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Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-08-28 恩師との再会 2
2001-08-27 恩師との再会 1
2001-08-26 公開!これが20年来の恋人です
2001-08-25 いよいよ始まる
2001-08-24 ボストンの奇跡
2001-08-23 カレーのお話
2001-08-22 故郷を訪ねて100マイル 3 「Dadの回顧録」
2001-08-21 故郷を訪ねて100マイル 2 「家族の食卓」
2001-08-21 故郷を訪ねて100マイル 1 「再会」
2001-08-17 スタンフォードの親友宅にて


2001-08-28 恩師との再会 2

(前回よりつづき)

カラチから帰国後、数年間の明石での勤務を挟み、彼は再び海外へ赴いた。今度は先進国アメリカはデトロイトの日本人補習校に、校長として赴任。先進国とは言え、逆にそれが災いして日本的な教育は難しさを増す。せっかくアメリカにいるのだからと、現地校に通うのが当たり前になり、それでも国語をはじめとする日本の教育を施そうとなると、子供たちは現地校に加えて、毎週土曜日に数時間、補習校に通うことになるのだ。外務省の扱いや補助金なども、全日制の日本人学校に比べはるかに劣ることになる。週1日の授業という時間的制約により、必然的に宿題に頼らざるを得なくなり、子供たちの負担も増してしまう。

校長という立場から、直接教鞭を執ることができなかった彼は、もどかしさを感じながらも、まずは子供たちひとりひとりと交流することから始める。今度は幼稚園から高校まで合計800人以上。全員の名前を覚えるのは不可能だ。せめてもと、彼は子供たちが下校する際、ひとりずつ握手ををして一言声をかける。現地校での勉強だけでも手一杯の子供たちが積極的に日本の教育を学ぶためには、まず補修校というコミュニティを好きになってもらうことから始めなくてはならない。

彼は持ち前のイベント好きを生かし、次々と新しい行事を創っていく。また、親からの教育相談などを一手に受け付ける「よろず相談室」を設置。何のことはない、彼の家に一本余計に電話を引いて、あらゆる相談を受けるのである。子供の悩み解消も大事だが、図らずも大人までもがこうして彼の熱意にほだされ、引き込まれていった。

公費があてにならなければ、企業を味方につけるしかない。日本人補修校において、企業との関係というのは斯くも大事なものだが、彼は親たちと同じだけの愛情を生徒に注ぐことによって、自然発生的なサポートを得ることができた。

(次回につづく)

先頭 表紙

おや、こんなところに。 / Hidey ( 2001-08-30 14:22 )
やっほ〜。ここはつっこみ僕一人。天涯孤独なはらぽ〜んであった。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-30 10:27 )

2001-08-27 恩師との再会 1

生涯の恩師がこのほどボストンを訪問、昨日は彼と一日行動をともにした。全国海外子女教育国際理解教育研究協議会の事務局長という立場で、かつて彼が校長を勤めたデトロイトの日本人補習校をはじめ、バッファロー、ボストン、ニューヨークの補習校を視察することが目的だった。その重要性は後述することにする。

彼との出会いは1978年に遡る。僕は中学3年間のほぼすべてをパキスタンのカラチで過ごした。僕が通った日本人学校は、小中学校あわせて児童・生徒数が約35人。それに対し教師は6人。そのうちのひとりが彼だった。

日本では小学校で教えていたが、カラチでは小学3年生以上の国語の担当を受け持った。僕が中学2年のときは担任をしてもらったこともある。

彼の国語の授業は、魂を揺さぶる授業だった。国語を国語としてのみ教えることなく、「生きること」の授業として教えてくれた。情熱的な語りは、物語が教材であることを忘れさせ、ほんの中学生の我々の人生にも関わる、人間の生き方の問題を我々に突きつけた。彼の授業の後は、嵐が過ぎ去ったような激しさの余韻があったり、心に新しい灯がともることがあったり、敗北感に頭を抱えさせられたりすることもあった。

彼は、ともすると母国語が不自由になりがちの我々に、ひたすら「書く」ことを強いた。一日一句の俳句、週に一首の短歌、一篇の詩、一本のエッセイ。特に詩については、「詩大賞」と称し、我々7人の中学生の詩を、作者の名を明かさずに朗読、自分の作品も含め、最もよかったと思う詩に投票させる。4票以上獲得したら「詩大賞」となり、受賞者は彼の家に一泊ご招待となる。それは生徒にとって最高の賞品だった。

詩なんて、俳句なんてと、はじめこそ毛嫌いして抵抗を試みるのだが、一度自己表現の喜びを覚えた多感な年頃の子供たちは、次々と恥ずかしげもなく若い感性を日本語に託していくようになる。

彼は子供たちの作品からよいものを選び、手書きでガリ版刷りの新聞に掲載する。新聞は3〜4日に一号のペースで発行され、全校生徒に配布された。新聞に自分の作品を見つけることは、何よりも嬉しく、誇らしいことだった。新聞は彼が明石で教鞭を執っていたときから続いており、カラチで300、400、500号を迎えた。そのたびに彼は生徒や親たちを自宅に招き、すべて自費でパーティーを開いた。

昼休みには小学3年生から中学3年生までを一堂に集め、器楽合奏の練習をさせた。扱ったことのないような楽器を課せられることもたびたびだった。2〜3週間くらいかけてひとつの作品を仕上げる。はじめはぎこちない演奏が日に日に仕上がってゆき、25人がひとつの音を作り上げていく感激は、多くの子供たちにとって初めて知るものだった。

誰かが帰国するときは、テープレコーダーを抱えて全校生徒を一人ひとりをたずね、メッセージを録音したテープを編集して手渡した。

彼が、日本語の美しさ、芸術の豊かさ、人と何かを作ることの大切さ、友情のかけがえのなさを教えたかったことは、今ならよく分かる。そして、彼はそれを子供たち自らの手で学ばせる方法を採った。彼は常に仕組みを作るだけだった。しかし、それには大変な苦労と献身を要したと思う。

帰国子女は帰国後、周囲の心ないひとことふたことから、海外での特異な経験を恥とし、周囲に同化する努力をしてしまうことがある。しかし、我々はそうではなかった。彼のもとで学んだことは恥じるようなことでは決してなく、むしろ一生誇りにしていくべきものだった。

彼は、そのような種を、新しい出会いの中で、次々と撒いていくのだった。
(次回へつづく)

