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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-02-15 魚の目
2002-02-15 咀嚼音
2002-02-14 だってそう言ったじゃない
2002-02-12
2002-02-11 川の虹
2002-02-07 団地妻どんぐりの背比べ、とか。
2002-02-04 みたび鵡川
2002-02-04 モノになってしまうって、どんな感じだろう?
2002-02-03 大好きな友人
2002-02-02 再び鵡川


2002-02-15 魚の目

 生きているということは、言い換えるならば、絶えず外界の刺戟にさらされながら、その刺戟を受容することでもある。屍体にはその能力はない。
 受容する、と一口に言っても、大きく分けて二つの種類があるように思う。表面での受容と、内面での受容。内面受容の代表の一つが脳での知覚で、そのほかにもいくつか考えられるだろうが、ひとまずそれはおく。そして、皮膚の触覚に限らず視覚や嗅覚は表面の受容のうちにはいるだろう。それら表面の受容も脳での処理なしに感得されることはないが、それもおく。外界に触れているのは脳そのものではない。からだの、表面だ。

 今、この女にはそのどれもが不可能となってしまった。つまり、すでに死んでしまっている。俺が殺した。どうしてもっと早くこうしなかったのだろう。

 魚の目が怖いとあの女は言う。だからうちの食卓には切り身の魚しかのぼることがないのだと。何がそんなに怖いんだと尋ねると、虚ろな視線が怖いと言う。死んだ魚は何も見ていやしない。もう何も見ることはできないんだ。なにせ死んでしまっているのだから。そんな視線は、ない。
 俺がいくらそういっても、聞かない。そのくらい知ってるわよ。そんなことないはずなのに見られているような気がする、それが怖いのよ。
 ある時俺は自分で酒の肴を作ろうと、ブリのあらを買ってきた。
 俺は、あの女が別に魚の目なんて怖くも何ともないことくらい、ちゃんと知っている。あいつが何故魚を捌くことを極端にいやがるのか、知っている。その証拠に、あの女は俺が作ったブリ大根を、さも旨そうになんの文句も言わずに食べていたではないか。
 生の魚は、臭い。あの女は、自分の手にその臭いが付くことを嫌っている、それだけに過ぎない。

 だから、殺した。俺とあの女の実りのない結婚生活は、そうして幕を閉じた。

 あの女を殺した日の夜、俺は久しぶりに泣いた。解放の喜びとも愛するものを失った悲しみともつかない不思議な感情に胸が締め付けられる思いがした。そうだ、俺はあの憎たらしい女を愛していた。
 間違いなく、愛していた。

先頭 表紙

いや、たまたま書きためてたものを出したんですってば。信用して。あーでも、やっぱ、うーん、そうかな? / 揚水 ( 2002-02-16 02:37 )
生々しいね。記憶の断片がこうやって作品に昇華するんだね。 / パオラ ( 2002-02-16 01:43 )
ま、まさか。そんなことあるわきゃないじゃないですか。 / 揚水 ( 2002-02-15 22:53 )
わーお!実話かと思って、ドキドキしちゃった(^^; / おとめ ( 2002-02-15 22:04 )
もちろん実話ではありません。 / 揚水 ( 2002-02-15 22:00 )

2002-02-15 咀嚼音

僕は、人が唇を閉じないでものを食べる音を聞くのがきらいだ。

職場にそういうものの食べ方の人がいる。僕はそういう音を聞くのが確かにきらいだけれど、気にとめないようにすれば割に平気でいられる。
かつて平気でいられないことがあった。
同僚のたてる音に平気でいられるのは、彼が僕にとって近しい人ではないからだ。近しい人の場合、とても気になる。
まして一緒に暮らしている人ならば。

初めのうち、僕は食事の度にそのことを注意した。飯が不味くなるからだ。近しい人だから言えるというのもある。けれど彼女に言わせれば、二十数年そういう食べ方をしてきて今更急に変えろと言うのは無理な注文で、それにそんなことをいちいち気に掛けていてはご飯がおいしく食べられないと言う。
それももっともだと思ったので逐一注意するのでなく、三回に一回、五回に一回の割合で「口を閉じてくれ」と「お願い」するよう心掛けた。それでも彼女はその度に口うるさいと怒った。たまに気をつけてくれることがあっても結局あらためなかった。人生のやり方が違う人間が同居するのは難しいこともある。

