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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-04-12 舌の根も乾かないうちに
2002-04-12 社会に対するスタンス
2002-04-11 すたれないもの
2002-04-11 先生と呼ばれるに足る人物
2002-04-10 油に溺れる
2002-04-09 恋は水色
2002-04-08 リライト{±Sex }
2002-04-08 足音
2002-04-07 双方向性
2002-04-07 {±Sex }


2002-04-12 舌の根も乾かないうちに

ネオナチを名乗る極右グループからモスクワの日本大使館に、「今月20日のアドルフ・ヒトラーの誕生日に、在ロシアの外国人を殺す」との殺人予告メールが届いたそうです。
全ての外国人を殺すまで殺害を続けるとのことです。

なんなんですか? それは。
これに憤ることは、悪意はさらなる悪意を生むと考えるのは、「平和ボケ」なのですか?

真珠湾もカミカゼアタックも朝鮮「征伐」も第三帝国もフォークランドも「轟く雷鳴Rolling Thunder」も「砂漠の嵐Desert Storm」も、新しいところでは「限りない正義 Infinite Justice 」も、その他にも数え切れないほどにたくさんある、人の痛みを生み出したこれら人類の行動は、そのどれもが「正義」だというのですか?

悲しい。そういうことが起こるのが悲しいのでなく、起こるそれらのことに無力な自分が悲しい。

先頭 表紙

古い書物に書かれているということは、確かにこれからも大して良くなりはしないということを示すのかもしれません。でも、良くなっているところもあるはずです、人は。僕に勇気がある訳ではありません。「文句言い」なのです。それに大きな社会現象に「憤る」事が可能なのは、考える時間や噛み砕かれて伝えられた情報が前もって与えられているからに他なりません。現実に遭遇する予測不能な人物や事象に対してきちんと対応できる大人になりたいのです。欲を言えば。 / 揚水 ( 2002-04-15 01:11 )
言ってしまうと悲しいけど、聖書にも神話にも、あらかたの古い書物ですでに殺人や戦いをしているので、人間てそういうもんなんだなあとあきらめたくなる気持ちがあります。またそこに安穏としていたい。自分に被害が及ばない限り。保証のない安穏さに甘んじている、それが偽りのない今の私です。「憤る」勇気と決断力に乏しいのです。これもボケの一種なのでしょう。もちろんこれからもそうかどうかはわかりませんが。 / パオラ ( 2002-04-13 01:03 )
きのうここにつっこもうとしたら突然つながらなくなったのよね。 / パオラ ( 2002-04-13 00:58 )

2002-04-12 社会に対するスタンス

思い立って、「座右の銘」というものを設えてみようかと考えています。
生まれて初めてのことです。


憤らない、憤らない、憤らない、憤らない、憤らない。


これはもはや「おまじない」ですね…。
とても座右の銘とは言えません。

先頭 表紙

出来ないからこそそう言うのです。その証明は上にあります。 / 揚水 ( 2002-04-12 01:14 )
のーのー。人間の脳って否定文を肯定文として認識しちゃうんだって。だからこれは「憤る、憤る、憤る、憤る、憤る。 」と記憶されるのです。どうするよ?「スマイル、スマイル、スマイル」ってのはどう? / パオラ ( 2002-04-12 01:00 )

2002-04-11 すたれないもの

ある時海月と二人でお出掛けしていて、僕は便意を催しました。
ホームセンターの中で海月が「大丈夫? トイレ行ってきたら?」と言うのに、僕は大工道具や電動工具に夢中になって「もう少しだけ」と先延ばしにしていました。

僕がもじもじと身悶えを始めたので、とうとう海月は「早く行ってきなさい」と言いました。
「はい」
僕は母親に叱られて玩具売り場に後ろ髪を引かれる子供よろしく便所に向かいました。

僕が便意を我慢し続けたのには、工具に見惚れていたこと以外にもう一つ理由があります。
僕は常々極限まで堪えた後の脱糞の爽快感は、人生における何ものにも代え難い快感の一つだと考えているのがその理由です。

それはさておき。
ベルトを緩めジーンズとパンツを下ろししゃがみ込んだ僕の目の前に、こんな文字が飛び込んできました。


「誰か生で中出しさせてくれる女の子いない? もし妊娠しても責任持つから連絡求む」

「和田アキ子死ね誰か早く殺せ」


なんだかなあ…。

先頭 表紙

やややさん、はじめまして。「後ろを見ろ」→「ここの左だ」→「反対側」→「最初に戻って上を見ろ」→「やーい、バーカ」というのも昔経験しました。それをしっかり順番通り辿っていった僕はやっぱり「やーい、バーカ」にふさわしい(笑)。 / 揚水 ( 2002-04-12 13:07 )
パーさん、それはもう呆れるくらいに変わらない。 / 揚水 ( 2002-04-12 13:01 )
まさに今日、新橋の駅のトイレで座った目線の先に『フフ、今あんた覗かれてるよ、後ろから』って書いてあってビックリして後ろ見たら、『バーカバーカ』と書いてあって、なんかヘコみました。『 / ややや ( 2002-04-12 00:45 )
便所の落書きのネタって今も昔もあんまかわんないよね。 / パオラ ( 2002-04-11 23:18 )

