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Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-02-03 最後の勝負 3
2003-02-03 最後の勝負 2
2003-02-03 最後の勝負 1
2003-01-20 クリスマスイブに考えたこと
2003-01-18 ボストンでりぃなさんと会う
2003-01-03 Management in Perspective 3
2002-12-31 Management in Perspective 2
2002-12-31 Management in Perspective 1
2002-12-24 Pokemon -Japanese Invasion- 4
2002-12-24 Pokemon -Japanese Invasion- 3


2003-02-03 最後の勝負 3

Leading Teams(チーム・リーディング):それぞれ思惑が異なる構成員によって成り立つチームをどのように効果的にマネージすべきかを学ぶ授業。この授業は変則的に学期の前半だけで終わる、Half Courseと呼ばれるものである。従って学期の後半には別途Evolution of Global Business: Entrepreneurial Perspective(グローバル・ビジネスの発展:その起業的視点)というHalf Courseの授業を取ることが決まっている。本当はLeading Teamsの代わりに、学期後半の他のHalf Courseの授業を取りたかったのだが、論文の締め切りに追われる学期後半に週6科目(通常は5科目)というのは自殺行為だと思い、学期前半のこの科目を取得することにした。しかし結果的には前衛的な授業メソッドに加え、先述のうちの会社のナレッジ・マネジメントの焦点となる、「勝てるチーム」の普遍化というテーマには非常に近い内容であることが分かり、今は意欲的に授業を受けている。

思い出も残したい、友人ともいい時間を過ごしたい、そしてこの街をもっと歩きたいと思う残りの4ヶ月。それらを犠牲にする気はないけれど、やはりここに来た第一の目的を優先したいと思っている。ある意味この4ヶ月の努力が、僕の生涯を通じての勝負におけるキャパシティを決めることになるのだ。たったひとつの授業とて無駄にはできない。そのためには単にケースを読み込むだけではなく、ポイントを整理し、積極的に授業に参加し、他人の意見から学び、復習もしなければならない。

そんなわけで以前にはなかったほど日記も滞る日々が続いている。貴重な日々の記録にしても犠牲にしたくはないが、日記については遅れがちになりながらも卒業前の一ヶ月の休みでカバーすることもできる。微妙なバランスを最後まで強いられる4ヶ月になりそうだ。

ひまじんにはなかなか顔を出せない日々が続くかもしれない。「絵日記」は可能な限りコンスタントに続けていきたいと思うけれど。でも、これまでに負けずに面白い授業がたくさんあるので、その報告にもご期待ください。

先頭 表紙

りぃなさん、時間差をおかずに本当に実践できれば本当に嬉しいけれど。大丈夫かなあ。うちの会社だからなあ。そろそろ面白い授業もたまってきましたので、そのうちまた書くね。 / Hidey ( 2003-02-14 06:23 )
Ecruさん、ありがとうございます。充実はしているものの今日みたいに週末はもうばてばてです。真剣に体調も心配しつつあるけれど、もう授業はあと3ヶ月弱だし、なんとか頑張ります。 / Hidey ( 2003-02-14 06:22 )
いよいよ総まとめの時期に入ってきましたね。今学んでいることが、時間差をあまりおかずに実用できるのは、本当に羨ましいです。今までで一番、今学期勉強したことが、強い骨となり肉なりそうな予感がします。そんなご報告日記も、楽しみにしていますねv / りぃな ( 2003-02-13 12:58 )
熱い決意が伝わってきます。きっととても充実した時間になりことでしょうね。体調に気をつけて駆け抜けてください。 / Ecru ( 2003-02-09 13:28 )
たらママさん、きちんと豊作の状態で収穫ができるように、今は焦って肥料をやったり水をまいたりで大変です。時間の経つのが怖い。けど早く働きたい。 / Hidey ( 2003-02-06 15:13 )
最後の学期とは、早いものですね。収穫の時ですか。 / たらママ ( 2003-02-05 22:22 )

