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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-04-15 最近読んだ本 その二 『エラン』『バカのための読書術』『辺境警備』ほか
2001-04-15 最近読んだ本 その一 『九マイルは遠すぎる』『ストーカーの心理』『春の高瀬舟 御宿かわせみ24』『私たちは繁殖しているピンク』
2001-04-14 マスコミの誤報について 最終回 報道という名のバラエティショウ
2001-04-13 マスコミの誤報について その六 蓼喰うバグも好き好き
2001-04-12 マスコミの誤報について その五 舶来パソコン好み
2001-04-11 マスコミの誤報について その四 朝日新聞一面を飾ったハードウェアたち
2001-04-09 マスコミの誤報について その三 専門家という情報源
2001-04-08 マスコミの誤報について その二 報道の本質について少し考えてみる
2001-04-07 『誤報 ─新聞報道の死角─』 後藤文康 / 岩波新書
2001-04-06 [書評未満] 『多重人格探偵サイコ』大塚英志 原作,田島昭宇 作画 / 角川コミックス・エース


2001-04-15 最近読んだ本 その二 『エラン』『バカのための読書術』『辺境警備』ほか


『エラン』全2巻 新谷かおる / メディアファクトリー
 1989年,つまりバブルがはじける直前に連載された,「貿易」を題材にした作品である。「夢の独立国家をつくるため,少年少女が設立した世界最小の貿易商社」という設定が窮屈すぎたせいか,本格的に話が転がりだす前に終わってしまうが,新谷らしい大手商社との知恵合戦は見もの。
 以前,『砂の薔薇』の解説に宮嶋茂樹が登用されたという話を紹介したが,この『エラン』2巻の木原浩勝(怪異蒐集家)の解説がまた秀逸。その切れ味にはさっと鳥肌が立った。新谷という作家,一見,豪快な勝ち負けテーマの少年マンガに見えるが,実のところは掘り下げ可能な,複合的な作風なのだろう。とりあえず『クレオパトラD.C.』は必読。

『バカのための読書術』 小谷野 敦 / ちくま新書
 難しい本をどう読むか,どう選ぶか,といったテーマについてまとめた本である。とりあえず,この本に「バカ」にされる領域にいたるまでが大変だ。普通は,この本を読んでも,何を言われているかわからないだろう。
 本邦初「読んではいけない本」ブックガイドには爆笑。小林秀雄のほとんどすべて,とか,バタイユ,ブランショなんて確かに読みたがる時期があったよな,と顔が赤らむ(ただし,ここで「読んではいけない」とされているバタイユの『エロティシズム』は,中国人の処刑(広場で阿片をかがせてからよってたかって足をもぎ,胸をそぐ)の写真がそのまま掲載されていて,立ち読みする価値はあると思う)。『黒死館殺人事件』『ドグラ・マグラ』『虚無への供物』も「読んではいけない」そうだ。まぁ,先に読んでおくべき本は多いかな。
 とりあえず,読書家を自認する人は読んでみるとよいだろう。ただし,これを読んだバカの一部が,自分をバカと思わなかった場合は問題だ。こじれたバカは無敵。

『辺境警備』 紫堂恭子 / 角川書店あすかコミックス
 先の『バカのための読書術』で大島弓子,山岸凉子と並んでお奨めされていたので買って読んでみた。悪くはないが,これに「しびれる」には少し年をとりすぎたか,あるいは逆にまだ若すぎるようだ。

『なんでもツルカメ(上・下)』 犬丸りん / 幻冬舎文庫
 いわずとしれたおじゃる丸の作者のデビュー当時の作品。しかし,烏丸の好みはおじゃる丸よりむしろこの『なんでもツルカメ』のりんちゃんだ。連載当時のことがあれこれ思い起こされて懐かしい。

『写真美術館へようこそ』 飯沢耕太郎 / 講談社現代新書
 中断している「本の中の名画たち」のための資料,あるいは紹介する本の候補として選んだもの。悪い本ではないが,内容をだらだら紹介する以外に,取り上げる切り口見つからず。

『活字でみるオルセー美術館 近代美の回廊をゆく』 小島英熙 / 丸善ライブラリー
 同上。

『フローラ逍遥』 澁澤龍彦 / 平凡社ライブラリー
 同上,なのだけれど,ただもううっとり。著者晩年の作業,古今東西の花の図版75点を取り上げ,それぞれに典雅な文章を付したもの。
(つづく)

先頭 表紙

ふと,本文読み返して……中国人の処刑は『エロスの涙』ですね。なにをお馬鹿。 / 烏丸 ( 2001-04-19 12:15 )
あ,そういう意味なら納得ですが,逆に心配もないように思います。あれは明らかに写真の歴史における大物,大事件の羅列であって,自分がその域にすぐ達するようには思えません。絵を始めようという人が世界美術全集を見ても大丈夫,みたいなもんでは。 / 烏丸 ( 2001-04-19 12:14 )
どもども。大変なこととかどうとかというより、これから写真始めよっかな〜とい人が読むには作品がハイエンド。入門というより中堅向けかという印象がありまする / Hikaru ( 2001-04-18 13:25 )
Hikaruさま,いらっしゃいませ。……烏丸は歴史の教科書的に「ふんふんなるほど」と読んでしまいました。書かれていることがどんなに大変なことなのかわかっていないものと思われますが……。 / 烏丸 ( 2001-04-18 12:38 )
アカウントなくても、つっこみ書けるかな?「写真美術館へようこそ」は入門書と銘打ってますが、それにはちと強烈かも / Hikaru ( 2001-04-18 10:35 )
そうそう,『エラン』の解説を書いたという木原浩勝氏は,かの『新耳袋』の編者の1人であります。 / 烏丸 ( 2001-04-17 11:11 )
けろりんさま,とてもよい作品だとは思ったのですよ。ほかの作品も少しずつ読んでいくつもりですので,紹介していただけると幸い……。 / 烏丸 ( 2001-04-16 19:54 )
紫堂恭子はそのうち私も紹介しようかな〜なんて思っていたんですが。それなら「グランローヴァ物語」の方をいつか取り上げるかなぁ。 / けろりん ( 2001-04-16 17:05 )

