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YIN‐NER WORLD

【他言無用です。無断転載はご遠慮下さい】
現場に出て5年を過ぎましたが、まだまだ修行中。
相変わらず忙しいのか忙しくないのか良く判らない日々。

2010年夏の別荘

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-09-06 デビュー?
2002-09-02 心理学は役に立たない?
2002-09-01 療養ちうです
2002-08-14 嘘つきは人間のはじまり
2002-07-10 ネーる?
2002-07-07 心変わり?
2002-07-03 体育会系のお祭り
2002-06-14 言葉が足りない。
2002-06-14 試合開始
2002-06-11 アンズ天国


2002-09-06 デビュー?

…というわけで、今回初めて学会発表なるものをいたしました。
ここ2ヶ月ほど、原稿にかかりきり(?)になっていました。

発表時間が2時間、原稿を読む時間が1時間程度の予定だったので、
長くてどうしよう、と思っていたのですが。
あっという間におわってしまいました。

人の前で自分の発表をするのは嫌いではありません。
自分の見えていなかったところを指摘してもらえるので。
勿論、ときどき、イタイこともあるのですが。
まだまだ未熟者だから、それは当然と思っています。
みんなでああでもない、こうでもない、と意見を述べ合うのが好き。

それにしても学会は楽しい。
いろんな人に出会って、いろんな経験を聞くことができる。
それでまた刺激をうけて元気になる。
…身体はヘトヘトなんですが。

先頭 表紙

>oyoさま。ありがとうございます。やっとスタート地点に立ちました。 / YIN ( 2002-09-09 11:13 )
>菜種さま。まな板の上の鯉になった気分で「エイヤー」と(笑)。でもはじまってしまうと短いくらいです。でも頭がぶっとんでいる所為でしょうか??<2時間。 / YIN ( 2002-09-09 11:12 )
学会デビューだったのですね。おめでとうございます! / oyo ( 2002-09-08 07:18 )
けっこうな時間なのですね。私ならきっと、耐えられません・・・。お疲れさまでした。 / 菜種 ( 2002-09-08 00:27 )

2002-09-02 心理学は役に立たない?

とある方とネット上でトラブルを起こした。
それはそれとして、その方の手紙にこんな一節があった。

「自分が人に好かれているかどうか、もっと真剣に観察すべきです。
自分がちゃんと「交流」ができているかどうか。
心理学が人と関わるのに、何の役にも立たないことぐらい、
誰よりも御存知でしょうに」
この方に
「私は人に好かれようということは諦めてしまっている」
と書いて送ったら、ものすごく非難された。
この方にとっては自分が人に好かれることは大切なのだろう。

以前、河合隼雄先生が「自分の本をよんで、ああそうだと思ってそれを人に対して使っても絶対に悪くなる」と書いておられたのを読んだ記憶がある。
そう。心理学の知識は「読んでも」役に立たない。
「人に好かれる為に」、「人とうまくやるために」心理学を学んで使っても、それは役に立たない。ちょっと上手くいったような気がしても、結局は役に立たない。
何故ならそれは、心理学をツールとして、人に適用しているからだ。
そのとき、多分その人は、相手に対して距離をとって、観察したり、分析したりしているはずだ。だとしたら、それは相手と関わっているのではない。距離をとって、観察・分析している。観察や分析は距離をとって行うものなのだ。それは嘘の関係にしかならない。
不登校や家庭内暴力の治療事例を読んで、其のケースとそのまま同じ態度をとっても、
相手はますます怒るだけ、という話はよくある。そこには真に関わる自分がないからだ。
真剣に関わることを避けるために心理学知識を使っているから。
相手が怒るのも、ムリはない。

でも、心理学は人と関わるのに役に立つと私は思う。
ただし、それは本人次第だけれど。

知識として得た心理学を、本当に役にたつモノとするためには、
まず、人に対してではなく、自分に対してそれを用いることだ。
相手を切るのではなく、自分を切ってみること。自分を分析してみること。
だから、カウンセラーの多くは研修中にスーパービジョンや教育分析を受ける。
知識を使って、相手を分析するだけではなく、相手に対する自分も分析するのだ。
そして、「そこに起きている現象」を客観的に見る。
相手と同じ土俵の上に立って、同じルールを自分に適用しない限り、心理学の知識は現実には役に立たない。


私は心理学を学んで、相手と一瞬でも本当の関係を持ちたいと思ったなら、
どこかで「相手に好かれよう」という欲求は諦めなければならない、
と考えるようになった。
何故なら「好かれよう」と考えて使ったとたんに、心理学は道具と化すから。
「好かれよう」とは思わないから、自分が失敗しても取り繕わない。
自分が悪いと思ったら言い訳したり、問題をすり替えたりしないで謝る。
本当に思ったことならば言う。ただし非難されたり、嫌われたりするかもしれないことを覚悟で。
そしてそれが間違っているとわかったら謝る。

全部きちんと出来ているわけではないけれど。
私はそうやって生きるようにしている。
私のやり方は相手にも負担を強いるかもしれない。いや、強いるんだろう。
キツイこと言うことになるから(いや、あんまり要求はしないんだが、たまにポロっと言ってしまうのだ;)。
私が相手に自分と同じように振舞うことを要求しなくても、
相手は「疲れる奴、鬱陶しい奴」だ、と感じるかもしれない。
それでも、偽物の関係や便宜的な関係よりは、
私は一つの本当に信頼できる関係が欲しい。
好かれるよりも、信頼されたい。

