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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-02-19 カメムシ戦争
2002-02-18 この身を焦がしてあなたと一つに
2002-02-18 いい加減な奴に「いい加減」と言われて怒るいい加減な奴
2002-02-17 ビク丸
2002-02-17 車内を清潔に保つ人々
2002-02-16 おもに男性の性的昂揚あるいは排泄を促すための映像と音声の記録用磁気テープという商品
2002-02-16 真理
2002-02-16 穴に棒を入れて
2002-02-16 たくさんの神様
2002-02-15 魚の目


2002-02-19 カメムシ戦争

カメムシという生き物がいる。臭い。とても臭い。蛇蝎のごとく嫌われている。ヘビにもサソリにも一分の理、三分の魂があろうし、カメムシだとて好きで嫌われ者に生まれついた訳ではない。
彼らは身を守る武器としてその臭さを纏うように、進化の魔法を用いた。結果、嫌われ者となる代償に、補食されにくいという身の安全を手に入れた。
天敵の多い生き物は、それはもちろん不幸だ。けれど、天敵の少ない生き物もそれはそれで不幸なのだ。
まず、孤独だ。その連鎖から逃れることが目的であったのに、いざ食物連鎖のくびきから完璧とはいかないまでも逃れ出てみると、言い様のない寂寥に包まれる。食べられ死ぬことが少ないのだから贅沢な孤独ではあるが、これは経験したものにしか解らない。
それに、厄介な問題がもう一つある。人口問題だ。
人口というのか虫口というのか、カメムシたちの個体数と環境とのバランスは、割合上手く保たれてきた。
新参者の猿がその勢力を伸ばすまでは。

天敵が少なくとも死ぬものは死に、生きるものは生き延び、彼らは子孫をつないできた。多少増えすぎたところで、潤沢で美しい水や豊富な植物が彼ら一族を養ってきた。彼らはきれいな水や食料である草木の汁が乏しいところでは生きられない。
それを、あの猿は奪った。猿は森を破壊し清流を毒水に変え、海の純潔を汚し空気を濁らせた。
広く清らかで懐の深い自然に育まれ、少々嫌われようとも、彼らはのびのびとその生を謳歌してきた。かつては。大自然は汚く矮小なものに歪められてしまった。猿によって。
彼らは畏れも敬いも持たずに、自身を育んだこの大地を自分たちの都合で彼らにとって快適なように改変していった。ほかの生き物にとってそれは必ずしも快適なものとは感じられなかったが、彼らは満足することなく倦まず弛まずさらに快を求め続けている。もっとも猿の中でもその快を享受できるものはごく限られた一部のものに限られているようではあった。

もともとの棲みかを狭められ奪われたカメムシたちは、野放図にその数を増やすことが出来なくなった。棲める場所が狭くなって数は自然に減ったものの、天敵が少ない彼らは環境の激変に即して数を減らすことが難しかった。好んで数を減らしたい生き物がいようはずもない。しかたがないことなのだ。このまま狭くなり続ける生息可能な地にこれまで通りの数のカメムシが生き続ければ、種全体の存続に関わる。

いつの頃からか、彼らは戦争で彼ら自身の数を減らす術を覚えた。といっても殺し合いをするのではない。秋になると、祭りを開く。
ひっくり返り脚をワシャガシャと動かしどちらが滑稽かを競い、空高く飛翔しどちらかがより力強く優雅に飛ぶことが出来るかを競うなど、芸能やスポーツの祭典の趣きすらある戦争だ。部族ごとにその誇りと存続を懸けて、彼らは陽気に戦う。
けれどその陽気さの後ろには物哀しい諦めが潜んでいる。負けた部族はひと冬山を去らなければならない。彼らは暖かく優しい落ち葉に包まれて冬を越す権利を失う。美しいせせらぎに背を向け、猿たちの住むところまで下りなければならない決まりなのだ。人間の住む里に。

人里に追われたから即死んでしまうというのでもない。けれど、いったいどちらがましであることか。
食べ物が減りひしめいて生きるひもじく息苦しい山の暮らしでも、汚れた水と空気の中で食べてその糧にしない生き物であっても平気で殺す人間に怯えて暮らす里の暮らしよりは、何倍も何倍もいいに決まっている。
けれど、しかたないのだ。

