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ナライフの「怒涛の映画&サッカー日記」

サッカーも映画も前世紀に大いなる飛躍を遂げました。さて、この新世紀、この2つはどう進んでいくのでしょうか?誰も分かりません。でも好きなんです。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-05-12 山中貞雄という映画監督について A
2004-05-12 山中貞雄という映画監督について @
2004-01-23 2003年僕が観た映画と今年の映画
2003-12-09 小津安二郎の生誕100年に思う
2003-12-04 ユーロ2004の結果やいかに!?
2003-08-27 アメリカ映画を愛すること
2003-08-06 レアル、ベッカム、FC東京
2003-07-08 CGと映画と。 〜その3〜
2003-07-08 CGと映画と。 〜その2〜
2003-07-07 CGと映画と。 〜その1〜


2004-05-12 山中貞雄という映画監督について A

 『河内山宗俊』は、3作の中では若干魅力に劣るという声が多そうだが、何と言っても当時16歳の原節子(!)が、物語上のクライマックスの瞬間に、振り向くその立ち姿の素晴らしさと、そのタイミングでちらちらと舞い始める雪の動きの素晴らしさが、これ以上ないような映画的恍惚感に浸らせてくれる。遺作の『人情紙風船』は、救いようのない程暗く厭世感が漂っている映画だが、その一方でこれほど「美しい」映画はないと思う作品。三村明のキャメラで捉えられたモノクロの画面がどの場面を観ても素晴らしく、「美しさ」に満ち満ちている。
 最良の映画は、その良さを言葉に置換できうるはずがないことを承知しながらも「何か」を言いたくなってしまい、言葉に置換してみようという「無駄な」努力をしてしまいがちである。この、解決され得ない自己矛盾への誘惑は絶ち難く、したがって、芸もなく、「美しい」だの「映画的」だのといった、意味不明な形容詞を連発することになってしまって、言葉にしてしまった己を深く恥じることになるのだが、山中貞雄の映画は、まさにそれが「映画」そのものであるが故に、こうした自己矛盾の風土へと私達を追いやってしまうようだ。だから、映画評論家の山田宏一さんも「映画的な、あまりに映画的な」という「最上の賛辞」を山中貞雄に捧げているのだろう。
 実はこの『丹下左膳余話・百萬両の壷』と『河内山宗俊』がセットでこの度DVDとして発売されたのである。早速購入して再見、改めてその面白さを堪能した次第。また、実は『丹下左膳余話・百萬両の壺』のリメイクが現在制作中で、今夏公開予定という。監督は『冷静と情熱のあいだ』のキャメラマン津田豊滋。撮影、編集も兼ねており、配役は丹下左膳が豊川悦司、お藤が和久井映見とのこと。どんな作品になるか全く分からないが、これを機に一人でも多くの方々が山中貞雄を発見することになるかと思うとわくわくするし、そうした流れの中で、失われたはずの作品がどこかで発見されないか、と願わずにはいられないのである。
 

先頭 表紙

夢樂堂さま、たしかに、あの「間」は素晴らしいですね!山中監督作品出演役者へのインタビューなどを読むと、山中監督は、撮影時にストップウォッチを持って、厳密にショット毎の秒数を計算していたらしいので、恐らく全て最初から計算し尽くしていたのでしょうね。 / ナライフ ( 2004-06-04 09:57 )
あのテンポは独特。話芸でいえば間、これが楽しめます。 / 夢樂堂 ( 2004-05-28 17:19 )
八百八六助さま、そうですね、今の日本映画も世界的には誇れる水準だと思っているんですけど、何故か、同時代の自国のものに対する評価が厳しいのが世の常みたいですね。と言っても1930年代と今とでは明らかに30年代の日本映画の方がレベルは上だと思いますけど。 / ナライフ ( 2004-05-14 14:07 )
azzurriさま、いや実は『丹下左膳余話・百萬両の壷』なんかは、1930年代ハリウッドで興隆を極めた「ロマンチック・コメディ」そのものなんですよ。舞台が日本で、時代劇で、というところで一見違うんですが。当時の小津安二郎もハリウッドの模倣をしていましたが、山中貞雄の場合は模倣でなく、むしろ本家を上回っている、という感じなんですよ。 / ナライフ ( 2004-05-14 14:00 )
マイケルさま、これまたニッチな情報源!あのお二人は観ていたんですかねえ… / ナライフ ( 2004-05-14 13:53 )
フィー子さま、基本的に誰かの原作を映画用に脚色して彼が監督しているというスタイルです。脚本に関わっている時もあるようです。 / ナライフ ( 2004-05-14 13:49 )
ここまで言われるとみてみたいですね.やはり戦前の日本は凄いや.その流れも細々今まで続いているんでしょうけどね. / 八百八六助 ( 2004-05-13 23:08 )
古い日本映画ならではの“わびさび”は、今、マネできるものではないのでしょうし、ましてや外国人が真に理解して撮ることなんてできないんでしょうね、、、 / azzurri ( 2004-05-13 18:29 )
↓すいません、「貞雄」でしたね。 / マイケル ( 2004-05-13 18:01 )
山中貞夫の名前だけは高校時代から知っているのです。多分、大瀧詠一と山下達郎がラジオの対談で語っていたような...(これまたニッチな...) / マイケル ( 2004-05-13 18:00 )
存じ上げませんでしたが、魅力が存分に伝わってきました。その3作品の脚本や原文も山中さんなのですか? / フィー子 ( 2004-05-13 17:24 )

