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Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-05-22 チャンピオンズ・オン・アイス
2003-05-21 レッドソックスvs.ヤンキース観戦 2
2003-05-21 レッドソックスvs.ヤンキース観戦 1
2003-05-20 ムービング・セール
2003-05-19 嫌われ者のアメリカ人 2
2003-05-19 嫌われ者のアメリカ人 1
2003-05-18 僕はドイツ人? 3
2003-05-18 僕はドイツ人? 2
2003-05-18 僕はドイツ人? 1
2003-05-17 地球をはさんで


2003-05-22 チャンピオンズ・オン・アイス

4月12日に遡るが妻と妻の姉と一緒にチャンピオンズ・オン・アイスというフィギュア・スケートのイベントを観てきた。近年のメダリストがずらりと揃うエキシビションである。結論から言うと非常に楽しい夜になった。

なにしろ豪華絢爛、百花繚乱なのだ。オープニングはフラッシュダンス、フットルースなど今は亡きダンスミュージカル映画の音楽にあわせて鮮やかな照明の中を次から次へと有名選手が登場してそれぞれの持ち味を散りばめたスケーティングを披露する。ミシェル・クワンが芸術的なスパイラルで観客を魅了する真横でエフゲニー・プルシェンコが豪快なジャンプを決めるという具合だ。16人と6組の世界的なスケーターがフリートセンターの氷上に集結した。

オープニングのあとは個人演技が続いた。比較的格下のスケーターから始まるのは演技を見れば分かる。ちゃんとジャンプが成功すると安心して拍手を送るという感じだが、ようやくその実力に対して正当な拍手喝采を得たのは日本の村主章枝だった。

僕はロシアの男子選手プルシェンコの滑りが好きだ。偏見以外の何物でもないのだが旧東側諸国以外には金メダルはあげちゃいけないと思う。国家の威信をかけて科学的トレーニングによって研ぎ澄ました技の上に選手個人の悲哀が込められた究極の演技―ただの偏見だ。でも僕は昔からフィギュアスケートの華やかさとは裏腹なそんなもの悲しさを個人的に堪能してきた。西側諸国の肉付きのよい選手たちと違って折れそうに細い体をあの時代錯誤の王子様のようなふわふわしたコスチュームに包む姿がなんとも言えずもの悲しくていい。プルシェンコの何を考えているかよく分からない三白眼も味を添える。だから今回観に行って一番の収穫は彼を間近に観られたことだった。

女子はその意味では近年不作続きと言ってよい。銀盤の女王カタリナ・ヴィット以来唸らせるような選手はいない。94年のリレハンメルで28歳でアマチュア復帰し、派手な技はもうないもののプロで鍛えた表現力で世界中を魅了した姿も既に懐かしい。あの詫び寂びに比べればどんなにミシェル・クワンにキャーキャー声援が集まろうとそれほど感じ入ったりはしない。イリーナ・スルツカヤも嫌いではないけれどやはり力不足だった。

妻が「だいっ嫌い」と公言するエルビス・ストイコは、名前のわりには顔の大きさと暑苦しさはむしろブルース・スプリングスティーンのようだった。しかしやることはエルビス並の自己陶酔で面白い。それこそかつてのジョン・トラボルタのような踊りを見せるのだがまったく様にならないところがいい。女性ファンを意識して何度もスライディングしちゃうのもバカみたいで面白い。妻はキャンデローロが大好きで、僕から見たら彼らのやっていることはほとんど同じなのだが、どうも違うらしい。

そのキャンデローロが最も大きな拍手を集めた。それもそのはず。珍しくスローな曲だなと思っていたら、よく聴いてみると歌詞がアメリカ賛歌のような曲で、クライマックスで上衣を脱ぎ捨てたフィリップ様の右腕には星条旗がくくりつけられていた。その腕を思い切り伸ばし星条旗をはためかせ彼は情熱的に滑った。時まさにイラク戦争勃発直後。アメリカを公然と批判したフランスからやってきた陽気なスケーターがアメリカに心からの賛辞を送っているのだ。会場は演技の途中からずっとスタンディング・オベーション状態。「阿りやがって」と僕は軽く呟いてみたけど大声援に軽く掻き消された。

なんにしても試験前のよい息抜きになった。忙しいと言うわりには結構遊んでた?


写真:http://www.ne.jp/asahi/lemonvodka/evgeny/


先頭 表紙

みほちゃん、人がつっこみ返ししてる最中につっこんでくるし…。ロロ様については僕の日記よりもみなみちゃんの日記をよく探してごらんなさい。もっと羨ましがるはず。 / Hidey ( 2003-05-24 16:16 )
はらぽ〜ん!何やってたんだよう!こっちも連絡しなくて悪かったけど。元気?お子さんもすくすく育ってるかな?こちらは6月15日に東京着です。今度こそうっちゃんと三人で会いましょう!でも金沢かあ。 / Hidey ( 2003-05-24 16:15 )
ウサ子さん、ミュージカルにあわせて滑るというのもなんだか大変そうですね。こちらでは超メジャー歌手とスケートをセットにしたようなイベントもあるようです。 / Hidey ( 2003-05-24 16:13 )
マイケルさん、いろんなイベントがありますね。リピンスキーは当時はすごい人気だったでしょう?ハミルトンはすごい懐かしい。また機会があったら日本でも観てみたいです。 / Hidey ( 2003-05-24 16:12 )
Hirokoさん、僕は恋しているわけじゃないですがなんかいいんだよねえ。日記、そう言ってくださってありがたいのですが帰国したらもう書くことはないと思います。そのためにも今はせっせと書いてます。 / Hidey ( 2003-05-24 16:10 )
きゃーロロ様〜!・・・うらやましすぎる。 / みほ ( 2003-05-24 16:09 )
チチローさん、ちょうど同じ時期だったのですね。それにしてもよく日にちまで覚えてらっしゃいますね。リピンスキー、クーリックは今回いませんでした。まあそれ程興味はなかったけど。ボナリーは今回もバク転してくれましたよ!サラ・ヒューズがなぜか欠場していたのが残念でした。 / Hidey ( 2003-05-24 16:08 )
まゆみさん、はじめまして!わざわざ訪れていただき感激です。村主さんはとっても上達していますよね、このところ。僕は立つだけ立ったけど(だって見えないし)黙って腕組んでました。サイト、遊びにいかせていただきました。留学に対する真摯な姿勢に大変感激しました。これからもどうぞよろしく。 / Hidey ( 2003-05-24 16:06 )
久しぶりだね。外してるけどさ、卒業おめでとう。僕は、今金沢です。r at harara dot com にでもメールください。Hideyのメールわかんなくなっちゃって困ってました... / はらぽ〜ん ( 2003-05-23 23:13 )
ドイツでもミュージカルにあわせて滑るショーがあります。こちらはスケーターのレベルはわかりませんが、一緒に出る歌手がミュージカル第一線の役者でかなり豪華です。 / ウサ子 ( 2003-05-23 19:02 )
以前、「Stars on ice」 がマイアミの近くに来た時に見に行きました。感想はこちら。こちらはプロに転向した人のショー。技術的な大技よりも芸術性をフィーチャーしていました。 / マイケル ( 2003-05-23 11:34 )
私の友人もフィギュアスケート(確かプルシェンコ)にとってもハマッていて、同じようなことを言ってました。あの熱狂振りはまるで恋をしているかのようです。 / Hiroko@日記辞めないで下さいね ( 2003-05-23 02:02 )
Champions on Ice、懐かし過ぎです。98年の4月11日に、当時住んでいたワシントンで見ました(っていう類のつっこみばかりで済みません)。クワン、ストイコ、キャンデローロなどは、その時も出ていたので息が長いですね。タラ・リピンスキーとイリア・クーリックのように、直前の長野五輪の金メダリストとして出場した人は、逆に、転身してしまっているんですね。個人的には、スパイス・ガールズのアップテンポな曲に乗って見せる、ボナリーのバク転も忘れられません。 / チチロー ( 2003-05-23 00:50 )
はじめまして!ボストン近郊のカレッジに通っているものです。私も4月12日観に行ってました!私と同い年だし村主選手の演技がすごく好きなので今回すごく楽しかったです。話友達と日本の人どれくらい観に来ているのかなァなんてしてたんですが、まさかこんなところで出会うとは!キャンデロロ選手の時の観客の盛り上がり様はものすごかったですね。私と友達はじっと座って反抗してました。私もサイトを持っているのでよろしかったら遊びに来て下さい。http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/4623/です。長くなりましたがこの辺で。 / まゆみ ( 2003-05-23 00:08 )