この冬も敗者は人里で息を殺して、時が過ぎるのをじっと待っている。

先頭 表紙

あう。 / 揚水@改名できず ( 2002-02-21 23:33 )
ほれ。改名しろ。さっさとな。 / パオラ@いわんこっちゃない ( 2002-02-21 14:23 )
あのね。Jフォンはみられなかったの。「おまえダメ」だってさ。チッ。 / パオラ@やさぐれるわし ( 2002-02-21 14:19 )
げ。虫の都合だ。都会じゃなかったわ。ああ、パーさまにやられる前に自分で揚げ足とっておこう。 / 揚水 ( 2002-02-20 19:31 )
えとね、携帯でインターネットを開くの。自分のページのURLを打ち込んでまず自分のページを開いて、そこからつっこみにスクロール、んで実行ボタン。めでたくつっこみが出来ました、パチパチ。んでも容量の都合か、最初の記事のつっこみと次の記事の途中ぐらいまでしか見られないね、僕の場合。だから最新の記事にしか返せない。 / 揚水@おわかり? ( 2002-02-20 19:24 )
ドコモは出来たよ。 / 揚水 ( 2002-02-20 18:51 )
おおそうだ!わしもそれを聞きたかったのだ!Jフォンからもつっこめるのかな?管理組合さま、教えてくだされんだろうか? / パオラ@興味津々 ( 2002-02-20 18:08 )
え?揚水さん携帯から突っ込み返ししてんの??? / チロりす ( 2002-02-20 17:57 )
おとめさん、あなたの小さい頃なんてまだそんなに経ってないでしょうに(笑)。それと宿題はどうなりましたか? おじさん楽しみに待ってるんだけど。 / 揚水 ( 2002-02-20 17:06 )
彼奴めらに都会は存在しないよ。臭いくせに清流の近所に住むのが基本の生き物だもの。カラスは快適でしょうね。労せずして食える。それもこれも人間さまが食い物を粗末になさるおかげ。ありがたやありがたや。 / 揚水 ( 2002-02-20 17:02 )
カメムシの臭さは厳密に言うとよく知らないの。田舎生まれのくせに。虫の都合ってどんなもんなんでしょうね?たとえば都会のカラスはあれはあれで食べ物が豊富で(下手したら私よりいいもの食べてるかもしんない。)、もちろん駆除の危険は持ち合わせているけどいいような気がする。だって数が尋常じゃないでしょ?人間が都会に適応するのと同じで実は彼らも快適なのかも、と時々思います。実際はソロモンの指輪でももって聞いてみないことにはわかんないけどね。 / パオラ@あるいはドクタードリトル? ( 2002-02-20 16:01 )
カメムシなつかしいな〜。小さい頃見たことがある位だもんな〜(^0^) / おとめ ( 2002-02-20 15:38 )
綾丸さんへ。うちに大挙しておいでまします(笑)。 / 揚水@携帯から ( 2002-02-19 21:58 )
カメムシって、最近見ない気がするんだけど、どこかにいるんでしょうか。ありゃ臭い。 / 綾丸 ( 2002-02-19 19:59 )

2002-02-18 この身を焦がしてあなたと一つに

昨夜クラゲが来てくれた。ご飯は食べてきたというので、僕だけ軽く食べた。
長いこと二人で話したりある人と電話で二人ともが話したりしたその後、僕が本を読みながらちょっとした書き物をしていると、クラゲは朝食の下拵えを始めた。
カラフトマスの水煮の缶を発掘して、何かを企んでいるようだ。

「あっ!」
突然大声を出す。
「なに?」
「いいこと思いついた」
満面の笑顔。よっぽどいいことを思いついたに違いない。
「ネギをね、焼くんだ」
「?」
「そうすれば甘みが出て、カラフトマスと一緒に煮たらおいしそうじゃない?」
「おお!」
手元を見ると、ネギの白い部分が4〜5センチの長さに切られて魚焼きグリルの並べられていた。
「この身を焦がしてあなたと一つに、だね」
「うん。そのフレーズいいね」

外は雨が降っていた。
クラゲが来る前に社長に電話して、朝も雨が降っているようなら仕事はどうなりますかと尋ねると、休みだと言っていた。
「それじゃ、降ってたら連絡無しで休みということ、」と言い掛けると、
「いいよ」と言われた。
「明日晴れたらいいんですがね」と言っておいた。

今朝起きると、雨は降っているとも降っていないともつかない様子で、どうしようか迷ったけれど電話せずに休んだ。時が経つにつれみるみる晴れてきたけれど、仕事が無ければ出ていっても仕方ないなと思っていた。

カラフトマスとネギの間には、彼らの恋路を邪魔する白菜と大根も入っていた。カラフトマスとネギと白菜と大根を、利尻昆布の出汁で、酒と醤油で寄せ炊き風にしたものが朝食のおかず。
豆腐となめこの味噌汁に、トマトと炒り卵をマヨネーズとワインビネガーと黒胡椒で和えたものがついた。クラゲのお父さんが漬けた絶品のキムチも添えられていた。
おいしかった。

白菜と大根が入ったからといっても、彼らを邪魔者とはせずに自分たちを包んでくれるのだと感じられるネギとマスでいたい。
横恋慕くらいで二人が揺らぐとも思わないが、横恋慕は確かに迷惑だ。
けれどそういうことではなくて、二人だけの世界に閉じこもるのでなく他の人とも出来るだけきちんと向かい合って、生きていきたい。二人で。