心理学は人に対して使うものではない。
自分がそれを生きるものなのだと、私は思う。

先頭 表紙

嗣麻子さま>そうですね、私もまだまだ修行が足りません。もっと開かれた自分でありたい、と思います。 / YIN ( 2002-09-18 03:26 )
日々、努力してそういう所を改善しないといけないでしょうね。と私自身に言ってみる(笑)↓一緒に努力しましょう(笑)「誰が言ったか」が問題では無く「何を言ったか」が問題なのだという事を心に命じて / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-12 22:43 )
あと、「意見」と「意見をいう人」を切り離すのって難しいな、と今回思いました。件の方とのことは私のなかではまだぐっちゃぐっちゃしてて、ワケわからんようになっているので(というのは、件の方が矛盾した言動をされるからですが)、「意見」さえも自分のなかにはすんなりとは入ってきません。oyoさんご自身の発言としてのツッコミのほうがずっと入りやすいです。それは感情のなせることなのでしょうが、事実です>oyoさま / YIN ( 2002-09-12 14:23 )
でもoyoさま、心理学が嫌いとおっしゃるなら、もう少し心理学についてお知りになった上で仰って頂きたいのです。私の答えも広〜い分野のなかのひとつの、そのまた片隅の学派に立脚していますので偏っています(私はざっとひととおり学びましたが)。それにしても、件の方も美術系なので、これは何か関係あるのかしら〜?と思ってしまう私です。 / YIN ( 2002-09-12 05:40 )
>oyoさま。「、『好き』と『嫌い』の反対が『無関心』」。なるほど!リビドーの有無という観点で言うならば、こちらのほうが確かに正確だと思います。 / YIN ( 2002-09-12 05:33 )
>嗣麻子さま。「嫌い」と簡単には言いたくない、と踏ん張っているからには、まだまだきっと何か沢山引っ掛かっていると思うのです、この方とは。私も本人に言う事はないと思うので、ひとりで格闘していますが。それはそれでしんどいので、いっそのこと分析し尽くして、すべての投影を引き戻して、「無関心」の域まで達してしまいたいと思うほどです(汗)。私は業が深いのかもしれません。 / YIN ( 2002-09-12 05:30 )
睡魔に負けている間に、状況が変わっていて、それから、どうつっこみ返しをたら良いものかずっと悩んでおります…… / YIN ( 2002-09-12 05:27 )
なるほど…そうかもしれません。それにあまりYINさんにとって嫌なことを蒸し返してもお仕事に障るかもしれないからこの辺で。また次の機会に参ります〜。長々とおじゃましました。 / oyo ( 2002-09-11 15:24 )
とても興味深いです、oyoさん。原因をYINさんに求めないで、oyoさん自身の中で探した方がoyoさんの為にはなりますよ。YINさんの中に求めても、oyoさんの為にはなりませんから。YINさんの為には、YINさん次第でなると思いますが(笑) / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-11 05:02 )
そのほかにもいろいろとツッコミして聞きたいこと満載で。この相手の方が私と同じく心理学を嫌っているらしい、そういう人がいて嬉しい、という事もありますがこの日記は私にとって「問題発言」なんです。 / oyo ( 2002-09-11 03:01 )
また、私が日ごろいろいろな人たちとおつきあいしている関係に関して「偽物の関係や便宜的な関係」と言われているような気がすこしするので、人に対して仲良くしようといろいろ考えることを「つまらないこと」だというふうに片づけないで欲しいと思うのです。でもYINさんを説得しようとかそういう積りではないです。 / oyo ( 2002-09-11 02:44 )
>嗣麻子さま どうしたいかはあまり考えていませんでしたが言われてみるとそうかもしれないです。 / oyo ( 2002-09-11 02:35 )
oyoさんって、もしかして、YINさんに「相手が言っている事は正しい」と認めさせようという努力をしているのですか?(そういう展開をしているのかな?と思ったので聞いてみました)>oyoさん / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-11 01:30 )
もうひとつ〜(ごめん何度も!)『「好き」の反対は「嫌い」ではなく、「無関心」です』は、私は違っていて、「好き」の反対はあくまでも「嫌い」で、「好き」と「嫌い」の反対が「無関心」。だなあ〜私は。 / oyo ( 2002-09-11 00:30 )
あ、2002-09-10 04:31 のレスありがとうございます。「残念ながらそれをやっても効果なし」という事だと思いますが、私が思うにはYINさんは相手の方に気を遣いすぎて勘違いされてしまったのではないでしょうか?苦しくなるって事は無理してなければ無いと思うんだけど…。 / oyo ( 2002-09-11 00:22 )
相手の方の言うことを「もっともだ」と思う個所ってないのですか? / oyo ( 2002-09-11 00:06 )
「好かれることを諦めてしまっている」という事を相手の方に非難されたと書いていますよね。その相手の方の意見については肯定も否定もされていないように思いますがどうですか?私は相手の方がどういう言葉で非難したのかわからないけれどおそらくその相手の方と同様の反論を自分もすると思います。うまく言えないけど「好かれることを諦める」ってかなり暴言にとれるんです。もっと言うと「相手をばかにしている」という態度とも… / oyo ( 2002-09-11 00:04 )
↓大きなお世話ですね(笑) / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-10 18:06 )
手紙の主に面と向かって嫌いという必要は全く無いと思いますが、嫌いと心の中で認めることをするのはいいのでは?と思います。そうすると、対応の仕方も変わってくると思いますよ。その人に対してもっと冷静になれる気がします。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-10 18:06 )
(無くなっているわけではありません。以前に比べてという事です)。好き、嫌いが関係なくなるのは何かを成す為の意志の力の強さによります。プライベートなどうでもいいことでは、好かれたいと思います。が、意志が強烈に働く、作品作りの時には、好き、嫌いはあまり関係が無くなるのです。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-10 18:04 )
私は監督という職業柄、結構、厳しいことを他人に要求する立場です。その人がへとへとに疲れていようが、熱があろうが、作品のクオリティの為にはやり直しを命じたりもします(状況によっては、もちろん妥協します。妥協は常に多いです)。そういう立場ですので、私も以前はYINさんのように「嫌われても仕方がない」と諦めていました。が、途中、それが嘘で、本当は好かれたいと強く思っている自分を発見しました。それを発見して認めると、好かれる事も嫌われることもあまり感心がなくなってきました / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-10 18:03 )
「好き」の反対は「嫌い」ではなく、「無関心」です。つまり、接点が全くないということです。嫌いならまだ何かが生じる可能性があるような気がします。(あれ?先に述べたのと矛盾していますか?;そんなつもりはないのですが)一番辛いのは「関心を抱かれない」ということでしょうか。…だから敢えて私はいろいろと言葉にするのだと思います。何かを喚起するために。 / YIN ( 2002-09-10 17:06 )
それから、もう一つのツッコミについてですが、そうですね。もともと諦めたわけではありません。でも嫌われることにも意味ってあるのではないでしょうか?(それはしんどいことではありますが)最近、私はそんな気もするのです。 / YIN ( 2002-09-10 17:01 )
