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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-02-16 真理
2002-02-16 穴に棒を入れて
2002-02-16 たくさんの神様
2002-02-15 魚の目
2002-02-15 咀嚼音
2002-02-14 だってそう言ったじゃない
2002-02-12
2002-02-11 川の虹
2002-02-07 団地妻どんぐりの背比べ、とか。
2002-02-04 みたび鵡川


2002-02-16 真理

特定のものの見方一つで世界すべてに通底するなにものか、世界すべてを語ることができると考えることは不遜、かつ困難であるかあるいは不可能である。
それが科学であろうと宗教であろうと。

1+1=2であるということは揺るぎない真理であると、疑問の余地もないことだと考えるであろうか。
一面それは「真理」であり、他の一面からはその真理はそもそも成り立ちもしない。
1+1=2であるという「真理」は、条件付きで「真理」であると言える。

自然科学の一つであろう数学においての約束事というものがある。簡単な例を挙げれば、リンゴ1個もミカン1個も同じ「1」という、数字という抽象概念に還元して物事を考え、考えの筋道を立てていくということにでもなろうかと思う。そういう前提があって初めて1+1=2であるということも成り立つ。
「引き算」と「引き算」を「掛け」ると「足し算」になるということも、これと同様のそして少し異なる条件、約束事であって、それを無視しては論そのものが成り立たない。
柿8個とバナナ12本では果物は全部でいくつになりますかという質問には20と答えなければならないのであって、12本というのは一房12本であるのかはたまた一房8本のバナナとばらのバナナ4本であるのかなどと悩んでいてはもうどうしようもない。条件をはずれては真理の導きようがない。
死者4名と負傷者25名を掛けて生存者100名を算出しようという計算方法を持ち出すことなどは、約束事の無視以前の問題だ。

ことがこれほど単純なことであれば取り違えようもないのに、複雑な問題においては、たとえば世界はこの数式一つで表すことができるなどと強く言い切る誘惑に、人は抗うことが難しいように見受けられる。訳も判らないまま相対性理論をもてはやすことも、そうしたことかもしれない。
論を立てることとそれをただもてはやすことは厳然と異なる。
算数であっても高等数学であっても、あるいは科学のほかのどんな分野であっても、それはあるルールに従ってあるものの見方をすればという条件の下、世界の一側面を人間の理解できる言葉に置き換えて世界を語ってみようという試みに過ぎない。

言葉ということであるのならば、それはこと科学には限らない。
もし仮に誰かが「世界は、愛です」などと言ったとしても、僕はそれに素直に肯んずるには躊躇いがある。それはそうなのかもしれない。だがしかし、世界には現に愛を受けられない人もいるであろうし、そもそもその「愛」とは何をもって「愛」と言うのだろう?
そのように考えてしまって、素直に丸ごとその言葉を受け入れることはできない。
誰かが「政治家なんて結局みんな似たようなもんだろ」と言ったとすれば、僕はその人物が政治家というものに対して判断停止しているのだなと考えるだけだ。考えた上でそのように思っている人はわざわざそのようなことを言ったりはしないし、言ったとしても「結局」や「要するに」などの文言は簡単には使わないだろう。

キリスト教によれば、結婚式のライスシャワーは、厳密に言えば幸運や多産を願う迷信であって、「偽り」の信仰や聖書が「非」とする他の慣行に結びつくという。知らなかった。
キリスト者が「真理」と見なさないことであっても、元々それが属するところでは素直に新郎新婦を祝福する好意から出る行為であるなどということはままあるのだろう。
どちらが正しいということではないと思う。

何事にも通底する「真理」を単簡な言葉でもって語ろうということは、ややもすればアフォリズムに陥りやすく、そうでなければ独善に傾きやすいのではないか。

先頭 表紙

パーさん、ありがと。 / 揚水 ( 2002-02-17 23:46 )
それ送ってちょ。真理の形が人それぞれであるのはいっこうに構わないのさ。ただ、自分の真理が人の真理とぶつかり合うということ自体そもそもその人が真理には辿り着けていない証左だと思うのよ。仏教の教義でイスラム教徒を包むことや、キリスト教徒の「愛」で他宗教を「赦す」ことがなぜ不可能なのかと考えてしまう。難しくても、完全に不可能ではないと思う。甘いかな? 宗教の話まで持ち出さなくても、人の言うことに耳を傾けることであってもそう。実行している人もいると思う。 / 揚水 ( 2002-02-17 15:07 )
宗教家も含めて、「真理」ってその人ごとの内的なものだと思うよ。ない人もいっぱいいるしそれでいいと思うの。私が最近「なんじゃそりゃあ?」と思うのは「もしも世界が100人の村だったら」だな。読んだ?「ええの?そんなん言い切ってさ。」って思ったよ。友人が、私と同じように思ったのにチェーンメールとして送りつけてきたからざーっと読んだんだわ。ていうか、「?」て思ったのに送るか?ふつう? / パオラ@結婚式はいいの。イベントだから。 ( 2002-02-17 00:55 )

