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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-04-19 命の軽さを数えてみる
2004-03-20 しあわせのかたち
2004-03-14 貝割れ大根
2004-02-25 わたし、生きてます
2004-01-10 けして模範解答というのではなく
2004-01-10 解答例 
2004-01-09 国語の時間
2004-01-08 蜂  2
2004-01-08 蜂  1
2004-01-03 近況報告


2004-04-19 命の軽さを数えてみる

馬刺し100gは馬一頭の屍体の何分の一だろう?
シラス干し100gは何匹の魚の屍体の集まりだろう?

久しく自国で戦争を知らない国で例えば車にはねられて死ぬ命と、戦禍や大国の暴略に晒された場所で例えばたった一つの爆弾であまりに無造作に奪われる命とでは、その重さに違いはあるのだろうか?

例えば一人の交通事故死の親族や友人は寄り集まった葬儀の席で故人を偲ぶ。
例えば爆死した大勢の故人の友人親族は無論悲しみ怒るがただ悲しみにくれるだけでなくそのうちの幾人かは新たな争いに巻き込まれ、あるいはすすんで身を投じる。

言い方は悪くおかしいかもしれないけれど、じっくりと悼まれる死。
悼まれる暇(いとま)もなく繰り返される報復の連鎖に飲み込まれる死。

命に軽重はないと単簡に言うことが出来るのであれば、その扱いの違いはなんだろう?

どこかで誰かが食べ終わったラーメン鉢の底にはりついて残された胡麻を思って、そう考える。

先頭 表紙

どうにも答えの出る設問ではありませんね。命に軽重はある、とも言えるし、ない、とも言えますし。ものの言い様でなんとでも言えます。状況によっても語る人によっても変わる。なかなか。 / 揚水 ( 2004-05-04 00:25 )
「死」に重さがあるとすれば、個人を偲ぶ人間に掛かっているのかも知れませんね。。どんな死に方でも、「死」という現実。此れを超える事はむずかしそうですから。 / ちづぞー ( 2004-04-27 21:39 )

2004-03-20 しあわせのかたち

目に見える、感じられる幸せの形というものは、あります。
確かにある。
誰も何も言わないかもしれませんが、誰がなんと言おうと、ある。

さしずめ今の僕で言えば。

今晩は海月がうちに来ています。

そんだけのことです。

先頭 表紙

幸せは柔らかな形。いいなあその表現。なんか淫靡で。 / 揚水@すんません遅レスです ( 2004-04-19 01:04 )
どういたしまして。 / 揚水@すんません遅レスです ( 2004-04-19 01:01 )
はい、おひさしぶりでございます。わたしも、生きてます。(笑)イイですねぇ〜。彼女さんといっしょ。。ああ。ときめきが欲しいきょうこのごろ(爆) / ちづぞー。幸せは柔らかな形をしていると。 ( 2004-04-02 07:53 )
それだけのことなのに、まるごとしあわせ。  おすそわけ、ありがとう。 / パンドラ ( 2004-03-28 08:58 )

2004-03-14 貝割れ大根

頭の中で歌が流れて離れないことというのはよくあることだと思います。
一昨日僕の頭の中では中島みゆきさんが「黄砂にー吹かれてー彷徨うー…」と唄っておられました。何度も何度も。

他の人がどうなのかまでは知りませんが、僕は、同じように瞼の裏あるいは眼の前に映像が浮かんで消えないことがあります。
眼の前、というのは目を開いていても眼前の景色より浮かんで消えない映像の方が強いことすらあるからです。

ついさっきまでその映像は薄く白いスポンジにびっしり生えた貝割れ大根を低い位置から見たパースペクティブな光景でした。

何考えてるんだろ、俺。

先頭 表紙

食品としては庶民的でも瞼に何の脈絡もなく浮かぶ光景としてはちとコワいかも、です。 / 揚水 ( 2004-03-18 23:52 )
庶民的な映像でほっとしたよーな?(揚水さん生きてて良かった♪) / そそそ@ご無沙汰してます ( 2004-03-17 19:54 )

2004-02-25 わたし、生きてます

ご無沙汰してます。

最近引っ越しました。
パソがまだ旧宅に置きっぱなしです。
引っ越す前からずいぶんとパソには触ってませんでしたっけかね。

みなさんお元気ですか?
僕は生きてますよ。

先頭 表紙

どーもどもどもども。 / 揚水 ( 2004-03-13 01:51 )
よかった〜♪   / 元ぷらら ( 2004-03-07 23:37 )

2004-01-10 けして模範解答というのではなく

設問一から六まではまじめに考えてくださっても割合すんなりと答えられると思いますが、設問七と八に関してはいわゆる学習的な「国語」の「考査」・「テスト」というものを皮肉っています。
まじめに考えてくださった方には申し訳ないと思います。
ですが大体会話でなくて書き言葉の場合、あまりに素っ頓狂な読み解きは無論論外ですが、誤解も含めて、人の書いたものを理解することはありだと思います。そこに正解不正解の区別は、ないといえばない。ですから皮肉、です。