2004-05-12 山中貞雄という映画監督について @

 山中貞雄という名前を聞いてピンと来る方は稀有な存在だ。今私がいる会社の席の周りを見まわしても20人居て1人いるかどうかだろう。知っていればよいというものでもないのは承知しつつ、小津や黒澤は知っている、あるいは北野武は凄いぞ、などという暗黙の価値体系が、日本映画界にまつわる様々な言説から出来あがってしまっているとすれば、山中貞雄はどこに位置付けられるのだろうか。せいぜいが小津や黒澤といった太陽の周りを回る小惑星くらいな存在なのだろうが、全ての日本映画を見ているわけではないながらも「それなりに」数多く見ているつもりではある私の個人的意見としては、才能という点で山中貞雄はトップだと思っている。
 山中貞雄。1909年生まれ。1930年代という日本映画全盛期に20歳代で監督として活躍しつつ、戦争に召集され、1938年に帰らぬ人となった、夭折の人である。全部で26作品を監督したことになっているが、現時点で私達が観ることが出来るのは3本だけ。当時、映画は消耗品という認識だったらしく、上映終了後は特に保存することなくどんどん捨てたというから隔世の感がある。そのため、現存する山中作品は、『丹下左膳余話・百萬両の壷』、『河内山宗俊』、そして遺作の『人情紙風船』の、たった3作。どれもモノクロで時代劇というちょっと敬遠されがちな体裁なのだが、滅法面白い。しかもそれぞれ全くスタイルが異なる。
 『…百萬両の壷』は人情コメディとでも言うべき作品で、恐らく3作品の中では最もとっつきやすく、人気が高いと思われる。私も大学時代に、「映像論」なるタイトルのゼミを受講していてそこで初めて観たのだが、あまりの面白さに度肝を抜かれた記憶がある。音声は聞き取り難く、画面の飛びも頻繁で、保存状態が良いとは言えないのだが、その欠落を補って余りある素晴らしさなのである。舞台はもちろん純和風なので一見すると古めかしい日本映画なのだが、その演出ぶりは完全に当時のハリウッド映画である。グリフィスやホークスに連なる、簡潔にして効率の良い語り口、キャメラを同軸に据えての同一構図の画面をベースにした演出、そしてフォードや小津を連想させるローアングル。ハリウッドの最良の部分を完全に掌握しながら、更に「山中ワールド」と呼びたくなる独特のルーズな感覚は、現在のジャームッシュやカウリスマキの登場を既に70年前に予告していたかのようである。そして、そんな「演出」ぶりを全く意識させない程、映画としての「流れ」が自然なので、とにかく観ている側としては約90分間、「至福の映画体験」に満ちていると言って良い楽しさなのだ。

先頭 表紙

azzurriさま、ネットで評判が悪かったりすると観た気になってしまって「面白くない」つもりになってしまう、という人、結構あるんでしょうね。 / ナライフ ( 2004-05-14 13:35 )
フィー子さま、そうですねえ、唯一欠席しなかった授業でしたね。「え、何これ?」というような映画を上映してくれて、実はものすごく面白かったりして、新鮮でした。 / ナライフ ( 2004-05-14 13:33 )
ナライフさんにそこまで言わしめる映画、観てみたいですね^^ azzurriは映画館系のお仕事、試写状は来るのに全然観に行けません・・・レビューが書けない!と騒いでも、ネットで調べて、、、と。便利な世の中がちょっと疎ましい今日この頃(笑)。 / azzurri ( 2004-05-13 18:24 )
大学での映画論って楽しそうですねえ〜〜 / フィー子 ( 2004-05-13 17:25 )

2004-01-23 2003年僕が観た映画と今年の映画

2003年のベスト10を記す。順不同である。
『ゲアトルーズ』(デンマーク カール・ドライヤー監督)
『エルミタージュ幻想』(ロシア アレクサンダー・ソクーロフ監督)
『10話』(イラン アッバス・キアロスタミ監督)
『アカルイミライ』(日本 黒沢清監督)
『過去のない男』(フィンランド アキ・カウリスマキ監督)
『ミレニアムマンボ』(台湾 ホウ・シャオシェン監督)
『ぼくんち』(日本 阪本順治監督)
『家宝』(ポルトガル マノエル・デ・オリヴェイラ監督)
『キャッチ・ミー・イフ・ユーキャン』(アメリカ スティーブン・スピルバーグ監督)
『エデンより彼方に』(アメリカ トッド・へインズ監督)
ここに挙げたのは、原則として2003年に日本で公開されたことになっており、かつ私が観ることが出来たものに限っている。ビデオやリバイバル等で観たものは、僕にとって初見だった映画でも外している。
『ゲアトルーズ』は1964年のデンマーク映画で、昨年日本初公開。カール・ドライヤー監督の遺作。映画表現を簡潔かつ単純の極みまで追求したかのような美しい作品。ただの不倫の物語がこうまで美しいとは!『エルミタージュ幻想』は、全編1カットということで話題を呼んだが、ラストまで全く飽きさせず圧巻。『10話』はイランの天才監督がデジタルビデオ機器1台を自動車内に据え置きにして1本の作品を創ってしまった驚愕の映画。スコセッシやマトリックス・シリーズが巨額の予算をかけているのと対照的。出来も対照的。『アカルイミライ』は、その居心地の悪さとさらついた画面作りに苛立ちを覚えながらも大好きな作品。『ぼくんち』は逆にその居心地の良さと観月ありさや真木蔵人の画面への納まり具合が見事。『過去のない男』は、もうカウリスマキ監督の至芸の極み。小津を敬愛しているこの監督ならではの面白さ。『ミレニアムマンボ』は、ドライヤーと対照的にキャメラを動かし、ズームやパンを多用する。ホウ・シャオシェン監督は既に名声と富を手に入れながらも映像表現でトライを繰り返し、その面白さを意欲的に追及している。『家宝』は逆にシンプルの極み。90歳を超えるオリヴェイラ監督の、演出の明晰さとゆるぎない画面作りにただただ敬服。スピルバーグの『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』はリラックスして映画制作を楽しんだに違いない。肩肘張らずにウェルメイドな作品になった。そして『エデンより彼方に』。以前の日記にも書いたが最近のアメリカ映画の中で地味ながらも素晴らしい出来栄えの作品だった。
 そんな中、2004年始まってまだ数日だが、イーストウッド監督の『ミスティック・リバー』に打ちのめされた。デビュー作『恐怖のメロディ』以来、監督としてのイーストウッドは、恐らく現在活動中の映画監督たちの中でも10本の指に入る存在だと思っていただけに、期待はしていたのだが、その期待を遥かに上回る出来である。巷ではアカデミー賞有力とか騒がれているようだが、『シカゴ』や『タイタニック』や『ビューティフル・マインド』などと一緒にして欲しくない、などという「意地悪な」気持ちから、アカデミー賞だけは獲って欲しくない、という倒錯的な感情さえ生まれてきている始末。演出、役者、キャメラ、脚本、等々、全てにおいて圧倒的な出来映え。