この人を好きになって、好きになってもらえて、本当によかった。

先頭 表紙

みゃ(笑)? / 揚水 ( 2002-02-20 16:59 )
みゃーみゃーみゃーーーーーー。 / パオラ@みゃ? ( 2002-02-20 15:53 )
のろけやがって!!!!!!!! / パオラ@クラゲさんうちにもきてください ( 2002-02-20 15:52 )

2002-02-18 いい加減な奴に「いい加減」と言われて怒るいい加減な奴

お互いさまである。

先頭 表紙

君も負け。僕も負け(笑)。 / 揚水 ( 2002-02-20 18:52 )
わかるね。こいつよりは上、と思っているやつに「おまえダメ」的発言をされると内心ものすごく憤慨する。「おまえに言われたかないよ」ってさ。そう思う私の心が負け。 / パオラ@人間失格驀進中 ( 2002-02-20 18:12 )
種を明かせば、僕がいい加減な人だと思っている人に「いい加減すぎる」と言われて、最初のうち腹を立てたということなのです。まだまだ修行が足りない。腹立ててばかりでも腹は膨れないぞ。働け。 / 揚水 ( 2002-02-20 16:59 )
私は言うな。「まず自分のケツから拭こうね。」って。 / パオラ@ごしごし。(拭いてるの。ケツ。) ( 2002-02-20 15:51 )
確かにそれは言えませんなあ。言える人もいるのでしょーが。そういう想像は出来るけれど、自分じゃ言えない。 / 揚水 ( 2002-02-19 00:06 )
調子いいこと言って、いつもドタキャンするヤツがドタキャンされて怒っていた。どうして、自分もそうだと気がつかないのかな?同意を求められて「キミもそうじゃん」とは言えなかったが / としぼう ( 2002-02-18 21:31 )

2002-02-17 ビク丸

あだ名である。いつもビクビクしているので、僕が付けた。
本名は陸丸という。

キュンキュンピスピスうるさいから、またの名をピス丸ともいう。
僕の飼っている犬だ。

柴犬より少し大きめの雑種で、全身黄土色をしている。
前後肢とも白い靴下をはいている。
耳が垂れている。
クリクリした瞳で首を傾げて僕を見る。
知らない人が来ると、怖くてしかたがないから、吠える。
そのときは後ずさりながら尻尾を股ぐらに収納している。
昆布が好き。
日高は食べるが利尻は食べない。お好みがあるらしい。
近所の同じくらいの大きさの白い雌犬と仲がいい。
同じ家のウナギ犬のような雄の仔犬とも仲がいい。
爺さん婆さんが好きで、かわいがられている。
構ってやらないとすぐ拗ねる。
捨て犬だった。
臭い。

かわいいが、よく寂しがって鳴く。鬱陶しい。
鬱陶しいがかわいい。
かわいいが、やっぱり鬱陶しい。

先頭 表紙

困りますか? かわいいじゃないですか。 / 揚水 ( 2002-02-23 16:07 )
私も最近駅前の野良猫がひざに乗ってきて参ってます。 / lim. ( 2002-02-22 23:46 )
文化でしょうかね。僕は旨いと聞いたもんだから食べてみたい。犬飼ってるくせに。 / 揚水 ( 2002-02-21 23:31 )
犬を食いたいっちゅうのは中国や韓国の人の心情あるいは食文化かや? / パオラ@どや? ( 2002-02-21 14:21 )
ブタであれば食べられますな。 / 揚水 ( 2002-02-18 20:19 )
うちの実家のパグもよくブーブー言います。 / パオラ@ブタです。 ( 2002-02-18 02:21 )
実家のポメラニアンはたまにブーブー言います。 / AH "ブタかも" ( 2002-02-18 01:14 )
えーっ?犬まずそうじゃんよ。乳弾さま、犬に足を踏まれるのは、それは愛情表現か、でなければ「恥」でしょうね。でも私もちょっと踏んでほしい。 / パオラ@なかなか踏まれるもんじゃないっす ( 2002-02-18 00:36 )
実は僕犬喰ってみたいと常々思ってるんです。「おまえが車に轢かれたらちゃんと喰ってやるからな」とことあるごとに彼に言っていますが、所詮人と犬、使う言葉が違うと見えて判ってるんだか判ってないんだか。尻尾振ってますね、彼は。しかし犬に足を踏まれるとは。どういう状況なんでしょ? / 揚水 ( 2002-02-18 00:15 )
よく見る犬で、黄土色というよりはいい焼き具合のパンって感じで素朴な犬なので、勝手にトーストって名付けました。うっとうしくなるぐらいなついてほしいのですが、こないだ私の足を踏んで逃げていきやがりました。ローストしてやろうかと少し思いました。うそ。 / 乳弾 ( 2002-02-17 23:52 )
いいのです。臭くてもいいのです。 / 揚水@ふがふが ( 2002-02-17 23:47 )
洗うのです。そして天日に干すのです。 / パオラ@ごしごし ( 2002-02-17 23:35 )

