている人形劇のイメージを一瞬にして粉砕し、たちまちその魅力の虜にしてしまうエキサイティングなライブ、それが彼の人形劇パフォーマンスだ。
地方の演劇祭で奨励賞を受けたのがなんと13歳のとき。以来エネルギッシュに活動を続けている。人形劇が若い男の子の心を捕らえるということに驚くではないか。
飯田の人形劇フェスで「マウスプロポーズ」(「ネズミの嫁入り」をこんなに胸キュンな人形劇にしちゃう彼。ファンというよりもう気分は追っかけ!)観て以来です。
不慣れな山道を山口県の阿東町へ。ここか六本木に観に行くしかないんだもん。
コンビニで出会った見ず知らずの町の人が真っ暗な夜道を会場の公民館まで車で先導してくれた。「田舎の人は不親切」の前言はさっそく撤回しなければならない。クリスマスのイルミネーションに飾られた地元の公民館。2・3歳から小学校の高学年までまるで町中の子どもたちが集まったよう。
みんなで観る人形劇に平常をセレクトするくらいだから、ここの子どもたちはなかなかのもの。例年観続けたステージの選択眼にちょっと驚く。
今回の人形劇は(死んでしまった)母に会いたいと願ったうさぎのプージャンが住み慣れた森を後にして冒険のたびに出かけるお話。砂漠を抜け人の住む街にたどり着く。初めて見る海や雪に驚き、母の居る空に向かってジャンプを続ける。最後に宇宙に住む魔王に不思議な種をもらって地球に帰ってくる。ちょっと「ドリームオブチャイルド」似た感じのストーリー展開だが、トランクから出てきた一体のウサギの人形と小道具はすべて新聞紙を丸めて作るという超シンプルな舞台。音響は平さんの生歌。
すぐに弱音を吐いて愚図るプージャンを子どもたちが一生懸命元気付けて応援する。まるで打ち合わせたかのような絶妙の一言が返されるのには舌を巻く。人形劇には多すぎる300人近い観客のほとんどが子どもたち。ハチャメチャともいえる場面展開とまだろっこしいストーリー進展に大人のお客は固まっていたが、それに較べて子どもたちの熱狂的な反応が際立っていた。芝居が終わると、前方席に陣取った子どもたちから大きな拍手が起こった。彼らには大人に分らない「何か」が見えるのだろうか。
人形劇のお兄さんと呼んでしまうには、オシャレで都会的なちょっとアブナイ雰囲気を感じさせる平常、北海道生まれ23歳のパペッティアー。完成されたように見える彼の人形劇がこのような試行錯誤の果てに作られているのだとは意外な驚きである。「ジャンピングラビット」がこれからどんな世界を広げるのか、ちょっと目が離せない感じ。
帰りに子どもたちとおんなじお菓子の入った小さな袋をもらう。鈴カステラの形に焼いた小さな二重焼きふうの手作りのお菓子(あんこ入り)美味しかった。町の人たちの子どもへの愛情が感じられて心が熱くなりました。

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あるまじろさま:2005.2/3(木)〜27(日)たいらじょうによるアートエキシビジョン「平常・空間劇場六本木」開催中。 / おけい ( 2005-02-10 12:23 )
また一つ新しい名前を知ることができました。機会を見つけたいと思います。 / あるまじろ ( 2004-12-23 19:32 )
異色の若手役者なので、テレビや新聞の取材もよく受けるらしい平さん。東京で、若手が、プロで、ソロで、人形劇を、ビジネスとして…という夢に向けて彼の苦悩と焦燥感を思うと、応援したくなります。 / おけい ( 2004-12-22 07:44 )

2004-12-16 「少女と老女のポルカ」(一跡二跳)