先頭 表紙

『アカルイミライ』は好きです。特にあのクラゲを使ってるところが個人的にはたまりません。 / エスカルゴ@PH ( 2004-02-27 19:46 )
しまお様、懸命にリハビリ中でございます。是非次回はご一緒に! / ナライフ ( 2004-01-28 09:13 )
おおネェさま、有難うございます! / ナライフ ( 2004-01-28 09:12 )
お誕生日おめでとうございます!早く一緒にボール蹴りたいですね。ご回復をお祈りしています。 / しまお ( 2004-01-27 23:16 )
はっぴぃ ばぁ〜すでい ♡ / あおネェ ( 2004-01-27 15:01 )
フィー子さま、有難うございます。娘は、もうわかるようで、朝、「おめでとう」と言ってくれました。でも恐らく、ケーキのろうそく、火を消すのは「あたしにやらせて!」となると思います… / ナライフ ( 2004-01-27 13:41 )
マイケルさま、有難うございます。今年もなるべく映画館で観る本数を多くしたいです! / ナライフ ( 2004-01-27 13:34 )
お誕生日おめでとうございます!!お子様もお祝いしてくれるのかな? / フィー子 ( 2004-01-27 12:17 )
お誕生日おめでとうございます。去年は映画館で10本見れたかどうか...今年はもう少し本数を増やしたいです。 / マイケル ( 2004-01-27 11:25 )
ガス欠コイン様、有難うございます。身体には気をつけます。 / ナライフ ( 2004-01-27 09:20 )
しまお様、『ナイト・オン・ザ・プラネット』!大好きです。カウリスマキ監督とジャームッシュ監督、相通じるものがありますよね。 / ナライフ ( 2004-01-27 09:19 )
誕生日、おめでとうございます。 / ガス欠コイン ( 2004-01-27 09:19 )
azzurri様、映画関係のお仕事とは羨ましい!情報だけでなく、見に行けるといいですね! / ナライフ ( 2004-01-27 09:14 )
フィー子さま、そうですね、よく小説が原作だったりすると、原作と映画の比較とか、どっちがいいとかやっていますけど、ナンセンスですよね。物語は一緒でも、全く別物だと思うんですけどね。 / ナライフ ( 2004-01-27 09:14 )
いろんな国の映画がバラエティに選ばれてる!幅広く見ていらっしゃるんですね〜。ところでカウリスマキ監督大好き!「マッチ工場の少女」とジムジャームッシュの「ナイト・オン・ザ・プラネット」を同時期にビデオで見たもんだから、それ以来、フィンランドって不幸自慢が好きな国なのかしらと、いまだに思い込んでいます。 / しまお ( 2004-01-27 01:30 )
2003年は結局、メジャーな作品しか観られませんでした、、、試写会も仕事で行けなくて。今年は映画関係のお仕事に携わることになったので、情報ばかりが先行しそうな予感です(笑)。 / azzurri ( 2004-01-23 12:39 )
最近夫が見たいみたいと言っている映画がミスティックリバーです。そんなにいいのか。しかし映画にしかできないこと、小説でしかあらわせないこと、それぞれありますよね。映画だからこそこれができたんだ!っていう感動をくれる映画に出会うと嬉しくなります。 / フィー子 ( 2004-01-23 12:18 )

2003-12-09 小津安二郎の生誕100年に思う

 こと映画に限らず、また日本に限らず、人は自国の作品には盲目になりがちだ。淀川長治や蓮實重彦ら一部例外的な評論家を除いて日本では全く評価されなかった北野武の映画の魅力を発見したのはヨーロッパだったし、ヒッチコックやホークスに対して自国のアメリカはアカデミー賞などの栄誉を与えることはなかった。ジャン・ルノワールは高名な画家の子息にも関わらず自国のフランスでは不遇で、アメリカでその人生を閉じたわけだし、世界的には圧倒的な名声を得ている台湾のホウ・シャオシェンやイランのアッバス・キアロスタミも自国では常に賛否両論だという。
 来る12月12日(金)に生誕100周年を迎える小津安二郎もまた、ながいこと日本では「外国人には分からない」という錯覚のもと、「日本的」というレッテルを貼られて不当な扱いを受けてきた。今でも相変わらず、朝日新聞やおすぎや筑紫哲哉といった一部のスノッブなご意見番からは固定観念をなぞらえて「そこが素晴らしい」とか「逆にそこが海外にも受ける」とかいった予定調和的な言説とともに小津のイメージの固定化に貢献してしまうことが多い一方で、『ベルリン・天使の詩』のベンダース監督や台湾のホウ・シャオシェン監督、あるいは日本から黒沢清や周防正行といった映画人たちが奏でる小津賞賛の声は実に刺激的で面白い。
 どう見ようとどう感じようと、それは観る者の自由なので、とやかく言うつもりはないが、小津に関しては、自国人にも関わらず盲目にならず、生誕100周年という「きっかけ」を盛り上げているのは喜ばしい事態だと思う。新たに発売されているDVDの映像は、ビデオより数段良い。厚田雄春氏の撮影がいかに素晴らしかったかが狭いTV画面からでもより触知し易くなった。今週末に有楽町で行なわれるシンポジウムも、その顔ぶれからして楽しみなことこの上ない。映画監督からは、アッバス・キアロスタミ、マノエル・デ・オリヴェイラ、ホウ・シャオシェン、ペドロ・コスタ、吉田喜重、青山真治、黒沢清、是枝裕和、崔洋一、澤井信一郎ら、女優として、岡田茉莉子、井上雪子、香川京子、淡島千景、評論家として、蓮實重彦、山根貞男、シャルル・テッソン、ジャン=ミッシェル・フロドン、という面々である。こんな贅沢が許されて良いのだろうか。
 改めて思うのは、私がはじめて小津を観て感嘆した頃というのは約20年前、私が中学生の時だったが、その頃と今とでは小津をとりまく周囲は猛烈な変化を遂げた、ということ。自国の作品に盲目になりがちな中、どうやら黒澤明に続いて小津も真っ当な評価を得るに至ったということなのだろうか。小津の誕生日でもあり、また、命日でもある12日(金)には衛星放送で『東京物語』が放送される。己の眼を見開いてしっかり観たいと思う。

先頭 表紙

東京物語、部屋を真っ暗にして見ましたよ!現代版を見たことがあったのでそれとの違いなども楽しみました。人間や生活感のある場面は白黒っていいなあと思いますが、最後の尾道の遠景だけはカラーの方がずっと素敵でした。カラーのいいところもあるんですね。 / フィー子 ( 2003-12-14 12:17 )
フィー子様、BS11ってやつです。きっと視聴可能なんじゃないでしょうか。 / ナライフ ( 2003-12-10 20:06 )
azzurri様、でもまずは充分な睡眠を! / ナライフ ( 2003-12-10 20:05 )
衛星放送って?目を見開いて心ぽっかり観たいです。 / フィー子 ( 2003-12-10 16:23 )
先日、やっとビデオデッキ(←まだビデオなんかいっ!)の配線なんかを終え、ようやくビデオが観られる環境になりました。レンタルビデオ屋さんに向かったものの・・・結局、見逃してしまった映画に手を伸ばしてしまい、、、日本映画も素晴らしい作品がたくさんあるので、少しずつ観ていきます。 / azzurri ( 2003-12-10 13:20 )

2003-12-04 ユーロ2004の結果やいかに!?