あれ?話が横にそれていますか?でも、そういうわけで、生身の人間相手に「嫌い」というのは、とても難しいです。もっと考えれば別の人物像や感情が湧くかもしれませんし。 / YIN ( 2002-09-10 16:59 )
でも、現実には厄介なことに、今回のように生身の相手が存在するわけです。恐らく相手の方は私を刺激したのですから、何かをお持ちになっていると考えられます。しかし大抵、「意見の否定」を伝えたとしても、相手の方はそれを「人格の否定」と解釈するので、相当感情の入った反論を送ってこられます。そこにはその方の抱く私に対しての(勿論事実をも含んだ)ネガティブなファンタジーが展開されています。でもそれもまた、その方御自身がお持ちのものでもあるわけで…。 / YIN ( 2002-09-10 16:58 )
>嗣麻子さま。大変難しい問題だと思います。「嫌い」ということは。何故なら「嫌い」と言った途端に…というかそういった感情を抱いた瞬間にはすでに、それに対応部分する私の内にもあるあるわけで、それを否定して消し去ることはもうできない、と私は感じるのです。だからその「嫌い」というのは何に対してか、自分自身で考えなければならなくなります。相手についてなのか、自分自身の投影なのかも含めて。 / YIN ( 2002-09-10 16:43 )
そういう所を素直に表現できるようになると、色々と楽になるような気がするんですけどね。(別に今でも楽ですと言われるかもしれないけれど) / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-10 11:19 )
「私は人に好かれようということは諦めてしまっている」諦めてしまっているという言葉があるという事は、以前は期待していたという事ですよね。何かが積み重なって諦めるに至っている。で、諦めているということの根底には、やはり好かれたい気持ちはありますよね?好かれたいけど、諦めているんでしょう?だから「諦めている」んですものね。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-10 11:17 )
否定には大きくわけて二つありますよね?意見の否定と人格の否定。で、日本人は意見を否定されると人格まで否定されたと思う人が多いので、oyoさんように「相手の良い点を探し出してまず言う」という意見が出るのだと思います。で、YINさんの方は実はどっちの否定をしているのだろう?一見、意見の否定の様に書いているけど、人格を否定している様にも感じます。人格の否定まではいってなくても、嫌いなんだろうなと思います(笑)嫌いっていっちゃえばいいのに。心理学やっていると言えなくなっちゃう言葉なのかな? / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-10 11:12 )
>oyoさま。大抵は私もそうやっています。でも中には、それを続けていると、私が相手の全てを肯定している、と誤解してくる方がいらっしゃるのです(件の方もおそらくそうだと思われます)。そして、次第に当然のように賛意を期待してくるようになる、…ように私には思えます。そうなると、私は苦しくなってしまうのです。そして、正直に同意できない部分のあることを言わざるを得ない時がくるのです。残念ながら。 / YIN ( 2002-09-10 04:31 )
相手を否定しない(あるいはそうとられない)ためには…「相手の良い点を探し出してまず言う」ではないでしょうか?嘘やお世辞じゃなくて本心で。無ければ仕方ないですが…。YINさんにとってはそういうのは欺瞞でしかないですかね?(笑)一応言ってみただけです;;; / oyo ( 2002-09-10 03:34 )
あともう一点の排除についても、私は別にプロフェッショナルとして排除しない、という訳でもないのです。やっぱり世界はゴチャゴチャしててフクザツなほうが好きなのです。説明すると難しいことになりますが、排除して抑圧をかけると、その当の排除した筈のものから、リベンジされることもあるのです。また、排除したつもりでも、姿を変えただけで、存在し続けることもあります。…話が抽象的になってしまいますが。 / YIN ( 2002-09-10 02:37 )
相手を否定しないために、できるだけ要求をせずに「私はこう感じる」とか「私はあなたと違ってこうだ」という表現を心がけたいとは思っているのですが…なかなか難しいです。それに、そういった表現をしても、否定されたと感じる方もいるし、押しつけられたと思う人もいるようです。あ、議論があさっての方向に行っているかも…(汗) / YIN ( 2002-09-10 02:32 )
うーん、やっぱり私の言葉不足なのかもしれません。否定の目的語である「相手を」という部分が抜けていますね。自分を定義するときは「私は○○ではない」という形で否定を使わざるを得ませんし。そこの処は判りにくかったかもしれません。 / YIN ( 2002-09-10 02:28 )
暴言はいけませんけどね…(自分が暴言吐いてないか、いまちょっと考えてしまった…) / oyo ( 2002-09-09 21:38 )
ちなみに私は「否定したり排除してしまったら自分の世界が狭くなる」という命題にも疑問符です。心理学は広く見ないといけないからあらゆる事象に目をつぶってはいけないのでしょうが、一般人は極端に狭くならなければいいのでは?というのが私の考えです。 / oyo ( 2002-09-09 21:29 )
これらの個所が、私から見ると相手を一刀両断に切って捨てている、くらいのきつい表現なんですよ(つまり否定のニュアンス)。ごく客観的な意見と「私はこうだ」という事を述べているだけなんですよね。形の上では… / oyo ( 2002-09-09 21:19 )
「この方にとっては自分が人に好かれることは大切なのだろう」「相手を切るのではなく、自分を切ってみること。自分を分析してみること」「偽物の関係や便宜的な関係」「それでも、偽物の関係や便宜的な関係よりは、私は一つの本当に信頼できる関係が欲しい。好かれるよりも、信頼されたい」 / oyo ( 2002-09-09 21:14 )
たしかにそうですね。否定とはNOTが入ることだとは思います。否定や排除のニュアンスを含めて私がひっかかった個所を挙げます。これは私の心の状態によっても変ることで、今強くそう思ったところを書きますね。 / oyo ( 2002-09-09 21:13 )
うーん、否定については、『私はそうは思わない』と、違いを主張する行為は私はだと思っているのですが、ニュアンスとして否定と伝わる可能性があるかもしれません。排除はしたくないですが。…どこらへんがそう感じられましたか?<否定と排除>oyoさま / YIN ( 2002-09-09 20:30 )
私のツッコミの直下の2件に対するツッコミです。否定も排除もしていないようにはどうしても見てとれなくて… / oyo ( 2002-09-09 20:06 )
え?どれに対するツッコミですか?>oyoさま / YIN ( 2002-09-09 19:39 )
↓本当にそう思ってますか???? / oyo ( 2002-09-09 18:44 )
違いについては良く理解したいと思いますが、否定したり排除してしまったら、自分の世界が狭くなってしまいます。それはつまらない…だから否定はしたくないのです。 / YIN ( 2002-09-09 11:14 )
「心理学と霊感ではそのうちケンカになるだろうというのは想像つきますね」…ふと思ったのですが、ケンカになるとは限らないかと。少なくとも私はこの点ではケンカするつもりはありませんから。違いに興味はありますが、相手を排除したり否定するつもりはありません。>oyoさま / YIN ( 2002-09-09 11:07 )
oyoさま。「YINさんにいろいろ言ったのも言い易い場を作ってくださったからだと思います」←こう言って頂けるなんて、私にとっては大変嬉しいことです。ありがとうございます。恐縮です。 / YIN ( 2002-09-08 23:59 )