2002-02-16 穴に棒を入れて

穴に棒を入れて擦過すると気持ちいい。
彼女はそれが大好き。僕も好き。

彼女はあまりのことに興奮して涎をこぼしそうになることがある。
「あっ、大きい」
嬉々としている。
「うご」
と間抜けな声を立てることもある。

僕はあまりの気持ちよさに瞼を開くことができない。
「うおっ、そこそこ、そこがいい」

僕の家で二人が逢う度にやっている。
僕は毎日でもしてもらいたい。
彼女は毎日でも棒を入れて擦りたがる。

クラゲの太股が触れて気持ちいい。

入れるのはクラゲで、入れられるのは僕。
クラゲが僕の穴に棒を入れる。

気持ちいい。

耳掻きって、本当に気持ちいい。

先頭 表紙

まあ、ドキドキしてくださる人がいらっしゃればしてやったりでございます。 / 揚水 ( 2002-02-17 14:52 )
最後まで読むまでドキドキしちゃった(^0^) / おとめ ( 2002-02-16 22:18 )
はじめまして、クマさん。お名前からお察しするに、あなたの場合穴に入れるんじゃなくて、穴に入って気持ちよくお休みなのでは(笑)? / 揚水 ( 2002-02-16 19:36 )
しーっ、ばらすんじゃありません、パーさま。へえ、そうなんだ…。 / 揚水 ( 2002-02-16 19:36 )
そだねー、穴に入れるのは気持ち良いよねー / クマ ( 2002-02-16 11:45 )
あのね、耳掻きって性欲の発露っていうのが整体的には言えるんだって。だから耳掻きがしたくなったら早く「ことをいたす」いたほうがいいんだって。 / パオラ@そのHPをあとで送ります ( 2002-02-16 07:32 )

2002-02-16 たくさんの神様

僕の勤め先の社長は創価学会員である。
パートさんの中にはものみの塔の信者もいる。彼女は僕と小中学校が同じで、出身地の他県で偶然十数年ぶりに同じ職場で再会した。
従業員の男の子は「俺は無宗教だ。宗教ってもんがわからん。あんなもんどうせみんな一緒だろ」と言ってはばからないが、彼の母親は立正佼成生会員らしい。

フランスを旅行したとき、僕が日本人だと知って嬉しそうに、大事にしている池田氏の著作をわざわざ家まで取りに行って見せてくれた現地の学会員のおばさんがいた。

僕の妹は嫁ぎ先が歴史的にキリシタンの土地柄ということもあってカソリックに改宗した。
大学の時の一級後輩の女の子は卒業後プロテスタントのある宗派に入信した。
僕の友人の奥さんはキリスト教信者だし、友人の中には臨済宗の僧侶がいる。

僕が通った幼稚園も確か臨済宗で、すぐ近くにカトリ幼稚園と僕らが呼んでいたカソリックの幼稚園もあった。
実家は曹洞宗の檀家で、父方の祖母は嫁ぎ先の檀家でありながら熱心な日蓮宗信者だった。

知人に共産党員がいる。彼らは本来無神論であると何かで聞いた。

学生時代、住んでいる部屋にエホバの証人の布教活動をしている人が訪ねてきて、しばらく話した後に立ち話もなんだからお茶でもと言って断られた。
あなたのために祈らせてくださいと道端で声を掛けられて、結構ですと断った。
アジアからの留学生が集まるパーティーにお邪魔させてもらったことがある。その中にはきっとイスラム教徒の人もいたことだろう。
モルモン経をもらったことがある。
友人のアパートで集まって飲んでいてみんなでおばけを見た。
大学のある町は秀吉の時代の古戦場があり、大戦中は半島の人たちが強制労働を強いられていたということもあって、何者かの気配を感じることはざらだった。

