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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-05-03 本日はお日柄も良く
2002-05-02 てるてる坊主
2002-05-02 不安もあれば期待もする
2002-05-01 いちにの、
2002-05-01 ご期待に添えません
2002-04-30 バー「シックスポインツ」
2002-04-29 ごちそうさまでした
2002-04-29 お散歩
2002-04-28 アイ・ラヴ・ユー
2002-04-27 うららか


2002-05-03 本日はお日柄も良く

朝、陸丸と連れだって田植えを手伝うお宅に向かう。
家に着く途中で、既に知人とそのお父さんと弟さんが田圃に出ているのが遠目に見えた。
僕は他所の畑の脇の細道を通り、直接田圃に向かった。

知人が操作していた田植機。
手押しの一輪車状のもので先頭部にエンジンが付き、その後ろの一輪車とは逆向きに反った板の上にはシート状にされている苗が載せられている。
ゴムコーティングされたホイールの両脇にフロートが付いていて、車輪が回転しながら前に進む機械の安定を図っている。左右のフロートのそれぞれ内側、中央よりやや前部寄りには機械の爪が一つずつ付いていて、前に進みながらがっちょんがっちょんと、苗を摘み取って植えていく。

陸丸を繋いで最初に挨拶だけ交わすと、お互い余り話すことなく、僕はその作業の様子を見ていた。
「上手く植わらんとこは手で植えるんだあね」
「そう」

僕は田圃用の長靴を借りて、機械が入らなくて植えられなかったところに苗を新たに植え、浮いている苗は植え直し、植わっていないところや苗が細いところには植え足していった。
陸丸がキュンキュンピスピスうるさいので離してやると、彼はその辺をうろうろしていた。弟さんの小さな息子さんが母親やお祖母さんに付き添われて見物していた。

三枚の田圃に苗を植え終わると、坂道を上り、家のすぐ下にある四〜五枚の田に向かった。そこの一枚目がほぼ終わる頃お午になった。
裏庭に用意されたテーブルで昼食をごちそうになった。午前中はお母さんやお祖母さんにくっついていた、これもまた小さな知人の息子さんが従兄と一緒になってうろちょろしているのが笑えた。

昼からは僕も一度田植機を操作させてもらった。思った通り難しかったが、その時そばにいた知人とお母さんは誉めてくれた。自分でも初めてにしてはなかなかやるじゃないかと思った。それでも当然、知人やお父さんがやるようには上手くも早くもない。
弟さんは今年初めて田植えを手伝っているらしく僕とどっこいどっこいのようだった。

再び僕は手植え作業に戻った。浅い水のそこかしこに蛭が泳いでいる。やはり蛭は歩くことよりも泳ぐ方がスムーズだな、と思い、妙に感心した。

長袖を肘の上まで捲り上げて作業していると、日焼けの境目がくっきりと出来ていて陽差しが強いことが知れた。この頃から梅雨の時期の晴れ間は陽差しがなかなか強いので馬鹿に出来ない。
四時半過ぎには田植えは終わった。

「いつもは一日掛けて機械で植えてしまって、翌日から時間のある時を見て手植えするのが一日で終わって助かった」とやたら感謝された。ただやりたかっただけなのに。

縁側でビールをごちそうになった。弟さんと奥さんは帰る準備をしていた。知人の奥さんとご両親は何やかやと家の中で働いているようだった。
知人と二人で子供らが遊ぶのを横目に飲みながらお喋りをしていた。陸丸はいつの間にか友達の家にでも行ったようで、いない。
そのうち弟さん一家は帰っていった。

お母さんがお土産にお昼のちらし寿司と筍の煮物、沢庵を詰めてくれて、ビールも六缶くださった。寸志までいただいた。はじめは辞退したが、彼らは僕が無職なのを知っているし、実際助かるのでありがたくいただいた。ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんです、どうもありがとうございました。

帰りがけ、生後八日目の知人の娘さんを見させてもらった。
とても可愛かった。

先頭 表紙

赤ん坊、可愛いですよー。田植えは楽しかったです。 / 揚水 ( 2002-05-03 23:09 )
ちらし寿司おいしそう・・・・本日私はカレーでした。生後8日の赤ちゃんは見たこと無いですが、かわいいのでしょうね。田植え、ご苦労さまでした。 / 綺羅 ( 2002-05-03 21:38 )

