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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-05-08 縁戚関係の恐怖
2002-05-07 改変
2002-05-06 コドモの使う魔法
2002-05-06 礼節を知る
2002-05-06 憤ることが多すぎる
2002-05-05 うれしい、葉書
2002-05-04 転載「新世紀へようこそ 081 記念日だから少し憲法のことを考えてみる」−1
2002-05-04 転載「新世紀へようこそ 081 記念日だから少し憲法のことを考えてみる」−2
2002-05-03 鈍感
2002-05-03 過去の現在形と現在の過去形


2002-05-08 縁戚関係の恐怖

無事手続きも済みました。
詳しいスケジュール等はまだ明日にならなければ判りませんが、本物の社会復帰目指して邁進する所存でございます。

久し振りにまともな時間に起きたので、家に帰ってすぐ寝てしまいました。
それからふと起きたのですが、恐ろしいことに気が付きました。

僕はゴキブリが嫌いです。嫌いと言うより、怖い。
高校生くらいまでは、怖いだなんてことは思わなくて、現れた彼奴らを見掛けると、丸めた新聞紙などで平気な顔をして虐殺していました。
ところが。狙いをはずして殺し損なうと、飛ぶんですよね、奴ら。

大学生になって一人暮らしを始めてからずいぶん経ったある日のこと。
部屋にゴキさんが現れました。
僕は新聞紙を丸めながら狙いを定めました。
ところがその狙いははずれてしまった。
死の恐怖からパニックになったものか、かの昆虫は飛び逃げ惑うようでした。
「ち、はずしたか」
僕は鷹揚に舌打ちをしました。

が。
それまで逃げ惑っていた虫が、突然軌道を変えて僕の顔めがけて一直線に飛んできました。
それまでその虫たちに感じたことのなかった恐怖を、僕が初めて感じた瞬間です。
向こうは向こうで殺されまいと必死になってパニックになっただけなのかもしれませんが、僕には、自分に向かって何かとても邪悪なものが飛んでくるようにも見えました。目が合ったように思えた。怖かった。
彼奴以上のパニックが僕を襲いました。
僕はそれ以来彼奴らに出くわすことが恐ろしくなりました。
凶器も丸めた新聞紙から、それまでは嫌って買うことのなかった殺虫剤へと変わりました。

最近家の中でカゲロウが飛んでいるなと思っていたのですが、中に、カゲロウにしてはよたよたせずにしっかりした足取り(?)で飛ぶものがいました。
別段気にはしていなかったのですが、今日その正体に気付いた僕は恐怖を感じた。

シロアリの羽アリでした。
「アリ」という名を持ちながらも、この昆虫は分類上蟻よりむしろゴキブリに近い仲間だそうです。
ゴキブリも怖いが、シロアリにはまた違った恐怖があります。
まあ、繁殖期か何かには、新たな巣を掛けるためにあちこち飛んで回っているうちはぐれ者みたいになってしまったのに出会うことも珍しくはありませんし、ここに住み着き始めようとしたとしても、年一回の家屋消毒で死に絶えることでしょう。
でも家屋消毒って何月だったかなあ?

ちなみに今の家では、寒冷地のためかシロアリの親戚には滅多に会うことはありません。
助かります。

先頭 表紙

スズメバチに刺されると痛いです。とても。 / 揚水 ( 2002-05-11 22:14 )
すずめハチではありませんが、ハチに刺されたことがあるんですが、大変痛い思いをしました。私は何にもしてないのに刺すなんて...。 / あみすけ ( 2002-05-11 00:22 )
竈馬って…。仰々しいなあ。「カマドウマ」のつもりだったのに。 / 揚水 ( 2002-05-10 22:49 )
あみすけさん、僕基本的に虫は平気なんですがねえ。嫌いなのはいるし、竈馬なんか見れば見るほど気持ち悪い形だと常々思いますが、怖くはない。下で言ったとおりゴキブリとスズメバチだけは怖いんです。後は全く平気です。 / 揚水 ( 2002-05-10 22:48 )
おけいさん、ゴキともう一つだけは勘弁して欲しいのです。蚊やブヨなんかは嫌いですが怖い訳ではないのです。ゴキブリとスズメバチは怖い。 / 揚水 ( 2002-05-10 22:48 )
しろねこさん、綺羅さんに言ったことと重なりますが、そんなに都会には虫いないの? 三億年生きてきた種でも東京砂漠では生きられないの? それとも綜合警備保障かなんかが虫の侵入にもセキュリティーを怠らないの? / 揚水 ( 2002-05-10 22:44 )
みるみるさん、分かってもらえますか。怖いですよねえ、あれ。で、シロアリの件ですが、築ウン十年、下手したら百年のオーダーで建って残っている家です。僕が住む前は十数年空き家でした。それでも派手にシロアリにやられた形跡はありません。それだけ昆虫の補食から逃れてこられたのですから、多分大丈夫でしょう。 / 揚水 ( 2002-05-10 22:44 )
綺羅さん、都会ってそんなにゴキブリがいないもんですか? / 揚水 ( 2002-05-10 22:43 )
机に座ってただけなのに、どっと疲れが。そんなこと久し振りなもので。じっとしてんのやなんだなあ、俺。疲れた。すんません、ゴキレスはあした以降で勘弁してください。 / 揚水 ( 2002-05-09 23:20 )
私も幼少の頃はゴキちゃんだろうがなんだろうがオッケーでしたが、同様の体験をして今では昆虫類全てがダメになりました(^^;)。あ、固いのは少し大丈夫です。カブトムシくらい固ければですけどね(^^;)。 / あみすけ ( 2002-05-09 06:15 )
キャーとかいってすがったら、当人の方が真っ青で、結局自分で退治しましたって女性多いみたいですね。まあ、男性だって、ニガテでしょう。 / おけい ( 2002-05-09 01:03 )
田舎にいた時は、いろいろなのが出てきてたな…。(笑) だけど、東京に来てからは、滅多に出ないよね〜。 / しろねこ ( 2002-05-09 00:47 )
シロアリも一匹見つかると後ろに大勢いるんでないの?もしかしてもしかしないの??ぞーーー...。富山では結構被害があって知り合いのお宅も食われた事あって、退治するのが大変だったらしいです。 / みるみる@あっあぁ...それも怖いわー。 ( 2002-05-09 00:43 )
こ、こ、怖いっっっ!!!私も中学の時顔に向かって飛んで来られました!ひぇーー、だからその恐怖感わ・か・り・ま・す!!あみすけも嫌いなのですが、今は本物のみるあみが競って退治してくれるので助かっていますが... / みるみる@それにしても怖っっ!! ( 2002-05-09 00:39 )
うう、これ読んでいたら寒気がしました。ぶるぶる。・・・・・ゴキちゃんは都心のマンションですと大体でないですよ。結構長い間見てませんし。 / 綺羅@ゴキ嫌い ( 2002-05-09 00:07 )

