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Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-10-05 「ベニハナ・オブ・トーキョー」に学ぶ芸術的経営学 2
2001-10-05 「ベニハナ・オブ・トーキョー」に学ぶ芸術的経営学 1
2001-09-30 小休止 2
2001-09-30 小休止 1
2001-09-28 カレンに捧ぐ 2
2001-09-28 カレンに捧ぐ 1
2001-09-26 「いよいよ」本物
2001-09-23 Fragments
2001-09-20 Japan as No.1 〜我々の責任 2
2001-09-20 Japan as No.1 〜我々の責任 1


2001-10-05 「ベニハナ・オブ・トーキョー」に学ぶ芸術的経営学 2

客は店に入ると、まず8人の一組ができるまでカクテルラウンジで待たされる。ヒバチテーブルは8人掛けになっており、客が8人揃わないとシェフとしても効率が悪いからだ。カクテルラウンジで客は連れと会話を楽しみながら、トロピカルカクテルなどを注文する。そこに初めの罠がある。トロピカルカクテルはオレンジやらパイナップルやらのジュースを使用するので、ベースになるラムやジンの味の良し悪しなどはまず分からない。店としては安酒を使ってもごまかせるのだ。ここでまず客は気持ちよく店の利益に貢献することになる。

人数が揃ってヒバチテーブルに通され、メニューが配られる。内容はいたってシンプルで、ステーキ、フィレミニヨン、チキン、海老の4種類の中から好きなものを選ぶか、これらを組み合わせるというスタイル。付け合せは、モヤシ、ズッキーニ、マッシュルーム、オニオン、ライスと決まっている。もちろんここでの意図は、注文の選択肢を絞ることによって、低価格での大量仕入れを可能にし、使われないで捨てられる食材をなくし、貯蔵スペースの効率化を図り、さらにはシェフの作業時間を短縮して客の回転率を上げる、ということである。

二つのヒバチテーブルが向かい合わせにレイアウトされており、シェフはその間のスペースに入ることによって、二つのテーブルで同時に料理をすることができる。

注文は、二つのテーブルをひとりで担当するウェイトレスが受ける。その場で注文に応じて材料を用意するだけなので、いちいちいろんなテーブルに行ったり来たりして複雑な注文をこなしたりと、無駄な動きをする必要がない。また、シェフがその場で料理するということは、材料を出したり、しまったり、そのたびに皿を用意して洗い物が発生したりということが避けられるということでもある。人件費も節約できる。

まずはスープとサラダが出てくる。それも結構量がある。メインの肉にたどり着くまでに結構おなかが膨れてしまう。これによって余分な注文がなくなり、回転率はさらに上がる。

いよいよシェフが登場。巧みな話術で客の心を捉えながら、メインイベントのパフォーマンス。肉を切り分けて食べやすくするというのは、実はこれも食事のスピードを上げるための作戦。必ずしも心のこもったサービスということではないのだ。この間もシェフはバンバン付け合せの野菜を客に差し出し、あっという間に満腹にさせてしまう。

客が満腹になったのを見計らって、シェフは片付けにかかる。食事の最中にシェフ本人がさっさと片付けること自体も効率的だが、何よりそのやり方が大胆にして巧妙だ。シェフは鉄板に水を注ぎ、焦げ付いた食材を取り除く。当然ものすごい勢いで蒸気が舞い上がる。劇的な終了の合図であるとともに、熱を帯びた蒸気が客を否応なしにそろそろ帰ろうという気分にさせる。

デザートはアイスクリーム。まだ冷めやらぬ鉄板の熱で、あっという間に溶けてしまう。食後の会話を楽しむ暇など与えない。

そして決定的なのは、ショーが終わり、シェフが去り、気がつけば、連れはいるものの、赤の他人と席を並べて座っているということだ。プライベートな語らいをする雰囲気ではなく、皆申し合わせたように会計を済ます。こうして、平均1時間という短さで、客は店を出てゆくのである。

(つづく)

先頭 表紙

2001-10-05 「ベニハナ・オブ・トーキョー」に学ぶ芸術的経営学 1

<問題>
グレープジュース製造工場は、「搾り出し」「濾過」「濃縮」という順の三つの作業工程により成り立っている。「搾り出し」と「濾過」では毎時20,000ポンドの作業が可能だが、「濾過」では、90分に一度フィルターを交換する必要があり、交換には30分かかる。「濃縮」では毎時18,000ポンドの作業が可能。ブドウは三つの工程を自動的に流れていくものとする。@8時間の作業シフトを想定した場合、一日に産出できるグレープジュースは何ポンドか?A工程と工程の間に一時貯蔵用の設備を設けることができるとしたら、どこに設置すれば最大どれだけの産出量が期待できるか?

<答え>
@108,000ポンド。A「濾過」と「濃縮」の間に設置すれば、最大120,000ポンドの産出が可能。

昨日はこんな問題を2時間で23問解くという中間試験があった。TOM(Technology and Operations Management)という、要は効率的な生産管理の授業である。問題の解説はややこしくなるので割愛する。

ファイナンスやコンサル出身の切れ者が多いこの学校だが、ことTOMの話になると、誰もが自信をなくしてしまう。エンジニアをやっていた人間もたまにいるのだが、ここまで体系的、数学的に学んだわけではないので、ほとんどすべての学生にとって、まったく新しい概念の勉強なのだ。

4週間前、第1回目のTOMの授業は、世界中に82の支店を持つ、あのパフォーマンス系鉄板焼レストラン、「ベニハナ・オブ・トーキョー」のケーススタディーで始まった。

純日本風の店舗に、欧米人には新鮮な「ヒバチテーブル」が並ぶ。日本人にはお馴染みの、鉄板を囲んで客が座るというあのテーブルだ。そのヒバチテーブルで、訓練を積んだシェフが客の目の前で見事なパフォーマンスを演じ、食べやすく切り分けてくれる。我々日本人にとってはサーカスっぽくて味のほうを疑いたくなってしまうが、欧米人には感動的なショーだ。

結構経営的には手が込んで、元手のかかった薄利多売の商売と思われるかもしれないが、実はその奥には緻密にして周到な経営術が潜んでいるのだ。

(つづく)

先頭 表紙

たまたまさん、すばらしい!ちゃんと理解してらっしゃる。本職でやってこられたのですね。おっしゃるとおり、バッファーを入れることによる投資対効果など、現実的にはもっと難しい判断を要求されると聞いています。今後授業では、もう余り数字は出てこないで、経営判断に集中した、うちの学校らしいないように移行するようです。うちの連中は数字には弱いんですよ。 / Hidey ( 2001-10-09 04:56 )
↓それに、BTをいれることで人材の補強、設置場所のスペース確保、配管工事、配管、バルブ、計器類の追加、ソフトの追加などいろいろ考えなくてはいけません。中国でのリンゴジュースプラント立ち上げを思い出します。最近は、ビールとワイン工場の立ち上げが多いのですが、、、 / たまたま ( 2001-10-08 11:05 )
18,000*1.5*4=108,000ですねー。ちなみに、わたしの日本での商売はこういうラインを売り込むことで、客先の希望能力にあわせるための機械の選定(能力選定)をしたりしました。特に、この途中にバッファータンクをいれることでトラブルが起こったときに貯蔵もできまた濾過では圧力変動をすると商品を再濾過するリスクなどあり、いろいろなファクターがありました。 / たまたま ( 2001-10-08 11:03 )
マイケルさん、わざわざ計算していただいてすみません。簡単といってしまうところもスゴイ!施設を増やすとなると、今度は投資対効果の計算をしなくてはならなくなってしまうんですよー。ビジネスは難しい! / Hidey ( 2001-10-08 07:15 )
でもこんなの2時間で23問(1問6分未満)、しかも出題も回答も英語ってのはツライですね... / マイケル ( 2001-10-05 21:38 )
グレープジュースの件、答え聞いた後でやってみるとあっけないくらい簡単ですね。「濾過」と「濃縮」を4つにして、フィルタ交換を30分ずつずらせば、「搾り出し」は3つで、更に貯蔵庫無しで480,000ポンドまで生産できるようになるハズ。 / マイケル ( 2001-10-05 21:29 )

2001-09-30 小休止 2

(前回よりつづき)

マーケティングが最後の授業だったのでみんな帰ろうとしたら、10人くらいの連中が間の抜けたような掛け声とともにクラスになだれ込んできた。うちの学校は1学年900人が11個の「セクション」(日本でいうクラス)に分かれるのだが、彼らは、昨年僕らと同じSection Eに所属した2年生だった。

いきなりクラスを乗っ取られたわけだが、何か面白いことをしてくれるのだろうということで適当に囃し立てて見ていた。Section Eの良き伝統を一方的に引き継ぐ、ということらしかった。

まず、全員が起立させられた。「1974年以前に生まれた人は着席」というので、さっさと腰をおろす。平均年齢が26歳なので、半数が腰をおろした。そのあとは75年、76年とどんどん年齢が下がり、僕の隣に座っている、サマースクール時代から仲のよいKristina(23歳)が残る。かわいそうに、Kristinaはよだれ掛けをつけさせられて、教卓の上に立たされ、散々からかわれることになった。この時点で嫌な予感がしていた。

