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復活! マイケルの「小さなことからコツコツ党宣言」

先ずは自分と周囲の人が幸せになるにはどうすればいいかを考えてみる。

基本的にFacebookに書いたものからエントリーを厳選し、実名やらを編集したり、ひまじんの文字数制限を満たす様に削ったりしてます。Facebookの方に興味がある場合は、コメントなどでお知らせください。でも、後で思いついた小ネタをひまじんの方だけに仕込むこともありますよ。

目次 (総目次)   [最新の10件を表示]   表紙

2001-02-10 【家族の肖像】 医療関係者ゆえの苦悩
2001-02-09 【家族の肖像】 僕の役割
2001-02-09 【家族の肖像】 遺影と遺骨とムッシュからのお花
2001-02-08 【家族の肖像】 再出血
2001-02-07 【家族の肖像】 1998年2月4日
2001-02-04 【日常】 サッカー USA vs Colombia を観戦
2001-02-04 【ご挨拶】


2001-02-10 【家族の肖像】 医療関係者ゆえの苦悩

身内に医療関係者がいるということは、こういう時に非常に心強いものだが、本人達にはそれゆえの苦悩もあったようだ。

今回母が救急車で運ばれたのは△△病院。当時妹2号が通っていた看護学校はこの病院内にある。市内でも有数の設備の整った大病院だし、母の希望したところでもあった。

しかし先日書いた通り、運ばれた時の検査では出血部位が特定できず、更なる検査をする為に設備や経験豊富な医師を手配する必要があった。それができるまでは薬で意識を落とし、例えばベットで暴れているうちに再出血...など、ということがないようにしていたのだ。(結果的には間に合わず、不測の再出血だったのだが)

しかし、この「手配」が都内のハイレベルの病院で働く妹1号からすると「遅すぎる」と映ったらしい。「もしこれがうちの病院だったら助かっていた」と...

主治医が病室にあまり顔を見せなかったこと、満足のいく説明をしてくれなかったのも気に食わなかったらしい。僕は修羅場を過ぎた後で、「もうだめだろう」、「運が悪かったと諦めるしかない」という状態から加わったので、気持ちの整理もついたけど、医療の現場の裏の事情までわかりすぎている妹1号には非常につらかったに違いない。

一時は病院を告訴する! なんてことも妹1号は言っていたけど、裁判に持ち込んでも医療ミスを立証できるケースは稀らしいということは本人が一番知っていたようだし、また訴えたところで、母親が回復するわけでもない。おまけに妹2号は卒業後、この病院で働くのだ。

ただ、今後同じようなことが起きないようにと、主治医をネチネチといじめていたようだけど。

ところでその妹1号が職場に状況報告の連絡を入れたときに、上司はこんなことをいったらしい。

「あなたをまっている患者さんがたくさんいるんだから早く帰ってきなさい」

それは確かに真実だろう。しかし、今日明日をも知れない実の母親をおいて行け、というのはあんまりだと思ったのは僕だけじゃないよね? 看護婦はいくらでも?代わりがいるけど娘はそうはいかないはずなのに。


【余談】

再来週、妹1号がマイアミに遊びに来る。本当は2号も休みをあわせてくるはずだったのが、休みを認めてもらえなかった。その理由が'99年のゴールデンウィーク、僕の赴任直前に家族で行ったヨーロッパ旅行で1週間強休んだからだという。

ああいうハードな仕事だからこそリフレッシュが必要なはず。 長さが問題なのか、前回の休みとの間隔のことが問題なのかよくわからないけど、「前にも海外に行ったし...」みたいな理由で却下するのはホントくだらない...