2002-05-02 てるてる坊主

昔々、遠足の前日に作ったてるてる坊主。
雨が降って、「効き目ないじゃん」なんてボヤいてゴメンね。

明日は近所の田植えを手伝うのだ。
楽しみ。

先頭 表紙

パーさん、反射神経の方が注意力より先行しましたね。蛭より「ブト」が鬱陶しかった。この地方でのブヨの方言ですね。あれに刺されるとポンポコに腫れるし、いつまでも猛烈に痛痒いんですよ。森林組合の作業員やってた頃はずいぶん悩まされました。刺され続けるうちに多少は慣れるんですが、毎年最初に刺されるときは酷いんです。今回刺されずに済んで良かった良かった。 / 揚水 ( 2002-05-03 20:30 )
ようこそ、あみすけさん。専業農家の方たちがこの時期を田植えの季節としているのかどうかまでは知らないのですが、兼業農家の方にとって、ゴールデンウィークというのは格好の田植えシーズンなのでしょうね。そこかしこで田植えしてました。実は僕の大家さんも今日が田植えだったようです。いいのかなあ? 他所手伝いに行っちゃって。 / 揚水 ( 2002-05-03 20:29 )
↓つかれてるときにやると前のレスをみおとしてこーゆーアホなつっこみいれやがるわし。蛭には注意してね。 / パオラ ( 2002-05-03 18:34 )
田植えは機械でするの?それとも手? / パオラ ( 2002-05-03 18:33 )
丁度田植えの季節なんですね。農道を走ると少し怖いですね。どっぽんと落ちたらどうしましょう(^^;)。 / あみすけ ( 2002-05-03 08:27 )
いえ、多分機械です。んでもって抜けたところや狭いところで植わらないところは手で植えるんじゃないですかね。抜けたりつかなかったりしたところは日を置いてまた手で植えるはずです。目の端で見掛けたことはあっても、なんせ実際にやるのは初めてですからねえ。多分としか言えません。たーのしみー。 / 揚水 ( 2002-05-03 01:07 )
手で植えるんですか? / KYON ( 2002-05-03 00:36 )

2002-05-02 不安もあれば期待もする

さて、これから採用に当たっての説明を受けに行きます。
具体的に何を用意すればいいのか、いつからどのように動き始めるのか、その他諸々のことをうかがってきます。

再び働き始めれば、面白いことや人の他にも、イヤなことや人に出くわすこともあるでしょう。
のんきに平和なことばかり言ってなんかいられなくて怒ることだって出てくるでしょう。

でも、大丈夫です。この先楽しみです。

だって俺生きてるんだもん。

先頭 表紙

綺羅さん。お許しも何も、お好きなようになさってください。全く構いません。ここにはよく暴走する方もお見えになるのですから大丈夫です。 / 揚水 ( 2002-05-03 20:29 )
すみません、変な所に突っ込んでしまいました。どうかお許しを・・・・、揚水様。 / 綺羅 ( 2002-05-03 07:10 )
シマウマの後に「さむっ」を入れるのを忘れました、とほほ。照る照る坊主は、幼稚園以来作ってないです、遠足の前の日に作った覚えが・・・。↓師匠に私も座布団を用意せねば・・・・。 / 綺羅 ( 2002-05-03 07:08 )
うまい! 座布団20枚! / 揚水@座れば倒れるか(笑) ( 2002-05-02 23:13 )
新就学児童のようなときめきと嫁入り前の娘のような恥じらいがないまぜに・・・とゆーかんじでしょーか? / パオラ ( 2002-05-02 13:57 )

2002-05-01 いちにの、

さ〜んーはいブギウギ。

先頭 表紙

壊れるように遺伝子に情報が刷り込まれているからです(笑)。 / 揚水@僕の遺伝子にも ( 2002-05-03 20:31 )
リンダリンダを歌うと、どうして大抵の男性は壊れてしまうのでしょう?(笑)謎です。 / 綺羅 ( 2002-05-03 11:23 )
セロリ(まさやんバージョン)、上を向いて歩こう、リンダリンダ、YMCA、息子(民生さんのヤツね)、旅の宿、黒いカバン、涙のリクエスト、その他にもいっぱい歌いたい歌はあっても、これが十八番というのは思い付かない。 / 揚水 ( 2002-05-02 23:13 )
私のカラオケ十八番は「銀座カンカン娘」。 / パオラ ( 2002-05-02 13:56 )
あー、はい。にまにましながら例のあの歌を口ずさんでみてくだされば幸いです。 / 揚水 ( 2002-05-02 00:50 )
ここ、笑うところですか? / まう ( 2002-05-02 00:22 )