2002-05-07 改変

本日、入社に必要な書類を整えて提出してきました。不備はなかったようです。
で、間が空きますが晴れて六月二十一日に入社です。
ほんでもって、新しい仕事には僕の持っていない資格が必要なのです。
ですから、明日はその取得の為の施設に手続きに行くのです。
今のところ、行ってみないことには詳細は判りません。
ですが、多分明後日からそこに通うことになると思います。

さて、生活のリズムが変わる時が来たようです。
頑張るかな。

先頭 表紙

あみすけさん、でも今日も頑張ってきました。 / 揚水 ( 2002-05-10 23:42 )
自分が机の前に座ってじっとしてることが苦手で嫌いだったことを思い出しました。間抜けなことに座って数分経ってから。 / 揚水@お馬鹿さん ( 2002-05-09 23:19 )
資格取得ですか、頑張ってくださいね!! / あみすけ ( 2002-05-09 06:13 )
みるみるさん、うふふふふ。 / 揚水 ( 2002-05-09 00:06 )
lim.さん、頑張ってください(笑かつ謎)。 / 揚水 ( 2002-05-09 00:06 )
これからが楽しみですね。いろんな意味で! / みるみる ( 2002-05-08 20:13 )
わあ、本物の社会復帰だ(笑)。私もマゾ系男子高の先生目指してがんばります。??? / lim. ( 2002-05-08 19:27 )
あー、こりゃどうも。お気遣いありがとうございます、そうですよね。いい加減寝なきゃと思いながらこれまでの不摂生がたたって寝付けません。寝ます、お休みなさい。 / 揚水 ( 2002-05-08 01:32 )
生活環境が変わると、体調崩しやすいから気を付けてね〜。 / しろねこ ( 2002-05-08 01:26 )

2002-05-06 コドモの使う魔法

子供は魔法を使う。

彼らの時間は大人のそれとは異なり、ゆっくり流れるも早く進むも変幻自在だ。彼らの思い通りのスピードで流れるとは限らないが、その流れ方にはそれこそ幾通りもの速度がある。
彼らは玩具の自動車をその手に掴み動かしながら、同時にその自動車に乗り込むことが出来る。魔法に掛けられた人であれば、運転席には彼の座る姿が見えるはずだ。
彼らは人形の世話をしながら、人形に話し掛けながら、同時に世話を受け、話し掛けられる人形自身でいることが出来る。
彼らはその足を地につけながらも、空を飛ぶことが出来る。
彼らは姿を消し見えなくなることが出来る。
彼らはその体の大きさや姿形を自在に変えることが出来る。
あどけない彼らの寝顔は、それを見る者を幸せにする。

これらは彼ら子供が使うことの出来る魔法の、ほんの一部に過ぎない。

ウーパルーパーと呼ばれる生き物をご存じだろうか。アホロートルという名の生き物の幼生。幼生で成体としての生殖を行う両生類。
ネオテニー。
古い版(第二版)の広辞苑に依れば「動物で、個体発生が一定の段階で止まり、そのまま生殖腺が成熟し子を生むこと。進化の一因ともされる。」とある。
人間もあるサルのネオテニーであると考えることが可能という説もあるようだ。

その説が正しければ、僕たちはどこまで行ってもコドモだ。
子供は子供らしく、いつまでも魔法を使い続けよう。
そして幸せに生き、人を幸せにするのだ。

先頭 表紙

僕も似たようなもんです…。 / 揚水 ( 2002-05-09 23:18 )
私の体は十分な大人ですが、中身は十分な子供です(^^;)。 / あみすけ ( 2002-05-09 06:12 )
うわお! まうさん、ありがとうございます。 / 揚水 ( 2002-05-07 21:42 )
綺羅さん。初心も童心も忘れない「大人」になりたいな、なって欲しいな、ということです。 / 揚水 ( 2002-05-07 21:41 )
axolotl ね。学名はまた別にありまふ。 / まう ( 2002-05-07 17:18 )
初心忘れるべからず、といったところでしょうか?この文章好きです、周りの人がハッピーになるくらい幸せでいられたら、と私は常に思う。 / 綺羅 ( 2002-05-07 14:37 )
実は「アホロートル」で合っているのかどうか自信がないんです。まさか「アホトロール」の訳ゃねーしな。アホトロール…。幸せそうな笑顔のお馬鹿な大勢の漁師さんたちが船団を組んでトロール漁をする光景が目に浮かぶ…。絶対にんな訳ゃねえ。 / 揚水 ( 2002-05-07 11:41 )

