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み・ぽぽぽぽぽ

ときどきおもったことをかいています

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2006-03-10 ザ・インタープリター
2006-03-08 東京タワー
2006-03-07 事故その3
2006-03-07 事故その2
2006-03-07 事故
2006-02-20 かけない
2006-02-18 そういえばバレンタイン
2006-02-18 うーん
2006-02-13 これが本当のメモ
2006-02-09 ひとり


2006-03-10 ザ・インタープリター

ザ・インタープリターという映画をDVDで見た。ニコールキッドマン扮する国連通訳が、偶然アフリカの紛争国の大統領暗殺計画をきいてしまって・・・。という作品。何やら先が見えそうなストーリーだなーという第一印象。でも、国連が始めて映画撮影用に本部を舞台として提供した、というのにちょっとした興味。

ストーリーはやはり、何やら先が見えそう・・・とつぶやいてみたらそれが私の予言とほぼ一緒だった・・・!!というような運びだった気がする。でも主演の彼女が要所要所でつぶやく『国連観』がとても印象的な映画だった。彼女の「国連観」は、国連関連の本で良くあるようなモノで初めてきいた訳ではない。でも、アカデミー賞主演女優賞を受賞した時に平和を願うスピーチをしたニコールキッドマンが、実物の国連本部で、国連勲章の下で、国連職員のIDカードをぶら下げながらあのセリフを言った瞬間、あんまり自分の中で大きくはない存在だった国連が、いつのまにか巨大な国際組織なる実感としてそびえたっていた。気がする。

と、書いたところで、続きは今度。寝ながらパソコン打つのはとても肩を痛くさせるから、一度きに日記を打ち込むことができない。

日記といえば、今日の日記。社会復帰の第一歩、家からでてひとりで病院にいく。帰りに通り過ぎた店先で、彼が時々つけている香水のかおりを拾った。好きな、或いは好きだった男性についての記憶は嗅覚に関連したものが一番鮮明だ。

空気に流れるそのかおりは、瞬間的にそれを実際感知していた過去に結び付けられて鮮明に映像として戻ってくる。例えば、前の彼のK君、彼が3年間住んでいたアメリカの家、そこには独特のにおいが存在してたのだけど、それをかいだ瞬間に彼の困ったような笑い顔(私の中で彼に関してのデファクトな映像)が目の前に現れるに違いない。

と、いうことで今日は事故後初めてひとりで外出。
明日は、何もすることがない。

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2006-03-08 東京タワー

through the sleepless nights i cry for you
and wonder who is kissing you
somehow through the day i dont give in
oh the sleepless nights will break my heart in two

ノラ・ジョーンズが歌うsleepless nightsは、「東京タワー」という映画に流れている主題歌だった。特に印象に残らなかった映画だったけれど、オープニングに流れるこのsleepless nights のメロディーラインと、夜の東京タワーの映像の組み合わせが、涙がでる程綺麗だったのを覚えている。

東京からの東海道線、終電にちかい時間帯で座ることができるのは稀だ。電車のドアにおっかかっていると、高層ビルとビルの狭間に東京タワーが見える。あわてて音楽プレーヤーの曲をsleepless nightsにあわせた。一瞬だけ見えるあのだいだいいろの光。その残像とピアノのメロディラインを電車のドア越しに「感じる」。

都心に住んでいるあの先生。大学で出会った初めてのビジネスライクな先生で、キャンパスにいる殆どの先生に感じる洞察力をもって、キャンパスの先生が殆ど講義中に着ないスーツを、いつも全くスキのない形で身にまとっていた。そしてキャンパスにいる他の先生には見たことがない無垢さを持っていた。

私は先生との付き合い方に失敗し、そして失敗せざるを得なかった。その失敗から彼の信用をなくした。どう足掻いても、結局自然に信用をなくしていたと思う。あの時私が失いたくなかったのは、彼の信用よりも大きかったんだろうか。ただあの時の私は先生を失望させるしか方法を見出せなかったし、今でもそれ以外の方法が見つからない。

