まずは、彼の本から一節引用。訳は、石井恭二。
人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸をみれば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく舟につくれば、ふねのすゝむをしるがごとく、身心を乱想して方法を辧肯するには、自心自性常住なるかとあやまる。もし行李をしたしくして箇裏に帰すれば、方法のわれにあらぬ道理あきらけし。
人が、舟に乗ってゆくとき、目をめぐらして岸を見れば岸が移るように誤って感じる。素直に舟を見れば、舟が進んでいることが知れるように、身心を乱して普遍的な諸現象を理解しようと努める場合には、自分の認識作用は不変で確かなものかと誤ってしまうものだ。もし日常の行為を素直に自分のなかに結びつけて捉えかえしてみれば、普遍的なそのままの現象というものは、自心自性の認識作用のうちには無いという道理は明らかである。
アメリカ留学中にこの人の書いた正法眼蔵と言う本の存在を知った。本屋で立ち読みをしている時に引用されているのを読んだ。今となっては正法眼蔵のどの部分が引用されていたのかは憶えていない。日本に帰って来て1年ほど経って、近所の本屋でほこりにまみれて、棚の最上段に積まれているのを発見した。石井恭二による現代語訳のつき。全4冊のうち最初の1冊目を購入した。オリジナルは75巻に分かれていたらしい。それらを4冊まとめてある。
75巻の内の最初の一巻、「現成公按」を読んでびっくり!著者道元は13世紀の人。なのに、彼の自然哲学はまるで色あせていない。13世紀といえばコロンブスが大西洋をわたるさらに数100年前。上の一節を読んだとき、僕は、ゲーデルの不完全性定理を思い出した。さらに、文章が美しい。小気味良くリズミカルで深い。なぜ、これほどの文を中学や高校の国語の時間に習うことが無かったのか急に不思議になった。 |