シンプルな舞台だと思い込んでいたが、カッコいい正装の男たちのダンスで幕があき一瞬にして舞台はポップで華やかな雰囲気に。
ハルさん(老女)の部屋に来るようになったイッコちゃん(少女)、その部屋を訪ねてくるさまざまの人間を全員男性の7人の役者が演じている。
ハルさんの回想シーンでは時間も前後するし、突然現れた登場人物は当たり前だが自己紹介やいきさつを説明しない。話はどんどん前に進んでしまうため当初は人物関係がまったく分らない。のべつこの部屋に入り浸る男は誰で、シンプルな舞台に驚くほど食べるシーンが多いのは何故。
舞台は進展することにより実に巧妙に人物関係が解き明かされていく。イッコちゃんが学校に行っていないこと、ハルさんの医師、残してきた息子、イッコちゃんの担任、別れた父親、給食のパンを持ってくる同級生。そして二人の新一郎・・・。
サロペットのズボンに赤いランドセル姿の「声も野太いし、ひげも濃いし」(中年の男の役者が演じているのだから)というイッコちゃん(松浦光悦)が舞台が進むに従いキュートな小学五年生の女の子に見えてくる。あの微妙な年頃の女の子を内面までこれほど巧みに演じた芝居はないだろう。舞台のリアルの凄さである。
「食べてよ、・・・生きてて!」というイッコちゃん言葉に胸を突かれる。
ただのばあさんとしか思えなかったハルさん(奥村洋二)が、彼女の人生が解き明かされていくにつれて、淡々と自らの死を選択する姿に打たれる。人はこのように老いを迎え死を受け入れることができるのだろうかという新鮮な感動である。
不思議なことに、懸命に生きなければという勇気が湧いてくる。老いてやがて死ぬ自分が恐くなくなっている自分に一番衝撃を受けたのは観客席の私自身であった。

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スーパーしえろさま:この感激を誰かにも伝えたいよね。まあ、余計なお世話なのかもしれないが・・。 / おけい ( 2005-02-10 12:20 )
好きです。脚本、買っちゃいました。古城さんに、サインもらいました。。。最後の記念撮影の場面に、涙しました。 / スーパーしえろ ( 2004-12-19 20:25 )

2004-12-11 「あなたがうまれるまで」(つげくわえ・北村直樹)

おそらく日本で一番有名な新作人形劇ではないだろうか。
生まれたけどまだ産まれてないお腹の赤ちゃんのお話である。生身の人間の演じる芝居では逆立ちしても上演は無理だろう。まさに人形劇ならでは人形劇なのだ。

最初に上演されるショートストーリー「キライキライちょっと好き」は、りんごをめぐる2匹のあおむし(全長20p程)の争奪戦。まじめで常識派のチビあおむしとのんきで楽天的な太っちょあおむし。シンプルな仕掛けと巧みな動きで演者二人のキャラまで浮かび上がらせる。早起き鳥と朝寝坊鳥のヘビ騒動では二人の人形への身びいきがシュールなバトルを展開。観客をしっかりとつかんで、日常生活と体内進行が交錯する「あなたがうまれるまで」への見事ないざないとなっている。

「広い宇宙の片隅の小さな小さな地球という星のそのまた小さな片隅でひとつの命が生まれました」きらりと光る小さな星、命の誕生である。可愛い尻尾で泳ぎ回る胎児や手足がやっと生えてきたばかりの体内の赤ちゃんがへその緒で縄跳びをしたりカーボーイハット姿で投げ縄をしたり、軽快な「よだれだらだら、おしっこジャージャー〜」の歌も楽しい。銀のスーツに身を包んで宇宙遊泳と、つげくわえが2ヶ月から生まれる直前までの胎児を何とも楽しげに演じている。
パパとママが喧嘩をすると「僕、生まれてもいいのかな」と心配し、赤ちゃんにあれこれと語りかける二人の姿に「パパを宇宙に連れて行ってあげるよ」と頼もしい。
ラストの出産シーンでらせん状の産道を必死に這い上がる姿は感動的だ。「頑張れよ」「もう少し」と会場のあちこちから子どもたちの声がかかる。生まれてくる赤ちゃんにとっても大変な難行なのだ。出産を赤ちゃんの側から描くというのがすごい。

見ていた私は、しんどいのは産んで育てた親の自分ばかりじゃなかった。こんな私に育てられる方も大変だったのだと気づく。
どんな人間も生まれ出てくるまでにさまざまな悩みに心をめぐらせ、大変な難業の末に産道をくぐり抜けてこの世に生まれてきたに違いない。つまらない人間などであるはずが無い。取るに足らない人間などであるはずがないのだ。
胎児だった私が、生まれてくることを勇気を持って「選択した」からこそいまの私がいる。そう思ったら胸がいっぱいになった。

会場は小さな子どもたちをつれた子育て中の母親が圧倒的に多い。今は子育てに手いっぱいだろうけれど、この世に生まれてきた「たった一人の自分」と向かい合う日が来たとき、またこの人形劇を観に来られるといいね。