もう一度全員起立をさせられ、「1974年以降に生まれた人は着席」という展開になる。その時点でセクション中がニヤニヤしながら「Hidey!」と囃し立てる。昨年のSection Eの最年長者と思しき奴が「1972年7月以降の人は…」などとひと月単位で悠長にやっているので、僕の歳を知っているsection matesは「もっとペースをあげろ」とゲラゲラ笑いながら指摘する。結局ダントツの年寄りということで僕も教卓に祭り上げられた。

なんだか分からないが宣誓をさせられた。昨年の最年長者が「伝統の宣誓だ」というので、彼の一言ひとことを繰り返し宣誓することになる。何とか聴き取りながら宣誓したつもりが、いきなりしょっぱなから爆笑の渦を呼ぶ。後で分かったことだが、 “I, (state your name), promise to…”というつまりは「私(自分の名前を述べる)は、以下のことを約束する…」という文章を、訳もわからず、 “I state your name, promise to…”とそのままオウム返しにしゃべりだしたので、一同大ウケ状態だったのだ。結局そのあとは、「ボケのせいで会費を払わないこともあるかもしれないが、長老として年中セクションの飲み会を開催し、年末には恒例のバーベキューを主催する」などと誓わされた。やれやれ。

夜は8人の友達とHarvard Squareのタイ料理屋に行き、そのあとは別のグループで、学生寮に住む中国人の友達の部屋での15人くらいのAsian party。日本人は僕ひとりだった。セブンブリッジやら日本の伝統「大貧民・大富豪」やらをやり、最後は “Psychologist Game”という、散々ひとりをコケにするようなゲームで爆笑が朝1時まで続いた。

ちょっと一息つくことができた貴重な金曜日だった。Thank God It’s Friday!

先頭 表紙

はらぽ〜ん、ワールドひまじん、いらっしゃい!またいつでも会合はセッティングしますので、いつでも行ってください。もう少し落ち着いてからかな。 / Hidey ( 2001-10-08 07:19 )
たまたまさん、計算を使う部分は実は簡単なんです。加減乗除で済んでしまいますので。それよりも、工場の環境を正しく想像、理解し、作業効率に関する理論にもとづいて、どういう計算をするかを考えるところに時間がかかってしまうのです。詳しくは10/5の日記を参照。 / Hidey ( 2001-10-08 07:18 )
何も不純だなんて思ってませんよ〜。僕は、もう学者仲間の社交性の低さに長いことうんざりしてきましたから。これからは僕ももうちょっと楽しく生きていこうと思ってます。 / はらぽ〜ん ( 2001-10-05 11:58 )
僕もワールドのほうにやっと...、やっと移行しました〜。 / はらぽ〜ん ( 2001-10-05 10:10 )
数学の試験がんばってください。数学専攻で大好きな数学なのでうけてみたい。。でも、もう忘れてますよーきっと。週末4日間も休みなんですか?でも、勉強いそがしそうですねー。そろそろ、傍聴の予定立てようかと思っています。ほんとーに見学にいっていいんですか??またイベント企画してくださーい。 / たまたま ( 2001-10-04 08:57 )
akemiさん、本文にもあるようにセブンブリッジもやったのですが、韓国ルールに従ったところ、やたら細かい決め事が多くてびっくりでした。いろいろなところで国際理解ができて面白いです。 / Hidey ( 2001-10-03 13:29 )
大貧民は、我が家の定番のカードゲームです、しかしいつしか大喧嘩に発展する確率も高いです。 / akemi ( 2001-10-03 13:26 )
たまたまさん、元気になりましたか?全裸はたまたまさんが希望しない限りはなさそうです。 / Hidey ( 2001-10-03 12:34 )
↓くららさん、「年末っての早くの間違い」→「年末ってのは訳の間違い」 / Hidey ( 2001-10-03 12:34 )
Hideyさんの次が30歳以下ってことは、、、来年20代とおさらばする自分は他でMBAとりにいったほうがいいみたいですねー。幹事はいいけど、みんなにいじめられるのは、、、まあー、そのときはBBQじゃなくすき焼きパーティーでもやりまっか? / たまたま ( 2001-10-03 10:50 )
来年なにかの間違いで、Hideyさんの下の学年になりそちらにお世話になったら、、、と思うとぞっとしまーす。やっぱ、全裸になるとかさせられそー。 / たまたま ( 2001-10-03 10:47 )
りるりるさん、よだれ掛けをしたKristinaは、下にも書きましたがバブバブ言わされていました。最後にひとつ上の連中から世界地図(学生一人ひとりの出身地に小旗を立てる)と、各国の国旗を授かりました。さっそく教室に貼ってあります。 / Hidey ( 2001-10-03 04:46 )
makiさん、ようこそ!僕は26歳じゃないよー。個々の学生の平均年齢が26歳。でも、彼らに混じっていると、からだも心も若返ります!アメリカ人から見ると僕はどう見ても25歳以下なのだそうです。 / Hidey ( 2001-10-03 04:42 )
ナライフさん、長老なんです。うちの会社の選抜試験が確か既に30歳以上くらいを前提にしているので、その時点で既に長老です。会社の方針だから仕方がないけど。 / Hidey ( 2001-10-03 04:40 )
みかりんさん、僕もドキドキする年齢になりました。心が若ければ、それでいいのだ。みかりんさんは永遠の少女ですよ! / Hidey ( 2001-10-03 04:37 )
プルーさん、僕も経営者と決めたわけではないのですが、少なくとも体系が備わることを期待してがんばってます。ISは実は僕もこちらで最も学びたいテーマのひとつです。knowledge managementがずっと自分の中のテーマでした。日本では6000人弱の会社にいましたので、数的優位をleverageして質的優位に変換する経営プログラムを作りたいと思っています。普通の学校では理系の範疇の勉強になってしまいがちですが、ここでは純粋に経営的観点から斬ってくれると期待しています。 / Hidey ( 2001-10-03 04:36 )
りらさん、長老の仕事。。。くーっ、きつい。Psychologist gameは、ざっと言うと、誰かひとりを外に締め出して、その間にある決め事をして、外から戻ってきた人が質疑応答をすることでその決め事を当てる、というもの。結構ルールが複雑で、当たるまでには1時間半かかりました。その間ずっと彼はおちょくられて笑われつづけるという、ひとりだけまったく楽しめないゲームです。 / Hidey ( 2001-10-03 04:29 )
oggiさん、ちょっと勘違い。僕は35ですよ。66年3月生まれ。見た目は27〜8くらいなのですが。 / Hidey ( 2001-10-03 04:21 )
くららさん、ゴメンなさい、年末っての早くの間違いですね。year endということなので、学年の終わりの5月のことです。それでもまだちょっと肌寒そうですが。 / Hidey ( 2001-10-03 04:18 )
はらぽ〜ん、おかえりなさい。この学校は本当にパーティースクール。ここに来る目的の2、3番目は多分世界中のコネクションを作ることではないかしら。不純に聞こえるかもしれないけど、将来のビジネスのために来る場所なので当たり前なのかもしれません。 / Hidey ( 2001-10-03 04:17 )
ゆーさん、Kristinaは挨拶するとき「バブバブ」と言えとか、そんなことを言われてました。仕方ないからみんなを日本料理屋にでも連れてくか。。。 / Hidey ( 2001-10-03 04:14 )
ガス欠コインさん、宣誓の中では「グランパ」という言葉を使われました。sigh... / Hidey ( 2001-10-03 04:11 )
たらママさん、僕が35で、次の男は確か30を切っていたような気がします。そこまできちんと分かってしまうとさすがにちょっとショック。 / Hidey ( 2001-10-03 04:10 )
パンドラさん、楽しいです!どんなに勉強が辛くても、この友達がいれば全然大丈夫という気持ちになります。人のチカラってすごい。 / Hidey ( 2001-10-03 04:08 )
フィー子さん、見た目だと最年少と張ってるんですけどね。こちらではTシャツにジーパンなので、アメリカ人はおろか、日本人にも年下扱いされて、年齢を教えると相当びっくりされています。 / Hidey ( 2001-10-03 04:07 )
よだれかけをつけた彼女、何をされたのか気になります。(笑)どこでもこんな伝統芸ってあるんですよね〜。 / りるりる ( 2001-10-02 17:51 )
はじめまして!あらっ。あたしも26歳です( ̄▽ ̄)Σテヘッ♪ヨロシクです。あぁ、あたしが聞いてると羨ましく聞こえます、楽しそうな授業でいいなぁ。。。 / maki ( 2001-10-02 14:21 )
一番長老とは驚きました。でもこの儀式、なんか体育会的でいいですね。どっかの会社みたい・・・ / ナライフ ( 2001-10-02 09:24 )
楽しい時間ですね☆年のことになると。。わたくし、どきっ!としてしまいますぅううう。 / みかりん@笑ってごまかすぅ ( 2001-10-02 08:21 )
とても楽しそうな学生生活ですね。勉学は大変だろうと思いますが。。遠い昔、私もMBAを思った事がありましたが、経営者むきじゃない事が分かり、止めました。 / 昔ISを勉強しました@プルー ( 2001-10-02 05:20 )
長老のお仕事もがんばってくださいね。毎日お勉強でお忙しい中のこういう日って貴重なのでしょうね。・・・散々ひとりをコケにするゲーム、怖いけど興味津々! / りら ( 2001-10-01 23:37 )
↓しかもお名前に余計な[l]を入れてしまって、ごめんなさい。大変失礼しました。 / oggi@反省 ( 2001-10-01 21:50 )
え・・・Hidely様はお若かったのですね。30前半くらいの方かと思ってました。 / oggi ( 2001-10-01 21:49 )
楽しい週末をお過ごしのようですね!飲み会とバーベキューの幹事はかなりの重労働だわ。年末のBBQはまさか野外で凍えながらってことはないですよね?? / くらら ( 2001-10-01 14:21 )
しばらく読む時間がなかったので、み〜んなの話フォローしていくのに苦労してます。いくら読んでも追いつかない!でも、... それにしても、.... MBAってところは会食、飲み会、パーティーづくめですね。研究者生活とは正反対だな〜。ジョーク、サプライズも気が利いている。僕もサッカーチームの中では一番の長老です。でも歳には勝ちますよ。80までマラソンやるつもりだし! / はらぽ〜ん ( 2001-10-01 11:46 )
楽しいお話しでした〜。つい、笑っちゃう!ダントツの若者も、同じ約束をさせられたのですか? / ゆー ( 2001-10-01 10:36 )
長老なのに、挑戦しているところが凄いんじゃない?ねえ。でも、面白かった(笑)。 / ガス欠コイン ( 2001-09-30 22:47 )
ダントツの年寄りなんですか。週末はリラックスできましたか。それとも宿題漬けでしょうか。 / たらママ ( 2001-09-30 21:01 )
楽しそう〜^^ よかったね。凝縮された時間のなかで、こんなひと時があるとうれしいね。それにしても、飲み会楽し!は万国共通なのね♪ / パンドラ ( 2001-09-30 20:20 )
え?Hideyが長老だったの?見た目年齢で判断してほしいやね。 / フィー子 ( 2001-09-30 16:54 )

