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Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-05-15 最愛の女性教授 2
2003-05-15 最愛の女性教授 1
2003-05-14 高級百貨店の誕生と経営戦略 2
2003-05-14 高級百貨店の誕生と経営戦略 1
2003-05-13 NBA観戦
2003-05-12 モントリオールの夜は更けて 2
2003-05-12 モントリオールの夜は更けて 1
2003-05-11 勉強終了 2
2003-05-11 勉強終了 1
2003-04-04 Network Effect


2003-05-15 最愛の女性教授 2

この本は、ブランドを構築することによりその企業の競争力を高めて世界の最高峰に押し上げた六人の起業家たちに注目し、ブランド論にとどまらない奥深い経営術を歴史物語風に鮮やかに描き出したものである。六人の起業家とは陶磁器メーカー・ウェッジウッドのジョサイア・ウェッジウッド、食品メーカー・ハインツのヘンリー・ハインツ、昨日の日記にも書いた百貨店のマーシャル・フィールド、化粧品のエスティ・ローダー、スターバックスのハワード・シュルツ、そしてデルコンピュータのマイケル・デルである。ウェッジウッドについては一年生開始直後の特別期間の授業でも学んだことを2001年9月6日の日記に書いたが、実はその時使った教科書のウェッジウッドの部分はナンシー・ケーンによるもので、それがそのまま「Brand New」の第二章に使われている。いずれにせよこの本は六人の天才起業家の伝記としても読めてしまうほど一般の人にも読みやすく、またストーリーが起伏に富んでいる。あまりにも面白いので一日60ページ以上の宿題もあっという間に読めてしまったほどである。

実はこの本は日本語にも翻訳されており日本でも大変高い評価を得た。2001年の末に樫村志保の翻訳により翔泳社から出版された「ザ・ブランド」という本がそれである。「Brand New」では日本人にはぴんと来ないだろうということで「ザ・ブランド」と意訳されたらしい。amazon日本版や青山ブックセンター、旭屋書店などのビジネス書ランキングで軒並み10位以内にランクされ、幅広い人々から好評を博した。

そんな教授の生の授業に参加できるということで、このクラスでは毎回のように学生が家族や友人をゲストとして連れてくる。一日に三組ということも少なくない。僕もちょうどミネソタに住む妻の姉がうちを訪ねていたときに妻とその姉をクラスに招いた。ちょうどアメリカのビジネス史における女性労働力の進出というテーマで「Brand New」からエスティ・ローダーの部分を取り上げた授業だったので余計に彼女たちの興味を引いた。

授業内容としては、化粧すること自体がモラルに反していた戦前のアメリカ、戦争により男手が不足して初めて日の目を見た女性の労働力、終戦後も一度覚えた働く歓びを捨てきれずなおも職場にとどまりつづけたアメリカ人女性たち、そうした職場で肌をさらすことによる化粧の必然性という社会背景の中で、エスティ・ローダー自らが女性ならではの感性を武器にして実業を興すという先駆的・象徴的な役割を担ったことを学んだ。彼女は自らの名前を変えてまで(本名はJosephine Esther Lauter)自分がマーケティングすべきアイデンティティを確立し、自らの生き方の延長とも言える高級感で統一されたそのブランド・イメージは彼女のビジネスの根幹であると同時に、女性が心の贅沢を味わうことを許される社会を切り拓いた、時代の象徴でもあった。

授業中エスティ・ローダーのセールス術について語っていたケーン教授は最前列に座っていた僕の妻の手を握り、「エスティ・ローダーはこうして客の手を握って化粧品のサンプルを塗ったりしながら三分くらいその手を離さなかったのよ」と自ら三分くらい妻の手を握りつづけ、教室中の笑いを誘っていた。妻もびっくりしたらしいけれどとてもケーン教授のことを好きになったようだ。

頭を痛めることなくワクワクしながらビジネスの真髄を学べる「ザ・ブランド」。ぜひ一読をお勧めしたい。

先頭 表紙

たらママさんにはとてもスーツが似合う印象があります。彼女のプレゼン能力には本当に学ぶものがありました。 / Hidey ( 2003-05-17 22:59 )
私もエレガントで人を惹きつける話術を持ちたいです。もちろんシャネルとは言わないけど、お気に入りのスーツが似合うように努力したいです。 / たらママ ( 2003-05-17 21:37 )
八百屋六助さん、おもしろいですよー!レポートはありませんでしたが最後の試験は五つの問題に対し4時間で2000ワード以内で10くらいのアメリカビジネス史の事象、人物をテーマについて論じるというものでした。オープンブックだけど辛かったです。 / Hidey ( 2003-05-16 22:32 )
akemiさん、ブランドについては日本ではあまりにも「ファッションブランド」という意味の解釈しか与えられないので、マーケティングの大事なエッセンスとしての意味合いが理解されず残念に思うこともあります。そもそもはその商品の特別な技術性などの付加価値を「刻印」として象徴しただけのものなので、有象無象の商品群から健全な差別化を図るためのツールに過ぎないのです。日本にはブランドの本当の価値を分からずに名前だけを偶像崇拝する人が多すぎる。 / Hidey ( 2003-05-16 22:30 )
こういう面白い講義って聞いてみたい.レポートはいやだけど.(第一英語じゃ期限守れない) / 八百八六助 ( 2003-05-15 23:08 )
【感じたこと】話術って大事。何を知っているか?より 自分は何を感じ、それをどう伝えるか?が肝要なんだ・・ということ。そして「あたしの嫌いなブランド志向=人に金を出させて贅沢するのを当然と思う発想」は、本来自らが働くことの中で得た心の贅沢であったこと。 / akemi ( 2003-05-15 23:05 )

2003-05-15 最愛の女性教授 1

昨日のマーシャル・フィールドに関する日記の原典は、The Coming of Managerial Capitalismの授業を教えてくれたナンシー・ケーン教授による「Brand New」という本である。僕はこの学校で20人以上の教授に教わってきたが、彼女こそもっとも賞賛に値する教授だと思っている。彼女に教わった学生は皆多かれ少なかれ同様の感想を持っている。1998年には学生投票により最も優れた教授の一人として表彰を受けたこともある。

彼女はとてもアグレッシブな教授である。大きな太い声で80人の学生をリードし、授業の頭から斬り込むように学生に結論を迫る。スマートな学生たちのとりすました発言に対し鮫のように喰らいつき、否応なしに議論を本質へ、大局へと引きずり込んでいく。オーバーアクションたっぷりに教室中を歩き回っては、学生の机に頬杖をついて、鼻先30センチのところで彼を見据えて質問をする。学生が負けじと質の高い発言をはじめると彼女はその机を離れ、振り返りつつ学生を指差しながらニヤリと笑い、独特の筆記体で豪快に板書をはじめる。

彼女はとてもユーモアの溢れる教授である。怒涛のような勢いで独自の歴史観を論じあげたあとそのまま睨むようにひとりの学生を見据えながら数秒間の沈黙ののち、まったく表情を変えずに「私は今リチャードと二人でアイコンタクトを楽しんでいるのよ」と言う。文章ではそのニュアンスが再現できなくて残念だが、そんな調子で彼女は三分に一度の割合でニコリともしないまま教室を爆笑の渦に巻き込む。

彼女はとてもエレガントな女性である。愛用のシャネルのスーツは何着持っていることだろう。そのシャネルがこれ以上なく似合うくらい、既に五十代の彼女は二十代の若い女性のようなスタイルを保ち、同時に若い女性には醸し出せない妖艶さを身につけている。ワインカラーに染め上げウェーブのかかった短めの髪は少年を想わせる。そうした若々しさとは不釣合いな顔の皺は人を醜く年取らせる種類の皺ではなく、むしろ彼女の人間としての円熟味を美しく物語っている。

