himajin top
み・ぽぽぽぽぽ

ときどきおもったことをかいています

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2006-05-07 こわいよう
2006-05-04 たらこー
2006-05-04 責任
2006-04-15
2006-03-18 そのはざま
2006-03-17 (こんどこそ)ザ・インタープリターその1
2006-03-10 ザ・インタープリター
2006-03-08 東京タワー
2006-03-07 事故その3
2006-03-07 事故その2


2006-05-07 こわいよう

留学先の大学から、
「学校内の寮は使えないから自分ですむトコ探してね」
というメールがきたので、真っ青になって
「ちょっとちょっと、そんなインターナショナルすちゅーでんとに、NYCで自力で右も左もわかんない人が部屋を探せるわけないじゃないですか、斡旋くらいしてくださいよー」
という旨をとても丁寧にメールしたところ、
「こんなサイトがあるから、自分で探してよ」
と、賃貸情報サイトのウェブアドレスだけわたされたorz


うきょー
やばいんじゃない?
モトカレもアメリカの大学に留学したときなんて、留学前に一度渡米して部屋探したっていうくらいだし、そんくらいしないと見つからないんでしょうか?

むしろ私はホストファミリーにお世話になってもいいんだけどなあ・・・
家具準備しなくていいし・・・

と、ホストファミリーつながりで今中国で英語教えてるNZでのホストマザーに、メールで「NYCで一緒に1年間すまない?」なんて提案してみました・・・。
彼女はホンコンに移り住む気があるらしいのですが、ホンコンよりもNYCの方がエキサイティングだよ!とか訳わからない説得しながら返事待ちでございますorz

彼女なら、気兼ねなく和気アイアイと一緒に暮らせる第一候補なのですが・・・



留学楽しみってかんじよりも、不安が強くなってきたー・・・
部屋みつかんの・・・?

先頭 表紙

2006-05-04 たらこー

夜回り先生こと、水谷修さんの講演会が、ちょうど新潟でやってました。帰省中なんで、ぐうぜーん!って感じで足を運びました。


感動した・・・・!!!

自分もトーコーキョヒヒキコモリな10代前半を送っていたので、共感するとこありーの、涙うるうるになる話がありーの・・・

水谷先生は、社会的に「問題がある」子のために、こうやって実際行動を起こして、講演を重ねてる・・・


感動した・・・!!

大学でとある先生が、「社会的な問題、たとえば環境、人権とか、そういうものを、ひとつでもいいから自分の人生の軸に入れなさい」って言ってたけど、私の心に訴えかけてくる社会的な問題は、やっぱり青少年についてです。

私は自分の中でいろいろな興味の軸があって、それは絵だったり、仏教美術だったり、東アジアだったり、貿易だったりするけど、その中のひとつはやっぱり10代の子供たちについてだなー・・・あ・・・



という感じで改めて自分の心に訴えかけるものは何か、と実感したところで、

キューピーの、たらこ、かわいいっすよね・・・
あの、キューピーがたらこ着てるやつ!

たーらこ、たーらこ、たーっぷり、たーらこ、

ってやつ。

先日、それこそ水谷先生が夜回りで出かけて行きそうな深夜の渋谷はセンター街のゲーセンで、たらこのぬいぐるみがユーフォーキャッチャーであったので、彼氏と共に、1000円ほど投入してゲットしまつた。

あのぬいぐるみ、引っ掛ける場所がないからチョー苦戦したんですけど、心優しいゲーセンの店員さんが取りやすい場所にぬいぐるみを移動してくれて・・・

取れたときには二人で、

ッシャーーーーーーーーーーー!!!!