2002-05-06 礼節を知る

春になれば、田舎では山菜を求めてやって来る街の人々の姿が時折見受けられます。
春の、季節の風物詩を楽しむ。
なんと素晴らしいことでしょう。

けれど、時に悲しいことも起こります。

あるところにタラの木が植えられているとします。
「生えて」いるのではありません。「植えられて」いるのです。もちろんその木が植えられているところはそれを植えた人が所有する土地です。
厳密なことは知りませんが、日本国内で何者かが所有していない土地というものはほとんどないのではないでしょうか。少なくとも一般の人が立ち入ることの出来るところはそうなのではないかと思います。

都会からやってくる人たちには想像することが難しいかもしれませんが、山や田舎に行楽に出掛けた時に彼らが目にする風景は、すべからく誰かの持ち物です。公有地は県民や国民の持ち物だと言うことももちろん出来るでしょうが、そうしたところは、自然保護の観点などから動植物の採取は基本的には制限されていることが多いでしょう。そうなると、あとは私有地です。

誰か見知らぬ人が、自分の植えたタラの木の芽を摘もうとしている。それを見掛けたならば、当然所有者は注意する。山菜摘みにやってきた人たちはその場所が私有地だということを知らなかっただけという場合が多いので、大半の人は素直に謝ります。けれど中には、人の土地と知っていて山菜を摘んでいく確信犯的な人がいたり、知らない人でも居直る人がいたりするのです。

僕は大家さんに断りを入れました。毎年毎年という訳ではありませんが、この家に住むようになった頃は知らずに失礼なことをしていたのだと気付いて、その時謝って断りを入れました。それから山菜などを採る時は断りを入れるか、そうでなければ、少なくとも誰かが楽しみにしているものは毎年摘んでいるものかどうかは見ればすぐ判るので採らずに、治山の擁壁の上など人が入りにくい荒れ地や足場の悪いところ、裏山の下草狩りのついでなどで採るようにしています。
僕も田舎に住むようになってやっと気付いたのだから偉そうなことは本来言える立場ではありませんし、ここに土地の一平米も持たない僕が言うのは余計なお世話でもあります。ですが目に余ることが多いのです。
街から季節を感じるために田舎にやってくることが悪いことだと言っているのではありません。
ただ、少しだけ考えて欲しいのです。そうした方々のうちある人々がやっていることは、有り体に言えば泥棒です。
「ここで山菜を採らないでください」と注意すれば「山に勝手に生えているものを採って何が悪い」と言い
「ここはわたしの土地なのです」と言えば、「たくさん生えているのに少しぐらいいいじゃないか、このケチ」と逆ギレする人も珍しくないそうです。
醜い。

金を払え、とは言いません。そういう問題とはまた違うからです。
せめて誰かに声を掛け「ここで山菜を採ってもいいでしょうか」と尋ねる。あるいは許可を求める。そうしたことは出来ないものでしょうか。
こんな山の中が誰かの土地だなんて思いも寄らなかった、知らなかった、ということもあるでしょう。けれど、知らなかったからでは済まされない場合もあるのではないでしょうか。地元の人も山菜を食べることを楽しみにしているかもしれません。無知そのものが罪だとも言いません。

山の中にも暮らす人々がいてその人たちが所有する土地もあり、自分が何か摘み取ろうとするその場所は彼らの私有地かもしれない。辺鄙なところにも人の暮らしがある。

そうしたことに思いを致す想像力が欠如していることは、かつての僕と同じように無礼です。

先頭 表紙

綺羅さん。あたしも観ていないです。吾郎ちゃん好きなんですけどね。 / 揚水 ( 2002-05-07 21:41 )
みるみるさん。当たり前のことをわざわざ言うのは、確かになんだかなあ、です。そう思いながらも花が欲しくなることは、特に矛盾してもいないと思います。欲しいと思うことと「欲しいからちょっとぐらいいいよね」と勝手に摘んでいくこととの間には、近いようでも遠い遠い隔たりがあります。「専門バカ」については、ちょうど書こうと考えていたことがありますので、まとまり次第書き込みます。 / 揚水 ( 2002-05-07 21:40 )
謝ることが出来ない人はいるんですよね。そんな人には迷わず「ヨイショの男」をおすすめ(笑) / 綺羅@と言いながら見ていない私 ( 2002-05-07 13:41 )
なーーんていろいろ書いてしまいましたが、私も西洋での体験等取り入れた自分がここにいる。という訳で今後の新世紀日本を担う一員として、自分に出来る小さな事から、ながーい目で少しずつ活動をしていきたいと思います。。。肥やしを栄養にせねば! / みるみる@なんも出来てないけどね。 ( 2002-05-07 10:37 )
私ら夫婦は、職業柄どうも専門バカの様に偏らないように色んな事を経験、体験したいという欲求があるらしいです。本来偏ってはいけない分野なのですが、どうもかたよっている傾向が巷ではあるのです。だからまずは自分の故郷の事なのでGWには是非行くことにしてました。まだまだあるので、帰省の度にゆっくり訪ねに行きたいと思います。 / みるみる@次はもし行ければ夏だ!! ( 2002-05-07 10:31 )
相倉合掌村にまず一歩入って思ったこと。入村するにあたっての注意書きの看板があるのですが、それがまた似つかわないのです。内容はいかなる草花や植物も村の持ち物なので持ち帰らないように。というもの。やはりこういうのを立てなきゃいけないこと自体問題なんでしょうかね。当たり前の事だと私も思うのですがでも、こんな小さなお花かわいー。と欲しくなる自分。矛盾してます。。。 / みるみる ( 2002-05-07 10:23 )