2003-05-21 レッドソックスvs.ヤンキース観戦 2

そんなある日メジャーでの七回目のシーズンをボストンで迎えた野茂が初登板する試合が会社のテレビで流れていた。暇なうえにいい年こいてミーハーなオジサンの多いうちの会社ではよくある風景なのだ。僕は無視して忙しく仕事をしていたものの、なんだかテレビの前に人だかりができている。気になって覗いてみたら既に九回もツーアウトをとった野茂が打者に向かっていた。与えた点はゼロ。移籍後初勝利を完封で飾る瞬間だった。最後のピッチングにつまった打球はふらふらと舞い上がりレフトの選手のグローブに収まった。ガッツポーズをする選手たち、周囲のオジサンの「やった!」という声。何かがおかしい。聞いてみたらなんとメジャーで自ら二度目のノーヒットノーランの達成の瞬間だったのだ。

しばらくぼんやりと画面を見つめながら考えていた。野茂英雄は数少ない好きなスポーツ選手の一人だった。1995年に周囲の反対を押し切って単身ドジャーズに入団し13勝6敗で新人王と奪三振王を獲得。不言実行型。その彼もここ四年の間に五つの球団を転々としもう駄目かとも言われていた。しかし彼は日本へ戻るという選択肢には目もくれず、メジャーという最も厳しい環境で自らを追い込み奮い立たせ続けた。再起をかけた五つ目の球団レッドソックスでの初登板で彼は自分がまだ終わっていないことをこの偉大なる記録によって証明したのだ。立派な男の生き様だった。その夜に僕はボストンへ行くことに決めたと妻に告げた。

そんなことを思い出しながらまた一人温室のような環境を捨てて過酷なフィールドに身を投じた日本人選手がフェンウェイパークに立つ姿を見ていた。この日の松井は四打数一安打。やっとセンターに打ち返したゴロ性の当たりが彼の現在の行き詰まりを物語っていた。テレビ中継では毎試合必ずといっていいほど彼をイチローと比較する解説者のコメントが入る。全身のいくつものポイントを調節してボールに対しかっちり面をつくるイチローに対し回転軸だけで勝負をする典型的なパワーヒッターのマツイ。しかしそのパワーはメジャーの投手には通じにくいため、彼のアイデンティティが定まらない、とそんな具合だ。思い切り苦労すればいい。それは幸せなことだから。

試合自体はこれ以上ない程にエキサイティングな展開だった。3対2とリードされていた4回、レッドソックスはヴァリテックの2ランホームランで逆転。さらに再び6対5とリードを許した7回、超人気選手ガルシアパーラのツーベースなどでノーアウト満塁のチャンスを築いたレッドソックスは、オルティズのツーベースで再度逆転。この回5点を取って一気に試合を決めた。点を取るたびに前に座っていたおじさんとハイタッチを繰り返した。やはり前列に座っていた男が僕の二人隣りのヤンキースファンの女の子をおちょくって「後ろから臭い息がかかるなあ」と言ったり売り子が彼女に投げてよこした食べ物を手を伸ばしてキャッチしてしまったりするのも面白かった。女の子なのでシャレで済んでいるがこれが男となるとそうはいかない。あちこちで観客が総立ちになって振り向くほどの騒動が起こり、その度に警察が何人かを連れ出していた。

ボストニアンだけに許されるこんな楽しみももうすぐ僕には許されなくなる。同じように6月に帰国する友人たちと一緒にさびしいねと話しながら球場をあとにした。人並みを掻き分けるようにゆっくりと走ってきた車が「パッパッパー!パッパッパー!」とクラクションを鳴らすと皆すぐに応じて「Yankees suck! Yankees suck!」と絶叫した。同じように叫ぶまなぶんのTシャツの胸にもしっかりYankees Suckの文字が躍っていた。


先頭 表紙

マイケルさん、ああ、そんな球場もありましたね。フェンウェイは何度もなくなるという噂を聞くのでなんとかふんばってほしいものです。 / Hidey ( 2003-05-24 16:04 )
チチローさん、あの初対決を!たしかさすがのイチローも声を上げませんでしたっけ?そのあとヒットを打たれたんでしたっけ?こちらもticketmasterで楽勝で取れるのですがヤンキース戦だけは毎年駄目なのです。この日はペドロが投げるという噂があったのですが故障っぽいらしくて出てきませんでした。 / Hidey ( 2003-05-24 16:03 )
シカゴ・カブスのリグレーパークでしたっけ? レンガに蔦が絡まっていて、その蔦にボールがはまるとツーベースになるってのは。最近新球場ラッシュのようですが、歴史あるスタジアムはぜひ残して欲しいですね。 / マイケル ( 2003-05-23 16:34 )
↓もちろん、うちのイチロー(笑)が生まれる前の話なので、家内と二人です(笑)。 / チチロー ( 2003-05-22 23:53 )
2001年は、5月にイチローと野茂の初対決を、シアトルで見て感激しました。あのデッドボールは、硬球が背骨に当たるすごい音がしました。その頃は、日本からでもインターネットでTicketmasterのサイトに行って、楽勝でチケットがとれました。野茂の前の晩はペドロが投げて、これもすごい投手だと思いました。 / チチロー ( 2003-05-22 23:49 )
ガス欠コインさん、単純でしょう?でもお陰でいい決断でした。野茂様様です。彼がもう1シーズンでもいてくれてたらもっと楽しいボストン生活になってたのですが。 / Hidey ( 2003-05-22 23:37 )
みほちゃん、きみからそのつっこみが入ることはとうに予想していたよ。うちの会社に遊びに来たいんだったらミーハーなオニイサンと呼びなさい。こっちではビールにポップコーン、そしてホットドッグだよ。 / Hidey ( 2003-05-22 23:36 )
野茂は僕も最も好きなベースボールプレーヤーです。ボストン行きにそんな秘話があったとは。もはや離れ難いことでしょうね。ちなみにそのノーヒットノーランは、ボストンから駆けつけたらしいアメリカ人の小集団が大喜びしていた映像が記憶に残っています。 / ガス欠コイン ( 2003-05-22 18:13 )
暇なうえにいい年こいてミーハーなオジサン・・・あ、教授のことじゃなかったのか。野球と聞くとビールに枝豆って感じですけどアメリカだとそうもいかなそうだなぁ / みほ ( 2003-05-22 15:17 )