「いいなあ〜 」って書いたやつか…何も考えずに素直に感動しちゃったので、自分とのつじつまが合ってないのかな?そもそも好きや嫌いに理由ないことが多いんです。心理学が嫌いなのも理由が無い…(無責任な!と思われるでしょうなあ〜) / oyo ( 2002-09-08 22:41 )
↓あ、ごめんなさい。これは6日のツッコミだったわ…(汗) / oyo ( 2002-09-08 22:28 )
「相手が嘘つきなら自分も嘘をつきがち」というツッコミですね?私は相手や相手の気分に協調してしまう性格のようです。「自分の主義主張を曲げる」ほどの違和感って不思議と感じたことないんですよ。見たくない場所には行かないことにしているし。反応が鈍いのであとになって怒りが出てくることもあるけど。だからYINさんにいろいろ言ったのも言い易い場を作ってくださったからだと思います。言ってることは反対なのに「招き入れてくれた」っていうのも不思議ですが。 / oyo ( 2002-09-08 22:25 )
ただし、日記が違えば「場」そのものも違ってくるので、感じるものも変わるかもしませんね。>oyoさま / YIN ( 2002-09-08 21:10 )
oyoさま。「私はその方の超能力によってこれらのツッコミをさせられたのかもしれませんね〜」その方もこの日記の存在はご存知なので、私としては何とも…(苦笑)。ただ、今迄触れていない部分、論じられていない部分があると、それに近い意見を持つ方が自ずと浮上してくるということはあります。だからoyoさまの意見というよりは、そういう意見を持つ役割が浮上してきた、と思って私は下のご意見については呼んでいた部分もあります、もちろん直下のコメントのように「判らない」と思ったこともあるのですが。 / YIN ( 2002-09-08 21:09 )
oyoさま、9月7日の日記のつっこみを拝見してそう思いました。超越者の目を意識すると、目の前の人に好かれるために相手に会わせようとか、自分を守るために嘘をつくとかいったことが、愚かな行為に思えてくると私は感じるので、判らない、とコメントしたのです。でも、嗣麻子さんの日記に対してoyoさまが感じたものが別のものだったら、話は別で、私の解釈と貴方の解釈が違っているだけのことだと思われます。違うことは悪いことではありませんので、それはそれで結構なのですが。 / YIN ( 2002-09-08 21:03 )
あ、そうだ。「嗣麻子さんの日記への貴方のつっこみと併せて読むと、ますます判りません」が気になります。嗣麻子さんへのツッコミでは私はどうなのですか?差別を感じましたか? / oyo ( 2002-09-08 19:41 )
なるほど…霊感があれば心理学は必要ありませんな。私はその方の超能力によってこれらのツッコミをさせられたのかもしれませんね〜心理学と霊感ではそのうちケンカになるだろうというのは想像つきますね。 / oyo ( 2002-09-08 19:08 )
因みに、このバックボーンになっていた隠された事情をひとつ申し上げれば、件の方は「自分には霊感がある」と公言し、その「霊感」はネット上でもしばしば有効である、と述べてらっしゃいます。そして、私は私の臨床的な勘が反応する部分とその方の霊感とが時折一致するという点において興味を持ったので、あえて正直に臨床を専攻している者としての側面も隠さずにお付き合いしていたのですが。 / YIN ( 2002-09-08 18:59 )
これを書いたらすごく嫌な人だと思われるかもしれないけど、YINさんはこのメールに書かれている事を素直に受け入れてもいいのではないかなあ〜と感じました。でも、それは個人の生き方の問題だから…聞き流してください。文字だから聞き流せないか…いずれにしても、こんなことを書き込みさせて貰って感謝しています。嫌なことをむしかえしてご気分を害されたかと思います。(あ、下のツッコミてにをはが変でした…) / oyo ( 2002-09-08 18:52 )
oyoさま、この件をこの日記に表記した以上に掘り下げると、個別の特殊な事情が出てきて問題がフクザツになってしまいます。私がこの方の世界に持ち込んだ要素が「異質」とすれば、この方にはこの方でご本人が公言していらしゃる「特殊」な特質がありますので。だから私はあえてこの方との関係性については日記の主題にせず、心理学というものとの関係について書いたのです。 / YIN ( 2002-09-08 18:47 )
↓これは私の推測であって実際は違うのかもしれません。私はYINさんのこの日記とか、YINさんとネットでおつきあいしている中でできたYINさん像から勝手に考えたものです。 / oyo ( 2002-09-08 18:22 )
最初の私のツッコミは、私が心理学を(イメージだけですが)嫌いだというのがあったので相手の方のメールの言葉に賛同したわけですが、その後毎日この日記を読んでいるうちに「相手の方は心理学がどうの、観察がどうの、ということを言いたいというよりも、ネットにおける自分の世界にYINさんが異質なものを(心ならずも、ですよ)持ち込んだことに怒っているのでは?」と思えてきたのです。 / oyo ( 2002-09-08 18:16 )
ただ、YINさんの日記はこういう内容の日記なので自分が言いたかったことをずばっと言い易かったのはあります。それは当の日記に関するネガティブな意見ということです。普通はネガティブな事は言わないようにしています。やはり相手の方に嫌な思いをさせると思うので。 / oyo ( 2002-09-08 18:05 )
YINさんの日記へのツッコミと嗣麻子さんの日記へのツッコミとで私が違うように見えますか?何が理解できないのか私にはわかりません。 / oyo ( 2002-09-08 18:02 )
この文面によると、「好かれている」ということが「交流できている」ということなんですよね。好き嫌いが交流の指標になるかどうか、私には疑問なのです。 / YIN ( 2002-09-08 17:05 )
嗣麻子様>私は人との交流に心理学を「使って」いるつもりはありませんし、「使い」たくありません。ただ、率直に私として反応したいだけです。ただ、ある程度私の生きかたの上で心理学は欠かせないものとなってしまっていますので、それを避けることができないこともあります。でもそれが私です。それに対して件の方は「好かれているかどうか観察」しろ、と仰っていると私は思うのですが。 / YIN ( 2002-09-08 17:05 )
そもそも交流とは何か?という事なのですが。手紙の主がYINさんに対して求めている交流と、YINさんが手紙の主に対して求めている交流が違ったというだけの事のように思いますが。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-08 15:42 )
その手紙が言いたかった事は『YINさんは他者との交流に「心理学」を使っているが、「心理学」は交流には役に立ちません。YINさんは他者との交流が出来ているかどうかを、確かめた方がいいです』という事だと思います。それに対してのYINさんの答えが「私は人に好かれようということは諦めてしまっている」 という風に主題から外れたものだと、やはり交流は成り立ってない感じではあると思います。oyoさんとYINさんのやりとりを見ていて、改めて考えてみました。単純に文面を読みとってみただけで、他意はありません。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-08 15:17 )
>oyoさま、申し訳ありません。私は貴方の仰っていることが理解できません。嗣麻子さんの日記への貴方のつっこみと併せて読むと、ますます判りません。 / YIN ( 2002-09-08 10:05 )
どこで何があったのかは私も知りません。でも、この方がYINさんに言おうとしている事ってなんかわかる気がするのです。「観察」とか「心理学」とかいう言葉にYINさんはこだわっている気がするのですが、言葉にこだわらなくてもこの方の気持ちは私にはよく伝わってきます。 / oyo ( 2002-09-08 07:30 )
↓ごめんなさい…このレスの意味がよくわからないんです。頭悪くてすみません… / oyo ( 2002-09-08 07:23 )