先頭 表紙

口車さま。うちの母の場合、もう少し重い出血だったら検査で発見されて、一命を取りとめていたかもしれません...本当にこれだけは運...ですかね? / 返事が遅れました... ( 2001-02-13 23:50 )
口車父も今から11年前、70の時ににくも膜下出血で倒れました。倒れたのは、千葉の市原にある大学で、そこから系列の大学の医学部病院に「頭が割れるようにいたい」ということで、車で30分かけて連れていかれました。千葉の、だいぶ田舎の方だから、このような病気に対して医療設備が整っていなかと思ったらとんでもない。後日「病院ランキング」を読んでみたら、脳外科に関しては千葉県でベスト3の病院でした。おかげで発病して30分以内だったこと、完ぺきな初期治療が受けられたことで、若干障害は残りましたが、今も元気でいます。 / 口車大王 ( 2001-02-10 23:41 )
マキコさん、どうもです。実は献血未体験...3月の一時帰国時にでも挑戦してみるかな? / その後は新宿ドトール巡りか? ( 2001-02-10 21:46 )
akemiさん、えぇわかりますとも! 1号さん、2号さん、ははは言われてみればヘンですね。 / マイケル ( 2001-02-10 21:42 )
はじめから通して読ませてもらいました。いろいろ考えさせられました。 / マキコ ( 2001-02-10 19:20 )
でも、マイケルさまの妹さんなら、あたしに下記のような印象を与えた看護婦さんのようではなかろうと、想像がつきます。(わかるでしょう?こういう気持ち=強要?)1号さん、キレものっぽい感じだし。(いや、1号さん、2号さんって「さん」づけだとなんか変!妹さんつかまえて、ごめんなさい。)(*^.^*) / akemi ( 2001-02-10 16:02 )
2号はボ〜っとしたタイプなので配属さえ代われば、上司を怒らすような事もないと思います... / 笑い事じゃないよな... ( 2001-02-10 10:12 )
ま、身内の話しなんでかなり甘くなると思いますが、1号は患者さんやご家族からの評判がいい、と先輩看護婦から聞いています。 / マイケル ( 2001-02-10 10:11 )
僕が見た限りはその病院では看護婦さんが患者さんに接する時の態度がヒドイ、と感じる事はありませんでした。 / マイケル ( 2001-02-10 10:05 )
あ、消えてる。(悲)まん中にはこう入ります。・・・看護婦の友人は「期待を持たせてもいけないから、シビアに事務的に対処したにすぎない。」と言いました。でも、その話の後、患者の家族にねぎらいの言葉をかけてはいけない、という申し合わせがあるかのような対応で、ほんとにがっかりしました。医師に牧師さまの役を求めてはいないけど、切った貼った(?!)の技術的なことだけで、「言葉」を知らないんだろうな?って思いました。 / akemi ( 2001-02-10 09:12 )
ただ、うちは父が脳いっ血で倒れて10日で逝ってしまう・・・というのを経験してましたから「でも、今お母さんは生きてるもんね!」とその後の『残された時間』を大事に過ごそう、という風に思って兄弟で傷をなめあってケアしましたが。 / akemi ( 2001-02-10 09:06 )
。 / akemi ( 2001-02-10 09:05 )
う〜ん、私は患者の身内サイドでしか、語ることはできないのですが、看護婦さんの就労状況が過酷なのはわかっていたので、病院の入り口とかでやってた「看護婦さんのお手当を国がもっと負担して、資格を持つ人が仕事にいてくれるようにし、手不足をなくしましょう」という署名に協力するくらいしかできませんでしたが、そういう慢性的な人手不足のためか、ちょっと余命いくばくもない人間をつかまえてその扱いはないんじゃないですか?という看護婦さんも多かったです。そして、医師の物言いも非常にひっかること多かったdす。 / akemi ( 2001-02-10 08:57 )

2001-02-09 【家族の肖像】 僕の役割

母が2回目の出血をして、手術中であるとの電話が未明にあった。

当時は会社から徒歩5分くらいのところに住んでいたので、朝一番で会社に行って、上司や同僚に事情を告げ、ノートパソコンを借りて、最悪の事態に備えて...喪服も持って空港に行った。