そして彼女は思いやりの深い人である。中国人の学生が多少ポイントがずれた発言をとつとつと続けていると周囲から失笑が洩れはじめた。教授はその方向をきっと睨み、中国人学生の発言の趣旨をひとつずつ汲み取りながら、最後は誰にとっても意義深い発言に導いた。彼女は自らの教えるビジネス史を学問としてだけではなく人の普遍的な営みの集積として愛情をもって捉え、ビジネスの世界へと再び巣立っていく我々が頼るべき、もしくは陥ってはならない「ためし」として提示してくれる。彼女もまた学生がそれぞれ自由に持ちうる歴史観から学ぼうと常に心がけている。

ナンシー・ケーンはスタンフォードで学士号を、ハーバードで修士号と博士号を取得し、そのままハーバード大学で講師を務めたのち当校に至り、すでに十年教鞭を執っている。経営学全般の教授である彼女はビジネス史の権威でもある。有名企業のコンサルタントとして数々のビジネスリーダーと交流を保ち、テレビ番組にも多数出演した経験がある。その彼女が2001年に出版した「Brand New」という本は世の中の彼女に対する評価をますます高いものにした。

(つづく)

先頭 表紙

2003-05-14 高級百貨店の誕生と経営戦略 2

1902年にリニューアル・グランド・オープンしたマーシャル・フィールドは彼のブランド観、顧客サービスの精神を具現化した金字塔である。その店舗はコリント式の柱に支えられ、ティファニー製のシャンデリアがマホガニーのショーケースにその煌めきを注いでいた。広大なアトリウムは12階まで吹き抜けになっており、イタリア宮殿風に各フロアがこのアトリウムに向かって開け放たれていた。トイレにはアメニティ設備が完備されており、髪をカールするためのアイロン、ブラシ、櫛などが置かれ、必要があればメイドが石鹸、化粧用パウダー、ヘアピン、針、靴紐などを無料で手渡した。

誰が買うわけでもない高価なペルシャのカシミヤ製のショールなどが飾られ、他にもロシア製の毛皮、日本製の屏風、フランス製の手袋など、フィールド独自の海外ルートで仕入れた舶来品が並んでいた。フィールドは特定の供給業者と独占契約を結び、それをさらにプライベート・ブランドに発展させたりした。また自ら生産設備を持って綿の布地などを供給し服飾を生産したりもした。いわゆる垂直統合であり、その根拠には取引費用や中間マージンの削減と規模の経済性による価格の低減または自社の利益の増大ということのほかに、生産工程をコントロールすることでより市場ニーズに合わせた柔軟な対応が可能ということがあった。こうした戦略はフィールドのブランド力と密接な関係があった。プライベート・ブランドは小売店のブランドが大前提だし、独自生産によるオリジナルデザインはブランドを強化した。しかしこれらの戦略は市場が未発達であればこそ意味をなすが、現代においては逆効果にもなりかねない。自社内生産設備は固定費の増大を生み、むしろ激変するファッショントレンドについていけなくなったりもする。現代においては市場の他プレイヤーに任せておいたほうが経営の柔軟性を保てるのだ。

自社ブランドの活用以外にもフィールドは様々な販売促進および経営効率向上のための戦略をうち出した。クレジット会社やそのエージェンシーなど存在しなかった当時においてマーシャル・フィールドは独自の調査網で顧客の信用情報を収集し、自前の割賦販売システムを構築した。利益をほとんど出さないかもしくは損失を生むほど安価な値段で特定の商品を売り出すことで集客効果を高め、彼らが同時に他の利幅の大きい商品も購入することにより最終的には利益を確保するといういわゆるロス・リーダー戦略を開発した。棚卸資産回転率という概念に注目し資産の効率的活用を図った。今は一般的な地下のバーゲン売場を設けることによって回転率の落ちた商品を一ヶ所に集め、バーゲンを大きく訴求して集客を図り、通常の売場の貴重なスペースは回転率も利益率も高い商品のために確保した。

フィールドの独創的な戦略は着実に効果を上げ、その売上高は1867年の創業当時の140万ドルから1905年には2530万ドルへと拡大し、彼の店を全米でもっとも有名な百貨店へと押し上げた。今でこそニーマン・マーカスやノードストロームなどの高級百貨店が群雄割拠しているが、当時のマーシャル・フィールドのブランド価値はそれらのものを遥かに凌いでいた。そして彼のビジネスセンスやブランドに対する洞察からは今も色褪せない経営の極意を見出すことができる。

この文章は授業で教科書として使用した「Brand New」という、この授業を教える女性教授ナンシー・ケーンの著書から抜粋、授業の内容と僕自身の考察を交えて書かれたものである。次の日記においてはこの学校で僕がもっとも人間的に尊敬するこの教授とその授業、著作について少し書いてみたいと思う。

先頭 表紙

2003-05-14 高級百貨店の誕生と経営戦略 1

2月28日の日記「19世紀のブロードバンド」に続くような話をひとつ。同じThe Coming of Managerial Capitalismの授業からの抜粋である。この日の日記でも書いたように鉄道の発達に伴いアメリカは西へ西へと開発が進み、その過程でシカゴという大都市が誕生した。そのシカゴを舞台に希代の創造性をもって現代の百貨店ビジネスの基礎をつくりあげたのが、今もアメリカ中西部を中心に展開する高級百貨店としてその名を残すマーシャル・フィールドである。

マーシャル・フィールドは1834年にマサチューセッツ州に生まれ、1856年に兄を頼りに新天地シカゴに移り、兄の勤める服飾小売店に就職した。早くからその商才を発揮した彼はめきめきと実績をあげて出世をし、若くして経営者の一人となった。しかしより大きなビジネスチャンスを求めるフィールドは1865年、当時シカゴで急成長していたポッター・パーマーという百貨店を安価で買収する機会を得た。これがフィールド・パーマー&ライター、後のマーシャル・フィールドの誕生である。

当時のアメリカでは輸送・通信革命によって全国規模の市場が成立していた。つまりこれまでは不可能だった遠隔地からの物品の調達、遠隔地での販売が可能になったのだ。また経済も好調で1870年から1880年にかけては平均所得が年率4%近くの割合で上昇した。こうした環境を追い風として多くの小売業者が誕生し凌ぎを削った。しかし当時はまだ大変多くの粗悪品が流通し、消費者は商品購入に際して細心の注意を払う必要があり、損失を蒙っても購入者本人がその責任を負うというのが常識だった。そんな社会環境の中、有象無象の小売業者の間でどのように仕入先及び末端消費者に対して差別化を図るかが求められていた。マーシャル・フィールドが導いた答えは「ブランド」だった。

当時の小売店の差別化は単純に品揃えと価格の組み合わせによるものでしかなく、相場価格で売られている商品についてはどこで何を買っても変わりがなかった。しかもそこには粗悪品が混じっていた。フィールドは彼の店が絶対的なブランド力を持つことにより、仕入先とも消費者ともブランドの信用に基づく差別的な取引ができると考えた。同じ商品を買うにしてもフィールドの店で売っている同じ商品を買いたい、と思わせるということだ。そのために彼は自らも差別的に特定の顧客に仕えるという戦略を採った。当時のシカゴで急増していたものの他の小売店が重要視することのなかった上流階級の女性たちに客層を絞ったのだ。彼女たちのニーズを把握しそれにもっともよく応える店だからこそ彼女たちもフィールドの店を選ぶ。今でいうこのターゲティングはビジネス全般の戦略の選択において大きな影響を及ぼす指針となった。