2001-09-30 小休止 1

金曜日は思いのほか学生らしい笑いに充ちた一日になった。

マーケティングの授業では、珍しくケースの読み込みがなく、ちょっとした演習だけだったので楽な授業になることは分かっていた。そんなこともあって、普段鋭いつっこみで知られる韓国人の女性の教授は、いきなり授業とはまったく関係のない、来月ボストンで行われるNFLの試合のチケットを2枚差し出した。

教授曰く、「…というプラチナチケットが2枚あるんだけど、ほしい人いる?」クラスのほとんどが挙手をする。「あなた達、私の性格分かってるわよね。それでもこのチケットがほしい?」挙手が半分に減る。僕もこの時点で手を下ろした。多分授業の進行上のたたき台として吊るし上げられるに違いない。「あら、ずいぶん勇気があるのね。もう一度聞くわ。本当に、このチケットがほしい?」3回くらい揺さぶりをかけられて、10人ほどの怖いもの知らずが残った。彼らは全員前に引っ張り出された。

「さて、そんなにこのチケットがほしいというなら、これからかける音楽にあわせてその気持ちを表現してもらいましょう。」クラス中が唸りをあげる。黒板の前に立つ10人ほどの連中は頭が真っ白になっていた。7人くらいがあえなく退散。ふたりの男子学生とひとりの女子学生がおどおどしながらも残ることになった。

場違いも甚だしいファンクミュージックが大音量でクラスに響いた。ひとり目のMattはいきなり教卓に飛び乗り、狂ったように踊りだし、そのままクラス中の机を飛び回った。ふたり目のWayneは韓国人の女の子Haleyを引っ張り出して、激しく腰を振る。最後にAndreaはwild and sexyなダンスを披露。結局Mattがチケットを勝ち取った。そのあとは極めて真剣なブランドに関する授業が続いた。

(次回へ続く)

先頭 表紙

peachさん、盆踊りでもしろと!?サマースクールでまだ楽だった頃は、毎週のようにクラブに行って踊ってました。もうそんなことしたら気絶して勉強できなそうです。 / Hidey ( 2001-10-03 04:49 )
パンドラさん、大学院の教授がここまでノリがいいというのはアメリカならではですね。サイコーのビジネスにも確かに役に立つかもしれません(?) / Hidey ( 2001-10-03 04:48 )
ご免なさい。。。お名前がヘンテコになっているわ。Hidey様、お許しくだされぇ〜〜。 / peach ( 2001-10-01 18:27 )
おぉ!アメリカで大切にされている?自己表現にて自己アピ〜ルと言うモノですね。我らがHeidy様にも是非とも!?トライして頂きたかったわ!!踊りは日舞か歌舞伎モノかしら!? / peach ( 2001-10-01 18:26 )
わあ!それは演劇でいうところのエチュード、かな?あれは羞恥心を捨てて表現に徹する、ってためなんだけど・・・・いやあ、何でもあり、って授業なのね(爆) サイコーのビジネスには必要なのかしら^^ / パンドラ ( 2001-09-30 20:14 )

2001-09-28 カレンに捧ぐ 2

(前回より)

多少なりとも大人になり、世の中を知り、新しい音楽を聴き、なぜカーペンターズが一時の熱狂的な人気にも関わらず評価が高くないかが分かるようになった。いみじくもそれはカレン自身が一番よく知っていたことなのだ。

混沌の60年代が終わり、ベトナム戦争への非難の声の高まりとともに、古き良きアメリカの価値観への回帰が叫ばれていた頃、象徴的にデビューしたのがカーペンターズだった。彼らは清く正しいアメリカの若者の理想像を負わされ、本人達、特に兄のリチャードはそれを利用することでスターダムに登り詰めていった。

大ヒット曲 “Superstar”の歌詞の中では、 “And I can hardly wait to sleep with you again.”という原曲の歌詞を “…hardly wait to be with you again.”と修正して歌っている。カレンの清純なイメージを壊さないためだ。

以後彼らは、決して耳を苛立たせず、爽やかで毒のない、新しい平和の時代を象徴する音楽を演奏し続けることを義務付けられる。 “Top of the World”、 “For All We Know”、 “Sing”など、気持ちよく流れても何も残らないようなヒット曲が量産されていく。 これにはカレン自身が一番不本意だった。しかし歯車は回り続けた。こうして彼女の悲劇が始まったのだ。

本当のカレンは、陽気だが控えめで、純粋に音楽を愛し、ドラムを叩きながら気持ちよく歌うのが好きな普通の女の子だった。しかし、敏腕プロデューサーでもあるリチャードは、カレンを前面に出すことが成功の鍵であることを認識する。クラシックにも通じ、音楽的才能においては自他ともに天才を認める彼にとっては皮肉な戦略だった。

リチャードは個人的なスランプに加え、世の中の脚光をカレンが一身に浴びている事実も重なり、不眠解消のために睡眠薬を多用する。こうして心身を病んでいったリチャードは、自分の均衡を保つために、最も近くにいたカレンに対して、自分がいかに音楽的才能に充ちており、カレンが遠く及ばないかを見せつけ、刷り込むことによって自らを癒す方法を取った。兄思いのカレンは、従順にその事実を受け止めたという。こうしてカレンは二人の成功の陰に潜んでいた毒性を一人体内に蓄積していった。

こうして何度も過食と拒食を繰り返し、カレンは衰弱していった。絶望の底から救ってくれた男性との結婚、程なく訪れた離婚。81年、痛々しいまでに痩せこけながらも、久々のヒットとなるアルバム “Made in America”を発表する。しかし、それが最後の花火だった。

評論家の評価がどうであろうと、どんなに虚構に押しつぶされた人生だろうと、唯一、誰にも否定できない価値がある。それはカレンの、類まれな、雄々しいまでの「声」だ。どんな凡曲も今なお人の心を打ち続けるのは、命を懸けて歌い上げた、誰にも真似のできないカレンの「声」が今なお息づいているからなのだ。

こんなドロドロした話を知らずに素直にカーペンターズを愛する方には嫌な思いをさせる文章だったかもしれない。だが、誰もがカレンの悲しい死は知っていると思う。なぜ、と思う方がいるとしたらその真実を知ってほしかった。

彼女の苦悩、悲劇に関係なく、今なお普遍的に高く評価できる作品は沢山ある。普遍的といいながらも結局は僕の主観に過ぎないが、最後にそんな曲を紹介して駄文を締めくくりたいと思う。

“All of My Life”
“Sometimes”
“Bless the Beasts and the Children”
“I Won’t Last a Day Without You”
“You”
そして、奇跡のアルバム、 “Horizon”に収められた名曲たち。

Karen, may you rest in peace.