2003-05-21 レッドソックスvs.ヤンキース観戦 1

今年の3月にボストン・レッドソックスの今シーズンのチケットが発売になった。やはり目当てはイチローのいるマリナーズと松井のいるヤンキースとの試合。残念なことに6月の帰国までにはマリナーズ戦は予定されていなかった。ヤンキースとは5月19日から21日にボストン・フェンウェイパークで三連戦が組まれていた。インターネットでのチケット予約に僕は二台のパソコンを起動させて臨んだ。

しかしあっさりと敗退。なかなか繋がらなかったりやっと繋がったかと思うと申し込み手続き中になぜか回線が切れてしまう。さすがのブロードバンドもレッドソックス−ヤンキース戦にかけるボストニアンの情熱には形無しだった。それもそのはず、このカードは日本でいえば甲子園での巨人−阪神戦に匹敵するのだ。大リーグ一のメジャー球団ヤンキースと、その宿敵としていいところまで行くのに決して優勝できないレッドソックス。いつもいいところまで行くというのが阪神とはちょっと違う。

だが神は見捨てなかった。同じ学校の日本人学生まなぶんがチケットを四枚確保し、そのうちの二枚が余っているので誰かに譲るとメールを廻してくれた。僕を含め四人の学生が購入を希望したので、律儀なまなぶんは公平を期するために我々に番号を振り、5月7日の日経平均終値の少数第一位を四捨五入したものを応募者総数の4で割ったときの「余り」と同じ番号の人がチケット獲得という、世にも複雑怪奇なくじ引きを考えた。とにかく僕はまた負けた。

しかしまだまだ拾う神があって、くじの結果チケットを獲得したAsakoが一緒に行く相手を探しているという。この試合期間中妻が仕事で最後の一時帰国をするため僕はすかさず名乗りをあげて、結局まなぶん夫妻とAsakoと四人で試合を見にいくことになった。その試合というのが昨日のことだった。

フェンウェイでの野球観戦はこれで五回目になる。その間に野茂を二回、イチローを二回見た。一度は野茂対イチローという豪華対決で、それについては2001年8月16日の日記にも書いた。フェンウェイパークは1912年に最初のゲームを行ったアメリカ最古の球場で、古きよきアメリカがしのばれる名物球場だ。左右非対称、そしてその非対称な分異様に高く聳えるレフト後方の壁「グリーン・モンスター」など見どころは多い。夕陽に照らされたモスグリーンの球場が時間の経過とともに青みを帯びてゆくなか、そよ風に吹かれて地ビール「サミュエル・アダムズ」で喉を潤すその至福は筆舌に尽くしがたい。

なんて単純な奴と笑われそうな話だが、僕が留学先としてボストンを選択したのもレッドソックスの試合がきっかけだった。二年前の4月の段階で僕はニューヨークとシカゴとボストンの三つの学校から合格通知をもらっており、そのどれもが魅力的な学校だったのでなかなか心を決めかねていた。しかし今通っているボストンの学校は殺人的なスパルタ教育で知られ、学生も意地の悪い奴が多く留学生活を謳歌するという意味では不適当という話も聞いていた。結局僕はびびっていたのだ。98年にこの学校を卒業した前述の高校からの友人もそんな僕の心を見透かしたように「今のお前にはあの学校は難しいかもしれない」と敢えて挑発的なメールをよこした。

(つづく)

先頭 表紙

2003-05-20 ムービング・セール

そろそろ帰国へのカウントダウンが始まり、エクセルで予定表をつくって計画的に行動するようになってきた。6月14日にボストンを発ち15日に東京に着く。やるべきことは山のようにあるけれど、最大の仕事はムービング・セールである。

学生の街ボストンでは卒業式の集中する6月近辺が一大セール時期で、スーパーマーケットなどの掲示板は「売りたい」情報でいっぱいになる。一説によるとボストン市の平均年齢は26歳といい、若い人たちが卒業して出て行ってはもっと若い人たちがそれを埋めるように入学するというパターンが繰り返されることを物語る。皆二年や四年というサイクルでここの生活を営むわけだから、それにあったレベルの家具や雑貨を効率よく購入するのだ。そんなわけでムービングセールは需要サイドも充実している。

二年前僕がボストンに来た頃はせいぜい売りたいアイテムと値段をずらりと並べて書き、その紙の下の部分に細かく切り込みをいれてそこに電話番号を書き、ちぎって連絡してもらえるようにするというのが一般的だった。気の利いた人はデジカメで取った写真をプリントしていた。それがいまや世の中はさらに便利になり、Yahoo!フォトなどのオープンなツールを使って撮った写真をネット上に綺麗に並べ、そのリンクをボストン情報サイトのセール情報ページに貼っておくという方法が主流だ。

僕も昨日、一昨日と家中の家具や雑貨、家電製品を片っ端から撮影。「絵日記」で鍛えた腕で色の補正をし、Yahoo!フォトに次々アップロードをしてボストン情報サイトにセール情報を出した。ついでに先日「絵日記」に載せたのと同じシビックの写真も貼っておいた。

二年という限られた時間とはいえ最低限の趣味は保ちたいという微妙なバランスを考えて購入したそれらの品は、ムービング・セール市場でははっきり言ってかなりハイエンドに位置している。すべて新品で購入したものだし極めて綺麗な使い方をしている。とはいえ14インチテレビ10ドルとか机5ドルとかが平気でずらりと並んでいるところへ(多分その人たちが買ったときから中古品だが)あまりに場違いな値づけもできないので、すべて購入価格の半額にしておいた。本当はもうちょっと価値があると思うのだけど、周囲とのバランスも重要だ。

自動車に関しては相場はもっとはっきりしていて、Kelly Blue Bookというサイトに行って車の種類、年式、マイル数、装備などを入力すれば、自動的に査定価格が出てくるのだ。僕の1995年式65000マイル走行のシビックは店頭中古価格は7060ドル、個人売買の相場は4900ドルということだった。僕は4800ドルで売りに出した。

便利なもので既に四人の方から車、ソファ、コンポ、テレビ、ゴミ箱を見たい、買いたいというeメールが入ってきている。しかし喜ぶのはまだ早くて、受け渡し時期や方法のつめ、実際に物を見せてのチェックなど道のりは長い。すでにソファに関しては「大人二人で楽に運べますよ」と教えてあげただけでちょっと重そうなのでやめますと返事が来た。

僕の愛用の品々をよろしかったらご覧ください。Yahoo!フォトへのリンクはこちら。(Yahoo! JAPANへのID登録が必要です)

本当はひまじんの方にも買っていただきたいところだがボストンではそれも無理だ。同じボストン在住のricaさん、なにか欲しいものありませんか?