それに彼女は調味料の容器のふたを完全に締めなかった。ふたをつまんで持とうとすると中身をこぼすから締めてくれと言うと、どうせすぐ使うんだからそっちがこぼさないように気をつければ済むと反論する。僕が怒る。彼女も怒る。
二人は万事この調子だった。彼女はやりたいように振る舞う。僕はそれが気に入らないことであれば叱言を言う。決まって最後は彼女が「自分のやりたいようにやって何が悪いの」と爆発する。
僕は人間が二人以上いれば、ただやりたいままに振る舞うのは間違っていると考えている。けれどそれを上手く説明できないまま、こちらも爆発する。
お互いにいたわる心が足りなかったと今では思う。僕は彼女をわがままだと一方的に考えていた。彼女は僕を、自分のルールに私を従わせようと説教ばかりして私の人格を認めていないと言っていた。当たっている部分もあると思う。
そのうち僕は、自分が折れることばかりで彼女だけやりたいようにやっていると感じ、彼女に様々なことを「してあげている」と思うようになり、それを口にするようにすらなった。彼女はそっちが勝手にしたくてしたことを「してあげている」などと言うのはおかしいと反論するようになった。僕は彼女をわがままだと詰った。彼女は抑え付けられるのはたくさんだと叫んだ。

お互いにいたわることができれば何の問題も無かったかもしれない。けれどそうはならなかった。

二人は一緒に暮らすことができなくなってしまった。

僕たちはあまりにも未熟だった。相手のあることで自分の我ばかり通そうとしてもうまくいくはずがない。そんな簡単なことも判らなかった。自分を持ってその上で相手のことを認めなければならない。自分と他人は違う。折れるべき時は折れ、ぶつかることを避けるだけではまたそれもおかしいから、主張すべき時は主張する。人を愛するとはそういうことでもあると思う。今では。
僕は彼女を愛せなかった。受け止めることも、受け止めてもらうこともできなかった。それを悔やんでみても、僕が彼女を愛することはこの先もないだろう。ただお互い傷付けられ傷付けたことを忘れないでいることしかできない。既に起きてしまったことは、消せない。

人に、優しくできる人になりたい。

先頭 表紙

まあそうです。人と人は折り合いも付けなければ。でも、だからこそ僕も悪かった。むこうもひどかったし。どちらが悪い、こっちはこんだけそっちはそんだけ悪いと険悪になった原因の割合をはかるのは愚の骨頂。理想を言えば人生のセンス、趣味の合わない人も理解できるようになりたい。あくまでも理想であって、これからも人を罵って生きることは多々あるだろうけれど。彼女のことはもう二度と罵れないなあ。 / 揚水 ( 2002-02-16 02:33 )
私は話し合いができない人とはつきあえません。妥協点をみつけることができなければつきあいなんて続けられない。 / パオラ ( 2002-02-16 01:55 )
いらっしゃいませ乳弾さん。最近バス乗ってないからなあ。「チョマ」ってのは凄いですな。ヤだ。 / 揚水@“ちちはずみ?” ( 2002-02-16 00:39 )
初めましてです。私は一人で外でランチを食むゆえに相席が多くそしてクチャおじさんに遭遇率もかなり高くて参っています。後・・・バスの運転手さんのマイクを通じて聞こえるあのねっちょりしたチョマ!チョマ!って音にも参っています / 乳弾(しかしこんな名前で何をいっても・・ ( 2002-02-16 00:03 )
lim.さん、逃げであり妥協であり、そしてそれを越えて愛でしょうね。目を瞑らず背けないことも同様に。なにせ他人が自分と異なるのは当然なのですから。見ないでいることもしっかり見据えることも、時と場合によってどちらも必要でしょう。 / 揚水 ( 2002-02-15 20:33 )
Kyoさん。ベ、ベッド…。ご飯を作るときはよかったのですよ、二人とも好き嫌いないし。素直ですか。人に対して素直になるというより、自分に対して素直でした、二人とも。そんな余計なところはよく似てた。 / 揚水@そうです、男なのです ( 2002-02-15 20:33 )
はじめまして、綾丸さん。鳥肌立ちますよ。彼女はそもそも我慢することが、人に我慢させられることが嫌いでした。それでも彼女にすればずいぶん我慢していたこともあったのだと、後になって気がつきました。こぼしたミルクは元には戻りませんし、後悔してもいません。彼女は彼女、僕は僕でいられるようになった部分もあると思いますから。二人でそれができなかったことを正当化してはなりませんけれど。 / 揚水 ( 2002-02-15 20:32 )
私は生活態度についてほとんど人のことは気にならない人間なのですが、さすがに私の前で毎日チョコレートを1キログラム食べる人とは一緒にいられない気がします。でも、価値観の違いは人の中に根づいていて、どうしても克服できないところってありますね。そこに目を瞑ることは愛なのか。それとも他人格からの逃げなのか?妥協なのか・・・ / lim. ( 2002-02-15 15:03 )
男と女は“キッチン&ベッド”だね。これがうまくいかないと、ほとんどの場合ダメになっちゃう。ただ、優しさ故の注意は必要だと思う。相手が他所で恥をかかないように、ね。私も旦那によく注意されるけど、私の為を思って言ってくれてるのがわかるから、素直にきいてます(エヘ☆)。 / kyo@揚水さんて男性だったのね。 ( 2002-02-15 10:12 )
私もクチャクチャ音が、背筋がぞっとするくらい嫌いです。でも、そういうことを相手にいうのは難しいですね。「自分はお前の××が嫌いなのに、がまんしている」そういわれたら、泥沼です。離婚原因の多くは、こんな些細なことから行き違いが始まって、とも言います。二人いれば、それぞれに考えが違う。それがわかっていても、うまくできないのが悲しいです。 / 綾丸@初めまして ( 2002-02-15 09:24 )