先頭 表紙

あ〜もったいない。プロレスの本当の良さがわかるのは30過ぎからですぞ!(笑) / akemi ( 2001-10-03 19:22 )
烏丸さん、それは衝撃のひとことですね。何か超自然的な力がお子さんを通じて言葉を発したのでしょうか?「グリーンフーズ」、是非探してみます。それにしてもほんとに幅広い知識をお持ちですね。 / Hidey ( 2001-10-02 13:08 )
akemiさん、プロレスは小学校でかなりの勢いで惚れ込んで、一気に卒業してしまいました。ゴメンなさい。でも、おっしゃるように、何であれどっぷりとはまるものがあるということは人生を豊かにしますよね。 / Hidey ( 2001-10-02 13:04 )
なお,漫画家・山岸凉子の短編集『パエトーン』に収録された「グリーンフーズ」という作品が,カーペンターズとおぼしき兄妹ポップミュージシャンの葛藤と妹の拒食症,死にいたるまでを描いています。細部は明らかに実情と異なっていますが,もし機会がありましたらご一読ください。 / 烏丸 ( 2001-10-01 21:07 )
冗談なんてとんでもない!(以降は蛇足ですが)数年前,朝帰りして酒を飲みながらカーペンターズをかけておりましたら,当時3歳の長男が起きてきて「これ,なに?だれ?」,しばらくしてぽつりと「やさしいうただねぇ」。少々衝撃を受けました。3歳児にもいろいろあるでしょうが,「たべたい」「だっこ」「テレビ」程度の語彙しかなかった子供のセリフとも思えません。なんだか急に背中が重くなるような思いでした。 / 烏丸 ( 2001-10-01 21:07 )
多感な時代にあたしが出会ったものこそ【プロレス】です。今あたしは人生というリングの上でバンプ(受け身)を取りつつ、反撃のチャンスを窺っているのです!ニヤリ! / akemi ( 2001-09-30 20:25 )
たまたまさん、うらやましい限りです。勉強が忙しすぎて、ボストンの街中もろくに見ていません。先日のクインシーマーケットも始めていったくらいです。カナダ、楽しんできてください。 / Hidey ( 2001-09-30 15:51 )
フィー子さん、偉そうなことは言えないけれど、発音が変わるというよりは、よりsloppyな英語を話す人が増えているのだと思います。これはある世代の問題というよりは全社会的な問題かと思います。いついかなる時代にも同じような大きな溝があったのでしょうし。今思うと既に懐かしいのですが、サマースクールではアメリカ人の先生が、自虐的なまでにアメリカ人の発音の曖昧さを指摘していました。 / Hidey ( 2001-09-30 15:49 )
パンドラさん、おっしゃるとおり、彼らの真実とは関わりなく、我々の不確かな生活を今なお無条件に照らしてくれるのが、Karenの歌声なのだと思います。だんだん時代も混沌としつつありますが、我々の前世代を生き延びたこの世の至宝を、ずっと大切にしたいですね。 / Hidey ( 2001-09-30 14:34 )
プルーさん、この話はあまり語られていないはずです。カーペンターズに関する情報ソースはリチャードによって管理されていますし、いわゆるファンの人たちは、二人の醜い時代を知ってか知らずか鼻から無視していますから。そんなレベルを超えて、人間として彼女の魂をいつまでも称えたいと、心から思います。 / Hidey ( 2001-09-30 14:25 )
ガス欠コインさん、こちらこそ、若干年長でいらっしゃると思いますが、同世代の方の確かな視点の文章を読むことを無上の歓びとさせていただいています。あのイージーなメロディーラインに対して、あの、誰も難癖をつけられない絶対的な歌唱力。皮肉な物悲しさをかもしますね。j / Hidey ( 2001-09-30 14:20 )
ゆーさん、一度ひまじんのカレンシンパで集まってみたいものがありますね。大げさではなくて、ひまじんオフを楽しみながら、ちょっとカレンの声が聞こえてくるくらいの感じで。 / Hidey ( 2001-09-30 14:16 )
烏丸さん、ご冗談を。烏丸さんの文章は時々読まさせていただいています。多角的で、確かな裏づけがあり、誰にも媚びない文章が好きです。今後もしびれる評論を楽しみにしています。 / Hidey ( 2001-09-30 14:14 )
マイケルさん、ご無沙汰です。おっしゃるとおり、大好きなひまじんに拘束されないように、バランスを保ちながら投稿しようと思っています。現実逃避の方法論にはしたくないですから。今のところバランスの取れた生活をしていますので大丈夫。日本の生活はどうですか? / Hidey ( 2001-09-30 14:11 )
↓くららさま。 / Hidey ( 2001-09-30 14:09 )
なんだかんだ言いながら、確かにリチャードは天才だと思います。当時考えられたなかった録音のテクニック、限界までこだわった音質。でもそんなものを簡単にひっくり返すくらいの圧倒的なカレンのボーカルは、やはり原動力でしたね。彼女の生の声を聞くことができなかったのは、一生の心残りのひとつです。 / Hidey ( 2001-09-30 14:09 )
akemiさん、あの時代は何者にも変えがたいですよね。みんなそれぞれの癖があった。大人になるための縮図がちゃんとあったのでしょう。akemiさんにとってそれがどんなものだったのか、興味あります! / Hidey ( 2001-09-30 14:06 )
明日の朝から実は、ナイアガラとトロントに行きます。。もういきました??風邪早く治さないと、、、、 / たまたま ( 2001-09-29 12:54 )
素朴な疑問なんですが、カレンのような発音って今でもアメリカ人にとって理想的なのですか?現代のアメリカ英語に触れてどんな感想を持っているのか、そのへんの話もとーっても興味あるのでいつか書いてくださいな。 / フィー子 ( 2001-09-29 10:06 )
なんだか涙がでてきました・・・・カレンの悲しい話は知っていました。でも、どんな悲劇も、あのやさしい繊細な声が全て吹き飛ばしてしまうの・・・。変わらないやすらぎがいつだってある。きっとずうっと好きだよね。 / パンドラ ( 2001-09-29 07:52 )
昔、確かに何気なく聞いていた、カーペンターズ、カレンの中にそんな大変なことがあったなんて、また、Hideyさんに教わりました。有り難う。 / ダウンロードしてみる@プルー ( 2001-09-28 21:49 )
(続き)訃報を聞くまで、そんなことになっていることすら知らなかったと思います。そして、Hideyさんには遠く及びませんが、僕もカーペンターズを聞いて英語を覚えたのです。素晴らしい原稿、本当にありがとう。 / ガス欠コイン ( 2001-09-28 20:23 )
大体のことは知っていましたが、こうして文章で見ると、記憶が鮮やかに蘇ってきます。僕は、Beatlesのカバー、『Ticket to Ride』の3人称を変えて歌っているのが印象的でした。あなたと同世代の僕が初めて聞いたのもカーペンターズです。初めて聞いた時は、とても2人で歌ったものとは思えなかったのを覚えています。誕生日も一緒だった。 / ガス欠コイン ( 2001-09-28 20:23 )
次にカーペンターズを聞く時、少し、感じ方がかわるかもしれません。 / ゆー ( 2001-09-28 19:00 )
素晴らしい文章ですね。 / 烏丸 ( 2001-09-28 18:17 )
Hideyさん、遅ればせながら誕生日のメッセージありがとうございました。最近日記のペースが落ちている僕ですが、マイアミ時代のあの怒涛の更新ペースは何だったのだろう? と時々思います。Hideyさんも日々の勉強大変だと思いますけど、無理せずマイペースで更新してくださいね。これからも楽しみにしています。(ちなみにカーペンターズでは"Close to you"がお気に入りです) / マイケル ( 2001-09-28 17:48 )
中学校の頃カーペンターズファン!美しいメロディ、歌声、歌詞にはまりました。お亡くなりになった時、心の病の奥にあった問題まで知りませんでした。偉大な才能が悲しいわね。ちなみに彼らは青春時代をDowneyという町で過ごしましたが、ここから30分くらい南ののどかな町です。 / くらら ( 2001-09-28 15:26 )
多感な時期になにと出会うか…というのが、人生のその後に大きな影響を与えるのですよね。私が出会ったものはHideyさんとは違うけど、カレンの歌声がHideyさんに与えたものの大きさを感じることはできます。 / akemi ( 2001-09-28 15:23 )

2001-09-28 カレンに捧ぐ 1

パンドラさんの日記に触発されて、カレン・カーペンターについて書いてみたくなった。

出会いは中学時代、今をときめくパキスタンの、カラチ日本人学校に通っていた頃に遡る。当時うちの家にはテレビがなかった。パキスタンのテレビ放送が国営の1チャンネルしかなく、それも夕方5:00から、とても外国人にとっては心躍るとは言えない番組しか流さないからだ。そんなわけで、音楽が我が家の娯楽の中心になった。当時僕はご他聞に漏れずピンク・レディーやらゴダイゴやらを聴く普遍的な中学生だった。

さすがにテープの数にも限りがあって、だんだん、聴くともなしに聴いていた父親のテープに手が伸びるようになる。スタンダード、オールディーズが多い中で、唯一親近感の湧いたのが、もう既に世の中からは忘れられつつあったカーペンターズであった。