2002-05-06 憤ることが多すぎる

義憤を覚えてそれを口にすることが多い人物にロクな奴はいないと思っている。
そういう奴を一人知っているから、そう思う。
長い付き合いだ。三十年からそいつと付き合っている。
そいつとは、つまり僕のことだ。
他人を見る目で自分自身を見ると「まあ、悪い奴じゃないんだけどな」と評することが、イヤになるくらいピタリとくると思うことがある。
悪い奴じゃないと言われる人物に「いい奴」はいない、とも思っている。「悪い奴じゃない」という表現は、暗にそういった響きを持っている。

天に向かって唾を吐く、人を呪わば穴二つ。他人に悪態をつけばその報いは返ってくる。誰かが何かに憤っていることの多くは真の義憤でなく悪態みた様なものが多くはないだろうか。
俺に人のことをとやかく言う資格があるのか。資格云々を言い出せば何も言えなくなってしまうこともまたある意味真実であろうが。
人はとかく自身には寛容になりがちなものであるし、その身の裡に矛盾を抱えて生きてもいる。
善行を為すものが悪事を働くこともあれば、ごうつくばりが惜しみなく与えることもある。
ある面をもってその人を識ったと思うことは、往々にして間違いを犯す。それは彼の全部ではない。
普段の暮らしで、人はそのことを無意識に知覚して暮らしている。その知覚を曇らせる強い感情がある。そのおもなものが、愛と憎だ。あばたもえくぼ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎し。

事物人物の一面をもって簡単に腹を立てることは厳に慎まなければならないと思う。
と思うのであるけれど、なかなかそれも難しい。日々暮らしておきながら、喜怒哀楽を表す前にいちいち相手の事情に鑑みていては、当の相手は自分の感情を「おっとりとう」でぶつける頃にはとうに先の時間を生きているのだ。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
感情の生成にも発露にも、持久力と瞬発力を使い分けなければならないらしい。めんどくせえなあ。
たいていの人はその二つの力を知らず知らずに使い分けているであろうに、僕はその使い分けが下手なのではないだろうか。ああ、いやだいやだ。

今日も今日とて何かに憤り腹を立て、そして自分の短絡に後から恥ずかしい思いをするのだ。
そこまで判っていれば、そうそう恥を感じなくともよさそうなものだが。
かといって誰もいない無人島で一人暮らすのが本意というのでもないのだからしょうがない。生きるというのは常に相手のあることなのだからしょうがない。

そうしたことをつらつら考えてしまう時がある。

と、以前から考えていた。
最近少しは改善されてきたかもしれないと考えて自分を誉めそうになる。そうした時ほど、

ご用心ご用心。

先頭 表紙

もちろんそれもそうです。その通りですね。ですがもっと恐ろしいのは、相手が間違っているとだけ思いつつ憤ることです。自分は正しいと信じて疑わないことです。それが行き過ぎると、「間違い」を正すために「間違った奴ら」の頭上に爆弾の雨を降らしかねません。自分がひょっとしたら「正しい」人、「罪のない」人を殺すのかもしれないとは微塵も考えずに。まるでどこかの大国のように。怖い。そうした怖いことにならないためにも、人の行為に憤るのであれば、まず自分を疑ってかかることです。 / 揚水 ( 2002-05-08 01:28 )
内容?憤る必要のないと思われる時にまで憤ってしまうということ? / ももた ( 2002-05-08 00:44 )
ももたさん、憤ることそのものがいけないのでなく、内容にもよるでしょう。 / 揚水 ( 2002-05-07 21:40 )
綺羅さん。まあ嫌なことの再生産はどこかで止めよう、と。すぐに出来る出来ないはまた別にして、そうありたいな、と。 / 揚水 ( 2002-05-07 21:39 )
思うのですが、憤るっていけないこと? / ももた ( 2002-05-07 14:00 )
人を呪わば穴二つ、母によく言われた覚えがあります。憎い人はいますが、出来る限り自分の心の中から追い出すようにしています。会ったら殴りたい人もいますがね・・・・。ふふ(含み笑い) / 綺羅@ちょっと壊れてみました(笑) ( 2002-05-07 13:38 )

2002-05-05 うれしい、葉書

五月の二日、僕は今度入社する会社に、採用に当たっての話と必要な書類についての説明を聞きに行った。予定では書類を整えて七日にもう一度、書類を提出してさらに細々とした話をする。
その帰り、報告も兼ねて海月と逢った。

今度の仕事は人に会う機会が多いので、二人で眼鏡を買いに行った。視力はそう悪くないものの、目が光に対して余り強くない僕は、これまでは薄い色の付いた度付きのサングラスしか持っていなかった。それでは少々柄が悪くて具合が悪い。
僕がいつも行く眼鏡屋さんは親切で気持ちがいい。眼鏡屋に入ったことがないという海月は、店員さんのはきはきとした応対に目を瞠っていた。
「急ぎでそこそこかっこよくて、それで安いものを」とこちらの虫のいい希望を伝えても、店員さんはイヤな顔一つせずに、それでいてうるさくはないくらいにあれこれと気を配ってくれた。
いい買い物が出来た。僕たちは店を出てご飯を食べに行った。

