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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-04-16 自戒
2002-04-15 非日常
2002-04-14 下着を売るという行動
2002-04-13 長旅
2002-04-12 それでも人は生きていく
2002-04-12 舌の根も乾かないうちに
2002-04-12 社会に対するスタンス
2002-04-11 すたれないもの
2002-04-11 先生と呼ばれるに足る人物
2002-04-10 油に溺れる


2002-04-16 自戒

僕には数日前から、殴りたくて仕方がない人がいます。
そんなことを思うことは、滅多にありません。皆無と言ってもいいくらいです。
何かはずみがあれば、今からでも出掛けていってその人を殴りたい。叶うものならその人の足腰が立たなくなるようになるまで殴りたい。
でも、それは出来ません。

僕は常々、悪意はさらなる悪意を生むと考え、色々なところでそう言って来もしました。
たとえ向こうが先に仕掛けてきたことで、「正当」な復讐・報復と言えることであっても、その報復を繰り返すうちに悪意はとどまるところなく増幅してしまう。誰かがどこかでその鎖を断ち切らなければならない。
僕がその人に抱いている感情は、自分で正当だと思っていても、悪意に他なりません。
だから、出来ない。それに暴力では何も解決しません。
けれど、その人に言葉でもって僕の意志を伝えることのまどろっこしさを考えると気が遠くなりそうです。
だからといって殴っていい訳ではない。
ひょっとしたら、殴ってもいいのかもしれません。でもそれは、僕が僕に許すことが出来ない。

でも、殴りたい。
自分の中に人を嫌う感情があることは、蔑む気持ちがあることは、どうしようもないことなのですが、嫌です。
偉そうなことを言っていても所詮こんなものです。

自分が情けない、腹立たしい。

先頭 表紙

元気ですよ。やっと更新しました。 / 揚水 ( 2002-04-25 23:36 )
元気なの?どーしてるのかな?更新は?休み?え? / パオラ ( 2002-04-24 18:26 )
lim.さん、いっときません。あなたも止しておきなさい(笑)。 / 揚水 ( 2002-04-18 21:48 )
欲しい。広ーい心(笑)。 / 揚水 ( 2002-04-18 21:47 )
ぽこっと、いっときますか。私はね、面と向かって「死んじゃえ」って言いたいヒトならいます(笑)。 / lim. ( 2002-04-18 16:08 )
そーだと思う。わしにはできん。今んとこ。 / パオラ@更新更新!←心狭い? ( 2002-04-18 12:28 )
おけいさん、はじめまして。はい、そういう人になりたいと思います。 / 揚水 ( 2002-04-16 23:11 )
パーさん、参考にします。ポイント云々は、ひょっとして心を広く持つことに通じるのでしょうか。 / 揚水 ( 2002-04-16 23:11 )
レス返します。パーさん、そう。緑のジーンズで赤いジャケットのアホが僕。 / 揚水 ( 2002-04-16 23:09 )
殴りたいって思うことは、どうしようもなくても、実際に「殴る」こととは全然別だもの。殴りたいと思っても、殴らない人になろうよ。 / おけい ( 2002-04-16 09:36 )
キライなやつ殴りたいやつはいっぱいおります。私も。でも最近は、結局怒りのポイントが気にならなくなるようにじぶんを拡張させるよりないのかと思ってます。 / パオラ@首いたい ( 2002-04-16 08:19 )
シカ見たよ。なんかぐんごい配色の服を着てシカにまたがってるのがあげみちゃん?へえ。 / パオラ@さすが美大くん ( 2002-04-16 08:16 )
今回独白ですので、つっこみをいただいてもお応えできないかもしれません。 / 揚水 ( 2002-04-16 06:11 )

2002-04-15 非日常

昨日久し振りに名古屋の栄に出ました。軽く一年近くはご無沙汰していたようにも思いますが、記憶が定かではありません。ひょっとしたらそれ以上かもしれない。

普段、地面の九割以上が土で、アスファルトやコンクリートは一割にも満たないようなところで暮らしていますので、その割合が逆転した土地に行くと、大袈裟に言えば眩暈がします。藤が丘や長久手、平針や瀬戸、尾張旭などの名古屋郊外に出るだけでそうなのですから、人や車の多さにくらくらしました。
僕にとっては日常を踏み外した行動でした。