2002-02-17 車内を清潔に保つ人々

僕の住む村はど田舎と言っても誰も怒るものはないくらいに田舎だ。ものすごく不便。
それを補って余りあるほどのいいところなのかどうか尋ねられれば胸を張ってそうだと答えられる、とでも言えば格好も付くかもしれないが、どうだろう? 野菜をくれるなどの実利的なことでなくとも、周りの人たちは他所者の僕に優しく接してくれる。
僕には村内に係累がないのであまり関係はないけれど、もともと住んでいる人たちの間の互助精神は、完璧でないにしてもまだ力を持っている。
けれど裏を返せば、くそ煩わしい行事や通夜葬式の手伝いなどの近所付き合いなど、田舎暮らしに憧れる人をギャフンと言わせられる材料にも事欠かない。
それを良しとするか毛嫌いするかは一枚の紙の裏と表のようなもの、濃密な人間関係の中には煩わしさも優しさも、受け取りようによってはどちらも含まれるだろう。
僕は今現在この村に住んでいることが誇りであるし、幸福なことだと思っている。

その村を一本の国道が縦断している。
生活道路、通勤路の顔のほかにも、三河湾や遠く長野方面までを結ぶ産業道路の体もある。冬期にはスキー場に向かう人々が利用してもいるようだ。
前述したようにど田舎である。町の衆にとってはそこに人が住んでいることを想像することが難しいと見える。産業道路としてこの道を使う人にとっては、目的地という点と点を結ぶただ通り過ぎるだけの線でしかない。自分には、「関係ない」。

つまりどういうことが言いたいのか。
たくさんいる国道利用者の中のほんの一部ではあると思いたいが、心ない人たちがゴミを捨てていくのだ。
大量に。

月に一回程度の割合で、地域の人が持ち回りで「缶拾い」をしている。年に一回、字の役員を決めるに当たって国道の美化を担当する役があるくらいだ。
なぜ人がほかっていった物を俺たちが拾わないかんのだ、まったく。
文句を言ったところでどうしようもない。そこにゴミが、ある。
今日はその缶拾いだった。

缶拾いと言っても拾う物はゴミ全般だ。目立つゴミをそのままにしておけば、呼び水のようにほかのゴミを誘う。

空き缶
空きビン
紙パック
ペットボトル
コンビニ袋および弁当容器
菓子の袋
マンガ
エロ本
段ボール
スプレー缶
古タイヤ
雨樋
てんこ盛りの吸い殻
材木
スニーカー
布団
土嚢袋
テレビ
魔法瓶
コンクリート殻
鯖の水煮その他の缶
トタン
一升瓶
扇風機
サラダオイル容器
掃除機
残土
じゅうたん
カーステレオ
配達伝票
空の書類ファイル
軍手
子供の教科書
作業用皮手
甘栗の皮
箱入りの腐った蜜柑
ラジオ
髪のブリーチ剤
髪の毛
毛布
ガスレンジ
長靴
紙おむつ
生理用品
鼻水か精液かまんこ汁か尿か人糞かいずれかが付着しているであろうティッシュやトイレットペーパー
まだ見たことはないが使用済みコンドームもきっとあるに違いない。

いい加減にしてもらえないものだろうか。田舎者はみんな怒っているぞ。
家庭ゴミや事業ゴミなど、ここまで運んでくるだけでも大した手間ではないか? そうまでして自分の家や車をきれいにしておきたいものなのか?

ゴミを捨てている現場を押さえて、その場はこっそり立ち去り陸運局に問い合わせたい衝動に駆られる。
住所を割り出して、拾い集めたゴミ満載の10t車で深夜乗り付け、家の窓という窓、玄関、開口部全てをくまなくゴミで埋め尽くしてやりたい。
確かにゴミは捨てたが、俺あるいは私の捨てたものはこれじゃない、こんなにたくさんではなかった。そこまでは自分の責任ではないと言ったところで、