2002-02-14 だってそう言ったじゃない

消防団の団員に、まったくと言っていいほど消防に出席しない人がいる。

ある時その人が僕に、「俺って人気者なんだな」と言ってきた。
訳が分からず次の言葉を待っていると、
「みんなが俺のこと気に掛けて出てこい出てこいうるさいもんな」と言う。
この人はどういう思考回路と会話感覚をしているのだろうとつらつら考えていると、さらに、
「不思議だ」
と言う。
「何がです?」
僕が尋ねると
「分団長には言ったんだけどな」と言う。
「?」
「出てこなくてもいいから消防に入ってくれって言うから入ってやっただけなのに。出て来いって言ってみたり、この先(辞めるか来るようにするか)どうするかゆっくり考えてみてくれとか言ってみたりするなんて、不思議で仕方ない」

僕はなにも応えずただ黙っていた。彼はその沈黙を息苦しく思い始めたかもしれないが、なに構うものか。

子供じゃあるまいし、言葉の綾というものもあるだろうに。

先頭 表紙

魏・呉・蜀とか、高句麗・新羅・百済とか、朝鮮・琉球・蝦夷とか、駿河・甲斐・相模とか。三つありゃ何でもいいんじゃないの? / 揚水 ( 2002-02-16 19:37 )
え?三国一ってそういう意味だったの?えー、知らなかった。知恵の泉ー。 / パオラ@ほほお ( 2002-02-16 07:30 )
天竺と唐の国と日の本で一番とは、豪儀だねえ。 / 揚水 ( 2002-02-16 02:32 )
三国一のしあわせ者。 / パオラ@ツラが拝みてえや ( 2002-02-16 01:50 )
lim.さん、僕その人のこと嫌いじゃないんですよ(笑)。よく顔に出さずに脳味噌だけで爆笑させてもらってますが、はたと気づけば、僕自身いかほどお偉いものか、と。 / 揚水 ( 2002-02-15 20:31 )
は、恥ずかしい奴(笑)。私が最も軽蔑してしまうタイプの人ですねえ。 / lim. ( 2002-02-15 15:08 )
あーちゃん、そういう言い回しをするのがおもしろいと思っているんですよ、きっと。 / 揚水 ( 2002-02-15 00:54 )
その勘違いっぷりは、逆に面白い!!(爆)<俺って人気者 / AHchan ( 2002-02-15 00:18 )

2002-02-12 机

僕の姪は、今春小学生になる。妹の娘だ。
鯨の古名である美しい響きの言葉を名に持つ。

その猛々しい字面と音に、双方の親を含む妹の知り合い全員がその名を付けることに反対していたのに、
「兄ちゃんだけが『よか名前たい』って手放しで賛成してくれたとばい」
と訳の分からない感謝をされたこともあった。
その子がもう就学する。月日の経つのはまこと早いものである。

ある時僕が自分の母親と電話で話していて、「机ば買うてやらんばいかんって思いよっとたい」という言葉を聞き止め、
「そんくらいおいが作ってやったい」と大言壮語を吐いてしまった。
そのころ僕は仕事で炭焼き小屋を建てていたので、木を構うことが楽しくて仕方なかった。

なによりその電話をしていたとき、僕は酒に酔っていた。

それからが大変である。手紙でも電話でもメールでも、
「あげみくん、つくえは?」と姪に聞かれる始末である。
よほど楽しみにしてくれているらしい。

少しずつ仕事その他の合間を縫って机を作っている。一人でできない作業があるときは、クラゲが来たときにまとめて手伝ってもらっている。
8日から11日に掛けてクラゲがうちに来てくれた。おかげでずいぶんはかどった。
後は抽斗を付けるだけだ。学習机にありがちな棚はやめて、ただ上に載せるだけの本棚を作ってやろうと考えている。それも作らなければならない。