僕は檀信徒であるはずの曹洞宗も幼児期に関わった臨済宗も、その教えの教義的なものを詳しくは知らないけれど、自分は仏教者であろうと思っている。

たくさんの神様、というか人智を越えた存在がいる。
たくさんの人たちがその自分を越えた存在を拠り所に、生きている。
あるいはいないと思っている人がいる。そういう人は思想をその拠り所にしているか、何も考えようとしない人に大別できるかもしれない。

意識無意識に関わらず、考えても感じてもいない人を除いては、人は何ものかに拠って生きていると思う。
そして、僕はそうあって当然だしそうあって欲しいとも思っている。
その拠り所は必ずしもみんなで同じものでなければならないということはないとも思う。

けれど、その拠り所が異なることが争いの原因になるというのは、とても悲しい。

先頭 表紙

理解はできる。したくなくても。でも認めない。 / 揚水 ( 2002-02-16 02:34 )
ハア、ハア、ハア、い、いっぺんにアップするとつっこみ大変じゃんかよー!ゼイ、ゼイ、ゼイ、、、、。 / パオラ@達成感? ( 2002-02-16 01:57 )
「真理はひとつ、教典もひとつ」と言ってはばからない身内どうしでもめていることが私には許せないし理解できないの。他宗教どうしてもめるのは理解したくないけど「無理もない」と思えます。 / パオラ ( 2002-02-16 01:41 )

2002-02-15 魚の目

 生きているということは、言い換えるならば、絶えず外界の刺戟にさらされながら、その刺戟を受容することでもある。屍体にはその能力はない。
 受容する、と一口に言っても、大きく分けて二つの種類があるように思う。表面での受容と、内面での受容。内面受容の代表の一つが脳での知覚で、そのほかにもいくつか考えられるだろうが、ひとまずそれはおく。そして、皮膚の触覚に限らず視覚や嗅覚は表面の受容のうちにはいるだろう。それら表面の受容も脳での処理なしに感得されることはないが、それもおく。外界に触れているのは脳そのものではない。からだの、表面だ。

 今、この女にはそのどれもが不可能となってしまった。つまり、すでに死んでしまっている。俺が殺した。どうしてもっと早くこうしなかったのだろう。

 魚の目が怖いとあの女は言う。だからうちの食卓には切り身の魚しかのぼることがないのだと。何がそんなに怖いんだと尋ねると、虚ろな視線が怖いと言う。死んだ魚は何も見ていやしない。もう何も見ることはできないんだ。なにせ死んでしまっているのだから。そんな視線は、ない。
 俺がいくらそういっても、聞かない。そのくらい知ってるわよ。そんなことないはずなのに見られているような気がする、それが怖いのよ。
 ある時俺は自分で酒の肴を作ろうと、ブリのあらを買ってきた。
 俺は、あの女が別に魚の目なんて怖くも何ともないことくらい、ちゃんと知っている。あいつが何故魚を捌くことを極端にいやがるのか、知っている。その証拠に、あの女は俺が作ったブリ大根を、さも旨そうになんの文句も言わずに食べていたではないか。
 生の魚は、臭い。あの女は、自分の手にその臭いが付くことを嫌っている、それだけに過ぎない。

 だから、殺した。俺とあの女の実りのない結婚生活は、そうして幕を閉じた。

 あの女を殺した日の夜、俺は久しぶりに泣いた。解放の喜びとも愛するものを失った悲しみともつかない不思議な感情に胸が締め付けられる思いがした。そうだ、俺はあの憎たらしい女を愛していた。
 間違いなく、愛していた。

先頭 表紙

いや、たまたま書きためてたものを出したんですってば。信用して。あーでも、やっぱ、うーん、そうかな? / 揚水 ( 2002-02-16 02:37 )
生々しいね。記憶の断片がこうやって作品に昇華するんだね。 / パオラ ( 2002-02-16 01:43 )
ま、まさか。そんなことあるわきゃないじゃないですか。 / 揚水 ( 2002-02-15 22:53 )
わーお!実話かと思って、ドキドキしちゃった(^^; / おとめ ( 2002-02-15 22:04 )
もちろん実話ではありません。 / 揚水 ( 2002-02-15 22:00 )

2002-02-15 咀嚼音

僕は、人が唇を閉じないでものを食べる音を聞くのがきらいだ。

職場にそういうものの食べ方の人がいる。僕はそういう音を聞くのが確かにきらいだけれど、気にとめないようにすれば割に平気でいられる。
かつて平気でいられないことがあった。
同僚のたてる音に平気でいられるのは、彼が僕にとって近しい人ではないからだ。近しい人の場合、とても気になる。
まして一緒に暮らしている人ならば。