子どものためじゃない、自分自身のための人形劇だったことに気が付くはずです。

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さにゃえもんさま:大人になっても持ち続けることができた純粋さが、本物のピュアでありましょう。 / おけい ( 2005-02-10 12:19 )
スーパーしえろさま:あたしも「むふふ♪」でその魅力が伝えられるようになるといいんだけどなぁ。 / おけい ( 2005-02-10 12:17 )
あるまじろさま:当たり前に考えると生身の人間が演じたほうがずっとリアルに感じそうなものですが、人形ってのは不思議な世界を持っているようです。 / おけい ( 2005-02-10 12:16 )
作り出しているのは大人なんだろうけど、なんだか物凄いピュアな感じがするね。こういう表現が出来る方々やその表現に立ち会える人って凄く幸せなんじゃないかって思ったわ。 / さにゃえもん ( 2004-12-16 00:44 )
むふふ♪ / スーパーしえろ ( 2004-12-14 21:29 )
私は未婚ですが、これ読んで静かに感動しました・・・。http://life7.2ch.net/test/read.cgi/baby/1081949796/ / うぃっち ( 2004-12-13 20:45 )
人形劇の中のリアルを一度見てみたいですね。 / あるまじろ ( 2004-12-13 15:13 )

2004-12-08 子育ての風景

年に一度か二度、こつこつと貯めた貯金を奮発して東京に芝居を観に行く。
芝居のほうは事前の思案が足りないと失敗作に当たってガックリということも多い。

いつも感心するのは都会の人々の公衆マナーのよさである。
先を急ぐ人にちょっと場所を譲ったり、後からの人のための小さな心遣いがうれしい。
狭い場所に大勢の人間が暮らしているのだから、自然と身に付くのだろうか。
やってきた電車やエレベーターに我さきに乗り込もうとする子どもを制する大人(親)の姿をしばしば見かけた。「待ちなさい」と目で制してそっと手を添える。
三日足らずの東京滞在で見かけただけでも3、4回はあったろうか。

ここ広島に越してきて10年近くになるがついぞそんな大人を見かけたことが無いのだ。
田舎の人は知り合いになると大変に親切だが赤の他人にはそっけない。
行きずりの他人に対しては信じられないくらい不親切なのだ。

そしてこの街は子どもも大人も大いに無作法な街である。

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東京に住んでいたときには都会の悪いところばかり目に付いた覚えがあります。でも中途半端な地方都市に住んでみると東京のスゴサが分かる。都とは住み人の心意気のことだと。 / おけい ( 2004-12-28 07:59 )
時と場合によっては常にそのマナーが正しいとは限らない。まさに文化なのだと気がつきました。生活スタイルに自分なりの美学があること。これが都会人ということなのだと思います。 / おけい ( 2004-12-28 07:56 )
自分に都合のいいやり方が他の人間を危険にさらしていないか?これがその時にその行動がマナーとして成立するかの境目かと思います。いつも並ぶのが正しいとは限らない。でも臨機応変に対応できるようにするには早いうちに身に着けておいたほうがいいのかも。 / おけい ( 2004-12-28 07:51 )
公衆マナーいいですかね? 悪いのだって沢山居ますよ??地元のせいか・・・悪い事ばっかりが目についちゃいます。 / まんた ( 2004-12-14 15:18 )
大人がマナーを守る・・・・・・関西に住み慣れた私には縁遠くなってるような言葉です^^;是非とも東京を見習いたい^^ / くぎ ( 2004-12-12 13:10 )
あー、そんなんでっか。昔、トーキョーに住んでた時、「関西人は並ばない」とよく言われて、帰って来てから「たしかにそーやなー」と密かに思ってたんですが、マナーが悪いのは関西人だけとちゃうちゅーことでんな。あーよかった。(何がええんやろ?) / そううつ ( 2004-12-08 22:29 )
スーパーしえろさま:やたらと制限したり禁止事項を並べたりする大人は多いけれど、おだやかに繰り返し教えている大人を見かけないよなあと思ったの。もちろん、自戒の意味を込めてよ。 / おけい ( 2004-12-08 21:37 )
実家の福岡でもバスに乗るのにワラワラ人が集まってくるよ。東南アジア的。東京で電車に乗るのに、整列している状況を母は理解出来ないらしい。これはもう、文化の違いとしか言いようがないね。人が多すぎるから、そうでもしないと成立しないのよ。でも、どっちが人間的だろう? / スーパーしえろ ( 2004-12-08 19:53 )