2001-04-15 最近読んだ本 その一 『九マイルは遠すぎる』『ストーカーの心理』『春の高瀬舟 御宿かわせみ24』『私たちは繁殖しているピンク』


 新聞報道について寄り道したりしているうちに,取り上げるタイミングを逃した本がたまってしまった。いずれ機会をあらためてきちんと紹介したい本(およびイナズマ落としでゴミ箱に投げ捨てた本)を除いて,ざざざっと駆け足で紹介しておこう。

『九マイルは遠すぎる』 ハリイ・ケメルマン,永井 淳・深町真理子 訳 / ハヤカワ文庫
 ふと耳にした「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない,まして雨の中となるとなおさらだ」という言葉から推論を展開し,なんと前夜起きた殺人事件の真相を暴き出す……という表題作でかねて有名な短編集なのだが,どういうわけか読もうと思い立つと書店店頭にない,そのうち失念する,ということの繰り返しでこの十数年すれ違いが続いていた。
 場末の小さな書店でようやくお目にかかれたのだが……。なァんだ,その短文だけじゃなくていろいろ推論の材料があったのね。おまけにその材料たるや,極東の島国の読み手にはまずわからないであろうシロモノ。
 まぁ,これは長年の期待が勝手に膨れ上がったせいだろう,アシモフ『黒後家蜘蛛の会』にも匹敵する佳編ぞろいではある。

『ストーカーの心理』 荒木創造 / 講談社+α新書
 腹帯の惹句(添付画像参照)が,「ストーカー自身が告白した赤裸々な深層心理!!」。……当人が自覚しているなら,すでにそれは深層心理とは言わないのでは?
 それはともかく,男性ストーカー2人,女性ストーカー2人との対話を詳細に紹介した本書,岩下久美子『人はなぜストーカーになるのか』,福島章『ストーカーの心理学』に比べるとストーカー心理の分類,抽出が荒っぽく,しかもどうも被害者よりストーカー寄りというか,どこかその言動を容認している気配があって少々ひっかかる。
 この3冊の中では『ストーカーの心理学』が一番お奨め。

『春の高瀬舟 御宿かわせみ24』 平岩弓枝 / 文春文庫
 神林東吾がうっかり外にこしらえてしまった(らしい)隠し子・麻太郎と再会し,その事件で母・琴江を亡くした麻太郎は後継ぎを得られない兄・神林通之進の養子となる……四方八方まるくおさまってご都合主義としても少々やりすぎではないか。あのご都合主義の権化,島耕作ですら隠し子ナンシーに自分が父であると告白しなかったというのに。
 とかいいながらはらはらお付き合いしてこれで24冊目,あと何冊読めるのやら。

『私たちは繁殖しているピンク』 内田春菊 / 角川文庫
 子育ては百人百色,細かいことにこだわらない親にはあれこれ参考になったりリフレッシュになったり。こだわる人は……お好きなように。
 食後すぐに濃いコーヒーや緑茶を飲むのは鉄分が破壊されてよくないのだそうだ。麦茶,ほうじ茶,番茶ならOKとのこと。なるほどね。
(つづく)

先頭 表紙

2001-04-14 マスコミの誤報について 最終回 報道という名のバラエティショウ

 
 このほか,コンピュータを扱った報道を見渡すと,実際,明らかな誤報,首を傾げざるを得ない記事が少なくない。というより,専門家が直接ペンを執った文章は別にして,ある程度突っ込んだ内容を記者がまとめた記事を見た場合,かなりの確立で奇妙な誤解や微妙なズレ,さらにいえばほのかな毒を感じることが少なくない(とくに,朝日新聞の「ネット」に対する悪意はかなり露骨だ)。

 気になるのは,コンピュータを扱った記事の場合,比較的オープンな業界ゆえ事件の結果がしばらくして明らかになることが多く,そのために読み手から記事の内容チェックがしやすいのではないか,ということである。
 そして,もし大手新聞社の記者の水準がコンピュータ関連記事にうかがえる程度のものしかないとしたら,それ以外の,記事の是非が明らかになりにくいジャンルの記事の内容の水準は果たしてどうなのか。たとえば,経済,金融,政治,外交……。

 衰えたといえども大部数を誇る新聞の影響力はいまだ大きい。駆け出しの記者でも取材相手に「公器」として恫喝まがいのことを口にできるほどその権力は小さくない。ワイドショーや週刊誌とは次元の異なる,何かきちんとしたもの,確かなスジによる情報,といったものを想像する読み手もいまだ少なくないに違いない。
 しかし,本当にワイドショーや週刊誌,スポーツ新聞とは違うのだろうか?

 とりあえず,我々読み手は,インターネットという複合的な情報源を得た。従来は時間的にも金銭的にも容易でなかった複数の新聞の記事,通信社のナマの情報,場合によっては事件の当事者のナマの声に触れることすら可能になった。

 2つの新聞の記事を読んで,もしその内容に違いがあるなら,どちらかは(あるいは両方とも)事実と異なっている可能性があるということだ。逆に,内容が全く同じなら,どこかからの,同じニュースソースからの(なんらかの意図のこもった)情報を引き写しただけかもしれない。

 見抜くのは読み手側の義務なのである。

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 ……と書いて〆られるとなかなかカッコよかったのだが,知人から,昨日の書き込みの,顧客データをプリントアウトした銀行についてのご指摘をいただいた。
 曰く,「プリントアウトは結果的にムダにはなったが,保険金と同じく万一に備えたリスクヘッジであり,ムダになるよう努力し,その努力がうまくいったということではないか。そもそも派手にプリントアウトを積み上げても預金全額から見ればたいしたコストではない。銀行の取り組み姿勢のパフォーマンスだったのではないか」(要約,烏丸)
 うーん,磁気ディスク等への保存で十分なところを,紙に印字しないとアピールにならないという構造自体が前近代的な印象だったのだが,こうして指摘をいただくとどうも反論できない。