人生で初めて、本当は保ちたいとおもうその人との交友関係を、自分から崩さなければいけなかった時だ。私と先生は今でも時々、本当に時々メールを交わすが、先生は昔ほど私を信用していない。

時々訪れた先生の家の窓からは、東京タワーが見えた。とても間近にみることができる。生徒が大好きで、彼の家で開かれるホームパーティによく呼んでいた。私も時々そのパーティにお邪魔して、限りなく近い東京タワーを友人たちと一緒に見ていた。パーティはいつも夜で、部屋は間接照明で薄暗い。そこから見える東京タワーは、部屋の中で一番明るかった。あの部屋からは、とても強い光のようにみえた。

30人あまりが集まったあの部屋、それでもその時の記憶はとても静かだ。東京タワーが見える薄暗い部屋、sleepless nightsのメロディラインが響く。
sleepless nights will break my heart in two
静かに流れる歌声は、あの大きな部屋中に記憶の中で響く。

東京タワーがふと視界から消える。都心から離れてゆく電車からは、もうあの光が見えることはない。先生の部屋は、今この瞬間にも東京タワーからの光を受けているだろう。窓の外、薄暗い風景の中、ノラ・ジョーンズの歌声だけが耳に残る。

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2006-03-07 事故その3


でも
無事でーす。

こうやってパソコンいじってるし。

三週間もすれば、ぴんぴん遊んでるとおもいまーす。

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ゆこまるおねえさま、うおおおーなんかゆこまるさんからこうも心配されるとちょっとエヘ、とか思うのって私だけでしょーか?今は引きこもってり・・・リハビリを・・・ / みほ ( 2006-03-08 02:31 )
みなみねえさん、ほんとですよね、学期中だったら単位が危なかったでしょー。新学期になったら記憶がない珍獣扱いされるんでしょうが遠い目 / みほ ( 2006-03-08 02:30 )
九条ねえさまー、心配かけました?心配されてるとき、私のことしか考えてなかったですよねそれって以下略・・・てのはいいけど、ホント安全運転してくださーい。きをつけて。 / みほ ( 2006-03-08 02:29 )
みほちゃーん(T_T)・・・・・ほんーとびっくりした。。。。大変だったね。。なんか月並みな言葉しか出てこなくてもどかしいけど、ね。。ほんとにゆっくり体をやすめて、いたわってあげてください。お大事にね。。 / ゆこまる ( 2006-03-07 18:05 )
いやほんとびっくりした……。ゆっくり傷を治して、元気に新学期を迎えてください。春休み中なのは不幸中の幸いだったね。 / みなみ ( 2006-03-07 12:59 )
すっげー心配したよ。ゆっくり静養してね。実は私も10日から19日まで実家(石川県)に帰る予定。3時間高速に乗るけど、安全運転でいこう……。また生きて会おうね。 / 九条 ( 2006-03-07 06:01 )

2006-03-07 事故その2

病院から戻って携帯を見ると、たくさんの友人からメールがあった。「大丈夫?」。電話をかけてくれた友人もいた。SNSの日記にに事故にあった旨、軽く書いたら、私の長年の保護者である友人から「日記のタイトルみて血の気が引けたけど、いきててよかった」とコメントをもらった。古くからの友人である彼女に、生きててよかった、と言われた。はじめてそういわれた。まじめで、ちゃんとした性格の彼女が、自分勝手で、フラフラしている私を叱ることは良くあった。「ちゃんとしなよ」「心配してるんだから」。また、彼女を心配させた。何回目だろう。でも、いつも真剣に心配してくれる彼女をみると、ひねくれて聞こえそうだけど嬉しくなる。私まだ彼女から保護されてる。まだ、彼女は私を娘みたいに気遣ってくれてる。

健忘症と診断され、キズが自分では手当てできないくらいちょっと深かったので、実家に帰った。体も動かないから、家で新聞読んだり、テレビみたり、小説読んだり、ネットしたりしている。今までずっと、2月から春休みだったのに、学校で研究プロジェクトをしていたから、「何もすることがない」という時間がなかった。