先頭 表紙

「日本語が好き」っていう気持ち、すっごくわかります!公平に見ても、同じ言葉でこれだけニュアンスを変えられる言語って少ないと思います。あややさんの日記の文章を読んで、ずっとそんなことを痛切に感じていました。僕はあややさんの言葉の操り方、ニュアンスの一貫性がすっごく好きです。技巧だけじゃなくて、文章ってほんとに人間性が出るもんね。こわいこわい。 / Hidey ( 2001-09-01 21:24 )
4まで読んでから突っ込もうと思ったのに、耐えられず突っ込ませていただきます。私、『日本語』が大すきなんです。いきなりですが。Hideyさんの恩師の方のような方が私にもいて、その方に人生学んだ、って感じです。 / あやや ( 2001-08-30 22:38 )
サンキューはらぽ〜ん。たまたまさん、そういうことです。ドライヤーやシェーバーは、マルチ電圧対応のものがあるので、長期的に考えれば買ってしまってもいいかも。いちいち変圧器かますのもめんどいし。テレビやビデオが規格が違うことはご存知ですよね? / Hidey ( 2001-08-28 11:21 )
↓100Vのトランスはアメリカでは手に入りにくいし、手に入ったとしても成田で買うより高いですよ、きっと。容量の十分なものを秋葉原や各地のカメラ屋量販店などで手に入れておいた方がいいと思います。だけど、こっちは115V, 50Hz、コンセントの形状は同じ、だから日本のものがそのまま使えるものもたくさんあります。詳しくはたまたまさ〜んの方にフォローしておきました。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-28 11:16 )
はらぽ〜んさんにも質問したのですが、今週の土曜日に出国です。それで、日本で使っている100ボルトの電源(コンタクトの煮沸機、ドライヤー、シェーバーなどの充電器)など買っていこうか迷っています。そちらでも安価で手に入りますか?成田空港だと高価らしい。どんなのがいいのかな?基本的にはプラグ(フィッティング)はいっしょですよね。。 / たまたま ( 2001-08-28 10:16 )
みかりんさん、今会っても何気ない一言が心の底まで響く人なんです。全然難しいことは言わないんですけど、すべての熱い言葉が、真実の言葉なのです。それって何にも増して強いですよね。 / Hidey ( 2001-08-28 10:14 )
Emikoさん、ちょっと美化して書いてしまったけど、実はとっても三枚目の先生なんです。それだけに、ひとたび真面目な話になると、大人の男の強さ、大きさが感じられるんですけど。 / Hidey ( 2001-08-28 10:10 )
たまたまさん、カラチは普通はいいとことは言わないです。でも、本当にいいとこと思ってくださる人は、ものが見えてる人だと思います。 / Hidey ( 2001-08-28 10:07 )
フィー子さん、大学時代まで詩はコンスタントに書いていたんです。とても人様に見せられるようなものではなかったけど。子育てについては昔からまったく同じことを考えていました。そのうち、そのうち。 / Hidey ( 2001-08-28 10:06 )
はらぽ〜ん、不思議なことに、あと2年でであったときの先生の歳に追いつくんだよね。ちょっとプレッシャー / Hidey ( 2001-08-28 10:05 )
感動的ですね。。心に残る「言葉」を教えてくれた先生って。。いつまでも忘れられないですね。。 / みかりん ( 2001-08-28 05:03 )
恩師の先生の熱心な授業のお話に思わず鳥肌立っちゃいました。 / Emiko ( 2001-08-27 23:51 )
おひさしぶりです。ちょっと野暮用で、 カラチにはうちのお店があり、駐在しているひと知っています。いいとこらしいけど、、、でも、いつも海外にいて羨ましい!!! / たまたま ( 2001-08-27 16:54 )
一生懸命詩や俳句を考えて、どきどきしながら先生の朗読を聞いているHidey少年が目に浮かぶようです。だいぶ忘れかかったピュアな気持ちを大人になるともう一度自分の子供から思い出させてもらえるって素晴らしい体験ですよね。そういう意味でも子育てってほんとにエキサイティングな仕事ですよね。 / フィー子 ( 2001-08-27 15:32 )
羨ましいな。感動的な師匠との交わり。異国の地で不安を抱えた子供を親身に色々なことを教えてくれる先生は、母国の先生より尊く見える。僕もアメリカでの小学校最初の先生はいい先生だった。今でも感謝してるけど、残念ながら音信はない。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-27 15:04 )

2001-08-26 公開!これが20年来の恋人です

過去の日記にある通り、20年来の恋人Olivia Newton-Johnに再会することになった僕は、勢い余って彼女のネット上のファンクラブに入会してしまった。そのお陰で本日、再会の地ネバダ州レイクタホでの彼女のコンサートの模様を写真で伝えるメールが届いたので、ここでシェアしようと思う。

どうです、皆さん。これで52歳って誰が信じられますか?

でも大事なのは、彼女の「声」が僕をまだゾクゾクさせてくれたことだった。


先頭 表紙

はらぽ〜ん、それは、「愛の告白」(英題 I Honestly Love You)という彼女の代表曲を知ってのつっこみなのでしょうか?コンサートのラストがその曲でした。もちろん"I honestly love you."と言いましたよ。心の中で。 / Hidey ( 2001-08-27 11:15 )
ゆーさん、大昔というところがいいですね。僕はカレン・カーペンターから英語の発音を学びました。 / Hidey ( 2001-08-27 11:12 )
たらママさん、声も甘く美しく、健在です。しかも、10年前くらいから、昔より声量がついてきてます。でも彼女の場合、声の使い方の妙が、聴いてて楽しいのです。 / Hidey ( 2001-08-27 11:11 )
くららさん、まずは気持ちからですよ!僕も通常7つくらい若く見られるようなのですが、Oliviaにはちょっとかなわないなあ。 / Hidey ( 2001-08-27 11:06 )
ガス欠コインさん、主要都市すべてって凄いことですね。その中でもボストンというのはとても嬉しいです。昨日Tuftsのそばを通ってきました。何の勉強をされるはずだったんですか? / Hidey ( 2001-08-27 11:04 )
彼女に愛の告白はしたのでしょうか? / はらぽ〜ん ( 2001-08-27 10:25 )
大昔、高校時代の英語の先生が彼女の大ファンで、たまに授業で聞かせてせてくれたのを思い出しました。 / ゆー ( 2001-08-27 09:34 )
お声もこのように今も甘く美しいのでしょうか。 / たらママ ( 2001-08-27 09:27 )
うわぁ、美しすぎる!オリビア様、こんなふうに年齢を重ねるのは私の夢です。(どこかで無理無理という声が聞こえます) / くらら ( 2001-08-27 08:01 )
BOSTON、アメリカの主要都市はすべて行ったことのある僕にとって、最も好きな街です。オリビア、風貌もさることながら、声がぞくぞくさせてくれたってのが凄い。昔、Tuft Universityに留学するチャンスがありましたが、色々な事情で叶いませんでした。そして、今は野茂英雄。羨ましいなあ。こんないい日記があるとは気づきませんでした。 / ガス欠コイン@はじめまして。 ( 2001-08-27 01:25 )
フィー子さん、よく見るとちょっとだけ肉付きがよくなってますけどね。この人はスポーツも万能で、目下テニスが若さの秘訣だそうです。 / Hidey ( 2001-08-26 22:01 )
TAKEさん、松田○子がジャケットをパクったアルバムですね。あのアルバムでは「ポニーライド」での歌唱にいつも感心させられます。 / Hidey ( 2001-08-26 21:59 )
美しいーーーーーーーーーーーー! / フィー子 ( 2001-08-26 19:27 )
オイラも大昔^^;「水の中の妖精」聞いて、「ジョリ〜ン、ジョリ〜ン♪」なんて口ずさんでいた頃もありました(笑) ホントに変わってないですよね。 / TAKE@はじめまして ( 2001-08-26 13:25 )

2001-08-25 いよいよ始まる

昨日、学校の登録手続きを済ませてきた。仮のIDカードの発行、ID用の写真撮影、教材の配布、諸々の説明があった。

880人の学生に対しひとつずつ、小さなメールボックスが用意されているのだが、慣れないダイヤル式のロックを何とか開けると、中には山のように教材が詰まれていた。

これから3週間にわたり、Foundationと呼ばれる、本番前の基礎学習のようなカリキュラムが組まれており、実際のコースに近い教材を使った演習中心の授業を経験する。パーソナルスキル、市場経済、リーダーシップとバリューとディシジョンメイキング、現代資本主義といった科目で、授業の形式は基本的には先述のケーススタディーである。

家に帰ってじっくり見てみたが、さっそく月曜日にパーソナルスキルのケーススタディーがあるのでケースを分析してこいとか、ミクロ経済の教科書を読み込んでこいとか、まだ夏休み気分が抜けない僕はいきなりげんなりしてしまった。まあ、会社の金で遊びにきたわけではないので仕方ない。

