娘達の通っていた幼稚園では、卒業制作としてアルバムの表紙を、ちぎり絵でつくる。そこに幼稚園生活の思い出を貼ってくださいと言う意味らしい。
このところ、気持ちも体もようやく落ち着いてきたので、思い立って、今まで撮り貯めてきた写真や園から買った写真をセレクトしてそのアルバムに貼ることにしてみた。
家族アルバムでなくて、主役はあくまでもケイ。テーマは3年間の思い出。
しかもページ数は限られている。
考えて、考えて。気がついたら朝の8時半から11時半まで。コーヒーも飲まずにやり続けた。ようやく完成したアルバムを見て学校から帰ってきた娘達も喜んでくれた。
その日、留守番を頼んでいた母が来るなり。
母「相変わらず片付いてないわね〜。」
私「今日の午前中はずっとアルバムを整理していたのよ。」
母「なんで3時間もかかるの〜?(要領悪いんじゃない?)」
少し、説明をしてみたけれど、途中でわかってもらうのを諦めた。
結局、母は、私が何をしようと、その努力を認める事はない。
娘を褒めるという事をしない人だ。
その代わり、あらを探す。
娘というのはずっと、お小言を言ってあげないといけないものだ。と思っているのだろう。
いつまでたっても、自分の子供は心配なのはわかるけど。
私に娘が生まれた時から、私は何度も母に頼んだ。
「娘の前では、私を叱ったり、貶めたりしないで。」と。
悪気はないのだと思う。
家に来ると「あいかわらずゴミ屋敷ね〜。」といったりする。
前の日も、その前のも出かけていて、片付ける時間がなかったのよ。なんて言い訳は通用しない。口答えしようものなら言い争いになる。
だから、諦めて、好きなように言わせていた。
でも、この間、アイがお友達のママに「うちはゴミ屋敷だから〜。突然来られるとちょっと困るんですよ〜。」と笑いながら言っているのを聞いて、すごくショックを受けてしまった。
私は自分の家のことを「ゴミ屋敷」なんて一度も言った事ないのに。
散らかっていることは多いけれど、それとゴミ屋敷とは根本的に違うでしょ。と思った。ひとり暮らしの「おばあちゃま」の家は散らからないかもしれないけれど、小学生の子供がいたら、なかなかぴしっとは片付かないこともあるでしょ?
それがわかってない。
わかる気がない。
自分が何気なく、冗談のつもりで言っていることを孫が本気で受け止めてしまっていることになんら責任を感じていない。
言っても、自分の都合の悪い事はすぐに忘れる。
だから、私はこの先、何があっても母とは同居できないと思う。
外に仕事を持つ事になったら。
母が家にいてくれたら、娘達に鍵を持たせなくても済むと思うし。
必ず定時に帰らなくても良い分、選択肢が広がるとは思うけど。
それでも、不惑を過ぎた娘を一人前の一人の人間として認めようとしない人とは一緒に暮らせないと思う。
でも、そんな母と接するたびに、私は娘達の良い所をたくさん見つけて褒めるんだと思う。いわゆる、反面教師ですね。 |