少年の好奇心はひとつのきっかけで無限に広がってゆく。まさに1曲聴くごとに新しい世界が開けていくようだった。なぜ今までこんな世界を知らないでいたのか。やがて好奇心は純粋に音楽を愛でる心に変わってゆく。カレンの、腹の底に響く重低音が、成熟した大人の女性のかすれた侘しさを、粘りのある力強さを、14歳の少年に仄めかしていた。

たった2本の海賊版のテープを擦り切れるほど聴いた。歌詞カードなど存在しなかったので、つたないヒアリング能力の限界まで聴き取った。かなり間違って聴いていた部分もあった。だから、1981年に高校受験で帰国したとき、本物のカーペンターズのアルバムを手にした僕の幸福は今思うにも健気なものがある。

小遣いが貯まるとLPレコードを1枚ずつ買った。時間を遡りながら、僕はカレンの声が紡ぎ出す物語を、一つひとつ汲み尽くしていった。どんなアルバムのどんな小曲ひとつもすべて歌詞を暗記した。リフレインのときの発声や発音の加減の細かい違い、息継ぎのタイミングもすべて脳の奥底に染み込んでいた。男子校に通う多感な高校生のことだ。僕はスピーカーに額をつけて目をつむり、カレンの圧倒的な声の中に入り込んだ。音が視覚化した。嵐に揺れる森林のように、夜を切り裂く激しい滝のように、カレンの声が瞳孔の奥に画像を結んだ。

不思議なことに、こうして僕は英語の発音を視覚的に学んだ。いつどこにいてもカレンの声の記憶が再生できたので、自分の発音との「ぶれ」を、視覚的な「隙間」として認識し、それを埋めることによって上達させていった。お陰で今でも発音だけは、アメリカ人からも誉められる。

そして、1983年2月4日が訪れた。僕は高校2年生で、その日は土曜日だったことをはっきり記憶している。先月の日記でも書いた現在スタンフォードに通う、当時は同級生だった親友が、朝6:00過ぎのFENのニュースで、カレンの死を知り、真っ先に僕にそのことを教えてくれた。32歳の、誰からも惜しまれる孤独な死だった。

“A Song for You”という歌がある。 “…And when my life is over, remember when we were together. We were alone and I was singing this song for you.” ひとりで部屋にこもって何度も何度もこの曲を聴いた。ひっそりと営んだカレンの葬式だった。

(次回へつづく)

先頭 表紙

フィー子さん、いまでもいつどこにいても彼女の発音が記憶中枢にちゃんと存在しているのです。でも発音ってやっぱり難しくて、何も考えずにベラベラ話していた大学時代と比べ、ここ何年かは、日本人というアイデンティティが精神的なつっかえ棒になって、敢えてヨーロッパ的な発音をしたり、もっとひどいときにはどこにも属さない発音をしたりしていました。どんどん英語を話すのが嫌になっていた時期でした。今はそんな気持ちは消滅しつつあります。この国の生活に組み込まれるということはやはり何物にも代えがたい経験を生みます。 / Hidey ( 2001-09-30 13:58 )
パンドラさん、まさにカレンに彩られた青春時代でした。当時好きだったのは、"Rainy Days and Mondays," "I Need to Be in Love," "Desperado," "Happy," "Solitaire," "I Believe You," "Maybe It's You," "Happy"というところです。 / Hidey ( 2001-09-30 13:46 )
「日本で英語を学んだ人間でHideyほど発音にこだわって完璧に習得した人を僕は知らない」ってフィー子夫から100回くらい聞いてます(笑)。でも音から入ったり耳から入ったり何かが細胞に訴えかける時ってわかる気がするなあ。それにしても最初に英語に惹きこまれた相手がカレンで本当によかったね♪ / フィー子 ( 2001-09-29 10:03 )
Hideyさまの熱い青春^^ カレンの声につつまれてしあわせだね。 / パンドラ ( 2001-09-29 07:53 )

2001-09-26 「いよいよ」本物

これまで何度も「いよいよ始まる」という趣旨の話を書いたような気がするが、先週は本当にいよいよ始まった一週間だった。

8月27日にはアメリカ人学生を交えて正式な授業がスタートしたのだが、始めの2週間はFoundationという小手調べ的な期間であった。大変多くのリーディングを要求されたが、経済学、現代資本主義、リーダーシップと倫理など、基礎的な学習であったことは否めない。

そして先週、「いよいよ」本物のMBAの授業が始まった。今学期の授業は、アカウンティング(会計)、ファイナンス(財務)、リーダーシップと組織行動(略してLEAD)、テクノロジー&オペレーション・マネジメント(TOM)、マーケティングである。ファイナンスは少し遅れてスタートするので、今のところ4教科をこなしている。

授業は月曜から金曜までで13コマ。1コマの授業時間は80分である。朝イチの授業は8:40からスタートだが、以前にも紹介した自主学習のスタディーグループがあるので、学校には7:30に着いて勉強している。

アカウンティングは実在の企業の事例を取り上げながら、財務諸表の管理の仕方の基本を学ぶ。大リーグの選手組合と球団側が、選手の給与等をバランスシートに記入する際、費用にするか負債にするかなど、細かい話で対立しているところ、調停者としてどのように会計を読むか等々。

LEADは、例えば新興の携帯電話事業者の若き地域マネージャーが、社内の複雑な人間関係のなかで、どのように効果的な経営をすべきか等。

TOMが結構厄介だ。例えば、東芝の青梅工場で、10人の作業員によって成り立つノートパソコンの生産ラインで、それぞれの作業員の作業工程、作業時間などの情報から、全体のリードタイム、サイクルタイム、作業効率などを導き出したりする。ガントチャートという面倒なチャートも登場して、まるで数学パズルのような授業である。しかもその計算式などはまったく事前に教わらないのだ。

マーケティングは、例えばゼロックスがコピー技術を利用して、簡単に製本できるような画期的な技術を開発したが、その技術を他企業にライセンスすべきか、それとも自社で活用して自ら製本業に参入すべきかの経営判断等。

どれをとっても、教授から体系的に理論を学んだりする授業は何ひとつない。先述の「ケース」と呼ばれる教材を読み込み、自分なりに課題に対する「答えのようなもの」を求めるのだ。

学校側はその意義をこう説明する。この学校の学生は究極的には経営者になるための勉強をするので、細かい理論を活用して単に正解・不正解を競うのは時間の無駄で、そもそもビジネスに唯一の正解などありえない。より大局的に、様々な経営的な要素を考慮した上で、どのような「判断」を下すか、それを授業中にあらゆるバックグラウンドを代表する仲間から学ぶ方がよほど大事だということである。

それにしても聞きしに勝る勉強量だ。アメリカ人ですら、目の下にクマを作って、大変だという。ただし彼らはパーティーやスポーツをこなした上でさらに勉強しているので大変なのであり、我々日本人は、すべてを捨てて勉強に集中しても、どうしても3時間睡眠になってしまう。

今日は珍しく宿題が少なく、20:00からクラスメートと7人でイタめしを食べてきた。これでもかというくらいアメリカ仕様のパスタだったが、今は自室で白ワインで口直し。

もはや何も考えまい。いつの日か終わりが来ることを信じて邁進するしかない。書いていても面白くない日記で恐縮だ。しかしこれが紛れもない今の僕の生活なのであり、自分のために一度だけ、こんな面白味のない話をを記しておきたいと思う。