羽田から旭川に飛んで、更にタクシーで病院へ。病室に入ったときに一番最初に目に入ったのは母ではなく、そのベットの横で点滴を打っている父親だった。

そりゃ、長年連れ添ったパートナーがいきなり倒れて、そして頭蓋骨開けられて、脳の一部を切り取られて、植物人間状態であると聞いて冷静でいられるわけがないだろう。

僕は一番の修羅場を見ていない。でも母親の変わり果てた姿を見て、無責任ながら、直感的に「これはだめだろう」と思った。

その時に思ったのは、何日間この状態が続くのか判らないけど、確実にやってくる「その日」に向けて、他の人(特に父親)が消耗してしまわないように、ということだった。

幸いにもうちの妹は2人とも看護婦。医者の「口からではなく、気管に直接空気を送り込むために喉を切りますけど良いですね?」との問いに、もうそれだけで卒倒寸前の父に対し、「これは必要な処置であり、心配する必要はなく、すぐに終わる簡単なものである」ということを説明する妹1号。医者の言う事に対しては「でも...でも...」といっているのに、娘の言う事には「まぁ、お前がそう言うのなら」と、素直に従うから不思議なものだ。普通逆でしょう? 

そんな妹たちはすっかりダメ親父と化した父に代わって病院側とのインターフェースを果たしてくれた。僕も父親同様医学に関する知識は殆ど無い。宇宙人のようなナゾの言葉を使って会話をし、時にはそこの病院の看護婦さんの代わりに点滴替えたり(ホントはダメなんだろうなぁ)する妹達を見て、この時ほど心強いと思ったことはなかった。母親に見せたかった。

僕はなるべく父親を休ませるように、そして「病室にも笑いを」キャンペーンを展開する事にした。

先頭 表紙

おとじろうさま。いつぞやの美奈子さんのところにつっこんだような、家族のニキビつぶしや白髪抜きや耳掃除に熱中し、その都度「ヒョエ〜こんなん取れた〜」て言ってるだけじゃない事がわかって僕も正直ほっとしました。 / マイケル ( 2001-02-16 08:52 )
お母様も妹さん方がそこまで立派に育たれてさぞお喜びだったことでしょう。きっとどこかで感じていられたと信じます。 / おとじろう ( 2001-02-15 13:52 )
あややさん、「まさか」の時に備えて弟さんとシミュレーションしておくのは良い事かもしれません。 / マイケル ( 2001-02-10 01:10 )
たらママさま、不謹慎以前に僕の場合、諦めが良すぎたのかなぁ、と自分でも反省しております。父親の落ち込みが激しすぎたのでかえって冷静になれたのだとも思いますが。 / マイケル ( 2001-02-10 01:08 )
私も弟も両親と離れて暮らしているので他人事には思えません。身内に医療関係者がいると、精神面でも心強いですね。 / あややん ( 2001-02-10 00:02 )
私も、集中治療室で沢山の管につながれている弟を見た時、不謹慎とはわかっていても、直感でもうこれは再び元気になることはないな、と思ってしまいました。その10日ほど後に息を引き取りました。肉親をなくすと、しばらく故人の思い出も口に出せない辛い期間がありました。マイケルさんも遠く離れた所で生活していらして、いろいろ大変でしたね。 / たらママ ( 2001-02-09 22:31 )
じいさんはそのことをかなり後悔したようです。母が死んで1年後くらいにばあさんも逝きました。じいさんは僕の父と妹2号、という奇妙な三世代同居をしていますが、じいさんの日常の世話は父の妹二人が交互に見に来てくれています。 / マイケル ( 2001-02-09 22:16 )
そう、そこ結構ポイントだと思います。うちの場合3人とも独身なので、自分達の都合の付く範囲で分担できたのですけど、それぞれにパートナーがいたり子供がいたり、更にそちらの方でも問題を抱えていたりすると、思っていたようにいかないこともままあるのですよね...うちのばあさん(父の母)がこの前後体調を崩していて、その時にじいさんが、「長男の嫁(つまりうちの母)が面倒を見るものだ」なんていうものだから、本人は家事に実家の商売の手伝いに介護に...と負担だったと思います。 / マイケル ( 2001-02-09 22:11 )
長くなるので、そのうちにアップします。 / akemi ( 2001-02-09 19:33 )
うちは基本的に、仲良しですが、まん中の妹の連れが「おまえは、うちに嫁に来たんだろう」と母の介護に寄越してもらえませんでした。手のかかる小さい子もふたりいる上に、身の回りのことが出来ぬ○ホ亭主だったため、店をしながらの介護(私は子供置き去り状態、まあ、うちのはなんでも出来るので助かりましたが)を強いられ、マジに倒れる寸前でした。(母のとき) / akemi ( 2001-02-09 19:31 )
医療関係がいた点で助かったことはもちろんありますが、本人達にはそれゆえの苦悩もあったようです。 / また後程... ( 2001-02-09 15:02 )
全くその通り。これが逆だったらここまでひどくないよね(失礼!)と妹達とも良く話しをしてました。うちは兄弟仲がいいんですよ、ホント。こういう時に助かります。 / マイケル ( 2001-02-09 14:57 )
不謹慎な言い方ですが、妻が先だと本当に「夫」という人は気の毒です。こういう時、女の方が強くいられるような気がします。うちは父が脳いっ血でしたが、メスを入れられないところの出血で、開頭手術はできませんでした。ここぞという時、兄弟の存在を心強く思えるのは嬉しいような誇らしいような気持ちですね。わかります。医療関係の方がいたらほんとに救われたことでしょう。 / akemi ( 2001-02-09 09:50 )