市場経済の宿題がちょっと面白いのでご紹介。10月末の土日1泊2日で、近郊のマリンリゾート、ケープコッドへ行くツアーを想定したとき、ツアーの内容や、ツアーに行かない場合の週末の過ごし方などを考え合わせると、このツアーの代金がいくらだったら参加するに値するかをそれぞれが持ち寄る。また、クラスメートの値付けの分布も予想してくるというものだ。実際の授業では、値付けの正当性を議論するだけでなく、このツアーに関する入札を行う。システムがよく分からないが、落札者は複数出るらしい。

そして、注意書きに曰く、「これはただの演習ではありません。『市場経済』の教員グループは、既にケープコッドのリゾート事業者と、このツアーをクラスで販売する旨契約を済ませています。クラスごとに、落札者の名前を書いた紙を帽子に入れて、そこから2枚を選び、あたった人たちは自分の書いた金額を払ってツアーに参加しなくてはなりません。ですから、値付けは慎重に行ってください」

リゾート事業者まで巻き込んで、クラスを市場に見立てた恐ろしく実践的な授業。こういう発想ってすごいなと思う。

その他にも、学校常駐の警察というのがあって、(俺たちだってインテリで、修士を持ってるやつが多いんだと言ってた)盗難防止、危険防止の心得をレクチャーしたり、ITサポートスタッフが、各自にカスタマイズして使うサイトの使い方を説明したりした。うちの学校はかなりIT化が進んでおり、学生はこのサイトを通じて、各々の授業スケジュールや宿題を確認したりダウンロードしたりする。先ほどの値付けについてもまずはこのサイトで回答、授業にはその結果が反映されるのである。期末試験もすべてネットで行う。

夜はプールバーで何百人が集まっての大パーティーがあったが、怒鳴っても相手の言うことがよく聞こえない状況では、それほど心踊るような出会いはなかった。アメリカ人ってこういうのが大好きなんだよね。僕はどちらかと言うと静かにゆっくり話さないとだめなほうなんで、結局はサマースクールのときの友人といる方が楽しかった。どうせ来週からは毎日のように新しいクラスメートと死ぬほど話すことになる。

何にしても、いよいよ主役のアメリカ人学生がそろい、彼らのペースで本番が始まろうとしている。ペースに追いつかなければ、家で補うしかない。とにかく振り落とされないよう、初めから全力投球で行こうと思う。

先頭 表紙

うちの学校の場合、専攻というのは特にありません。2年目で選択科目があるだけです。それもあって、General Managementの学校と言われています。明日の授業のパーソナルスキルは、カリスマ的リーダーを失った中堅アイスクリームメーカーで、これまでそれほど経営的判断をする必要がなかった役員たちが一気に互いのやり方を批判しあい、社長がそれをどうまとめていくか、という内容のケースです。 / Hidey ( 2001-08-27 11:21 )
MBAでも、特にbusiness managementとかの専攻でいらっしゃるのでしょうか。パーソナルスキルやリーダーシップって興味シンシンです。 / たらママ ( 2001-08-27 09:27 )
↓そうそう、私も初めは「あの」ムーチョさんかと思ってびっくりしましたよ(笑)。 / フィー子 ( 2001-08-26 19:27 )
あらま、れいじくん、つっこみありがとう。今日は僕は中学時代の恩師に再会したため、カジノは行きませんでした。盛り上がったのかな? / Hidey ( 2001-08-26 11:34 )
僕も、数百人の大パーティー系は、あんまり好きじゃないですよねー。 / れいじ ( 2001-08-26 11:29 )
ゆーさん、そうなんです、緊張なんです。でも何とか本番にはベストに持ってくように努力しないとね! / Hidey ( 2001-08-26 11:26 )
くららさん、10月末のCape Codは単純に寒いだろう!と思うのですが。。。ツアーに行かない場合の週末の過ごし方…「ひまじん」と比較するのはあまりにも酷!? / Hidey ( 2001-08-26 11:25 )
Emikoさん、僕も放心状態です。でも明後日からなんですよね。気合、気合。 / Hidey ( 2001-08-26 11:23 )
ムーチョ母さん、どこのムーチョかと思ってしまいました!昔英単語日本一になったムーチョ君というちょっと面白い友達がいたので、まさかその母?ってわけはないもんね。つっこみありがとう。ダーは元気ですか? / Hidey ( 2001-08-26 11:16 )
フィー子さん、この授業はまだゲーム的要素が多いので多分遊んでいられるんですよ。いわゆるケーススタディーのほうが大変なのです! / Hidey ( 2001-08-26 11:14 )
すごく緊張感が伝わってきます。。。頑張ってください!!!!! / ゆー ( 2001-08-26 10:11 )
第一回目のケーススタディは面白そうですね。CapeCodでの週末、私達なら幾らなら行くことにしようかな〜。10月末はハロウィーン前、実はその週末、実際に小旅行を計画中なんです。CapeCodはちと遠い。 / くらら ( 2001-08-26 05:36 )
はじめまして。フィー子さんと同じく放心状態の私。頑張って下さいね。 / Emiko ( 2001-08-26 00:34 )
「こんな事できない・・・」と、ダーが申しております。初めてつっこみを入れてます、長野のムーチョ母です!大変そうですね。(「メールありがとう!」とも言ってます。)奥様からも写真&メールをいただきましたよ。本当に日本語で拝見していても目がまわりそうなのに、今度はアメリカの学生さんと一緒になって勉強されるなんて・・・。考えただけで鳥肌がたちます。(笑)でも、『Hideyさんらしい』と言ったら失礼かもしれませんが、とても尊敬します!!!お体にお気をつけて下さいね★ / ムーチョ母 ( 2001-08-25 17:40 )
ケープコッドがスケープゴートに見えて、そんな恐ろしい町!って思ってしまった(~_~;)。しかし無茶苦茶大変そうです。日本語で読んでても大変そうなのに、全て英語かー。(←放心) / フィー子 ( 2001-08-25 16:48 )

2001-08-24 ボストンの奇跡

世の中奇妙な縁はあるものだが、「こんなのってあり?」ってぐらい奇妙な話。

小学校5年生のとき、気の合う友達が二人いた。初めてできた親友と呼べる友達だった。そのうちの一人は、小学生のくせに当時いわゆる「マイコン」(若い方へ、今でいうパソコンです)に懲り、原始的なラジオみたいなものを作ってしまうような、いわゆる天才少年。瞬く間に僕を新しい世界へといざなってくれたのだが、根っから文系の僕には「電子ブロック」で遊んだりするのが関の山だった。彼はほんの半年のつきあいの後、ご両親の仕事でアメリカに行ってしまう。彼が中学生になって帰国すると、すれちがいで僕はパキスタンへ。幼い友情はこれで記憶の底にゆっくりと沈んでいくことになる。

26歳くらいの頃だったと思う。休日の山手線で、子供の頃のあだ名で僕を呼ぶ声がした。彼だった。びっくりするとともに、15年余りの時を隔ててよく分かるものだなと感心したが、まあ確かに僕は子供の頃からあまり顔が変わっていない。彼もひょろっと背が伸びただけで、基本的には同じ顔をしている。彼はその後東大を出て、何かの研究をしていたというような話を聞いた気がする。彼らしい話だ。ほんの一駅だったが旧交を温め、お互い用事があったので、そのまま別れた。

話はそこからなのだ。今回ボストンに来る直前に、会社の友人の結婚式の司会を頼まれた。開会直前、わさわさと原稿の確認をしているところに、ホテルの人から「本日読んでいただく電報です」と電報の束を渡された。僕の目は一通の電報に釘付けになった。

「ボストンより愛を込めて。○○○○&○」

彼の名前だ。奥さんらしき女性の名前もある。そう言えば、新郎も彼も高校時代を都内の某超有名進学校で過ごしている。二人ともサッカーが趣味だった。新郎に確認すると、間違いなく彼で、二人は高校のサッカー部で親友だったのだと言う。友人の式で彼の名前に遭遇すること自体奇遇だが、それがまたボストンとは…!