高品質でハイファッションな商品政策が採られたのは当然のこととして、むしろその豪奢な店舗の設計や徹底した顧客サービスにこそフィールドの創造性を見ることができる。彼は顧客が求めるのは商品を購入することだけではなく、それに伴い心を高揚させる環境であり経験であると考えた。今でいうところの経験マーケティングである。そしてそこにはブランド論の大家デビッド・アーカーの言う機能的ベネフィットを超えた情緒的、自己実現的ベネフィットに通じるものがある。要するにフィールドは、顧客の心理を誰よりも熟知し、ブランドビジネスの真髄を理解していたのだ。

(つづく)

先頭 表紙

2003-05-13 NBA観戦

僕は決してバスケットボールファンではない。むしろほとんど疎いと言っていいほどだ。選手の名前も知らなければルールも細かいところまではよく分からない。第一あんなに気前よく点数が入るスポーツなんて堪え性のないアメリカ人らしいスポーツだと思って多少冷ややかに見ていたのも事実だ。しかし昨夜の体験は僕のバスケットボール観を一変させた。ボストン・セルティックス対ニュージャージー・ネッツのイースタン・カンファレンス・プレイオフの第二ラウンド第四戦を妻と共に観戦した。

セルティックス(Celtics)とは「ケルト人」という意味で、ボストンにはアイルランド移民が多かったことから命名されたのだそうだ。アイルランドらしくチームカラーは白と緑。NBAではもっとも優勝回数の多い名門で、1959年から1966年にかけては前人未到の八連覇を成し遂げている。80年代にも名選手ラリー・バードが活躍し三度の優勝を飾った。当時同じニュー・イングランドのメイン州に留学していた僕は今と同じくバスケットボールにそれほど関心を示さないながら、単純な地元愛からだけで試合があればセルティックスを応援し、帰国するときはちゃんとセルティックスのパーカーを買った。要するにずっと馴染みだけはあるチームなのだ。

そのセルティックスがかつての強さを取り戻し始め、昨年に続きカンファレンス・プレイオフに残り、今回も第二ラウンドに駒を進めた。とは言え七回戦方式でまさかの三連敗。崖っぷちに立たされての昨夜の第四戦だった。僕にとってももしかしたらセルティックスを観る最初で最後のチャンスということもあり一人175ドルもするチケットを買って観戦したというわけだ。チケットをチェックしたあとに係員からチアリーダーのポンポンみたいな応援道具をもらってやる気満々で席についた。

バスケットボールがこんなに面白いとは知らなかった。オフェンスのスピードだけでなくディフェンスにおける知略と判断能力。黒人たちの精悍にして強靭な肉体美。そして最低限の合図だけで組織化されないこちらの応援には素直に応援しようという気持ちにさせられる。その最低限の合図というのも、天井から釣られたスクリーンに「ブレイブ・ハート」などの映画のワンシーンが出てきて、「さあ、みんな立ち上がるんだ」などという科白にあわせて観客が立ち上がり「It’s noise time!」という文字のフラッシュにあわせて全員で大声をあげたりなど、洒落が効いてていい。

ゲーム自体も大熱戦。もう後がないということではじめから大変な熱気の中双方とも得点を積み上げていく。途中六点ほど差をつけられて今日も駄目かと思うとアントワン・ウォーカーやポール・ピアースといった選手がたて続けに得点し均衡を取り戻す。一時は逆に六点リードしてこれで決まりかと思ったが敵の人気選手ジェイソン・キッドのスリー・ポイントが次々に決まり、90対90で延長戦へ。一度目の延長も同点で終わり二度目の延長に入ったが、急にセルティックスのシュートの精度が落ち始め、最後はフリースローの失敗が決め手になり110対101で四連敗。セルティックスのシーズンが終わった。

結局のところバスケットボールに惚れたというよりは愛する街が誇る人々を応援し、ボストニアンとして熱狂を分かちあえたことが嬉しかったに過ぎないけれど、これからもセルティックスの試合は観つづけることと思う。NBAにしてもMLBにしても日本にいるままに居間でビールを片手に生で熱戦を堪能できるということは文明の進化による最大の恩恵のひとつだと僕は個人的に思っている。そんな風にして僕は郷愁を味わうのかなと少し想像してみた。


先頭 表紙

マイケルさん、ほんとにこの試合はフリースローで勝負が決まっただけにとても残念。帰りの電車は夫婦そろってどっと疲れました。 / Hidey ( 2003-05-16 22:24 )
八百屋六助さん、その魅力がようやく僕にも分かりました。野球で言えば投球術の醍醐味を覚えるような。めったにない機会がこんなすばらしいチームの大舞台でラッキーでした。 / Hidey ( 2003-05-16 22:24 )
↓そうそう! あんだけ点数がバカスカ入っても終わってみると数点差ってのが多い。ホントにたった一つのプレーが勝負の分かれ目になるんですよね。だからフリースローくらいきちんと決めて欲しいんだよなぁ! / マイケル ( 2003-05-16 11:32 )
バスケットボールって,点はたくさんはいるけど,点が入るのは当たり前と言うところから考えて,どう点が入れられないかというところが勝負のような気がするんです.特に最後の2分なんか,大変.最近あまりみてないけど,生観戦はうらやましい. / 八百八六助 ( 2003-05-15 23:07 )
むらぱぱさん、ほんとに美しいというくらいの身体能力でした。日本のバスケは悲しいかな素人目にも全然劣ってしまうんでしょうね。こればかりは野球などと違って埋めるのは無理なギャップみたいですね。 / Hidey ( 2003-05-15 22:18 )
NBAは黒人の身体能力あってのおもしろさだと思いますよ。日本での最高峰の試合に行ったってあのスピードは体験できません。 / むらぱぱ ( 2003-05-15 01:37 )
マイケルさん、みほちゃんへの回答ありがとうございました。Heatはそんなに弱いんですか。それは悲しいですね。マイアミ、帰るまでに行きたかったなあ。でも妻がそれほど興味ないしなあ。 / Hidey ( 2003-05-14 22:52 )
みほちゃん、そりゃ単にやる気なしと思われたんじゃないの(笑)?ほーいってな感じで下からボール放り投げて。 / Hidey ( 2003-05-14 22:51 )
KATSUMIさん、そうなんです。ほんとは「ケルティックス」と読むべきところをボストニアンがイングランド風に「セルティックス」にしてしまったそうです。 / Hidey ( 2003-05-14 22:50 )
しんちゃんさん、ほんとに残念。ものすごく盛り上がって夫婦そろって大声で応援していたので最後はどっと疲れました。セルティックスのファンは日本にも多いようですね。 / Hidey ( 2003-05-14 22:49 )
チチローさん、はじめまして。観客、インテリなんでしょうか?少なくとも僕らの隣に座っていた男性はセルティックスの負けが見えてくると、近くを歩いていた女性に向かって「I love your ass!!!」と大声で叫んでおりました。個人的にはレイカーズよりもジャック・ニコルソンが見てみたいです(笑)。 / Hidey ( 2003-05-14 22:48 )
Heatが! Miami Heatがディヴィジョンで最下位〜 (;△;) 気を取り直して、レイアップシュートって、走りながらボールを下手で投げるシュートのことらしい。 / マイケル ( 2003-05-14 16:59 )
バスケかぁ・・・小学生の頃の部活はミニバスだったなぁ・・・。庶民シュートを高校の体育の授業でやってたら「なんでミホがレイアップできるの!?」といわれましたなぁ・・・。どういういみだったんだろうなぁ・・・。 / みほ ( 2003-05-14 14:54 )
セルティックというのはそういう意味だったんですね。NBAのバスケは、肉体と頭脳の両方が高くて、楽しいです。 / KATSUMI@適度に活動中 ( 2003-05-14 03:16 )
いやー残念でしたね。僕もネッツが嫌いなだけにセルティックスを応援していただけに残念でなりません。 / しんちゃん ( 2003-05-14 01:20 )
野球に比べると、観客がインテリですよね。マジック・ジョンソンの時代のレイカーズの試合を何度か見ました。いつも、ジャック・ニコルソンが指定席に座ってました。 / チチロー ( 2003-05-14 01:05 )