2001-02-09 【家族の肖像】 遺影と遺骨とムッシュからのお花


親父から写真が送られて来ました。

何も指定しなかった僕が悪いので、お花だけではなく、遺影と遺骨と一緒に収まっていましたが、そのまま加工せずに載せます。

死んだのが3年前なのになんでまだ遺骨が家にあるのか、そして遺骨の横のパスタの入れ物みたいなものは?

それもそのうちここに書いて行きます。

先頭 表紙

おとじろうさま、ありがとうございます。今父は別な意味でいい味出しまくって家族一同困っています(実は嬉しくもあるのだけれど)。 / マイケル ( 2001-02-15 23:24 )
15日のつっこみのあと、戻ってまいりました。そう思うと、マイケル様のお父様がお撮りになったムッシュ様のお花の写真、味がありすぎです。 / おとじろう ( 2001-02-15 14:09 )
友さん、祈りの言葉ありがとうございます。 / マイケル ( 2001-02-09 14:53 )
美奈子さん、ありがとうございます。母は花がとても好きだったのできっと喜んでいると思います。 / もちろんムッシュにも大感謝。 ( 2001-02-09 14:50 )
地上に残されたご家族の方々の上に主の慰め、主にある再会の希望が信仰によって豊かに与えられますようにお祈りしています。 / 友 ( 2001-02-09 08:19 )
美しい人生を送られた人に、美しい心の花を。合掌。 / 美奈子 ( 2001-02-09 06:55 )

2001-02-08 【家族の肖像】 再出血

母が最初に倒れたのは1月19日の夕食後、洗い物をしている最中のことだそうです。

その頃の僕は出張で韓国にいました。週に1回くらいは実家に電話するのが習慣になっていて、たまたまその日にも電話したのですが、誰も出ませんでした。その時は近所に住む親戚の家にでも遊びに行っているのだろう...などと思っていたのですが。

その週の状態としては、命に別状は無いのでしばらく様子見、という感じで、他の家族としても出張先にわざわざ連絡しなくても...と思っていたそうです。

実際、1回目の出血は軽かったため、検査でも出血の部位を特定できず、頭を開いて手術をするにはリスクが大きい...とのこと。

出張から戻って留守電に母が倒れた旨のメッセージを聞いて、帰省中の上の妹(僕の妹は二人とも看護婦。上は都内の病院勤務、下は当時看護学生でした。)に連絡を取ったところ、

「今はとにかく小康状態、更に精密な検査をする為には、設備や経験豊富な医者が必要でその為の準備を整えている。薬で意識を落として再出血を防止している。」

とのことでした。妹も一旦、仕事の為に戻ろうとした矢先、致命的な再出血が起きました...

(この項続きます...)