初めのうち、僕は食事の度にそのことを注意した。飯が不味くなるからだ。近しい人だから言えるというのもある。けれど彼女に言わせれば、二十数年そういう食べ方をしてきて今更急に変えろと言うのは無理な注文で、それにそんなことをいちいち気に掛けていてはご飯がおいしく食べられないと言う。
それももっともだと思ったので逐一注意するのでなく、三回に一回、五回に一回の割合で「口を閉じてくれ」と「お願い」するよう心掛けた。それでも彼女はその度に口うるさいと怒った。たまに気をつけてくれることがあっても結局あらためなかった。人生のやり方が違う人間が同居するのは難しいこともある。

それに彼女は調味料の容器のふたを完全に締めなかった。ふたをつまんで持とうとすると中身をこぼすから締めてくれと言うと、どうせすぐ使うんだからそっちがこぼさないように気をつければ済むと反論する。僕が怒る。彼女も怒る。
二人は万事この調子だった。彼女はやりたいように振る舞う。僕はそれが気に入らないことであれば叱言を言う。決まって最後は彼女が「自分のやりたいようにやって何が悪いの」と爆発する。
僕は人間が二人以上いれば、ただやりたいままに振る舞うのは間違っていると考えている。けれどそれを上手く説明できないまま、こちらも爆発する。
お互いにいたわる心が足りなかったと今では思う。僕は彼女をわがままだと一方的に考えていた。彼女は僕を、自分のルールに私を従わせようと説教ばかりして私の人格を認めていないと言っていた。当たっている部分もあると思う。
そのうち僕は、自分が折れることばかりで彼女だけやりたいようにやっていると感じ、彼女に様々なことを「してあげている」と思うようになり、それを口にするようにすらなった。彼女はそっちが勝手にしたくてしたことを「してあげている」などと言うのはおかしいと反論するようになった。僕は彼女をわがままだと詰った。彼女は抑え付けられるのはたくさんだと叫んだ。

お互いにいたわることができれば何の問題も無かったかもしれない。けれどそうはならなかった。

二人は一緒に暮らすことができなくなってしまった。

僕たちはあまりにも未熟だった。相手のあることで自分の我ばかり通そうとしてもうまくいくはずがない。そんな簡単なことも判らなかった。自分を持ってその上で相手のことを認めなければならない。自分と他人は違う。折れるべき時は折れ、ぶつかることを避けるだけではまたそれもおかしいから、主張すべき時は主張する。人を愛するとはそういうことでもあると思う。今では。
僕は彼女を愛せなかった。受け止めることも、受け止めてもらうこともできなかった。それを悔やんでみても、僕が彼女を愛することはこの先もないだろう。ただお互い傷付けられ傷付けたことを忘れないでいることしかできない。既に起きてしまったことは、消せない。