しかもこの時僕は、滅多に着ることのないスーツなど着て出掛けました。これも本当に久し振りです。何年もそんな格好はしていなかったのではないでしょうか。スムーズにネクタイを締めることが出来た自分に驚きました。

街で一冊の本を買いました。
「猥褻風俗辞典」という名の本です。
明治期に活躍した人物の著作を、後世、つまり現代の人がまとめて一冊の本に仕立てたものです。まだ読んでいません。

読む読まないでいえば、一昨日ガキの頃から何度も読み返した本をまた読み上げました。
筒井康隆さんの「旅のラゴス」という本です。
とても美しく、面白い「物語」です。
日本で「物語」といえば宮中文学などを思い浮かべそうですが、これはどちらかといえばビルドゥングス・ロマンや、「オデュッセイア」や「ギルガメシュ」、「ペール・ギュント」などの物語文学に近いのかもしれません。

一人の男が旅をします。その道行きは平坦なものではなく、様々な困難に見舞われながらも、男は自分の旅の目的に向かって、成長しながら旅を続けます。
その主人公の人生は、人はかくあるべきなのだと思わされるような人生です。高い倫理観と目的と、人としての優しさを兼ね備えた、それでいて親しみやすい人物の物語です。旅に身を置くことでさらなる高みを目指す。それも、気負うことなくごく自然に。関わり合う全ての人を曇りのない目で見つめ、蔑むことはありません。
とても面白い本ですので興味があれば読んでみてください。いえ、是非読んでください。
いやいやそれではまだ生易しい。

読め。

先頭 表紙

パーさん、かしこまりました。 / 揚水 ( 2002-04-16 06:11 )
やべー。「秘すれば」よ。もち。 / パオラ ( 2002-04-15 22:17 )
笑えたのは→「読め」。 / パオラ ( 2002-04-15 22:04 )
そーなんだよね。年代ごとに性意識ってちがいすぎる。乱交文化の花が咲いた頃と「比すればこそ花」とかいいたれるおやじらが出現した儒教輸入以降では同じ日本人でも違いすぎるし、また西洋も中世の抑圧時代とルネサンスの人間性謳歌はたいそうに遠いしね。 / パオラ ( 2002-04-15 22:03 )
ああ、なるほど。でも明治期の西洋人は日本人庶民の「性のおおらかさ」に憤慨したりもしてるからね。目の付け所に違いがあるのかな。ところでどこがそんなに笑えたのかしら? / 揚水 ( 2002-04-15 21:14 )
つーかさー、秘め事としてのまぐわいと、jioia 喜びとしてのまぐわい、言い換えたらおおらかさの違いかなー?女子の欲求が言葉にあらわにされてる感じ。 / パオラ ( 2002-04-15 21:11 )
いや、古事記や日本書紀、それこそ宮中文学もエロいぞ。宮中文学の貴族においては、まぐわいは「色好み」として美徳扱い。 / 揚水 ( 2002-04-15 21:00 )
あのね、関係ないけど最近ボッカチオのデカメロンを読んでるのね。古典てドラマ展開がのろいからちょっとイラついたりもするけど、エロくていいのよね。日本にはないエロなのよ。まぐわいに罪悪感なし!ってか。 / パオラ ( 2002-04-15 20:58 )
ビルドゥングスロマンてそういうことなの?旅物語?へえ。 / パオラ@読むわ ( 2002-04-15 20:56 )
はははははは。あんま笑わせないで。首が痛いの。鼻をかんだり咳をしてもいたいのよ。堪忍してー。 / パオラ ( 2002-04-15 20:55 )

2002-04-14 下着を売るという行動

ブルセラショップってまだあるんですか?
なんでも、ガキンチョの使用済みの下着や靴下や制服、生写真や果ては生理用品や唾まで売っているという怪しげな産業。
行ったことがある人に巡り会えたら教えてもらいたいものです。

お金に困ってパンツを売りに出しました。心配せずとも僕の使用済みではありません。
男女各サイズ取りそろえて、計139枚の未使用のパンツが、なぜかうちにあったのです。
売れるかどうかは判りませんが、あるところに委託で引き受けてもらいました。