2002-04-11 先生と呼ばれるに足る人物

お医者さまや学校の教員、画伯、それに政治家や作家の方々。世に「先生」と呼びならわされる職業の人はたくさんいます。
時代劇では用心棒の素浪人ですらこう呼ばれていることもまま見受けられます。趣味の料理や園芸や手芸、工芸の番組などにも「先生」と呼ばれる人物が登場します。
中には立派な方ももちろん居られるのでしょうが、その人々全てが「先生」と呼ばれるに足る人物ではないでしょう。

なにも、「先に生まれた」人こそ先生であるとか、「先ずもって(立派に)生きている人」が先生だなどという、言葉遊びの屁理屈を述べようというのではありません。そう呼ぶことが慣習になっている場合にいちいち拘泥することもありませんし、自分が尊敬する人の場合であれば素直に「先生」と呼べばいいのだと思ったまでです。

杉浦日向子さんという方がいらっしゃいます。日本では、いや世界でも数少ないタイムマシンの所有者のうちの一人です。
彼女がその装置を使って時を遡る行き先は、主に江戸時代であることが多いようです。彼女はそこでの見聞を優れた著作に著してくれています。
そうやって、彼女が見聞きしてきたことを出版物の形で現代の世に送り出してくれているお陰で、僕たちは江戸の町に暮らした人々の息遣いをまざまざと感じることが出来ます。

彼女はまた、ある番組にコメンテーターとして出演されています。僕は、他の出演者が彼女を「先生」と呼ぶのを聞く度に、「ああ、先生だなあ」と思うのです。

先頭 表紙

お好きなだけ反省してください。止めません、僕ぁ。 / 揚水 ( 2002-04-12 13:09 )
つーか最近おやじのボヤキあるいは千鳥足なことしか書けなくてすまん。反省。 / パオラ@おやじだもんな ( 2002-04-12 01:12 )
いや別に誤ることでもないって。 / 揚水 ( 2002-04-12 00:25 )
ごめん。 / パオラ@やはし? ( 2002-04-11 23:16 )
lim.さんへ。そうだそうだ。そういえば僕も恥ずかしかった(笑)。「俺を先生と呼ぶな!」 生徒困った困った(笑)。 / 揚水 ( 2002-04-11 22:54 )
パーさん。…びっくりした。僕の物言いは理想というか空論を語ったのかもしれませんね。そちらのおっしゃることに対して色々思うところもありますが、それに対して今は何も語らずにおきます。けれどしかし確かにお話承りました。 / 揚水 ( 2002-04-11 22:54 )
私も「先生」と呼ぶのは、自分が尊敬していて、かつ先生と呼ばれる職業にある人だけ。教育実習の時、皆に先生と呼ばれるのが恥ずかしくて死にそうでしたよ(笑)。 / lim. ( 2002-04-11 15:24 )
もちろん更正したという事実と牧師としての善し悪しは無関係です。念のため。 / パオラ ( 2002-04-11 14:21 )
あんねー、日本の坊主って世襲制がおおじゃない?牧師はさー、人生で諸悪の限りをつくしてきた人が、更正するときに「神を見た」っちゅう人が多いのよ。だから彫り物が体にあったり、覚醒剤の後遺症でロレツがまわらなかったり、そんな人がほんとに多いのよ。あるいはどうしょもないヘタレだとか。つーか私の知ってる牧師がそゆひとばっかりだからなのかな(笑)?まあ、その点は日本の坊主と一緒かもね。生臭もそうでないのもいると。 / パオラ ( 2002-04-11 13:50 )
そんで牧師にもアカデミックなのから実にそーでないのまでいるの。まさに「出来のいい奴も悪い奴もいる。善人もいれば悪人もいる。」の状態なのよね。私嘲笑まじりに「先生」って呼んでるときあるもん(もちろん無意識によ!)。やーねーほんと。ふふふ。 / パオラ ( 2002-04-11 13:44 )
だからきっと日本はほかに言葉がなくてしようがないから「先生」って呼んでるんだと思うのよ。つーか日本人はそんなんどーでもいいって感じもあるけどね。牧師(プロテスタント)だろーが神父(カソリック)だろーがさ。なんつっても神様のいない国だからさ。あ、ちごーた。神様が折衷混在してる国だからさ。 / パオラ ( 2002-04-11 13:39 )
でもプロテスタントの牧師も優越意識がすごいのよ。それはキリスト教国では自分はとても大事にされるのだから日本でも私はエライし優遇されるべき、というなんかようわからん理由からなのね。ここが私はもうおかしいと思うのよ。そんで「先生」という呼び名も、英語の国なら本来は「paster牧師」なんだよね。おもろいのが敬称の「reverend」を自分で名乗るバカが時々いること。日本語なら「ジョン牧師様」と自称してるようなもんなんだよね。 / パオラ ( 2002-04-11 13:35 )
うーんとね、ちょっとわたくし的に言ってみるわね。私のキリスト教の解釈はもっと狭いのね。「神の下に・・・」というのは、平等なのも救われるのも天国に行けるのも、全部の特典は「洗礼を受けた人たち」限定なのよ。クリスチャンでない人たちのことはどーでもいいの。ここが仏教とは大きく違うとこかな?で、牧師はその中では神様の意志を伝える「メッセンジャー」でしかないのね。少なくとも聖書の中にはほかの信者と平等だって書いてある。カソリックがそれをねじ曲げたのは周知の事実だけどね。 / パオラ ( 2002-04-11 13:28 )
それと、「神の下に平等」というのは、人間はみな一緒だというのではないでしょう。人と人の間にある差異を認めない訳ではない。超越者であり絶対的存在である神に較べてちっぽけな人間同士を較べたところでたかがしれている、という意味合いもあるかと思います。たとえ人として与えられた権利の価値が同じでも、他人を害するだけの人はその権利を悪用するイヤな奴です。出来のいい奴も悪い奴もいる。善人もいれば悪人もいる。それもひっくるめての平等なのでしょう。なかなか達観は出来ませんが。 / 揚水 ( 2002-04-11 04:37 )
パーさん、更にもう少しだけ冷静になってみましょう。プロテスタントはそもそも既成の教会に「プロテスト」して生まれたものですよね。人間は神の下に平等であって本来その上下はない、と。これは相当強力な意識変革で、痛烈な教会・社会批判です。聖職者の存在を真っ向から否定した。それでも神の教えを人々に伝える指導者は必要だった。迷える「子羊」には道を指し示す「先生」が必要だった。つまり「牧」の「師」ですね。これは別に「権威」ではないと思います。信者の中で尊敬される人であることを期待される訳です。 / 揚水 ( 2002-04-11 04:12 )
そういえば牧師も先生って呼ぶのよ。冷静に考えるとよくわからん。私のだんでぃー師匠は「先生」だね。うん。 / パオラ ( 2002-04-11 01:54 )