>oyoさま。了解いたしました。しかし「観察」していたら、観察している「私」は、正確には「その場に共に」いることにはなりません。個人的な出会いの場でそれをするなら、私は殺伐とした気分になってしまうと思います。そして、件の方の事はその行為の一つの帰結のような気がしてならないのです。 / YIN ( 2002-09-08 04:14 )
相手の方がどうこうでは無く、ここに引用してあるメールのことばが「その通りだな」と思ったのです。ツッコミをよく読んでください。「その方」じゃなくて「その方の意見」に賛成だと言ってるのですが… / oyo ( 2002-09-07 23:50 )
ああっ(汗)…これじゃ喧嘩売っているみたいですよね…すみません、そういう訳ではないのですが。ちょっとまだ消化しきれていない記憶を思い出してしまった…失礼いたしました。>oyoさま / YIN ( 2002-09-07 22:27 )
>oyoさま。件の相手となる人はありのままをネット上に決して書いてはくださらないのですが。AのサイトとBのサイトで言っている事が違う方ですが。それでも宜しかったら、どうぞその方に賛成して下さいませ。 / YIN ( 2002-09-07 22:13 )
>れすた@PSOさま。おそらくこの方と私がトラブルを起こしている真っ最中でしたので、私のことを否定にかかっているためだと思われます。<“人に好かれようと努力している人”。私は人に好かれるために、人に合わせて言動を変えたりしたくはありません。だってそれはどこか本当の自分とは違っているわけで、それを受け入れられたとしても、本当の自分が受け入れられているわけではないのですから。(…「本当の自分」が一体何かということを論じると果てしがないので、その件は保留しますが;) / YIN ( 2002-09-07 22:10 )
>みなみさま。私も聞いたときはびっくりしました。中高生ならともかく、曲りなりにも企業で数年務めた社会人の言うことではないと思います。しかも、呼び出しして…(笑)。でも、皆が同じことを言っていないと気が済まない心理って一体何でしょうね…。 / YIN ( 2002-09-07 22:04 )
毎日読んでます♪ううむ…私は、YINさんとトラブルを起こしている相手の方の意見に賛成かもしれない。それはYINさんがありのままをここに書いてくださっているからに他ならないんだけど。。 / oyo ( 2002-09-06 10:41 )
好かれようとする=媚を売る と考えるなら“好かれる事をあきらめる”というのは間違ってないと思います。でも、好かれる人間って“自分らしさを大切にしている人”だと思うのですが… / れすた@PSO ( 2002-09-05 15:39 )
う〜ん“深い”なぁ、お互いの“好かれる定義”の食い違いだと思うのですが… でも、先方の手紙“好かれようと努力している人”が書く文ではないですよね… 心理学が役に立たないなんて人によっては“侮辱”でしょうに。 / れすた@PSO ( 2002-09-05 15:35 )
そりゃそうですねー(笑)はい♪男運はないけど友達運はあると思ってます(笑)できれば男運も欲しいです。(関係ないι) / 咲良 ( 2002-09-04 04:36 )
つっこみ返しへのつっこみで申し訳ないんですが、YINさんの元先輩がおっしゃったという「一緒に食事をしてもおいしくない」って、凄い言葉ですね。言われたらものすごく落ち込みそう。 / みなみ@いつも楽しみに拝読しています ( 2002-09-03 22:37 )
あ、言った恩師はお医者さんなので臨床のことかな?亡くなってしまったので今となっては聞けない… / oyo ( 2002-09-03 16:28 )
門外の者がイメージだけで心理学を評して大変失礼しました。いろいろあると言われてもどれかわかりません。心理学全体と言うしか…(心理学をやるつもりはないから一生わからないと思います) / oyo ( 2002-09-03 16:13 )
私は「変わっていること」や「人と違うこと」の方がいい環境にずっといるので、そういう部分は楽です。私もOLはできないだろうなと思います(笑) / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-03 07:00 )
>ふたたび佐藤嗣麻子さま。内容的に戻ってしまいますが、「自己正当化を始めたら、原因を見失った証拠だ」……ううーん、これはイタイけれどもあてになる指標のようです。これ(自己正当化)を腹のなかでやり続けているときは「これって、全然生産性がないな」と、どこかで思っていますから。単に注意が奪われているだけで、建設的な意義は殆どないようです(汗)<自己正当化。 / YIN ( 2002-09-03 05:00 )
>咲良ちゃん。………これについて、私は何ともコメントできないです〜〜(汗)。だってその方たちを直に知らないので。咲良ちゃんが「好きだなあとか尊敬できるなあ」と思う理由は他にもあるかもしれませんし(笑)。でもいい人達に囲まれているようで、良かったですね。 / YIN ( 2002-09-03 04:41 )
>菜種さま。本当にそうですね、私もあります。なので時々虎のシッポを踏んでしまいます。そして時々食われます(汗)。せめてもっと自覚的にできたら良いのですが…。 / YIN ( 2002-09-03 04:38 )
>oyoさま。「心理学は血も涙もない学問だ」それは、実験心理学のことを指したているのでしょうか?それとも社会心理学?発達心理学?教育心理学?犯罪心理学?それとも臨床心理学なのでしょうか?心理学にもいろいろあるのです。 / YIN ( 2002-09-03 04:36 )
結局…それは「存在を許されたい」という事につながるのでしょう。今思い出しましたが、昔企業でOLをしていたときに先輩からこう言われました。「YINさんは人と違うことを言うので一緒に食事をしてもおいしくない」。違う意見を持っていては存在してはいけない…というのは暴力的な考えだと私は思います。でもそれが集団のなかで多数を占めるとそれが当然のこととなってしまう、それが恐ろしいです。もちろん、大学院ではむしろ「違う」ことが求められるので、快適に過ごしていますが。 / YIN ( 2002-09-03 04:30 )
私自身の問題に戻りますと、「譲る」について、私はコントロールされる…等というより、搾取される、という感じが強いようです。当然のように同意や共感、賞賛を求められるのが一番堪えます。でも、「私は違う」とか「私はそうは考えない」というと、受け入れられないどころか、いきなり全否定を食らうことが多いので、そこには触れないようにして通っていることが多いです。もちろん、違っていても受け入れてくださる方に対してはそのようなことはないのですが。 / YIN ( 2002-09-03 04:25 )
問題に取り組まないで横に置いておくとまた同じことが起きるのは経験的に知っています。心理療法の世界でも認知されている事柄です。問題を避けていると、それが何度も巡って帰ってきて、プロセスが先に進まないのです。 / YIN ( 2002-09-03 04:23 )
>佐藤嗣麻子さま。「感情は、その分析がしっかりと成されれば、別のものに変換される…」同感です。 / YIN ( 2002-09-03 04:18 )
私の周囲に数人いる心理学をやってる(やってた)人に対して、好きだなあとか尊敬できる人だなあと思うことが多いので(たまたまなのかもしれないけど)そういうの勉強してる人は対人関係とかも上手なのかしら。なんて思ってたんですけど。それはその人が「人に対してではなく自分に対して用いている」からなのでしょうか。 / 咲良 ( 2002-09-03 03:10 )
わかっていてもできないこと、って、あります。私は、よくあります。 / 菜種 ( 2002-09-02 09:52 )
私の恩師に「心理学は血も涙もない学問だ」と言った先生がいて、私もだいたいそういうとらえかたをしています。心理学やったことは無いですけど…。自分を生きることと心理学って別にしてもいいんじゃないかなあ…と思います。 / oyo ( 2002-09-02 07:59 )