2002-05-01 ご期待に添えません

世にある質問のうち、そのほとんどは設問とそれに期待される答えがワンセットになっており、質問が発せられた時点で答えはごく狭いものに限定されているか、自問の場合質問を発した時に答えはほぼ出ている。
それは例えば数学の問いに対して解が用意されているようなことにとどまらず、「人を殺すことは是か」、「人はいかに生きるべきか」などの「崇高」な問い、はたまた「ねえあなた、このタマネギ腐ってると思う?」などの素朴な問いに対しても大概は当てはまる。

ここに一つの質問がある。

「自分の好きなように神を崇拝してよいのだろうか」
 (エホバの証人機関誌『目ざめよ!』2002年4月22日号表紙より)

設問が導き出そうとしている答えは自明のことと見なされていると想像できる。
ページをめくり目次を見ると

「自分の好きなように神を崇拝してよいのだろうか」
今日、ますます多くの人が上の質問に「よい」と答えることでしょう。この傾向の背後には何があるのでしょうか。宗教を個人的な好みに合うように作り変えることによって、霊的な必要を本当に満たすことが出来るのでしょうか。

とあり、設問の方向付けがさらに明確にされている。蛇足ながら「霊的な」とは‘spiritual’の対訳語だろう。もっとよい訳語を望む。
本文はB5版より少し小さい冊子の8ページが割かれ、さらに詳しく「宗教離れ」に対する危惧とそれについての対処法が述べられている。

本文を読めば納得させられるところもむしろ多く、その限りでは僕が設問に対して「それはよくない」と答えてもおかしくないと思う。けれど結論から言えば、設問に対する僕の答えは「よい」だ。それは本文を読んでの後の答えだ。

冊子ではローマ・カトリック教会が第二次大戦当時ナチスなどファシズムと結びついたことを告白し、「伝統的な宗教が戦争や抑圧的な政権を支持するため、そうした宗教に背を向ける人は少なくない」と宗教離れの原因を分析し、素直に反省を述べている。ただし十字軍などについては言及されていない。これが紙面の都合上割愛されたのか意図的に無視されたのかは僕には分からない。
冊子はさらに「自分の好みに合うよう」宗教を「作り変える」ことを「宗教を単なるセルフサービス方式の食事のように見なし、自分の気に入った信条を勝手に選ぶのは正しいことだろうか」と「個人宗教」を食事の給仕法に譬え、それは正しいか? とさらに答えの用意された設問を投げかけている。その設問に関してならば僕は「ノー、正しくない」と答える。
自分で心を決めて信奉し帰依する以上は勝手に教義を改変することはよくないことと思われるからだ。しかしそれならば、かつてカルヴァンやルターが教会の腐敗に対して立ち上がった側面も否めない「宗教改革」とそれとの間にどれほどの違いがあるのだろう。
僕はそこには意志の有無があると思う。難しくとも、神の真実に近づく意志と教義を盲信することは区別されるべきだと思う。時として与えられた教義に抗うことと神の声を聞くことは矛盾しない。

冊子は一足飛びに「霊的な必要を満たす最善の方法」としてキリスト教を信じることがそれだと結論づける。他宗教や不信心な輩を「最古の時代から、人は自分の目的にあった宗教を作り上げてきました。木片で神々を彫って崇拝する場合がそうです。宗教団体が自分たちで考え出した教理を教える場合がそうです。自分の好みに合う個人宗教を作り上げる人の場合も同じではないでしょうか」と断罪する。自分たちはそうでない、と。