2002-04-10 油に溺れる

以前、人に聞いた話。

僕にも経験があるけれど、ネズミは油分を好む。
台所の管理をいい加減にしていると、彼の生き物は油の付いた食品や食器を嘗め、囓る。
何もない場合、果ては石鹸まで囓ってしまう。

昔話では油を好むのは猫や狐が相場のようだし、狐など油揚げ以外でも油で揚げたネズミには特に目がないとの話も漏れ聞くが、当のネズミも油を好む。食用油など大好物のようだ。

僕はポリエチレン容器に入った食用油を使っているが、僕にネズミの話を聞かせてくれた人は一升瓶入りの油を使っていたという。蓋がどこかにいってしまって、適当な紙を被せて捻って、蓋の替わりにしていたらしい。

当時彼は友人と二人で一軒の借家を借りて住んでいた。それぞれ二部屋を個人の割り当てとして使い、台所や風呂、便所は共用していた。
たまたま忙しくて、あまり台所に立つことはなかった頃の話だという。

二人の共通の友人を大勢呼んでみんなでご飯を食べようということになったらしい。
数人の女の子が台所に立ってくれた。
残りの人間が部屋で楽しく話などしていると、突然台所から悲鳴が聞こえてきた。
慌てて駆けつけると、女の子の指さす先には油の一升瓶。よく見てみると、その中では一匹のネズミが溺れて死んでいた。

彼はその話を僕にしてくれた時、「好きなものに溺れて死んだのだから、ネズミも本望だろうな」と笑って話を締めくくった。
果たしてそうだろうか? 僕にはそうは思えなかった。
余計に苦しいのではないか? 油を求めて瓶の中に落ち込んでしまい、そこから抜け出そうとしてもがきながらネズミは激しく後悔したに違いない。好きなものに目が眩んで取り返しの付かない失敗をして自らの命を危うくし、結果死んでしまう。自分の好むものが、それを自分が求めたことが原因で自分の命を奪おうとしている。
ただ単に不運に遭遇しての結果の死ではなく、自らがなにものかを求めた、その欲の先に死が立ち塞がってくる。
これはさらなる恐怖とは言えまいか。

自分の欲に溺れて死ぬ。そこに教訓めいたものを読みとろうとすることは、何か驕った間違いであるのかもしれない。

先頭 表紙

毎日欠かさず晩酌する、そうでない日は落ち着かないなどというのは、お酒がないとどうにもならないという依存症とは区別されるようですが、これはもう専門的にはアル中の範疇に入るそうです。飲料水が貴重で水分を取るためにワインを飲用する場合は少し違うでしょう。西洋人や大陸のアジア人と日本人とでは、肝機能が異なるようです。多くの日本人の肝臓はアルコールを無毒化することが苦手らしい。肝臓はアルコールを分解して有害なアセトアルデヒドに変え、さらに分解無毒化します。血中にアセトアルデヒドが多くある状態が酩酊ですね。 / 揚水 ( 2002-04-11 04:11 )
↓ちごーた。ワインより水のほうが高い、だよね。 / パオラ@気絶後ひまじんはきけん ( 2002-04-11 00:10 )
あのさ、アル中ってどっからがアル中なんだろね?水よりワインのほうが高い国でガキのころからワインぐいぐいいっちゃってる人らなんかはどうよ?アル中ちがうの? / パオラ ( 2002-04-11 00:09 )
パーさんへ。大きく見えても、猫と一緒でネズミも頭さえ通ればたいていの隙間は通り抜けます。「役者」は「欲」にまみれて死ぬのとは少し違うのでは? それは彼ら彼女らの生きる衝動に駆られて後の結果でしょう。僕の言う「欲」がもたらす「死」とは、例えば酒に溺れるアル中、不倫に身を焦がす奥様、物欲から逃れられなかった自己破産者、そうしたもんですが。僕はアル中に一番近い(笑)。 / 揚水 ( 2002-04-10 19:17 )
「舞台で死ねれば本望」という役者の言葉は有名ですが、それは本音であっても実際は健康診断に行ったりもろもろの保険は必要だと思うわけです。むつかしいのはその保険をなににするかということ。人間はねずみ(たとえだけど)よりは知能があるのでその方法を考えることができると信じています。 / パオラ ( 2002-04-10 19:02 )
まず気になったのは、一升瓶のあのちっこい口におちるくらいちっこいねずみだったの?ってことなんすが・・・。 / パオラ ( 2002-04-10 18:58 )