2003-02-03 最後の勝負 2

The Marketing of Innovations(革新的技術のマーケティング):革新的な技術を企業がどのようにマーケティングすべきかを、様々なケースを通じて学ぶ授業。この授業については同じ時間帯のほかの授業との入れ替えを希望していたのだが、希望がかなわず甘んじることになった。ケースによって当たり外れがある。先日は「オーディオ・スポットライト」という面白いケースを取り上げた。通常のスピーカーのように空気を震わせることなく、超音波によって最短30センチ幅の狭い範囲にいる人にだけ音を認識させ、その外にいる人にはまったく音が聞こえないという魔法のようなスピーカーである。暗闇でスポットライトを浴びた部分だけが色を発するのと同様、音のビームを浴びた範囲の人だけがその音源を聞くことができるのだ。開発者のMITの学生がこの技術をいかに商品化すべきかを討議する授業だった。その学生(今は一企業の社長)がゲストとして実際に教室を訪れ、魔法のスピーカーのデモンストレーションをしてくれた。教授の性格が悪そうなのが玉に瑕。

Corporate Strategy(コーポレート・ストラテジー):一年生で学んだ事業単位の戦略ではなく、それらを統合する、企業全体の戦略を学ぶ授業。インド人の極めて聡明な教授が緊張感溢れる授業をリードする。僕が社の思惑通り全社統括的な職種につくのであれば間違いなく必要になる概念である。一番はじめの授業では小さなイギリスの広告代理店からM&Aを通じて瞬く間に世界のトップ・メガ・エージェンシーに成長し、業界で初めてコンサルティング業務にまで事業を拡張したサーチ&サーチの成功と失敗について学んだ。その後はシャープを含むいくつかの企業を取り上げながら、企業の垂直統合の是非、その成功・失敗要因をたっぷり学んだ。ケースをだらだらと分析するだけではなく、体系的に教えてくれるタイプの教授なので、学びが蓄積しやすい。

Managing across Cultures(異文化間マネジメント):一年生の正式科目がはじまる前の基礎学習の時期に企業倫理の授業を教えてくれた、定評ある女性教授による授業。しかし一度僕は浮気を試みて、Managing in the Information Ageという授業を取ろうとした。僕が生涯のテーマにしたいと思っているナレッジ・マネジメントを学べるかと思ったからだ。しかしAdd and Dropのお試し期間に授業に出てみたところ、むしろEコマース中心に学ぶ授業のようだったので、希望を元に戻したのだ。Managing in the Information Ageでは楽天市場の三木谷社長(うちのOB)がケースの主役としてゲストで登場するということだったので、それだけはもったいなかったけれど。Managing across Culturesは南米、アジア、ロシアなどの特殊な設定においてビジネスをする際の慣習の違い、注意事項、そしてそれらを通じて異文化と接する心構えを学ぶといった割とソフトな授業である。昨年社がフランスのメガエージェンシーと提携を結んだので、異文化間のビジネスのあり方を学ぶことは少なからず有益になる。日本の企業文化についても3日を割いて学ぶことになっているので、いずれレポートしたいと思う。

(つづく)

先頭 表紙

nameさん、ご無沙汰しています。Management across Culturesですが、CD-ROMとネットを使って、あらゆるシチュエーションであなたならどうするかという60問弱の質問に答え、その分析結果を様々な国の人々の標準的なcultural profileと対比し、努力すべきポイントを知って、その国におけるマネジメント能力を高めるという演習もあります。結構面白いのでいずれご報告します。 / Hidey ( 2003-02-06 15:12 )
異文化マネジメントは私のゼミのthemeでもありました。懐かしい。 / name ( 2003-02-04 10:29 )

2003-02-03 最後の勝負 1

1月15日に冬学期が始まった。2年に渡り4学期あるうちの最後の学期である。驚いたことにこれまでで一番予習に苦しめられており、日記の更新もままならない日が続いている。一日に60ページのリーディングという日も珍しくない。適当に流すこともできなくはないかもしれないけれど、今学期だけはそれはしたくない。

成績は今のところ順調だ。冬休みの終わり近くに成績が発表になったが、予想よりも少しよかったので、無事卒業の目処もついた。うちの学校では相対評価によりもっとも評価の高いTから最も低いWのレンジで成績がつけられ、二年生においては秋学期と冬学期を通じてTかUが取得単位の50%以上を占めていないと学業成績委員会に引っかかり、卒業させるか否かの審議の対象になるのである。秋学期は予想通り、授業に身が入らなかったうえに5時間一本勝負という通常のExam形式によるハンディを抱えたBusiness MarketingだけはVをくらい、それ以外の論文中心の4科目はOKだった。特にConsumer Marketingでは、先述のグループ作業での努力が実り、Tをもらうことができた。冬学期でTかUがふたつあれば問題なく卒業でき、晴れてMBAを取得することができる。