2003-05-12 モントリオールの夜は更けて 2

乱暴にドアが閉められる音で僕たちは叩き起こされた。目を細めて時計を見ると朝の5時半。M氏が部屋に戻るなり落ち着きなくうろうろしてあれこれ自分の持ち物をいじっていたが、とにかく無視して眠ろうと僕は心に決めた。しかしあまりにも彼が無遠慮に音をたてるので眠るに眠れない。Alexも同じ状況にあるようだった。そのうちM氏はイエローページを取り出してどこだかに電話をかけ始めた。遠くでぼそぼそと話しているのですべて聞き取れなかったがなにやら真剣な口調で、「同室の二人には迷惑はかけられないので…」と話していた。行動に似つかわしくない発言だが何らか配慮があるのならないよりは遥かにましだった。

しかしM氏は電話を切ったあと可哀想なAlexを起こし、悪いけど40ドル貸してくれ、タクシー代が必要なんだと言って金を借りた。そのうちまたドアの閉まる音がして彼が出て行った。「何なんだよ」と起き出したAlexは広げたままのイエローページを見つけ、「Hidey、あいつエスコートサービス(いわゆる売春クラブ)に電話してたんだよ」と呆れて言った。僕もなんでこんな時間にと思ったがいずれにせよ同室の僕たちに気を遣って別のホテルでことを済ますのならまあ勝手にやってくれと思い再び寝る態勢に入った。しかし僕は一度起きてしまったらなかなか寝つけない性質なのだ。虚しい努力ののち僕は寝ることを諦めてなるべく物音をたてずにシャワーを浴び、ロビーで月曜日の授業のケースを読もうと部屋を出た。すると部屋を出たカーペット敷きの廊下にM氏が寝そべり早くも届けられていた朝刊を広げて読んでいた。何と言ってよいか分からず意味のない挨拶をし、僕は階下に降りた。何故彼はここにいるんだ?

気にするのはやめてケースを読み始めるとしばらくして早朝にも関わらず女性が外からドアをくぐってロビーに現れた。普通の身なりをした若い金髪の大柄な女性だったがさすがにピンと来た。コールガールだ。じろじろ見ても仕方ないし朝食サービスも始まったので僕はカフェに入ってアメリカのホテルよりは数段まともな朝食を摂りはじめた。ロビーに戻ってみると彼女は既に消えていた。

マクドナルドの国際展開の面白いケースだったので一心不乱に読みふけり、8時半頃にそっとドアを開けて部屋に戻った。Alexは起きていた。「Hidey、信じられるかい?あいつコールガールを部屋に連れ込んだんだぜ。それで俺がいるからってトイレで始めたんだ。お陰で一睡もできなかったよ」僕は僕自身を朝から勉強しようという気にさせた自分の気まぐれに心の底から感謝していた。

この日は一日雪が降る中何人かで一緒に昼食に行ったりめいめいに過ごしたりした。夜は前の晩の繰り返しでまたも高価で雰囲気のあるレストランでゴッドファーザーに出てくるマフィアの会合のように皆で食卓を囲み、そのあとは別のストリップ・バーへ行った。前日より面白かったのは幹事役の学生が手配をして、bachelor(ここでは婚約済みの独身者のこと)のScottとMarcを次々に舞台に上げソフトSMショーの餌食にしたこと。パンツ一丁で女王様に鞭打たれる姿は普段の理知的な彼らとは似ても似つかなかった。もうひとりのbachelorのM氏はレストランにすら顔を出さなかった。未だに彼のこの夜の行動は謎のままだ。

そんな風に明け暮れたモントリオールの二泊三日はこれまでなかなか見ることのなかった友人たちの一面を僕に見せてくれた。雪のモントリオールを後にしてボストンに戻ると久しぶりの暖かい日差しに遠くの芝生が輝き始めているのが見えた。春の足音をはじめて聞いた日のことだった。


*Olympic Stadium


先頭 表紙

akemiさんらしい想像ですね(笑)。そうなったら面白かっただろうけど。現実はあまり面白くなかったです。 / Hidey ( 2003-05-14 22:45 )
KATSUMIさん、まあ勝手に消えたりするのはどうでもいいんですけどかなり実害を蒙りましたからね。それに二日目のディナーは彼を含むbachelorたちの幸せを祈念して、予約をしてのディナーだったので、何の連絡もなく欠席したときは皆ただ唖然でした。やっぱりちょっと変わってる。 / Hidey ( 2003-05-14 22:44 )
ちょっとアテがはずれたなあ。あたしはてっきりHideyちゃまが奪われそうになったんだろうと、想像して読んでたですよ(爆) / akemi ( 2003-05-14 13:29 )
団体で出かけていての彼の行動は、そんな人もいるのかな、という感じですが、自分が同室だったら・・・(笑)。お疲れ様でした。 / KATSUMI@適度に活動中 ( 2003-05-14 03:21 )
鳥さん、それは人によりけりのようです。人によってはbachelor parteyだとは言わずに行くようだし、人によっては旅先でカバンを開けてみたら婚約者が気を利かせてストリップでダンサーにあげるチップ用の1ドル札を50枚も束でよこした(もちろんシャレです)というのもあるし。M…勘弁してほしいです。 / Hidey ( 2003-05-13 22:48 )
りりさん、ありがとうございます。でもおめでとうは先のためにとっておいてください。一応まだ卒業が確定したわけではありませんから。すべて最後の試験・論文の結果次第。へえ、やっぱりモントリオールはゲイで有名な街なんですか。こちらこそなるほど〜です。 / Hidey ( 2003-05-13 22:45 )
コインさん、ようやく、ようやくです。まだ実感が伴いませんが。また夢パンさんたちとご一緒したいですね。もちろんストリップはなしで(笑)。 / Hidey ( 2003-05-13 22:44 )
ぶちょう、さすが古いすね。当時から「ニッポンチャチャチャ」があったというのにも驚きました。ふーん、伝統芸なんだ。帰国後は出発前のボスとまた同じ部署になりました。希望通りの結果です。とうことでこれからもたくさん相談させていただくことになると思いますがよろしくお願いします。 / Hidey ( 2003-05-13 22:42 )
みほちゃん、ということは僕はまともな性癖ということだね!うちはインテリの人たちばかりだけど僕は落ちこぼれだし。うーん、自分がまともな人間であると自信が持てるようになってきたよ。ありがとう。 / Hidey ( 2003-05-13 22:40 )
プルーさん、ありがとうございます。普通のbachelor partyはそういうものなのかもしれません。やはりコンサバ、真面目なうちの連中は綺麗に店で飲んですませて、しかもそういうところに主義として(敬虔なクリスチャンとか)行きたくないという人は行かないというほどでした。 / Hidey ( 2003-05-13 22:39 )
りぃなさん、関西出身なのによく新宿二丁目なんて知ってるね。ゲイのエリアもあるんだ。知らなかった。まあゲイに関してはアメリカではどこでもいるし。価値観の多様化に過ぎないしね。 / Hidey ( 2003-05-13 22:37 )
カ、カルチャーショック!婚約者の女性は、相手がそういうことが目的の旅行に行くことを寛大に許すんですか?!ひゃ〜。いやいや、私がウブすぎなのかも。//Mさん…強烈ですね… / ( 2003-05-13 21:47 )
2年間お疲れ様でした。そして、おめでとうございます。モントリオールってそういう街だったのですね。友人がゲイのデザイナーの話をよくするのでふーんと思っていたのですが、なるほど〜。 / りり ( 2003-05-13 20:47 )
ようやく2年間が終わるのですね。早く日本で再会したいです。ストリップはなしでね(笑)。 / ガス欠コイン ( 2003-05-13 19:06 )
初めて海外に行ったのがアメリカと同時にオリンピック時のモントリオール(古い!)本場のピスト(競輪場)に感動して、バレーボールでは「ニッポンチャチャチャ」を絶叫していました。ともあれ2年間ご苦労様でした。帰国後は社を正しき道に導き給う事を。 / ぶちょう ( 2003-05-13 15:43 )
・・・・インテリ階級の方てどうもこぞいもそろって普通とは違う性癖があるような気がしてなりませんよ(遠い目) / みほ ( 2003-05-13 11:50 )
いつのまにか沢山更新されていて驚きました。学業は無事終了とのこと、おめでとうございます。あとは帰国へ向けて準備ですか。このモントリオール旅行はちょっと変わったバチェラー旅行でしたね。イメージ的にはどこかのホテルで男性だけでどんちゃん騒ぎ(それなりの女性も呼んで?)という感じがあります。 / プルー ( 2003-05-12 23:42 )
モントリオールに行かれたんですね。私もあるんですよ、2年前の夏に。その時は、ゲイの街(新宿2丁目のような)を通って彼らに手を振ったりしたので、今回は、もしかしたらそういう場面が?と思ったのですが、さすがに、もっとノーマル、もっとクリーンでしたね(笑)ちなみに、紫色の服を着ていると、ゲイであるという意味だとか☆右ピアスと似てますね。 / りぃな ( 2003-05-12 23:31 )