先頭 表紙

マイケルさん、そうでしたか!僕は下にも書きましたが選択肢がない中で仕方なく赤を選んでしまいました。でも綺麗にしているとわりといい色ですよね。ご心配なく。お陰さまで昨日車は売れました。一番大きな売り物がはけたのでちょっとほっとしています。 / Hidey ( 2003-05-22 23:34 )
赤のシビック! 僕のアメリカ赴任中と同じ! 日本ではシルバーメタリックな車ばかりだったけど、なぜか分からないけどディーラーで見て一目惚れしてしまいました。ちなみに僕はマイアミを発つ前日にCarMaxに買い取ってもらいました。予約なしでも簡単なテストドライブの後、1時間くらい後に小切手を受け取れます。新車で17,000ドルが2年後に11,000ドル。まぁ悪くないと思いましたけど。 / マイケル ( 2003-05-22 11:35 )
ミサトさん、ちょうど今日の日記を書き終えたところなのでアップする前につっこみ返しをしていたらミサトさんがつっこんでくれているところでした。こちらはこれから一日が始まります。おやすみなさい。 / Hidey ( 2003-05-21 23:47 )
ミサトさん、イメージどおりでしたか。赤の車は選択肢がなかったのです。一昨年の12月にすぐにでもほしいというタイミングでたまたま友人が売りたいと言ってたのでシビックだというだけで選んでしまいました。ほんとは僕も赤は選びません。今ならシルバー系にちょっと色が混ざった感じかな。 / Hidey ( 2003-05-21 23:46 )
akemiさん、産みの苦しみもまた楽しいものでは?素朴な家具ですが妻も気に入っているものが多いので連れて帰れないのは心残りです。日本にはワンセット揃ってますからね。ほんとに大事に使ってくれる人に買ってほしいです。 / Hidey ( 2003-05-21 23:44 )
フィー子さん、本当にそれだけが僕も心残り。うちに来るのもさることながら、緑と煉瓦の美しいこの街をフィー子さんに見せたかった! / Hidey ( 2003-05-21 23:42 )
azzurriさん、残念!せっかく需要と供給が一致しているのに。趣味のよさって言うより選択肢がこれくらいしかないんです、こっちだと。日本でいえば普通の若いカップルの使うような家具に過ぎません。恐ろしく趣味が悪い変わりに安いものか、恐ろしく高価だけどハイセンスな輸入イタリア家具かという感じで、中庸がないんです。ようやく探し当てた中庸を選んだら大体北欧製だったという感じです。テディベアは結婚のときのに人からもらったものです。 / Hidey ( 2003-05-21 23:41 )
あ!同じ時間に書いてる(笑)ミサトはこれからお風呂に入って寝ますー。おやすみなさーい! / misato ( 2003-05-21 23:38 )
タズラさん、アメリカで暮らされていらしたんですか。存じませんでした。いやー結局僕が我侭で気に入った環境でしか暮らせないので無駄な金を使ってしまったようなものです。お陰で最初の頃は毎月ピーピーでした。 / Hidey ( 2003-05-21 23:37 )
すべてHideyさんのイメージ通りの家具ですねー。素敵。あ、赤の車はちょっと意外だった!何となく白か紺のイメージだったの。緑の中に映える綺麗な赤のお車ですよね♪ / misato ( 2003-05-21 23:36 )
ricaさん、さっそくお答えいただきありがとうございます。一応順調にメールがきているしいくつかルートはあるので大丈夫そうです。調味料とか、本当にご希望でしたらたんまりさしあげます! / Hidey ( 2003-05-21 23:35 )
むらぱぱさん、おしゃれと言うほどではないです。しょせん二年間の仮の暮らし。そうなんです、あのデスクで僕のボストンにおける一番長い時間を過ごしてきました。そしてそこに立っているのがこの日記のタイトルの由来である蛍光灯のデスクランプです。仕事と勉強の両立大変ですが、心から応援しています。頑張ってください! / Hidey ( 2003-05-21 23:34 )
あたしも早く、片付けに取り掛かりたい。また、新しい生活が始まるのですね。大事にお使いになった家具たち・・・気に入った方に喜んで買っていってもらえるといいですね〜 / akemi ( 2003-05-21 16:49 )
家具の後ろにちらちら見えるお宅をじっくり見ちゃいました。白い壁、白いドア、素敵だなあ。日本とは違うね、何かが。あー今更ながら一度お伺いしたかったなあ。。。 / フィー子 ( 2003-05-21 16:16 )
ええっと、azzurriはフロアライトとソファとステンレスのゴミ箱と・・・え?違います?だって、今まさに必要なんですもーん!!Bostonじゃなければ・・・それにしても、Hideyさまの趣味の良さが伝わってきます〜♪確かに学生にしてはリッチな生活・・・働いてるのにpoorなazzurriとは大違い(号泣)。スティールラックの上にウェルカムベアを発見!かわいい♪ / azzurri ( 2003-05-21 09:10 )
本当に、めちゃめちゃお洒落でハイエンドなものばかりですね…。思い返すと、僕が米国赴任したとき買った家具はいい加減なものばかりだったなぁ… もうちょっと気合入れればよかった… / タズラ ( 2003-05-21 08:00 )
呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん、ricaでございます(バカ丸出し)。すごーい、ステキな物ばかり!いや、ここボストンで学生の身として生活されている方にしてはとってもお洒落な物ばかりですよ〜(普通もっとテキトウなものが多いですよね(笑))。残念ながら家具系などはすべてそろってしまっています・・・。日本にご帰国ギリギリ前にもし必要であれば、調味料とかその他消耗品等、あまっている物はすべて頂きに参りますよぉ(笑)。 / rica ( 2003-05-21 00:58 )
さすがオシャレな生活をしてますね。あのパソコンデスクでひまじんに書きこみ、あのデスクで日々勉強したんですね。今、日本時間は深夜0時ですが、私は今から1時間勉強したら寝ます。Hideyさんの足元にも及ばないけど、コツコツ積み重ねます。最近、仕事が忙しくて勉強を始める時間が遅くなって大変。会社で寝てます。(冗談です。) / むらぱぱ ( 2003-05-20 23:58 )

2003-05-19 嫌われ者のアメリカ人 2

ことフランス人はアメリカの文化の低さを痛烈に批判する。これには僕も深く同調してしまう。例えばアメリカ映画における水戸黄門ばりの勧善懲悪の構図の多さ、型にはまりすぎた起承転結。食文化にしても、繊細さの欠片もないベタな味つけや風情のない盛りつけ。結局アメリカ人は総じてLow-context(付帯的状況を重視せず、短絡的・直接的な傾向)な国民なのだ。イラク戦争にしたって、言うことを聞かなければ攻撃するという子供のようにまっすぐな発想は他の国にはなかなかできない。

世界の異端児アメリカ人。嫌われ者のアメリカ人。でも、と僕は考える。すべての国には独自の傾向があり、その傾向は長所も短所も必ず伴うものだと。

考えてみたらアメリカ文化を決して快く思わないこの学校の非アメリカ人学生が血眼になって取得しようと務めているMBAとは純粋にアメリカ的な資格である。そもそもMBAとは、どんな状況においても画一化された経営理論を適用して環境を好転させるプロフェッショナルな経営者の資質の象徴だ。そのアプローチは極めてUniversalisticで、ビジネススクールは正しい解答を導く方法ではなくものごとを定型システムにはめる方法を教えるところだという指摘もある。MBAを志す者は企業に安定を求めるよりも個人の能力を高めて自ら可能性を開こうとしがちだ。そういう意味では非常にIndividualisticでInternal(運命を自ら切り拓く傾向)だ。起承転結がはっきりしたプレゼンテーションはLow-contextかもしれないが単純明快で力強い。これはアメリカ人のもっとも得意とするところだ。MBAホルダーは多分にAchievement(成果主義)志向で、その成果にも飽き足らず常に次の目標を定めつづけるという意味では極めて未来志向のTime orientationを持っている。MBAはアメリカ人のつくり出した非常にアメリカ人らしいハイテクビジネス兵器なのだ。