早いとこ完売したら来月も生きていけるんだがなあ。無理だろうなあ。まず完売なんてとても無理。

しかしパンツを売るって何を考えているんでしょうねえ。
僕はあまり理解したくありません。

先頭 表紙

さーてねえ(笑)。 / 揚水 ( 2002-04-15 20:58 )
おい・・・。なんでまたそんな売るほどのぱんつがあるのかね?いや、おもろくて私は好きだけど、謎だわ。 / パオラ@こんな私のぱんつは売れるかしら? ( 2002-04-15 20:45 )

2002-04-13 長旅

家の床に一本のケダモノの毛が落ちているのを見つけました。
どうも陸丸の毛ではない。今僕の指の間につままれている毛は彼のものよりも太い。
考えてみるに、これはどうやら鹿の毛です。

日之島から中通島を経て五島灘を渡り、肥前の国を北上して九州北部を横断し、さらに関門海峡をも越えて中国地方を東進し、近畿を通り越しはるばる愛知にやってきた、毛。

その旅には感動的な冒険譚が隠されているに違いありません。

先頭 表紙

そうね。匂いは残ってなかった、残念ながら。鹿って結構臭い生き物なのにね。 / 揚水 ( 2002-04-15 01:13 )
匂いも残ってると記憶のツボがもっとくすぐられるよね。 / パオラ ( 2002-04-13 21:15 )

2002-04-12 それでも人は生きていく

昨夜僕は、「憤らない」と自身を戒めてその舌の根も乾かないうちにすぐ、頭を抱えることとなりました。
僕がそもそも自戒したのは、何かに対して憤り義憤を表明しところでそれを解決する方法や考えを持たないことには片手落ちに過ぎないのではないかと、最近、特に自分に対して強く感じるからです。
「憤る」、という言葉で自分の行動を表すのは、なにか自分をお偉く見せようとしているのではないかと恥じるからです。
けれど、人間誰しも日々起こることの全てに対策を備えて生きている訳ではありません。僕も、多分あなたも。
社会現象でも身近なことでも、何か事が起こったことに対して「それは何か違うのではないか」、そう考えることは、なかなか止めようとして止められるものではありません。
ですが、簡単に「憤る」ことはこの先避けたい、と今でも思っています。

一昨日一枚の葉書が届きました。
大学時代の後輩の女の子からでした。交通事故に遭って入院しているというのです。
葉書をくれるくらいだから大丈夫なのだろうと思いながらも心配になり、お見舞いに行きました。それが昨日のことです。
何を持っていくか迷いましたが、アザミの花束と宮沢賢治さんの本を一冊持っていきました。

病院に着いて顔を見ると元気そうなので安心しました。
葉書に脚の骨を折ったと書いてあったのに、彼女は僕に、スリッパをパタパタいわせてコーヒーまで淹れてくれました。
花も本も喜んでくれた。
彼女の入っている個室の空気には、僕が来る以前にもたくさんの見舞客が訪れた気配が窺われます。
彼女は病室で自室のようにくつろいでいるようでした。
早くよくなって欲しい。

事故のことやお互いの近況について語るうちに、僕にとってはこれも後輩の、入院している女の子とは確か同学年くらいの女の子もお見舞いに現れました。なにかとても嬉しかった。

事故や病院に入院することは当然、もちろん、望ましくないことです。けれど彼女にはそれを心配する多くの友人に恵まれている。人は人に対して善意を見せることが出来る。それはとても素晴らしいことだと思います。手放しで喜んでいいことだと思います。
僕は自分がその見舞客の中の一人になれることが、とても誇らしかった。「なれた」ことではなくて「なれる」ことが。自慢していいことだと思います。
俺は人を好きでいることが出来る。

世の中は悪意や不運ばかりに満ちている訳ではない。好意や善意にも満ち溢れている。僕もそれを他人から受け取ったことがある。
そうしたことがあるから、望まないことや悲しいことやイヤなことがあったとしても、人は生きていけるのだと思います。
たとえそれが些細なことであったとしても。