人に、優しくできる人になりたい。

先頭 表紙

まあそうです。人と人は折り合いも付けなければ。でも、だからこそ僕も悪かった。むこうもひどかったし。どちらが悪い、こっちはこんだけそっちはそんだけ悪いと険悪になった原因の割合をはかるのは愚の骨頂。理想を言えば人生のセンス、趣味の合わない人も理解できるようになりたい。あくまでも理想であって、これからも人を罵って生きることは多々あるだろうけれど。彼女のことはもう二度と罵れないなあ。 / 揚水 ( 2002-02-16 02:33 )
私は話し合いができない人とはつきあえません。妥協点をみつけることができなければつきあいなんて続けられない。 / パオラ ( 2002-02-16 01:55 )
いらっしゃいませ乳弾さん。最近バス乗ってないからなあ。「チョマ」ってのは凄いですな。ヤだ。 / 揚水@“ちちはずみ?” ( 2002-02-16 00:39 )
初めましてです。私は一人で外でランチを食むゆえに相席が多くそしてクチャおじさんに遭遇率もかなり高くて参っています。後・・・バスの運転手さんのマイクを通じて聞こえるあのねっちょりしたチョマ!チョマ!って音にも参っています / 乳弾(しかしこんな名前で何をいっても・・ ( 2002-02-16 00:03 )
lim.さん、逃げであり妥協であり、そしてそれを越えて愛でしょうね。目を瞑らず背けないことも同様に。なにせ他人が自分と異なるのは当然なのですから。見ないでいることもしっかり見据えることも、時と場合によってどちらも必要でしょう。 / 揚水 ( 2002-02-15 20:33 )
Kyoさん。ベ、ベッド…。ご飯を作るときはよかったのですよ、二人とも好き嫌いないし。素直ですか。人に対して素直になるというより、自分に対して素直でした、二人とも。そんな余計なところはよく似てた。 / 揚水@そうです、男なのです ( 2002-02-15 20:33 )
はじめまして、綾丸さん。鳥肌立ちますよ。彼女はそもそも我慢することが、人に我慢させられることが嫌いでした。それでも彼女にすればずいぶん我慢していたこともあったのだと、後になって気がつきました。こぼしたミルクは元には戻りませんし、後悔してもいません。彼女は彼女、僕は僕でいられるようになった部分もあると思いますから。二人でそれができなかったことを正当化してはなりませんけれど。 / 揚水 ( 2002-02-15 20:32 )
私は生活態度についてほとんど人のことは気にならない人間なのですが、さすがに私の前で毎日チョコレートを1キログラム食べる人とは一緒にいられない気がします。でも、価値観の違いは人の中に根づいていて、どうしても克服できないところってありますね。そこに目を瞑ることは愛なのか。それとも他人格からの逃げなのか?妥協なのか・・・ / lim. ( 2002-02-15 15:03 )
男と女は“キッチン&ベッド”だね。これがうまくいかないと、ほとんどの場合ダメになっちゃう。ただ、優しさ故の注意は必要だと思う。相手が他所で恥をかかないように、ね。私も旦那によく注意されるけど、私の為を思って言ってくれてるのがわかるから、素直にきいてます(エヘ☆)。 / kyo@揚水さんて男性だったのね。 ( 2002-02-15 10:12 )
私もクチャクチャ音が、背筋がぞっとするくらい嫌いです。でも、そういうことを相手にいうのは難しいですね。「自分はお前の××が嫌いなのに、がまんしている」そういわれたら、泥沼です。離婚原因の多くは、こんな些細なことから行き違いが始まって、とも言います。二人いれば、それぞれに考えが違う。それがわかっていても、うまくできないのが悲しいです。 / 綾丸@初めまして ( 2002-02-15 09:24 )

2002-02-14 だってそう言ったじゃない

消防団の団員に、まったくと言っていいほど消防に出席しない人がいる。

ある時その人が僕に、「俺って人気者なんだな」と言ってきた。
訳が分からず次の言葉を待っていると、
「みんなが俺のこと気に掛けて出てこい出てこいうるさいもんな」と言う。
この人はどういう思考回路と会話感覚をしているのだろうとつらつら考えていると、さらに、
「不思議だ」
と言う。
「何がです?」
僕が尋ねると
「分団長には言ったんだけどな」と言う。
「?」
「出てこなくてもいいから消防に入ってくれって言うから入ってやっただけなのに。出て来いって言ってみたり、この先(辞めるか来るようにするか)どうするかゆっくり考えてみてくれとか言ってみたりするなんて、不思議で仕方ない」

僕はなにも応えずただ黙っていた。彼はその沈黙を息苦しく思い始めたかもしれないが、なに構うものか。

子供じゃあるまいし、言葉の綾というものもあるだろうに。

先頭 表紙

魏・呉・蜀とか、高句麗・新羅・百済とか、朝鮮・琉球・蝦夷とか、駿河・甲斐・相模とか。三つありゃ何でもいいんじゃないの? / 揚水 ( 2002-02-16 19:37 )
え?三国一ってそういう意味だったの?えー、知らなかった。知恵の泉ー。 / パオラ@ほほお ( 2002-02-16 07:30 )
天竺と唐の国と日の本で一番とは、豪儀だねえ。 / 揚水 ( 2002-02-16 02:32 )
三国一のしあわせ者。 / パオラ@ツラが拝みてえや ( 2002-02-16 01:50 )
lim.さん、僕その人のこと嫌いじゃないんですよ(笑)。よく顔に出さずに脳味噌だけで爆笑させてもらってますが、はたと気づけば、僕自身いかほどお偉いものか、と。 / 揚水 ( 2002-02-15 20:31 )
は、恥ずかしい奴(笑)。私が最も軽蔑してしまうタイプの人ですねえ。 / lim. ( 2002-02-15 15:08 )
あーちゃん、そういう言い回しをするのがおもしろいと思っているんですよ、きっと。 / 揚水 ( 2002-02-15 00:54 )
その勘違いっぷりは、逆に面白い!!(爆)<俺って人気者 / AHchan ( 2002-02-15 00:18 )