先頭 表紙

しゃむさん、Executive MBAというのは、学校によってあるところないところあるのですが、中間管理職以上の忙しい人たちが、1年間のコンパクトなコースでビジネススクールの授業を受けるというコースです。平均年齢も、通常のMBAは27歳くらい、Executiveだときっと40近くだと思います。Executiveは、学校にとっても大事なコネクションなので、大変待遇がよいそうです。 / Hidey ( 2001-09-28 15:44 )
それこそ寝る間も惜しんで勉強した、という話しばかり聞いていたのでHideyさん余裕が感じられてすごいな、と思います。ExectiveMBAとMBAってどう違うのですか? / しゃむ ( 2001-09-28 04:41 )
おお、Harukiくん、いらっしゃいませ。いつもありがとうございます。ちょっと慣れたかな、と思ったらいきなり壁にぶち当たったり。色々大変です。10月に来るはずだった妻が、事情で11月になってしまい、ちょっと悲しいです。それまでは、ご迷惑お掛けしますが、また遊んでやってください。お大事にね。 / Hidey ( 2001-09-28 02:54 )
ガス欠コインさん、あらゆる国の、あらゆる産業の、あらゆる経営課題をリアルなままに集めた「ケース」。机上でありながら机上でない、しかも80人の職業経験をもつ世界中の学生達と超一流の教授によるコラボレーション。そんな「ケーススタディー」の唯一の欠点は、グループ学習の機会が少ないということです。世界的に大変評価の高いKelloggという学校は、うちとは対照的で、グループスタディーの権化といわれています。 / Hidey ( 2001-09-28 02:51 )
パンドラさん、おっしゃるとおり。特にビジネスリーダーの資質で一番大事なのは、visionary(夢想家)であることだといいます。書きたい絵がちゃんと頭の中にあって、絵の具や絵筆の使い方を学び、もっと言えば、職業画家を指揮してプロデュースする側に回る。夢がなければMBAなんて、何の役にも立たないのです。 / Hidey ( 2001-09-28 02:46 )
はらぽ〜ん、申し訳ないけど学生時代は文系も理系も関係なく、勉強はしませんでした。クラブ活動に没頭しすぎて。今つけが回ってきています。でも、ほんとに理系も文系も同じですよね。きみの場合は知れば知るほど文系なのか理系なのか分からないくらい、素晴らしいクロスオーバーだと思う。 / Hidey ( 2001-09-28 02:42 )
ナライフさん、勉強自体は本当に面白いですよ!ご存知のとおり、アウトプットばかりで身をすり減らして、インプットのない生活をしていたので、そういう意味では理想郷です。ただ、プレッシャーがね。。。発言すること、成績、本当に下手すると落第、などと考えると、ストレスたまるのです。ナライフさんも応募してみては?長期が無理なら短期でも。先日会社の後輩が見学に来てましたよ。 / Hidey ( 2001-09-28 02:40 )
浪花撫子さん、始めまして。友達づきあいは本当に大事にしています。どこの国の学生もこの学校に来る目的のひとつはネットワーキングだと考えているので、毎日そんな活動であふれています。パーティースクールの異名もあるくらい。なるべく参加したいのですが、勉強自体に追われて、平日はちょっとあきらめてます。 / Hidey ( 2001-09-28 02:36 )
アナイスさん、ありがとうございます。この学校の学生の平均年齢は26歳と聞いています。うちのセクション(クラス)でも僕が一番年長。でも若返った気分になって、嬉しいものです。脳みそが固まってきてるので計算とかが辛くなってるのが唯一の難点。 / Hidey ( 2001-09-28 02:34 )
みかりんさん、僕は日本でも気合で年末までは健康を保つほうなので、多分大丈夫。まわりはみんなゴホゴホ風邪ひいてるのですが。ワインは明日までお預けです! / Hidey ( 2001-09-28 02:32 )
たまたまさん、そうですね、あとから振り返ればとても充実している日々になると思います。今はまったくそんな余裕はないけど。見学の件、いつでもどうぞ。言ってもらえれば調整します。でもまずは風邪を治してくださいね。 / Hidey ( 2001-09-28 02:30 )
ゆーさん、そうですね。楽しいこともちゃんとあるし、勉強自体もプレッシャーさえかからなければ面白いので。がんばります! / Hidey ( 2001-09-28 02:28 )
reiさん、でもその努力があって今NYでご活躍なんですよね。勝手ですが目標にさせていただいています。実は英語さえもうちょっとできれば結構楽な授業なんですけどね。きちんと予習してディスカッションで気の利いたことをひとつふたつ言えばいいだけですから。 / Hidey ( 2001-09-28 02:27 )
たらママさん、オールドエコノミーにあっては、経験主義的な経営スタイルでも通用したのだと思います。日本の労働力は熟練を基本におくオールドエコノミーに適していたわけですから。社会構造の変化とニューエコノミーの到来で、あらゆる変化に対応できる、軸の定まった経営理論が求められてきている。それがない企業は「負け組」に回ってしまう。ようやく日本の管理職もそこに思い至っているのでしょうね。 / Hidey ( 2001-09-28 02:23 )
Hideyさん、いつも楽しく拝読させて頂いてます。いよいよ本チャンが始まりましたね。それなりに海外で生活してきた僕も、今回ばかりは苦労してます。ちょっと頑張りすぎたのか、週末に風邪を引いてここ数日は死んでました。健康にはくれぐれも気をつけて頑張りましょう。 / Haruki ( 2001-09-28 02:11 )
まさに、実践ですね。確かに机上の論理など、何の役にも立たないことが多いですもん。判断力も求められているような気がします。僕もパンドラさんのように、精一杯のエールを送らせていただきます。頑張って。 / ガス欠コイン ( 2001-09-27 22:34 )
「ビジネスに唯一の正解などありえない」!!思わず拍手してしまいました。ビジネスだって、夢だよね。最高のビジネスは、その夢で世界がしあわせになるような・・・そんなものじゃないかな、って思う。しんどいこともいっぱいのりこえるチカラが、絶えない夢を見るチカラになるのかな・・・その道を歩まれてるHideyさんに最大のエール!!カンパイ!! / パンドラ ( 2001-09-27 21:59 )
文系も理論、数式などをふんだんに使うんだね。学生時代ちゃんとやってましたか?(もちろんHideyのことだからぬかりはないと思うけど)。理系、文系とはあくまでも勉強の方向性を形式的に区別しただけで、実社会では両方の知識が要求される。されば、僕ももっと文系の知識、思考法を勉強しなければ、この社会では生きていけない。よし、めざすは、たまたまさんだ。 / はらぽ〜ん ( 2001-09-27 15:53 )
お疲れ様です。頑張って下さい。でも概要だけ聞くととても面白そうな授業ですね。聞くのとやるのとでは大違いなのでしょうが。 / ナライフ ( 2001-09-27 09:19 )
義理やしがらみなぞは米国経営には関係なさそうですね。勉強もさることながら、ご学友とのネットワークをぜひぜひ太くなされませ。 / 浪花撫子@安易怠惰でおます。 ( 2001-09-27 05:35 )
Hideyさん 同世代として、読んでいて嬉しい日記です。頑張ってください。 / アナイス ( 2001-09-27 02:06 )
頑張って下さい!睡眠不足で体調を崩さないよう、美味しいものを食べて、ワインでリラックスして下さいね☆ / みかりん ( 2001-09-26 21:24 )
なんか大変さが伝わるのに、それが楽しく思えてくる自分が恐い。もしかしてマゾかも、、、いつも喉元すぎると熱さ忘れるタイプなので、、、確かに忙しいときは辛かったけど、暇になると忙しいときが懐かしい。すごく充実した時間をおくっているHideyさんがうらやましい。近いうちに授業を傍聴しにいきたいです。みなさんによろしく。ゴホッ! / たまたま ( 2001-09-26 15:54 )
わき目もふらず、進むのみ!ですね。応援してます! / ゆー ( 2001-09-26 13:47 )
Hideyさん、読んでるだけでも疲れてしまうくらい大変な勉強量ですね。専門は違いますが、私も大学生の時プロジェクトの量が多くて睡眠時間があまりとれなかったので、大変さが手に取るように分かります。Hang in there! / rei ( 2001-09-26 13:37 )
某資格の勉強でFinancial Accountingの勉強しましたが、リース会計あたりからついて行けなくなりました(涙)。自分で判断し決断する力は確かにマネージメントレベルになると不可欠ですね。日本の教育って、こういう能力を養うのを避けてるんじゃないですか。もっともその方が企業にとっては自社の色に染まるから都合がいいんでしょうけど。管理職向けに管理職セミナーってのが結構繁盛してるらしいですよ。そういう判断能力を養ったことのない人が初めて目からウロコ状態で。 / たらママ ( 2001-09-26 13:27 )

2001-09-23 Fragments

Central Squareというところに住んでいる。ひとつ隣の、歴史的な街の佇まいがこの地を訪れる誰をもうっとりとさせるHarvard Squareとは趣が異なり、より現実的なエネルギーに充ち、雑多な民族の雑多な言葉が聞こえてくる。僕はこの街が好きだ。この国で何者かになろうとしている人たちの息吹がこの夜を越えて感じられるのだ。

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毎朝学校までの一本道を自転車で走る。学校の手前でCharles Riverを渡るのだけど、時々列をなして川を漂うカモの一群を探してしまう。5月に妻とこの地を訪れたとき、河畔に生まれたばかりの子ガモたちが親ガモのまわりでさえずっていた。同じカモたちではないかもしれないけれど。

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数年前までは、世界中の嫌な奴を集めたようなイメージがあったこの学校だが、世界中の、希望に満ちた素晴らしい若者を一堂に会した学校であることを確信している。35年生きていれば、もう充分というくらいの出会いはそれなりにある。でもこの学校は僕をそんなところにとどめておかない。彼らと出会うことが運命によって決まっていたのだと思うと、「見えざる力」に感謝せずにはいられない。

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日本ではあんなに探すのに苦労をしたハーブの数々が、どこのgroceryでも手に入る。プッタネスカをつくるにも、生のオレガノがあるのはとても嬉しい。

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週末の幸せの象徴はスパゲッティ・アレ・ボンゴレ。今日もボストンならではの大ぶりのアサリを買ってきた。日本ならハマグリというくらいの大きさだ。根性が座っていて、オリーブオイルと白ワインでぐつぐつやってもなかなか口を開けない。僕の好みで唐辛子を多めに入れてしまうのだが、アサリの身になるとちょっとつらいのかも。

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休日も早起きの僕は、なるべく朝イチで勉強をするようにしている。勤勉なわけではない。夜に気持ちよくワインを飲んで日記を書きたいからだ。気がそぞろになるのをじっとこらえて、パソコンを封印。今はご褒美にこの日記を書いている。Pouilly Fuisseが癖のある甘味を舌の上に残す。自由に自分を表現できる言語で自分を解放できる嬉しさ。アストラッド・ジルベルトの若かりし頃の歌声が心地よい。