得に設問八に関しては、なにごとか誰か人が文章を綴る際、「とどのつまり」、「要するに」ということであれば何も長々と文章を綴ることはないのではないか、と国語の問題を解きながらまだガキだった僕は思っていたのです。自分をそれになぞらえる訳ではありませんが、太宰然り、筒井康隆氏然り。要約不能だからこそ人は文章を綴るのです。何かが言いたければ一言警句で充分。それはもはやアフォリズムでしょう。

まともに答えるならば設問七の答えは、「巣を離れた一匹の蟻は、蟻という生き物から剥がれ落ちた、切片。生きてはいるが本来の形ではもはや生きてはいけない。それはただ、蟻の形をした一個の生命機械だ。死んでこそいないが生きてもいない。生から剥離した、切片。だがそれでもその蟻は生きている。」あるいはそれに、「巣を離れては、属する単位を離れて一匹では生きていけない。一匹一匹は気ままに動いているようでも、組み込まれたシステムやプログラムに知らず知らず従っている。」を付け足してもよいかもしれません。
また設問八の答えは、「人間は社会から、あるいは種を離れて一人で生きることは出来ない」とでもなるやもしれません。

国語の問題によく見られる「作者の言いたいことは何か。以下のうちから最も適したものを選びなさい」という類の設問で、僕は作者の意に適うだろうなと思われる文章にお目にかかったことはほとんどありません。皆無と言っていいでしょう。けれど僕は「最も適したもの」を選ぶことは得意でした。作者の意図とは違うであろうと思いながら、設問者の意図は問題用紙に透けて見えた。パズルを解くようなものです。
そうした訳で僕は国語の点数はよろしいガキだったのです。勉強が嫌いだったので暗記や努力の必要な古典漢文は芳しくなく、もっぱら現代文の読み取りに限られていましたが。

けれど国語の点数が良いからといって人は他人との意思の疎通がうまくいくとは限りません。僕はきちんと自分の考えをもってそれを人に語ること、人の意を汲むことはともにどちらかといえば下手、いえ、はっきり言ってど下手でした。今でも下手くそです。

読み取りに限って、というのは自分の意見を述べるのが苦手だからそう言うのです。もっと言えば僕はしっかりとした自分の考え、翻って自分というものを待たなかったのではないかと思います。

さらに、僕は他人を慮ることが出来ない。何気なく、逆に言えば何の気もないことそのものがミソなのですが、何気なく吐いた言葉で他人を傷つけたり怒らせたりしてきたように思います。気をつけなければきっとこの先も。

言葉を上手く操るということはなにも児童生徒学生時代、国語の成績がよかったということをあてに出来るようなシロモノではありません。

多分きっと。

先頭 表紙

「解答例」で「裏」を、「けして模範解答というのではなく」で「裏の裏」、というつもりでしたが、いかがだったでしょうか(笑)? / 揚水 ( 2004-01-18 19:57 )
裏の裏を読んで、表。と思って、正面から答えたのですが、揚水さんの狙いはシンプルに裏でしたか。うーん、見切れなかった、悔しい(笑) / みなみ ( 2004-01-14 00:17 )

2004-01-10 解答例 

ここに僕の考える解答例を挙げます。

設問一


設問二
フロントグラスに映ったその煙草の火

設問三
一匹の蟻はそれはそれ
その蟻は生きている。

設問四
だがそれでもその蟻は生きている。

設問五
巣を離れては、属する単位を離れて一匹では生きていけない。

設問六
人間の社会そのもの

設問七
一匹の蟻はそれはそれでひとつのいのちだが、ひとたび巣を離れてしまえば、それはもう蟻という生き物ではなくなってしまう。なんとなれば、(中略)咥えた煙草を吸う。明るさを増してフロントグラスに映ったその煙草の火が、テールランプの群れに滲み溶け込むようだった。(要するに全文)

設問八
それを言っちゃあ、お終いよ。

先頭 表紙

2004-01-09 国語の時間

テクスト「蜂」を読んで以下の設問に答えよ。

設問一
文中「蜂も同じだ」とあるのは蜂は何と同じなのか答えよ。(5点)

設問二
「誰そ彼時」の対句を答えよ。(5点)

設問三
「無知」であった山岡が感じていたことは何か。それを指し示す文章の最初の十文字と最後の十文字を答えよ。(10点)

設問四
「設問三」での答えで、山岡の感じていたことの中で特に重要な一文を述べよ。(15点)