2002-04-09 恋は水色

僕の住む村では、時報代わりの音楽が毎日決まった時間に流されます。
実家の町でもそうでした。
そういうことをする自治体は日本全国に多々見受けられるものと思います。

この村で定時に鳴り響く音楽。
お午は、「ふるさと」。夢は今も巡りて。
夕方六時(夏季は確か七時)は、「夕焼けこやけ」。カラスが鳴いたらおうちに帰ろう。

ところが。
朝の六時に流れる音楽はなんと「恋は水色」なのです。

日本広しと雖も、この選曲にはなかなか巡り会えないのではないでしょうか。

先頭 表紙

みなみさんへ。ふふふ、そうしたものかもしれませんね。妙に納得しました。ただ煩わしいだけと思っていた人物でも、ふとした弾みにいなくなると寂しさを感じたりして。そうやって初めて愛着を抱いていたことを知ったり。そんなことに似ているのかも。 / 揚水 ( 2002-04-10 22:42 )
いや、けっこう愛着がわくもんなんですよ、母も「ちょっとさびしいねー」といっていました(笑) / みなみ ( 2002-04-10 22:10 )
…パーさんチロさん。僕はどちらかといえばヨロコんでいるのですが…。 / 揚水 ( 2002-04-10 18:53 )
恋は水色は意外だけど、少しもトンチもパンチも効いてないぞ。やはり、お役所の選曲はその程度だ。ドビュッシーとかはありえないだろう。(それがいいという意味ではなくで) / チロりす ( 2002-04-10 16:07 )
つーかさ、なんでそういうセンスのない予算配分しかできんのか、オラきいとんのかああ!!!・・・という気持ちになりますわね。ホホ。 / パオラ ( 2002-04-10 02:15 )
そ、そうであったか!なんかしらんけどアホの坂田師匠似のあいつー!ゆるさんっ!というきもちになりました。ありー? / パオラ@坊主と袈裟?これもちがうな。 ( 2002-04-10 02:12 )
みなみさんへ。寂しいんですか? やかましくとも昼や夕方に鳴らされるサイレンはともかく、夜の九時のアナウンスは、さすがになくなった方が平穏でいいかと。 / 揚水 ( 2002-04-10 02:03 )
パーさんへ。想像するに、予算をつけて村内(あるいは町内)放送の施設を作った以上、何かを為さねばならないオブセッションに駆られているのでは? ハードの充実(?)があまり意味もないと思われるソフトを作り出す典型的な例ではないでしょうか。こんなこと言うと、また行政やお役所を批判してると思われてしまうなあ…。そこまで批判がましいんじゃなくて、牧歌的に考えてるんだけど。 / 揚水 ( 2002-04-10 01:56 )
サイレンが泣きました→なりました、ですね(^^; / みなみ ( 2002-04-10 01:38 )
今住んでいる町は私にとっては十分都会ですが、ここでも流れています。朝の6時には私も驚き。   実家は消防署のすぐ隣にあって、12時にはものすごい音でサイレンが泣きました。我が家の犬は吠え、幼い私も必ず泣きました。あと夕方の6時と、夜の9時。夜の時報は「ピンポンパンポーン、夜9時は消防の時間です……」云々というもの。消防署の職員が毎日アナウンスしていました。数年前に消防署が移転し、時報がなくなった時は淋しかったなー。 / みなみ ( 2002-04-10 01:37 )
ポールモーリアは中学の給食のときにいつもかかってました。謎でした。田舎の時報にはどんな意味があるのでしょうか?実は私も気になってました。 / パオラ@しかも爆音でしょ? ( 2002-04-10 01:10 )
あーちゃん、そこに驚かれましたか…。田舎じゃよくあることですよ。 / 揚水 ( 2002-04-09 23:05 )
選曲より、朝の六時に時報が鳴るというのが驚きです。東京では夕方だけチャイムか音楽が流れるパターンが多いです。(外で遊んでる子供に帰宅時刻を知らせるチャイムかと) / AHchan ( 2002-04-09 21:19 )

2002-04-08 リライト{±Sex }

いつの頃からか、この国にはセックスに関する偏った情報が溢れかえっている。何も解らないうちからその情報によってこの先性を学ぶ若者に限らず、既にその情報に育てられた、誤った性観念によってしか行為を営めない成人も数多くいることだろう。これは不幸だ。今でこそ偉そうにこんなことを考える僕も、かつてはその不幸な人間の一人だった。
そう言ってはみるもののその実、僕はその忌々しい性観念から比較的自由なだけで、今でも不幸なのかもしれない。
良心的かつ真摯に性を考え語る人もいるにはいるだろう。しかしそういう人は限られたごく少数に過ぎないのではないか。