と思わずさけんでしまいまつた

あのシュールなデザインのぬいぐるみ・・・
好みにジャストフィット・・・

萌えー・・・。

先頭 表紙

2006-05-04 責任

高校の時に、学校に行きたくなくて、仮病を使っては昼まで寝ていたときがあった。朝、両親とご飯を食べはするが、「おなかがいたい」「あたまがいたい」と理由をつけ、いい顔をしない親を無視して二階の自室にこもった。二度寝からおきたときには、もう家の中はシン、としていて人の気配はない。父も母も仕事に出ていて、姉は昨日から帰ってこない。

そんな日が続くと、父、決まって父が昼休みを使って家に帰ってくる。私は父に仮病が本当にバレるのが嫌だったので、玄関の鍵を空ける音が聞こえたら真っ先にベッドに入った。仮病だとは絶対に知っている父はある日、私の部屋にノックをせずに、それこそいつものように入ってきて、ベッドの前にずっと立っていた。

父は突然自分の仕事の話をはじめた。仕事に出たくない日だってたくさんあると。仕事に出るのが憂鬱で憂鬱でたまらない日が多いと。すぐにでも仕事をやめてしまいたいと思うときがあると。でも、それでも、朝の定時に家を出なければいけないと。それこそ毎日。仕事に出なければいけない、その理由はいわなかった。「憂鬱でも、毎日行かなければいけないんだ」

私は布団にくるまって大泣きしていた。父が仕事に出なければいけない理由を知っていたからだ。「私をやしなうためだ」

父が自分の仕事について話したのは、あの時一度きりだ。

仕事場の楽しい話でもない。やりがいがある、という話でもない。子供に夢を与えるような話じゃない。でも私は身にしみてわかった。

父は、責任というものをもっている。

父は、毎日毎日、責任というものを持ちながら生きている。私が学校に行けるのも、私が学校を仮病使ってさぼれるのも、父の持つ責任に守られているからだ。私がただ「学校、いきたくない」というだけの理由でベッドにもぐっているあいだに、父は重い体をたたき起こすようにして会社に行っていた。その父がいなければ、私はサボることさえできなかった。

後悔した。こんなにがんばっている親の責任の対価が、仮病を使って布団から出ない娘なんて。涙が止まらなかった。

今年の夏、アメリカの大学に留学しようと思っている。交換留学ではなく、私費留学だ。莫大なお金がかかる。銀行から融資をしてもらう手続きはしているけれども、それでも、いまだに両親は、私に対して大きな責任を持っている。留学の話をしているときに実感した。彼らは、いまだに私をやしなう為の責任を持っている。

今回の留学で、将来の私が返済すべき金銭的負担を担保するのは当然親だ。援助をするのも親だ。
「結果は出せるのか」
と父が聞いた。前の留学では聞かれなかったことだ。私の責任も年々増えてきているということだろう。結果を出さなければいけない。親の責任の下でも、親の責任の下だからこそだ。

先頭 表紙

2006-04-15 春

春の中を歩くのが好きだ。心から苦手な夏に行ってしまいたくない思いでしがみついてしまう相手が春だ。

夏が一番ダメだ。暑さと湿気だけでよくもこんなに人を不愉快にさせるものかといつも関心する。それでも好きだった夏の瞬間はが熱帯夜の六本木交差点だった。東京で熱帯夜に一番映える地域はあそこだと思った。無国籍なダルさの中に存在したことがあの夏の幸せだった。

でもやはり、大半はどうしても暑さに拒否反応を示して不快な数ヶ月をすごすことになる夏。その前の、太陽が高くならないうちの春が一番恋しい。

「いかないで」という感情は切ないけれどもそう思う瞬間が一番いとおしい。泣きじゃくるような「いかないで」というよりも、いってしまうことを受け入れることはできるけど、口にださずにはいられないような静かな懇願。

春が夏に変わってしまうことを知っているからこそ、そのままでいてほしいという、そんな気持ちはこの季節だけに味わえるせつなさだ。

無常に過ぎ去るということを知っていながらその美しさや心地よさを実感したとき、深くいとおしいと感じるようになる。例えばまだ青さで圧倒しなくてもいい水色の空とか、サクラが散った後に幹にくっついてる黄緑の葉っぱとか、人をこそばゆい気持ちにさせる新しい環境とか。