 というわけで,新潮社から函入り著作集全35巻を発行する折には,昨日の書き込みの最後の段落は削除することにしたい……って,こらっ。

(本シリーズ,これでオシマイ)

先頭 表紙

ふみふみ。さま,いらっしゃいませ。難しいのではなくて,烏丸の書き方がヘタなだけなんですよ。 / 烏丸 ( 2001-04-15 03:27 )
すっごい難しい内容かな?ナンテ思いながら、読んでて、最後の一行があって、ホッとしてます〜♪^^ / ふみふみ。@はじめまして〜♪ ( 2001-04-14 08:16 )

2001-04-13 マスコミの誤報について その六 蓼喰うバグも好き好き

 
 以下,朝日新聞のコンピュータ関連報道をざっと駆け足で見ていこう。

 1987年9月,「日本IBM,一般家庭向けパソコンから撤退 日電などに押され」。
 何かといえば,あの,IBM5550の家庭向けとして森進一まで使って発売された,上にバカが付くほど価格が高くて,遅くて,ソフトがなくて,販売チャネルもないためさっぱり売れなくて,倉庫に余りに余って,数度にわたって社員に押し付けたがそれでも処理しきれなかった16ビット機「JX」の撤退記事である。撤退もなにも,コンシューマ市場では参入できてない次元だったと思うが。
 ……過去,ほとんどのパソコン,家電製品の製造終了を記事にしなかった朝日新聞,なにもよりによってそんなものの撤退記事を載せることもあるまいに,やはりIBMの名前に「ゆゆしきことらしい」と反応してしまうのだろうか。しかも記事をよく読むと,「家庭向けの中でも教育用としては,上位機種を中心に販売を続ける意向」,なんだ撤退ですらない。在庫を処理したいので,もう一度だけ記事にしてくれないかと頼まれでもしたのかしらん。
(仕事でしばらく5550を使っていた烏丸,JX発売当時,個人で購入しないかとIBMの営業マンに持ちかけられたが,今思うと断ってまことに惜しいことをした。インターネットを探しても,個人でJXを購入した経験談などほとんどないのである。)

 1996年12月,科学欄のJPEG技術を紹介する記事。
 「JPEGは,画像の細かい部分が少しぐらい変化しても人間の目が気づかないことを利用する。画像に離散コサイン変換(DCT)という細工をし、大きな構造と細かい構造に分解し、画像の全体にあまり関係がない細かい構造は捨てる。」
 ふむふむ,なるほど。問題はその続き。
 「顔の画像なら,顔の輪郭や髪形などの情報は間違いなく残し,細かいニキビや髪の毛一本ずつの情報は,思い切って減らす。」
 思い切っても,離散コサイン変換ではニキビは減らないと思うが。傍には牛の図があって,DCT変換をすると地面の情報,空の情報が「粗い」,牛の情報,雲の情報,牧草の情報が「細かい」。……いや,あの,その。
 画像変換についての知識のない文系の記者が,専門家に説明を仰いだ際に説明のための比喩を真に受けた,といったあたりか。
 ちなみに,なぜすでに技術として(よい意味で)枯れたJPEGを取り上げたかいえば,NTT情報通信研究所の所長安田浩氏がエミー賞の科学技術賞を受賞したため。記事にするのはともかく,1996年にもなって「画像圧縮に熱い視線」の記事タイトルはいかがなものか。

 これは比較的最近の記事。1999年10月の夕刊,社会面トップ。
 「ソフト『一太郎10』成人の日はいつ? 祝日改正知らず」,つまりジャストシステムが祝日の改正を知らないで,2000年の成人の日を15日にしたままだった……そりゃ,障害といえば障害だが,ワープロソフトのカレンダー出力機能なんていったい誰が使うんだか。コンピュータの「2000年問題」関連の話題を探していた記者の目にたまたまとまったのだろうが,オマケソフトに社会面のトップ費やして「ユーザーの1人は『欠陥があるのに,修正はおろか問題点を知らせもしないのは不親切』」ではさすがにジャストシステムがお気の毒。

 そんなことより,2000年問題に怯えて「データが読めなくなるといけないから」と数万枚の紙に預金データをプリントアウトしたどこかの銀行のおまぬーを指摘するほうがまだ有意義だったと思うのだけれど。2000年になってコンピュータが壊れたら,プリントアウトからデータを入力し直すつもりだったんでしょうか。
(つづく)

先頭 表紙

2001-04-12 マスコミの誤報について その五 舶来パソコン好み

 
 朝日新聞のコンピュータ報道の大きな特徴の1つは,まず,そのくどいまでの略語好きである。
 スーパーコンピュータは「スパコン」,インターネットは「ネット」,最近では米Microsoft社を「マ社」「マ社」と連呼した記事が印象に残る。
 スパコンという言葉からは大らかな愚かしさしか感じないし,インターネットはインターネットであってネットではない(第一,ローカルエリアネットワークやパソコン通信ネットワーク等との違いをどうするつもりだ)。「マ社」にいたっては……ただもう気持ちが悪い(*1)。
 略語の多用は一定のスペースに情報をおさめるため,という理屈はわからないでもないが,それならそれぞれの対象について標準的な略語を調査するべきではないか。