にもかかわらず現在これまでに増して本気で勉強に取り組んでいるのにはいくつか理由がある。安心した直後に気が緩み、思いもよらない形で足をすくわれるという結果を避けたいということ。半年後に従事すると思われる種類の仕事に直接役立つような教科があるということ。そして生涯を通じてこれだけ集中的に勉強をする機会はもう二度とないだろうということ。

二年生が始まる直前に冬学期の科目登録も済ませていたが、「Add and Drop」というシステムにより、冬学期の初めに科目の入れ替えをする機会があった。冬学期にはそれほど目を引く授業がないので消去法的に登録していた僕は、実は結構面白い授業があることに今さらながら気づき、いくつもの授業を実際に見たうえでほとんど「全とっかえ」に近い形で入れ替えの希望を提出した。その結果正式に登録された科目は以下の通りである。

The Coming of Managerial Capitalism(経営資本主義の成り立ち):平たく言えばアメリカのビジネス史を学ぶ授業である。独立戦争直後、貿易や不動産業によりアメリカのビジネスの基礎をつくったジョン・ジェイコブ・アスター、商業の中心地ニューヨークの成り立ち、金融の黎明期、アメリカの繊維産業を形成したイギリス出身の異端児サミュエル・スレイター、鉄道の開発とそれによるビジネスへの影響などを学んでおり、この後はJ.P.モルガン、大恐慌、奴隷制度とビジネスの関わりなどを経て、最後はビル・ゲイツに至るまでをカバーする。ビジネススクールにおいていわゆる歴史の授業というのはとても珍しいと同時に、うちの代々の卒業生が口を揃えてもっとも素晴らしい授業のひとつと言うほどの名物科目である。眼光が鋭い50代くらいの女性教授が切り込むように学生に挑み、同じ表情でジョークを飛ばし、授業の終わりには確実に学びのある充実した授業である。毎回授業のはじめにその時代を説明する貴重なスライド写真によるプレゼンテーションがあり、50枚にも及ぶ参考資料的なスライドについて、教授がそれらに関連する細かい人名、年まですべて淀みなく語る姿にはいつも驚嘆させられる。

(つづく)

先頭 表紙

りぃなさん、ほかのビジネススクールは絶対評価なんだけどね。確かにビジネスと同じ原則ということか、なるほど。考えたこともなかった。いや、ほんとに真剣で恐い顔して冗談言うのでおっかしいんだよね。 / Hidey ( 2003-02-14 06:21 )
相対評価って、嫌ですよねー。。成績も、ビジネスのように相対評価。んーん、世の中って、厳しい。。 も一つついでに、眼光鋭くジョーク。きらり、か、にやり、どう光っているのかしら。なぁんて。茶化してゴメンナサイ。。 / りぃな ( 2003-02-13 12:53 )

2003-01-20 クリスマスイブに考えたこと

クリスマスイブは妻とともにボストンで一番有名なトリニティ・チャーチの礼拝に参加した。妻も僕も信者ではないけれど2000年近くもの間世界の多くの人々が守りつづけてきた祝いと祈りの本質を知ることは悪いことであるわけがなかった。異教徒にも許される範囲で我々も彼らの儀式に加わった。

牧師はキリストが誕生した頃のベツレヘムの街の情景を描写しながら、現在の中東の情勢について話をはじめた。残念ながら現在の複雑かつ悲惨な状況では神に祈るだけでは何の解決にもならない。神が何かをなすことを祈るよりは神の意思に従って我々自身が考え、行動すべきであるという趣旨の話だった。

信者たちは話に聞き入り、頭を垂れて声をあわせて祈り、賛美歌を歌う。今この瞬間に同じことがこの国中の教会で行われているのだとしたら、この国の人たちはどんなにか平和を愛する人たちであることだろう。しかし現実にはイラクの問題をとってみても、さすがにこのところブッシュ政権の勇み足への批判も高まってはいるものの、基本的にこの国の人たちは軍事力をベースにした外交により秩序を得ていることに変わりない。そして日本人もまたその庇護のもとに平和を謳歌している。そんな現代人にとって宗教とは何の意味を持つのだろう。彼らはなぜ今なお現実とは矛盾したような敬虔そうな顔をして頭を垂れているのだろう。