「なんか、この机私が欲しいくらい」
クラゲは嬉しいことを言ってくれる。
「そうだね。でも、自分で欲しくなってあげたくなくなるんじゃなくて、自分が欲しいくらいのものがあげられるって、いいよね」
「うん」
ご飯を食べながら、寝そべって本を読みながら、クラゲと僕はそんな話をした。

三月の末に郷里に戻ってそこから離島である妹の嫁ぎ先にフェリーで渡り、机を配達する。
ああ、楽しみだ。

先頭 表紙

あれ? トリ嫌いじゃなかったっけかや? / 揚水 ( 2002-02-16 02:39 )
ふつうの学習机よか幅が10センチ、奥行きが20センチ以上も広いよん。 / 揚水@お休みでしょうね ( 2002-02-16 02:31 )
下の記事のつっこみ。えーとね、なんか貧血で具合が悪くて暗い考えにつつまれてたの。でももうわすれちった。 / パオラ@トリだからさ。3歩もあれば十分。 ( 2002-02-16 02:30 )
ほお。いい話だね。てことは3月末はしばらく日記お休みなんだね。ところで風水で言うとよくある学習机の上の本棚ってよくないらしいね。個人的には机は広いのが好き。 / パオラ@春が待ち遠しいね ( 2002-02-16 01:49 )
としぼう、ひゃー言ってくれて嬉しいっす。 / 揚水 ( 2002-02-14 23:17 )
あーちゃん、言い得て妙だと思います。多分、みんなと一緒がいいと、最初は思うでしょう。けれどそう、いつか自分に関わりのある人間が手作りしたものであることを誇りにしてくれるであろう期待はあります。そうやって言ってもらえて勇気が出ます。 / 揚水@コイズミは不可? ( 2002-02-14 23:16 )
ひゃー、手作りの机なんて、すごいプレゼントだねぇ!そんな思い出のプレゼントなんて、人生で何回もらえるだろうか。 / としぼう ( 2002-02-13 23:29 )
子供の頃はね、正直いって「くろがね学習机」の方が欲しいのよ。だけど中学生位になると、手作りの机の方が断然、羨ましくなるのよね!だから揚水さんが作ってあげた机、ずっと大切にしてもらえると思いますよ! / AHchan ( 2002-02-13 01:12 )
大正解です。ここに直接書かないお気遣い、痛みいります。 / 揚水 ( 2002-02-12 22:45 )
姪子さんのお名前はこれでしょうか。口車姪のりんごちゃんは、今年2年生になります。 / 口車大王2号 ( 2002-02-12 22:40 )

2002-02-11 川の虹

あなたは橋のたもとに立っている。
誰かがもしこの橋の向こうに行けば幸せが待っている、この橋を渡れば幸せになれると教えてくれたとしたら、あなたは橋を渡るだろうか。

今は夜。外は雪が降っている。

あなたは思い出す。いつであったか定かではない記憶。ひょっとしたらあれは夢で見た光景だったのかもしれない。晴れていた。あなたは橋を渡っている。
橋の途中で、あなたはふと思いついて川面を見下ろす。川はゆるやかに、とうとうと流れている。川はきっとずいぶん前から、あなたの生まれる前からそこにあり、多少姿形を変えてはいても、今と同じように流れ続けていたことだろう。あなたは川面を見つめている。
あなたは大事なことに思い至る。川はそこにある。確かにそこにある。だがしかし、そこに変わることなくある川がたたえる水は、一時たりとも同じ水が同じ場所にとどまることはない。常に、移り変わっていく。

あなたは空を見上げる。そして川の行く手に虹が架かっているのを見つける。
思い出した。今は晴れているが、少し前までは雨が降っていたのだ。そして気づく。
虹は、移ろいゆくもの。一時も同じところにとどまらない。その時々で、現れるべき時と場所を選んでは、あらゆる場所に現れる。けれど、川がそうであるように、いつも「そこ」にあるのだということに。
虹は、たとえその姿が見えないときであっても確かにそこにある。いつも、いつも。
いつもそこにあるものがたまたま目に見える形を取って現れたとき、そのことを人は虹が架かっていると言う。

あなたは自分の考えに満足する。
そして歩き出す。欄干から離れて、虹に向かって。
方向は決まっていない。虹はいつでもどこにでもあるのだから、どこへ向かって歩き始めても同じことだ。