細い糸をたどるようにして彼のボストンの連絡先を聞いた。ボストンに来て少し生活が落ち着いてから、彼に電話をかけた。「×××だよん」とお恥ずかしい昔のあだ名での第一声に彼はきょとんとしていた。慌てて説明をすると、ようやく驚嘆の声。彼は国の派遣でこちらの大学で化学の研究をしているのだそうだ。9月に出産を控えた奥さんを交え、僕らは7月中旬に実質的には25年ぶりの再会を果たし、お互いのこれまでの人生を語り合った。その彼が、僕の日記に時々つっこみを入れる「はらぽ〜ん」なのである。

話はここでも終わらない。先日のレッドソックス対マリナーズの3連戦で何とかチケットを確保しようとしていた僕の現在のクラスメートが、ネットを通じて同じ日本人から余っているチケットを買うことになった。そのチケットの売り手がまたもや「はらぽ〜ん」だったのだが、まあこれは狭いボストン、ありうる話。クラスメートがチケットの受け渡しに向かったところ、「はらぽ〜ん」の奥さんが、「あの人知ってる」とつぶやく。実は奥さんと僕のクラスメートは幼稚園時代の級友だったのだ。彼らにしたって27歳。何で幼稚園の友人が分かるのかと思うが、まあこんなことってないよね。

そんなわけで昨夜、奇妙な縁で結ばれた4人は、ボストンでもおいしくて有名なインド料理屋に集結、しみじみと語り合ったのだ。昔話よりもお互いの今の価値観、考え方を深く語れたのが嬉しかった。すれ違っているだけで、世の中ほんとは奇妙な縁で満ちているのかもしれない。

先頭 表紙

たらままさん、小学校から知ってるのに本当の友情がこれから始まるなんて不思議ですよね。 / Hidey ( 2001-08-25 08:39 )
みかりんさん、赤い糸だったらどうしよう。 / Hidey ( 2001-08-25 08:38 )
はらぽ〜ん、ナイスヒントだ。 / Hidey ( 2001-08-25 08:37 )
すごいご縁ですね。きっと生涯のお友だちになるのでしょう。 / たらママ ( 2001-08-25 01:18 )
縁って。。ほんとに不思議ね☆目に見えない糸で繋がっているんだよね。。きっと! / みかりん ( 2001-08-24 23:33 )
カレー王子だけあってカレイ。ん?いやいや、眼が逆についてるやつですね。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-24 14:26 )
フィー子さん、はらぽ〜んの奥様も、日本の学校で研究をされていたところを三十路過ぎの親父に(きみだよ、はらぽ〜ん)見初められたこともあり、とっても知的な方です。恥ずかしいあだな…とある魚の名前とだけ言っておきましょう。もうお分かりだよね。 / Hidey ( 2001-08-24 13:21 )
ゆーさん、すんません、三つ下はゆーさんへのつっこみ返しです。 / Hidey ( 2001-08-24 13:17 )
くららさん、はらぽ〜んに限らず、僕の友人のつながりというのは、心底尊敬に値する人間が多いのです。はらぽ〜んとも、これからどんな友人になれるか、楽しみです。 / Hidey ( 2001-08-24 13:15 )
はらぽ〜ん、こんなもんでいかがでしょ?君の思いのたけにも触れたかったんだけど、ちょっとスペースの制約がありましたし、他人の口から語られるよりは、今や自分の日記で表現できればいいことですよね?とにかくデビューおめでとうございます。 / Hidey ( 2001-08-24 13:07 )
逆もあるのかもしれませんね。実は今のパートナーが10年前には5メートルの距離ですれ違ってたとか。そうなると人間を超えたところでしか分からないものですね。 / Hidey ( 2001-08-24 13:05 )
peachさま、奇跡の出会いに加えて、本当に彼と再会できたことは僕の誇りでもあります。少年の頃とまったく替わらない世の中に対するまなざし、そんな純粋な精神を支える確かな知識、世界観。再会と言うよりは新たな出会いに感謝しています。 / Hidey ( 2001-08-24 13:03 )
たぶん、管理者様のおかげでリンクが本家に移りました。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-24 12:18 )
なるほどぅ。はらぽ〜ん様の奥様の出産も気になるなあ(笑)。ところでその恥ずかしい昔のあだなって・・・!? / フィー子 ( 2001-08-24 10:22 )
本当にステキなご縁ですね。作ろうと思っても作れない、努力してもうまくいかない縁の方が多いですが、Hidey様のお友達とのご縁は超自然的、お大切に。 / くらら ( 2001-08-24 10:13 )
いやぁ、私評はまずいよ。本読む時間ないしさ。今本家ひまじんに再登録しなおしてみるね。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-24 09:44 )
はらぽ〜んにリンクがついたかな。でも間違えて私評の方に登録しちゃったみたい。ま、いいか。僕の素顔も覗いてみてください。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-24 09:37 )
広い世界のなかで、時を同じくして同じ土地にいるなんて、不思議な縁ってあるのですね。 / ゆー ( 2001-08-24 09:27 )
Hidey様、四半世紀ぶりの再会と言い、数々の奇縁!!これはもう「ソウルメイト!!」に間違いはないのデワ!?こう言うお話も好きです。。。不思議なのだけれど、チットモ不思議ではなかったりする、人智では計り知れない何かを感じてしまいますよね。親交が深まってゆく事を楽しみにしています!! / peach ( 2001-08-24 07:29 )

2001-08-23 カレーのお話

僕は中学の3年間をパキスタンのカラチで過ごしたこともあり、カレーには目がない。一部の人からは「カレー王子」と呼ばれていた。「王子」というのは単に僕が歳の割に童顔なだけで、さしたる意味はない。

一応「カレー王子」の名に恥じないだけのカレー研究はしたつもりだ。都内のあらゆる有名店はまわったし、自分でも一応本場のカレーらしきものは作れるつもりでいる。味にばらつきは出てしまうが。

東京で「カレー王子」お薦めの店は、なんと言っても高田馬場の「ラージプート」だ。明日この世が滅びるとしたら今夜間違いなく僕はその店にいるだろう。ここのメニューのトップにある「クライチキン」は、皆さんのカレー観を変えるといっても過言ではない。何しろどこのカレーとも違うのだ。11時間煮込むだとか、野菜の煮汁だけで、一切水は使わないだとか、そんなうんちくはどうでもよろしい。とにかく一度食べてみてほしい。あんなに感動を与えられる食べ物ってなかなかない。しかも、1400円でスープ、サラダ、ライスに加え、ナンまたはチャパティがついてくる。辛さは-3から+7まであるが、とにかく味わって食べたいので、辛い物好きの僕でも+3にとどめる。できれば店長のハッサンが作ってくれる日がよいが、最近は同じ高田馬場にある2号店も掛け持っているので、いきなり飛び込むとちょっと賭けになる。

ということで僕は日本を発つ前日もクライチキンをテイクアウトし、家で妻と食べた。「向こうに行ったらインド料理もそれほどチョイスはないだろうし、味も保証はできないから」と、心して食したのだった。