長々と書きましたが、これは私の方法で、YINさんにこれをやりなさいと言っているわけではありませんから、誤解しないでくださいね。でも、興味があったら試してみてください。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 06:08 )
相手の感情は解らないので、起こった現象だけ書きます。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 06:07 )
まず、その出来事を順を追って、箇条書きにします。その時に、自分の感情を必ず書くのがポイントです。例えば、1)父に就職の事で相談した。2)父は新聞を読んでいて、私の話を聞いてなかった。3)その様子を見て、私は悲しくなった。4)悲しくなったので、父から新聞を取り上げた。5)父が怒った。という様な感じで最後までやります。根気のいる作業です。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 06:05 )
本当は具体例でやった方がわかりやすいので、たとえば、最近両親に「心理学やっているなら譲れ」と言われた時の事をやるといいと思います。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 05:59 )
書き出せるだけ、沢山、箇条書きにするのがコツです。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 05:51 )
「譲る」の話にもどりますが、もしYINさんが「譲る」から何を感じるかを書き出したら、次に、何故、そう感じるのかを考えます。まあ、とりあえず「譲る」から何を感じるかを書いてみるといいと思います。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 05:50 )
感情を押さえつけたり、分析が完了したふりをして(わかったふりをして)横に置いていたりすると、必ず、似たような状況で、また同じ事が起きます。その時、自分がその問題を放置していた事実に気づくのです。私の日記にあった「片づけ箱」の話です。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 05:46 )
YINさんの感情は、その分析がしっかりと成されれば、別のものに変換されると思います。不快、嫌いという感情から愛おしいとか可愛いという感情に変換されるかもしれないし、仕事に集中するためのエネルギーに変換されるかもしれません。(それは場合によって違うのでわかりませんが)エネルギー保存の法則があるので、感情のエネルギーも使用されるまではありますが、別のものに変換することは可能なのです。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 05:43 )
(まだ起きている私)まず、「譲る」という単語を分析してみたらどうでしょうか?YINさんにとって「譲る」とは何でしょう?私がYINさんの文章から受けた印象では「譲る」=「負ける」=「いいなりになる」=「束縛される」=「コントロールされる」というような感じを読みとりました。YINさんは「譲る」という単語からどういうイメージや感情が湧いてきますか? / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 05:40 )
>佐藤嗣麻子さま。実は時々私が悩むのは、「判っているなら、相手に譲らなければならないのか?」ということ。特に仕事ではなくて、私生活に於てのことです。「実際に感じる、ひっかかる、不快に思う」ところをどこまで表明していいのか、判らなくなるのです。両親などは「心理学やっているなら譲れ」と平気でいいます。でもそうしたら、私の自然な感情を、私はどうしたら良いのでしょうか。 / YIN ( 2002-09-02 04:53 )
私は心理学を勉強していませんので、専門用語もわかりませんし、専門的な分析もわかりませんが、私が私自身を分析した結果、大抵の感情は「存在したい」「存在を認めて欲しい」「存在を許されるために誰かに必要とされたい」という所から来ています。あとはその応用です。YINさんの場合はどうですか? / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 04:49 )
と、いいましたが、もし私がそれを自分の面接でやったとしたら、即スーパーバイザーと相談しつつ、自分を切ってみなければなりません。 / YIN ( 2002-09-02 04:41 )
「もうその部分を避けてこの方とお付き合いするのが自分にとって限界だったのでしょうか?」の一文の中に、私はまだYINさんが責任を相手に求めているのを感じます。今からでも分析してみると良いと思いますよ。責任を相手に求めた段階で、分析は分析じゃなくなってしまうと私は思っています。(自分自身の分析の場合ですが) / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 04:40 )
>佐藤嗣麻子さま。ああ!いわゆる「錯誤行為」……恐ろしい穴でございます。あとは…カウンセリングに行くべきなんでしょうか(汗) / YIN ( 2002-09-02 04:38 )
>佐藤嗣麻子様。仰るとおりです。ですからこの方ともトラブルになった訳です。「この人にこれを言っては…」とうすうす判っているくせに、敢えて伝えてしまうことがあります。もしかしたら、もうその部分を避けてこの方とお付き合いするのが自分にとって限界だったのでしょうか? / YIN ( 2002-09-02 04:35 )
あら、同時かき込みですね(笑) / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 04:32 )
付け足し:ポロっと言う、うっかり間違える、うっかり忘れる。こういう行為の元の原因は奥深くに隠れているので探すのが大変です。探した後も、巧妙に別の姿に変わっていきます。自己正当化を始めたら、原因を見失った証拠だと、私は思うようにしています。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 04:32 )
(続き)そして、もうひとつ、自分の生きかたを反映させることなしにカウンセリングはできません。ただ、自分の生きかたを相対化できることが大事だと思います。そして生きかたのない治療者に、クライエントは相談に来ないと思います。 / YIN ( 2002-09-02 04:30 )
>かいも様。いらしゃいませ。そう、カウンセリングするなら、距離をとることと、その場に共にいることが同時に大切になります。距離をとるから見たてができ、側にいるから共感できるのです。ただ、この文章ではそのことテーマに言っているわけではないことをお断りしておきます。また「逆転移」の定義ですが、これも微妙に私と見解が違うようです。「逆転移」とは、クライエントに対する治療者の感情や態度の全般をいいます。 / YIN ( 2002-09-02 04:30 )
(いや、あんまり要求はしないんだが、たまにポロっと言ってしまうのだ;)の一文が、当面の課題でしょうか?これは私の課題でもあります。相手に言わなくていいことも沢山あるのです。何故、言ってしまったのか?相手を怒らせたかったのではないか?不快にしたかったのではないか?とそこも分析しなければいけません。そういう事を吟味した上で発言をしなければ……と思っています。実行は難しいですが、頑張ろうと思っています。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 04:28 )
好かれるための心理学ってのは、もしや、いろんなところで本に出ている心理学テクニックのことでは?「人に好かれよう」ということを念頭においてカウンセリングはしません。クライエントにとって何が問題でどのように、解決していくかが重要なのですから。自分の生き方をカウンセリングに反映してしまうことは、貴方もおわかりのように「逆転移」といいます。カウンセリングをするにあたっては、距離をとって観察、分析、仮説を立てることは不可欠です。 / かいも ( 2002-09-02 04:14 )