 ユーロ2004ポルトガル大会の組み合わせ抽選の結果が出た。予め仕組んでいたのではないかと思ってしまうような、興味をそそられる組み合わせとなった。
 A組 ポルトガル、ギリシャ、スペイン、ロシア
 B組 フランス、イングランド、スイス、クロアチア
 C組 スウェーデン、ブルガリア、デンマーク、イタリア
 D組 チェコ、ラトビア、ドイツ、オランダ
 どうよ、これ。結果を知ったときは思わず笑っちゃいました。
A組は、まずイベリアダービーですね、何と言っても。ま、この2国が勝ち進む可能性が高そうではありますが。B組は、英仏の対決ですかね、やはり。しかも初戦です。ま、しかしフランスの方が一枚上手なのは間違いないでしょう。CとDは死のグループですね。Cはポテンシャルを考えるとやはりイタリアが一番手として、二番手が全く読めないですね。そしてD組。ラトビアは未知数ですが、他3国の激突は凄いですね。メンバーのポテンシャルと安定感ではチェコが一番、安定感に欠けながらもノッたら手をつけられないオランダ、力は現在若干劣るハズだが、大きな舞台で必ず結果を残すドイツ。どうなるんでしょうか。しかもドイツとオランダと言えば、74年ワールドカップ以来の宿敵同士。ドイツとチェコと言えば76年大会及び96年大会の決勝の組み合わせ。オランダとチェコと言えば今大会の予選と同じ顔合わせ。
 色んな意味で興味をそそられる組み合わせとなりました。今から楽しみで仕方がないのですが、まずはホスト国でもあるポルトガルに是非結果を残して欲しい。ワールドカップの無念を晴らして欲しいし、恐らく代表最後になるであろう、ルイ・コスタやフィーゴに是非優秀の美を飾って欲しいというのが、私の一番の願いです。
 実力を考えれば、フランスが頭一つリード、それにイタリアやチェコ、スペイン、オランダあたりが続くという感じだとは思うのですが、敢えて希望を込めて予想します!

 決勝は、ポルトガルVSオランダ。優勝ポルトガル。得点王ファン・ニステルローイ。

先頭 表紙

↓「行きてえ」まさに同感です / フィー子 ( 2003-12-10 16:23 )
ガス欠コイン様、生きてらっしゃいましたか!良かった。ドイツとオランダと言えば、名勝負間違い無しって感じですよね。今から楽しみです。 / ナライフ ( 2003-12-10 09:43 )
ドイツとオランダ、いやあ、わくわくしますねえ。行きてえ、ユーロ(笑)。もちろん個人的には、ポルトガル全面応援ですが。 / ガス欠コイン@生きてます(笑)。 ( 2003-12-10 00:26 )
azzurri様、そうでしょう、ポルトガル、ホスト国でもあるし、是非前回以上の結果を残して欲しいですよね。 / ナライフ ( 2003-12-08 18:04 )
八百八六助さま、確かにどうも組み合わさっても凄くなるんですよね!そういう点ではW杯以上の密度の濃さですね。 / ナライフ ( 2003-12-08 17:30 )
フィー子さま、予想、待ってますよ! / ナライフ ( 2003-12-08 17:28 )
あび様、そうですね、僕もスペイン好きなんですが…タレントは揃っているし、優勝してもおかしくないんですけどねえ・・・ / ナライフ ( 2003-12-08 17:26 )
うわぁ・・・こんな結果になっちゃいましたか。確かにポルトガルには頑張って欲しいなぁ、、、 / azzurri ( 2003-12-05 03:18 )
もう,どう組合わさっても凄い取り組みですね.欧州は奥が深いな.予想なんかつかないや. / 八百八六助 ( 2003-12-04 22:50 )
そんな決勝になったら私、ポルトガルに行っちゃうかも(涎)。しっかし毎度ユーロってなんてワクワクするんでしょう。いきなり決勝トーナメントからって感じしますよね。ほんとにCとDは厳しい戦いです。私の予想はもうちょっと待ってください(~_~;)。 / フィー子 ( 2003-12-04 21:42 )
D組は凄い大変そうですね。個人的にはそろそろスペインに何とかして欲しいのですが。。。 / あび ( 2003-12-04 20:27 )