しかし、それは大間違いだったことが分かる。ボストンという街には、本当においしいインド料理屋が山ほどあるのだ。僕の住んでいるアパートの周りにもインド料理屋が4件ある。どこに行ってもそれぞれのおいしさがあるのだ。しかも、日本のインド料理屋と比べてメニューはかなり充実している。普通日本の店ではなかなか見かけないChicken Makhaniという、トマト、ハーブ、スパイスが効いたとろりとしたクリーム風のカレーなどは絶品である。豆と野菜とスパイスの効いたMulligatawny Soupというのもこっちに来てから好物になった。

学校の近くにも3件ほどあるし、どこのエリアに行ってもカレー屋だらけだ。こちらに来てから2ヶ月弱で、数えてみたらなんと11件まわっている。ちなみに今夜も友人とBombay Clubという店で食事をすることになっている。

この街は、インド料理に限らず、エスニックが非常に充実している。中華、メキシカン、タイは当たり前で、ベトナム、マレーシア、レバノン等々。概しておいしい店ばかりである。わざわざそのためにボストンに来る必要はないが、こちらに来る用事があったら、期待していただいて間違いない。

しかしそれでも「ラージプート」の「クライチキン」は数段上であることを認めざるを得ない。ハッサン、やっぱりあなたが世界一です。こちらではせいぜい替わりの店を探索するが、2003年6月には間違いなく高田馬場商店街界隈で「カレー王子」の姿が頻繁に目撃されることだろう。

先頭 表紙

間違い発見。王子の名がついたいきさつ。童顔は認めるけど、貴公子なハンサムなんよ、hideyは。じゃなきゃ、王子なんて誰がつける?玉子でもいいじゃん。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-24 10:04 )
六本木のほうは行ったことあります!ホント、おいしかった。パリにあるチェンマイには何度かいきました。同じお店なのかな??? / ゆー ( 2001-08-24 09:21 )
あややさん、2003年6月に食べに行くのでワゴンの出没場所を教えてください!僕は週4日くらいはカレーを食べます。 / Hidey ( 2001-08-24 05:35 )
ゆーさん、タイカレーなら日比谷のチェンマイと六本木のバンコクは行かれましたか?おいしいですよー! / Hidey ( 2001-08-24 05:33 )
たらママさん、今日は学校で諸々の登録手続きがあり、どっさり課題がわたされました。いよいよ始まります。 / Hidey ( 2001-08-24 05:29 )
おお!私も今日のランチはカレーでした。会社の近くにワゴンで売りに来るカレーが絶品なのです〜。水曜日お休みなので、木曜になるとどーしても買いに行ってしまう〜。 / あやや ( 2001-08-24 00:34 )
ボストンは1度しか行ったことありませんが大好きな街です。ボストンでMBA大学院なんて羨ましいです。ハードでしょうが頑張ってください。 / たらママ ( 2001-08-23 23:07 )
カレー大好き♪タイカレーは大丈夫なのに、インドカレーだと必ずおなかがゆるむんです。なんでだろ? / ゆー@はじめまして♪ ( 2001-08-23 21:40 )
フィー子さん、確かにラージプートも開店当初はやってないときは僕以外みんな外人ということもありました。今度、築地の「ジャラル」というバングラデシュ料理屋も行ってみて。ここも絶品。辛くしてもらうことを忘れずに。 / Hidey ( 2001-08-23 21:07 )
はらぽ〜ん、昨日は楽しかったね。Shalimar of India(例のMass Ave.沿いの店)も是非行ってね。Magic Spice覚えておきましょう。 / Hidey ( 2001-08-23 21:05 )
Goanいつか行ってみます。カレーも食べ過ぎてるとダイエットの敵なんですよね。本場では無節操に油を使うから。ちょっと僕も気をつけないと。 / Hidey ( 2001-08-23 21:02 )
よだれ・・・。欧米人はほんとインド料理好きですよね。日本のインド料理屋もふと気づくと外人ばかりだったりしますし。どこの国に行ってもインド料理店ってあるような気がする。やっぱり美味しいものはみんな美味しいって思うんでしょうね。 / フィー子 ( 2001-08-23 14:04 )
hidey、今日はご馳走様です。今度は、ArlingtonのPanjubという店を訪れてください。ここもまた違ったカレーを体験できます。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-23 12:33 )
2003年6月以降出張で札幌に行くことがあったら、「Magic spice」という店、秘境のスパイスを南アジア各地に従業員全員で数ヶ月旅行して買い付けに行く何とも大胆な、けれど不思議な味を出すカレー屋に食べに行ってみてください。もちろんその期間、その店は閉まってます。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-23 12:32 )
ボストンの食文化の程度はかなり高いですよね。うちもインド料理の大ファン!NY州に居た頃のお気に入りはGOANのレストランでした。ポルトガル色の強い料理でしたが、カレーは最高、2時間かけてドライブして食べに行ったものです。パキスタンとは随分違うんでしょうね。 / くらら ( 2001-08-23 08:13 )

2001-08-22 故郷を訪ねて100マイル 3 「Dadの回顧録」

Dadは元来物静かな人で、必要以上に自分のことを話したりしない。その彼が、第二次世界大戦の回顧録を僕にくれた。回顧録と言っても大げさなものではなく、彼らしい抑揚を控えた文章は15ページに満たない。しかし彼は、自分の子供たちに自分が戦火の中で見たこと、感じたことを死ぬ前に残しておきたいと、75歳にしてはじめてパソコンを買い、1ヶ月に渡って文章を書き、推敲を重ねたという。そのパソコンというのも、つつましい彼らしく、どう見ても10年以上前の代物を、人から安価で譲ってもらったものだ。

Dadが戦時中海軍に属し、日本との戦争に参加したことは断片的に聞いていた。交換留学生受け入れの意思を申し出てから、かつての敵国日本の高校生が割り当てられたときは、さぞ感慨深いものがあっただろう。しかし、そんな話が彼の口に上ることはなく、僕は息子としてアメリカ人の高校生と変わらない生活を体験させてもらった。僕ははじめて彼自身の言葉を知ることになった。

1944年のクリスマスの後、まだ17歳の彼は、学校に戻らず入隊する決心をし、両親を説得する。海軍に入った彼は、船に配備された戦闘機を整備するメカニックとして、アストリアという軽巡洋艦に乗り込んだ。艦はスプルーアンス提督率いる米第五艦隊に属し、東京、沖縄の近海で空母を発着する戦闘機のサポートにあたった。1945年、日本国民の戦意をくじくべく、第五艦隊は湾内から東京を攻撃。ちょうど僕の住んでいたあたりだと思う。沖縄海戦では、神風特攻隊の突撃に苦しみながらも空襲を遂行。また、九州坊ヶ崎沖にて沖縄に向かっていた戦艦大和をも沈める。再度東京に決定的な空襲をせんとしていた8月15日、艦隊は日本の全面降伏の報せを聞き、停戦する。要約するとざっとこんなところだ。

最後に彼は、こう結んでいる。「これらの勇敢な戦士たちの犠牲が、この偉大な国の歴史には公式に刻まれてこなかった。(中略)彼らこそが、今日我々が享受しているこの平和と繁栄の礎をつくったのだ。私はこの偉大な国の海軍に仕える栄誉と特権を与えられたことをいつまでも感謝し、誇りをもって私たちの旗を掲げつづけたい。」