2002-09-01 療養ちうです

ほーちゃん、少し回復。
ご飯を食べるようになりました。

檻のなかなので外へ出たがるかと思ったのですが、そんな気配はまったくなし。
人が傍を通ると鳴いて「構ってくれ」といいます。
甘えたい放題。


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2002-08-14 嘘つきは人間のはじまり

嘘をついたから、といって、責めるつもりは毛頭ない。
私だって嘘をつく。
自分自身に嘘をつくこともある。
嘘をつかないまでも、真実を隠しておくこともある。

人間は真実に耐えられるほど強いものじゃない、と私は思う。
真実をとことん追究していくのは辛いことで、
その作業に最後まで耐えきれるほど、人間は強くないんじゃないか。
だから大なり小なり、その人の限界のところで嘘がでる。

私は嘘をつかれても、別段そのことで責めるつもりはない。
ちょっと、がっかりするかもしれないけれど、
それは必要なことだったのかもしれないから。
仕方なかったんだろう、と思う。
それに、お互い様だし。

だから大事なのは、それが嘘だとわかった、そのあとのこと。

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うそをつくのは、苦手です。とりわけ、自分自身に対しては。でも、心の合理化は大得意!それって、言い訳が得意なだけなのかしら・・・? / 菜種 ( 2002-08-14 17:54 )

2002-07-10 ネーる?

新しいネールエナメルを買った。
夏なので、パールホワイトなんぞを。

塗ってみる。
う、むむむ…流石に手の色黒くなったなぁ<ぢぶん
と、寄る年波をしみじみと感じるのでした。


さて、問題は、


「このネールで面接しちまってもいいですか??」





……ダメ?
昨日までしてたパール入りの青緑色よりはマシだと思うんだけど;

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菜種さま、結局上から無難な色をひと塗りして面接しました。私はやっぱり小心者なのかも(笑) / YIN ( 2002-08-14 16:37 )
咲良ちゃん。私は実習あるときは無難色、実習ないときはちょっとヘンな色のネールです。深爪だから、ネールしないとみっともないんです(汗)。 / YIN ( 2002-08-14 16:36 )
思い切って、行ってみます・・・? / 菜種 ( 2002-07-11 09:35 )
なんか白っぽい色とか塗ると「焼けた・・・」って思いますよね(笑)夏だなぁ・・・日焼け止めしてるのにな(涙)私会社行かなくなってからすっかりネイルもサボり気味です(^^;) / 咲良 ( 2002-07-10 22:11 )

2002-07-07 心変わり?

1週間ぶりに学校のみんなとお話する。
先週サボったわけではないが、忙しくてゆっくり話しができなかったのだ。

2週間ぶりだね…みんな。
それぞれ、学校に出てくる日が少ないので、話題はまだW杯だったりする。
試験はさっき終わったしね。



…え?

いつのまに、カーン様のファンになっていたの?<みんな
開会前はあんなに「トッティ素敵〜♪」を連呼していたのに…
イタリア応援するって言ってたじゃないの!<あなたたち;

…という訳で、カーン様大人気でした。

わかったわ、
じゃあ、カーン様の写真のURL教えてあげる。
公式ファンサイトは工事中だけど、チームのサイト教えてあげる。
「走れぐず共」の写真もあげる。
壁紙のDL先も教えてあげる。
携帯の待ちうけ画面もあるよ。
応援歌の聴けるトコも教えてあげる。
お面が作れるページも教えてあげる。←ナンに使うねん!
フラッシュムービーのあるとこも教えてあげる。


…結局一番被れているのか?<ぢぶん;

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菜種さま。てへ、でもこれ実は私もみ〜んなお友達から教わったんです(笑)<カーン様のサイト。 / YIN ( 2002-07-07 21:17 )
そうかも。くす。 / 菜種 ( 2002-07-07 19:57 )

2002-07-03 体育会系のお祭り

ついにW杯も終わってしまいました。
良い祭りだった。
私は祭りって「生きた祭り」と「死んでいる祭り」があると思ってます。
今の祭りって…特に最近企画される新しい祭りとかって単なるイベントで、主催者側がどんなに鼓舞しても、どうしてものれないところがあります。単に舞台つくってカラオケやのど自慢して、鼓笛隊が繰り出して、フリマやって…ってやつ。あれは死んでいる祭り。…というか正確には祭りじゃないと思います。

祭りには、人間を熱狂させて、生き生きさせるものがないと。
世界を新鮮な目で見ることのできるようなものがないと。
参加することで身体中の血をがーっと回して、普段は通ってない(そんなことはないけど;)ような身体の隅々まで行き渡らせるようなものでないと、やっぱり「生きた祭り」とは言えないんじゃないでしょうか。
その点W杯は立派なお祭りでしたと思います。

いやはや、サッカーをロクにしらない私まで巻き込まれてしまいました。
開催直前まで、開催期間さえもマトモに知らなかったのに、
月の後半はテレビにかじりついていました。
そして、家族も…。←父が見てるなんて信じられなかった(笑);