先頭 表紙

2001-02-07 【家族の肖像】 1998年2月4日

「Floridian Life」復活のきっかけの一つであり、「旅の恥は書き捨て」で中途半端に前振りをしておいた出来事について書こうと思います。

表題はうちの母親が亡くなった日です。56歳でした。原因はくも膜下出血。

マイアミに来てからは、その日になかなか都合をつけて帰る事も出来ないので、お花を送ることにしています。

今回はムッシュ氏のHPからオーダーを入れさせていただきました。

妹たちは感銘を受けたようで、僕もどんな感じなのか気になっているのですが、親父がなかなかデジカメ写真を送ってくれません...

写真が届いたら追加します。ホント、なんて中途半端なページなんだ。

(この項しばらく続きます)

先頭 表紙

親父からメールが...「さっき写真添付でメールを送りましたが操作を間違えたみたいです、ちゃんと届いていますか?」との質問... 心配だったらつべこべ言わず送りなおせ〜 / んなわけで、写真未だ届いてません... ( 2001-02-08 01:54 )
口車さん、うちの母親も亡くなったのは病院ですが、新築して完成したばかりの家で(畳はないけど)死にたかったろうな、という感じがしています。 / こちらは幸いにも家族皆で見送りました ( 2001-02-07 22:52 )
akemiさん、何だか離れて暮らしていると、ひょっとして電話した時に出るんじゃないか? とか、帰ったらいるんじゃないか? とかそういう気分になることがあります。 / マイケル ( 2001-02-07 22:49 )
ムッシュ! お世話になりました。流石にメールで名乗るのはちょっと恥ずかしかった...だってムッシュ以外のスタッフさんが最初に読むかもしれなかったし... / 親父〜 写真〜 ( 2001-02-07 22:35 )
ちなみに、命日は2月10日です。 / 口車大王 ( 2001-02-07 22:34 )
口車の祖母も、最後は東伊豆の病院で息を引き取ったのですが、危篤との連絡で病院へ飛んでいったときは小康状態で持ちこたえ、その1週間後すっと消えるように亡くなりました。したがって、臨終の場に家族がだれもいませんでした。 / 口車大王 ( 2001-02-07 22:34 )
亡くなった身内のことを、思い出すのが供養なんだよね。離れていたって思うことはできるものね。母上は空の上からマイケルくんを見守ってるよ。心配かけないように元気でがんばるのだ。(*^.^*) / akemi ( 2001-02-07 19:33 )
みずくさいな〜最初は誰だかわからなかったですよ・・・・!ありがとう〜ございました! / ムッシュ ( 2001-02-07 09:12 )

2001-02-04 【日常】 サッカー USA vs Colombia を観戦

土曜日、昼頃にのんびり起きて、新聞のスポーツ欄を見たらこんな記事が載っていた。

「サッカーのUSA代表、W杯最終予選に備えた調整の為に、Colombia代表を迎えて試合を行う」。へぇ〜面白そう...え、今日?

会場のオレンジ・ボウルは家から車で20分。実はここで新年早々、W杯の一次予選で勝ち点どころか得失点も並んだGuatemala代表とCosta Rica代表の最終予選への進出をかけた決定戦が行われた場所でもあるのだ。(その時は残念ながらPeruに旅行中でした。)普段は大学のアメフトやる場所なんだけどね。

アメリカってMajor League Soccerってのもあるんだけど、あまり盛り上がっていない。ここではどうも女の人のスポーツ、っていう広がり方をしているような気がする。99年の女子のサッカーW杯がアメリカで開催され、中国を下して優勝した時の盛り上がりといい、例えばTVのCMとかで子供がサッカーをやっているシーンは殆ど女の子だったり。

男子サッカーなんて人気はアメフト、野球、バスケット、アイスホッケーの足元にも及ばない...それでも地元開催の94年のW杯ではしっかり決勝トーナメントに出ているし、シドニー五輪では日本を下している。(シドニーにいながら何にも映像を見ていないが...) よし、その実力をこの目でしかと見届けようではないか!