2003-05-12 モントリオールの夜は更けて 1

4月3日に遡るがセクションの男子学生22人で二泊三日のモントリオール旅行へ行ってきた。ScottとMarcとM氏(匿名の理由は追って明らかになる)が今年結婚する予定であるため、アメリカでは一般的な独身最後を男だけで祝うbachelor partyを兼ねた旅行になった。僕はbachelor partyというのは参加したことがなかったので何事も経験ということで加わってみた。「Hidey、モントリオールってどんなところか知ってるかい?」と友人に訊かれ、「知らない」と答えたら「まあ今に分かるよ」と言われた。その時点である程度予想はしていたものの予想以上に下品な旅となった。ただしその下品さはは予期せぬ形で訪れた。

要は新宿歌舞伎町を拡大してその中に普通の店や教会やオフィスビルをはめ込んだような街だった。それに観察不足もあるかもしれないが歌舞伎町にも程遠いほど歓楽街的な要素は小規模だったような気がする。まあいずれにせよそれが彼らがこの街を旅先に選んだ理由だ。旅先を決める投票で僕はラスベガスを選んだのだけど多くの者がモントリオールを選びそのように決まった。

腰を抜かすほどうまいという触れ込みだったが、結局は騒ぐほどではないステーキハウスで一人140ドルも散財させられたあと、数人の学生のたっての希望で初日からストリップ・バーへ。でもまあコンサバで真面目なうちの学生が行くような場所ということで極めてまともな店だ。大きなホールになっていて女性客もちらほらいて、みんなで飲んだり話したりしながらショーを見るという場所。余分にお金を払えば間近で踊ってくれる。パパがお金持ちの華僑C氏などはひとりで三回くらいプライベート・ダンスを注文していたが、あとは皆比較的おとなしいものだった。

コンサバな学校のモラル的規則の影響も多少あるにせよ、それ以上にここの学生は学生間の評判に敏感だ。妙な性癖をあらわにしたり他人の目を顧みず行動したりすることは慎むべきことという不文律がある。クリーンといえばクリーンだがそのへんに東海岸ビジネスエリートのつんとすました会員組織的な空気がある。いずれにせよそんな空気のお陰でさして下品な経験もなく旅が進行するかと思われたが、それはちゃんと訪れた。しかもとても個人的な形で。

僕はAlexと冒頭に紹介したM氏と同室だったのだが、もともとうちのセクションでは多少浮いた感じのあるM氏は確かに不可解な人物だった。ロー・スクール出身の彼は授業中の発言でもビッグ・ワードを多用し、その一見難解で冗長な発言の割には中身が乏しく虚飾が多いと評判だ。ボストンから到着して三人で部屋に入るなり彼は自分の荷物の中身を部屋中に文字通り撒き散らしていた。何の必要があったのかよく分からないが次々と彼は部屋をカオスに陥れていった。僕とAlexはその余ったスペースに慎ましく小奇麗に自分たちの荷物をまとめた。

ストリップを観終えて深夜2時ごろに部屋に戻った。ベッドが二つしかなかったため体の大きいM氏が一つのベッドを占有することをあらかじめ決めていたので僕とAlexは多少狭いながらも同じベッドで寝た。M氏が一向に戻ってこない。そう言えば彼はストリップ・バーにもいなかった。どうしたのかなと訝りつつもあまり気にせず二人で話し込んだ。Alexは珍しくストレートに僕の人生的な価値観―結婚観や諸々―を僕に尋ねてきたので僕も少し踏み込んだ密度の濃い話をした。電気を消し互いの顔が見えない状況でそんな話を延々としていた僕たちの姿はまるで高校生のそれのようだった。そうして二人ともいつの間にか眠りに落ちた。

(つづく)

先頭 表紙

鳥さん、はい、モントリオールはカナダです。僕も最後まで歓楽街というイメージはそれほど持てずに帰りました。綺麗な教会も多いし素朴な人も多いようだったし。きっと友人も誇張して話していたんだと思います。 / Hidey ( 2003-05-13 22:35 )
モントリオールってそういう街だったんですか?!カナダの都市でしたよね?(違ったっけ・・) なぜだか分からないけど清楚で真面目な人が多いイメージを勝手に持ってました(笑) / ( 2003-05-13 21:38 )

2003-05-11 勉強終了 2

結局5月5日の夜に現地6日朝のインドネシアに電話をし、無理な話を呑んでいただき、6枚にわたる質問項目をメールでお送りし、翌日再度電話をして口頭で返事をいただいた。貴重な情報を沢山得ることができて、完成のための材料だけはすべて揃った。事前に得ていた一般情報だけでもある程度書ける部分は先に書いておいたので、これで何とかなると一安心。

そんな時友人から遊びの誘いのメールが相次いだ。「多くの人は試験の後卒業式まで旅行でいなくなったりするので、ゆっくり話をするには最後の機会だからみんなで思い切り飲もう」と韓国の友人が書いてきたかと思えば、日本人の学生グループからも試験の最終日の夜にカラオケに行こうとの案内が届く。二年生は取っている授業がバラバラで、人によっては早めに試験も論文も終わるという場合もあるし、僕の場合は試験の最終日の翌日である5月9日に最後の論文の提出期限が設定されており、その日ギリギリまで粘るつもりでいたのだ。一応卒業にも関わる最後の論文も大事だがかけがえのない友人たちとの最後の語らいの機会も失いたくない。欲張りな僕は結局両方追い求めることにし、その代わり効率よく着々と論文を書いた。