2002-02-12 机

僕の姪は、今春小学生になる。妹の娘だ。
鯨の古名である美しい響きの言葉を名に持つ。

その猛々しい字面と音に、双方の親を含む妹の知り合い全員がその名を付けることに反対していたのに、
「兄ちゃんだけが『よか名前たい』って手放しで賛成してくれたとばい」
と訳の分からない感謝をされたこともあった。
その子がもう就学する。月日の経つのはまこと早いものである。

ある時僕が自分の母親と電話で話していて、「机ば買うてやらんばいかんって思いよっとたい」という言葉を聞き止め、
「そんくらいおいが作ってやったい」と大言壮語を吐いてしまった。
そのころ僕は仕事で炭焼き小屋を建てていたので、木を構うことが楽しくて仕方なかった。

なによりその電話をしていたとき、僕は酒に酔っていた。

それからが大変である。手紙でも電話でもメールでも、
「あげみくん、つくえは?」と姪に聞かれる始末である。
よほど楽しみにしてくれているらしい。

少しずつ仕事その他の合間を縫って机を作っている。一人でできない作業があるときは、クラゲが来たときにまとめて手伝ってもらっている。
8日から11日に掛けてクラゲがうちに来てくれた。おかげでずいぶんはかどった。
後は抽斗を付けるだけだ。学習机にありがちな棚はやめて、ただ上に載せるだけの本棚を作ってやろうと考えている。それも作らなければならない。

「なんか、この机私が欲しいくらい」
クラゲは嬉しいことを言ってくれる。
「そうだね。でも、自分で欲しくなってあげたくなくなるんじゃなくて、自分が欲しいくらいのものがあげられるって、いいよね」
「うん」
ご飯を食べながら、寝そべって本を読みながら、クラゲと僕はそんな話をした。

三月の末に郷里に戻ってそこから離島である妹の嫁ぎ先にフェリーで渡り、机を配達する。
ああ、楽しみだ。

先頭 表紙

あれ? トリ嫌いじゃなかったっけかや? / 揚水 ( 2002-02-16 02:39 )
ふつうの学習机よか幅が10センチ、奥行きが20センチ以上も広いよん。 / 揚水@お休みでしょうね ( 2002-02-16 02:31 )
下の記事のつっこみ。えーとね、なんか貧血で具合が悪くて暗い考えにつつまれてたの。でももうわすれちった。 / パオラ@トリだからさ。3歩もあれば十分。 ( 2002-02-16 02:30 )
ほお。いい話だね。てことは3月末はしばらく日記お休みなんだね。ところで風水で言うとよくある学習机の上の本棚ってよくないらしいね。個人的には机は広いのが好き。 / パオラ@春が待ち遠しいね ( 2002-02-16 01:49 )
としぼう、ひゃー言ってくれて嬉しいっす。 / 揚水 ( 2002-02-14 23:17 )
あーちゃん、言い得て妙だと思います。多分、みんなと一緒がいいと、最初は思うでしょう。けれどそう、いつか自分に関わりのある人間が手作りしたものであることを誇りにしてくれるであろう期待はあります。そうやって言ってもらえて勇気が出ます。 / 揚水@コイズミは不可? ( 2002-02-14 23:16 )
ひゃー、手作りの机なんて、すごいプレゼントだねぇ!そんな思い出のプレゼントなんて、人生で何回もらえるだろうか。 / としぼう ( 2002-02-13 23:29 )
子供の頃はね、正直いって「くろがね学習机」の方が欲しいのよ。だけど中学生位になると、手作りの机の方が断然、羨ましくなるのよね!だから揚水さんが作ってあげた机、ずっと大切にしてもらえると思いますよ! / AHchan ( 2002-02-13 01:12 )
大正解です。ここに直接書かないお気遣い、痛みいります。 / 揚水 ( 2002-02-12 22:45 )
姪子さんのお名前はこれでしょうか。口車姪のりんごちゃんは、今年2年生になります。 / 口車大王2号 ( 2002-02-12 22:40 )