僕は性交を「エッチ」と表現することが苦手だ。もっとはっきり言えば、嫌いだ。
セックスすることを「エッチする」などと言う女性とはセックスしたくない。単に言葉遣いに関する趣味の問題だと言ってしまえばそれまでなのだけれど、したくない。

一人寂しくマスをかいてもなお前立腺をもてあましていた思春期ははるか昔、年齢を重ねた僕は、数々の恋もすればそれなりの性経験も重ねてきた。知識ばかり豊富で耳年増だったかつての少年は、年を取ったのだ。
そのかつて少年だった僕は、「獣にも子孫を成す大義名分がある。子を成さずに快感を得る事が悪いことだとは思わない。そこには人間が人間であればこそ得られる良いところもあるはずだ。けれど、ただ肉慾的な快楽のみに溺れる人間は醜い」と考え、そう言って憚らなかった。その醜さは他人を傷付けるとも考えていた。その一方「猥褻」なものをただ「猥褻」なものという理由だけで退けることは馬鹿げていると思っていたし、むしろ進んで猥褻なものを崇めていた節すらある。それは基本的には今でも変わらない。
かつて僕が「猥雑」として蔑んでいたものは、自ら悦びを見いだそうともせずにステロタイプにとどまり、例えばそうすれば気持ちがいいからとただ表面的に教えられ識らされて、単純に性器の擦過による快感を得ることだけに満足してしまう、「性」の「生」としての、生命の力やその先にある神秘とでも言うべきものを蔑ろにするかのような行為や、例えば大した愛情を持たずとも誰とでも寝るなどといった、精神を置き去りにした行為その他について、実践もないまま勝手に想像したもの、そうしたものであったかもしれない。実際に性の経験を得た今となってはそうも思える。

ところで多分獣は大義名分など持たない。持つ必要もない。彼らは自身の内なる自然の声に従って媾い子を成し、死んでいきながらも命を繋いでいく。ただそれだけだ。そしてそれは美しい。人も獣の一種である以上そうした面を持つ。けれど同時に、人は獣とははっきりと異なる精神も持ち合わせている。獣に心がないとまでは言わない。彼らと僕たちとでは心の働きが違っている部分があることも確かだと念を押すに過ぎない。

若いことにこそ価値がある、射精後炭酸水で膣を洗えば妊娠しない、女は犯されたがっている、男は女の涙に弱い、精液を顔にかけると男は嬉しく女も快感を得る、男は手料理で簡単に落とせる、性は何ものにも囚われず完全に自由だ。その他にも色々あるだろうが、あなたはそれらのうちどれだけを、「間違って」「偏って」いると笑い飛ばせるだろうか。

誤った性に対する観念や知識、そうした醜いものが傷付けるのは、なにも他人の心ばかりではない。自分をも含めた、獣の一種として人間の生命の力、言い換えるならば身体と、獣とはまた異なる生き物としての人間の精神、つまりは心の、その両方の尊厳と誇りを損なっているのだ。
麻痺した心は、傷付けられたことに気付かなくなっていく。