「寛容」とは自分にとっての異物に対してこそなされるべき美徳だと、僕は強く思う。

先頭 表紙

パーさん、大きくなってしまった組織は身動きがとれなくなっているであろうことも判ります。個人が個人として立つことの重要さは今さら言うまでもありません。けれど、身動きのとれなくなった組織に対してアンチテーゼを呈することにとどまるより、その組織の力を利用してもいいと思うのです。上の立場の人も末端の人も、各々、出来ることなら全てが自身の個を持つことを前提あるいは目標にすることで、その組織は教育の優れた機関として働く可能性がないわけではないじゃないですか。多分、教育は大事なのでしょうね。 / 揚水 ( 2002-05-02 23:12 )
綺羅さん…。まあ、素敵なお師匠さんというかとんでもない悪影響の元というか…。あわわ(笑)。 / 揚水 ( 2002-05-02 23:12 )
つまり・・・よい教育は寛容を可能にするということです。 / パオラ ( 2002-05-02 14:21 )
やはり個人の信仰にとどまっていたほうがいいよーな?今は教育が行き届いているので組織を信仰で定義する必要もないでしょう。ただ、問題は教育の行き届いていないエリアのことです。それを解決するまえに紛争の火種をどーにかしなけばいけない・・・あるいは教育の力によってしかできないような気がするけどね。 / パオラ ( 2002-05-02 14:20 )
揚水くん長文読解はあいかわらずガッツがいるなあ(汗)。私は宗教の真実っていまだによーわからんのです。つまり、その宗教が何をもとめているか、たとえばキリスト教なら「罪からの救済」がテーマなのでしょうけど、そこにいたる過程とか背景が団体によりあまりにも違いすぎるので、「どーゆーこっちゃ?」という思いがぬぐいされないのです。ひどいときは同じ教団内でも相違がある。だから各自が好き勝手に信仰するというのはやむをえんことだと思うんですが・・・そうすると組織として困ることがぎょうさんあると。 / パオラ ( 2002-05-02 14:19 )
残念ながら20を超えてしまうま、←おやじギャグ?(笑)ただいまパオラさんの所で修行中です。ぱくりと言う言葉は受け付けません(笑) / 綺羅 ( 2002-05-02 06:05 )
Ahh, well. Wait a moment please. 5+(小学生年齢)ですか? 昔確かたけしさんの主演でもドラマ化されたんですよ。その当時でも僕は既に小学校高学年か中学生、下手したら高校生でしたよ。 ま、どーでもいいことですね。 ↑上の書き込みについては、テレビのコマーシャルを見ていて思いついたことをそのまま書いただけですが、平易とおやじギャグは違うのねと思うこの頃。 / 揚水 ( 2002-05-02 01:46 )
もう五年くらい前で、テレビでやっていたものです。ビートたけしではなく、もっと普通のひとでした。難しいから投げたしたい、易しかったら頭を使わないから嫌、そんな感じですね(笑) / 綺羅 ( 2002-05-02 01:04 )
矛盾…、してますか(笑)? / 揚水 ( 2002-05-02 00:20 )
綺羅さん、確かテレビで放映されていた覚えがあります。父親役がビートたけしさんではなかったでしょうか。今年に入ってある人とそのことが話題になり、彼は「(輸血できないなんて)笑っちゃうよね」と言っていました。僕は一瞬彼に憎悪にも似た感情を覚えましたよ。彼は自分の宗教が大切にしている「お題目」を誰かが馬鹿にするのを聞いたらどういう思いがするでしょう? 人が大切にしているものは、例え自分が容認できないことであっても馬鹿にしてはいけない。僕にも難しいですが。特に陰口は醜いですね。 / 揚水 ( 2002-05-02 00:19 )
↓輸血を親が拒否したため、子供が亡くなってしまう・・・そんな感じでした(内容)。揚水さん、もっと平易な文章を・・・でも難しそうだからこそ、読みたくなるんです。むぅ・・・矛盾してます。 / 綺羅 ( 2002-05-01 16:55 )
エホバの証人、という映画(?)がありまして、輸血に関する問題でしたが、当時小学生だった私は、随分もどかしさに駆られたものです。宗教に入ろうとは思いませんが、納得がいかないからその人を排除するような考え方は、私も嫌いです。自分の持っていないものも理解しながら進みたいですね、私は。 / 綺羅@理系なりにがんばりました ( 2002-05-01 16:49 )
共感する、あるいは反感を持つという方は、よろしかったら[たくさんの神様][真理][いい加減な奴に「いい加減」と言われて怒るいい加減な奴]をご参照ください。 / 揚水 ( 2002-05-01 16:02 )
このように言ったからといって僕が「エホバの証人」などを信仰する人々を否定するものではありません。僕は本当に心の底から、真実彼らを認めなければならない。僕にとって彼らは異質なものです。だからこそ知るべきだし、知った上で彼らの生き方を心底認めなければお互いの排斥を進めるだけです。異質なものの排斥。かつてそうしたことが原因の人類の不幸は多々あって、今もそれは進行しています。自分と人は異なるものだと知りその上でそれを受け入れるように努める。即実現できずとも、それが僕の「対処法」の一つです。 / 揚水 ( 2002-05-01 15:06 )