現代に生きる我々は何千年もの戦争の歴史の上に生まれてきた不幸な存在であり、生まれた時から握らされてきた兵器という呪われた遺産は容易に我々の手を離れようとしない。一斉に手放すことなど事実上不可能だからだ。だから究極的には戦闘的行為を前提にしない外交などありえない。朝鮮問題において世界がアメリカに期待を抱くのも背景に軍事的圧力があるからだ。新しい形の帝国主義的介入や部分的なミスジャッジメントは批判できても力による外交を今さら全否定することは無邪気でしかない。

国と国との外交は兵器による威嚇を最終手段にしたパワーバランスの上で、最高レベルの戦略論、交渉術、心理学を駆使するという極めて科学的なものである。そこには2000年前にキリストが説いた博愛の精神の介在する余地はない。我々が生れ落ちた世界に既に組み込まれている憎しみや恨み、人間の悪性を前に、右の頬を打たれて左の頬を差し出してもそのまま殺されてしまうかもしれない。少なくとも現代人はそう考えて生きているはずだ。ではなぜ彼らは祈るのか。

人間が善性と悪性を併せ持ち、矛盾を抱きながら生まれてきた以上、我々は相矛盾する信仰を持ち得るのかもしれない。一方で人智を尽くし人の悪性を利用した外交術を信じ、他方でこの世には証明の術さえあり得ない絶対的な善性を尊ぶのだ。それらは互いに全く相容れないものであり、例えば宗教的博愛心を規範にした外交術などという都合のよい折衷はあり得ない。しかし人は人である限り戦略論、交渉術、心理学などという、そういったものではないものを求めずにはいられないのだろう。何の解決にもならないかもしれないものを捨てずに持っていることで人間らしくあろうとしているのかもしれない。それは心のバランスとか魂を救うための免罪符といった軽いものではない。救われなくても身を捧げずにはいられない、そんな祈りのように僕には見えた。

そんなことを考えながら僕は妻とともに凍りつくような夜のボストンを家路に急いだ。オリーブオイルと微塵にしたセージ、タイム、ローズマリーをたっぷり塗り込んだローストチキンにシャンパンという晩餐は異教徒の真似事そのものだったけど、我ながら美味しく仕上がり夫婦ともに満足な夜になった。