韓国人、中国人、日本人の集まった韓国料理ディナーでは二年前のある狂乱の一夜を再現しようと、とにかく何でもいいから理由を30個程つくっては30回程小さなグラスで韓国酒を一気飲み。翌日の日本人カラオケパーティーではアルコールを置いていない上に持ち込みも禁止しているところへ(ばれたら料金2割増)ワイン3本とバーボン1本をしっかり持ち込み夜10時から1時半まで熱唱。充実したがかなり疲れた。

そして5月9日提出期限当日。実はこの日は学生会主催の年間最大のパーティー、Newport Ballが開かれることになっていた。ロードアイランド州のニューポートという、豪邸が海辺に建ち並び、かつてのアメリカズカップ開催地としても知られるリゾート地での泊りがけでのイベントである。午後3時頃には出なければならなかったので酒の残る頭で早朝から論文の総仕上げ。グラフ等の資料を作成するのに少々手間取りながら午後1時半、すべての作業が終了し、一生を通じて多分最後の機会である二年にわたる集中的学習が幕を閉じた。そんな感慨に耽る間もなくニューポート行きの支度をし、同じく慌しく帰宅した妻とともに車に乗り込みニューポートを目指した。

Ocean Cliffという海辺に立つ大変豪華なゲストハウスに1000人近くもの学生たちやその連れが集まった。タキシードにドレスという出で立ちでいつもの友人たちが現れた。こんな機会ももうほとんど最後ということで皆デジカメを持参していた。あちらでもこちらでもハグで互いの体温を確かめ、卒業後の身の振り方について話し、再会を誓う姿が見られた。そして夜も深くなるとダンスフロアに人が集まりだし、DJが小気味よく曲を繋いでいった。我々は同じセクションの仲間で集まったり、個人的に仲のいい連中で輪をつくったりして踊る。赤ワインがフロアにこぼれたり服にはねたりしても気にしない。世界中で活躍していくに違いない仲間たちが子供のように無邪気に体を揺らす姿を感慨深く見つめながら僕も同じようにステップを踏んでいた。黒々とした夜の海に街の灯の欠片がいつまでも揺れていた。

そんな訳でようやくこちらの日記を書く時間を得た。ひと月以上ご無沙汰してしまったがその間の話題も振り返りながらこれからの一ヶ月間、できるかぎりこのボストンでの最後の日々を記録していきたいと思う。今日はとりあえず久しぶりに、ひとり自室にて白ワインで乾杯。


先頭 表紙

KATSUMIさん、いや、単に体が求めていたのです。フットサルもいいけど飲みもいいですね! / Hidey ( 2003-05-14 22:42 )
お疲れ様でした。論文の締め切りと飲みを両立させるところはさすがですね。帰国の後は、是非フットサルに!(笑)。  / KATSUMI@適度に活動中 ( 2003-05-14 03:28 )
可能性は言葉が不適切だったかもしれません。むしろ可能性があるのか疑問に思ったという意味です。取引先や他業界企業など様々なプレイヤーが情報を持つようになり商社のdisintermediationが進むでしょうし。授業のエッセンスは、企業の国際化は市場よりも企業ヒエラルキーの方が効率よく国際的なビジネス環境を形成できるという信念により進むということでした。商社としては規模と範囲の経済をテコにこれまでどおり新分野における権益を獲得し、状況に応じてサービスのバンドルとアンバンドルを使い分けるしかないのでしょうね。 / Hidey ( 2003-05-13 22:32 )
今後の可能性について?是非聞かせてください。 / むらぱぱ ( 2003-05-13 00:03 )
夢樂堂さん、クールダウンしつつも実践の場に備えるため、学びの内容を整理しなければならないと思っています。あんまり遊んでばかりはいられません。早々の再会、心待ちにしています。 / Hidey ( 2003-05-12 18:40 )
やっちーさん、ありがとうございます。ジンバブエのサバイバル生活ほど大変ではないにせよ、かなりどきどきの経験でした。こちらのパーティーはほんとに映画と区別ありませんからね。常に自分が主役。そのふてぶてしさと積極性は学びたいと思うことのひとつです。うちの妻はそういう人じゃないんですよー、残念ながら。それにこの日は足を痛めていた上に体調が悪くて、ダンスタイムが始まる前に早めにホテルに返しました。 / Hidey ( 2003-05-12 18:39 )
むらぱぱさん、ありがとうございます。そうでしたか、インドネシアご担当!色々お聞きしたかった。総合商社については授業でもかなり取り上げて教えていたので論文の中でも現地資本との合弁解消後、三井物産がヤマハと組み、どんな機能を果たしたかについても簡単に触れました。商社の機能と今後の可能性についても色々と考えさせられる授業でした。 / Hidey ( 2003-05-12 18:35 )
八百屋六助さん、ありがとうございます。大学というよりはビジネス大学院でみな社会人経験はある程度ある連中だから、派手さも余計だと思います。相変わらずの年功序列社会の日本をほとんど唯一の例外として、この学校の卒業生はすぐさまかなりのポジションに就いていくことは事実です。でもそんな日本、そんな元の会社に帰ることを決めたのは僕自身なのだから、ぼやかず焦らずやっていきたいと思います。 / Hidey ( 2003-05-12 18:32 )
みほちゃん、あなたはやっぱりおいちゃん?でも確かにMonika嬢、ストラップのたわみ具合がセクシーすぎる。この子は同じセクションでJapan Trekにも来てくれた、とても素朴でいい子なのです。コスプレねえ…。いずれにしてもありがとう。あと一ヶ月楽しみまくります。 / Hidey ( 2003-05-12 18:29 )
akemiさん、おっちょこちょいの僕なのでそう簡単に話は終わらないのでご安心を(笑)。二年間、誰にでもきっと何かしらいろいろある時間ですよね。僕にとってもそうでした。akemiさんの着々と「夢」に向かって歩かれている姿が麗しいです。 / Hidey ( 2003-05-12 18:27 )
これからはクールダウンの時期、お帰りお待ちしていますよ。 / 夢樂堂 ( 2003-05-12 12:06 )
2年の課程、そして論文終了おめでとうございます!「ヤマハがゴールデンウィークでお休み」と読んだ時にはまるで自分のことのように「どうするの〜!!!」と手に汗にぎってしまいました。でも、本当に提出できて良かったですね。それにパーティも、まるでアメリカ映画の1コマのようで素敵だ〜。‘終り'って、淋しいけれど、また新しい‘始まり'なんですから!Hideyさんも、写真のように奥様と踊ったんですか!? / やっちー ( 2003-05-12 03:01 )
ご苦労さまでした。私はインドネシア向け自動車輸出を担当していたし、現地にも長期出張で滞在していたので自分自身も知らない事ではないし、会社の先輩後輩が現在でも何人も現地に駐在しているのでテーマの事を事前に知っていたら何かお役に立てたかも知れないと思い、とっても残念。でも無事に書き上げたと言う事でこちらも安心しました。次は日本での社会復帰がちゃんと完了する様に頑張って下さい(笑)。 / むらぱぱ ( 2003-05-12 01:58 )
無事,終了,おめでとうございます.アメリカ(海外の大学はほとんどこうなのだろうか?)の大学の最後のパーティーは,みんな晴れ晴れしくってうらやましいですねぇ.みんな,これから活躍するんでしょうね. / 八百八六助 ( 2003-05-11 23:09 )
お姉さんのドレスのズレ具合にグっときますね!!(そこに目がいくか)やっぱり卒業式は黒のガウン着てあの帽子ですか〜?いいなぁ、やってみたいなぁ、コスプレしたいです。・・・何につけても二年間お疲れ様でした!残りのボストン生活楽しんでくださいませ! / みほ ( 2003-05-11 21:19 )
最後に来て、また「見せ場」が?(笑) ギャラリーとしては淡々と論文を書き終えられては物足りない・・などとご本人の頭ん中真っ白・・のときに言ったら叱られるでしょうが、今読んでの感想なので許してください。二年間、本当にお疲れ様でした。(その間、あたしにも色々あったなあ・・などと思い出してみたり・・・)  こちらもなんとかGW終えて、また明日から銀行との交渉が始まります。 / akemi ( 2003-05-11 19:16 )