先頭 表紙

パーさん、そういうことなのかもしれません。でも、聖書のその物言いは、なんかイヤですね。僕は好きじゃありません。底意地の悪い見方をするならば、言葉面が「だから耐えろ、それでも足りなきゃもっと苦しめ」と取れないこともない。悪趣味な表現です。 / 揚水 ( 2002-04-15 01:12 )
チロさん、ね。 / 六点 ( 2002-04-15 01:11 )
聖書の「悲しむ人は幸いです。その人は慰められるからです。」という一節はこういうことを言っているのかもしれませんね。失って初めてわかるものもあり、災いのすべてが災いとはいいきれない。そういうことってたくさんあるのかも。 / パオラ ( 2002-04-13 01:08 )
ごはん食べてからまたくるね。 / パオラ ( 2002-04-12 19:19 )
確変? / パオラ ( 2002-04-12 19:19 )
確率が確立になってしまいますた。お詫びして訂正しますm(__)m / チロりす ( 2002-04-12 10:56 )
ほんとだーー!時間まで同時だ!私と揚水さんはどこかで繋がっていたのでしょうか??(笑)あんましないよねー、こーゆーこと。因みに昨日はパオラと順番がお隣さんだったの!2日れんちゃんですごい確立でない?ってゆーか、うち等の生活リズムの問題?? / チロりす ( 2002-04-12 10:55 )

2002-04-12 舌の根も乾かないうちに

ネオナチを名乗る極右グループからモスクワの日本大使館に、「今月20日のアドルフ・ヒトラーの誕生日に、在ロシアの外国人を殺す」との殺人予告メールが届いたそうです。
全ての外国人を殺すまで殺害を続けるとのことです。

なんなんですか? それは。
これに憤ることは、悪意はさらなる悪意を生むと考えるのは、「平和ボケ」なのですか?

真珠湾もカミカゼアタックも朝鮮「征伐」も第三帝国もフォークランドも「轟く雷鳴Rolling Thunder」も「砂漠の嵐Desert Storm」も、新しいところでは「限りない正義 Infinite Justice 」も、その他にも数え切れないほどにたくさんある、人の痛みを生み出したこれら人類の行動は、そのどれもが「正義」だというのですか?

悲しい。そういうことが起こるのが悲しいのでなく、起こるそれらのことに無力な自分が悲しい。

先頭 表紙

古い書物に書かれているということは、確かにこれからも大して良くなりはしないということを示すのかもしれません。でも、良くなっているところもあるはずです、人は。僕に勇気がある訳ではありません。「文句言い」なのです。それに大きな社会現象に「憤る」事が可能なのは、考える時間や噛み砕かれて伝えられた情報が前もって与えられているからに他なりません。現実に遭遇する予測不能な人物や事象に対してきちんと対応できる大人になりたいのです。欲を言えば。 / 揚水 ( 2002-04-15 01:11 )
言ってしまうと悲しいけど、聖書にも神話にも、あらかたの古い書物ですでに殺人や戦いをしているので、人間てそういうもんなんだなあとあきらめたくなる気持ちがあります。またそこに安穏としていたい。自分に被害が及ばない限り。保証のない安穏さに甘んじている、それが偽りのない今の私です。「憤る」勇気と決断力に乏しいのです。これもボケの一種なのでしょう。もちろんこれからもそうかどうかはわかりませんが。 / パオラ ( 2002-04-13 01:03 )
きのうここにつっこもうとしたら突然つながらなくなったのよね。 / パオラ ( 2002-04-13 00:58 )

2002-04-12 社会に対するスタンス

思い立って、「座右の銘」というものを設えてみようかと考えています。
生まれて初めてのことです。


憤らない、憤らない、憤らない、憤らない、憤らない。


これはもはや「おまじない」ですね…。
とても座右の銘とは言えません。

先頭 表紙

出来ないからこそそう言うのです。その証明は上にあります。 / 揚水 ( 2002-04-12 01:14 )
のーのー。人間の脳って否定文を肯定文として認識しちゃうんだって。だからこれは「憤る、憤る、憤る、憤る、憤る。 」と記憶されるのです。どうするよ?「スマイル、スマイル、スマイル」ってのはどう? / パオラ ( 2002-04-12 01:00 )

2002-04-11 すたれないもの

ある時海月と二人でお出掛けしていて、僕は便意を催しました。
ホームセンターの中で海月が「大丈夫? トイレ行ってきたら?」と言うのに、僕は大工道具や電動工具に夢中になって「もう少しだけ」と先延ばしにしていました。

僕がもじもじと身悶えを始めたので、とうとう海月は「早く行ってきなさい」と言いました。
「はい」
僕は母親に叱られて玩具売り場に後ろ髪を引かれる子供よろしく便所に向かいました。