許してやらない。

先頭 表紙

う、うまいこと言いますな。それと、後半については、むろん常識(っつーか常識以前の問題)でしょうが善悪とはまた別。とすれば「自己防衛」は常識の範疇、「自分の価値」は「善悪」の範疇ということになるのでは。 / 揚水 ( 2002-02-19 12:57 )
「躾けられなければ腹も立てずにすんだ」、としぼうも考えなくはない。所詮、自分の価値にすべてはめ込もうとしても無理なのだから、腹を立てぬ方法を選択し自己防衛するか、腹を立てて自分の価値を守るか、どちらかだわね。善悪とか、常識とかって、それが本当に「善か」「常識か」より、けっこう「他人に不快を与えずに生きられるか」によるルールみたいなものだと、最近思う。 / としぼう ( 2002-02-19 10:38 )
としぼうへ。最近思うのよ。きっと憤る自分も人を怒らせてるのだなあと。そんでもって躾けてくれた両親に感謝しつつ、躾けられなければ腹も立てずに済んだのかな、と後ろ向きな事まで考える。本気では思ってないけど。見ないのが一番いいのかしら? / 揚水 ( 2002-02-19 00:13 )
綾丸さんへ。きれいな車に乗ってる人はゴミを捨てているに違いないとの誤った偏見を持ちそうになります。くわばらくわばら。 / 揚水 ( 2002-02-19 00:09 )
今回はまじめに突っ込んでます。ゴミを捨てるヤツは軽蔑する。それは、車内をきれいにしようというドライバーだけじゃなくて、そういう人は、車内でも車外でもそう。タンを吐き、タバコは投げ捨て、お菓子の袋は道端に落とし、パンのくずは床に落として、鼻かんだティッシュは電車の座席の隙間にねじ込む。私なんかは、どれも許せないし、自分じゃとてもできないけど、やつらは、なんの抵抗もない。躾られてないから。奴等を更正させようとしても、何が悪いかすらインプットされてないから、自己防衛としては見ない。腹が立つだけだから。 / としぼう ( 2002-02-18 21:26 )
自分のクルマを異常に気にするやつに限って、公徳心ゼロ。ゴミや吸い殻を平気で捨てていく。こんな自己中人間には、罰としてゴミ拾いを義務づけよう。 / 綾丸 ( 2002-02-18 20:27 )
下の「辺鄙」はとしぼうにです。国が悪い→国は国民が構成する→俺らが悪い。ああ、余計救いが無くなっていく…。被害者がおかしくなるのはやるせないな。やったもん勝ちって、やだね。 / 揚水 ( 2002-02-18 00:01 )
句読点まで入れて6文字で十分。辺鄙だから。 / 揚水 ( 2002-02-17 23:44 )
そうか、するってえと、教育も悪いけど都市計画も悪い→行政が悪い→国が悪い、ってことになるんですかね?ああ、やだやだ。 / パオラ@やなオチだね。 ( 2002-02-17 23:28 )
んで、自分で注意するとカドがたつので管理会社から言ってくれないかとか。犯人は連絡してもなかなかつかまらないし。永遠に解決しない問題のように感じました。本来は迷惑をこうむった人までなんだかおかしくなっていく。その構図の裏に何があるのか、かなり不気味に思いました。「都会の近所づきあいに救いなし」。 / パオラ@またしてもうまく言えん ( 2002-02-17 23:26 )
美しくまとめてくださってありがとござりやす。ええと、私はもっと黒い意味で言ったのです。つまり、私はその仕事をしているときに、ものすごく低次元のエゴのぶつかりあいをかいま見たのでございます。皆、自分ちの前が集積所になるのがいや。それはもちろんのことなんだけど、次第に掟を守らない不法投棄者に対してストーカーのような行為をとるようになるのですね。たとえばごみ袋を開いて氏素性を確かめたりとか。 / パオラ ( 2002-02-17 23:20 )
ゴミの中には、「なしてこのようなものが、この場所に!」というものが、割とある。どうしてソコにあるのか。意思なくしてソコにはないのだらふ。しかし、どうして捨てる場所に、ソコが選ばれたか、推理するだけで本が5冊ぐらいかけそうでもある / としぼう ( 2002-02-17 22:02 )
いらっしゃいませ、しっぽさん。そういえばそんなものがありましたねえ。どちらも覚えがあります。というか筒井さんのその短編はこないだ読み返しましたよ。「腸はどこへいった」、ですね。角川文庫の「にぎやかな未来」に所収されてます。筒井さんといえば、ビアスの「悪魔の辞典」を訳されているさなかのようで、刊行が楽しみです。 / 揚水 ( 2002-02-17 17:50 )
自分さえよければいいとゴミを捨てる人は人としての尊厳も一緒に捨てている、ということでしょうか、パーさま。持っていたのならの話でしょうが。そうすると、教育の不備(教育する側もされる側も)はゴミのことだけには限りませんね。人の振りみて我が振り直せと言いますから、自分も含めて戒めたいものです。いいことばっか言おうとする自分はいやですからね。 / 揚水 ( 2002-02-17 17:47 )
筒井康隆の小説を思い出しました。。。ある日を堺に便が全くでなくなった主人公。ところが・・・ っていうの。ゴミバージョンは「ドラエもん」にあったような気がします。 / しっぽ ( 2002-02-17 16:20 )
するってえと行き着く先は学校教育あるいは家庭でのしつけでしょうか?すでに大人な人たちには無効でしょうが。まあ長い目で見て。ちなみにドイツ人の几帳面さは賃貸における契約条項の細かさに現れています。そして皆がそれをごくあたりまえのことのように守っているとのこと。すごいわあ。 / パオラ ( 2002-02-17 15:15 )
昔、某不動産業に携わっていたとき、ごみ問題は本当に一筋縄ではいかない問題だと思いました。ゴミ集積所、分別、時間、曜日など、守ることができない人があまりにもおおぜいで、それが管理業の範疇なのか疑いたくなることばかりでした。都会はそういうふうに常にもめている状態です。それが郊外にもれでているとしたら、なんの不思議もないのですが私には解決策はわかりません。罰金刑を科してもムダでしょうね。 / パオラ ( 2002-02-17 15:15 )