イラク戦争にしてもふと時々思う。アメリカ人はきっと純粋に善意と正義感に充ちているのだろうなと。悪玉フセインから善良な市民をてっとりばやく解放し、その際のコストベネフィット比較においても戦争による少数の犠牲者とフセイン政権による数知れない犠牲者とを比較して判断する。とても合理的、直接的、普遍的、未来志向的な考え方だ。ブッシュにしたってあの単純思考な保安官はひょっとしたら政治・経済的な思惑なんかより子供のように純粋な正義感の方がずっと強いのかもしれない。しかも彼はうちの学校でMBAを取得している。

しかしそのような思考の前提には文明史上許されたことのないほどの絶対的な軍事的・経済的優位がある。そこではシミュレーション・ゲームのように痛みを伴わず無機的に人の生き死にを決することができる。闘ってもかすり傷を負うか負わないかという程度であることが分かりきっている者の天真爛漫な暴力は、それ自体悪だ。それは世界平和とか人権とかそういう意味での悪ですらない。行動における美学、そしてフェアネスにおいてそれは悪なのだ。アメリカ本土でイラクの攻撃により10人でも犠牲者が出ていれば罪深い天真爛漫さも影を潜めたかもしれない。

なんだか思わぬ方向に話が進んでしまったが、Managing across Culturesの授業は色々なところで応用可能な材料を提供してくれた。これだって一応MBA教育の一環なのだ。皮肉を言っているのではない。この授業を教えてくれたアメリカ人女性教授は、むしろ画一的なMBA教育へ一石を投じるためにほとんど孤軍奮闘でこの授業をつくりあげた人で、MBA的発想が実際的にすべての文化に通用するのかどうかを我々に考えさせてくれたという意味ではこの授業は特別に意義深かった。

先頭 表紙

ミサトさん、同時進行でつっこみいただきながらつっこみ返してます(笑)。ドラえもんかあ。考えたこともありませんでしたがあの漫画には確かにいろんなキャラクターが象徴的に描かれていますからね。本当はドラえもんにでもなってほしいところだけど、良識がありながらもアメリカに追従してしまうところはやっぱりのび太? / Hidey ( 2003-05-21 23:32 )
おせっかいなのよねー。さん、僕も今回のイラク戦争で近いことを感じました。国連決議の際の多数派工作において鍵を握っていた南米などの小さな国に「援助も打ち切るぞ」と言いたげなプレッシャーを掛けまくる姿は醜いものでしたね。 / Hidey ( 2003-05-21 23:29 )
和代さん、「淋しいアメリカ人」は名前は聞いたことはあるのですが読んだことはありません。帰国したら探してみます。アメリカ人自身、実は戦前には日本やヨーロッパと合い通じる価値観がもっとあったのだと言っていたのが印象的です。 / Hidey ( 2003-05-21 23:27 )
前回今回のトピックとても興味深かったです。アメリカは・・どらえもんの中でいったらジャイアンかな〜。日本は誰なのだろう。すねおでないことは確かですが(笑)! / misato ( 2003-05-21 23:25 )
なによりも「みんなボクの事嫌いだけど、ボクのマネーは好きなんだろ?」と成金のボンみたいな所があるわ。そんで家族(国民)には「節約せよ」って言ってるのよ。 / おせっかいなのよねー。 ( 2003-05-21 02:36 )
Hideyさんの「僕はドイツ人?」を読んでいたら、むか〜し昔に読んだ「淋しいアメリカ人」を急に読みたくなってン?十年振りにサッと読み返してしまいました。日本から出たこともなく、ワタシが得る事のできる程度の乏しい情報から「今のアメリカ嫌い」と思ってしまってますが、何より私が愛するアメリカンアンティークキルトが生まれた国でもあるわけで。。。帰国、近づいているんですねぇ。 / 和代@支離滅裂ね、書いてること>私 ( 2003-05-20 23:07 )
フィー子さん、きっと能天気に「みんなでハッピーになろうぜ、バディ」みたいに真剣にイラクの市民に同情している連中が多いような気がします。その「ハッピー」が結局はアメリカ人の定義する「ハッピー」なので周りとしては押し付けんなよということになっちゃう。宗教観も違うしね。だからuniversalismはやっかい。でも確かに学級委員的な実行力は誰よりもある。周りはああでもないこうでもないと言ってるばかりで何も解決できないので結局誰も文句が言えない。 / Hidey ( 2003-05-20 22:03 )
マイケルさん、絵も見ずってところがよく分かりませんが、うんちくを語ったりとかだとしたら非常にフランス人らしい行動のようです。でも違うようですね(笑)。好き嫌いは別にしてやはり統計的な系統は国ごとに明らかに出てきますよね。 / Hidey ( 2003-05-20 22:00 )
KATSUMIさん、この授業では特に外国人学生の割合が高かったのでみな常々思っている価値観を堂々と口にするところが面白かったです。そんな環境にいるだけでも来た意味があります。 / Hidey ( 2003-05-20 21:59 )
↓最近では / フィー子 ( 2003-05-20 14:26 )
そうなんですよね、最近出はもう嫌われることもわかっていてやってるような気さえしますよね。単純に中心となってやってくれるっていうのは、誰もやりたがらない学級委員を自らやってくれる奴のようで実はとてもありがたいもの。単純さが憎い時と可愛い時があるのかな。 / フィー子 ( 2003-05-20 14:25 )
僕自身は○○人が嫌いってのはないつもりなんですが、ヨーロッパの美術館で絵画を鑑賞しているとよく遭遇する、ガイド付きでゾロゾロやってくる割には、ガイドの話を聞かず、絵も見ず、好き勝手にしゃべって、場の雰囲気をぶち壊しにしてこちらを不愉快にさせる集団がほぼ例外なくフランス語を話しているのはなぜだろう?と思うことがあります。 / マイケル ( 2003-05-20 12:18 )
良くも悪くもアメリカ的スタンダードが世界標準になりがち。そんな中、複眼的に物事を見られることの必要さを感じ、うらやましく思います。 / KATSUMI@適度に活動中 ( 2003-05-20 02:19 )

2003-05-19 嫌われ者のアメリカ人 1

4月中は自分の論文だけで充分忙しかったが人の論文の調査の手伝いまでしてしまった。と言ってもいい人自慢のような話ではなくてほんの一時間半程度で終わってしまうくらいの簡単な作業。同じセクションのヘイリーという韓国人の女の子に頼まれて、ネットオークションのeBayが何故日本市場でだけ事業に失敗したかについて日本語のサーチエンジンで関連サイトを検索した。本当のいい人自慢はこれから。検索したのはいいけれどヘイリーは日本語を解さないことにバカな僕は今さらのように気づいた。しかも検索の結果プリントした資料はあまりにも膨大で、時系列に順序だてて理解していくだけでも結構な作業だった。結局キーになるところにマーカーで線を引いて図書館で3時間近くかけてつきっきりで逐次通訳した。いい人だ。