2004-12-01 なぞのかぼちゃプリン事件

ある日届いたクール宅急便のお届けもの。
宛先には心当たりはない。さてはプレゼントのスイーツにでも当たったかな。
中から出てきたのは冷凍のかぼちゃプリン、「ご利用ありがとうございます」の紙。
ん? ご利用?
新宿に住所のある株式会社なにがしにはまったく心当たりがない。
気味が悪いじゃん、何だか。爆発でもしたら・・・、と冷凍庫の中の箱を思い浮かべてその晩は何だか寝付かれなかった私。
懸賞サイトに入り浸るのもいい加減にしたほうがいいよなと反省しきり。

翌日、意を決して宛先の会社に電話してみる。
「お調べします」と少し待たされた挙句にわかったことは、申し込んだ某メルマガの購読者プレゼントだということ。(連絡もなしに賞品が送られてくることも多いのです)
な〜んだ。そうか!では、遠慮なく頂くことに。
殊勝にも反省した心根もつかのま、またせっせとプレゼントに応募しだす私。懲りないのねえ。

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あるまじろさま:さすがに贈り主が不明のプリンは、どんなに美味そうでも踏みとどまる勇気(?)があったと見えます。人生はお伽噺じゃないことを知っているから。 / おけい ( 2004-12-08 21:30 )
お湯さま:こういうお菓子はひとりでお腹いっぱい食べるよりか、仲間でわいわいやりながらもう少し食べたかったのに〜とぶつぶつ言って食べるほうが断然うまい!来るかい? / おけい ( 2004-12-08 21:27 )
おけい様にそんなご趣味があったとは。事件がめでたく解決とはさすが。 / あるまじろ ( 2004-12-07 21:14 )
ああ!なんか素敵な事件が起こりそうな素敵なタイトルです!「なぞのかぼちゃプリン事件」!しかし正体不明の小包って不安ですよね。でもおいしそ〜!!つっこみご無沙汰してます。 / お湯 ( 2004-12-07 03:12 )
ほ〜んと、女は甘いものに弱いからねえ。気をつけなくっちゃ! / おけい ( 2004-12-05 22:45 )
けど、怖いですからね。 覚えの無い物は調べてからの方が絶対いいですよ!最近の世の中は怖いですから。 / まんた ( 2004-12-05 17:44 )
うぃっちさま:では、いい男限定ということで。とりあえず、くすのきさんはクリアです。うぃっちはボーダーライン? / おけい@残りは全部あげるからね。 ( 2004-12-04 14:00 )
くすのきさんのご期待にお応えして(?)「かぼちゃプリン」現物にリンクできるようにしました。スイーツというより最早立派な食料でしょ。 / おけい ( 2004-12-04 13:58 )
うまそうですね。くすのきさん。一緒に急襲かけましょう! / うぃっち ( 2004-12-02 20:38 )
うまそうですな。 / くすのき燕 ( 2004-12-02 14:30 )

2004-11-29 文学座公演「家路」

友人が市民劇場の例会に行けなくなったからと、チケットをまわしてくれた。
文学座の芝居は楽しみにしていたんで、遠慮なく譲ってもらうことに。
前に見た「缶詰」もなかなか面白かったし、
加藤武、吉野佳子、本山加久子、砂下砂稚子・・・と芸達者ぞろい。
ちょっとは期待して出かけてんだけれど、いわゆる「地雷を踏んだ」というほど酷い芝居じゃなかったにせよ、見終わってぐったりとしちゃう2時間半でした。

さすが文学座のベテランぞろい、芝居は巧い。2時間ほど前に演じられた3ヶ月前のシーンから家族の雰囲気が微妙に変わっていくところをあざとくなく見せてくれる。
だが、妻が変わって夫が変わって夫婦が再生されていくという題材も娘の自立や若い父親のパパになる自覚の目覚めも、今さらながらの感がする。
二番煎じのようで新味に乏しいのだ。


こんな芝居をやってみたいという役者の権力が強すぎで、「なぜ芝居をやるのか」という肝心な事がおろそかにされているのじゃないのか、文学座は。

先頭 表紙

お芝居の中味はたいした話じゃなかったけれど、何となくじ〜んと心にきたなあという友人もいました。それぞれの観客の人生がお芝居の反響板だから面白さは人さまざまであります。「演劇のあり方」にこだわり過ぎるのも私の人生なのかもしれないなあ。 / おけい@文句は言うけど、結局観に行く私 ( 2004-12-05 08:22 )