2002-02-11 川の虹

あなたは橋のたもとに立っている。
誰かがもしこの橋の向こうに行けば幸せが待っている、この橋を渡れば幸せになれると教えてくれたとしたら、あなたは橋を渡るだろうか。

今は夜。外は雪が降っている。

あなたは思い出す。いつであったか定かではない記憶。ひょっとしたらあれは夢で見た光景だったのかもしれない。晴れていた。あなたは橋を渡っている。
橋の途中で、あなたはふと思いついて川面を見下ろす。川はゆるやかに、とうとうと流れている。川はきっとずいぶん前から、あなたの生まれる前からそこにあり、多少姿形を変えてはいても、今と同じように流れ続けていたことだろう。あなたは川面を見つめている。
あなたは大事なことに思い至る。川はそこにある。確かにそこにある。だがしかし、そこに変わることなくある川がたたえる水は、一時たりとも同じ水が同じ場所にとどまることはない。常に、移り変わっていく。

あなたは空を見上げる。そして川の行く手に虹が架かっているのを見つける。
思い出した。今は晴れているが、少し前までは雨が降っていたのだ。そして気づく。
虹は、移ろいゆくもの。一時も同じところにとどまらない。その時々で、現れるべき時と場所を選んでは、あらゆる場所に現れる。けれど、川がそうであるように、いつも「そこ」にあるのだということに。
虹は、たとえその姿が見えないときであっても確かにそこにある。いつも、いつも。
いつもそこにあるものがたまたま目に見える形を取って現れたとき、そのことを人は虹が架かっていると言う。

あなたは自分の考えに満足する。
そして歩き出す。欄干から離れて、虹に向かって。
方向は決まっていない。虹はいつでもどこにでもあるのだから、どこへ向かって歩き始めても同じことだ。

あなたは自分が橋のどちら側からやってきたのか、もう思い出すことはできない。それでも構わない。
あなたは歩き始めなければならない。
立ち止まって思い悩むべき季節は、すでに過ぎた。

先頭 表紙

なんに悩むのだ? パーさんよ。 / 揚水 ( 2002-02-12 21:02 )
lim.さん。そういうものの見方もできるのですね。僕はそれを読んだ人が自分の内面を写すような、鏡のような文を書きたかったので、嬉しく思います。ちなみに僕は教えてもらったからといって橋を渡ることはしません。渡りたいとき、渡るべきときだと自分で思ったときに、渡る。そういう人になりたい、そういう人でいたい。 / 揚水 ( 2002-02-12 21:01 )
思い悩みそうな午後9時前。 / パオラ@くすりクスリ薬 ( 2002-02-12 20:49 )
流れる時間こそが、自分を作るものですね。時間が止まってしまえば、自分も止まる。 / lim. ( 2002-02-12 16:22 )

2002-02-07 団地妻どんぐりの背比べ、とか。

 子供を産まないでいることをそんなに犯罪か何かのように、人として間違ったことをしているかのように言わないでほしい。言われるとつらい。そして「ごめーん、そんなに気にするなんて思わなかった」などとは、それこそ間違っても言わないでほしい。
 そんなことを無邪気に言われたら、きっと私はあなたを殺してしまう。いいえ、違う、それは違う。そんなこと言われなくても、私は今すぐにでも、
 あんたを殺してしまいたい。
 死ね。

 でも、そんなことはできない。
 だいたい、私は彼女から、彼女たちから、子供のことに関して何を言われたわけではない。面と向かっては。
 それは、余計に酷いことではないだろうか?