2002-04-30 バー「シックスポインツ」

昨夜食事の後に海月は台所を片付け始めました。僕はその片付けがはかどるように、棚を増設しました。
お陰で台所は見違えるようにきれいになりました。

うちの台所は「田」の字型をした四部屋の脇、玄関から見て右側部の上部におまけのように付いている、もとは土間の一部であったに違いない四畳半ほどの広さの部屋を改造して、床の高さを下げ水と排水を配管して僕が作りました。流しは隣の部屋に向かい合って設えてあります。

その流しに接して隣室にはH770×W1800×D900の大きな机が置いてあります。台所の床がほかの田の字の床から見て低くなっている分、流しと机の上面の高さはほぼ同じです。ちょうど対面キッチンのような格好です。
この机は、中学校の非常勤講師をしていた知人がその学校の改築で不要になると教えてくれて、以前貰い受けに行ったものです。技術科室に置かれていたものらしく、とても頑丈です。ノコギリで悪戯した痕などもあって、たまにふと気付くと微笑ましい気持ちになります。
僕たちはこの机の上に食器など収まりきらない台所用品を置いていたのですが、棚を増やして片付いたので机の上がすっきりしました。

僕はその上に、古道具屋で買ったお猪口やお菓子のノベルティー、酒瓶や小振りの赤い花のツツジをばさりと活けた広口瓶、知人である陶芸家の酒器、ガラス瓶、あちこちで拾ってきた石のコレクション、昔自分が作った蝋の作品、ブロンズなどを置いてみました。

部屋の照明を落として小さなスタンドを灯し、残念なことにあまりおいしいお酒はありませんでしたが、海月と二人で少し飲みました。何か甘ったるい気持ちになりました。

誰かうちに飲みにでも来ないかなあ。
昨夜寝る前も今朝起きてからも、僕たちはその机の前に据えた椅子に腰掛け、夜は酒、昼間はお茶を前にゆったりと過ごしました。
適当に片付けただけなのにかっこよくて、僕たちは誰かにその部屋を見せて、何かおいしいものを供してみたいと思いました。

お客様のお越しをお待ちいたしております。

先頭 表紙

おい…(笑)。あ、誤植かもね。「ラ」じゃなくて「ゲ」なんじゃないの(笑)。 / 揚水@ロリコンを憎むオバコン ( 2002-05-02 23:11 )
え?やはり幼女偏愛癖が?>クララで勃つ / パオラ ( 2002-05-02 13:59 )
ある人が離職する時かなにかに先輩のことを「ロッテンマイヤー」さんと呼んでいることを見掛け、そのある人に「アーデルハイド」と呼び掛けたところ、件の少女の友人の家庭教師であるその「ロッテンマイヤー」を縮めた「ロッテン」という称号をいただきました。それを漢字で表記して「六点」。さらにそれを英語に直訳。だから僕のお店の名前は「シックスポインツ」となります。 / 揚水@クララで勃った(嘘) ( 2002-05-01 01:07 )
パーさん、よっしゃ来い(笑)。材料費酒代実費でいいよ。 / 揚水@もちろん僕たちの分もな ( 2002-05-01 00:58 )
kyonさん、余裕があるのかどうか(笑)。僕の気持ちにゆとりがあるとするならば、その大部分は一緒に過ごす海月が与えてくれているものです。彼女といることで優しい人間に少し近づけたような気もします。僕は彼女に出会えたことに感謝しています。あやからせることが出来るものかどうか。どうぞ人に優しい人になってください。 / 揚水 ( 2002-05-01 00:56 )
いきてーよ。来襲ヤツさえこなければ。 / パオラ@カンプ金を手にしてやる気満々 ( 2002-05-01 00:52 )
いいですね、気持ちのゆとりがなせるわざ、あやかりたいです / KYON ( 2002-05-01 00:23 )

2002-04-29 ごちそうさまでした

筍、コシアブラ、白いスミレ、名前の判らない花、ヤシャブシの枯れ枝。
これが二時間掛けて山をうろついた僕たちの収穫でした。

二人でスミレと名を知らぬ花を植木鉢に植え、台所で放りっぱなしになっていたニンニクも、花壇に植えました。
花壇には花の終わった水仙とキャットミント、先日植えたイヌザンショウしかありません。後は雑草ばかりです。