僕が便意を我慢し続けたのには、工具に見惚れていたこと以外にもう一つ理由があります。
僕は常々極限まで堪えた後の脱糞の爽快感は、人生における何ものにも代え難い快感の一つだと考えているのがその理由です。

それはさておき。
ベルトを緩めジーンズとパンツを下ろししゃがみ込んだ僕の目の前に、こんな文字が飛び込んできました。


「誰か生で中出しさせてくれる女の子いない? もし妊娠しても責任持つから連絡求む」

「和田アキ子死ね誰か早く殺せ」


なんだかなあ…。

先頭 表紙

やややさん、はじめまして。「後ろを見ろ」→「ここの左だ」→「反対側」→「最初に戻って上を見ろ」→「やーい、バーカ」というのも昔経験しました。それをしっかり順番通り辿っていった僕はやっぱり「やーい、バーカ」にふさわしい(笑)。 / 揚水 ( 2002-04-12 13:07 )
パーさん、それはもう呆れるくらいに変わらない。 / 揚水 ( 2002-04-12 13:01 )
まさに今日、新橋の駅のトイレで座った目線の先に『フフ、今あんた覗かれてるよ、後ろから』って書いてあってビックリして後ろ見たら、『バーカバーカ』と書いてあって、なんかヘコみました。『 / ややや ( 2002-04-12 00:45 )
便所の落書きのネタって今も昔もあんまかわんないよね。 / パオラ ( 2002-04-11 23:18 )

2002-04-11 先生と呼ばれるに足る人物

お医者さまや学校の教員、画伯、それに政治家や作家の方々。世に「先生」と呼びならわされる職業の人はたくさんいます。
時代劇では用心棒の素浪人ですらこう呼ばれていることもまま見受けられます。趣味の料理や園芸や手芸、工芸の番組などにも「先生」と呼ばれる人物が登場します。
中には立派な方ももちろん居られるのでしょうが、その人々全てが「先生」と呼ばれるに足る人物ではないでしょう。

なにも、「先に生まれた」人こそ先生であるとか、「先ずもって(立派に)生きている人」が先生だなどという、言葉遊びの屁理屈を述べようというのではありません。そう呼ぶことが慣習になっている場合にいちいち拘泥することもありませんし、自分が尊敬する人の場合であれば素直に「先生」と呼べばいいのだと思ったまでです。

杉浦日向子さんという方がいらっしゃいます。日本では、いや世界でも数少ないタイムマシンの所有者のうちの一人です。
彼女がその装置を使って時を遡る行き先は、主に江戸時代であることが多いようです。彼女はそこでの見聞を優れた著作に著してくれています。
そうやって、彼女が見聞きしてきたことを出版物の形で現代の世に送り出してくれているお陰で、僕たちは江戸の町に暮らした人々の息遣いをまざまざと感じることが出来ます。