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たった一人の夜が僕は好きだ。この街の静寂の中に、言葉にならない言葉でひそやかに語りかける。「明日」は希望と不安とを公平に半分ずつ抱いてやってくる。どちらを選ぶかは自分次第だ。こんなところにいなければ、希望だけを巧みに選んで「明日」をたぐり寄せるくらいのことはできる。でも僕はこの場所を選んだのだ。静寂の中で、誰にも聞こえない、できうる限りの真摯な言葉を、僕は夜に向かって語りかけるのだ。

先頭 表紙

はらぽ〜ん、復活おめでとう。大変だと思うけど、光太朗君のためにも記録を残してあげてください。 / Hidey ( 2001-09-28 02:56 )
ぼそっと一言、ひまじん見る時間も無い... / はらぽ〜ん ( 2001-09-26 11:53 )
↓Toナライフさん / Hidey ( 2001-09-25 13:28 )
僕も日本にいたときはボンゴレ&白ワイン&セリエA(スカパーよん)の儀式が毎週日曜夜に執り行われ、そのせいで月曜の朝はたいてい二日酔いでした。遅刻も大体月曜日。貝の気持ちになるのはちょっとつらいけど、あのパカっと開くのって見事ですよね。別に開かない生き物でもよかった気もするのですが、律儀に開いてしまう。愛い奴、と思ってしまいます。 / Hidey ( 2001-09-25 13:27 )
僕もボンゴレもワインも好きです。晩晩も妻就寝後、1人でワインを飲んだのはいいのですが、飲み過ぎたようで今朝は気分が悪かったです。そんな時に料理すると貝の気持ちになれるのでしょうか? / ナライフ ( 2001-09-25 10:43 )
プルーさん、そんな、とってもおこがましいです。村上春樹はとても好きな作家ですが、文章が影響受けてる自覚はあまりないです。昔から僕も社会化しない人間だったので、その辺の感覚がどうしても似てきてしまうのかもしれません。彼の比喩にはいつも唸らされますよね。でも彼も「国境の南…」以降、年齢のせいか表現が落ち着いてきてますよね。僕は昔のほうが好きなのですが。 / Hidey ( 2001-09-25 06:17 )
たらママさん、どういたしまして。今度はマグロのグリルなんぞ作ってみたいと思ってます。ほんと、昔はいざ知らず、日本人もアメリカ人も地に足ついてますね。不確実な時代の中、自分だけが頼りだと皆思っているのだと思います。 / Hidey ( 2001-09-25 06:10 )
TAKEさん、お互いがんばりましょー!僕も皆さんの日記に本当に励まされてます。逃げることはできませんよね。 / Hidey ( 2001-09-25 06:08 )
りりさん、そんなかっこいいもんじゃないんですよ。ほんとに。昔イタリアに長く行ったことがあってからパスタだけは自分でつくるようになって、お酒は大好きで、確かに間接照明にこったりボサを聞いて気持ちよくなったりするけど、横で見てる妻にはいつもバカにされています。 / Hidey ( 2001-09-25 06:07 )
フィー子さん、僕も自分で笑っちゃいます。お酒の勢いって恐いよね。フィー子さんは僕のことよく知ってるだけに、笑ってしまうよね。アサリは最後まで口を開かないのが2個あったので、隣でパスタをゆでてた鍋にぶち込んだらちゃんと開きました。 / Hidey ( 2001-09-25 06:04 )
たまたまさん、お大事に!ちょっとやっぱり余裕がなくてなかなかお会いできませんが、絶対そのうちまたやりましょう。はらぽ〜んも落ち着いたら是非光太朗くんに会いたいね! / Hidey ( 2001-09-25 06:00 )
ガス欠コインさん、ひゃー、お恥ずかしい。僕はガス欠コインさんの文章こそ味わいがあって大好きなのですが。 / Hidey ( 2001-09-25 05:58 )
ゆーさん、そういっていただけると嬉しいのですが、自分で未熟なところはよーく分かっているので、ほんとに穴に入りたい思いです。でも、おカタイ話が続いたので、ちょっとやわらかく書きたかったというのは事実。 / Hidey ( 2001-09-25 05:56 )
akemiさん、アナイスさんにも書いたけど、酔った勢いなんですよー。断片的に思ったことを書きたいとは思ってたんだけど、こんなに叙情的になるとは思いませんでした。トホホ。 / Hidey ( 2001-09-25 05:54 )
アナイスさん、はじめまして。ちょっとオイルが多くなるのは気になるので、始めに使ったオイルだけで乳化させるようにしてます。ロマンチストっつーか、この日は酔っ払って書いてたので後から読んでこっぱずかしくなってしまったのですが。 / Hidey ( 2001-09-25 05:53 )
みかりんさん、飲みすぎるとちょっと朝に差し支えるので、ワインを1本空けたら後は控えるようにしてます。 / Hidey ( 2001-09-25 05:50 )
ぴぴさん、我ながらおいしかったですよ!やっぱり自分の味付けってありますもんね。まあ自分で作ったことによる身びいきが一番の調味料なんだけど。 / Hidey ( 2001-09-25 05:49 )
パンドラさん、至福を至福と感じられるためにも努力は欠かせません。中途半端なのが一番いけないですものね。 / Hidey ( 2001-09-25 05:48 )
reiさん、昨日もちょっと歩きながらPearlという店を探してみたんですが、わかりませんでした。機会があったら教えてください。 / Hidey ( 2001-09-25 05:47 )
村上春樹のエッセーを読んでるみたいで、素敵な文章ですね。Hideyさんは、ボンゴレで、私はボロネーゼでした。ワインは、ナパで購入した、カルベネ。まだそんなに涼しくないけど、なんだか、赤が飲みたかったので。 / プルー ( 2001-09-24 23:12 )
お祝いコメントありがとうございました。東海岸ならではのシーフードの充実なんでしょうね。日本もアメリカもバブルが崩壊して、地に足ついた人たちが真剣に勉強していることと思います。 / たらママ ( 2001-09-24 22:43 )
いろんな出会いと、自分と向き合える時間、どれもとても貴重なものですよね。そんなHideyさんの日記に刺激されつつ、オイラもここで頑張ることにします^^ / TAKE ( 2001-09-24 21:56 )
白ワインとボサノヴァなんて、ハルキストそのものですね。プイィ・フュイッセも大人な感じ。私はついつい飲みやすいPouilly‐FumeやSancerreを飲んでしまう、お子様です…。 / りり ( 2001-09-24 14:59 )
どっひょー。この文章で笑ってしまうのはきっと私だけね。きゃー、殴らないで〜(+_+)。お気に入りの部分はアサリの身になったところ。そういうふうに考えてるHideyを知れたことは、日記ならではだなあ。 / フィー子 ( 2001-09-24 14:14 )
ちょっと体調不良と疲れで日記をお休みしています。土曜日、貴大学の前を通りました。なんかボストンに変なうわさがいっぱい流れて嫌な感じですね。次回お会いできるのを楽しみにしています。はらぽ〜んさんとは3回会いました。。 / たまたま ( 2001-09-24 11:46 )
う〜ん、やっていることも文章もカッコいい。期待も不安も何もなかった、遠い昔が懐かしい気もするのが僕です。 / ガス欠コイン ( 2001-09-24 04:24 )
Hidey様の文章大好きです。夜のお気に入りの時間をここで少しわけていただけて光栄です。私も毎朝、PC開けたくてはやる気持ちを抑えつつ、掃除・洗濯を済ませています! / ゆー ( 2001-09-23 23:02 )
御褒美日記の最後の数行が、めちゃめちゃカッコイイです。言葉の魔術師?いや、全然イヤミじゃなしにハイソ(今使うかな?この言葉)な感じ。あたくしの日記…下町仕様となっておりますの。。 / akemi ( 2001-09-23 21:23 )
Hideyさん、ロマンチストですね。あさりが開いておつゆが出てきたら、オリーブオイルを足してパンの中で混ぜあわせると、乳化しておいしいです! / アナイス ハルキのお話し、よろしく。 ( 2001-09-23 20:42 )
頑張った夜のご褒美。。こころが安らぐ時間ですね。。不安も和らいでくれるはずです。。 / みかりん ( 2001-09-23 20:00 )
おいしそー。今、おなかがすいてて、食べ物に関するものにばかり目がとまっちゃう。 / ぴぴ ( 2001-09-23 18:17 )
夜の至福の時間ですね・・・お気に入りのものを丁寧に味わいながら、自分が選び取った時間を愛でるひととき。今Bostonはきっと朝、また新しい1ページを全力で埋め尽くされるのですね。・・・がんばってください! / パンドラ ( 2001-09-23 17:55 )
Central Sq.はボストンの中でも個性的な場所ですよね。昔は治安も悪かったけど、今は感じが少し変わったみたい。Pearlというお店、大好きでよく通っていました。 / rei ( 2001-09-23 15:26 )

2001-09-20 Japan as No.1 〜我々の責任 2

(前回よりつづき)