政府や軍の中枢の思惑はさておき、17歳で自ら祖国を守らんと戦地に赴いた一介の退役軍人にとって、これは偽らざる心情であろう。その意味では、日本兵もまったく同じ誇りを持って戦っていたのだと思う。彼らは同じ体験を共有していたのだ。

しかし、日本人がここまで誇らしく過去を振り返ることはありえない。我々は戦争に敗れることによって、戦争に関わるあらゆることを嫌うことを覚えたからだ。植民地支配の野望に充ち、これを諌める米国に対し奇襲攻撃をもって開戦した日本と、形式上自衛的に参戦した米国という見え方も、このような対照を助長している。穿った見方をすれば、日本人の反戦感情は、敗戦国が必然的に取らざるを得なかった自己肯定手段だと言えるかもしれない。日本が勝っていれば、世界各地の紛争への自衛隊の出動も、まったく異なる議論を呼んでいただろう。日本人は敗戦によって、もっとも純粋で中立的な平和への思いと、民族的コンプレックスとを同時に与えられたのだ。

実際に戦争を戦った人の言葉は重く、改めて我々に考える材料を提示してくれる。75歳にして思い立ち、今また日本人の僕に学ぶ機会を与えてくれたDadに心から感謝したい。

先頭 表紙

あややさん、僕も祖父の話を神妙に聞いたことを覚えてます。でもほんと、4人の祖父母のうち誰か一人でも運命が変わっていたら僕たちは存在しないんだもんね。もっと先祖をたどると大変な偶然の集積ということになりますよね。ちょっと考えてしまいました。 / Hidey ( 2001-08-23 07:48 )
おおきな動きの中で祖父は大陸を渡り歩き、紙一重の選択の中で私がここに生きていることをずっと教わってきました。なるほどと思って読みました。 / あやや ( 2001-08-22 23:42 )
みかりんさん、今、朝の10:30です。サマータイムで時差は13時間です。日本は今のところ恋しくないですね。恋しくなるというか、こーいうところがアメリカっていや!っていうのは、サービス業に携わる人たちの客への横柄さ。それがフランクな文化につながってることは分かってるんだけど、自分も長年サービス業に従事してたんで余計にそう思ってしまうのです。 / Hidey ( 2001-08-22 23:30 )
lamanchaさん、おっしゃるとおりなので、僕もDadの述懐を読みつつ複雑な気持ちだったのです。まあ、現代の、特に若いアメリカ人には、政府をウォッチするくらいの視点はきちんと備わっているとは思いますけどね。 / Hidey ( 2001-08-22 23:26 )
マイケルさん、はじめまして。何度か日記は読ませていただきました。マイケルさんこそご家族をとても大切にしてらっしゃる方だと思います。久しぶりの日本はいかがですか? / Hidey ( 2001-08-22 23:20 )
フィー子さん、MBAの勉強でも、実際の経営者がしょっちゅうゲストで学校にきてくれるのです。やはりリアルな言葉は大事ですよね。 / Hidey ( 2001-08-22 23:19 )
たまたまさん、Pier 4は、2回行きましたがやはりだめでした。まあ、まずいと言うよりはシーフードが新鮮でない(少なくともそんな味がする)という程度なので、あのトラッドな雰囲気や、誰もが感激するハーバーの向こうにそそり立つフィナンシャル・ディストリクトの夜景を楽しむのは一度経験してもいいかもしれません。ボストンの中では比較的高めの店ですけどね。 / Hidey ( 2001-08-22 23:16 )
たまたまさん、はらぽ〜んは実は化学のお勉強でこちらに来ているんです。今度彼との奇遇な出会いについて書くつもりです。学校では日本人同士でも英語になりますね。ほかの友達もいますから。その方が、日本人同士の上下関係も関係なくなって、年寄りの僕には楽なんです。 / Hidey ( 2001-08-22 23:12 )
ボストンですか。。日本がちょっと恋しくないですか?時差はどのくらいなんだろう?ねえ。。今何時? / みかりん ( 2001-08-22 23:06 )
↓貴方のDadを責めているのではありません。念のため。 / lamancha ( 2001-08-22 18:38 )
その一方で、隠密に通勤ラッシュのニューヨークの地下鉄で細菌兵器の実験をしたり、枯葉剤をまいて何世代にもわたって人々の健康を奪ったり、放射能汚染の危険を知りながら、兵士にはその危険性をひた隠して劣化ウラン弾を湾岸戦争で使ったりした「偉大な国家」、「神に祝福される国家」アメリカがあるわけですね。平和のための暴力、平和を守るための死、無数の不幸によって守られた偉大な国、なんとも悲しいパラドックスですね。 / lamancha ( 2001-08-22 18:34 )
はじめまして、ボストンといえば「Next Stop Wonderland」という映画の舞台だったんですよね。僕は6月までの2年間マイアミに駐在してましたが、時間が無くてボストンに行けなかったのが残念です。 / マイケル ( 2001-08-22 18:25 )
ふぅむ、深い話ですね。実体験者の言葉もさんざんエッセーやら小説やらで書き続けれられてきましたが、それぞれ微妙な違いがあるのではと思います。これから経営の授業で忙しいとは思いますが、ちょっと違ったこういうった類の話を見聞きすることもきっと遠回りでも授業の議論のひとつに役立つことがあるんじゃないでしょうかね。奥深い一言を発せられる人間として。なーんちゃって偉そうに。しっつれいしました〜(^o^)丿 / フィー子 ( 2001-08-22 16:31 )
Hideyさん 実は会社の取締役が仕事でボストンに100回ほどいったことあるらしく、その人にピア4のロブスターが最高においしいって言われたんだけど、、(とほほ、、、)。いつもメーカーに支払いしてもらうので値段は知らないって言ってました。まずいの?(笑) WALTHAM(ボストンより南?)に原子力ロボットやソーラーカーなどつくっているメーカーあるらしいけど、知っています? / たまたま ( 2001-08-22 15:56 )
↓はらぽ〜んさん はじめまして、つっこみもありがとう。ぜひ、いろいろ教えてください。特に英語とMBA習得の極秘。ちなみに英語を学びに行くので、なるべく英語だけ使おうと思っていますが、みなさんは英語でいつも会話しているのでしょうか? / たまたま ( 2001-08-22 15:51 )
わぁ〜、楽しみ〜。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-22 14:48 )
はらぽ〜ん、もちろんです。うちのクラスメイトにもこのサイトのことオープンにしたので、オンもオフも充実するかも? / Hidey ( 2001-08-22 13:01 )
つっこみ専門のはらぽ〜んです。ボストンオフ会なんてのが実現するかも〜。そしたら僕も忘れずに入れてね。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-22 12:54 )
たまたまさん、電光石火のような突っ込みありがとうございました。恐るべしエリート商社マン!僕も父がエリートではないですが商社マンだったので商社にあこがれていました。結局広告代理店に行きましたが。こちらも負けずに全部つっこみ返ししておきました。 / Hidey ( 2001-08-22 12:03 )
はじめまして、わたしは、会社から4ヶ月の短期語学研修なるものでボストン北のmerrimack にいくことになりました。将来的にはMBA習得ですが、まずはこの研修で結果をだすようにがんばります。部屋にはインターネット専用のラインもつきます。ボストンまですぐなので、是非是非、お会いしてご指導ください。よろしくお願いします。ちなみに下へ5つほど遅れつっこみしました。。 / たまたま ( 2001-08-22 11:27 )