2003-08-27 アメリカ映画を愛すること

 中東地域での乱暴狼藉の限りが許されるものでないとしても、アメリカ映画を愛する姿勢だけは崩さぬつもりでいる。アメリカ映画はとうの昔に「国連決議」など無視して地球規模での一国支配を貫徹しているのだが、そのことさえ、映画のためにはよいことだと強弁する心の準備もできている。にもかかわらず、「アメリカ映画は面白い」と断言するにふさわしい作品が、9.11以降あまり見あたらない。スコセッシやスピルバーグの新作も、こうした大言壮語を正当化し得るとはとても言い難い。
 幸いなことに、そんな当惑を晴らしてくれる作品が東海岸からやってきた。トッド・ヘインズ監督の『エデンより彼方に』。主演のジュリアン・ムーアがやたらと評判がよいが、この作品を話題にしつつ「だからアメリカ映画は面白い」と大っぴらに吹聴できるのは、ヘインズのあなどりがたい演出の力による。製作は、女性プロデューサーのクリスチーヌ・ヴァション。大学で映画記号論を一緒に専攻していた戦友のヘインズとヴァションは、独立プロを軌道に乗せ、満を持して発表したこの新作でついにハリウッドをひざまづかせた。
 題材を名匠ダグラス・サークから借りた50年代風のメロドラマを今頃リメークするというあざとさを、真っ当な真剣さで処理してみせたその姿勢は驚愕ものである。低俗なコメディになりかねない題材でありながら、構図を意識させないショットを滑らかにつなぎ、いざという瞬間には途方もないクレーン撮影や深いフェイドアウトで物語にアクセントを添えるという演出には、タランティーノやウォシャオスキーのような軽薄さなど影すらも無い。主題のあざとさは、演出の真摯さによって初めて人の心をうつという古典的ハリウッド映画の矛盾律がいまなお有効に機能しうることを、ヘインズは、郷愁に足をすくわれることなく律儀に立証してみせた。
 この映画が題名の書体までをもモデルとしている『天はすべてを許し給う』(55)は、50年代の地方都市を舞台にした悲恋物語である。撮影時には同時代的な現象だった保守的な階級社会をシニカルに批判し、季節や樹木の魅力を巧みにあしらったサークのオリジナルは文句なしに素晴らしい。ただ、ジェーン・ワイマンのヒロインが魅力に欠けていただけに、その役にジュリアン・ムーアを抜擢した当作には素直に喝采を贈りたい。彼女がまとうドレスや髪型からインテリアの調度品、自動車にいたるまでの贅をつくした50年代調は、パロディーの一歩手前で踏みとどまる監督の自制心によって、リメイクがオリジナルを超えるという貴重な例外を立証してみせている。
 そして、さらに重要なのは、『エデンより彼方に』が、戦争とも征服とも抗争とも無縁に自国の歴史を描いた数少ないアメリカ映画の一つだということだ。『シカゴ』や『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』のように、郷愁や好奇心である一時期を再現するのは「時代劇」でしかないが、これはまぎれもない「歴史映画」なのである。1950年代という、ハリウッド映画が崩壊し始め、ニコラス・レイやジョゼフ・ロージーといった屈折した天才を生んだ変容の歴史を、距離の意識をこめたメロドラマとして描いたヘインズの大胆な繊細さには、深い驚きと嫉妬を禁じえない。
 私の最も愛するアメリカ映画は1930年代を頂点として、既に1960年代初期に崩壊していたのだが、それでも未だに傑作を生んでいる。たとえその頻度が落ちてもやはり私にとっての映画の原点はアメリカにある。年老いたアクションスターが知事に立候補しようが、中東に新たな帝国覇権を築こうが、その1点のみにおいて、私はアメリカ映画を愛する。

先頭 表紙

今年はやっと2作を映画館で観ました。来年はもっと増やそうかな。やっぱ、ビデオだとシッカリ映画は観れないからね。 / 夢樂堂@御祝いメッセージありがとう ( 2003-12-03 10:45 )
りゃん吉様、お疲れ様でした。ロナウド!お世辞でも嬉しいです。有難うございます。足、やっと普通に歩ける状態にはなりましたが、まだサッカーは難しいようで、リハビリ中です。そう言えば、ロナウドも怪我を克服したので、僕も… / ナライフ ( 2003-10-23 11:38 )
この間フットサルでお疲れさまでした。 ナライフさんの突破力・・ロナウドを彷彿させます。ところで足は完治されたんですか?  / りゃんきち ( 2003-10-22 22:51 )
夢樂堂様、その3作、どれも面白いですね。いわゆる古典的なハリウッド映画が崩壊しかけている時代を象徴するような作品ですね。 / ナライフ ( 2003-10-21 09:23 )
夢樂堂のアメリカ映画との出会いは『暴力教室』、『波止場』、『ハスラー』など。まだ、幼児なのに叔父に付き合わされて行きました。東映や東宝系の邦画上映館は遊び場、でも洋画館では神妙になっていたのはなぜだろう。 / 夢樂堂 ( 2003-10-17 17:40 )
フィー子さん、是非観てくださいね。撮影も見事なので出来ればスクリーンの方が楽しめますが、もちろんTV画面でも! / ナライフ ( 2003-09-09 09:24 )
ナライフさんらしい文章を読むだけで嬉しくなってしまうのは私だけではないはず。映画館に行かれないので先になってしまいますがいつか必ず見ます!! / フィー子 ( 2003-09-05 18:44 )
エスカルゴ様、アジアは、『英雄(HERO)』みたいな派手なものも例外的にありますが、日本で接している限り、アメリカやフランスより遥かに水準が高いと思います。中でも僕にとっては台湾のホウ・シャオシェン監督とエドワード・ヤン監督、そしてイランのアッバス・キアロスタミ監督は別格の存在です。また、数ヶ月前に公開されていたパレスチナ映画『D.I.』が、マトリックスばりのアクションを見せる驚異的な映画でしたよ。 / ナライフ ( 2003-08-28 15:10 )
ガス欠コイン様、1940年代も勿論好きです。天真爛漫で完璧な傾向の30年代に比べると、戦争の影響でしょうが、一癖変わった作品が現れ始めたのが40年代という印象を持っています。また、戦争を避けて渡米してきた欧州映画人が活躍しましたね。 / ナライフ ( 2003-08-28 15:06 )
azzurri様、有楽町でやっているようですよ。是非行って下さいね。 / ナライフ ( 2003-08-28 15:02 )
最近のアメリカ映画は「派手」なのが多くて苦手です。スケールの大きさは認めますがそれに頼りきっているような気がしてなりません。案外、「質素」なアジア映画が結構お気に入りです。 / エスカルゴ@PH ( 2003-08-28 14:00 )
見事な文章にぐいぐい惹きつけられました。『エデンより彼方に』か。一見の価値ありですね。僕は1940年代のアメリカ映画が好きかな。成人してから、アメリカは戦争中にこんな映画をつくっていたのかと愕然とさせられたものでした。 / ガス欠コイン ( 2003-08-28 13:26 )
この夏、どの映画よりも一番観たいと思ったのが『エデンより彼方に』でした(まだ観ていませんが)。ナライフさんの日記を読んで、さらに観に行きたくなりました。ヴィデオデッキを接続したら、一番に古い映画が観たいな〜、、、 / azzurri ( 2003-08-28 12:54 )