設問五
「人間も蜂や蟻と同じなのかもしれない」とある。「同じ」とはどういうことか。文中そのことを指し示す箇所は複数あるが、特に簡潔に一文で述べられている、その一文を述べよ。(15点)

設問六
人間が蜂や蟻と同じであるならば、人間が離れて、人間「という生き物ではなくなってしまう」ものは何か。何から離れて生きてはいけないか、その何かを答えよ。(15点)

設問七
作者の言いたいことの現れている部分をすべて引用して述べよ。(15点)

設問八
作者の言いたいこととはつまるところ何か。要約して答えよ。(20点)

先頭 表紙

しつこいだなんて。とんでもないです、再チャレンジありがとう! です。点数、確実に上がってます。詳しくは上の新記事2件を見てみてくださいね。 / 揚水 ( 2004-01-10 22:59 )
夢樂さん、まあそうおっしゃらずに。 / 揚水 ( 2004-01-09 23:48 )
設問八、人間が社会的な生き物であることの息苦しさ。そういう存在であることから逃れられない、そのことに対する諦観。人はその中で生きていかざるを得ないこと。 / みなみ ( 2004-01-09 23:20 )
設問六、社会そのもの。あるいは組織。 / みなみ ( 2004-01-09 23:19 )
設問三、うーん、残り1点が難しすぎます。放棄。 / みなみ ( 2004-01-09 23:18 )
再チャレンジ、です。しつこくてすみません(汗)  この作品、個人的によく考えていることと、テーマが同じだったので非常に興味深く読みました。人は社会的な存在であり、そうでしかあり得ないということです。 / みなみ ( 2004-01-09 23:18 )
う〜む、テストはいかん。 / 夢樂堂 ( 2004-01-09 10:19 )
ずいぶんとお久し振りかと思います、みなみさん。読んでくださっていたのですね。早速のご解答ありがとうございます。あつかましいながら、添削させていただきました。設問一 ○、5点。設問二 ○、5点。設問三 うーん、△、9点。設問四 ○、15点。設問五 ○、15点。設問六 △、6点。設問七 ○、15点。設問八 △、8点。計78点と相成りました。実質80〜85点差し上げてもよいかと思われます。僕の考える解答例はまた後日。 / 揚水 ( 2004-01-09 00:17 )
すいませんこんなんで。自分としては頑張ってみたつもりです。いかがでしょうか。 / みなみ ( 2004-01-08 23:27 )
設問八 一人暮しって空しいかも☆ / みなみ ( 2004-01-08 23:26 )
設問七 巣を離れた蜂は、蟻は、もはや蜂でも蟻でもない。生きてはいるが生きてはいない。死んではいないが生きてもいない。生から剥離した、切片。だがそれでもその蜂は、蟻は、生きている。 / みなみ ( 2004-01-08 23:25 )
設問六 家族 / みなみ ( 2004-01-08 23:24 )
設問五 巣を離れては、属する単位を離れて一匹では生きていけない。 / みなみ ( 2004-01-08 23:24 )
設問四 だがそれでもその蟻は生きている。 / みなみ ( 2004-01-08 23:24 )
設問三  巣を離れた一匹の蟻は〜その蟻は生きている。 / みなみ ( 2004-01-08 23:24 )
設問二  フロントグラスに映ったその煙草 / みなみ ( 2004-01-08 23:24 )
設問一  蟻。 / みなみ ( 2004-01-08 23:23 )

2004-01-08 蜂  2

山岡はもう一度舌打ちした。煙草に火を点けてウィンドウを細めに開ける。すると、それまで姿を見せなかった蜂が彼の目の前を横切るようにして飛んだ。
「おっと」
山岡は少し慌ててウィンドウを閉めた。蜂がどのくらいの距離から巣に戻れるかなんてことは知らないけれど、浜松から豊田の巣に戻ることは難しいに違いない。ましてこの先東京でこの蜂を逃がしてしまえば、こいつが巣に戻ることは不可能だろう。
気をつけなければ。蜂もきっと蟻と同じだ。
山岡は子供の頃蟻を飼ったことがある。正確に言えば飼おうとしたことがある。
水槽の中に土を入れ、その上に蟻を入れた。一匹だけ。
けれどその蟻はすぐに死んでしまった。いくら餌をやっても、それをどこかに運ぼうとうろうろするばかりで、自分で食べようとする気配がない。砂糖でも、イモムシでも、蝶でもとんぼでも結果は同じだった。蟻は餌を食べずに、すぐ死んでしまった。
蜂も同じだ。巣を離れては、属する単位を離れて一匹では生きていけない。一匹一匹は気ままに動いているようでも、組み込まれたシステムやプログラムに知らず知らず従っている。
ひょっとすると、俺たち人間も蜂や蟻と同じなのかもしれないな。
誰そ彼時の薄闇の中、高速道路に続くテールランプの列を眺めながら、山岡はぼんやりそんなことを考えていた。
巣を離れた蜂は、蟻は、もはや蜂でも蟻でもない。生きてはいるが生きてはいない。死んではいないが生きてもいない。生から剥離した、切片。だがそれでもその蜂は、蟻は、生きている。そして山岡はそれを知っている。少年でなくなった今でも。
咥えた煙草を吸う。明るさを増してフロントグラスに映ったその煙草の火が、テールランプの群れに滲み溶け込むようだった。