本題はそのあとの話。どうしてもお礼にというので図書館を出た僕たちは彼女の奢りで僕の行きつけのインド料理屋へ行った。二十代の女の子が好むような噂話にふーんふーんと耳を傾けていたらヘイリーが突然言った。「ねえ、うちのセクションって好き?」「うん、結構好きだよ。いい奴も多いし」と僕が答えると「そうかもしれないけど私は嫌な人も多いと思う。特にアメリカ人。上っ面は親切で優しいんだけど上っ面ってのがよく分かりすぎて時々信じられなくなる」

こういう会話はアジア人だけのものではなくてヨーロッパ人の間にもある。往々にして標的はアメリカ人なのだ。数の上ではうちの学生の65%を占めて主役の座にあるアメリカ人だが、35%と少数派ながら国籍で言えば50くらいはあるであろう残りの学生にとっては異端視すべき絶対多数だったりするのだ。

昨日の日記の「文化的プロフィールの七つの指標」に照らして考えると結構分かりやすい。アメリカ人はIndividualismの権化である。もちろん比較的という話に過ぎないが、広く浅く誰とでもニコニコつきあうかわりに少数でヘビーな関係というのは少ない。大人数のパーティーをしょっちゅう開くのも、心理学的には個人主義の彼らにとってそのように友愛を確認する手段が必要だからだそうだ。そしてそのようなパーティーでのアメリカ人の誰に対しても調子のよい挨拶に非アメリカ人は時々内心うんざりする。ヘイリーはあるアメリカ人の女の子がパーティーでドレスアップした写真を見て「素敵ねえ!」と心から褒めたそうだがその女の子はヘイリーに「あなただってこの日のドレスとっても綺麗だったわよ!」と言った。ヘイリーはそのパーティーには出席すらしていなかった。

あまり学生の間では表立って話されないが先のイラク戦争についても非アメリカ人のほとんどがアメリカの行動に批判的だったのは間違いない。うちの学生のアメリカ人なら同じように批判的なのではないかと思ったら調査の結果全学生の50%がアメリカの先制攻撃に賛成したらしいからやはりうちの学生はコンサバなのだと思った。いずれにせよ非アメリカ人がアメリカの軍事行動を理性的にだけでなく感情的にも嫌っているとしたらそれは世界の保安官を気どるアメリカのUniversalism(世界には共通のルールがあり、それを徹底すべきとする傾向)を嫌ってのことだ。マクドナルドのような画一化された商品が世界を席巻することにも世界には根強い反発がある。フィー子さんが先ごろ日記で引用した「なんでメジャーリーグで優勝するとワールドチャンピオンなんだ?」という怒りに充ちた疑問も同じことだ。

(つづく)

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みほちゃん、↓この直後に例の事件が起こったわけだね? / Hidey ( 2003-05-20 22:05 )
うわー良い人!自慢できる位でしたら私の宿題も(なぜゆえ朝3時に起きて宿題・・・)当然手伝ってくれますよ、ね〜・・・っと。 / みほ ( 2003-05-20 01:21 )

2003-05-18 僕はドイツ人? 3

External(人の運命は外的要因によって左右されるとする傾向)かInternal(人の運命はその人の能力・努力次第で内的要因が大きいとする傾向)かという指標では日本人はExternalでフランス人とアメリカ人はInternalだ。これは歴史的要因によって違いが出てくるものらしい。フランス人の集団的な意志はフランス革命において、自らが運命を切り開こうという内面の意志の集団的表出という形で培われたものであり、日本人に集団的な意志があるとしたらそれは黒船の来襲や二次大戦後のアメリカによる統治などの外的要因の触発によって形成されたものだ。アメリカ人は無論独立戦争、西部開拓のフロンティア精神など自らの意志で運命に挑んだ歴史の末Internalな文化をつくった。また古来より欧米人は自然に挑むことで文明をうち立て、日本人は自然と共存して生きてきたことも相違の要因として考えられる。日本人の方が運命に従順なのだ。

Time orientation(時間的性向)という指標は、過去、現在、未来のどこに重きを置くかを問うもので、日本人とアメリカ人は現在から未来を重視するのに対しフランス人は極端に過去を愛する。これはフランス人の歴史に対する誇りによるのことで経歴や過去の関係の長さを重視することがその表れであるという。日本人も長期的関係を大事にするという点ではフランス人と同じだが、フランス人においてはその傾向がさらに強いという。日本人には忘れたい過去が多く、アメリカ人は歴史すら持たない。

先述のとおり僕はTime orientationで若干過去によっていることを除きすべての指標で中間点に位置していた。中学時代をパキスタンで過ごし日本を外から見ることを覚え、さらに高校では10ヶ月留学をしてアメリカ的価値観を内側から見たこと、そして広告会社という日本では比較的リベラルな環境に身をおいたことなどが影響してのことと思う。中間点に位置するということはどちらの考え方もある程度理解はするという意味において有利なポジショニングと言えるかもしれない。

ちなみに他の国の文化的プロフィールの標準値も見ることができたのだが僕と同様すべての指標で中間に位置していたのはドイツ人だった。たしかにドイツという国は僕も旅行などしていて違和感は感じなかったしドイツ文学には特別な親しみを感じることも事実だ。将来はイタリア人になろうと思っている僕にとってはイタリア人の文化的プロフィールの資料が得られなかったのはとても残念だ。ちなみに昨日の日記で書いたとおりやはり親しみを感じるブラジル人については、彼らがCommunitarianismに寄っていることと未来志向が強いこと以外はすべて僕と一致していた。なるほど気があうわけだ。

僕自身の結果からも分かるとおりその国民の標準値といっても個人によって千差万別である。この授業では20ほどの国からの50人強の学生たちが集まり、彼らの発言にはその国らしさを感じさせられることもあればそうでないことも確かにあった。ある人に教わったことで僕も事実だと思っていることがある。それは、人はついつい文化の相違点に注視してしまいあれもこれも違うと思い込む傾向があるけれど、実は敢えて口にしない共通点の方が遥かに多いのだということだ。人は相違点を拡大して理解の障害と捉えて悲観的になりがちなのだが、見過ごされた多くの共通点をもって相違に橋を渡す努力ができるはずなのだ。もちろんそれは必ずしも相違点を埋めるということではない。相違点をうまく尊重することさえできれば我々はお互いの相違を魅力的なものとして賞賛しあうことすら可能なのだ。