筍の灰汁抜きに米のとぎ汁を作り、灰汁を抜きつつ米も炊きました。食事の用意をする途中で、海月はうちの周りでミツバを摘みました。

本日の夕食。
筍とワカメと鶏の胸肉の煮物。
コシアブラとミツバと僕が摘みに行ったユキノシタ、近所の人にもらった肥えすぎたワケギの白く細い球根と、青い葉の部分それぞれの天ぷら。これは塩でいただきます。
水煮の大豆と酒と胡麻油で蒸した鶏肉を、酢、練り胡麻と胡麻油と砂糖、醤油少々にマヨネーズと塩で作ったドレッシングで和えたもの。
ジャガイモとワカメとミツバの味噌汁。
五島うどん。

天ぷらの皿には僕が赤いツツジの花を添えました。海月は小さなガラス瓶に雑草の花を活けて、それでテーブルを飾りました。
デザートは父が作って送ってくれた甘夏の皮を薄皮まで前もってむいておいたもの。
海月が食事の準備に掛かった頃僕は台所の棚を作りつけていましたが、それが終わってからは僕も協力して二人でごはんを作りました。

お腹いっぱいです。

これから僕はお風呂を洗って、沸かす間に海月に耳掻きでもしてもらいたいと目論んでいます。

先頭 表紙

綺羅さん、ツツジほんとにきれいです。サツキもきれいなんですが、ヤマツツジというか、野趣溢れる素朴な色合いのやつがこの季節頑張っているんですよ。 / 揚水 ( 2002-04-30 21:40 )
ぱーさん、いや別にキャンペーンを張ったつもりはないが…。書けん言えば本当に書けんくなるに。 / 揚水 ( 2002-04-30 21:40 )
しろねこさん、いいでしょう(笑)。 / 揚水 ( 2002-04-30 21:39 )
あ、本当だ。のろけキャンペーンなんですね(笑)今ツツジ綺麗ですよね。ラブラブな感じが伝わってきました。 / 綺羅 ( 2002-04-30 16:09 )
うーん、ノロケきゃんぺーん実施中?(こういう日記は永遠に書けないだろーなー、わし。) / パオラ ( 2002-04-30 12:45 )
二人で仲良く、ご飯作るっていいな〜。 / しろねこ ( 2002-04-30 00:11 )

2002-04-29 お散歩

昨日の夜海月を迎えに行って彼女はお泊まりしました。
二人はまるで修学旅行の小学生のように、眠いくせにいつまでも他愛のないことを話していました。
枕投げはやりません。あれは子供の遊びです。
大人には他にやるべきことがあります。

今日は陸丸と三人で裏山のお散歩に出掛けます。

先頭 表紙

でしょう、ほのぼの。 / 揚水 ( 2002-04-30 21:39 )
ほのぼの。 / パオラ ( 2002-04-30 12:44 )

2002-04-28 アイ・ラヴ・ユー

「愛してる」って台詞を連発する男をどう思われますか?
恥ずかしいですね。
「愛してるって言って」とせがむ女をどう思われますか?
ムカつきますね、鬱陶しい。
では何故僕は恥ずかしく感じ、ムカつくのでしょう。考えてみました。

紙に一つの円を描いてみましょう。多少歪んでいても構いません。大きさも場所も任意に。それからさらに円を描きます。これも大きさも場所も好きな場所に描きます。
最初の円と二つ目の円は重なる部分があってもいいし、まったく触れなくても、ぴったり重なっても、そのどれでも構いません。
円の数は無限に増やすことが出来るのですが、ここでは話を簡単にするために紙の上に描かれている円の数は二つとします。

円は描けましたでしょうか?

想像してみてください。あなたの目の前にある円は、それぞれ誰かが「愛」という言葉に与えている意味の範疇を図で表したものです。人が言葉を使う時、そこに与えた意味やその言葉から喚起される意味が、他人とまったく同じだとは限らないはずです。むしろ重ならない部分があることの方が普通ではないかと思います。何も愛に限らず「正義」でも「憎悪」でも何の言葉ででも当てはまります。
あなたの「愛」と誰かの「愛」は重なる部分があるでしょうか? 重なるのであればどこを共有して、どこが共有できていないでしょう。
けれど、それでいいのです。操る言葉の意味がまったく重ならなくとも、いやむしろそれだからこそ、人は他を求め、愛するとも言えるのかもしれません。そこに「誤解」があろうと、それをも含めたお互いの「理解」が人と人の結びつきを形作るのです。

女が「わたしのこと愛してる?」と尋ねる。男がそれに「愛してるよ」と応える。男が「俺のこと好き?」と尋ねる。女がそれに「好きよ」と応える。他人である僕がとやかく口を挟む筋合いのものではありません。幸せな恋人同士です。
けれど僕は恥ずかしいと感じる、あまつさえムカつく。何故でしょう?