 もう1つの特徴に,舶来パソコン好き,ということがある。企業でいえばIBM,機種でいえばMacintoshの話題がお好みのようだ。
 その最たるものが,1992年後半から1993年にかけての,IBM PC/AT互換機万歳記事である。
 たとえば1993年1月の「10万円切るパソコン 米社,春にも日本で発売」,この「米社」というのはデルコンピュータ社のことだが,要するにアメリカで4番目のコンピュータ会社が日本で少し旧いスペックのパソコンを投げ売りするぞという報道が一面扱いである。前年秋にコンパックが12万円パソコンを出した際にも一面で報道された。
 しかし,これらの廉価機は,実際にはほとんど売れなかった。当時国内でPC/AT互換機を購入していたのはまだマニアと呼ばれる層で,売れ線は20万円以上,いや30万円台のハイスペック機だったのである。

 もっとも,これらの報道は,国内メーカーのパソコンの低価格化とPC/AT互換機化については大きな影響を及ぼしたといえるだろう。それがその後のWindows95ブーム,インターネットブームに結びついたことを思えば,ユーザーにとって非常に有意義な記事だった,という見方もできる。
 気になるのは,これらの記事を担当した人物が,のちに,コンパックやデルの廉価パソコンが売れそうもないのに一面で報じたことについて「国内メーカーの奮起をうながすためだった」と述べていることだ。これは明らかに経済報道に「恣意」を込めたということであって,大部数の新聞の一面でそれが許されることなのかどうか,少々疑問が残る。
 また,世界標準ともいえるPC/AT化が進んだ,ということは,裏返せばそれまで各メーカーが競い合っていた日本独自の仕様を壊滅的に滅ぼしたということでもある。チップや基板の大半をアジア諸国から安く輸入し,筐体におさめて販売する,それが現在の国内大手パソコンメーカーのビジネスであり,そのため日本語入力に適したキーボードの開発などはほぼ完全に放棄された。国内の技術者たちの意欲も高いとは思えない。

 PC/AT化,Windows,インターネットの普及は世界規模の趨勢であり,朝日新聞がどう書こうがその流れは変わらなかったかもしれない。しかし,少なくとも大部数を背景に歴史に竿をさすのなら,パーソナルコンピュータについて十分な調査を重ねたうえで記事を起こすのが当然だろう。
 残念ながら,先に紹介した誤報以外でも,朝日新聞のコンピュータ関連記事には,とても十分な調査に基づいたとは思えない記事が少なくないのである。

*1……これほど略語が好きなくせに,少し前まで「CD-ROM」という用語が出てくると必ず(読み出し専用メモリ)とかいうカッコ書きが付いていたりした。語源的には間違いではないが,CD-ROMはいまや配布メディアであってメモリではない。

(つづく)

先頭 表紙

2001-04-11 マスコミの誤報について その四 朝日新聞一面を飾ったハードウェアたち

 
 一昨日の「くるくる」を読んだ知人から,昨年の『正論』に,朝日新聞紙上の考古学上の誤報をレポートした記事があったようだ,との連絡あり。あいにく手元に資料がないのでその件はまたの機会に譲るとして,当初の予定通り朝日新聞の一面を飾ったパーソナルコンピュータ関連の記事を追ってみよう。

 1990年5月の「高校生コンピューター・ウイルス事件」以外に,朝日新聞がパーソナルコンピュータについて一面で報道した記事にはどのようなものがあったか。

 たとえば,1993年1月に「プリンター内蔵のノート型パソコン,2月発売」という記事がある。
 日本アイ・ビー・エムのThinkPadとキヤノンのバブルジェットプリンタを1つの筐体におさめたというものだが……どう読んでも,これを一面に置いた理由がわからない。バランスを考慮しながら機能を絞って携帯性を保持するのがノート型パソコンのレゾンデートルのはずなのに,それにプリンタを合体させて一昔前のポータブルワープロのような大仰なものにするのは流れに逆行することではないのか。出先でプリントアウトしたいなら,当時それなりにヒットしていた携帯用バブルジェットプリンタと組み合わせれば十分だろう。
 というわけでこのIBM ThinkPad 550BJは朝日渾身の提灯記事(?)の甲斐なく,登場と同時にあっさり歴史の彼方に消えてしまった。

 ハードウェアそのもの以上に「朝日新聞が一面で取り上げた」ことが話題になったのが,1988年2月の「機種の枠なくすパソコン,今月発売 IBM・日電と互換」という記事である。
 見出しだけ見れば当時全盛のPC-9801とIBM PC/AT,東西の膨大なアプリケーションをすべて使える素晴らしい規格に見える。しかし,実際のところは,PC/ATの基盤にPC-9801の差分を加えたような構成のハードウェアにそれぞれのBIOSをファームで載せた,というシロモノである。技術的には面白いが,エプソンの98互換機と違って,機構上,どうしても同じ性能のPC-9801,PC/AT単体より安くは作れない。記事中では「BIOSさえ用意すれば,東芝J3100,富士通FMR,日立B16,さらにIBM PC/ATの日本語仕様のAXなどのソフトも使えるようになる」と夢とロマンを掻き立てるが,よく考えるまでもなくいずれもPC/ATライクなMS-DOSマシン,それぞれのアプリケーションがほかの機種で動作しない悪習は問題としても,たとえばさまざまな機種用の「一太郎」を持って困っているユーザーがどれほどいただろう。この標準機とやらが売れないのは当然だった(*1)。実際,多数のメーカーの参入を期待した日本パソコンソフトウエア協会の野望むなしく,それまで聞いたこともなかったトムキャットコンピュータ社だけの参入,販売チャンネルもヨドバシカメラのみという惨状であった(*2)。
 ただし,この標準機はWindows3.0登場以前のハードウェアの違いを吸収しようとする技術的な試みの1つとして,それなりに評価すべきものではある……ただし,ビジネスとしてはかなり無謀な企てであり,一般紙の一面で紹介するのが妥当かと言われれば(誤報ではないものの)「無茶な」としか言いようがなかったものではあるが。