あなたは自分が橋のどちら側からやってきたのか、もう思い出すことはできない。それでも構わない。
あなたは歩き始めなければならない。
立ち止まって思い悩むべき季節は、すでに過ぎた。

先頭 表紙

なんに悩むのだ? パーさんよ。 / 揚水 ( 2002-02-12 21:02 )
lim.さん。そういうものの見方もできるのですね。僕はそれを読んだ人が自分の内面を写すような、鏡のような文を書きたかったので、嬉しく思います。ちなみに僕は教えてもらったからといって橋を渡ることはしません。渡りたいとき、渡るべきときだと自分で思ったときに、渡る。そういう人になりたい、そういう人でいたい。 / 揚水 ( 2002-02-12 21:01 )
思い悩みそうな午後9時前。 / パオラ@くすりクスリ薬 ( 2002-02-12 20:49 )
流れる時間こそが、自分を作るものですね。時間が止まってしまえば、自分も止まる。 / lim. ( 2002-02-12 16:22 )

2002-02-07 団地妻どんぐりの背比べ、とか。

 子供を産まないでいることをそんなに犯罪か何かのように、人として間違ったことをしているかのように言わないでほしい。言われるとつらい。そして「ごめーん、そんなに気にするなんて思わなかった」などとは、それこそ間違っても言わないでほしい。
 そんなことを無邪気に言われたら、きっと私はあなたを殺してしまう。いいえ、違う、それは違う。そんなこと言われなくても、私は今すぐにでも、
 あんたを殺してしまいたい。
 死ね。

 でも、そんなことはできない。
 だいたい、私は彼女から、彼女たちから、子供のことに関して何を言われたわけではない。面と向かっては。
 それは、余計に酷いことではないだろうか?

先頭 表紙

あ、そうだ。つっこみしてくださった全員につっこみ返ししたつもりになってて大事なこと忘れてた。「惚れた」だなんて…、きゃー、だ。 / 揚水@うう恥ずかしい。僕はクラゲオンリー ( 2002-02-12 03:05 )
人と自分との間の優劣を決めたがることは、愚かしくむなしいことです。「結婚結婚」についてはまたの機会に。 / 揚水 ( 2002-02-11 12:42 )
ただ、腹が立った。そしてそのとき、お互いの言い分を、せめて聞く耳を持つことができたらいいと夢想します。難しいことだけれど。 / 揚水 ( 2002-02-11 12:40 )
大事なのは、マイノリティーの側からのこのようなものの見方を示したとき、同時にマジョリティーを攻撃することがないように気をつけることだと自戒します。それは本意ではない。批判と攻撃は違う。自分の「方が」正しいと主張しては、彼らと同じことをすることになってします。 / 揚水 ( 2002-02-11 12:37 )
じゃあ今度は結婚結婚とうるさく言われて殺意を抱く女について書いてほしいです。 / パオラ@大きく共感します! ( 2002-02-09 17:38 )
大丈夫!誤解してないと思うよ!人の会話に感情移入して、当人でもないのに憤ってくれるなんて、素敵だ。惚れた。 / としぼう ( 2002-02-08 08:23 )
子供をちゃんと育てられている人だけが言って欲しい。ろくでもないガキが多すぎないですか?ただ子供を作るのはいいけど、何も偉くない。そこに価値を見い出されてもなあ。 / lim. ( 2002-02-08 08:00 )
リアルな短編で何より。 / パオラ@そういうことだったのね。納得。 ( 2002-02-08 02:05 )
きっと余程話題がなかったか、子を成すことでしか自分の価値を証明できなかった、あるいはしなかった人の言ではないのでしょうか?「子供はいいわよー。」的な発言は、本当はものすごく大変でやなことだらけのくせに「結婚はいいわよー。」って言ってはばからないのと同じくらい腹が立ちます。 / パオラ@どの口がそう言う?この口か? ( 2002-02-08 01:38 )
訂正。はじめまして、kyoさん。まず始めにお断りしておきますが、僕は男です。上の文章は、同年代の子持ちの奥さんに取り囲まれた女性のことを想像していて、自分の想像に感情移入して腹が立ったそのときの気持ちを書いてみたものです。ちなみに僕に子供はいませんし、今の段階では恋人との間にも望めそうもありません。僕が不妊に悩む女性だと思われたのならごめんなさい。ただ、腹立ったんです。 / 揚水 ( 2002-02-08 00:32 )
としぼうへ。僕は絶対に言わない。そして言うやつを許さない。こっそり軽蔑しない。面罵する(実際やったことがあるけれど、あれは勇み足だ)。 / 揚水 ( 2002-02-08 00:18 )
それと、思い立ってショートストーリィじみたものを書こうとも思っていて、その一回目とも言えますか。説明を全くしなかったのはまずかったですね。kyoさんにそんなことを言ってくださる年輩の方がいるということを知って、ほっとしています。 / 揚水 ( 2002-02-08 00:16 )
挨拶がわりで便利な会話がわりで、当然のこと、なんて思ってる人を更正させようとしても疲れるから、相手にしないでこっそり軽蔑してやればいいのだ / としぼう@私も今日、言われたぞ ( 2002-02-08 00:14 )
はじめまして、kyoさん。まず始めにお断りしておきますが、僕は男です。上の文章は、同年代の子持ちの奥さんに取り囲まれた女性のことを想像していて、自分の想像に感情移入して腹が立ったそのときの気持ちを書いてみたものです。ちなみに僕に子供はいませんし、恋人との間にも望めそうもありません。僕が不妊に悩む女性だと思われたのならごめんなさい。ただ、腹立ったんです。 / 揚水 ( 2002-02-08 00:10 )
女は子供を欲しがるもの、と思って疑わない人多いからねぇ。私も「子供は?」攻撃にさらされた時期があったけど、年配の方が「あれは挨拶がわりよ、気にしないでいいのよ」と言ってくださって、すごく気が楽になったことがあります。 / kyo@はじめまして ( 2002-02-07 23:55 )