人は普段生活する中で、円と円が重なっている部分を持ちながらも同時にズレをも持っていることを、意識するともなくどこかで判って暮らしています、多分。
誰かが「新幹線」という言葉を発した時、聞く方の頭の中に浮かぶ事物は発した方の頭の中にあるはずのあの乗り物に違いありませんが、それを便利な乗り物と捉えるか情緒のない旅になるとの印象を受けるかは、本当に人それぞれです。けれど人は取り立ててその違いをあげつらわなくとも会話を進めることが出来ます。

ところが。ある事物を指す言葉の場合、円のズレは小さいものとなりますし問題も起こりにくいのですが、事象や人の心の動き等を表す言葉では事情が少し異なります。そのズレは大きくなることが多いしその上その人なりの言い回しまで加わって余計に複雑です。うまくいく時にはそれでも構いません。でも自分や誰かが何か口にした時、その意味や込められた感情がうまく伝わらないことだってあり得るのです。そしてそれが伝わらない時に、人は「どうして判ってくれないのだ」と思いがちです。簡単なことです。ズレの存在が言葉を発した人の思いそのままを相手に伝えることを難しくしているだけなのに、それに気付かないために相手が「判ってくれない」と感じるだけのことです。
幻滅とはこうした時に生まれやすい。
「愛」という言葉を使いさえすれば「愛」が伝わるものではない筈です。お互いのズレ、使う言葉のズレまでも受け止めなければならない筈です。

僕は心が広く自分のことを上げる棚がとても大きいので、誰に頼まれなくとも海月に向かって「愛してる」を連発しています。

先頭 表紙

僕の日記にしては珍しく大勢の人が来てくださいました。そこで考えたのは、「愛」という言葉の持つ広さ、大きさをも再確認出来たということです。僕は誰か人が言葉を発する時の他の人とのズレ・重なりに対して考え、発言したつもりでしたし今でもそう思っています。きっと僕も含めたこの場で発言した人たちの言う「愛」に関しては、それぞれ共通する部分と微妙に異なる部分との両方があるものと思います。言葉について考えるに当たって、「愛」をテキストにしたことはふさわしかったかもしれません。みんな、違って、同じなのです。 / 揚水 ( 2002-05-01 04:04 )
綺羅さん、初めまして。結局お幸せです、これ以上ないというくらいに。これ以上連発したら他のことを話す暇がありません(笑)。 / 揚水 ( 2002-04-30 21:38 )
ペコさん、初めまして。「裸足で逃げ出すから」自分から言う辺りに照れを感じて微笑ましく思います。 / 揚水 ( 2002-04-30 21:38 )
しろねこさん、言葉にして言わなくてもいいということには僕もうなずけるものがあります。ですが僕はそう言います。ただそれだけのことです。言わなくても伝わるものがあると同時に、言わなければ伝わらないものもあると思います。もちろん相手のことを思っているのは大前提です。 / 揚水 ( 2002-04-30 21:38 )
ぽえむさん、初めまして。僕は始終言っていますが、軽々しくも重々しくもなく言っています。僕にとって、行動以外にも「愛してる」と口にすることは最大限の愛情表現の一つです。 / 揚水 ( 2002-04-30 21:37 )
パーさん、惚気なのはそうなのかもしれんが…。心理テストじゃなくて、人それぞれが思うように話し使っている場合の言葉の枠組みの定義を試みたのです。 / 揚水 ( 2002-04-30 21:37 )
…びっくりしました。こんなにたくさんの人にお越しいただいたのは初めてのことかもしれませんね。いずれあらためてコメントお返しします。 / 揚水 ( 2002-04-29 19:02 )
結局お幸せなんですね。好きな人から、愛してるなんて言われたらうれしくないはずがないでしょう。もっと連発してもいいくらいかもしれませんね。(笑) / 綺羅@はじめまして ( 2002-04-29 16:21 )
「愛している」って女にいわれると、はだしで逃げ出すような男だからって、自分でいってる私の彼は臆病者です。 / ペコ ( 2002-04-29 12:09 )
愛してる、って言葉は、お互いに相手のことを思ってるなら、言葉にして言わなくても通じるものだと思ってる…。なもんで、私は、「愛してるって言って。」とか絶対に言わないな〜。(笑) / しろねこ ( 2002-04-29 01:10 )
「愛してる」って好きな相手から言ってもらえたらどんなに嬉しいことだろう、と思います。でも、軽々しく言えるものでもありません。真剣であればあるほど言葉に責任ができるはず。直接言ってくれなくても、最大限の愛情を感じさせることを何かしてもらえればそれでもいいんです。 / ぽえむ@はじめまして ( 2002-04-28 21:21 )
心理テストかと思ったらそーじゃなくてよーするに・・・・・・ノロケだったのね。 / パオラ@フー。 ( 2002-04-28 21:13 )