自分のことを考える。健忘症になってしまったので、ちょっとした過去が思い出せない。一週間くらいの程度だけど。だから、思い出せないところを探すように、自分の過去を思い出す。大学であったこと、高校の時思ってたこと、中学のとき体験したこと。改めて時間をかけ、遡って見ると、自分が忘れていたことを探し当てることができる。そういえば、高校生のとき、学校が違うけど親しい友人と、毎日毎日メールを送りあっていた。長いメールを。今はそのメールが手元にないからどんなことを書いていたのか思い出せない。けど、あの時、学校にまともに行けずに先が見えなかった自分の生きていく燃料を、彼女とのメールでどうにか自家調達していたというのは感覚で残っている。

その彼女からも、メールがきた。「大丈夫?」。何回も、電話口から、携帯のディスプレイから、直接口から、言われた言葉。彼女の声が、聞こえた気がした。「ミホコ、大丈夫だった?」と多分彼女なら言うだろう。

そのことを、彼に電話した。ちょっと嬉しくて、私が自分で饒舌だと喋りながら意識できた。そして少子化だか何だかについて話していたとき、つい、あの、ディベートしている時のように(入っているサークルはディベサー)まくしたてていた気がする。「聞こえない」といわれて、素に戻ってしまった。「何回もさっきから聞こえないって言ってるのに、俺のこと、きいてた?」

「自分ひとりだけで喋りたいなら、相手はいらないだろう」と。「興奮すると、他の人を省みずに喋るんじゃないの」と指摘、というよりも多分叱られた。的を得ている。事故にあってしまって、過去を探る作業を自分の中で丁寧に始めてから、気づいていた短所だ。過去を思いだす、という作業は自分がどのような人間だったか、気づくのに似ている。

その気になれば、多分人は誰よりも客観的に自分の長所や短所を把握できる。でも、人に言われて初めてそれが「実感」として自分と向き合う材料になる。自分自身の事を自分自身で気づき、そして認めるのは、コトガラによっては無い様である様なプライドに左右されて無かったことにされる。自分のことを把握できるなら、それを伸ばすか、直すかを自分自身で、素直にそれに気づいた時点で始めなければいけないのに。

事故にあって、周りの人からどれだけ支えられているか、自分自身の「課題」がどこにあるか、を強く実感できるようになった。ありきたりなことだけど。

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2006-03-07 事故

28日に、事故をおこしたみたいだ。
気が付いたら、騒がしい病院だった。看護婦の、点滴が何とかとか何番ベッドがなんとかとか、声と足音が響いていた。ベッドとベッドを区切るカーテンと、その上にある蛍光灯がとってもまぶしかった。寝そべりながら手をあげてみる。光に反射されて逆光気味の右手には包帯が巻かれていた。

何があったのだろうと通った看護婦に声をかけた。事故で、救急車に運ばれたんですよ、といわれた。ああ、そうなのか、それだけ思ってまた眠りについた。その直前、ちょっとした不安を持っていることに気づいた。自分はどうしたんだろう。なんでここにいるんだろう。まったく、思い出せない。

目がさめたらベッドサイドに彼がいた。疲れ気味の目はいつ会っても変わらない。知っている人がそばにいる、それだけで安心した。安心したら、全身にあるキズの痛みに初めて気づいた。

事故の直後だか、私は彼に電話を何回もかけていたらしい。「消え入りそうな声で、顔に血が出てるんだけど、なんでこうなったかわからない、といっていた」らしい。すぐに彼は駆けつけてきて、彼が救急車を呼んだそうだ。夜の11時過ぎのことだったと、後に見る携帯の履歴で知った。私からの発信履歴、彼からの着信履歴、そして彼からの、「もう少しでつくからまってて」というメール。

朝まで、病院の待合室のソファで寝ていたらしい彼は、明らかに睡眠不足そうだった。「心配したんだよ」と私の目を見て言った。「とても心配した」。そして、私の横で目を閉じたあとすぐ寝息を立てた。CTを待つ病院の廊下、硬くてすわり心地の悪い待合用の椅子。彼は、こんな狭くて硬い椅子の上で、一夜を明かした。