先頭 表紙

そうかねえ? / 揚水 ( 2002-04-10 18:53 )
なんでもようわからんことは「愛」でやっつける人らがおるでしょ?きちんと言葉を選べるのはやはし立派かと。 / パオラ ( 2002-04-10 17:06 )
パーさんへ。立派、なのか(笑)? 不完全ながら、なるべく言い当たる言葉を選んだだけです。 / 揚水 ( 2002-04-10 01:55 )
↓「愛」という言葉を使わなかったあなたが立派。 / パオラ ( 2002-04-10 01:13 )
下の続き。未だはっきりとしたことは言えずじまいです。敢えて解らないまま言うとしたら、他者(自分も含めて)に対する(必ずしも常識的ではなくとも)「良心」の有無でしょうか。 / 揚水 ( 2002-04-09 23:21 )
一番下のパーさんへ。きっと性に正しいも正しくないもないのです、それはそうなんです。でも間違っていると感じることも多々ある。感じながらも、どこからが「異常」であるのか、僕は簡単にはその境界線を引くことが出来ない。極端な話、四肢切断や同性愛を描く漫画家や作家がいたとして、そのことには特に何も思わないけれど実際に人の体を切り刻むことでカタルシスを得る人間がいたとしたら、激しい嫌悪感を抱く。レズビデオを見てマスをかく男がいれば軽蔑する。実際のゲイの人たちは軽蔑しない。僕はどこで線を引いているのでしょう。 / 揚水 ( 2002-04-09 23:20 )
チロデルハイドへ。ここ→薔薇。 / 揚水 ( 2002-04-09 22:18 )
チロデルハイドへ。詳細はパーさんが知ってる。キーワードは「黄色い薔薇」。 / 六点 ( 2002-04-09 19:59 )
lim.さん。殖えるより目先の楽と快を得たい。そうした振る舞いが目立つとか。 / 揚水 ( 2002-04-09 19:42 )
チロデルハイドへ。うげ。まさか当たるとは…。なんなんだ、「クリエイティブ」。 / 六点@「揚水容疑者」を読んでね ( 2002-04-09 19:42 )
パーさん。いてもいなくてもしょうがない。まさか自分の気に食わないからといって殺すわけにもいかないし。かかわりたくはないけど。人生色々。 / 揚水 ( 2002-04-09 19:41 )
これを読んで思ったこと。人間って本当に殖えたいの?特に高度と言われる文化圏に属する民族。本能がずれてきている感じがありますね。 / lim. ( 2002-04-09 14:03 )
そうそう!!クリエィティブ関係!!偏見大当たり!!ドラ1発!ぜったい「エッチ」とやらをしたら「ああーいいよー」とかエロビデオそのものの言葉を使うんだよ!ああキモイ。 / チロりす@名古屋TVには何の恨みが?? ( 2002-04-09 09:15 )
↓たしかに。こんなやついっぱいおるで。 / パオラ@そこここに ( 2002-04-09 00:21 )
チロデルハイドへ。ごく普通の人なんじゃないの? あんまりお付き合いはしたくないけど。ここで偏見を一つ。その彼って「クリエイティブ」な仕事してる人じゃないの?テレビマンとか広告代理店とか。関係者の方がもし居られたらごめんなさい、あくまでも偏見です。 / 六点@名古屋テレビプロデューサに恨みあり ( 2002-04-08 23:58 )
パーさん、僕は寝起きならぬ酩酊で書いていました。焼酎ガポガポ飲みながらね。その酔った頭で何回も構成しながら、自分のこの文章が高校のテストの長文読解にでも出てきそうなややこしい文だなと笑ってました。「僕」が「猥雑」として蔑んでいたものは何か50字以上100字以内でまとめて述べよ、とかね。はは。 / 揚水 ( 2002-04-08 23:56 )
私のつっこみがよ。↓ / パオラ ( 2002-04-08 23:08 )
あのね、寝起きのせいかしらんけど、なんか書いてあることが千鳥足なのね。・・・はずかし。 / パオラ ( 2002-04-08 23:08 )
ちょっと日記の内容とはそれちゃうんだけどさ、「えっち」っていう男がいるんだよね。気持ち悪い。これって普通?おまけに、女の人のこと年上でも下でも関係なく「おねえちゃん」って。キスのことは「チュー」。レストランの女性店員には「ねえねえ、あのさ」ってタメ口。40のクセに。ゾッとした。ことを、思い出しちゃいました・・・。 / チロりす ( 2002-04-08 22:24 )
おいしい料理も地元の人たちとのつきあいも、全部うらやましかったけど、あげみちゃんの文章を読んでて思ったのは、私は日常あえて排除している感情をきちんと文章にしているんだなあ、ということです。(排除なのか気づいてないのか、どうしてなのか不思議に思いました。???) / パオラ ( 2002-04-08 12:09 )
長崎の6,7も読んだよ。ようやっと追いついた。ふー。 / パオラ ( 2002-04-08 12:06 )
・・・寝起きに書いたからなんかへん・・・。 / パオラ ( 2002-04-08 11:57 )
「誤った」の解釈が難しいですね。そうすると性に正しいと正しくないがあることになる。あげみちゃんのいいたいのは、いたずらにすりこまれた性知識だけで性交を行うことを非難し、個と個がきちんと向き合うことのほうが大事、ってことかしら?逆にいったらそれがなされた上では性の嗜好は無限にあるってことになるもんね。でもそれだと人間の尊厳がまた消失して云々・・・・。(なんかようわかりません。先日すんごいグロなサイトを見てしまって脳の中のどこかがはじけてしまって煙をあげている状態なのです。) / パオラ@ぷすんぷすん ( 2002-04-08 11:30 )

2002-04-08 足音

何十年か生きてきて、春のそれは未だに聞いたことがない。
けれど、準寒冷地ともいえる僕の家の周りでも、既に蛙が鳴き始めてからしばらく経つ。蛙の声は聞くことが叶ったというのに、今年も春の足音を聞き逃したのは実に残念だ。

昨日、今年初めてホタルの幼虫の光に気が付いた。羽持て宙を舞う昆虫の姿を見ることも増えた。

「育ったら食うからな」と声を掛けていた、かつて青白みを帯びた淡い緑だった水耕栽培の大根菜が、ちょっと話し掛けるのを怠って気付かないでいるうちに、白っぽい黄緑に変色してしまっている。
これがもやしならさも旨そうな色であるのだけれど。

伸びきって花芽も膨らみ、既に枯れかけている葉先も見える有り様。ほんの少し以前であれば、こんなに速い変化は見せなかったのに。
もう食べられなくなったという訳ではないだろうが、水耕栽培大根菜の旬は逃してしまったようだ。惜しいことをした。
僕の頭が、「春だな」と思いながらもまだ出遅れて冬時間を引きずっているうちに、世界は着実に季節の色を塗り替えていく。