先頭 表紙

あ、そうだ。つっこみしてくださった全員につっこみ返ししたつもりになってて大事なこと忘れてた。「惚れた」だなんて…、きゃー、だ。 / 揚水@うう恥ずかしい。僕はクラゲオンリー ( 2002-02-12 03:05 )
人と自分との間の優劣を決めたがることは、愚かしくむなしいことです。「結婚結婚」についてはまたの機会に。 / 揚水 ( 2002-02-11 12:42 )
ただ、腹が立った。そしてそのとき、お互いの言い分を、せめて聞く耳を持つことができたらいいと夢想します。難しいことだけれど。 / 揚水 ( 2002-02-11 12:40 )
大事なのは、マイノリティーの側からのこのようなものの見方を示したとき、同時にマジョリティーを攻撃することがないように気をつけることだと自戒します。それは本意ではない。批判と攻撃は違う。自分の「方が」正しいと主張しては、彼らと同じことをすることになってします。 / 揚水 ( 2002-02-11 12:37 )
じゃあ今度は結婚結婚とうるさく言われて殺意を抱く女について書いてほしいです。 / パオラ@大きく共感します! ( 2002-02-09 17:38 )
大丈夫!誤解してないと思うよ!人の会話に感情移入して、当人でもないのに憤ってくれるなんて、素敵だ。惚れた。 / としぼう ( 2002-02-08 08:23 )
子供をちゃんと育てられている人だけが言って欲しい。ろくでもないガキが多すぎないですか?ただ子供を作るのはいいけど、何も偉くない。そこに価値を見い出されてもなあ。 / lim. ( 2002-02-08 08:00 )
リアルな短編で何より。 / パオラ@そういうことだったのね。納得。 ( 2002-02-08 02:05 )
きっと余程話題がなかったか、子を成すことでしか自分の価値を証明できなかった、あるいはしなかった人の言ではないのでしょうか?「子供はいいわよー。」的な発言は、本当はものすごく大変でやなことだらけのくせに「結婚はいいわよー。」って言ってはばからないのと同じくらい腹が立ちます。 / パオラ@どの口がそう言う?この口か? ( 2002-02-08 01:38 )
訂正。はじめまして、kyoさん。まず始めにお断りしておきますが、僕は男です。上の文章は、同年代の子持ちの奥さんに取り囲まれた女性のことを想像していて、自分の想像に感情移入して腹が立ったそのときの気持ちを書いてみたものです。ちなみに僕に子供はいませんし、今の段階では恋人との間にも望めそうもありません。僕が不妊に悩む女性だと思われたのならごめんなさい。ただ、腹立ったんです。 / 揚水 ( 2002-02-08 00:32 )
としぼうへ。僕は絶対に言わない。そして言うやつを許さない。こっそり軽蔑しない。面罵する(実際やったことがあるけれど、あれは勇み足だ)。 / 揚水 ( 2002-02-08 00:18 )
それと、思い立ってショートストーリィじみたものを書こうとも思っていて、その一回目とも言えますか。説明を全くしなかったのはまずかったですね。kyoさんにそんなことを言ってくださる年輩の方がいるということを知って、ほっとしています。 / 揚水 ( 2002-02-08 00:16 )
挨拶がわりで便利な会話がわりで、当然のこと、なんて思ってる人を更正させようとしても疲れるから、相手にしないでこっそり軽蔑してやればいいのだ / としぼう@私も今日、言われたぞ ( 2002-02-08 00:14 )
はじめまして、kyoさん。まず始めにお断りしておきますが、僕は男です。上の文章は、同年代の子持ちの奥さんに取り囲まれた女性のことを想像していて、自分の想像に感情移入して腹が立ったそのときの気持ちを書いてみたものです。ちなみに僕に子供はいませんし、恋人との間にも望めそうもありません。僕が不妊に悩む女性だと思われたのならごめんなさい。ただ、腹立ったんです。 / 揚水 ( 2002-02-08 00:10 )
女は子供を欲しがるもの、と思って疑わない人多いからねぇ。私も「子供は?」攻撃にさらされた時期があったけど、年配の方が「あれは挨拶がわりよ、気にしないでいいのよ」と言ってくださって、すごく気が楽になったことがあります。 / kyo@はじめまして ( 2002-02-07 23:55 )

2002-02-04 みたび鵡川

21世紀枠というものがあるらしいですね。
春の選抜初出場北海道「鵡川」は、その21世紀枠だそうです。

その選抜(?)理由がふるっています。
過疎が進む土地で、廃校廃部の危機にさらされながらもがんばっているからというのです。
地元の希望の星だともいいます。

これを知るだけで「鵡川」を応援したくなりませんか?
僕はなります。
ししゃもの土地の球児だということで訳もなく親近感を抱いていたものが、何かもう一つ後押しされたような気分です。がんばってもらいたいものです。

行ったことのない、自分の知りようもないところにも、人が生きて暮らしているのだな。
そんな当たり前のことがあらためて思われて、なんだか嬉しくなってしまいます。

先頭 表紙

本ワサビもうまいです。 / 揚水 ( 2002-02-07 18:30 )
鵡川高校を語るたびに、本ししゃもを食べたくなる私。なんたって「本○○」にはめっぽう弱い / としぼう ( 2002-02-06 02:17 )
まったくだ。 / 揚水 ( 2002-02-04 23:43 )
早く校章見せてほしい。 / パオラ ( 2002-02-04 23:33 )

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