それらが暑さと湿気にまみれてしまうのを知っているからこそ自分の中に留めておきたくなる。



今年はサクラが満開であるときの平日の上野公園に行きました。
強風に吹かれて舞うサクラの花びらが、優しい色の空をバックに踊っていた瞬間を見ました。

先頭 表紙

とってもお久しぶり!夏が大好きな僕とはまったくかけはなれたことを感じているのですね。でも新緑とそれをゆらす心地よい風、とっても気持ちいい季節ですね。また飲みに行きましょう! / ひろちゃん ( 2006-04-16 01:56 )

2006-03-18 そのはざま

ちょっと間が空くと何を伝えたいのか分からなくなるときがありますよね!
ということで、ザ・インタープリターをあすもう一度みるよ!


おまけの日記
Kくんとお別れしたときの。
い・・・痛々しい・・・


後悔しても、何万回後悔しても、そのあいだに時間は流れて、その後悔した時間さえも未来につながっているとしたら、私は一日何万回も後悔していたあの時を後悔してません。

日記は、本当に講義を受けてるときに書いてて、本当にアイポッドシャフルで音楽ききながら書いてました。
「頂いたアイポッドシャフル」は、今の彼から貰ったものです。




このキャンパスで一番大きな講堂で
講義を受けてる

数式がでてくる時点で聞く気は全く無くて
今日が最後の講義だから、とか
先生が、案外親しい方だから、とか
そんなちょっとした
「ちょっとした」気持ち


一番講義をまじめにうけてないようなヒトタチが
座るであろう最後列にひとりで



アジカンの「君の街まで」
という曲、
つい最近頂いたipodシャフルで聴いてる

これって一曲リピートできなくて
曲が終わりそうになると急いで再生ボタンを押す


この曲
昨日の夜、itunesに埋もれてたのを見つけて聴いてみた
それからとりつかれたように
聴いて
いつのまにか120回ほどリピートしていたらしい

それを聴きながらつくってたレポートは今日の朝4時に終わった

こんな曲聴きながら終えたレポートとは
どんな内容なんだろう
あんまり覚えていない 




「揺らいでる頼りない君もいつかは
 僕らを救う明日の羽になるかな」




オトナになれってこと

彼は、元彼というのが本当にはばかられる、
いつも私にオトナになってくれ、って言ってたけど
本当に悲しそうな顔して、

「be an adult」

耳から離れない
この言葉

私は結局ずっとこどもだった
依存して
ずっと依存ばかりして
わがままで




こんな頼りない私も
彼を救うことができると、
彼自身は願ってたのだろうか





それがかなうこともなく
彼は消えていった






「揺らいでる頼りない君もいつかは
 僕らを救う明日の羽になるかな」


このフレーズだけにとりつかれているように






頼りない私もオトナになっていたら、
違う未来は存在したのだろうか?








考えるだけ無駄なことはあんまり考えたくない






こんな広い講堂のなかで聞こえるのは
先生の講義じゃなくて
このフレーズ





これだけ聴いてたら
記憶は過去に戻る 
あの時。

付き合っていた期間の一瞬でも、一瞬でも
思い出すのは痛い





イヤホンをはずす

先生ごめん
私、図書館に行って研究会の課題図書読むよ





どうせ
もう
ひとりなんだから、

うまいすごし方を
かんがえなければいけないのに

先頭 表紙

2006-03-17 (こんどこそ)ザ・インタープリターその1

小学六年の時だか、中学一年の時だかに初めてNYCを訪れた。今、私の中のNYCに関する一番最初の記憶は、その街中にごまんとあるような黄色のタクシーの中だ。黒人のドライバー。助手席に座っていた父は、早口でまくし立てるドライバーに困惑していたようだった。彼が疲れた顔をして、その後着いたホテルでつぶやいていたのを覚えている。「全く聞き取れなかった」。あの時、ドライバーの彼が喋っていた言語、あの時の私にとってはただの雑音だった。黄色のタクシー、父はその中で、どう頼んだんだろう。Could you stop by the UN just for a second? 勿論その時の私は、父がどう言って頼んだかに関わらず、お父さん何ていってるの?と聞いていただろう。「国連本部にちょっと寄ってくれませんか」