2002-02-04 みたび鵡川

21世紀枠というものがあるらしいですね。
春の選抜初出場北海道「鵡川」は、その21世紀枠だそうです。

その選抜(?)理由がふるっています。
過疎が進む土地で、廃校廃部の危機にさらされながらもがんばっているからというのです。
地元の希望の星だともいいます。

これを知るだけで「鵡川」を応援したくなりませんか?
僕はなります。
ししゃもの土地の球児だということで訳もなく親近感を抱いていたものが、何かもう一つ後押しされたような気分です。がんばってもらいたいものです。

行ったことのない、自分の知りようもないところにも、人が生きて暮らしているのだな。
そんな当たり前のことがあらためて思われて、なんだか嬉しくなってしまいます。

先頭 表紙

本ワサビもうまいです。 / 揚水 ( 2002-02-07 18:30 )
鵡川高校を語るたびに、本ししゃもを食べたくなる私。なんたって「本○○」にはめっぽう弱い / としぼう ( 2002-02-06 02:17 )
まったくだ。 / 揚水 ( 2002-02-04 23:43 )
早く校章見せてほしい。 / パオラ ( 2002-02-04 23:33 )

2002-02-04 モノになってしまうって、どんな感じだろう?

 感じなくなってしまうことがモノになってしまうということなのか、モノになってしまったから感じることができなくなってしまうのか、とにかく、モノになってしまうってどんな感じなのか、おばあちゃんに尋ねることは、もうできない。おばあちゃんはたくさんのカルシウムの欠片になってしまった。まだおばあちゃんのカタチをしているあいだに、枕元に膝を詰めてそっと聞いてみた時も、おばあちゃんは何も答えてはくれなかった。今はもうそのカタチすら留めてはいないおばあちゃん。
 ぽくぽくと崩れそうな白い白い欠片。

 そういうことを夢想する。追憶。
 亡くなった肉親の焼かれた骨を口に入れたいと思ったことはありませんか。
 とても、悲しいはずなのに。
 そういうことを考える自分が不謹慎なのではないか、誰かがこの気持ちを持っていることを知っていて、いつか思いも寄らないときにそれを暴かれるのではないかと恐々としたことはありませんか。

 高校生の時、クラスの女の子が心臓の発作か何かで亡くなったとき、残された全員がお葬式に出席した。式場にいる自分が、悲しくもない自分がそこにいるのは何かの間違いで、悲しくもないのに神妙な顔をしている不心得もまた暴かれるのではないかと怯えた。 女の子は、ほとんど全員が泣いていた。僕は、突然生を奪われた自分と同い年の女の子がいるのだということに対する悲しみ以上のものを、持ち得なかった。悲しく、なかった。
 彼女たちの悲しみの深さを測ることは、僕にはできない。
 僕は心の中に不心得なものを抱えてもいたから。どういう顔をしてそこに立っていればいいのか、わからなかった。

 人は別に、死んでモノになるのではないことは、実は知っている。命ある者が、モノが、命を失くす。
 では、命を失うとはどういうことなのだろう。生きるということは、生きているということはどういうことなのだろう。

 子供が浮浪者を殺す。親が、子を殺す。自分の国でない場所に爆弾を落とす。
 人の命を奪う。

 その重さに思いを馳せることもなく。
 いとも、たやすく。
 自分から遠いところにある、死。

 あるいは、自死。
 殺す主体である自分からは遠いところにいる、殺される客体である自分。

 生まれた以上、生きる。生きているから、生きる。
 では、命を奪うということはどういうことなんだろう。
 それを糧に自身が永らえるのでもないだろうに。

 (人を殺したいと思ったことがあるくせに!)
 