昼間も夜もテレビ観戦。
この時ばかりは「仕事してなくてよかった」と
おもってしまいました(笑)。

よく考えてみれば、時差なしで試合が楽しめるなんて、
滅多にあることじゃない。
そう思ったら勿体無くて見逃せなかったです(笑)。
次回はドイツ開催だからきっと寝不足に苦しむことでしょう。
ボランティア先のデイケアのスタッフさんたら、
「次回は絶対ドイツに見に行く」と息まいていましたが。
どうなんでしょう。


さてW杯みていて、一番すごいと思ったのは、やっぱりカーン選手。
あれだけ闘士むきだしにしながら、
あれだけ雄叫びをあげていながら、
同時にスタティックでさえあるって、いったいどういういこと?
こんなGKのプレイは初めて見ました。

…面接とかで、クライエントさんとお会いしているときとか、
クライエントさんの中で葛藤とか自己矛盾とかがあったりすると、
それが言葉とか動作に現れて、ノイズのように感じられることがあります。
それは、普通の生活の場面でもそうですし、
私自身も「今、私ってノイズがあるな」と感じるときがあります。

でも、カーン選手のプレイってノイズが感じられない。
…凄い。


ところで。
心理職って、部屋に篭って面接したり、研究したり、というイメージ強いかもしれませんが、以外と体育会系の人はいます。あと音楽演奏するのがシュミの人とかも。
身体を使う…身体感覚を意識するというのが結構大切なんです。
私の同期も約半数がダンスとかスポーツしていたし。
今お世話になっているゼミの先生は合気道をしています。
教授は以前弓道をされていたとか。
助教授の一人はバイオリンを習っています。
他にも、太極拳とか気功とかボディーワーク系のことをされる方は結構いるようです。

身体を通して感じることって結構大切なんです。
スポーツは侮れません。


ああ、それにしても、MVP受賞おめでとう!<カーン選手
オリー My Love! ←実はかなりハマっている;

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ねこみちさま。カーン選手って漢(おとこ)って感じですよね〜。もともと本国ではどのくらいの人気だったのかしら。何はともあれ、母国でも歓迎されて、ほっとしました。 / YIN ( 2002-07-07 21:23 )
菜種さま。私はスキーだったら、胸張って「できません!」と言えます(笑)。 / YIN ( 2002-07-07 21:18 )
カーンっていいよね〜 しみじみ ドイツに帰って熱狂的に迎えられて良かったよ〜〜 / ねこみち ( 2002-07-06 16:00 )
胸張って「できます。」といえるスポーツは、スキーくらいです。 / 菜種 ( 2002-07-03 13:19 )

2002-06-14 言葉が足りない。

以前、某所でチャットしていて、
「オフ会とかで会う人は友達なの?」とか聞かれて、
「知り合い」と答えてしまった。
あとで、「私って言葉が足りなすぎる」と反省した。
彼女は私のことを冷たいヤツだと思ったに違いない。
いや、冷たいのかな?<ぢぶん。

でも、大事な人だと思っている人の前でも私は
「貴方は友達だ」とは言わないような気がする。
言わなきゃ判らないかもしれないんだけど。
判ってもらってどうする…と思って言わない。
何かしてあげたい、とは思うことがあるけれど、
何かして欲しい、と思うことはあんまりないんだ、私。
何故だかよくわからないけれど。

こころの中で密かに心配していたり、思っていたりはする。
でもあんまりそれを押しつけたくない…んだと思う。
おまけに、大事な人に対してほど、距離をとる傾向がある。
うーん、自分でもよくわからん。

そういうわけで、いつも言葉が足りない私である。
すまん。

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アナタは友達だなんて言わなくても、充分友達だよ。ましてや友達なんだから解ってるはず(^^) / はな ( 2002-06-18 05:55 )
高校や大学の入学直後は、まだ知り合って間もない人から「友達の○○ちゃん。」と他の人に紹介されたり、「だって、友達じゃない。」と言われたりすると、受け入れてもらったような気がしたものでした。 / 菜種 ( 2002-06-16 02:16 )
言わないなぁ〜友達確認みたいの、しない。しなきゃなんないのは、友達なのだろか、とか思ったり。一概には言えないんだけんども… / はなくろ@難しー ( 2002-06-16 00:01 )
魔人さん、いらっしゃいませ。…ああ、すんません、そういうことを、私、人に期待したくないんです。理解されなくてもいいや、と思っています。ひとが、ひとを理解するのは簡単なことではないから、それを要求したくありません。 / YIN ( 2002-06-15 02:49 )
本当の友達なら言葉は要らないかもね♪ / 魔人 ( 2002-06-14 23:41 )

2002-06-14 試合開始

日本対チュニジア戦の試合開始前の様子をみてて、ふっと思った。

こういう試合って…
もともとは神様への捧げものだったんじゃないだろうか。

先頭 表紙

ペコさん、決勝Tに進出しましたね!一位で行くとは思いませんでした。すごい!…ところで「ペコ」って私が可愛がっていたネコの名前でした。 / YIN ( 2002-06-14 20:59 )
菜種さんの関心は「人」というものに向かっているのでしょうか。なんか、あったかい印象。 / YIN ( 2002-06-14 20:57 )
カンパーイ!!バンザーイヽ(゜▽゜*)乂(*゜▽゜)ノ バンザーイ♪ 「白い魔術師」トルシエばんざーーい / ペコ ( 2002-06-14 19:51 )
サッカーの内容より、サッカーによる人々の動向に興味があります。 / 菜種 ( 2002-06-14 16:12 )

2002-06-11 アンズ天国

妹が、大学の杏の樹になった実をもいできた。
大きな紙バッグに一杯!
これから母がジャムを作ります。
今日はこれからまだ原稿書きなので、
明日の朝はきっと食欲もないのだろうけれど、
ヨーグルトのトッピングに杏ジャムだったら何とかいけそう♪

先頭 表紙

菜種さま、もちろん、毎日食べてます♪今年はブランデー入りでちょっとリッチな味わい。 / YIN ( 2002-06-14 00:26 )
咲良ちゃん、だめじゃん、食べなきゃ(笑)。あんまり甘くしないで、密閉容器にいれて、早めに食するのがいいとおもいます。 / YIN ( 2002-06-14 00:25 )
食べました? / 菜種 ( 2002-06-13 12:40 )
うちの隣の杏の木も今実が生ってます♪毎年くれるのvでもいっぱいジャム作って食べきれぬまま、また次の杏シーズンが(笑)杏酒もしかり。10年ものとかあります(笑) / 咲良 ( 2002-06-12 21:08 )

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