海月の仕事の話、僕が最近思ったことや翌日の田植えを楽しみにしていることなど、話すことはいくらでもある。時間が足りない。
「揚水くん、出る時郵便受け見てきた?」
「いや。なんで?」
海月は笑っている。
「あ、そうか。葉書出してくれたんだ」
「うん」
普段僕と海月は電話とメールで遣り取りをしているので、僕は彼女の住所を知らずにも済んでいた。最近になって、彼女の仕事について調べものをした文書などを送る必要を感じ始めた僕は、海月が引っ越しをしたのを機に、正確な住所を教えてくれるよう彼女に頼んでいた。
彼女は僕の住所を知っているので、「葉書に書いて出すよ」と言ってくれていた。
「うち、郵便届くのたいてい午後なんだ。今日はお午ちょうどに出てきたから見てないよ。どうせ何もないのは分かってるから」
「そうなんだ。多分今日くらいには着くと思うよ」
「うわあ、海月ちゃんから葉書が届くんだ。楽しみだなあ」

食事が済んで、僕は彼女を送っていった。
それから家に帰った僕は、早速郵便受けをさぐった。
公共料金の通知や友人の展覧会の案内に混じって、彼女の絵葉書が届いていた。

先月の二十二日、前日から僕の家に泊まりに来ていた海月は、面接に行く僕についてきて、近くで見つけた公園で遊んで僕を待ってくれていた。
そうそう時間がとれない僕たちは、海月が休みの取れる時は少しでも一緒にいたくて、面接が終わった後も二人で過ごすつもりだった。
指定された時間よりかなり早く着いたので、僕たちは大きく新しいビルの間に古い長屋なども残っている街を散策していた。
途中、海月が道端にかがみ込んでいるのに気付いた僕は
「何してんの?」と尋ねた。彼女は
「別に。何でもないよ」と答えた。

時間が近づいたので僕は会社に向かった。見送る彼女が僕を呼び止めた。
「揚水くん、待って」
「ん?」
振り向く僕に向かって、海月は両手にそれぞれ持っていた小石をカチカチと打ち鳴らした。合点がいった僕は大声で笑った。
かがみ込んでいた彼女は、火打ち石の所作を真似るにふさわしい石を物色していたのだ。
「行って来るよ」
「うん」

彼女はその二つの石を、僕が以前の仕事で炭焼き小屋を建てている時に出て拾っておいた檜の端材の上に飾り、僕の面接がうまくいくように祈ってお祀りしていた。そしてうまくいった。
僕たちは二人とも、昔から石を拾い集める癖がある。

僕はジャン・レノがとても好きだ。絵葉書は、多分「レオン」の頃のものと思われる彼の顔が大きく写されたものだった。嬉しかった。
彼女は文字面に、件の石のスケッチを描いていた。
「守ってくれました」と。

先頭 表紙

ご無沙汰でしたね、ももたさん。幸せを伝染させることが出来たとしたら嬉しいです。 / 揚水 ( 2002-05-07 21:39 )
なんか、いいなあ。うらやましい…というか、こちらまで嬉しくなってきて、幸せをおすそわけしてもらった気分です。 / ももた ( 2002-05-07 13:57 )
あー、パーさん。そーいやそーだったねえ。頑張ってちょ。 / 揚水 ( 2002-05-07 00:10 )
あみすけさん。あれ、おかしいな、やっぱ少し違うかな。自慢というか、うーん、上手く言えないなあ。あ、そうだ、誇り、誇らしいんです。 / 揚水 ( 2002-05-07 00:09 )
あのねー、あしたから怒濤なのー。これから掃除とかするのー。ボリームのある揚水日記読むガッツがないのー。また遅れをとるのねー。やーん。 / パオラ@ハハ上陸! ( 2002-05-06 22:31 )
↓自分に自信があることであれば、自慢も必要ですよね! / あみすけ ( 2002-05-06 21:09 )
あみすけさん、へへへへへ。自慢してもいいですよね(笑)? / 揚水 ( 2002-05-06 00:40 )
しろねこさん。葉書をもらったことも嬉しく、何より、僕が好きなものをいつか渡そうと思って買っていたその時の彼女が楽しくて嬉しくてワクワクした気持ちになったであろうこと、面接がうまくいくようにと思いをのせた石を描いてくれたこと、ワクワクした葉書をこれ以上ないタイミングで使ってくれたこと、その全てが嬉しいのです。あんまり幸せで、切なくて胸が苦しい。 / 揚水 ( 2002-05-06 00:39 )
綺羅さん、人と向かい合う時本当に欲しいものは、付き合っている相手だけに限らず、その人の気持ちです。けれど、気持ちを形で表してもらうことも嬉しいのです。 / 揚水 ( 2002-05-06 00:39 )
す、素晴らしい!!相思相愛が伝わります!! / あみすけ ( 2002-05-05 23:42 )
彼女から葉書が来ると嬉しいよね〜。それに、メールとは違った嬉しさを感じるよね…。 / しろねこ ( 2002-05-05 11:45 )
手紙や葉書のようなものって、貰うとうれしいですよね。友達から貰っても、うれしくて一日中見ている感じです、私(笑) / 綺羅 ( 2002-05-05 11:26 )

2002-05-04 転載「新世紀へようこそ 081 記念日だから少し憲法のことを考えてみる」−1

今日は憲法記念日です。

日本国憲法が施行されてから55年になりました。

この間、さまざまな問題とぶつかりながらも、日本はこの憲法のもとで運営されてきました。

それはよいことだった、とぼくは考えています。

改めて読みなおしてみても、日本国憲法はよくできている。

しかしながら、憲法が悪いから日本はこんな駄目な国になった、と言う人もいます。

今の憲法は国民の権利ばかり尊重して、義務を軽視している。だからみなが無責任になって、国に甘えるばかりで、その結果、こういう国になってしまった。

本当にそうでしょうか。

現行の憲法のどこに問題を感じるか、という問いに対してある論者は「例えば国民の権利と義務を定めた第三章。権利という言葉は十六回、自由は九回出てくるが、責任は四回、義務は三回しか出てこない。自由と権利を重要視し、責任と義務を軽視してきた戦後の日本が実によくここに現れている」と言います。