2003-05-11 勉強終了 1

5月9日13時30分。二年間の勉強がすべて終わった。4月29日に授業自体は終了していたのだが、それからの2週間は試験期間ということで、二つの試験をこなし三つの論文を書き上げた。

最終日のこの日にはEvolution of Global Businessという授業のための、ヤマハ発動機のインドネシアにおけるビジネスの変遷についての論文を提出した。スハルト政権やその終焉を招いたアジア通貨危機、民族・宗教問題などといった大変困難な環境にも関わらず、世界で将来的にもっとも成長が期待される二輪車市場のひとつであるインドネシアには、早くから日本の二輪車メーカー各社が進出した。インドネシアの経済・技術の発展のために、外国資本がインドネシアに進出する際には現地資本との合弁という形が義務づけられていた中(当時)、ヤマハ発動機がいかにローカルパートナーを選択・活用し、文化・慣習の異なる現地社員をコントロールし、現地のマーケット・ニーズにあわせた商品を開発し、最大のライバル・ホンダと異なる戦略・ビジネスモデルを選択し、そしてアジア危機を乗り切ったかについて書いた。

しかし最後の論文を書くにあたって大変な困難に遭遇した。The Marketing of Innovationsの20枚にわたる論文もようやく見通しがついた4月26日、そろそろ最後の難関のEvolution of Global Businessの論文の資料を集めなければと、勝手知ったるヤマハ発動機広報室の方に電話をした。しかし何度電話をしてもつながらない。おかしいと思ってかつての同僚に電話をかけたところ、ヤマハは早くもこの日からゴールデンウィークに突入し、営業再開は5月6日という事実が発覚。論文の提出が5月9日であり、すでに教授とも論文のテーマについて合意を得ていただけに頭の中が真っ白になった。インターネットを駆使してもヤマハのインドネシアの1970年代からのビジネスの変遷など簡単に調べがつかないことは分かりきっている。最後の最後に卒業に向けて最大の難問が訪れたことに僕は本当に久しぶりに愕然としていた。

妻も僕の様子がいつもと違うのにさすがに心配をして、こうしたら、ああしたらと、僕からすれば正直気休めにしかならない方法論をいくつか提案してくれた。しかし彼女と話している間に徐々に落ち着きを取り戻して、とにかくできるところまでインターネットで調べて形を作り上げ、不足している情報が何かを明確にし、日本の5月6日はアメリカではまだ5月5日なのでその日にすぐ情報を確保し、四晩かけて仕上げようと決意。また、失礼を承知で面識のないヤマハのインドネシアの事業所に電話をすれば、きっとゴールデン・ウィークとは関係なく営業されているに違いないと気づいた。その事業所の電話番号もなんとかインターネットで調べることができた。

早速代表番号に電話をして、営業か商品企画の担当の日本人社員の方につないでいただけないかと話し、そちらの番号を教えてもらったのだが、二人いらっしゃる日本人の方はその週ずっと出張か何かでいらっしゃらないという。仕方なくその週はインターネットでの調査と質問ポイントの抽出、質問票作成に終始した。しかし驚いたことにインターネットというのは本当に使える道具で、かなり詳しいポイントまで調べることができた。自動車工業会、外務省、国際労働機関、銀行系のシンクタンクから某大学の研究室にいたる様々なサイトから何百枚にわたるデータをプリント。さすがにヤマハに特化した話となると情報が薄くなるが、インドネシアへの二輪車メーカーの進出、アジア危機への対処などの一般論についてはほとんど把握することができた。本当に便利な世の中だ。

(つづく)

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2003-04-04 Network Effect

Network Effect…例えばインターネットに見られるように、より多くの人が利用すればよりコンテンツ供給者も増えサービスも充実するといった波及効果を意味するビジネス用語である。うちの学生にとってはこの学校で学ぶ主たる目的―人的ネットワークづくり―という意味も持つ。そんな掛け言葉が今年の学生演劇ショーのタイトルだった。

と言っても素人の寄せ集めの学芸会とはちょっと違う。本格的な照明、音響、生演奏、そしてオリジナルな脚本・振付によるブロードウェー顔負けのミュージカルだ。同じセクションの友人たちも監督やダンサーとして活躍するということもあって、昨年同様セクションの連中と観劇した。

全米ネットワークのテレビ局がビジネススクールの実情をネタに番組をつくるべくうちの学校にやってくるという設定だが、要は内輪ネタで笑わせる劇だ。口先ではIntegrity(誠実さ)がもっとも重要だと言いながら学長から学生まで誰もが結局は金儲けしか考えていないと、強烈に学校を風刺した内容になっている。内輪ネタとは言え、それを徹底的にプロフェッショナルにつくり込んでいるのでかなり爆笑モノである。

NPV(正味現在価値)やFive Forces(うちの看板教授マイケル・ポーターが考案した、業界を取り巻く五つの力を精査することによりその業界の魅力度を分析する方法)などのお馴染みのMBA用語が科白や歌詞に散りばめられる。授業のシーンである学生が「よい組織には7Sの調和が必要です」と発言するが、教授に「その7つのSとはなんだか覚えているかね?」と聞き返され、学生は「Structure、Strategy…えーと、あとなんだっけ…?」と言って「ちょっと友達に電話で聞いてみます」と携帯電話のボタンを押すと、客席から本当に着信音が鳴り出す。びっくりしながら電話に出た客席の女子学生は舞台上の役者に「7Sって何だったっけ」と生で質問され、しどろもどろになっていた。ちなみに7SとはStructure、Strategy、Staff、Skill、System、Style、Shared Valueである。

また、過去日記にも書いた「Hit the Screen」(成績が基準を満たさず学業成績委員会の審理の対象になること)や「Shark」(他人を誹謗するような不謹慎な発言をすること)などのうちの学校独特の語彙も飛び出す。クラブ・ヌーボーの「Lean on Me」の替え歌「Build on Me(発言に自信がないとき、他人の意見の尻馬に乗って、『To build on 〇〇, …(〇〇君の発言に付け足しですが…)』という形で使う)」や「Young Man」の替え歌「Why MBA?(YMCAの部分でそう歌う)」もあった。

内容はともかく役者のパフォーマンスは見事だった。もともとプレゼン能力たっぷりのアメリカ人学生は日常から非常に抑揚のある会話をしており、彼らにとって科白など呼吸と同じなのだ。少なくとも僕にはそう見える。仲のよい台湾出身のミクロ系美女アイリーン(先日の日記のフィリピン人はAileenで、こちらはIrene)は高校時代に台湾でアイドル歌手をやっていただけあって本領を発揮していた。学生の配偶者も多数出演しており、そのうちの一人の女性はニューヨークでプロのダンサーだったこともあり、振付を担当し、自らプロの踊りを見せつけていた。10〜20人の群舞のシーンはさながらブロードウェーのステージだった。