国連本部を見せてあげる、と父は言っていた。私は、国連って何か凄いことをするところ、という認識しかなかっただろう。タクシーの窓から見えるビルは私をちょっと落胆させた。「凄いことやってるビルなのに、そんなに大きくないね」。国連ビルは例えばあの時はまだ存在していた世界貿易ビル、それに比べたら大きくもないし高くもない。そのビルに上ってNYCを一望していた時、私は国連ビルを探そうとしただろうか。

国連ビルの前には万国旗が掲げられていた。日本の日の丸を目を凝らして探した。何しろこんなにたくさんの国旗が一同に掲げられているのを見た事がなかった。ようやく探し当て、心の中ではしゃいだ。持ってきていたカメラのシャッターを切った。国連本部ビルをバックグラウンドにした国旗の群れ。私の記憶の中にそれだけが強くのこった。

NZに留学した。大学に入学した。国連が何をするところかおぼろけに理解してきている。国連に関しての文献も読んだ。国連に関してのディベートも数回した。理解したコトガラは微々たるものばかりだ。ただ、「国連」がすごいことをやっているのではなくて、「国の思惑」が国連を作っているということは理解した。

そんな180以上の国が国益しか考えないで議論するような非生産的な場が国連である。そう思った私の中で、研究会の友人や、サークルの友人との間でトピックにしてゆくうちに、その存在意義が薄れていっていたのは確かだ。「平和」概念の曖昧さ、安保理の非民主制、冷戦期の総会の沈滞、旧ユーゴでのPKO挫折、困難な財政状況、本に書いてあるこのような単語ばかりが国連を形作ってゆく。

先頭 表紙

2006-03-10 ザ・インタープリター

ザ・インタープリターという映画をDVDで見た。ニコールキッドマン扮する国連通訳が、偶然アフリカの紛争国の大統領暗殺計画をきいてしまって・・・。という作品。何やら先が見えそうなストーリーだなーという第一印象。でも、国連が始めて映画撮影用に本部を舞台として提供した、というのにちょっとした興味。

ストーリーはやはり、何やら先が見えそう・・・とつぶやいてみたらそれが私の予言とほぼ一緒だった・・・!!というような運びだった気がする。でも主演の彼女が要所要所でつぶやく『国連観』がとても印象的な映画だった。彼女の「国連観」は、国連関連の本で良くあるようなモノで初めてきいた訳ではない。でも、アカデミー賞主演女優賞を受賞した時に平和を願うスピーチをしたニコールキッドマンが、実物の国連本部で、国連勲章の下で、国連職員のIDカードをぶら下げながらあのセリフを言った瞬間、あんまり自分の中で大きくはない存在だった国連が、いつのまにか巨大な国際組織なる実感としてそびえたっていた。気がする。

と、書いたところで、続きは今度。寝ながらパソコン打つのはとても肩を痛くさせるから、一度きに日記を打ち込むことができない。

日記といえば、今日の日記。社会復帰の第一歩、家からでてひとりで病院にいく。帰りに通り過ぎた店先で、彼が時々つけている香水のかおりを拾った。好きな、或いは好きだった男性についての記憶は嗅覚に関連したものが一番鮮明だ。

空気に流れるそのかおりは、瞬間的にそれを実際感知していた過去に結び付けられて鮮明に映像として戻ってくる。例えば、前の彼のK君、彼が3年間住んでいたアメリカの家、そこには独特のにおいが存在してたのだけど、それをかいだ瞬間に彼の困ったような笑い顔(私の中で彼に関してのデファクトな映像)が目の前に現れるに違いない。

と、いうことで今日は事故後初めてひとりで外出。
明日は、何もすることがない。

先頭 表紙

2006-03-08 東京タワー

through the sleepless nights i cry for you
and wonder who is kissing you
somehow through the day i dont give in
oh the sleepless nights will break my heart in two