2002-04-27 うららか

春はやってきただけでなくその色を日増しに濃くしていきます。
ここのところ4月の初旬に較べると逆に肌寒いくらいの陽気ではありますが、生き物の勢いに季節の力を感じる今日この頃。
昨日の午過ぎ、ぼうぼうになった庭の草むしりに着手いたしました。

それで今日はその続き。鎌と、名前はよく知らないのですが草をむしる為の、不等辺の三角形の上辺がラウンドした金物の板に柄が付いた道具を使って草をむしりました。興がのって、久し振りに草刈り機を持ち出しエンジンを掛けました。機械を使うと楽チンですね。

作業の途中で郵便局に出掛けました。帰りに道端でコゴミを摘みました。帰ってから山ウドの芽を摘みました。

思い付いて、車検の切れたオートバイを知り合いの親しくしてもらっている車屋さんに運び、「欲しい人がいたらあげて」と頼んできました。今の僕にはそれを管理する経済力はありませんから。

再度帰宅後、草むしりをしてさっぱりした庭に、かねてより欲しいと思っていた山椒の木を植えたいとあらためて思いました。山椒を探す為、僕は裏山に出掛けました。
なかなか山椒の木は見つかりません。替わりにタラの芽を少々摘んできました。こと山椒に限らず色々なものに気を付けて辺りを見回しながら山を歩くと、今年はやはり春が早かったとみえて、コシアブラの芽は開ききっていて食べられそうにありません。残念です。
山椒は見つかりませんが、久方振りに山に入ると思いも寄らない植物に出会うことが出来ます。僕を驚かせるに十分な景色でした。珍しい植物もさして珍しくもない植物も見かけました。

以前ワサビを植えた沢に寄ってみると、沢ガニに食べられてしまったものか大雨の時に流されたものか、その姿はありませんでした。けれど実はタラの芽はその近くで見つけました。

諦めかけた頃、僕は山椒を見つけました。やっと見つけたと思った山椒は本山椒ではなくイヌザンショウでしたが、僕はそれを掘り取って持ち帰り、庭に植えました。
生きる力というものは凄い、素晴らしい。春の生命の力を得て今まさに生い茂らんとする植物群を見て、そう感じました。

やはり木や草の息吹を感じることはいいことです。緑多い土地に住みながら最近それを感じる余裕も失っていたのかもしれない、そう反省しました。

僕の家の裏山。そこに足を踏み入れれば、時にとんでもない発見をすることが出来ます。

先頭 表紙

パーさん、お腹いっぱいはけして無粋ではないぞ(笑)。いいことだ。 / 揚水 ( 2002-04-29 19:01 )
lim.さん、そうですね。元気が出ます。 / 揚水 ( 2002-04-29 19:01 )
涼さん、初めまして。ヨモギはあまりにもあることが当たり前すぎてか、まだ食べたことはありません。子供の頃擦り傷や切り傷に噛んだヨモギを擦り込んで止血はしていました。 / 揚水 ( 2002-04-29 18:59 )
いいなー、大自然がおなかいっぱい。私は夕ご飯がおなかいっぱい・・・(汗)。 / パオラ@無粋 ( 2002-04-28 21:15 )
植物の新緑、いいですよね。何故か凄く元気が出ます。 / lim. ( 2002-04-28 12:37 )
実は数度おじゃましてるのですが。。初つっこみです(^・^) わたしもよもぎを発見した時に・・・これは??と感動して持ち帰ってきました。植物図鑑を見て間違いないことがわかると・・さっそくよもぎ団子なるものを作り食べてみましたが、おいしかったんです。こんな空気の悪い所でも・・・と生命力に感動しました。初つっこみでした。 / 涼@はじめまして ( 2002-04-28 11:53 )
ところでロシアのネオナチはどうなったんでしょうか? 今のところ日本人が殺されたという話は聞きません。もちろん何もないに越したことはないのですが、気になります。 / 揚水 ( 2002-04-28 04:21 )

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