 どういうことだろう。
 

 

先頭 表紙

おお、でかいっすね。 / 揚水 ( 2002-02-11 12:31 )
私の認識は世界を包むくらい大きい....かも知れない(笑)。なんちって。星を眺めると気が遠くなる日々です。 / lim. ( 2002-02-08 08:03 )
パーさま。おっしゃる意味が分かりました。 / 揚水 ( 2002-02-07 18:29 )
lim.さんへ。昔は思ったことがあります。でも、今は思わない。僕が消えてしまって僕の認識する世界が消えても、世界はそこに残る。厳然と残る。これはもう信仰のようなものとも言えます。僕なんかの認識にくるまれてしまうほど、世界は小さくもヤワでもない。そう思います。たとえば、僕が死んでクラゲも消えてしまうなんてやりきれない。 / 揚水 ( 2002-02-07 18:29 )
「死は生のうち・・・」は、表裏一体という解釈もあるのだと思いますが、私はむしろ生の起点から永遠に生が続くのだと思っています。つまり歴史の年表でいうと、「徳川家康」が3センチくらいの線でしかないかもしれませんが、彼が存在したという事実が死を乗り越えて永遠に今に続いているということがいえるのではないかと思います。それは彼のような大物ではなくても同様で。 / パオラ@うまく言えない ( 2002-02-05 18:22 )
↓思う。目の前のものが「ある」という証拠はどこにあるんでしょうね?ガキの頃にそれを考えていつも具合悪くなってました。自分が正気がどうかなんて誰に言えるのかしら? / パオラ@ああ、また具合が・・・。 ( 2002-02-05 18:17 )
存在って、不思議ですよね。人間も不思議。でも私が居なくなったら皆消えるかもしれない、とか、思いません? / lim. ( 2002-02-05 14:54 )
おばあちゃんの骨を食べることは思いとどまりました、かつて。血が繋がっているから。口から取り入れること(本当にそうしたかったのだけれど)をせずとも、彼女に血を分けてもらっているから。補給とは違うけれども、確かにある一部分は似ている。僕は彼女の形を目に見える形で自分の裡に取り込みたかった。それと、僕は自殺が表現だとは絶対に認めることができません。「死は生のうちにあり」。表裏一体のものであるということなのでしょうね。 / 揚水 ( 2002-02-04 23:42 )
だれの言葉か忘れましたが、記憶に残る一節。「死は生のうちにあり。」ひとたび生存したものは、たとえ亡くなっても、その生を消し去ることはできない、ということです。 / パオラ ( 2002-02-04 23:31 )
出産の時、ヒトを含めた哺乳類の母親はその胎盤を食べるのが自然の行いということです。つまり大量の出血とともに失われた鉄分の補給。非常によくできたシステムだと思います。死んだおばあちゃんの骨を口に含みたい衝動は、あたかもそれを思わせる行動のように思えます。ある意味、生きるとはお互いを食らっていくことではないでしょうか?そのひとつにすべての死も含まれる。他者の死がよくも悪くもその人に何がしかの活力を与える。自殺は自己表現のひとつではないでしょうか? / パオラ ( 2002-02-04 23:28 )

2002-02-03 大好きな友人

僕には実の妹が1人います。
そのほかにも、義理の弟妹とでもいうべき妹が1人と弟が2人います。

中2の女の子1人と小4と小2の男の子が2人です。
彼らは僕の大切な友人でもあります。彼らの両親も僕の大切な友人です。
僕は8年ほど前、以前も話(ここ)に出てきたNさんの家に、図々しくもひょんなことから約半年居候していたことがあります。それ以来の付き合いです。

昨日今日とその一家まるまる友人のお宅におじゃましてご飯をたかってきました。
食事の前にお母さんであるYちゃんとお姉ちゃんであるMのちょっとした言い争いに口を挟み、真ん中の子であるKと将棋を指し、こたつで寝ていた末っ子のRをたたき起こしました。
それからMとRが揚げてくれたマグロの天ぷらを食べました。