とてもわかりやすいけれど、この論は根底から間違っています。

なぜならば、憲法というのはもともとの性格からして国民の権利と国の義務を既定するものだから。

国民と国の関係は最初から対等ではありません。

対等というのは、夫と妻のように、両者が同じカテゴリーに属する場合にだけ使える概念です。

国と国民の間では、国の方が強すぎて問題が生じることが多い。

官僚機構や法体系など、国の装置は強力です。放っておいたら、国を運営する権力者にとって都合のよい方にばかりことが進む。

それでは国民は幸福になれない。

この事実を人は歴史から学びました。

国民のために国があるのであってその逆ではないとしたら、何らかの形で国の力を制限しなければならない。

主権在民を確実にするために憲法を作る。

これが近代国家の基本原理であり、だからこそ憲法は他のすべての法に優先するのです。

その憲法に向かって、国民の権利ばかり書いてあるから駄目だと言うのは、熊に向かっておまえは熊だから駄目なのだと言うに近い。

ちなみに、戦前の大日本帝国憲法でさえ、第二章「臣民権利義務」に義務という言葉は二つしか出てきません(兵役と納税)。権利と自由についての規程は九つ書かれています(公務就任、居住移転、逮捕監禁審問処罰、裁判ヲ受クルノ権、住所ニ侵入ならびに捜索セラルルコトナシ、信書ノ秘密、所有権、信教ノ自由、言論著作印行集会及結社ノ自由)。

実はこの先に「戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ」は「天皇大権」がすべてに優先するという条項があって、全部をひっくり返してしまうのですが。

(この「戦時又ハ国家事変ノ場合」という規程は今の有事法制によく似ています)。

先頭 表紙

ここで話題になったことのどの問題についても言えることは、一人一人の個を尊重すると同時に、共同体の一員であることも大切にする。そうしたことが必ずしも欧米においてなされているのかどうかまでは知りませんが、幾度かの大きな変革の機会に、僕たちの国がそのチャンスを失ってきたのは事実でしょう。まだまだこれからってことですね。チャンスはまた来るはずだし引き寄せることも出来るでしょう。 / 揚水 ( 2002-05-07 21:38 )
向こうで感じたことは自分の考え(理論)がいかに大事で、それをいろんな角度から議論してコミュニケーションを愉しむということが当たり前になっていること。それは男性も女性も同じです。そしてなにも難しい話でなくていいのです。なんでもいいのです。しかしながら結局、女性の社会進出をやれば、やれば!といって認めながらも深い部分ではどこか違和感があります。認めた以上、女性は子供を産むという性も認めて欲しいです...いろんな意味で。 / みるみる@なかなか難しいです。。。 ( 2002-05-07 10:04 )
愛国心はやはり先の大戦後タブーになってしまったのでしょうか?でもそれと同時に誇りや自国を想う心も薄くなっているように思います。おっしゃるとおり、政治を見ればほんとそう思います。なんなんでしょうか。きっと皆様、ご自分なりに展望をもっているはずなのになぜか余計な争いやなんやらで進まない...。同感でございます。これからどんどん新しい世代になって行くのにこのバランスの悪さでいいのだろうかと思う今日この頃です。 / みるみる ( 2002-05-07 09:51 )
それでもって同時に、特定の大国の国政運営やかつて憧れた一部の西方地域の価値観に追随するのでなくて、他国も尊重しなければならないと思うのですが。それと、目を瞑ることが多いようですが、僕たちの国にも「祖国」を曖昧なままにさせられている人が、半島出身の人に限らず存在する問題もあります。単一民族の国などと、どの政治家のどの口が言うのでしょう。これだけ言っといてなんですが、僕、日本好きです。 / 揚水 ( 2002-05-07 02:14 )
下のみるみるさんに追加です。「愛国心」を嫌う風潮への反動として、次には極論が出てくる。それもまたおかしな話ですね、バランスが悪い。都知事然り首相然り、漫画家が「戦争論」をぶつご時世です。あれがだめならこっちだろってんで、どうしてそう端っこから端っこに飛ぶのかねえ。バランスが悪い。自国を愛すること、誇りに思うことは当然のことだと思います。 / 揚水 ( 2002-05-07 02:14 )
ほいほい。お越しをお待ちいたします。 / 揚水 ( 2002-05-06 01:25 )
ぶーぶー。アップするにもほどがあるう!!なんかさっきまで気絶しててお国の行く末に頭がまわらないの。だからあした読むわ。更新は気にしないでどんどんやってね。追加ツッコミ入れるからよろしうに。 / パオラ ( 2002-05-04 22:34 )

2002-05-04 転載「新世紀へようこそ 081 記念日だから少し憲法のことを考えてみる」−2

今の憲法では国に対する国民の義務は納税だけであり(第30条)、それで充分だとぼくは考えます。明治憲法にあった兵役の義務は、幸いなことに新憲法下ではなくなりました。