              了

先頭 表紙

2004-01-08 蜂  1

一匹の蟻はそれはそれでひとつのいのちだが、ひとたび巣を離れてしまえば、それはもう蟻という生き物ではなくなってしまう。なんとなれば、蟻はその巣、女王を中心とした巣を一つの単位とした生き物であるからだ。はぐれ蟻はもはや蟻ではない。巣を離れた一匹の蟻は、蟻という生き物から剥がれ落ちた、切片。生きてはいるが本来の形ではもはや生きてはいけない。それはただ、蟻の形をした一個の生命機械だ。死んでこそいないが生きてもいない。生から剥離した、切片。
だがそれでもその蟻は生きている。少年だった山岡は、多く他の少年少女がそうであるように、無知だった。しかし彼はその無知さに特有の鋭敏さをもってそのことを感じていた。
蜂も同じだ。
豊田から浜松まで自動車の部品を運んで、荷室は空だった。予定ではこのままとんぼ返りでそのまま帰社、家に帰れるはずだ。このところ忙しかったので、普段ならあまりやりたくない空荷で走ることも構わない、むしろ歓迎したい気分だった。一人暮らしの家に帰ったところで何をするでもなかったけれど、今日は家に帰りたかった。
運転席の中に一匹の蜂がいる。どうやら荷を積み込んだ際に入り込んでしまったようだ。何とか追い出そうと試みたがなかなか出て行かない。途中で諦めて放っておいた。蜂はとうとう浜松までついてきてしまった。
携帯電話が鳴った。後輩のヤスオからだった。
「なんだ?」
「あ、山さん、すいません」
「金か?」
ヤスオは黙っている。
「金なら貸せないってこないだ言ったばかりだろうが。貸してやろうにもだいいちお前はだらしがなさ過ぎるんだ。せめて、前の金を返してからそういうことを言うんだな」
「すいません」
それきりまた黙ってしまう。山岡はしびれを切らした。
「いくら必要なんだ?」
なおもヤスオは黙っている。
「五万用意してやる。いいか、これきりだぞ、次はちゃんと返してからの話だからな」
「ありがとうございます、恩に着ます……」
途端に雄弁になった携帯を耳から離して一瞥すると、山岡はそのまま電話を切った。忌々しそうに舌打ちする。
「馬鹿野郎が…」
その時無線が鳴った。山岡の車番を呼び出している。
「はい、621号車」
「こちらセンター、山さん、今どこだ?」
「こちら621、浜松です」
「もう上か?」
「いや、まだ下道ですが」
「そうか、そりゃよかった。それじゃウチに戻るのとは逆方向だ、ウナギ積んで東京に向かってくれ。帰りの便は岡崎までだ」
「東京ですか?」
「そうだ」
「東京からの荷はなんです?」
「トマトだとさ」
「東京から野菜が出てくなんて珍しい」
「何か手違いがあったらしい。けどこれで空荷で走らずに済むさ、山さん空荷は嫌いだろう?」
「ええ、まあ」
「そんじゃよろしく頼むよ」
「621、了解」
「センター了解」

先頭 表紙

2004-01-03 近況報告

洗濯機買いました。全自動。便利。
ボタンひとつでピ。

今を去ること十数余年、学生の頃粗大ゴミ置き場で出会って怪我を治してやって以来僕の汚れ物を洗ってくれた働き者の二槽式洗濯機は脱水機がお亡くなりになってしまったのです。
ご苦労様でした。

今回購入した新しいものには今のところそれほど思い入れはありません。
でも便利。ピ。

とても便利。でも合掌。
ご苦労様でした。

先頭 表紙

始まって、そしてすでに完結しました。少し加筆修正しました。あけましておめでとうございます。どうぞ今年もよろしく。 / 揚水 ( 2004-01-08 20:30 )
明けましておめでとう!今年もよろしく! おお、早速連載が始まっているのね。 / みるみる ( 2004-01-08 10:12 )
確かにもう携帯は洗濯したくないですね。つっても、携帯が溺れたのは銭湯のコインランドリーでのことでしたが(笑)。 / 揚水@携帯から ( 2004-01-06 08:46 )
う〜ん。長く使った物って愛着がありますよね。 わかるなぁ〜。 感謝&合掌。 今度は携帯洗濯しないでね〜(^‐^) (笑)  / ぷらら ( 2004-01-04 20:04 )

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