彼女はまた、ある番組にコメンテーターとして出演されています。僕は、他の出演者が彼女を「先生」と呼ぶのを聞く度に、「ああ、先生だなあ」と思うのです。

先頭 表紙

お好きなだけ反省してください。止めません、僕ぁ。 / 揚水 ( 2002-04-12 13:09 )
つーか最近おやじのボヤキあるいは千鳥足なことしか書けなくてすまん。反省。 / パオラ@おやじだもんな ( 2002-04-12 01:12 )
いや別に誤ることでもないって。 / 揚水 ( 2002-04-12 00:25 )
ごめん。 / パオラ@やはし? ( 2002-04-11 23:16 )
lim.さんへ。そうだそうだ。そういえば僕も恥ずかしかった(笑)。「俺を先生と呼ぶな!」 生徒困った困った(笑)。 / 揚水 ( 2002-04-11 22:54 )
パーさん。…びっくりした。僕の物言いは理想というか空論を語ったのかもしれませんね。そちらのおっしゃることに対して色々思うところもありますが、それに対して今は何も語らずにおきます。けれどしかし確かにお話承りました。 / 揚水 ( 2002-04-11 22:54 )
私も「先生」と呼ぶのは、自分が尊敬していて、かつ先生と呼ばれる職業にある人だけ。教育実習の時、皆に先生と呼ばれるのが恥ずかしくて死にそうでしたよ(笑)。 / lim. ( 2002-04-11 15:24 )
もちろん更正したという事実と牧師としての善し悪しは無関係です。念のため。 / パオラ ( 2002-04-11 14:21 )
あんねー、日本の坊主って世襲制がおおじゃない?牧師はさー、人生で諸悪の限りをつくしてきた人が、更正するときに「神を見た」っちゅう人が多いのよ。だから彫り物が体にあったり、覚醒剤の後遺症でロレツがまわらなかったり、そんな人がほんとに多いのよ。あるいはどうしょもないヘタレだとか。つーか私の知ってる牧師がそゆひとばっかりだからなのかな(笑)?まあ、その点は日本の坊主と一緒かもね。生臭もそうでないのもいると。 / パオラ ( 2002-04-11 13:50 )
そんで牧師にもアカデミックなのから実にそーでないのまでいるの。まさに「出来のいい奴も悪い奴もいる。善人もいれば悪人もいる。」の状態なのよね。私嘲笑まじりに「先生」って呼んでるときあるもん(もちろん無意識によ!)。やーねーほんと。ふふふ。 / パオラ ( 2002-04-11 13:44 )
だからきっと日本はほかに言葉がなくてしようがないから「先生」って呼んでるんだと思うのよ。つーか日本人はそんなんどーでもいいって感じもあるけどね。牧師(プロテスタント)だろーが神父(カソリック)だろーがさ。なんつっても神様のいない国だからさ。あ、ちごーた。神様が折衷混在してる国だからさ。 / パオラ ( 2002-04-11 13:39 )
でもプロテスタントの牧師も優越意識がすごいのよ。それはキリスト教国では自分はとても大事にされるのだから日本でも私はエライし優遇されるべき、というなんかようわからん理由からなのね。ここが私はもうおかしいと思うのよ。そんで「先生」という呼び名も、英語の国なら本来は「paster牧師」なんだよね。おもろいのが敬称の「reverend」を自分で名乗るバカが時々いること。日本語なら「ジョン牧師様」と自称してるようなもんなんだよね。 / パオラ ( 2002-04-11 13:35 )
うーんとね、ちょっとわたくし的に言ってみるわね。私のキリスト教の解釈はもっと狭いのね。「神の下に・・・」というのは、平等なのも救われるのも天国に行けるのも、全部の特典は「洗礼を受けた人たち」限定なのよ。クリスチャンでない人たちのことはどーでもいいの。ここが仏教とは大きく違うとこかな?で、牧師はその中では神様の意志を伝える「メッセンジャー」でしかないのね。少なくとも聖書の中にはほかの信者と平等だって書いてある。カソリックがそれをねじ曲げたのは周知の事実だけどね。 / パオラ ( 2002-04-11 13:28 )
それと、「神の下に平等」というのは、人間はみな一緒だというのではないでしょう。人と人の間にある差異を認めない訳ではない。超越者であり絶対的存在である神に較べてちっぽけな人間同士を較べたところでたかがしれている、という意味合いもあるかと思います。たとえ人として与えられた権利の価値が同じでも、他人を害するだけの人はその権利を悪用するイヤな奴です。出来のいい奴も悪い奴もいる。善人もいれば悪人もいる。それもひっくるめての平等なのでしょう。なかなか達観は出来ませんが。 / 揚水 ( 2002-04-11 04:37 )
パーさん、更にもう少しだけ冷静になってみましょう。プロテスタントはそもそも既成の教会に「プロテスト」して生まれたものですよね。人間は神の下に平等であって本来その上下はない、と。これは相当強力な意識変革で、痛烈な教会・社会批判です。聖職者の存在を真っ向から否定した。それでも神の教えを人々に伝える指導者は必要だった。迷える「子羊」には道を指し示す「先生」が必要だった。つまり「牧」の「師」ですね。これは別に「権威」ではないと思います。信者の中で尊敬される人であることを期待される訳です。 / 揚水 ( 2002-04-11 04:12 )
そういえば牧師も先生って呼ぶのよ。冷静に考えるとよくわからん。私のだんでぃー師匠は「先生」だね。うん。 / パオラ ( 2002-04-11 01:54 )

2002-04-10 油に溺れる

以前、人に聞いた話。

僕にも経験があるけれど、ネズミは油分を好む。
台所の管理をいい加減にしていると、彼の生き物は油の付いた食品や食器を嘗め、囓る。
何もない場合、果ては石鹸まで囓ってしまう。