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ミサトさん、特に中国はあれだけの長い歴史にも関わらず、ほんのちょっと前の文化大革命とその後の自由化による反動というのが、現在の彼らのメンタリティに大きく影響を与えているのだと彼ら自身から聞きました。もちろん台湾や香港もその歴史上の岐路においてまた異なる文化を培うことになったし。面白いですよね。 / Hidey ( 2003-05-21 23:25 )
当たり前だけど国民性って全然違うんですよね。同じアジアでも、お隣の中国(HKと大陸だとまた違うけど)や韓国とも違って。文化の違い、思考の違い、頭で理解できていても心で理解していくのが時々難しく感じることがあります。田中康夫氏が、サービスについて、日本人とイギリス人が似ていて、中国人とフランス人が似ているというような事を言っていてなるほどーと思ったことがありました。 / misato ( 2003-05-21 23:07 )
KATSUMIさん、サッカーがアメリカで根付かない理由も色々分析できるかもしれませんね。それこそフィー子さんのこの間の日記みたい。 / Hidey ( 2003-05-20 21:57 )
Ecruさん、本当に。知らないよりは知っていたほうがということだと思います。そして理性で分かっていても感情がついていかないことはとても多いし。 / Hidey ( 2003-05-20 21:56 )
なんとなくわかる気がします。サッカーファンの盛り上がり方も、国ごとに共通かもしれません。 / KATSUMI@適度に活動中 ( 2003-05-20 02:20 )
相違点を認識しあうところからまた一歩進んで真の意味で尊重しあうのは何と難しいことだろうと思います。でも、何としてもそれはしていかなくてはならないことなんですよね。 / Ecru ( 2003-05-20 00:06 )
やっちーさん、続きです。ジンバブエはなかったのですがナイジェリアはありました。それによると若干Diffuseに寄っていて未来志向が強いこと意外はすべて中間点に位置していました。何かの参考になりましたでしょうか? / Hidey ( 2003-05-19 23:25 )
やっちーさん、本文にも少しだけ書きましたが違いって本来とても大切なことですよね。違いがあるから相手を愛せることにもなるわけだし。同時に憎むこともできるのだけど。新鮮な驚きはいつまでも大事にしたいと思います。 / Hidey ( 2003-05-19 23:24 )
kofukuさん、おっしゃる通りだと思います。そしてこの授業においても教授はそれを力説していました。私は正解を持っていない。あなたがたもこの教室でそこにたどり着けるわけではない。ここにあるのは考えるための材料に過ぎないのだと。それからおっしゃるとおり力技ってのも経営上はきっとありなんでしょうね。GEなんかそんな感じみたいだし。 / Hidey ( 2003-05-19 23:21 )
もちろん、Hideyさんが言っている通り、その相違点がはっきりわかったら、それで「ダメだ」じゃなくて、さらにいい関係を築けると思うんですよ。 / やっちー ( 2003-05-19 05:27 )
この宿題、ものすごくおもしろいですね!ジンバ人の標準値がめちゃくちゃ知りたいです!私もやって、ジンバと比較してレポート出したい(どこに?)!!!私も大学のクラスで、いろんなアフリカの国々の学生がいて、文化背景による違いからか討論でも意見がすごく分かれて、日々、国による文化や価値観の違いに驚きの連続でした。もちろん、私は日本人としてアフリカの人との大きな相違点を感じたりして。私の価値観は、個人だけれど、やはり多大に日本という国の影響を受けていると思います。いろんなアフリカの国の標準値、知りた〜い! / やっちー ( 2003-05-19 05:22 )
文化的な相違点が理解できても、それを業務に生かすのは大変難しいと現在日々感じている次第です.客観的に理解することは出来ても日々起こる出来事の中でEmotionalにならずにそれを処理していくことは文化の相違に対する理解そのものよりも人間としての成熟性が要求されるなぁと痛感しています.多国籍多文化間でリーダーシップを発揮している人たちを見ていると案外意識的に文化的相違に目をつぶっているような気もするし・・・・ / kofuku ( 2003-05-19 02:15 )

2003-05-18 僕はドイツ人? 2

Communitarianism(コミュニティ重視主義、団体志向)かIndividualism(個人主義)かという指標でも日本人、フランス人ともにCommunitarianisticだという。日本人のコミュニティ志向は論ずるまでもないが、フランス人も家族や仲間内という概念をとても大事にする国民なのだ。コンセンサスを重視し、自分たちのグループに属しているか否かによって対応が違う。clique(派閥)やétranger(外人)という言葉の概念にも日仏の共通性がある。フランスでは特にフランス文化を愛し理解しようと努力しないと本当には受け入れてくれないということだ。逆にその努力を見せればとても気前よく受け入れてくれるということらしい。アメリカ人はもちろんIndividualistsの典型だ。

Diffuse(拡散的・包括的)かSpecific(特化的)かという指標は、別の言い方をすればHigh-context(付帯状況を大事にする傾向)かLow-context(付帯状況を軽視する傾向)かという表現もできる。例えばある人とこれから取引をはじめるか否かを考えるとき、その人を仕事の能力だけで限定的に判断するか、その人の性格、思想、背景などから包括的に判断するかの違いである。前者がSpecificで後者がDiffuseである。これも日仏ともにDiffuseな文化を持つのに対し、アメリカはSpecificに寄った文化を持っている。日本とフランスではものごとの微妙なニュアンス、様式美を大切にし、アメリカ人はより現実的、直接的な言動をする。

Affective(情緒的)かNeutral(非情緒的)かという指標では、日本人は非情緒的であるのに対しフランス人は情緒的だという。要するに感情をストレートに表に出すか否かということだ。フランス人はウィットに富んだ議論のための議論を好み、交渉事では敢えて相手を否定するようなことを平気で口にするという。彼らを否定するときは結論を押しつけてしまうと彼らの知性に対するプライドを傷つけることになるので、仮定や条件などだけを提示して彼ら自身の知性によって正しい結論を導かせる方法をとるのがいいという。アメリカ人もフランス人同様Affectiveな傾向にあるが、同じAffectiveでも微妙なニュアンスの違いはあり、フランスでは男性が女性の体の一部を褒めちぎることも美の崇拝として許容され、アメリカではセクハラで即裁判所行きとなる。

Ascription(人の能力を周辺的事実によって判断する傾向)かAchievementか(能力を客観的結果によって判断する傾向、成果主義)という指標においてはフランス人は中間よりややAscriptionに寄っている。日本人はAscriptionの傾向がさらに強い。「彼は〇〇の御曹司だ」とか「彼は〇〇の資格を持っている」など、直接的に能力を示すわけではなく付帯状況にすぎない事実から能力を判断する傾向があるということだ。フランス人は特に学歴に対して重きを置き、どの大学を出たかがその人の評価に大きな影響を与えるという。しかし日本人と異なり家系、年齢、性別などにはそれほど重要性を見出さない。アメリカ人は言うまでもなくAchivement志向が非常に強い。フランス人のAscriptionは、かつて王族や貴族の権威が神によって保証されたものと考えられ、疑問の余地すらなかったことにも由来しているという。

(つづく)

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2003-05-18 僕はドイツ人? 1

Managing across Culturesという授業をとっていたが、そこでは各国の文化の相違がビジネスを行ううえでどのような問題を生み出し、それらに対処するにはどうしたらよいかを学んだ。学んだというよりはともに考えたと言っていいかもしれない。文化の相違への対処の仕方はその人自身が持つ文化的背景によっても異なるし、しかも例えば複数の日本人が同じようにアメリカ文化に適応しようとしてもそのやり方は千差万別であり、唯一の正解はありえない。それぞれの学生がそれぞれの考え方やその根拠を発言し、議論しあった。教授はむしろナビゲーターに徹していた。

授業の初期の段階で宿題が出た。50問を超える個人の価値観に関する質問にネット上で答えて提出するというものだった。THTという会社が開発したカルチュラル・コンパスというこのプログラムを通じておのおのの学生の文化的プロフィールが分かるというのだ。その結果は一般的に国籍によって類似性が出てくるのだが、もちろんその人それぞれの価値観や環境の相違によって個人差も出てくる。宿題には続きがあって、自分がある国の文化に適応しようと仮定した場合、自分の文化的プロフィールとその国の国民の平均的プロフィールを比較して、発見したことを簡単にまとめよというものだった。僕はこの授業での学びを今後の業務に応用したいと考えていたので、昨年うちの会社とフランスの巨大広告グループが提携を結んだことから、フランス文化への適応の方法論について考えることにした。