*1……本体3万円,5千円のアダプタを買えばPS,ドリキャス,64のゲームがいずれも遊べる,というゲーム機ならそれなりに売れそうに思えるかもしれないが,残念ながらMS-DOS用のアプリケーションは,そういった共有ハードが必要なほどにはバラエティがなかった。

*2……真偽は知らないが,40台しか売れなかった,との噂があった。

(つづく)

先頭 表紙

しかし,オンキヨーは公式サイトでも「オンキヨー」と「オンキョー」を混在させるなど,昔から,「キヤノン」に比べればまことに呑気なのです。 / 烏丸 ( 2001-04-13 02:09 )
ONKYOを「オンキヨー」と書くのも、案外知られてないもかも。 / clouds@最近まで知らなかった ( 2001-04-13 01:55 )
キヤノンといえば,今日発売のモーニングで,せっかくカラープリンタをプレゼントとして提供しているのに,会社名を「キャノン」とされていて気の毒でした。キャノンは「キヤノン」,富士写真フィルムは「富士写真フイルム」なんですよね。 / 烏丸 ( 2001-04-12 12:42 )
エプソンを除くと,98互換機の多くは,OS,BIOSまではサポートできても,I/O,いわゆる「ハードを直接叩く」プログラムにまでは対応しきれず,互換といいつつ動作しないアプリケーションが少なくなかった……あらあら,いやだわ,こんな論調。まるで烏丸がパソコンマニアみたいな。 / 烏丸 ( 2001-04-11 13:06 )
確かに一面の報道とすればムチャですね(笑) そういえばEPSON製の98エミュレーターを使って、DOS/V機で98のソフトを動かそうとジタバタした記憶がありました。 / TAKE ( 2001-04-11 08:38 )

2001-04-09 マスコミの誤報について その三 専門家という情報源

 
 もうずいぶん前のことだが,考古学の研究を専門とする知人が
「考古学については,新聞の派手な記事なんかあてにしてはダメだよ。どこの新聞も自分たちが親しい一部のセンセイの言うことばかり取り上げて,実証できてないようなことまで平気で載せてしまうのだから」
と苦い顔をしていたことを思い出す。どの新聞がどの大学のどの研究室の,ということまで詳しく説明していただいたのだが,申し訳ないことに詳細までは記憶がない。知人の懸念は,最近の旧石器発掘捏造事件でも明らかになった。
 もちろんこの事件の「犯人」はマスコミではない。また,以前から一部で指摘されていたと言われる旧石器の発見に対する疑問を取り上げていないことを責めるのも無理というものだろう。しかし,論文にすらまとめられていない発見を再三持ち上げるマスコミの煽りが,事件の当事者をますますのっぴきならない立場にまで押し上げていったであろうこともまた否めない。

 この事件は,マスコミ報道についてさまざまな教訓を示しているように思われる。その1つ,「専門家の言うことは正しいのか」という点について少し考えてみよう。

 『誤報 ─新聞報道の死角─』には,1990年5月の「高校生コンピューター・ウイルス事件」が取り上げられている。
 その年の4月,S社製のパソコン用のゲームソフトにコンピュータウイルスが発見され,話題になったのだが,この報道は,香川県丸亀市に住む高校生がパソコン通信を通じて大手コンピュータメーカーの社員を名乗る人物からコンピュータウイルスの開発を持ちかけられ,金銭と引き換えにそれを渡した,というものだ。とくに朝日新聞がスクープとして1面トップに掲載したが,記事を読んだだけでうさんくささに首をかしげるような奇妙な記事だった。

 まず,従業員4万人の大手コンピュータメーカー(暗にF社を示している)の社員が名刺を出して高校生にコンピュータウイルスの開発を依頼した……この時点でもう眉唾モノである。悪巧みをするのにわざわざ名刺を出すのは妙な話だし,そもそもコンピュータメーカーの技術力をかんがみれば,地方の高校生にウイルス開発を依頼することからして説明がつかない。ウイルス開発に40人がかり,というのも「わかっていない」印象である。
 さらに,その事実を突き止めたというのが,大阪のコンピュータ連盟の会長ということになっていたが……この人物がどういう位置付けにあるかは,パーソナルコンピュータ業界に詳しい者数人に尋ねればすぐにわかったはずなのである。

 この人物の悪口が本稿の目的ではないのでこれ以上詳しくは触れないが,結局,この報道は以前から虚言癖のあった高校生の言葉を新聞社が真に受けたための失態として決着を見る。果たしてそうだろうか。
 『誤報 ─新聞報道の死角─』は誤報の原因として記者のあせりや判断ミスをあれこれ挙げているが,そんな立派なものではない。先の人物からの情報を真に受けた段階ですでに敗北が決まっていたのだ。おそらく「コンピュータ」「連盟」「会長」といった彼の肩書きに目をくらまされたのだろうが,この人物の情報に基づいて記事を作成するのは,小泉純一郎の出馬の意思を確認するのに小泉今日子に電話するくらい頓珍漢なのである。

 そんな剣呑なことをしてしまうほど朝日新聞はパーソナルコンピュータ業界に疎いのだろうか。どうも,少々疎いようなのである。

(つづく)

先頭 表紙

カエルさま,堅い本をきっかけに堅い話が続いて,少々肩こり気味の烏丸でございます。反動が出ないように気をひきしめねば。ねばねば。 / 烏丸 ( 2001-04-11 02:04 )
小泉・・のくだりで、飲んでたコーヒー噴出しそうになりました・・もう烏丸さまったら(笑)それはそうと、自分の担当する業界の知識があまりない新聞記者って結構いますからね。(どういう基準で各部署に配置されるんだろ?)いかにも「らしい」単語に惑わされてしまうってありますね。 / カエル ( 2001-04-10 16:45 )

2001-04-08 マスコミの誤報について その二 報道の本質について少し考えてみる

 
 『誤報 ─新聞報道の死角─』(後藤文康)については,しかし,著者が大手新聞OBであるだけに,どこか誤報についての反省も対策案も業界の囲いのうちにあり,その点で限界というかそらぞらしい一面は否めない。