この頃既にアメリカの自動車市場は、GM、フォード、クライスラーの、いわゆる「ビッグスリー」によって占有されており、3社は、互いに立場を守りあいながら新規参入者を阻んでいた。しかし、この姿勢がのちに大きな災いを呼ぶである。

ビッグスリーは事実上カルテル的な関係を持ち合い、さしたる激しい競争もせず、結果、肝心の製品の性能の開発がおろそかになる。エアコン、ステレオなどのアメニティ寄りの機能以外は、1930年代以来、アメリカのメーカーから画期的な新機能は生まれない。この間日本では、アメリカとは対照的に、トヨタ、日産、ホンダをはじめとする、数多くのメーカーがシェア争いにしのぎを削り、まさに命をかけた性能向上合戦を繰り広げていた。

だから、1973年、オイルショックの打撃を受けたばかりのアメリカが、トヨタの再挑戦を受けたときの衝撃を、当時のフォードの役員はこう表現している。「当時デトロイト(アメリカの自動車産業の中心)は、ビッグスリーにとって、郊外の会員専用テニスコートのようだった。そこにある日、世界のトップテニスプロが、日本人のプロ選手が、コートに降り立ったんだ」思わず教科書を読みながら鳥肌が立った。

それからの「世界のトヨタ」を中心にした日本メーカーの躍進は誰もが知るところである。1980年、日本からの輸入車はアメリカの自動車の20%を占め、これはアメリカのおける輸入車のうち、実に67%に相当した。GMは1921年以来初めての赤字決算を経験。他の2社もそれぞれにキャッシュを失う。そして何より、日本は自動車製造台数で世界のトップに立つのだ。

こうした成功がいかなる日本的な「犠牲」の上に成り立っているかはよく分かっている。「追いつき追い越せ」を旗印にした50〜60年代の盲目的な経済偏重路線が、現代の病的なまでの社会の根底にあることは、肌身に染みて知っている。しかし、我々の文化の奥底にしっかりと根付く、勤勉、献身、努力、知恵が、測定可能な形で今なお世界の評価に値するという事実は、身を震わすに足るものだった。

良くも悪くも、この時代を生きた先達に対しては単純な評価は下せない。正負を超えた絶対値としてのエネルギーにはただ敬服するしかない。戦後という時代をくぐった人たちには、平和ボケした今の日本に生まれ育った自分は、一生太刀打ちできないと思う。

だからこそ、我々には責任がある。なぜなら、彼らの成功に潜んでいた失敗を我々はよく知っているからだ。改めて我々が今どこにいるのか、何をすべきなのかを考えさせられただけでも、僕にとってこの授業は非常に価値ある授業となった。

先頭 表紙

読みました。驚きました。パーっと、相関図が出来あがりました。 / ナライフ ( 2001-09-26 09:31 )
ガス欠コインさん、あらためて、自分達の世代の責任を感じますよね。でも、この日記を通じてたくさんの方の話を読むことは、均衡を保つのにとても役に立っているような気がします。これからもよろしく。 / Hidey ( 2001-09-23 13:28 )
ナライフさん、フィー子さんもつっこんでくれてますが、僕の過去の日記の「スタンフォードの親友宅にて」というのを見ていただくと、「彼」の近況がより分かるかもしれません。日記にも書きましたが、「彼」とは高校時代から切っても切れない間柄なのです。 / Hidey ( 2001-09-23 13:25 )
フィー子さん、ほんとに親には一生かなわない部分があるよね。うちの親が今の僕の歳の頃、僕は既に10歳だったんだと思うと、そして当時の両親のことを思うと、良くも悪くも若僧のままの自分におののくことがあります。 / Hidey ( 2001-09-23 13:22 )
たらママさん、GMは辛うじて日本的経営に似通っている部分があるそうです。社歌を歌っちゃったりなんかして。授業中バカ受けでしたが。トヨタの場合は、日産と違って田舎にベースがあったことが、GHQの厳しい処分を遠ざけ、田舎ならではの企業への恭順を生み、現実的に、リーズナブルな地価、隣接して建てられた関連会社との交通の便を享受するなど、様々な地の利を生んだそうです。 / Hidey ( 2001-09-23 13:19 )
akemiさん、そうですね。さしあたって親には頭が上がらない。でも親の世代のようにはならないように密かに思ってしまうのです。 / Hidey ( 2001-09-23 13:13 )
ゆーさん、西欧でも穿った見方をする人は、トヨタの奇跡ですら、経済的なポテンシャルのあった国が単に先進国に「追いついた」に過ぎないという言い方をしています。でも本当に日本をよく知る人は、西欧的な方法論に対し、日本文化的なエッセンスを加えて、密やかながら独創性を培ってきた日本型ビジネスを、敬意を持って認識してくれています。 / Hidey ( 2001-09-23 13:11 )
ナライフさん、Hideyの「20年来の恋人をたずねて1」の冒頭に出てくるスタンフォードに通う友人、これがあの人なのですよ(笑)。 / フィー子 ( 2001-09-22 12:17 )
でも取り戻した後、何かが狂っていった。幸せを犠牲にしてまで打ち込んだ人も多いのでしょう。もちろん、創ることが幸せだった人もいるだろうけど、家族も含めて。 / ガス欠コイン ( 2001-09-21 23:20 )
僕もその時代を生きた訳じゃないからわかりませんが、最初は何もかもなくなった所から、創り出すことに夢と希望を抱いていたんだと思う。 / ガス欠コイン ( 2001-09-21 23:16 )
ゲッ!! ま、まじですか? / ナライフ ( 2001-09-21 16:45 )
ハイディもそうだと思うけどほんと親の世代の働きぶりってのは尊敬しますよね。男も女もきちんと役割分担があって働くことに疑問さえ抱かなかった人々が多かったような。これだけ選択肢が増えてしまったこれからの時代を日本人はどう生きていくべきなんでしょうね。あれ?経済の話なのにズレてしまいそう(^_^;)。 / フィー子 ( 2001-09-21 15:04 )
終身雇用・年功序列・社宅を供給して、従業員の定着率を上げて忠誠心を確保する・・・アメリカの企業にはなかなかないビジネスモデルじゃないでしょうか。競争のない所に品質向上はありませんね。でも成功しすぎると、95年の日米自動車交渉みたいに不愉快な制限に巻き込まれていきますね。 / たらママ ( 2001-09-21 00:26 )
居ながらにして、学ばせていただける!というのもなかなか画期的です。ほんとに、親のちょっと上の世代からこっち、のバイタリティーはすごかった! / akemi ( 2001-09-21 00:07 )
小学校の社会の授業で日本は資源が乏しいから「加工貿易」に頼ってるって習った時、日本て何も無い国なんだあ〜なんて幼心に思ったのを鮮明に覚えています。だからこそ、かわりに世界に誇れる、知恵・努力・勤勉さがあるっていうのに!でも、これから先はどうなんだろ?学生の学力低下とかいわれてるし・・・。 / ゆー ( 2001-09-20 21:18 )
ナライフさん、時々読ませていただいてました。実は同じ会社だって知ってた?僕はフィー子さんから聞いて知ってたけど。 / Hidey ( 2001-09-20 15:29 )
大変勉強になります。トヨタのパワーは凄まじいものがあります。トヨタと仕事をしたことがありますが、感心しっぱなしでした。 / ナライフ ( 2001-09-20 15:22 )

2001-09-20 Japan as No.1 〜我々の責任 1

先日ウェッジウッドの話で紹介した現代資本主義(Creating Modern Capitalism)という授業で、最後に日本型ビジネスに関して紹介したのでちょっと紹介しておこう。

日本シリーズの1回目では、日本型ビジネスの成り立ちと、世界に冠たるトヨタのサクセスストーリーを学んだ。皆さんよくご存知の話が多いので、くどくど書かず、印象に残った部分だけ記しておく。

うちの教授が書いた本をベースに授業を進めるのだが、鎖国、明治維新、二つの大戦、戦後、終身雇用制、学歴社会と、非常に正確に日本を分析していながら、どうしても文化的な側面が若干足りていない部分は否めない。この日の授業では10回くらい発言させられたのだが、そもそもは中国発の儒教が日本的な封建主義に形を変え、それが戦時中から現代に至るまで随所で影響力を発揮しているのだという趣旨の話を、事例を混ぜながら発言しておいた。

トヨタのサクセスストーリーをアメリカのビジネススクールで学ぶのは、単純に痛快である。「ジャストインタイム」、「かんばん方式」など、教科書も色々な逸話からトヨタの成功の鍵を探るのだが、やはり日本人学生にとってもっとも心躍るのはアメリカの自動車メーカーとの闘いだ。

日本市場では保護主義政策に助けられながらも確固たる地位を得たトヨタは、1958年、いよいよ世界の自動車産業の中心、アメリカのマーケットに挑む。結果は惨憺たるものであった。自慢のクラウンは100km/hを越すとガタガタ揺れ、また、オーバーヒートも問題になった。アメリカ人は日本車を指して「走る棺桶」と称する。1960年、トヨタはアメリカへの出荷を断念する。

(次回へつづく)

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