しかし、試合以外に実はもう一つのお楽しみがあったのだ。初期からの「旅の恥は書き捨て」読者にはお馴染みの鳥オヤジだ。ひょっとしたら感動の再会があるかも? オヤジと一緒に撮った写真を持参でスタジアムに駆けつけた。もちろんプレゼントする為に。

思いがけない工事渋滞などで前半20分過ぎたくらいでの入場。試合そっちのけでオヤジを探すが...いない...(;△;) やはり調整試合程度ではわざわざやってこないのか〜残念!

Miamiは中南米からの移民が人口の大半を占め、場所によっては英語が通じないというとんでもない街。案の定、客席の大部分がColombia国旗の黄色で埋め尽くされている。「コ〜ロンビア!」の大合唱、黄色いウェーブまで起きている! アメリカサポーターは一体どこに? おまけにアレパ(ColombiaやVenezuela人の主食。トウモロコシで作ったパンにチーズが挟んである。ホカホカで美味!)の売店まで!

つまり今日、アメリカ代表は自国にいながらにしてアウェーなのだ。そんな馬鹿な...ま、それも狙いなのだろうけど。

試合は前半はくそつまらない展開。お互いにパスが全然繋がらない。追いつめられて苦し紛れにボールを蹴ったら敵に渡る、みたいな。高校生でももっとマシなんじゃないの? ってな感じ。ところが後半になったら別なチーム?って思うくらいにColombiaのパスが面白い様に繋がる。後半8分頃にColombiaが均衡を破る1点を先取。その後も良い感じで攻めて行くがシュートまでなかなか持ち込めない。

後半の真ん中あたりからはアメリカがボールを支配する時間が長くなるけど、どうも攻めきれない。シュートどころかセンタリングすら打てない。唯一の決定的チャンスもGKのスーパーセーブに阻まれ、このまま終了。

Colombiaは最後まで攻めの姿勢を持っていたところが好感触。一方アメリカは度々オフサイドトラップが決まるなどディフェンスの統率力ではColombiaを上回っていたけど、攻撃面で課題多すぎ。今回どのくらいのメンバーが戦線離脱しているのか解らなかったけど、今日見た限りではどちらも日本の相手にはならないような気がしたなぁ。FIFAのランクではColombiaは15位、USAが16位。日本は40位ですけどね...

先頭 表紙

TAKEさん。半分を折り返したW-cupの南米予選で今6位。南米は4位までが本選出場、5位はオセアニアの1位チームと決戦...という感じなので、このままだとヤバイですね。 / ちなみにチリは7位、絶望的 ( 2001-02-05 01:03 )
あの有名な「鳥オヤジ」!! さすがマイケル様だ! コロンビアといえばかってはバルデラマを擁し結構な強豪でしたが、最近は低迷してるんでしょうか…。 / TAKE ( 2001-02-04 18:37 )

2001-02-04 【ご挨拶】

ども、マイケルです。

3つ目の日記を立ち上げてしまいました。2つ書いている人はたくさんいるみたいですが、3つは今のところ、あろうさんとオーテマチエンヌさんだけ、みたいですね...

今、期間限定で「家族の肖像」になっている「旅の恥は書き捨て」の元々のタイトルは「Floridian Life」だったわけですが、書き始めた当初は他の海外生活をなさっている方々との差別化が出来なくて苦しんでおりました(笑)。

そうこうしているうちに、5週間のシドニー出張があって、その現地レポートをしているうちに、もともと旅行好きなもので、過去のの旅日記なんかに加筆修正をして出していこう、ということでタイトルも変更し、どうやら軌道に乗せることが出来ました。(最近更新が滞りがちですが)

ところが日常に起きた色々細かいことや、旅と映画以外にも書きたいことが次々と出てきて来まして、それを旅日記に割り込ませるのはちょっと...と思い、こうやって新日記を立ち上げてしまいました。

そんなわけで、「家族の肖像」はじきにこちらに引っ越します。

これからもよろしくお願いします。

先頭 表紙

おお、マイケルさま、新刊ですね。今後とも宜しくお願いいたします。 / システム管理者5号 ( 2001-02-04 23:41 )
ここが、いわゆる本来の「日記」になるのですね。こちらも楽しみにしてます! / TAKE ( 2001-02-04 18:39 )

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