 第一に反省,対策といっても,たいがい精神論に過ぎないということ。また,誤報についての「おわび」「訂正」がなされたらそれで済むのか,ということがある。やらせが明らかになって謝罪した,といって,せいぜい担当者の首のすげかえ,マスコミ各社の中での順列に影響する程度で,「おわび」される側のダメージに見合うものとはとても思えない。そもそも,大手新聞は「おわび」を掲載するのに想像を絶するほどの抵抗を示すが,毎度の訂正記事の目立たなさはこれまた想像を絶するほどである。ほんとに謝意があるなら号外ぐらい出しなさい。それがスジというものだ。

 また,そもそも犯罪報道とは何か,という問題もある。
 「松戸OL殺人事件」で,冤罪とされた時点で各社はこぞって謝意を明らかにして世論におもねたが,では冤罪でなかった(有罪と確定した)なら,何を書いてもよかったのか。少なくとも松本サリン事件の河野さんについては,オウム真理教が加担していることが明らかにならなければ「おわび」「訂正」が載ることはなかったろう(この点は著者も明記している)。だいたい,マスコミは,いかなる権利があって犯罪の容疑者,被害者についてあのように鬼の首をとったように書き立てるのだろうか。国民の知る権利は,関係者の人権よりも重いのだろうか。

 念のため書いておくが,別にマスコミ報道の存続そのものを否定しているわけではない。しかし,マスコミ各社の報道行為は,国民の知る権利に答えること,再犯を防ぐこと,など,さまざまなプラスの面があることは確かながら,一方で関係者の人権,プライバシーを踏みにじることで成立するビジネスであるとの自覚は持ってほしいということだ。
 実際,マスコミ各社は,ロス疑惑事件についていかなる反省をしただろうか? 裁判で負けがこんだことへの反省はあったかもしれないが,たとえばテレビ局としては,得られた視聴率(広告収入)との収支決算はおおいに黒字であり,「ロス疑惑よもう一度」と願うプロデューサーは少なくないのではないか(事実,少なくないのだが)。

 ちなみに,テレビ局内部では「報道」とエンターテイメントたる「ワイドショー」は別ものという認識はあるようだ。しかし,それなら「ワイドショー」はオープニングで「本番組は報道ではない」と明言すべきと思うし,そもそも,「報道」と「ワイドショー」が違うというのも内部の人間の勝手な思い込みであって,視聴者から見ればテレビ局のチャンネルが同じなら同一の情報ソースにしか見えないという点は忘れられていないだろうか。

 つまり,いかに国民の権利を守るため等々の奇麗事を並べようと,マスコミ報道のある一面は情報話題ころがしによる利益追求である。これは,そういう報道とそうでない報道があるということでなく,あらゆる報道にその面がある,という意味である。

 1970年代,毎日新聞が小・中学生の教育問題を取り上げ,「乱塾時代」と命名して大々的にキャンペーンを行った。その結果起こったのは「よそが塾に行かせているのなら」という,さらなる塾通いの加熱,公立学校の空洞化であった。
 しかし,当たり前だが,毎日新聞がこの件について「おわび」「訂正」を掲載したという話は聞かない。

(つづく)

先頭 表紙

誤報ではないのですが,スポーツと朝日という点でここ数年気になっているのが,スポーツ欄の写真がつまらないこと。プロ野球でいえば決勝ホームランを打ったバッターの,その打席でなくベンチ前でナインに迎えられているシーン,サッカーなら試合が終わってうずくまるシーン,水泳では競技が終わって電光掲示板を見上げるシーンとか。要するにスポーツの躍動感の感じられない写真がやたら多いような。 / 烏丸 ( 2001-04-11 13:02 )
スポーツ・ファン的には、朝日新聞といえば昨年のフィリップ・トルシエ日本代表監督解任のフライング報道が記憶に新しい所です。もう少しで記事が現実を歪曲してしまうところでした。 / TAKE ( 2001-04-11 08:29 )
cesarioさま,烏丸個人は「書くことは犯すこと」と感じることはほとんどありません。ではどう感じているかといえば,「書くことは掃除洗濯整理整頓」。 / 烏丸 ( 2001-04-09 00:25 )
たらママさま,「所詮はそういうことで」と認識しておられる方はよろしいのですが,実のところマスコミ側にしても読者,視聴者側にしても,それは少数派なのでは,と思われます。とくにワイドショーや女性週刊誌にたいしては眉にツバしても,大手新聞が載せたらまるまま信用,という方は少なくないのではないでしょうか。 / 烏丸 ( 2001-04-09 00:25 )
「書くことは犯すこと」ですね。 / cesario ( 2001-04-08 06:12 )
マスコミという業種は所詮はそういうことで成り立っているのでは・・・。報道であっても事実というより企画(こういうストーリーがやりたい)ではないでしょうか。 / たらママ ( 2001-04-08 01:49 )

2001-04-07 『誤報 ─新聞報道の死角─』 後藤文康 / 岩波新書


【サンゴ汚したK・Yってだれだ】

 関東大震災下の「朝鮮人暴動」(1923年)
 元号「光文」事件(1926年)
 林彪事件(1971年)
 国際産業スパイ事件(1972年)
 ロス疑惑(1981年〜)
 教科書検定事件(1982年)
 大韓航空機爆破事件(1987年)
 「なだしお」事故(1988年)
 グリコ・森永事件(1989年)
 幼女連続誘拐殺人事件(1989年)
 サンゴ損傷事件(1989年)
 湾岸戦争(1991年)
 松本サリン事件(1994年) ……

 本書は,元新聞記者・紙面審議会委員の著者が,あるときは罪もない市民の人権を侵し,あるときは世論を誤らせてきたマスコミの「誤報」の数々を紹介し,それぞれの原因と過程,さらにその防止策,善後策を考えるというものである。