ノラ・ジョーンズが歌うsleepless nightsは、「東京タワー」という映画に流れている主題歌だった。特に印象に残らなかった映画だったけれど、オープニングに流れるこのsleepless nights のメロディーラインと、夜の東京タワーの映像の組み合わせが、涙がでる程綺麗だったのを覚えている。

東京からの東海道線、終電にちかい時間帯で座ることができるのは稀だ。電車のドアにおっかかっていると、高層ビルとビルの狭間に東京タワーが見える。あわてて音楽プレーヤーの曲をsleepless nightsにあわせた。一瞬だけ見えるあのだいだいいろの光。その残像とピアノのメロディラインを電車のドア越しに「感じる」。

都心に住んでいるあの先生。大学で出会った初めてのビジネスライクな先生で、キャンパスにいる殆どの先生に感じる洞察力をもって、キャンパスの先生が殆ど講義中に着ないスーツを、いつも全くスキのない形で身にまとっていた。そしてキャンパスにいる他の先生には見たことがない無垢さを持っていた。

私は先生との付き合い方に失敗し、そして失敗せざるを得なかった。その失敗から彼の信用をなくした。どう足掻いても、結局自然に信用をなくしていたと思う。あの時私が失いたくなかったのは、彼の信用よりも大きかったんだろうか。ただあの時の私は先生を失望させるしか方法を見出せなかったし、今でもそれ以外の方法が見つからない。

人生で初めて、本当は保ちたいとおもうその人との交友関係を、自分から崩さなければいけなかった時だ。私と先生は今でも時々、本当に時々メールを交わすが、先生は昔ほど私を信用していない。

時々訪れた先生の家の窓からは、東京タワーが見えた。とても間近にみることができる。生徒が大好きで、彼の家で開かれるホームパーティによく呼んでいた。私も時々そのパーティにお邪魔して、限りなく近い東京タワーを友人たちと一緒に見ていた。パーティはいつも夜で、部屋は間接照明で薄暗い。そこから見える東京タワーは、部屋の中で一番明るかった。あの部屋からは、とても強い光のようにみえた。

30人あまりが集まったあの部屋、それでもその時の記憶はとても静かだ。東京タワーが見える薄暗い部屋、sleepless nightsのメロディラインが響く。
sleepless nights will break my heart in two
静かに流れる歌声は、あの大きな部屋中に記憶の中で響く。

東京タワーがふと視界から消える。都心から離れてゆく電車からは、もうあの光が見えることはない。先生の部屋は、今この瞬間にも東京タワーからの光を受けているだろう。窓の外、薄暗い風景の中、ノラ・ジョーンズの歌声だけが耳に残る。

先頭 表紙

2006-03-07 事故その3


でも
無事でーす。

こうやってパソコンいじってるし。

三週間もすれば、ぴんぴん遊んでるとおもいまーす。

先頭 表紙

ゆこまるおねえさま、うおおおーなんかゆこまるさんからこうも心配されるとちょっとエヘ、とか思うのって私だけでしょーか?今は引きこもってり・・・リハビリを・・・ / みほ ( 2006-03-08 02:31 )
みなみねえさん、ほんとですよね、学期中だったら単位が危なかったでしょー。新学期になったら記憶がない珍獣扱いされるんでしょうが遠い目 / みほ ( 2006-03-08 02:30 )
九条ねえさまー、心配かけました?心配されてるとき、私のことしか考えてなかったですよねそれって以下略・・・てのはいいけど、ホント安全運転してくださーい。きをつけて。 / みほ ( 2006-03-08 02:29 )
みほちゃーん(T_T)・・・・・ほんーとびっくりした。。。。大変だったね。。なんか月並みな言葉しか出てこなくてもどかしいけど、ね。。ほんとにゆっくり体をやすめて、いたわってあげてください。お大事にね。。 / ゆこまる ( 2006-03-07 18:05 )
いやほんとびっくりした……。ゆっくり傷を治して、元気に新学期を迎えてください。春休み中なのは不幸中の幸いだったね。 / みなみ ( 2006-03-07 12:59 )
すっげー心配したよ。ゆっくり静養してね。実は私も10日から19日まで実家(石川県)に帰る予定。3時間高速に乗るけど、安全運転でいこう……。また生きて会おうね。 / 九条 ( 2006-03-07 06:01 )