2001-08-21 故郷を訪ねて100マイル 2 「家族の食卓」

再会の夜、Dadは初めて僕を迎えてくれた日と同じ、彼特製のビーフステーキを焼いてくれた。「はじめは強火、後から弱火、最後はvermouthをひと振り」という鉄則は今も変わらない。日本の父が家事と名のつくことは何ひとつ手を出さない古典的な父親だったので、少年の僕にとってDadからは学ぶところが多かった。お陰でこんな僕でも料理を作ったりする癖はつくようになった。

今回の訪問ではちょっとした計画があった。初めて彼らに僕の手料理を食べてもらうことだ。手料理と言ってもひとつ覚えのパスタくらいしか作れない。その中でも僕も一番好きで作り慣れているプッタネスカとボンゴレビアンコにしようかと思っていたが、Dadが糖尿病のため、塩分は厳禁だという。プッタネスカには塩分の多いアンチョビが必要だし、塩なしのボンゴレビアンコなど考えられない。結局オリーブオイル、ガーリック、たまねぎ、バジル、唐辛子、トマトだけでできる、シンプルなポモドーロにすることにした。これなら塩を使わなくてもそれほど影響はない。パスタをボイルするときも、Dadの分だけは塩なしでボイルすることにした。

二日目の昼、僕は厨房に立った。いつもより念入りにたまねぎを「飴色」になるまで弱火で炒めた。アメリカのトマトの水煮缶はやっぱりちょっと甘味が足りないようだ。オリーブオイルで味を調整する。最後はきれいにバジルを飾って食卓に運んだ。田舎のアメリカ人らしく、クラフトの粉末パルメザンチーズを思いっきりぶっ掛けられたり、片っ端からスパゲッティを刻まれたりしたが、”Hidey, it’s sooooo delicious!”と言ってくれて、嬉しかった。水分も制限されているDadは、「記念の食事だから」と、貴重な水分摂取の機会を、この昼食の白ワインにあててくれた。

その日の夕食は、人工透析のため外出し辛い思いをしているDadには大変申し訳ないが、Momと二人で正真正銘のメインロブスターを食べた。観光客用に軒を並べるシーフードレストランとはひと味違う、ちょっと外れの海辺に立つ、自らロブスターを釣り上げ、販売してくれる店に行き、ボイルしたてのメインロブスターを2匹買ってきた。別の食堂でさっぱりおいしいポテトサラダをテイクアウト。あとは白ワインをあければ完璧なディナーになる。とても簡単だ。気になるロブスターのお値段は、2匹で$18.50という安さ。これでも観光シーズン用の値段で通常の倍近いということらしい。しかもこの季節はソフトシェルのロブスターばかりで、よりtastyだというハードシェルを食すには、やはり冬場がよいのだそうだ。

昼も夜も気持ちよく白ワインをいただいたおかげで、その日は久々にぐっすり寝入ってしまった。

先頭 表紙

lamanchaさん、そうなんです。素敵な両親が二組いるということは嬉しいことです。Dadももう長距離の運転はしないので、僕の運転でボストンの僕の家につれてきたいと思ってます。 / Hidey ( 2001-08-22 23:08 )
くららさん、ありがとうございます。自分が食べたかっただけだって噂もありますけどね。こちらに来てからまともなパスタは食べてなかったので。今日もこれからアラビアータ! / Hidey ( 2001-08-22 23:05 )
素敵なhost parentsですね!これからも大切に。 / lamancha ( 2001-08-22 18:42 )
素晴らしく読み応えのある日記ですね。ホストペアレントとの記念の食事のポモドーロ、美味しそう。喜んでもらえてよかったですね! / くらら@はじめまして ( 2001-08-22 14:55 )
ここらへんでもメイン州のロブスター売ってるところあるよ。今度買ってみるよ。牡蛎はだんぜんCape Codのがうまいし、ちょっとした地域の違いで水産物の味違うんだね。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-22 12:59 )
はらぽ〜ん、しかもボストンのロブスターとはひと味違って、おいしいんだよ〜これが!! / Hidey ( 2001-08-22 12:54 )
ロブスター2匹で$18は安い!ボストンは物価が高いから、他の土地に行くとしょっちゅう同じものが半値くらいで売ってるのに驚かされることがある。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-22 12:52 )
たまたまさん、ボストンで一番初めに犯す間違いは、ガイド本に従って、ウォーターフロントの「Anthony's Pier 4」というゴージャスなシーフード屋に行くことです。ザガットサーベイのボストン版の採点を見ればわかりますが、この店はマズイ!チェーン店ですが「リーガルシーフード」の方がよっぽどましです。 / Hidey ( 2001-08-22 12:01 )
やっぱ、ロブスター、シーフードおいしいですか?やばいなー、ダイエットもしようと思っているのに、、、 / たまたま ( 2001-08-22 11:24 )
あややさん、ようこそ!つっこんでいただいて光栄です。ほんとですね、妻のためならと時々主夫になってました。 / Hidey ( 2001-08-21 22:56 )
フィー子さん、ポモドーロごときでお恥ずかしい。今度ニューイングランドクラムチャウダーをマスターしたいと思います。 / Hidey ( 2001-08-21 22:54 )
peachさん、色々ご助言ありがとうございます。Dadはかなりストイックな人なので、食事療法がさっそく効を奏し、各種の数値が改善しているそうです。僕も塩分を摂り気味なので気をつけます。 / Hidey ( 2001-08-21 22:52 )
はじめまして。食べてくれる人のために料理をして、喜ばれるのって最高な気分ですよね。私も大好き。さ〜て、あたまっから読み返しにしゅっぱーつ。 / あやや ( 2001-08-21 17:52 )
さすがハイディ氏!考えていたメニューがだめになったら私だったらパニクりそう。たまねぎ、ご苦労様でした〜 / フィー子 ( 2001-08-21 17:23 )
素敵な夢が見れましたか?想うだけで、実際に実行に移す事が出来ない人が多い中で、こうして今も交流を続けていらっしゃるHidey様は素敵だわ!糖尿病、、、日本にはもう少ないけれど、天然の塩が良いのですよ…フランスとかの岩塩とか天然でミネラルが含まれているものとか。今の食塩はナトリウムとかで出来ているので、体外への排出が難しくて病気の引き金に成るそうです。何かしてあげる事が有れば良いのにな。。。 / peach ( 2001-08-21 16:13 )

2001-08-21 故郷を訪ねて100マイル 1 「再会」

ここのところ遊びの話ばかり書いているのでMBAというのはそんなに暇なのかと思われているかもしれないが、サマースクールが8月3日に終わってから、8月27日の本番の授業開始まで、3週間の休暇中なのである。その後は想像するのもためらうほどの過酷な日々が待っている。そんなわけで、残りもわずかになってきたこの週末を、僕はメイン州で過ごした。

高校3年のとき、僕は交換留学生として、メイン州のBiddefordという小さな街で10ヶ月のホームステイを経験した。お世話になったホストペアレンツとはずっと交流を続けており、これまで3度里帰りさせてもらった。4度目の今回、初めて僕は自分の運転する車でBiddefordを訪れた。かつてはDadの運転で何度か通った、わずか2時間の道のりだ。

メイン州はアメリカの北東の先端に位置し、カナダとの国境に接している。夏にはカナダからの観光客が海岸を目指して下って来たり、秋には見渡す限りの紅葉が美しかったりするが、裏を返せば、海と森と、あとはせいぜいロブスターしかない、極めて非文化的な州である。冬は長く厳しく雪に覆われ、気温はマイナス20度以下にまで達する。自然とともに暮らすことを選んだ人たちがひそやかに住む場所なのだ。

エンジンを止め、慣れ親しんだ庭に降り立つと、もうMomが両手を広げて待っていた。”Oh, my dear!”と何度も何度も抱擁され、ふと目を上げるとMomの肩越しにDadが優しく微笑んで立っているのが見える。いつもと同じだ。