恐るべし、春の底力。

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パーさんへ。ほほう、月の巡りの神秘ですねえ。 / 揚水 ( 2002-04-10 01:54 )
性交=繁殖ととらえた場合だけどね。つまり、親愛のための性交も繁殖行動の延長線とした場合は、例の骨盤説が有効だと思うのです。 / パオラ@あくまで説ね ( 2002-04-10 01:17 )
必ず繁殖しなきゃダメ? そうでもないのが人間の今おかれたところだとも思うけど。 / 揚水 ( 2002-04-09 19:40 )
人間は本能が崩壊してるからサカリはナシ。コンビニのように年中サカリなのです。でもね、ベストの繁殖タイミングってあるんだって。で、そのタイミングがあうカップルがうまくいくの。 / パオラ ( 2002-04-09 00:23 )
lim.さん、ラジャ。 / 揚水 ( 2002-04-08 23:56 )
活性化するねえ。海月に逢いたいよお。サカリ? / 揚水 ( 2002-04-08 23:55 )
はじめまして、空さん。僕もそう思っていたので、幼虫の光にはびっくりしました。 / 揚水 ( 2002-04-08 23:55 )
じゃあ、次はアボガドの種を水耕栽培してみて!芽が出るまでに時間が掛かるけど、出たら凄く可愛いですよ〜 / lim. ( 2002-04-08 15:16 )
風の中になまあたたかい空気が混じって、匂いが微妙に変化する、それが私の春の足音。うぉーきんぐするのが辛くなくなる、というのも目安かしら?何もかもが活性化するのが春ね。 / パオラ ( 2002-04-08 11:34 )
ホタルの幼虫ってもういるんですね。びっくりです!考えてみれば、当たり前のことなのかもしれませんが・・・まだまだ先のイメ−ジがありましたぁ。 / 空。@はじめまして♪ ( 2002-04-08 08:23 )

2002-04-07 双方向性

今日の午前中、村の蚕霊(こだま)神社というところに、消防の分団で無火災祈願に行ってきました。
無火災祈願のことを「可睡齋(かすいさい)」と言うらしいのですが、詳しいことは聞きそびれました。

祈願中、太鼓や鈴の音(ね)、柏手や神官(じんかん)さんが幣束を振る音、祝詞(こういう場合もそう呼んでいいのでしょうか?)を唱え上げる声を聞いていると、神道における「音」とは、「呼ばわるもの」だと感じました。
器物や人間の出す音によって、神にこちらの存在に気付いてもらい、声によって言わんとするところを伝える。それから、声なき神の声を「聞く」のです。
これはコミュニケーションかもしれない。そう思いました。

対して仏教の、例えば読経は、真理を説きお釈迦さまや菩薩の挿話を語ることなどで「真実」を述べ立て、それによって善きものを呼び寄せようとする行為との印象があります。
本来釈尊の「悟り」とは極私的な哲学であって、そこから他者の救済へ向かったのだと思いますが、年月を経て伝播した土地土地の土着の信仰と結びつきながらそのようになっていったのではないかと思います。
和讃や御詠歌など仏さまを讃える声明もありますが、やはり仏教の「音」は、規定の正しい音を立てることや「ほんとうのこと」を口に出して唱えることでそれ(善きもの・ほんとうのこと)を実現させようとする呪(まじな)いの意味合いが強いかと思います。

「讃える」というのならばキリスト教における讃美歌などは、そのまま神を讃える「美しきもの」です。
けれど、この信仰においての祈り(寡聞ゆえユダヤ教やイスラム教については考えを持ち得ませんが、この点よく似ているのではないかと思います)は超越したものに対する、力なく過つこともある弱者が捧げる、正しくありますという「誓い」ではないかと思います。
「神」はそれに対して応分(本当に応分であるのかは、これも寡聞にして知りません)の「報い」を与える者であって、祈りは聞き入れられようとそうでなかろうと真摯に為されなければなりませんし、神の報いはそれを受ける者にとって時として一方的に映ることもあるのではないかと思います。

日本の神道における「神」もまた超越者ではありますが、何か人間に対して「対話」するといったところがあるのではないかと感じました。
けして「対等」ではありませんし、人間の望む通りのことをしてくれるとも限らないのですが、会話においては対等に、自身を呼ばわる者の言うことを「聞いて」くれるのではないでしょうか。それから徐ろに恣いままに災いを為し、福を齎す。その辺りは一方的なのですが、少なくとも言葉の遣り取りをして対話してくれるのではないか、そう思いました。

そぼ降る雨の中社殿の前に立ち、そんなことを考えていました。
けれども人との言葉の遣り取りにおいて、どのような遣り取りの方法を採る「神」であっても、「正しきことを為せ」と言うものだと思います。
仮に信仰が異なり「正しきこと」の見た目が異なれば、人はどうあっても争わねばならないものなのでしょうか。
神と語ることの他に、人と語ることも大事なのではないかと思います。

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宗教、ということであれば、ここ→「たくさんの神様」とここ→「真理」にもかつて書きました。お読みになっていない方は是非ご一読ください。 / 揚水 ( 2002-04-10 00:14 )
けれど僕らはそこで生きていくのです。色々躓きながらも。 / 揚水 ( 2002-04-09 19:39 )
そーね。そういう意味ではテレビなんて見てらんない。企業と政治の企みに満ちみちているもの。 / パオラ ( 2002-04-09 00:24 )
宗教に限らず生活全般に言える事じゃないかな、多分。 / 揚水 ( 2002-04-08 23:55 )
あのさ、宗教って組織的なものになった時点でなんかおかしなことになってるのかもね。私は聖書しか読んだことないけど、あれだって随所に政治的意図がもりこまれているもんね。身内の中でも争ってる宗教ってどうよ?やっぱ聖典はひとりでこっそり読むものではないかと・・・。 / パオラ ( 2002-04-08 11:43 )
間にあわないくさい・・・。↓ / パオラ ( 2002-04-08 11:40 )
早く来てくださらないと【長崎編 最終話】に間に合いませんよ。あたしゃ構いませんがね。 / 揚水 ( 2002-04-08 00:52 )
ひつこいようだが本つっこみ予告編じゃ。六点ママの日記は字がいっぱいだからおなかがすいてるとつっこめないの。だからご飯食べてからまたくるね。 / パオラ@ガッツがいるのです。読むのに。 ( 2002-04-07 21:33 )