教育の義務(第26条第2項)は子供に対するものであり、勤労の義務(第27条)は自分と社会に対するものでしょう。

その他の具体的な義務については個々の法律や条例で、憲法の認める範囲内において、決めます。

憲法が国民の権利ばかり言い立てるから国民が無責任になる、というのも通らない理屈だとぼくは思います。 この憲法ができる前から、日本には無責任の伝統がありました。

1930年から1945年に至る長い戦争の間に、日本軍はいくつもの作戦に失敗して重大な損失を出したけれど、軍の首脳部は誰も責任を取らなかった。指揮を誤った参謀が栄転することも珍しくなかった(例えばノモンハンと辻政信)。

また、戦争が終わった後も自発的な戦争責任論は起こりませんでした、東久邇内閣が「一億総懺悔」と言ったのは、要するに誰の責任でもないということでしょう。

しかもあれは国民全員が昭和天皇に対して敗戦を謝罪するという意味であったらしい。話が逆ではないのか。

このところ確かに無責任の風潮はまた顕著になっています。官僚も、企業経営者も、銀行の首脳も、自分たちの失敗の責任を取ろうとしない。

しかし、景気がよかった時にはこういう責任論はあまり出なかった。経済が破綻したので、関係者が互いに責任を押しつけ合っている、としかぼくには見えません。憲法のせいではないでしょう。

憲法を変えれば彼らに責任感が戻るとも思えない。

法というのは倫理の最小限を決めるものです。

親孝行は美徳ですが、親不孝を法で罰するのは行き過ぎになる(1995年の刑法改正で、尊属殺人を他の殺人と区別して扱う規程もなくなりました。法の下における平等という憲法の原則に反するからです)。

1920年から33年までアメリカにあった禁酒法も、倫理的要求が高すぎたために失敗に終わった。

国民は国をよくするために力を尽くさなければならない。その義務を国民は国に対して負っています。

国民として生きる以上、これは国に対する国民の根源的な義務でしょう。

しかしこの義務はあくまで自発的なものであって、国はそれを国民に強制してはならない。

「国があなたの為に何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えよ」

ジョン・F・ケネディのこの言葉は美しい。

ただし、これは大統領の就任演説の中だから美しいのであって、この趣旨が法として国民に強制されたら、これは結構きついファシズムの社会になるでしょう。

という風なことを5月3日に考えるのも、国民の義務かもしれません。

     (池澤夏樹 2002−05−03)

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未だに日本人が「和魂洋才」という考えを持っているとしたら、その精神の貧しさには溜息が出ますね。海を渡ってやってきたもののよいところを取り入れる能力に優れていると威張ってみてもすぐにお里が知れる。受け継いできたものもたくさんあるはずですよね。ちょうどあなた方ご夫婦はそうしたところをご覧になってきたばかりです。幸福なことだと思います。少しずれるかもしれませんが、昨今の日本の韓国紹介に対する情熱が、W杯までの一過性のものでないことを望みます。誇りを持って他国と接する学習の機会として。 / 揚水 ( 2002-05-07 00:08 )
ようこそ。お手柔らかにとはいったいどういうイミなんでしょうか(笑)? まるで僕が彼女らをいたぶっているかのような(笑)。日本人は「愛国心」という言葉を禁忌にしているようなところはありますよね。もちろんその大きな要因は前の大戦でしょう。あの時代の「過ち」を嫌うのは判ります。けれど、愛国心という言葉と共に国を愛する心まで失うのは行き過ぎですね。あたしゃ「だから日本人はダメなんだ」などと言う日本人が大嫌いです。ダメなのはお前だよ。 / 揚水 ( 2002-05-07 00:08 )
うまく言えませんが、日本は欧米の文化や風習や生活スタイルを取り入れるだけ取り入れてはいますが、真に理解をしていないが為にアンバランスになり、ついに自国や自国の文化にも目を瞑ってしまっているのではないかなと思います。アンバランスさをとても感じます。 / みるみる ( 2002-05-06 22:06 )
P嬢とTりす様以外のお宅では初のつっこみデビューです。お手柔らかに!私は以前ヨーロッパに滞在していましたが、自分が現地の人々にとって異人の立場になった時、改めて自国の事を考えました。と言うか考えさせられました。全ての人がそうと言いませんが、愛国心が少ないかなと思いました。というか誇りの持ち方が違うのかな? / みるみる@色んな事自分の肥やしにしたい ( 2002-05-06 22:02 )
出会いの妙に感謝しています。 / 揚水 ( 2002-05-06 03:58 )
そもそも僕がこのページで日記というか思い付いたことを書くようになったきっかけが、このメールコラムを探すことでした。パソコンを買ったネット初心者の僕が、海月から「揚水くんの好きな池澤さんがこんなことやってるよ」と教えてもらい、四苦八苦して「池澤夏樹・同時多発テロ」などで検索を掛け、lim.さんという方の掲示板に辿り着きました。そこでメールコラムの申し込みを、知っている方から教えてもらった。その時にlim.さんの日記を読むようになりなんとなくシステムを飲み込んだ後、自分でも書き始めたのです。 / 揚水 ( 2002-05-06 03:57 )
こういった文章を読むと、最近の一連の我が国の動きは、考えてみれば政治に携わる人たちが国民を支配したい欲望をもっているとも思えます。その為の根拠は、天皇大権でも首相の権限強化でも日米安保条約でも、使えるものなら何でも構わないようです。ある評論家の方が、我が国の首相を「クリーンなタカ派」と評するのもうなずけます。そういう国で規制緩和が進むなどとは絵に描いた餅そのものですね。人は皆幸せになりたいはずなのに。その為の方法は何であっても構いませんが、支配の為の方法は端からゴメンです。海月に逢いに行きます。 / 揚水 ( 2002-05-04 18:20 )