2004-11-28 「笑いの大学」(映画版)

今月2回目の映画で、今年一年分見てしまったような気分。
こっちは別の映画館でとってもきれいなシアターでした。
こじんまりしたホールで、イスの座り心地が最高!
映画っていろんなことが出来るんだなあと、映画初心者の私はすっかり感心しちゃった。
小劇場で上等の芝居を観たような映画だったから、見終わって思わず拍手しそうに・・。

こじゃれた感想なんかいえなくってもいい。
演劇にとってこんな観客でありたいものだと心がキュンとしちゃいました。

あの映画見たらどうあっても三谷幸喜の芝居が見たくなる。
その意味では上等のプロモーションビデじゃないかと、三谷さんに脱帽。

先頭 表紙

秋さま:あとになって印象に残る映画は、どっちだろうな。ハウルと笑いの大学と。 / おけい ( 2004-12-05 08:15 )
kouさま:観客総数は減っているのに、特定人気劇団に集中する二極化現象が起きているらしいの。安定株もいいけれどこれから育つ劇団の最初のお客さんにもなりたいですよね。 / おけい@昔からのファンなので、スゴイなあ ( 2004-12-05 08:13 )
昨夜のレイトショーでやっと観ました。明日で上映終わりなのでギリギリ。面白かった!友人と二人で貸切上映(^^; 空いているにしてもあんまりだよなぁ。。。 / ( 2004-12-01 19:33 )
三谷氏の舞台のチケットは今ではもう手に入りにくいでしょうね。10年前は当日券もちゃんとあったのに(大阪でですが)。 / kou ( 2004-11-30 13:29 )
ちっくしょうめ、ぶん殴ってやりたくなるぜ。こんやヤツは。東京在住者はなんと言ってもやっぱり有利じゃん。 / おけい@今度はご一緒にね。 ( 2004-11-29 22:02 )
へっへっへっ。あっしゃあ、芝居版の方を見てやすぜ。そりゃあ、おもしろかったですぜ。 / くすのき燕 ( 2004-11-29 15:48 )

2004-11-26 「ほぼ日手帳」届きました。

毎日のように見に行ってるHPで
手帳の製作状況が逐一紹介されて、しかも発売まであと何日ってせかされ、
あんな便利、こんな使い方なんて楽しげにアップされてるでしょ。

限定販売とか、残りわずかってのにすこぶる弱い私は
とうとう申し込みメール送っちゃったのです。
まあ、去年も欲しかったのですが、一冊3000円もする手帳なんてもったいなくて
お正月にミスドの福袋で手帳を当てるのが楽しみだったりしたし。

でもね、買っちゃいました。
「グリーンティ」っていう淡いグリーン。大好きな色です。
詳しく知りたい人はこちらを。
http://www.1101.com/store/techo2005/colors/index.html

芝居のチケットを入れるものが欲しかったのです。
電子チケットなんぞもあるご時世ですが、
私は、時々取り出してチケット眺めるのが好き。これって、チケットフェチ?

先頭 表紙

しえろちゃんが言うんだから確かです。しかも、彼女はその恋人と半同棲中?! / おけい ( 2004-12-05 08:08 )
あるまじろさま:お家に帰るまでが修学旅行ならば、チケットを買ったときから、開演ベルを待ちわびるのが私にとってのお芝居かな。 / おけい@ときどき手ひどい失恋もするけど ( 2004-12-05 08:05 )
秋さま:いま、ちょっとした手帳ブームかも。ほぼ日手帳、パタンと開いてすっごく使い易いの。何だか飛びっきりの一年が始まりそうな予感。 / おけい@追加販売も始まったよ〜 ( 2004-12-05 08:00 )
そうね、芝居を見るのと、恋をするのは似ている、と思います。 / しえろ ( 2004-11-30 21:21 )
チケットを手に入れてから会場に行くまでその芝居に恋してるみたいですね。 / あるまじろ ( 2004-11-26 23:32 )
ああん。もっと早くに教えてよぉ〜。今年はミスドで我慢なのだ、一昨日手に入れたのだ。来年は「ほぼ日手帳」の赤にするっ! / 秋@影響されやすいヤツ ( 2004-11-26 02:07 )

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