そうこうするうちに主人であるNさんも帰ってきて、大人3人で飲みました。
KとRと一緒にお風呂に入りました。
風呂から出てまた飲んでいると、NさんとYちゃんが他人と関わることについて意見を戦わせ始めました。
僕から見れば同じようなことを言っているといえなくもない話です。そこに割って入ってお互いの言いようのすれ違いを、僕はこう見た、違うんじゃないかなどと言うのは、相手にイヤな思いをさせることもあるかと思います。それでも僕はそうした物言いを止めることはありませんし、彼らも僕の言うことを聞いてくれます。
こうしたことはよくあります。

お互いにイヤな思いをさせたりさせられたりしてもいいということに甘えてばかりはいられませんが、そうした関係があるということは僕にとって大きな財産です。

先頭 表紙

僕の実の妹のことを僕がどれだけ知っているのか…。親にしても、知らないままわかったような気でいてすまされるのが家族ではないでしょうか? 友達の好きなアーティストを知っていても、父親の趣味の本当のところは知らなかったり。それでいいんだとも思いますが。 / 揚水 ( 2002-02-07 18:28 )
兄弟って、捉えにくい生き物ですよね。我が弟は私を敵視してくることもあるし、甘えてくることもある。正しい判断をするなあ、と思います。まだ話もできないのに。 / lim. ( 2002-02-05 14:56 )
自分の思うようにはならない、なるはずもない人たちの間に生きているのだと、そう感じる(特になにが起こったわけでもないのですが)日でした。拒否されることも、拒否することもできなくて疲れることも。そういう日は、自分が嫌いな人のことを考えて、なぜそこまで憎むのかわからなかったりします。理由は、あるのに。逆に好きな人は好きだから好きとしか言えない。好きなことはしっかりわかっている。不思議です。 / 揚水 ( 2002-02-04 21:40 )
とても大切な人たちです。 / 揚水 ( 2002-02-04 21:27 )
ここ最近、言いたいことを言ったら全身で拒否されたことと、その逆に言われ放題で困ったことが立て続けにありました。前者は相手のあまりにも子供じみた拒否の仕方にひどく傷つき(これは私が距離感を読み誤ったの。)、後者は彼女が解決を望んでおらず、ただしゃべりたいだけだったということに疲れ果てました(ただ話すことでスッキリはしてくれたようなのでよかったのですが。)。なんでも話せる相手・・・必要なんでしょうね。 / パオラ ( 2002-02-04 20:29 )
言いたいことが言える関係、と思っていたのに相手は迷惑だった・・・なんていうのも結構あるから、揚水さんとその友達みたいにキャッチボールのできる関係は、宝ですね。世の中にそういった人が何人いるか・・・、大事にしなくちゃって思います / としぼう ( 2002-02-04 13:45 )

2002-02-02 再び鵡川

シシャモの話(ここ)で出てきた鵡川がまたここで登場です。
なぜか?

昨日か一昨日かテレビを観ていると、春の選抜の出場校が決まったとのニュースが流れていました。
その中で、北海道の「鵡川」という高校も選抜されたというのです。
僕は野球にはまったく興味がありません。
ただ、シシャモを水揚げする土地の名を冠した高校が、思いもよらずこんなところでその名を出してきたことが嬉しかっただけでした。

19歳の時に郷里から愛知に出てきて十数年。
洗脳されたのか、ドラゴンズの勝利のニュースは嬉しい。でも、興味はない。
来季(今年)はドラゴンズとタイガースのどちらを応援したらいいのか迷うところを見ると、どうも僕は星野監督のファンのようです。

とにかく、クラゲに電話で「鵡川」という名の北海道の高校が選抜されたことを教えると喜んでいました。
「応援しなきゃね」とクラゲ。
「うん、そうだね」
「ところでさ、」
「なに?」
「校章はシシャモなのかな?」

……それはないって。

先頭 表紙

気になります、鵡川高校。 / 揚水 ( 2002-02-03 17:22 )
校章にシシャモなくとも、球児達のふくらはぎにソレは生きているかもしれません?学校紹介がなんだか今から楽しみのような・・・ / としぼう ( 2002-02-03 00:17 )
あの「高校紹介」で流れるビデオには、「鵡川はししゃも漁が有名で…」という説明があるのでしょうか、やはり? / AH "ししゃもの頭を取って食べてしまう邪道な人間です" ( 2002-02-03 00:05 )
わからんぞ。2匹ほど線対称でぴちぴち言ってるかもしれないぞ。 / パオラ@ああ、食いたい ( 2002-02-02 21:55 )

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