2002-04-07 {±Sex }

 今という時代は、良きにつけ悪しきにつけ、セックスの情報に満ち溢れていると思う。かくいう俺もその中にどっぷりと漬かっているようなものだ。
 ところが実は苦手なのである。セックスという言葉は。知っている人間が聞いたらにやにや笑いながら嘘をつけ! とでも言いそうだが、事実そうなのだからしょうがない。
 そりゃ確かに、俺はスケベだし、知らなくてもいいようなことも沢山知っている。しかし、問題はそういうことではないのだ。いくらマスをかこうが、どんなに猥雑なことを言おうと、本質的にはなんら係わりはないのだ。
 間題なのは、猥雑を猥雑と思わぬように麻痺してしまった心と、それによって人を傷つけることだ。ここでの猥雑は当然、肉慾的な快楽のみを求める歪んだ性観念のことをいう。獣にだって子孫繁栄という大義名分があるのだ。人間は自分を万物の霊長と呼んでいるのではなかったか? 痺れた心は拡がりつつあるのだ。
 「常識」とは「正論」ということではなく、「大多数」ということだ。それでは下手をすると、そのうち「清廉」な恋は異常性慾となり、「プラトニックラブ」は存在してはならないもの、といわれるようになってしまうかも知れない。冗談ではない。
 痺れた心は、精神の他の領域をも乾かしてしまう。俺自身、その乾いた心で人を傷つけたことがある。後になって、ああ可哀そうなことをした、と悔やんでみても仕方がない。そんな悠長なことではないのだ。
 命短し恋せよ乙女、などという言葉は、今や乙女の為だけのものではない。この点に於いて、人間はもっとロマンチシストになってもいいはずだ。



これを書いた当時、僕は十七歳。今回の帰省でこんなものまで発掘してきました。
もうあのころの年齢の倍近く生きてきたんだ。若かったんだなあ。
でも、よーく読んでみると、今もこの頃と大して違わないことを言っているような気もする。
内容も、物言いも。

あまり成長してないんだな、俺…。

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いえいえどういたしまして。 / 揚水 ( 2002-04-10 02:04 )
いつもありがとう。 / パオラ ( 2002-04-10 01:19 )
がんばってください、パーさん。 / 揚水 ( 2002-04-09 19:39 )
こいつわかっててできてないんでやんの。こいつばかでないの?と思うもんね。でもね、わしらのやってることは頭でわかっても体がわかるにはうーんと時間がかかる勉強なのよ。ほんと。あー。 / パオラ ( 2002-04-09 00:27 )
ねーよ(笑)!昔はあったの。ガキのときは。今は・・・・・・いいとこもわるいとこも全部わかるからすげーイヤ。 / パオラ ( 2002-04-09 00:26 )
勇気もいるけどナルも入ってるかも。「俺凄え」って。 / 揚水 ( 2002-04-08 23:54 )
で、聴くときは全力をふりしぼって聴くのよ。フフフ。 / パオラ ( 2002-04-08 11:49 )
勇気ある行いだわ。私昔の歌の録音って絶対聴きたくないもん。勉強になるのはわかってても、最近の録音も聴くのイヤだしね。でもためになるのよ。昔の創作をまのあたりにすることって。自分の中の不変の性質、良い性質も悪い性質もみてとれるものね。 / パオラ ( 2002-04-08 11:48 )
この先も成長したいのです、僕は。その余地は、どこかに売りに出せるほどたんとあります。可能性がどれほどあるかはさておき。 / 揚水@今でも性春真っ盛り? ( 2002-04-08 03:32 )
17歳男子ってスケベ最盛期な頃だと思うんだけれど、それでこういう事思えるって凄いです。成長してないというか、17歳で成長しきっちゃってたんだと思う。 / AH "だから成長してなくてよろしいかと。" ( 2002-04-08 03:22 )
本人成長してる気でいるんだけどね。 / 六点 ( 2002-04-08 00:53 )
人間って、そう変わるものではないのですね。言われなければ、十数年前の文章なんてわかんない。きっと、二十数年前でも変わってないかも?それが揚水さんの個なのでせう。 / チロりす ( 2002-04-07 14:34 )
ミサオさんへ。うーん、久し振りなので自分の文章ながら、恥ずかしさはさておき割と客観的に読めたのですね。そうするとですね、こと性に限らず「常識」だの「人類は万物の霊長」だのを揶揄する、背伸びした考えを披瀝する自分(既に今の僕とは別人)が見えるのです。人を傷付けた免罪符を欲しがったり…。そんでもってその別人と今の僕は大して変わらねえやなんて気付こうものなら。うひゃーってなもんです。 / 揚水 ( 2002-04-07 03:43 )
性に対する考え方はもっとも成長しにくい部分な気がしますが・・・ / 水青 ( 2002-04-07 03:04 )

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