2002-05-03 鈍感

最近の僕は幸せです。その幸せのさなかにいながら考えることがあります。

幸せボケした僕は、ややもすれば世間には幸せなことや善いものばかりがあるように勘違いするのではないかと思うのです。
残念ながらこの世界には不幸や悪いこと、さらには悪意もあります。
僕は世界が幸せや善いことで満たされることを望みます。けれど、であればなおさら、今現在そうでない部分があることもきちんと知っておかなければなりません。

幸せボケして人の悪意に気が付かないだけなら単なる「お馬鹿さん」で済みますが、気が付かないことで相手の憎悪を煽ることもあり得るでしょう。
たとえ悪気はなくとも、僕が人を傷付けることもあり得るでしょう。

気を付けよう。

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まさに、まさにそうなのです、おけいさん。僕がそう思って自分で実行するだけでなく、他の人にもそう感じて生きていってもらいたい。そう思います。 / 揚水 ( 2002-05-04 01:19 )
幸福で人を傷つけてしまう人よりも、不幸で人を傷つけてしまうことの方がずっと多い。人は、幸せにならなきゃいけません。幸せになるために生まれてきたのですから。 / おけい ( 2002-05-04 00:58 )
あみすけさん、迷惑はね、仕方ないと思うんですよ。昔誰かが僕に、「人は生きて存在するだけで誰かに迷惑を掛けているものだ」と言ったことがありました。しょうがないことなのだけど、だからこそ却って人に迷惑を掛けないようにしようということらしく、全部は賛同しない(「掛けても」というのであればまだ判るのです)にしろ一理あると思います。何か言われて腹が立ったり傷ついたりはするとしても、人からどう見られてもいいんです、僕。上の僕の言葉は、まさにおっしゃるような「自分に自信を持つ」ための自戒です。 / 揚水 ( 2002-05-04 00:57 )
難しいですよね、他人から見た自分を評価するのって。私は仕事柄、相手の仕草や行動に目がいってしまいます。相手はどう考えているのだろう?そしてうまく表現できているのか...と。でも最終的には自分に自信を持って行動すれば間違いはない...と自己解釈しておりまする。きっと他人に迷惑かけてるんだろうなぁー(^^;)。 / あみすけ ( 2002-05-04 00:06 )

2002-05-03 過去の現在形と現在の過去形

あるところである人にあるものについて、
「ちゃんと製造してる?」
と尋ねられた。
僕は
「作り方知らんもんでいかんわね」
と答えて笑われた。

長野に住む友人に子供が産まれたという。福岡に住む親しい高校時代の先輩のところは二人目が産まれたという。
僕は愛知の山村に住んでいる。
僕と同様この村に移り住んできた知人のところ二ヶ所でも子供が産まれた。
名古屋に住む親友のところの予定日は近い。村の消防団の知人四人にもそれぞれ子供が産まれた。うち一人の赤ん坊は、今日姿を見せてもらった生後八日のほやほやだ。

このところ僕の周りでは子供づいている。そういう年齢ということでもあるんだろう。
子供づいている人たちのうち親しい人からは「お前も子供作れよ」とよく言われる。
僕はそれもいいな、と思う。自分の子供に対してどうなるのかはともかく、僕は多分、子供好きな人間の部類に入る。

けれど僕は決まって「今すぐにはいいよ」と答える。海月は望んだ仕事に就いて頑張ろうとしているし、僕自身やっと再就職が決まってこれからそちらにも力を入れなければと思っているところだ。だいたい、僕ら二人はまだ結婚してもいない。
子供が欲しいと思うこともあるが、いなければいないでもいいと思っている。僕の親しい人たちは、僕がそう考えていることを知っている上で「お前も子供作ったら」と言ってくれているので、僕も素直に「今はいい」と答えることが出来る。

村内にある、僕がよく煙草を買いに行く店に入ると、おばちゃんが開口一番
「今日は二つ?」
と笑いかけた。
店内には、以前からたまに見掛けていた彼女の孫息子が遊ぶ姿があった。そういえばこのところ彼の姿を見ていなかった。しばらく見ないうちにずいぶん大きくなっている。
この店では、いちいち「エコーください」と言わなくても済む。
「一つでいいよ。大きくなったねえ」と僕が言うと、おばちゃんは
「三歳と五ヶ月」と嬉しそうに微笑んだ。
彼女は僕に子供がいないことを知っている。孫にかこつけた彼女は茶化して、
「ちゃんと製造してる?」
と笑った。
僕は「作り方知らんもんでいかんわね」
と答えた。彼女は朗らかに笑った。僕も笑った。

僕は笑った。ひとつには、可笑しかった。
僕と彼女は、口を利くことはしょっちゅうでもそう親しくしているのでもない。
彼女は僕が結婚「している」ことは知っていても、離婚「した」ことはまだ知らない。

子供が産まれるのって、いいな。

先頭 表紙

僕らは余りうるさくは言われません。カップルそれぞれで事情も考え方も異なるので一概には言えませんが、僕たちも似たようなスタンスです。思うのは、産まない(今は、ということも含めて)選択の人が蔑ろにされることがもちろんいいはずはありません。それに対して声を上げる人が見られるようになった反面、そうした趨勢の中、産む選択をした人がまるで考え無しのように言う人もいるようなのはいただけません。バランスが悪いですもんね。 / 揚水 ( 2002-05-07 00:07 )
私たち夫婦(あみ&みる)は、結婚5年目ですが子供が居ません。というより、揚水さん曰くの製造してません(^^;)。お互いに仕事をしており、お互いにやりたいことを尊重し、お互いに期がくるまで待っています。まわりはうるさいのですが、私たちはこれからもそうしたいと思います。 / あみすけ ( 2002-05-06 20:45 )

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