質問の例としては、「あなたは友人が運転する自動車に同乗していたが、友人が不注意から人をはねてしまい軽症を負わせた。あなたが唯一の証人であり、あなたの証言によって友人の運命が変わる。あなたは友人を有利な立場に置くために偽証をするか否か?」とか「あなたは医者で、友人が保険の申請のためにあなたに健康診断を願い出た。あなたが診断した結果友人はほとんど健康体だが、一点健康とも不健康ともどちらにでもとれる診断箇所があった。あなたは彼に有利な診断結果を書くか否か?」というものがある。僕は第一問にはNOと答え、第二問にはYESと答えた。多分その結果だと思うのだが、僕はUniversalism(普遍的なルールを大事にする傾向)とParticularism(そのときの状況によってルールの解釈を個別的に行う傾向)という指標の中間点に位置するという結果が出た。このようにして文化的プロフィールを規定する七つの指標のどこに自分が位置するのかが分かるというプログラムなのだ。

はじめに結果を書いておくと僕は七つの指標のほとんどすべてにおいてその中間点に位置していた。しかし典型的な日本人やフランス人はすべての指標においてどちらかの両極に近いところに位置していた。順を追ってその七つの指標を説明し、日仏、そしてアメリカの文化の比較をしよう。

まずUniversalismかParticularismかという指標では日本人もフランス人もParticularismに寄っているそうだ。コネが大事だったり「ここだけの話」という会話が多いのがその表れだ。フランスではさらに役職に基づく権限は非常に個人的なものとして捉えられ、ある権限を与えられている者は個人的な解釈でそれを自由に応用できるし、そこに役職についている者は歓びを見出すのだという。それに対しアメリカ人はUniversalismの権化だ。ものごとにはすべて世界共通のルールがあるべきで例外はありえないと考えるのだ。

(つづく)

先頭 表紙

僕と同じですね。少なくともuniversalismかparticularismでは中間ってことかな。 / Hidey ( 2003-05-20 21:55 )
第1問は、NO。第2問は、YESです。質問に全部答えたら、どんな結果が出てくるのかやってみたいです。 / Ecru ( 2003-05-19 23:41 )

2003-05-17 地球をはさんで

またも話は一ヶ月ほど遡り、4月7日の出来事。

そろそろ三つの論文にとりかからないとと思いはじめた矢先にスタディ・グループの宴会隊長ラミからメールがまわり、スタディ・グループ最後の飲み会をやろうという話になった。「地球をはさんでバラバラになってしまう前に」とラミは書いていた。もう皆ともお別れかと初めて切実に思った最初の日だった。

前回取り仕切ったフレンチ=モロッコ・レストランでの食事会が大変好評だったこともあり(昨年の12月13日の日記参照)、エジプト人のラミは今回も中東系のラウンジ・バー、「カプリス」を予約してくれた。「月曜日の夜は特別に人気でいつも異常に人が集まるんだ」と彼は書いていた。道々タクシーの運転手とその店について話していると、彼も「月曜の『カプリス』は音楽がいいからね。俺も終わったら行こうかな」と話していた。

12人のグループのうち今回集まったのは7人。ブラジル3人と、ペルー人、アイルランド人、そして日本人だ。都合が悪くて来られなかった連中はアメリカ人2人と、カンボジア人、メキシコ人、そしてもうひとりの日本人。そもそもブラジル人のカルロスが中心になって「なるべく国際色豊かに」と編成したグループだった。カルロスとはサマー・スクールの頃から仲がよくてグループをつくるときには真っ先に声をかけてくれた。僕がブラジルの音楽が世界で一番好きなんだと話すと彼はこよなく愛するマリーザ・モンテのCDをプレゼントしてくれたことがあった。僕もお返しにピチカート・ファイヴのCDを買ってあげた。

半年以上毎日膝をつきあわせた仲ということももちろんあるけれど、僕はこの仲間が特別に好きだ。特に南米系の連中とは文化的に相性がよいのか、ここでは珍しいくらいに深い話を分かち合うことができる。もう二人のブラジル人ダニエルとジョアナは昨年夏のJapan Trekに来てくれて日本文化を学んで帰った。今回は来られなかったけれどアメリカ人のレベッカはアメリカ人にしては珍しく心の底から(ここが重要)外国人学生に対しオープンで、多国籍軍の我々スタディ・グループでは、どうしてもアメリカ企業についての話が多いケースを分析するにあたって貴重な存在だった。

あんなこともこんなこともあったねと少ししんみりしはじめた頃、気がつくと照明が暗くなっていてフロアに人が溢れていた。テーブルで食事をしていた人たちがもう立ち上がって音楽に合わせて体を揺らせていた。僕たちも同じように彼らに混ざった。音楽は純粋に中東の音楽ということではなく、最近ブルックリンで流行っているらしい中東色の強いハウス・ミュージックで、アルコールのまわった体に心地よく響く。アイルランド人のアビーと体を寄せて踊りながら彼女の男性に関する悩みを聞いたりした。音楽がうるさかったのと併せて彼女のヘビーなアクセントはとても聴き取りづらかったけれど。

二時過ぎに閉店にあわせて表に出るとこの数日の春の陽気が嘘のように久しぶりの雪が積もっていた。オレンジ色の街灯に浮かび上がる最後の雪。僕たちは子供のように駆けまわり雪合戦に興じた。この雪が解けて本当の春が来れば我々は別の道に向かって歩きはじめる。雪をつかみながら少しセンチメンタルになった。僕たちは地球をはさんでバラバラになる。でも僕たちは地球を包むように手をつなぎあうこともできるのだ。

先頭 表紙

八百屋六助さん、一応アメリカのラウンジ・バーでのブルックリンの音楽だったのでそこまでオーセンティックではありませんでした(笑)。そう言えばベリーダンスって生で見たことないなあ。 / Hidey ( 2003-05-19 00:38 )
みほちゃん、あなたは実は男子高校生?女装して女子高に通っている幸せ者? / Hidey ( 2003-05-19 00:37 )
ricaさん、気持ちを察していただきありがとうございます。ricaさんもかつて同じような思いをされたんでしょうね。僕もつとめてこれは一生を通じた地球をはさんだ友情の始まりであり、これから僕らは新しい関係を築いていけるのだと思うようにしています。でもほんと、ITさまさまというところは大きいです。 / Hidey ( 2003-05-19 00:34 )
中東系だとベリーダンスあり? ダブリンに1件,ベリーダンスを見せる店があった.昼食でたまたま入ったんだけど,ベリーダンスは夜の部.結局見られず. / 八百八六助 ( 2003-05-18 17:13 )
い・・・いいなぁ素敵な女性と踊ることができるなんてー!あ、そういう私もブラジル人のスタイルのいい姉様と向かい合って踊ったことありますけど、いやー至福の時でした / みほ ( 2003-05-18 14:27 )
寂しいですよね、寂しいですよね。ううう〜。それぞれが国に帰ることが「友達の終わり」ではないのですが、でもやっぱり国が離れてしまうとそう簡単に会えなくなるし、結構仲良くても「もしかしたら会うのが最後かも」とか思える人も出てくるし・・・。アジア諸国の人は思っているより結構頻繁に会えるかもしれませんが、南米だと厳しいかな??でもそれでもやっぱり、今はメールとかあるので昔よりはマシ!新しいテクノロジーにホント、感謝ですね♪ / rica ( 2003-05-18 00:15 )

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