2002-02-16 おもに男性の性的昂揚あるいは排泄を促すための映像と音声の記録用磁気テープという商品

んなもんじゃ勃たねーよ。

先頭 表紙

「あげみ」だけに(字も揚水だしね)、揚げ足取りは得意。イヤな奴。 / 揚水 ( 2002-02-17 17:39 )
↓むー!君の言っている記録用磁気テープのことじゃ。揚げ足ワンポイントとられたり。 / パオラ@むー! ( 2002-02-17 15:20 )
一週間も出っぱなし? 腎虚で死ぬっちゅーの。コーガンを腫らさないためにも排泄は必要なのね。ところで磁器テープとは? 瀬戸物か(笑)? / 揚水 ( 2002-02-17 14:53 )
おとめさんへ。どのへんがかっこいいのでしょうか? 「なんか」がなんなのか、出来ましたら50〜100字程度にまとめてお知らせください(笑)。かっこいいとは考えていませんでしたので今後の参考までに。なんの参考や? / 揚水 ( 2002-02-17 14:53 )
あのね、最近目からものすごく大きいうろこが落ちたの。男子は「ことをいたす」をしないと睾丸が腫れるんだって。で、女子もいたさないと卵巣が腫れるんだけど、生理がくることによって体内の老廃物ととともに性的欲求も体の外に排出されるんだって。んでこの理屈を整体的に言うと、男子は月に一回、1週間精子が出続ければ睾丸が腫れることがなくなるんだって!これすごくないか? / パオラ@磁器テープも風俗もいらんじゃろ? ( 2002-02-17 00:45 )
これこれ。それで日々の活力を養っていらっしゃる方も相当数おいでのはずだし今日はきっとカウンターもぐるぐるぐるぐると回っているはずで・・・。 / パオラ@で何が言いたいかというと、、、 ( 2002-02-17 00:39 )
なんか、かっこいい♪ / おとめ ( 2002-02-16 22:16 )

2002-02-16 真理

特定のものの見方一つで世界すべてに通底するなにものか、世界すべてを語ることができると考えることは不遜、かつ困難であるかあるいは不可能である。
それが科学であろうと宗教であろうと。

1+1=2であるということは揺るぎない真理であると、疑問の余地もないことだと考えるであろうか。
一面それは「真理」であり、他の一面からはその真理はそもそも成り立ちもしない。
1+1=2であるという「真理」は、条件付きで「真理」であると言える。

自然科学の一つであろう数学においての約束事というものがある。簡単な例を挙げれば、リンゴ1個もミカン1個も同じ「1」という、数字という抽象概念に還元して物事を考え、考えの筋道を立てていくということにでもなろうかと思う。そういう前提があって初めて1+1=2であるということも成り立つ。
「引き算」と「引き算」を「掛け」ると「足し算」になるということも、これと同様のそして少し異なる条件、約束事であって、それを無視しては論そのものが成り立たない。
柿8個とバナナ12本では果物は全部でいくつになりますかという質問には20と答えなければならないのであって、12本というのは一房12本であるのかはたまた一房8本のバナナとばらのバナナ4本であるのかなどと悩んでいてはもうどうしようもない。条件をはずれては真理の導きようがない。
死者4名と負傷者25名を掛けて生存者100名を算出しようという計算方法を持ち出すことなどは、約束事の無視以前の問題だ。

ことがこれほど単純なことであれば取り違えようもないのに、複雑な問題においては、たとえば世界はこの数式一つで表すことができるなどと強く言い切る誘惑に、人は抗うことが難しいように見受けられる。訳も判らないまま相対性理論をもてはやすことも、そうしたことかもしれない。
論を立てることとそれをただもてはやすことは厳然と異なる。
算数であっても高等数学であっても、あるいは科学のほかのどんな分野であっても、それはあるルールに従ってあるものの見方をすればという条件の下、世界の一側面を人間の理解できる言葉に置き換えて世界を語ってみようという試みに過ぎない。

言葉ということであるのならば、それはこと科学には限らない。
もし仮に誰かが「世界は、愛です」などと言ったとしても、僕はそれに素直に肯んずるには躊躇いがある。それはそうなのかもしれない。だがしかし、世界には現に愛を受けられない人もいるであろうし、そもそもその「愛」とは何をもって「愛」と言うのだろう?
そのように考えてしまって、素直に丸ごとその言葉を受け入れることはできない。
誰かが「政治家なんて結局みんな似たようなもんだろ」と言ったとすれば、僕はその人物が政治家というものに対して判断停止しているのだなと考えるだけだ。考えた上でそのように思っている人はわざわざそのようなことを言ったりはしないし、言ったとしても「結局」や「要するに」などの文言は簡単には使わないだろう。