 誤報はなぜ起こるか。
 第一に,マスコミが,犯罪事件では捜査当局を最大かつ最重要な情報源にしていること。第二に,時間に追われ,確認を怠る場合。第三に,ほかの記者,新聞,テレビなどとの過剰な競争心理がチェックの甘さに結びつく。極端な場合には,「サンゴ損傷事件」のようなでっちあげ,捏造にいたることさえある。
 誤報をなくすには,ともかくほかの情報源によるクロスチェックを重ねる以外にない。もちろん,個々の記者,デスクが,報道というものがいかに大きな影響を与えるかについて自覚し,その一方でシステムとしてのチェック機構を整備することだろう。

 一方,誤報が明らかになった場合の後始末の仕方もまた重要である。いかに速やかに「おわび」「訂正」を掲載するか,そこにマスコミ各社の姿勢が問われるのは言うまでもない。

 本書は1996年の発行だが,1999年12月の朝日新聞が雅子妃の懐妊について,朝刊で華々しく報道した翌日急にトーンダウンしたことが記憶に残る。この報道は「誤報」とはいえないものだったかもしれないが,少なくともスクープ報道の直後,朝日新聞は何かに気がつき,口を閉ざしたに違いない。3日後の宮内庁による「(懐妊は)明確に断言できる段階ではない」との発表まで,誤報の可能性があること,現在詳細を調査中との旨を明確にすべきだったのではないだろうか。

 また,本書で取り上げられている「松戸OL殺人事件」とは,19歳の信用組合職員の殺害事件(1974年)で容疑者として逮捕された小野悦男が一審の無期懲役の判決から,1991年4月のニ審では人権派の弁護士の活躍などで無罪を勝ち取り,「冤罪のヒーロー」として祭り上げられ,各マスコミが大々的に「おわび」「訂正」したことを示す。ところが,小野容疑者は本書発行当時の1996年,幼女誘拐殺人未遂,また首なし女性の焼死体についても殺人容疑で逮捕され,無期懲役が確定している。
 人権派弁護士は松戸OL殺人事件については冤罪だったのだから誤報,という指摘を未だに繰り返しているが,この事件はむしろ裁判,報道の限界を示しているようで興味深い。

 昨今,インターネット上のニュースサイトで通信社の生の報道に触れられるようになったが,ときに大手新聞の記事がそれに妙に手を加えていることがわかる。すなわち,ごくまれではあるが,生の報道では
 「○○の○○がいついつ,AはBであると語った」
だったものが,前半が消え,
 「いついつ,AはBであることが明らかになった」
に書き換わっているのである。よしんば前者が事実であっても,後者は事実とは限らない。のちにAはBでないことが明らかになったとき,前者は(報道において全く責任がないわけではないものの)誤報ではないが,後者は明らかに誤報となるのである。

(つづく)