18年前に初めて会った日もそうだった。当時それぞれ57歳と55歳のDadとMomは、しばらく離れていた息子と再会したかのように僕を抱きしめた。10ヶ月間、そのまま我々は、顔つきが似ていないだけの親子のように過ごすことになる。

猫も杓子も海外留学の昨今とは違い、当時高校生での海外留学はまだ稀であり、その分真剣だった。留学機関も由緒正しい5つくらいの団体に限られ、すべて非営利で運営されていた。留学生は当時で90万円程度の費用(旅費、渡航手続き費用、プログラム運営実費)を負担するだけで、受け入れ先の家庭は一切報酬を受け取らない。だから、僕が多少なりとも英語や海外経験を身につけ、それが今の自分に結びついているとしたら、それはすべて彼らの無償の愛情の賜物なのだ。

どうしても同じではいられないこともある。Dadは糖尿病で人工透析を受けており、Momは昨年左手を骨折したのだが、高齢のためもうあまり自由が利かない手になってしまった。その代わり、僕には妻がおり、Thanks givingのときには彼らに紹介しようと思っている。

先頭 表紙

たまたまさん、Andover、地図で見ました。Interstate 93でまっすぐ北ですね。近いので遊びましょう!日本人のクラスメートも15人います。 / Hidey ( 2001-08-22 11:54 )
わたしもホームスティします。ボストンより北へ25マイルのAndoverという都市です。いろいろ教えてくださいね。 / たまたま ( 2001-08-22 11:22 )
hidey様、11月には奥様が渡米されるご予定なのですか?良いホスト・ファミリ〜に恵まれて良かったですネ!回り逢いも本人の力ですし、アメリカでの心の拠り所?みたいな感じなのでしょうね。良い関係はそれでけで、素敵な人達を想像出来ちゃう気がします。。。 / peach ( 2001-08-21 16:04 )

2001-08-17 スタンフォードの親友宅にて

話がしょっちゅう前後して恐縮だが、先週末のカリフォルニアの話。コンサートが目的とは言え、やはり親友を訪ねるのは嬉しい用事だった。結局彼の家に2泊お世話になった。

ステート101をPalo Altoで降りて高級住宅街を貫くUniversity Avenueをまっすぐ行くと、もうそこはスタンフォードである。University Avenue沿いの商店街、レストラン街は非常にカリフォルニア的で、クリーム色の建物が青い空にひときわ映えていた。大学も同じ色調のサンドストーンで統一された瀟洒な建物が平たく連なり、この街はすべてスタンフォードなのだということを教えている。実際この街のほとんどはスタンフォードの私有地なのだ。

彼は学校に隣接したビレッジに建ち並ぶメゾネットタイプの家に、奥さんと二人の娘さんと一緒に住んでいる。庭の囲みの向こうはそのまま周辺の子供たちが集う遊び場になっている。その庭先で彼が自ら焼いてくれたバーベキューをつつきながらワインを飲み交わした。

実は彼とは高校3年間同じクラス、同じクラブに所属、同じ留学機関で1年間アメリカの高校に留学(州は別)、大学も同じ学部、同じクラス、同じクラブで、彼が部長を務め僕は総務的な役職を務めた。ここまでならたまに聞くような話だが、就職もたまたま希望が一致して同じ企業へ。二人とも最終的には営業になった。入社13年目にしてまたも志が重なり、たまたま同じ年に社外研修生の選抜試験に合格。僕は東海岸へ、彼はスタンフォードへ留学することになった。

実に20年も近くにいればお互いいいところも悪いところもすべて分かる。しかも同じ道を歩んできたとは言え、我々は正反対と言っていいくらい性格が違うのだ。いつもニコニコと笑っている彼は、人に警戒心をまったく与えず広く誰とでも親しくなれる。僕はどちらかというと人を選んでしまうほうで、人によってはとっつきにくいところがあるらしい。彼は非常に常識的でバランスが取れた人間であるのに対し、僕はどちらかというとバランスを崩してまで何かにこだわってしまうところがある。それでも同じ道を歩んだということは、大枠の価値観が同じなのだろう。

彼の奥さんも実は大学で同じクラブだったので、まるで親戚のように歓迎してくれた。二人の女の子もまるで叔父さんにじゃれるかのように僕の周りから離れなかった。

たった1ヶ月だがこれまでのアメリカ生活を山のように語り合い、励ましあった。昔高校で留学したときもときどき熱い手紙を交換し合ったことが思い出された。それぞれの時代でお互いの辛さを一番分かり合える存在だったから、こんなに性格が違っても親しくしてこられたのだと思う。

なかなか沈まないカリフォルニアの夕陽に映えるSancerreの味は、忘れ得ぬ味になった。友よ、また2年後に美味い酒を飲もう。

先頭 表紙

たまたまさん、NYには行かれたことがあるかもしれませんが、ボストンはさらに東っぽくさびれた感じがしてしまうかもしれません。初夏は本当にきれいなんだけど。 / Hidey ( 2001-08-22 11:52 )
サンフランシスコとサンディエゴに合計12ヶ月くらい住んでたことあります。Palo Altoとかunversity Avenueとか何度通ったことか。ついでにスタンフォードにも10回は行きました。その近くのスタンフォードショッピングセンターももちろん、、、 MBですか?自分も近いうちに会社から選ばれるようになりたいと考えています。いろいろ教えてください。 / たまたま ( 2001-08-22 11:21 )
美奈子さん、大当たり。行かれたことがあるんですね。家庭的でいい家ですよね。僕は日本と変わりばえのしないボストンのアパートにひとりさびしく住んでいます。 / Hidey ( 2001-08-21 14:12 )
↓失礼、まだサマーコースでしたね(笑) / 美奈子 ( 2001-08-18 07:52 )
すばらしい日記ですね。MBAコースの緊張感が伝わってきます。ああ、私も勉強しないとなぁ・・・。お友達の家、キャンパス隣接のメゾネットというとエスコンディード・ビレッジかな。 / 美奈子 ( 2001-08-18 07:45 )
ブルーさん、うちの夫婦は、お互い同性でも異性でも、それが二人きりでも、食事に行ったりすることを許容しあっています。友人の大切さが分かっているから。でも一般的には難しいことなんでしょうね。 / Hidey ( 2001-08-17 23:16 )
はらぽ〜んさん、ちょっと待っててね、僕らのこともUPするから。月曜にメイン州から戻るので、例の集まり、やりましょう。 / Hidey ( 2001-08-17 23:11 )
↓フィー子さん、問題ないよね。そちらでもなんとなく書いてるし。今度はぜひフィー子夫妻とこっちで乾杯したいものです。 / Hidey ( 2001-08-17 23:09 )
lamanchaさん、もう一人、大学まで同じ道を歩んだ親友がいるのですが、それは○ィー子さんのダンナです。 / Hidey ( 2001-08-17 23:06 )
いいですね、長年のお友達。うらやましいです。女性は結婚すると、なかなか付き合いにくいですから。。。 / サンセールは大好き@プルー ( 2001-08-17 22:04 )
そんな僕もHideyとともにボストンに今住んでいるんですが、Hideyとは小学校で同じクラスだったんだ。... あ、ここ自分のこと書く場所じゃないか。つっこまにゃ、つっこまにゃ。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-17 18:11 )
うわーーー、最後のキメ台詞にノックダウン(゜o゜) / フィー子 ( 2001-08-17 16:37 )
貴重な友達ですね! / lamancha ( 2001-08-17 15:11 )

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