2006-03-07 事故その2

病院から戻って携帯を見ると、たくさんの友人からメールがあった。「大丈夫?」。電話をかけてくれた友人もいた。SNSの日記にに事故にあった旨、軽く書いたら、私の長年の保護者である友人から「日記のタイトルみて血の気が引けたけど、いきててよかった」とコメントをもらった。古くからの友人である彼女に、生きててよかった、と言われた。はじめてそういわれた。まじめで、ちゃんとした性格の彼女が、自分勝手で、フラフラしている私を叱ることは良くあった。「ちゃんとしなよ」「心配してるんだから」。また、彼女を心配させた。何回目だろう。でも、いつも真剣に心配してくれる彼女をみると、ひねくれて聞こえそうだけど嬉しくなる。私まだ彼女から保護されてる。まだ、彼女は私を娘みたいに気遣ってくれてる。

健忘症と診断され、キズが自分では手当てできないくらいちょっと深かったので、実家に帰った。体も動かないから、家で新聞読んだり、テレビみたり、小説読んだり、ネットしたりしている。今までずっと、2月から春休みだったのに、学校で研究プロジェクトをしていたから、「何もすることがない」という時間がなかった。

自分のことを考える。健忘症になってしまったので、ちょっとした過去が思い出せない。一週間くらいの程度だけど。だから、思い出せないところを探すように、自分の過去を思い出す。大学であったこと、高校の時思ってたこと、中学のとき体験したこと。改めて時間をかけ、遡って見ると、自分が忘れていたことを探し当てることができる。そういえば、高校生のとき、学校が違うけど親しい友人と、毎日毎日メールを送りあっていた。長いメールを。今はそのメールが手元にないからどんなことを書いていたのか思い出せない。けど、あの時、学校にまともに行けずに先が見えなかった自分の生きていく燃料を、彼女とのメールでどうにか自家調達していたというのは感覚で残っている。

その彼女からも、メールがきた。「大丈夫?」。何回も、電話口から、携帯のディスプレイから、直接口から、言われた言葉。彼女の声が、聞こえた気がした。「ミホコ、大丈夫だった?」と多分彼女なら言うだろう。

そのことを、彼に電話した。ちょっと嬉しくて、私が自分で饒舌だと喋りながら意識できた。そして少子化だか何だかについて話していたとき、つい、あの、ディベートしている時のように(入っているサークルはディベサー)まくしたてていた気がする。「聞こえない」といわれて、素に戻ってしまった。「何回もさっきから聞こえないって言ってるのに、俺のこと、きいてた?」

「自分ひとりだけで喋りたいなら、相手はいらないだろう」と。「興奮すると、他の人を省みずに喋るんじゃないの」と指摘、というよりも多分叱られた。的を得ている。事故にあってしまって、過去を探る作業を自分の中で丁寧に始めてから、気づいていた短所だ。過去を思いだす、という作業は自分がどのような人間だったか、気づくのに似ている。

その気になれば、多分人は誰よりも客観的に自分の長所や短所を把握できる。でも、人に言われて初めてそれが「実感」として自分と向き合う材料になる。自分自身の事を自分自身で気づき、そして認めるのは、コトガラによっては無い様である様なプライドに左右されて無かったことにされる。自分のことを把握できるなら、それを伸ばすか、直すかを自分自身で、素直にそれに気づいた時点で始めなければいけないのに。

事故にあって、周りの人からどれだけ支えられているか、自分自身の「課題」がどこにあるか、を強く実感できるようになった。ありきたりなことだけど。

先頭 表紙


[次の10件を表示] (総目次)