先頭 表紙

cesarioさま,ここで問題にしているのは「○○補佐官」等をはしょったために事実を捻じ曲げる場合のことであって,それを削ることの是非ではありません。限られたスペースで出来る限り情報を伝えようというのはマスコミ(プロ)に限らず,ここひまじんネットだって皆さん同じ苦心をしておられるはず。要は提示された表現そのものであって,書き手の裏の「つもり」などは知ったことではなく,ましてやプロがそういった当然の努力を云々するのは見苦しいだけと烏丸は認識しております。 / 烏丸 ( 2001-04-09 00:24 )
ただ、マスコミ発の情報の中にはおっしゃるように「そうとは言い切れない」部分もある。たとえ「作られた」ものだとしても、それなりに苦心されている部分もあるのだという点について、ささやかながら実情の一部をお話したいという気持ちになり、長々しい書きこみをさせていただきました。失礼がありましたらお許し下さい。 / cesario ( 2001-04-08 06:07 )
すみません、烏丸様の言わんとされた論点からずれてきてしまったかもしれません。週刊誌やスポーツ新聞などで取り上げられるネタでいわゆる大手マスコミが無視しているものはきわめて多く存在しており、それはすなわり新聞社によって意図的に「隠蔽」されているのだというご指摘については、まさにその通りであると自分も感じております。 / cesario ( 2001-04-08 06:07 )
ここで「ほら、『どの要素を入れるのか』という取捨選択において必然的に一定の意図を働かせているではないか」というご指摘もあるでしょう。それはおっしゃる通りで、その点についても自覚しているつもりです。 / cesario ( 2001-04-08 06:06 )
少なくとも自分が従事する範囲では、ある要素を隠蔽するか否かという意図を働かせるレベルに至る前に、読者にとってレレバントな情報をできるだけ盛りこむにはどうしたらよいのか、そのラインをどこに置くのかをぎりぎりまで考えているというのが実情です。読みやすさと事実の量をどこまでトレードオフさせるのか、そのためにない知恵を絞っているというのが偽りのない本音です。 / cesario ( 2001-04-08 06:05 )
となると、スペースが足りない。外電発記事の翻訳となると、これはもう圧倒的に足りないのです。私の乏しい経験でも痛感されるのですが、翻訳後の記事は元記事より必ず長くなります。これを規定のスペースに納めるために、どの要素まで入れ込んでどの要素を捨てるべきか? / cesario ( 2001-04-08 06:04 )
たとえば「○○補佐官」の名を出されてピンとくる読者はどれほどいるのか。それが一般に想定される日本人にとって理解されない固有名詞である場合、盛りこむ側としては「事実だからとにかく入れるのが義務」という考えのもとに挿入したまま放置するわけにはいきません。その固有名詞が記事文脈上で理解されうるよう、コンテクストを(基本的には)同じ記事中で説明する必要がでてきます。 / cesario ( 2001-04-08 06:02 )
「できるだけ事実を盛り込もうとするのが一般的な方向」というのは言葉足らずな表現だったかもしれません。確かに外電などのソースは明言されないことが多いですし、外電発と断りを入れていても厳密な発言者名まで明記されている場合は少ないかもしれない。ただしそれは、マスコミがソースを「隠蔽」したいという意図の発露である場合もある一方で、単純にスペースの制約という物理的な理由による場合も多いのではという気がします。「限られた紙面上で日本人読者が読んでピンとくる情報をどこまで入れ込むことができるか。」 / cesario ( 2001-04-08 06:01 )
烏丸様、ご丁寧にご返答いただきありがとうございます。大変興味深く感じますので、しつこいようですがもう少し書かせてください。 / cesario ( 2001-04-08 06:00 )
……などと,大上段に理屈を振りかざしても「そういう面もあるかもしれないがそうとは言い切れないかもしれない」ということになってしまいますから,話題を一部の報道に絞り,新聞の報道の姿勢,クオリティを読んでみようというのが今回の目的です。 / 烏丸 ( 2001-04-08 01:41 )
そもそも,マスコミの大きな仕事の1つは「隠蔽」です。たとえば週刊誌がこぞって取り上げる元首相の愛人問題,大相撲の八百長騒ぎ,新聞勧誘員によるトラブル等が新聞紙上に載らないのはなぜなのでしょう。青少年による殺人事件は戦後一貫して減少傾向にあるのに,そうは扱わないのはなぜでしょう。大手新聞の報道の本質が「事実を盛り込む」ことより情報を恣意的に取捨し,世論を喚起することにあることは明らかだと思われます。 / 烏丸 ( 2001-04-08 01:41 )
cesarioさま,「できるだけ事実を盛り込もうとするのが一般的な方向」とのことですが,はたしてそうでしょうか? たとえば,「○○補佐官が,『△△大統領が〜と述べた』と述べた,という外電」があった場合,『 』内しか報道されないことは珍しくありません。つまり,発言者や外電によることなど,情報ソースは往々にして隠される気配があります。 / 烏丸 ( 2001-04-08 01:40 )
以上、書評の途中に大量に差し挟んでしまい、失礼いたしました。 / cesario ( 2001-04-07 05:32 )
烏丸様が例として挙げられた「新聞社による記事の書き換え」については、記事の性質にもよると思いますが、新聞社側が通信社による第一報の裏をとれなかった場合などに行われるのではないかという印象を受けます。情報提供側としては、できるだけ事実を盛り込もうとするのが一般的な方向かと思いますので。 / cesario ( 2001-04-07 05:29 )
ただしこれ(主語の隠蔽)は日本文記事特有の問題というわけでは決してなく、英文記事を邦訳する時に意識される点でもあります。つまり、英文において隠されていたポイントが邦訳の際に明らかになる場合もままあります。(「日本語は曖昧で冗長」との見方がありますが、個人的には必ずしもそうとは思いません。) / cesario ( 2001-04-07 05:28 )
たとえば主語の問題。ある状態を説明する記述において省略されている場合、「ほぼわかっているけれど今の段階では主体を明らかにしたくない」もしくは「今後に備えてニュース源を保護したい」といった記者(またはデスク)の意図を感じることがあります。しかし英文として流れを作っていく上で主語がないと不自然な場合は、彼らと相談の上、間違いではないと確定できる範囲で主語を入れることもあります。もちろん英文においても主語を明言しないやり方はあるので、元記事に忠実な形で訳すというのが基本ですが。 / cesario ( 2001-04-07 05:28 )
興味深いテーマです。私は時にニュース翻訳の仕事を請け負うことがありますが、翻訳している段階で必然的にチェックを重ねることになり、日本語では通りのよい記事においても英訳に際して穴の見えてくる場合が少なくありません。 / cesario ( 2001-04-07 05:26 )

2001-04-06 [書評未満] 『多重人格探偵サイコ』大塚英志 原作,田島昭宇 作画 / 角川コミックス・エース


 
 コミックから小説,DVDとメディアミックスで展開される『多重人格探偵サイコ』,コミック版をやっと1巻だけ手にしました。
 前々から売れているのはわかっていたけど,どうも……信頼できるマンガ評サイトなんかではあまり正面から取り上げられてなかったので,なんとなく後回しにしてきたのです。

 感想は,一言でいえば「おやまぁ,エグい」。死体や殺し方の表現が,かなりきています。というか,1巻については,とにもかくにもインパクトのある殺し方とそれを平気でしてしまうヤツを描きたかった,という感じでしょうか。
 で,世評によると,1巻をピークにどんどんつまらなくなる,猟奇殺人を犯す犯人の左目に黄色いバーコードがあるというネタはSF的に処理されるもよう,ということで,なーんだそういうことならあわてて読まなくてもよいのかなといった感じ。「巻を重ねるごとに,だんだん殺し方が極まってきましたね!」というのならまた別の楽しみもあるというものだけど。

 大塚英志が1巻の巻末に「死体を描くのは作品を書くうえでの思想的なもんだから文句は後で言えよな」みたいな宣言をしているのですが,そりゃ,すごい作品なら「必然性」があると認められるってなもんで,そうでないならただの思い上がり。
 で,結局,残念ながら2巻以降を急いで読みたい気持ちにはならなかった。漫画喫茶に通う習慣はないのだけど,通うならそのうち続きを読んでもよいか,あんまり話を広げないでちゃんと落とし前つけてくださいね,くらいでしょうか……。

 それにしても,これがX指定もなくどこの本屋さんにも当たり前で並ぶなんて,昨今のPTAも大人しいんだねえ。スカートめくりで大騒ぎになった時代を思うと,隔世の感あり。

先頭 表紙

ここ数日,大ネタ(ただし,内容がすごいのでなく,単に手間が大変なだけ)のネタ収集に追われて,今日のははっきり言って手抜きです。画像もスキャンしてません(本はもう人に貸してしまった)。ごめんなさい。 / 烏丸 ( 2001-04-06 13:41 )

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