僕らはといえば、会場が暗いのをいいことにセクションメイトのケビンの家でのPre-Show Partyから持ってきたビールをぐびぐび飲んで乾杯を繰り返していた。僕が持参したカルビーポテトチップス・コンソメ味やムース・ポッキ―も大好評。相変わらず勉強で忙しい一週間のど真ん中の出来事。たまにはこんな日もないとね。

先頭 表紙

しゃどう猫くん、僕も確かに一瞬携帯をチェックしました。僕は一応OFFにしていたけど。こっちはバイブレーションなんてない携帯も多いみたいだからねえ。 / Hidey ( 2003-05-11 14:24 )
鳥さん、再度。ほんとに電源切ってたら・・・って考えるとやっぱりやらせだったのかなあ何て思ってしまいます。今度出演者に聞いてみよう。 / Hidey ( 2003-05-11 14:23 )
わかな、ごめん、順番抜かしちゃった。そんなに費用かかってたんだ。学生演劇にしては破格の予算だよね。たしかにあのSharkは笑えた。もうすでに懐かしくなっちゃったね。 / Hidey ( 2003-05-11 14:21 )
みほちゃん、僕も実は同じことを思っていたのです。よっぽどマナーが悪いか実はやらせか。でもやらせのようには見えなかったんだけどなあ。 / Hidey ( 2003-05-11 14:20 )
ウサ子さんの演劇批評にかかってはちょっと物足りないかもしれないけれど、内輪的にはとてもおもしろい劇でした。プレゼンの表現力、あれはいつも授業中に感心しきりです。 / Hidey ( 2003-05-11 14:19 )
鳥さん、めちゃめちゃ楽しいですよ。こういう英語の勉強の仕方もありですよね、きっと。ちなみにアイドル歌手の子はコロンビア大学に行ってその後ニューヨークでビジネス経験を経てこちらにきています。 / Hidey ( 2003-05-11 14:18 )
Hirokoさん、7Sというのは考えてみれば至極当然のことなのですが、日本の企業はあまりにも政治的なしがらみが多すぎで実践できないようですね。うちの会社も似たようなものです。 / Hidey ( 2003-05-11 14:16 )
たらママさん、たしかにShared Valueはちょっと辛い。一応この7Sとはマッキンゼーが開発したモデルなのですけど。最近は英語のプレゼンテーションを学ぶスクールも日本にあるみたいですね。 / Hidey ( 2003-05-11 14:14 )
りぃなさん、メリハリはちゃんとつけないとね。それがないとここでは即死します。 / Hidey ( 2003-05-11 14:11 )
夢樂堂さん、かなりリラックス、かなり酔っ払って観てました。西洋人ってこういう演劇の世界に関してはただただ尊敬ものです。 / Hidey ( 2003-05-11 14:10 )
ミサトさん、きっといらしてたらとても楽しんでいただけたと思います。日本も最近はいろんな番組があるんですね。来月帰ったらすっかり浦島太郎だな。ポテチのコイケヤのり塩、ミサトさんぽくないというかぽいというか、とにかく微笑ましくていいです。今度ぜひ家でのパーティーでみんなに食べさせてみます。 / Hidey ( 2003-05-11 14:09 )
みほちゃん、関西人を笑わせられるとは思わなかった。光栄です。みほちゃんはどっから見てもきっと西洋演劇むきだよ。 / Hidey ( 2003-05-11 14:06 )
コインさん、多分あれは不意打ちだったんだと思います。相当びびってたから。この劇のDVDも販売するという噂もあり、ほしいのですが日本ではこちらのDVDは観られないからなあ。 / Hidey ( 2003-05-11 14:04 )
横レスすみません。↓ 切り替え忘れている人が多く、誰かの携帯がなると、慌ててみんな自分の携帯をバイブレーションモードに切り替えるのでした・・・。って感じ? / しゃどう猫 ( 2003-05-05 07:01 )
横レスすみません。↓みほちゃんのコメント見て「なるほどーーっ!」と感心してしまいました。ほんと、電源切ってたらどうするんだろ?別の人にかけるつもりだったのかな。うーん・・・あれこれ考えてしまう。 / ( 2003-05-01 21:51 )
・・・あのー、久しぶりに読んで見て気付いたんですけど、あの、アメリカでは、舞台を見ているとき、携帯をマナーモードにするとか電源を切るとか、そういう事しないんですかね、あれで彼女の電源が切れてたら・・・真剣に悩んでしまいましたが彼女も役者の一人だったとかー!(そんなオチ?) / みほ@すみません書き逃げします ( 2003-04-24 08:56 )
すごいメンバーですね。プレゼンの際の表現力・・・すごい欲しい。うらやましい。 / ウサ子 ( 2003-04-14 18:13 )
すごい。めちゃめちゃ楽しそう!!舞台からいきなり電話かかってきたらビックリですよね(笑)アイドル歌手とかプロダンサーとか、ほんとにいろんな人が学びに来てるんですね。忙しい中でもそういう日もあったりして、とても充実してますね。 / ( 2003-04-13 18:10 )
7S、耳に痛いです。。。と、いうよりうちの上司にも聞かせてやりたいデス。(泣)/こういう演劇私も観てみたかったです。 / Hiroko ( 2003-04-13 14:18 )
7Sの最後のSahred Valueはちょっと苦しいような・・・。それにしても、アメリカ人って何であんなにプレゼンに長けてるんだろう、と思うことしばしばあります。 / たらママ ( 2003-04-12 23:46 )
総製作費が$70,000だったらしいです。When the Sharks Attack!の映像が好きだった・・・。 / わかな ( 2003-04-12 03:59 )
わ、こういうの大好き!見てみたかったな。そちらは、onとoffのメリハリがきいていていいですね。 / りぃな ( 2003-04-10 14:42 )
リラックスしながらも真剣に観られそうです。 / 夢樂堂@まだバリ気分 ( 2003-04-05 21:40 )
ミサトは風刺ネタや細かい演出、プロフェッショナル芸、大好きなのでとても楽しく読ませて頂きました。そういえば、日本のあるバラエティショーでとても細かい演出をする番組があるんですよ(笑)。番組内で女性タレント同士(2人とも日本語と英語を使うタレント)が口論になった事があったのですが、2人とも興奮状態になったのか日本語、英語入り混ぜての口論になってしまったの。そうしたら次の回での放送で、きちんと日英の通訳が用意されていて、ものすごく笑ってしまったことが(笑)!ポテチはコイケヤののり塩もお薦めです♪ / misato ( 2003-04-04 19:28 )
あ、すみませんWhy MBAでした、はは(書きにげ) / みほ ( 2003-04-04 19:19 )
Thy MBA・・・学校で見てたらふきだしてしまったじゃないですか、プッと、ぷっ、と!!ど・・・どうしてくれるんですか(笑)日本語でも何語でも抑揚を付けすぎる私の喋り方は日本の演劇には向きませんでした(遠い目) / みほ ( 2003-04-04 19:18 )
そんなアメリカの遊び心が好きです。学校を皮肉る劇なんて、日本じゃ不可能ですもんね(笑)。携帯電話をかけられた相手はやらせではなく、不意打ちなのですね。何となく、お金を払ってでも観たいような気がしました。臨場感が伝わってきます。 / ガス欠コイン ( 2003-04-04 14:14 )

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