2003-08-06 レアル、ベッカム、FC東京

 えてしてその道に通じた者たちには通じた者同士の目配せとでもいうべき共犯者意識が芽生え、無意識的にせよ、通じていない者たちを自然によそ者扱いし、「分かる奴には分かる」という排他的集団を有形無形に組織しがちであることは、こと日本に限ったことなのか、全世界的に共通のことなのかは定かでないが、どうやら通常のことのようで、ある時まで一部の「通じた者たち」の間でしか流通していなかったテーマが、急激にメジャー市場に流通し始めたりすると、「通じた者たち」は決まって苦虫をつぶしたような表情を浮かべながら、「あいつらは分かっていない」と言いたげな若干の侮蔑と「俺は昔から通じていたんだ」と言いたげな若干の自尊とを奇妙にブレンドさせた複雑な心情を抱くようである。
 「俺はワールドカップを○○年の大会から見始めているんだよね。」という言葉がかりにあった時に、○○の空欄に「98」という2文字が入るようでは、恐らくこの排他的集団には入れないだろう。あるいは例え見始めたのが98年でも「あの大会の最高のゴールは、オランダVSアルゼンチン戦のベルカンプの決勝ゴールだと思う。」などと言えば、発言者はたちどころにその集団に歓迎されるだろう。(ねえ、フィー子さん!)こういった「分かる奴には分かる」という感覚は、恐らく誰もが自分の得意分野で持っているものなので、その感情の発露自体の良し悪しを言う気はさらさらないのだが、さて昨夜の「ドリームマッチ」にはどんな思いが交錯しただろうか。
 メジャー路線の視点に立てば、とにかくベッカムを主語として、彼のサッカーも含めた全ての言動に焦点を当てることになるが、「分かる奴には分かる」路線に立てば、主語はレアルのサッカーということになり、更には、前者の過激な盛り上りぶりを冷めた目で見て批判するという、ズバリ排他的な意見となる。
 前者の報道が多いのは一目瞭然。まあ、レアルだって興行主だってそれを見越してこんなツアーをやっているわけだし、様々な思惑が絡んだ多方面各位の商魂にむしろ頭が下がる思いである。一方、後者の報道も、例えば「識者はこう見る」みたいなコラムで評論家と名乗る方々が、ベッカムはうまく機能しないのではないか、とか、レアルの守備はこれでいいのか、とか、ベッカムよりはジダンだ、とか、まあ、それぞれそれなりに正当性のあることを言っており、いいのだが、今回僕なりに一番鼻持ちならなかったのは、昨日のFC東京とレアルの試合そのものを巡る報道である。特に識者たちの報道である。
 会場には足を運んでおらずTV観戦だったので、競技場での状況は分からないが、なにせメディアはレアル一色。何故FC東京を盛り上げないのか?航空機事故があると真っ先に日本人の乗客の有無に拘泥し、海外に移籍した日本人プロ選手ばかり追い掛けてチーム自体に目もくれいないあの自国中心のメディアが、である。レアルにとってはアウェーゲームのはずだが。あれだけ日本代表のことは取り上げるメディアが、親善試合とは言え、ベッカムとレアル一色であったように思う。ジーコの、日本代表の強化はJリーグから、という至極真っ当なことがメディアに出来ていないのに、日本代表の数少ない試合結果だけで持ち上げたり批判したるするのは本末転倒だと思う。全ての報道に目を通したわけではないが、こと昨夜の試合に関しては、「分かる奴には分かる」路線の方々までもがレアルにばかり目が行っていたような気がする。ただのファンならともかく評論家を名乗るならせめて、自国のチームへの意識に自覚的であって欲しい、と思う。それこそレアルの戦略にはめられていない?

先頭 表紙

自己ツッコミで申し訳無いのですが、↓の投稿、もちろん「You'll walk never alone.」ではなく、「You'll never walk alone.」です。失礼しました。 / nis ( 2003-09-30 00:42 )
昨日はありがとうございました。レアル戦見に行きましたが、その日が一番「You'll walk never alone.」を燃えて歌えた気がします。バックスタンドで見ていたのですが、周りの白い人達は本当に静かでした。レアルサポーターも事前に打ち合わせるなりして何らかの応援をすれば良かったのにと思います。あと、FC東京は普段のJリーグの試合でもめったに主語として報道されない事を付記しておきます。 / nis@We are Tokyo! ( 2003-09-30 00:36 )
フィー子さま、ベルカンプは印象に残る難度の高いゴールが結構ありますよね。ラウール、ゴールはありませんでしたが、良かったですね。 / ナライフ ( 2003-08-12 12:03 )
いやーあのベルカンプは今思い出してもにやにやしてしまいますねえ。あ、そうじゃなくて。えーとあの試合、私はこれだけレアルを見てきているのに意外とFC東京やるなあという感じで見ておりましたよ。強い相手だと嬉しいですよね。とばしすぎなくらいきびきびしていました。最後は疲れていましたが。ベッカム、中盤の底やってましたね。ほんといっそのことDFもやってくれないかなあ。ラウールらしいプレーも見られましたね。 / フィー子 ( 2003-08-11 11:54 )
杏綬 さん、ご無沙汰です。TV放送の、各選手のアップが映った時に出る、選手紹介のテロップも酷かったですね。 / ナライフ ( 2003-08-08 13:39 )
お久しぶりです。関西は阪神線が雨で中止だったおかげで観戦できました。F.C.東京は、ケリーと石川と徳永がいない状態だったということは(怪我と遠征)、あまり知られていないんですよね。(だから負けたとは思わないけど)しかし、茂庭の経歴をU-20代表と書いているには脱力しました。本当はU-23です。所詮、そのくらいなんです。 / 杏綬 ( 2003-08-07 22:40 )
ガス欠コインさん、ご無沙汰です。やっぱり会場ではFC東京のサポーターが来ていて必死に応援していたようですね。行った人間から聞きました。若干ほっとしました。 / ナライフ ( 2003-08-07 14:20 )
KATSUMI様、ああ、なるほど、納得です。目論みは外れましたが、先に先制点取ってレアルを本気にさせたい、という原監督の言葉は真っ当だと思いました。 / ナライフ ( 2003-08-07 14:18 )
八百八六助様、確かに味の素スタジアムでやればいいのに、同感です。ま、勿論、都内会社勤めの人間を集客するのに国立が便利だったんでしょうが、この人気なら郊外でもどうせ満員だったでしょうしね。 / ナライフ ( 2003-08-07 14:16 )
azzurri様、2回も有難うございます。今回チケットを取って頂戴、という声が多く、正直びっくりしていたんです。普段はサッカー観ない人までリクエストしてきたりして。しかも全然取れなんですよね。 / ナライフ ( 2003-08-07 14:12 )
すっかり、ひまじんから姿を消しておりました。う〜ん、するどく納得。ただ、報道はろくにしてもらえなかったものの、FC東京の応援には、感ずるものがありました。 / ガス欠コイン ( 2003-08-07 13:55 )
路線の人だと思うので、一言(笑)。昨日もっとも面白かったのは、時間の経過につれFC東京が上手くなっていったところでした。パス出しや個人技での勝負が、レアルの速さに近づいていったのです。強化のポイントは強い相手と試合すること、と改めて実感しました。・・・というような報道は見かけませんでしたね(苦笑)。 / KATSUMI@適度に活動中 ( 2003-08-07 01:50 )
朝のラジオでの取材では,徹夜してまで並んだ人たちの口からベッカムのベの字も出なかったのは,そういうことなのでしょう.FC東京,何で国立なんかでやったんだろう.味の素スタジアムでやれば良かったのに.少なくとも,屋根広いのに.そういうところが今ひとつ応援出来ないのです. / 八百八六助 ( 2003-08-06 23:13 )
おまけにFC東京の選手たちまでもが浮かれポンチ気味だったとか・・・興行者の意図は「集客」だけだったのか?それともFC東京の名前を売る事も考えていたのか?テレビを観る気にすらなりませんでした。 / azzurri ( 2003-08-06 16:41 )
おまけにFC東京の選手たちまでもが浮かれポンチ気味だったとか・・・興行者の意図は「集客」だけだったのか?それともFC東京の名前を売る事も考えていたのか?テレビを観る気にすらなりませんでした。 / azzurri ( 2003-08-06 16:41 )