閉じた目のした、クマが深い。彼を見ながらはじめておもった、
生きててよかった

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2006-02-20 かけない

実は文章がかけない中。
書こう書こうと思ってもかけないから、久しぶりに小説なんて読む。

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うわーーーーーーーまじすか?なんか超 う れ し い というか しんぱしー・・・。絵でいうスランプのようなもんすかね / みほ ( 2006-02-22 16:16 )
あー一緒!日常に何が起きたとかはいいけど、心境整理とか全然。 / りぃな ( 2006-02-21 00:30 )

2006-02-18 そういえばバレンタイン

そのさっきのエントリの鍋会でなぜか私の恋愛近況についてきかれて突っ込まれ、あたふたしていた自分。(研究会のシドウキョウカンが私の恋愛遍歴知ってるというのも・・・)先生には「恋多き乙女ですね!」とか笑われるし、いやいやいやとか思ったり思わなかったり

恋か

恋かあー!!



バレンタインとか私は全然興味ないんだけど、相手が気になってるようだったから、バイト代奮発して、私にとってはびっくりするようなお値段の食事につれてった。後からきいた話、バレンタインにおいては「女性がチョコ、男性が夕食」って相場が決まってるらしい。笑い話かもしれないけど、まあいいやと思う。バレンタインに特別のセットがあったから頼んだんだけど、どうも私は感動しない内容だった気がする。しまったかなあ、とちょっと後悔した。でも相手が「おいしかったねーまたこよう」といったからそれでカチあったかな、とか思うなんて多分前の私とちょっと変わったかなあ〜とニヤニヤしてしまった。

バイトとかで、ちょっと、ほんのちょっと自由に使えるお金が出来る。そうすると、ちょっとだけワガママになれる範囲が広くなる。自分に向けては購買欲とか、誰かに向けては、誇示欲とか、そういうお金で何とかできる部分にワガママになる。

だから、私はその日の夕食の後に、オフィスに行って終電まで仕事をしていた彼にムっときた。「バレンタインに何かしてほしいといったのはあっちで、バレンタインの日は時間をちゃんと空けるといったのはあっちで、そしてバレンタインにバイト代の残りほとんどをつかって食事につれてったのはわたし」と頭の中でつぶやいた途端に不機嫌になってしまった。バイトの口座からお金引き落とすときのあの身が裂けるような重圧(誇張かもしれないけど本当)を感じながら感じないフリをして、ごちそうしたんだから、そんな、お食事のあと、長時間仕事なんてしないでよ・・・と、素で不機嫌だった。

30分ほど無言でイライラしていたからか流石に彼も「ごめんね」と心配そうに顔のぞくし、ちょっと我に返ってきた。

考えてみれば、ベンチャーで働くことなんてイコール休みがないことと同じだ。このごろ仕事が多いから、休みなんてそうそう取れないんだろう。がんばって時間作っても、仕事がそれを許さないんだから仕方ない。

のに、ちょっとおごってやったからって傲慢になってしまった自分が情けなくて、次はプチウツ状態になってしまった。相手は「まだおこってる?」ときいてくるから尚更惨めだ。ごめん、と謝られてもこっちがワガママだったからだけであるのに、と思うと自分がアホのようでいてもたってもいられなくなる。

しまいにはこっちが泣きながら(超情けない)「ごめん・・・」と言ってしまう始末だった。

はあ

付き合う人間に対して中学生のような態度で臨むのは本当よくない。わがままで、ジコチューで、とかそんなのカレシにしかできないよねえ!とかおもってしまうのはやっぱりいくない・・・。結局傲慢の産物なんだよな・・・。