キリスト教によれば、結婚式のライスシャワーは、厳密に言えば幸運や多産を願う迷信であって、「偽り」の信仰や聖書が「非」とする他の慣行に結びつくという。知らなかった。
キリスト者が「真理」と見なさないことであっても、元々それが属するところでは素直に新郎新婦を祝福する好意から出る行為であるなどということはままあるのだろう。
どちらが正しいということではないと思う。

何事にも通底する「真理」を単簡な言葉でもって語ろうということは、ややもすればアフォリズムに陥りやすく、そうでなければ独善に傾きやすいのではないか。

先頭 表紙

パーさん、ありがと。 / 揚水 ( 2002-02-17 23:46 )
それ送ってちょ。真理の形が人それぞれであるのはいっこうに構わないのさ。ただ、自分の真理が人の真理とぶつかり合うということ自体そもそもその人が真理には辿り着けていない証左だと思うのよ。仏教の教義でイスラム教徒を包むことや、キリスト教徒の「愛」で他宗教を「赦す」ことがなぜ不可能なのかと考えてしまう。難しくても、完全に不可能ではないと思う。甘いかな? 宗教の話まで持ち出さなくても、人の言うことに耳を傾けることであってもそう。実行している人もいると思う。 / 揚水 ( 2002-02-17 15:07 )
宗教家も含めて、「真理」ってその人ごとの内的なものだと思うよ。ない人もいっぱいいるしそれでいいと思うの。私が最近「なんじゃそりゃあ?」と思うのは「もしも世界が100人の村だったら」だな。読んだ?「ええの?そんなん言い切ってさ。」って思ったよ。友人が、私と同じように思ったのにチェーンメールとして送りつけてきたからざーっと読んだんだわ。ていうか、「?」て思ったのに送るか?ふつう? / パオラ@結婚式はいいの。イベントだから。 ( 2002-02-17 00:55 )

2002-02-16 穴に棒を入れて

穴に棒を入れて擦過すると気持ちいい。
彼女はそれが大好き。僕も好き。

彼女はあまりのことに興奮して涎をこぼしそうになることがある。
「あっ、大きい」
嬉々としている。
「うご」
と間抜けな声を立てることもある。

僕はあまりの気持ちよさに瞼を開くことができない。
「うおっ、そこそこ、そこがいい」

僕の家で二人が逢う度にやっている。
僕は毎日でもしてもらいたい。
彼女は毎日でも棒を入れて擦りたがる。

クラゲの太股が触れて気持ちいい。

入れるのはクラゲで、入れられるのは僕。
クラゲが僕の穴に棒を入れる。

気持ちいい。

耳掻きって、本当に気持ちいい。

先頭 表紙

まあ、ドキドキしてくださる人がいらっしゃればしてやったりでございます。 / 揚水 ( 2002-02-17 14:52 )
最後まで読むまでドキドキしちゃった(^0^) / おとめ ( 2002-02-16 22:18 )
はじめまして、クマさん。お名前からお察しするに、あなたの場合穴に入れるんじゃなくて、穴に入って気持ちよくお休みなのでは(笑)? / 揚水 ( 2002-02-16 19:36 )
しーっ、ばらすんじゃありません、パーさま。へえ、そうなんだ…。 / 揚水 ( 2002-02-16 19:36 )
そだねー、穴に入れるのは気持ち良いよねー / クマ ( 2002-02-16 11:45 )
あのね、耳掻きって性欲の発露っていうのが整体的には言えるんだって。だから耳掻きがしたくなったら早く「ことをいたす」いたほうがいいんだって。 / パオラ@そのHPをあとで送ります ( 2002-02-16 07:32 )

2002-02-16 たくさんの神様

僕の勤め先の社長は創価学会員である。
パートさんの中にはものみの塔の信者もいる。彼女は僕と小中学校が同じで、出身地の他県で偶然十数年ぶりに同じ職場で再会した。
従業員の男の子は「俺は無宗教だ。宗教ってもんがわからん。あんなもんどうせみんな一緒だろ」と言ってはばからないが、彼の母親は立正佼成生会員らしい。

フランスを旅行したとき、僕が日本人だと知って嬉しそうに、大事にしている池田氏の著作をわざわざ家まで取りに行って見せてくれた現地の学会員のおばさんがいた。

僕の妹は嫁ぎ先が歴史的にキリシタンの土地柄ということもあってカソリックに改宗した。
大学の時の一級後輩の女の子は卒業後プロテスタントのある宗派に入信した。
僕の友人の奥さんはキリスト教信者だし、友人の中には臨済宗の僧侶がいる。

僕が通った幼稚園も確か臨済宗で、すぐ近くにカトリ幼稚園と僕らが呼んでいたカソリックの幼稚園もあった。
実家は曹洞宗の檀家で、父方の祖母は嫁ぎ先の檀家でありながら熱心な日蓮宗信者だった。