2003-07-08 CGと映画と。 〜その3〜

 それにしても、と思う。CGという優れた技術は、従来は見せ得なかった映像を作ることが出来るわけだが、それを見せようとすることに作り手の主眼が置かれると、途端につまらなくなってしまうことが、『エピソード2』にも『リローテッド』にも言える、と。それは、ジョージ・ルーカスが、あるいは、ウォシャオスキー兄弟が、例えばヒッチコックの映画を真剣に見てさえいれば、「見せること」が大事なのではなく「見せないこと」が大事なのだという、映画の「真実」を会得していても良さそうなものなのに、「見せること」の誘惑に抗しきれない弱さが露呈してしまっているということだと思う。ウェルメイドな作品だと感心はするが感動はできない『たそがれ清兵衛』の山田洋次監督の場合は、精巧な時代考証とそのリアルな再現に力点が置かれていて時代錯誤の感が否めず、同じ真田弘之を主演に迎えた時代劇ということでは岡本喜八監督の『助太刀屋助六』(2001)の荒唐無稽さの方が、僕には遥かに好感が持てるのである。
 最近はデジタルカメラを用いた映画でも、例えば黒沢清監督『アカルイミライ』のような魅力的な作品が登場しており、ヴェンダース監督の『夢の涯てまでも』(1991)での壮大な失敗から約10年を経た日本の映画作家が、デジタルならではの明瞭な画面を敢えて見せずに、逆に画面の多くを黒さで占めさせ、かつ、ざらざらとした粒子の粗い画面作りをしながら、その中に物語の核となる水槽とクラゲを透明で明るい色で見せていくあたりなど、ヒッチコックがかつて『断崖』(1941)のクライマックスシーンで、物語上サスペンスの核となるグラスに入った牛乳を際立たせるために、実際にグラスの中に豆電球を入れて、暗い夜の階段を上るケイリー・グラントが持つ牛乳を白く浮び上がらせたシーンを思い起こさせ、強く感激した。
 「見せること」と「見せないこと」との峻別は、テクニックではなくて倫理の問題だと思う。それは、ヒッチコックを敬愛しヒッチコックのような映画を作りたいと思っているらしいブライアン・デ・パルマが、「見せること」にばかり執着してしまっているのに対し、ヒッチコックほどの出来ではないにしてもスピルバーグが『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』で手際良くこなしたさまは、「見せないこと」を意識した演出をしているところによるところが大きいと思うのだ。スピルバーグもその前作『マイノリティ・リポート』でCGをふんだんに使いそれを「見せる」ことに傾注してしまって言わばテクノロジーの犠牲となってしまっていたので、徹底した倫理観の持ち主ではないとは思うが。
 そして、思うのである。現代のアメリカ映画界で恐らくその倫理が最も徹底しているのがクリント・イーストウッドであり、彼がこれまで周到に避けてきているデジタルやCGを用いた時にどんな作品ができるのか、と。彼の新作『MYSTIC RIVER』がどんな映画が何の情報も無いが、いつか撮ってくれないかなあ、と思う今日この頃なのだ。

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一昔前の特撮モノを観ると不自然な合成等恥ずかしかったりしますけど、今の映画のCGも10年20年経てば技術面だけ見れば恥ずかしいものになっていくと思います。そういう点でも技術の新しさなどとるに足らないものだと思います。 / ナライフ ( 2003-08-07 14:25 )
同じく上司に薦められ、『リターナー』を観ました。確かにパクりだらけの感は否めませんが、私もあの荒唐無稽さが好きです。上司は『ジュブナイル』の方が面白いと言っていましたが。進化したテクノロジーに頼りすぎて、そればかりを見せようとする作品は見終わった後の感動が薄いような気がしています。おかげで、最近CGのアラ探しをしてしまって(笑)。 / azzurri ( 2003-08-06 12:36 )
エスカルゴさま、『リターナー』は色んな映画のパクリだらけだと批判する声もありましたが、そもそもパクリは悪くないと思いますし、あの荒唐無稽さが好きです。 / ナライフ ( 2003-07-10 17:44 )
『リターナー』は僕も見ました。岸谷五郎の怪演が素晴らしかったと思います。金城武も結構好きなので、見てしまいました。しかし、あの映画はCG使いまくりでしたね(笑)。 / エスカルゴ@PH ( 2003-07-10 15:17 )
エスカルゴさま、ご無沙汰してしまいました。『ジュブナイル』は残念ながら観てないんですが、同じ山崎監督の『リターナー』は結構面白かったです。これもCG使いまくってましたね。 / ナライフ ( 2003-07-09 18:50 )
おお!!お久しぶりです!!お待ちしていましたよ。CGと言えば「ジュブナイル」とかを思い出します。すみません。ありきたりな発想で。 / エスカルゴ@PH ( 2003-07-09 14:31 )