昔話では油を好むのは猫や狐が相場のようだし、狐など油揚げ以外でも油で揚げたネズミには特に目がないとの話も漏れ聞くが、当のネズミも油を好む。食用油など大好物のようだ。

僕はポリエチレン容器に入った食用油を使っているが、僕にネズミの話を聞かせてくれた人は一升瓶入りの油を使っていたという。蓋がどこかにいってしまって、適当な紙を被せて捻って、蓋の替わりにしていたらしい。

当時彼は友人と二人で一軒の借家を借りて住んでいた。それぞれ二部屋を個人の割り当てとして使い、台所や風呂、便所は共用していた。
たまたま忙しくて、あまり台所に立つことはなかった頃の話だという。

二人の共通の友人を大勢呼んでみんなでご飯を食べようということになったらしい。
数人の女の子が台所に立ってくれた。
残りの人間が部屋で楽しく話などしていると、突然台所から悲鳴が聞こえてきた。
慌てて駆けつけると、女の子の指さす先には油の一升瓶。よく見てみると、その中では一匹のネズミが溺れて死んでいた。

彼はその話を僕にしてくれた時、「好きなものに溺れて死んだのだから、ネズミも本望だろうな」と笑って話を締めくくった。
果たしてそうだろうか? 僕にはそうは思えなかった。
余計に苦しいのではないか? 油を求めて瓶の中に落ち込んでしまい、そこから抜け出そうとしてもがきながらネズミは激しく後悔したに違いない。好きなものに目が眩んで取り返しの付かない失敗をして自らの命を危うくし、結果死んでしまう。自分の好むものが、それを自分が求めたことが原因で自分の命を奪おうとしている。
ただ単に不運に遭遇しての結果の死ではなく、自らがなにものかを求めた、その欲の先に死が立ち塞がってくる。
これはさらなる恐怖とは言えまいか。

自分の欲に溺れて死ぬ。そこに教訓めいたものを読みとろうとすることは、何か驕った間違いであるのかもしれない。

先頭 表紙

毎日欠かさず晩酌する、そうでない日は落ち着かないなどというのは、お酒がないとどうにもならないという依存症とは区別されるようですが、これはもう専門的にはアル中の範疇に入るそうです。飲料水が貴重で水分を取るためにワインを飲用する場合は少し違うでしょう。西洋人や大陸のアジア人と日本人とでは、肝機能が異なるようです。多くの日本人の肝臓はアルコールを無毒化することが苦手らしい。肝臓はアルコールを分解して有害なアセトアルデヒドに変え、さらに分解無毒化します。血中にアセトアルデヒドが多くある状態が酩酊ですね。 / 揚水 ( 2002-04-11 04:11 )
↓ちごーた。ワインより水のほうが高い、だよね。 / パオラ@気絶後ひまじんはきけん ( 2002-04-11 00:10 )
あのさ、アル中ってどっからがアル中なんだろね?水よりワインのほうが高い国でガキのころからワインぐいぐいいっちゃってる人らなんかはどうよ?アル中ちがうの? / パオラ ( 2002-04-11 00:09 )
パーさんへ。大きく見えても、猫と一緒でネズミも頭さえ通ればたいていの隙間は通り抜けます。「役者」は「欲」にまみれて死ぬのとは少し違うのでは? それは彼ら彼女らの生きる衝動に駆られて後の結果でしょう。僕の言う「欲」がもたらす「死」とは、例えば酒に溺れるアル中、不倫に身を焦がす奥様、物欲から逃れられなかった自己破産者、そうしたもんですが。僕はアル中に一番近い(笑)。 / 揚水 ( 2002-04-10 19:17 )
「舞台で死ねれば本望」という役者の言葉は有名ですが、それは本音であっても実際は健康診断に行ったりもろもろの保険は必要だと思うわけです。むつかしいのはその保険をなににするかということ。人間はねずみ(たとえだけど)よりは知能があるのでその方法を考えることができると信じています。 / パオラ ( 2002-04-10 19:02 )
まず気になったのは、一升瓶のあのちっこい口におちるくらいちっこいねずみだったの?ってことなんすが・・・。 / パオラ ( 2002-04-10 18:58 )

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