知人に共産党員がいる。彼らは本来無神論であると何かで聞いた。

学生時代、住んでいる部屋にエホバの証人の布教活動をしている人が訪ねてきて、しばらく話した後に立ち話もなんだからお茶でもと言って断られた。
あなたのために祈らせてくださいと道端で声を掛けられて、結構ですと断った。
アジアからの留学生が集まるパーティーにお邪魔させてもらったことがある。その中にはきっとイスラム教徒の人もいたことだろう。
モルモン経をもらったことがある。
友人のアパートで集まって飲んでいてみんなでおばけを見た。
大学のある町は秀吉の時代の古戦場があり、大戦中は半島の人たちが強制労働を強いられていたということもあって、何者かの気配を感じることはざらだった。

僕は檀信徒であるはずの曹洞宗も幼児期に関わった臨済宗も、その教えの教義的なものを詳しくは知らないけれど、自分は仏教者であろうと思っている。

たくさんの神様、というか人智を越えた存在がいる。
たくさんの人たちがその自分を越えた存在を拠り所に、生きている。
あるいはいないと思っている人がいる。そういう人は思想をその拠り所にしているか、何も考えようとしない人に大別できるかもしれない。

意識無意識に関わらず、考えても感じてもいない人を除いては、人は何ものかに拠って生きていると思う。
そして、僕はそうあって当然だしそうあって欲しいとも思っている。
その拠り所は必ずしもみんなで同じものでなければならないということはないとも思う。

けれど、その拠り所が異なることが争いの原因になるというのは、とても悲しい。

先頭 表紙

理解はできる。したくなくても。でも認めない。 / 揚水 ( 2002-02-16 02:34 )
ハア、ハア、ハア、い、いっぺんにアップするとつっこみ大変じゃんかよー!ゼイ、ゼイ、ゼイ、、、、。 / パオラ@達成感? ( 2002-02-16 01:57 )
「真理はひとつ、教典もひとつ」と言ってはばからない身内どうしでもめていることが私には許せないし理解できないの。他宗教どうしてもめるのは理解したくないけど「無理もない」と思えます。 / パオラ ( 2002-02-16 01:41 )

2002-02-15 魚の目

 生きているということは、言い換えるならば、絶えず外界の刺戟にさらされながら、その刺戟を受容することでもある。屍体にはその能力はない。
 受容する、と一口に言っても、大きく分けて二つの種類があるように思う。表面での受容と、内面での受容。内面受容の代表の一つが脳での知覚で、そのほかにもいくつか考えられるだろうが、ひとまずそれはおく。そして、皮膚の触覚に限らず視覚や嗅覚は表面の受容のうちにはいるだろう。それら表面の受容も脳での処理なしに感得されることはないが、それもおく。外界に触れているのは脳そのものではない。からだの、表面だ。

 今、この女にはそのどれもが不可能となってしまった。つまり、すでに死んでしまっている。俺が殺した。どうしてもっと早くこうしなかったのだろう。

 魚の目が怖いとあの女は言う。だからうちの食卓には切り身の魚しかのぼることがないのだと。何がそんなに怖いんだと尋ねると、虚ろな視線が怖いと言う。死んだ魚は何も見ていやしない。もう何も見ることはできないんだ。なにせ死んでしまっているのだから。そんな視線は、ない。
 俺がいくらそういっても、聞かない。そのくらい知ってるわよ。そんなことないはずなのに見られているような気がする、それが怖いのよ。
 ある時俺は自分で酒の肴を作ろうと、ブリのあらを買ってきた。
 俺は、あの女が別に魚の目なんて怖くも何ともないことくらい、ちゃんと知っている。あいつが何故魚を捌くことを極端にいやがるのか、知っている。その証拠に、あの女は俺が作ったブリ大根を、さも旨そうになんの文句も言わずに食べていたではないか。
 生の魚は、臭い。あの女は、自分の手にその臭いが付くことを嫌っている、それだけに過ぎない。

 だから、殺した。俺とあの女の実りのない結婚生活は、そうして幕を閉じた。

 あの女を殺した日の夜、俺は久しぶりに泣いた。解放の喜びとも愛するものを失った悲しみともつかない不思議な感情に胸が締め付けられる思いがした。そうだ、俺はあの憎たらしい女を愛していた。
 間違いなく、愛していた。

先頭 表紙

いや、たまたま書きためてたものを出したんですってば。信用して。あーでも、やっぱ、うーん、そうかな? / 揚水 ( 2002-02-16 02:37 )
生々しいね。記憶の断片がこうやって作品に昇華するんだね。 / パオラ ( 2002-02-16 01:43 )
ま、まさか。そんなことあるわきゃないじゃないですか。 / 揚水 ( 2002-02-15 22:53 )
わーお!実話かと思って、ドキドキしちゃった(^^; / おとめ ( 2002-02-15 22:04 )
もちろん実話ではありません。 / 揚水 ( 2002-02-15 22:00 )

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