という多々の反省をしてしまったバレンタインデイ。やっと私もチョコがおいしいと
感じるまでになりました。

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2006-02-18 うーん

今日は研究会の鍋パーティ

みんなでわさわさ準備をして、先生を囲んでおいしく牡蠣鍋を頂く!
とってもおいしい

この研究会は今までここで言ってたグループワークが厳しい研究会ではなくて、もう一つ所属している国際貿易中心の研究会。先生がとってもフランクで優しい人。

君ねえ、国際公務員になりなさいよ、国連の方が日系企業よりもずっと女性の待遇いいし、お給料もそれなりだからまず院にいきなさい

と言ってくれるそんな先生は元GATT職員。出来るだけ沢山の学生に国際公務員という道を目指して欲しいらしい。自分の通った道を誇りもって勧めて、それを志す人にはちゃんと道を示してあげられるような、そんな職を持てる人はとっても才能があって、とっても幸せ、そして素敵だ。

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2006-02-13 これが本当のメモ

  出版業界人というのはおかしなもので、
  ナントカという本がベストセラーになったら「いくら儲かった!!」と喜ばない。
  儲かったら、儲かった分だけ「これでいくら損ができるぞ」と考えるんですね。
  なぜなら本というのは売れる本だけだしてるわけにはいかない。
  売れないし、儲かる見込みは少ないけど、
  それでも出さなきゃいけないから出す本というのがあるんです。


だって。友人の、そー君のブログから。SNS内なのでリンクできない。

やっぱり、「伝えなければいけない」というコトは、
個人であったり、グループであったり、一企業だったり、一地域だったり、一つの国だったり
そういうマクロであれ、ミクロであれ持っているはず。
伝えなければいけないことは、自分の信じていることと合致するはずで、それが大きければ大きいほど他の人の心を奪える。




そういえば自分のあだながこのごろ好きになってきた
人が覚えてくれるってどんなにいいことなんだろーと
しみじみ。



明日はバレンタイン。何も考えてない・・・orz


うおおー
超メモな投稿になってしもうた。また今度・・・

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2006-02-09 ひとり

ここのところ周りにいる人たちがみんな院にいけばと勧めてくる。

学者に向いてるかもよとか言われる。いつも何か妄想してるし、何かコレダってのみつけると没頭するから学者向きとか言われる。

先学期初めて本格的な学術論文みたいなのを先輩方とグループメンバーの力を借りてひーこら書き上げてみた。のは前言った。アイデアを考えだすのは楽しい。でも論文もくもくと読んで、新聞やら国会議事録やらをもくもくと検索、それを一人でやるのはとてもじゃないけど合わないと思った。

皆でやれば楽しいんだけど、院ではそれを一人でやらねばならないわけで・・・
皆でわいわいがやがやあーでもないこーでもないとか言いながら何かするのが好き・・・。ということに気づいたのが今学期。

そういうの大好きなんだけど、大好きだから反発でちょっとひとりになってこようかなあとかもくもく思ってきた。

留学は大概ひとりだ。前いたNZでは、大概ひとりだった気がする。ホストマザーも大好きだったし、学校でも誰かしら話し相手がいた。
でもやっぱりひとりだった。というか、ひとりでいるのがとっても上手かった。わたしの英語がつたなかったというのもあるんだろうけど、ひとりでいるのがとても好きだった。

ひとりで図書館いってたし、ひとりで街に繰り出していたし、ひとりでカフェでホットチョコレートを飲んでいた。そういえば確かあのころはまだコーヒーが好きじゃなかった。

ひとりであんな綺麗な街をあるくのは贅沢だった。家に帰るとヘレン、ホストマザーの、がいて、how was your day と聞かれるととってもほっとした。家を出る前に庭に干しておいた服があったかく乾いていたのを触るときも嬉しかった。

ひとりでいると、小さなことがとても贅沢に思える。だからひとりでいたような感じがする。ひとりでまちにでると、色々こころのなかで言葉がでてくるのが分かる。そうやって言葉遊びをするのはとっても好きだった。

よっぽど長期でない限り、わたしにとって留学って多分自分がどこまでできるのか見てみる、ていうのと、ひとりであるのを十分満喫するためにあるのかもしれない。

NZにいた頃が、一番言葉が頭の中であふれていた。今は、言葉にあんまり不自由しない環境だし、いつでも誰かがそばにいるから、自分に対して言葉を発することがそんなにない気がする。

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