2003-07-08 CGと映画と。 〜その2〜

 そんなことはない、ハワード・ホークスが映画における音を、ヴィットリオ・ストラーロが映画における色を、フィルムに魅力的に定着させたように、CGだってその技術そのものを画面に定着させることができる、と言わんばかりにCGを見事に使いきった作品が、この春、渋谷でひっそりと公開されていた。この作品、フランス革命真っ只中のパリを生き抜く英国人貴族女性を描いているのだが、実はセットを組むのでなく、当時のパリが描かれた油絵の中に俳優たちをCGで組み込ませてしまっているという、破天荒な試みをしているのである。作品の名は『グレースと公爵』。監督は今年83歳になるというエリック・ロメールである。18世紀末のパリが舞台という、いわば歴史劇なのだが、その再現にあたって、「よりリアルに」CGを使うのではなく、油絵という明らかにフィクションに向けて逆説的にCGを駆使している試みは、例えば、当時の装置を精緻に再現して「らしさ」を生真面目に追求することが「真実」に近づくことだと思っているらしい山田洋次の『たそがれ清兵衛』よりも遥かに映画に忠実であると思う。
 テクノロジーを手段としてでなく、映画そのものの倫理として用いること。そこに初めて、テクノロジーの進歩と一体化した映画の進歩があるのだと思う。例えば、キャメラの長廻し。作り手がそこに作り手としての刻印を見せたい時に使われがちな技術で、無駄に長廻しのショットを駆使して監督としての作家性を誇示しがちではあり、ブライアン・デ・パルマ監督の『スネーク・アイズ』(1998)の冒頭シーンなどはまさにその典型だったが、やはり今春、渋谷でひっそりと公開されていた、アレクサンドル・ソクーロフ監督の『エルミタージュ幻想』は、世界遺産に認定されているエルミタージュ美術館を舞台に、ロシアの近世から現代に至る300年の歴史を、綿密な下準備の後、ハイビジョン・カメラを使い、90分ワンカット、編集なし、本番一日という条件で撮影された、それだけでも画期的ではあるが、それが映画として瞬きするのも惜しいくらいな面白さなので、ハイビジョン・カメラという新たなテクノロジーが長廻しという技術とともに映画を一層輝かせているなあ、と思う今日この頃なのである。

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azzurri様、『エルミタージュ幻想』は素晴らしい!ですよ。よくこんなもん、作ったな!という感じです。 / ナライフ ( 2003-08-07 14:23 )
お忙しいのに、単館系の映画まで・・・『エルミタージュ幻想』はとても観たかった映画のひとつです。 / azzurri ( 2003-08-06 12:26 )

2003-07-07 CGと映画と。 〜その1〜

 映画は1920年代末に音を持つようになり、30年代には白と黒以外の色を持つようになり、50年代には横長の画面を持つようになり、といった具合に、テクノロジーの進歩とともに、その表象技術を豊かにしてきた。映画がサイレントのままだったら登場人物が喋りまくる『ヒズ・ガール・フライデー』(1940)を見ることはできなかっただろうし、モノクロのままだったら『オズの魔法使い』(1939)や『シェルブールの雨傘』(1963)や『DOLLS』(2002)は誕生しなかっただろうから、私たちはより豊かな映画環境にあると言っていいのだろう。『スターウォーズ』シリーズも、1作目と最新作とを比べると特殊効果の観点から言えばCGの進化に伴いその進歩は圧倒的である。
 映画自体が産業革命による産物であることが象徴的だが、映画は常にテクノロジーの進化と共にあり、変化し続けることをその誕生から内包していると言って良いのだと思う。産業革命以降、西欧中心に科学の進歩とともに飛躍的な発展を遂げたことになっている「近代文明」の産物のひとつである映画は、その表象技術が絶え間無く進歩しているメディアなのである。
 だが、しかし、と思う。今銀座でリバイバルされているチャップリンの映画が今年制作された映画の多くより断然面白いこと、『2001年宇宙の旅』(1968)が『マトリックス』より断然面白いこと、『スターウォーズ』や『スターウォーズ・エピソード2』よりも、その下敷きになったとされる黒澤明の『隠し砦の三悪人』(1958)の方が圧倒的に面白いこと。それは必ずしも技術の進歩と映画の進歩が呼応するわけでないことを教えてくれる。果たしてほんとうに私達をとりまく映画環境はより豊かになっているのだろうか、と。
 私には『マトリックス・リローテッド』(2003)が、その技術の進歩を証明こそすれ、映画の進歩を示した作品たりえていないという印象を持つのは、例えば世界初のワイドスクリーン映画『聖衣』(1953)が映画の進歩には何の貢献もしなかったことや、日本初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』(1951)が木下恵介監督作品の2年前のモノクロ作品『お嬢さん乾杯』に比べて些かキレに欠けていたことを思い起こさせる。果たしてCGをふんだんに用いた映画でその技術進歩に見合うだけの面白さを持った映画に出会うことはないのではないだろうか、という懸念さえ湧きかねない。
 『千と千尋の神隠し』は確かに面白かったとは思うが、その面白さにCGが貢献していたわけではない。『マーズアタック』(1996)の面白さは監督ティム・バートンの趣味によるところが大きくそこで使われたCGによるものではない。映画にあってCGは、要は非現実的事象をよりリアルに見せるための道具としてしか使われておらず、それは、サイレント→トーキー、モノクロ→カラーという進歩が、よりリアルに見せるという技術的側面のみでの視点と同次元のことである。しかし、ハワード・ホークス監督『ヒズ・ガール・フライデー』が、機関銃にように喋りまくるケイリー・グラントとロザリンド・ラッセルを同一画面の左右に配し、翻訳者泣かせの膨大なセリフ量を同時に噴射していくさまを音として(例え意味など分からなくても)体で受けとめる快感を与えてくれたように、あるいは、『地獄の黙示録』(1979)と『ラストエンペラー』(1987)と『ディック・トレイシー』(1990)のキャメラマンであるヴィットリオ・ストラーロの見事なカラー撮影が観る者に官能的な快感を与えてくれたように、技術そのものが作品に決定的な息吹を吹き込むことは、CGにおいてはないのだろうか。
 そんなことを思う今日この頃だった。

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azzurri様、よく試写会に行かれているようですね!僕はどうもビデオやDVDで見るのが好きではないので、劇場派ですね。 / ナライフ ( 2003-08-07 14:21 )
お久しぶりです!映画自体は好きですが、時間を拘束されるのがイヤで映画館まで足を運んでいなかったのですが、上司やお仕事の関係で最近、映画に触れる事が多くなってきました。映画も視点ひとつだな〜とつくづく思う今日この頃。 / azzurri ( 2003-08-06 12:23 )
フィー子さま、ほんとに凄いご無沙汰してしまいました。いやあ、今の映画も面白いのいっぱいあるんで、なんでも時間が許す限り観なきゃいかんな、とは思うんですよね。 / ナライフ ( 2003-07-08 18:32 )
じっくり読ませていただきました。お久しぶりですね!私も同意見ですが、ちゃんと現代の映画も観た上で冷静に語るところが凄いです。私は見る前からどうせたいしたことないやって思っちゃって。マトリックスとか。いけませんね。反省しました。 / フィー子 ( 2003-07-08 17:50 )

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