先頭 表紙

りりさん、僕も以下に書いたとおりの根拠から特定の宗教は信仰しておりません。でも祈るという行動にりりさんが託される思いはとても理解できる気がします。日本人の曖昧なアイデンティティって、こういうときにはプラスに働く気がしませんか? / Hidey ( 2003-02-03 16:36 )
フィー子さん、不思議を不思議として謙虚に受け入れるって大切だけど難しいことだよね。フィー子さんはきっといま神性に近いくらいの感覚でそういう思いをされているのでしょうね。母として―。 / Hidey ( 2003-02-03 16:34 )
ガス欠コインさん、学校まで支配する宗教というのは、僕の勝手な私見ですが、やはりどこかしら押し付け的な匂いがすると思います。ニュートラルに哲学として捉えれば、あの時代のイエス・キリストの言動は人類史上類稀な哲学であり、価値ある共有財産だと思うのですが。彼が神の子であるか人間であるかに関わらず。 / Hidey ( 2003-02-03 16:32 )
PACHIさん、とても眼を開かれる言葉でした。本当に。僕がたくさんの言葉を弄して言いたかったことをわずか数行で代弁していただいた、そんなすがすがしい気持ちがしました。 / Hidey@ありがとうございます ( 2003-02-03 16:27 )
夢樂堂さん、どんなに叡智を積んでも予測もできない悲しみというのはあるのですね。歴史的なコンテクストがあることは確かですが、僕は時々あたりまえの論理的思考が万人に備わっていればこの世のかなりの理不尽が消えるのにと思ってしまいます。論理的思考というのが単に冷たい形而上学ということでないということはお分かりいただけるかと思いますが。 / Hidey ( 2003-02-03 16:25 )
azzurriさん、自分の思いの整理のために書いたような文章に、そのようなお言葉をいただき、大変恐縮しています。僕も無宗教ながら小学二年生のころからキリストの伝記に並々ならぬ興味を抱き、以来宗教観としてはキリスト教に影響を受け続けたことは否定できません。でもやはり群れることの安心感や宗派をなすことによる弊害には馴染めず、自分だけの神を信仰しています。でもああいう場所はそれなりに考えさせるものがありますね。 / Hidey ( 2003-02-03 16:21 )
akemiさん、とっても遅くなってしまいました。ごめんなさい。たまたまこんなご時世、こんな環境なので考えてしまっただけです。それも牧師さんの話に促されて。身内の魂のために祈るというのはやはり祈りの基本ではないでしょうか。僕は幸運にも両親が健在ですのでそのような機会はまだありませんが。 / Hidey ( 2003-02-03 16:15 )
私は特定の宗教を信仰しておらず、(最近は嫌気がさして)クリスマスは特にお祝いしませんし、ケーキさえ食べません。ですが、教会でも神社でも寺でもモスクでも祈りの場があれば取りあえずお祈りしています。祈るという行為は、一見何の役にも立たないからこそ大切なもののように思えます。上手く言えないけれど。 / りり ( 2003-01-27 18:23 )
ほんとに、自分の中でさえ日々刻々と相矛盾するものがうごめいているんだから、政治や宗教のような大きな枠になるとさらに複雑になりますよね。人間って不思議です。 / フィー子 ( 2003-01-26 15:52 )
僕の父はプロテスタントの信者で、教会にも時折、足を運んでいるようです。身を捧げずにはいられない。胸が締め付けられるような言葉ですね。宗教観の希薄な多くの日本人にとって、その様はどう映るのでしょうか。僕自身はカトリックの高校を出た関係もあって、ミサにも何度も出席しました。しかし、講釈は何ひとつと言っていい程、思い出すことがありません。あまりにも現実とかけ離れていたせいでしょう。 / ガス欠コイン@お久しぶりです。 ( 2003-01-24 11:08 )
神や宗教というものは結局、人間が自分の都合のために創り出したものにすぎないけれど、それはやはり在るべくして存在するもの。対象が神だろうと人間だろうと、物質だろうと概念だろうと、崇拝し信奉する「心の拠りどころ」がなければ、人は生きていかれない……。そんな「弱さ」を、ふがいなく思い、不思議に思い、またいとしくも思うこのごろです。 / PACHI ( 2003-01-21 17:24 )
2000年紀に手話通訳者の付き添いでカソリックのクリスマスミサに出かけたことがあります。まだ、同時多発テロが起こらなかった年、あんなに希望だらけの21世紀を望んでいたのに。受け入れるもの、受け入れられないものが双方にあるのは確かだが、そこで存在まで否定すると必ず悲劇になるのは悲しい。 / 夢樂堂 ( 2003-01-20 16:42 )
Hidey様の文章、とても心に染み入りました。小さい頃、キリスト様に願えば世界は平和になると、思いこんでいたけれど、実際は身近なところでさえか犯罪が起こっていて・・・クリスマス礼拝もここ何年かはすっかり行かなくなってしまいました。信者ではないけれど、少しでも祈りを捧げる場が欲しい・・・と。 / azzurri ( 2003-01-20 13:59 )
おごそかな一夜を過ごされたのですね。ひるがえって、自分がどうしていたか?と考えれば菩提寺の鐘つきに行くでもなく、わざわざ遠方から大勢が参拝にくるところの近くに住まいつつも結局、初詣もしていない・・・と。暮れに父のこないだ母の命日に墓参をしたのが、それらに代わるものだったかも知れません。しかも当座は身内の健康を祈っただけです。世界情勢にまで気持ちが及びませんでした。^^;  / akemi ( 2003-01-20 07:45 )

2003-01-18 ボストンでりぃなさんと会う

12月19日のことになるがオクラホマのりぃなさんがお連れの方と二人でボストンに遊びに来てくれた。以前から会おう会おうという話はあったのだが紆余曲折の末ようやく一年越しの夢が叶った。

年齢も境遇も随分違うけれど、同じように海外で苦労をしながら自分のために道を拓こうとする人となると他人の気がしない。彼らの泣きたくなる気持ちも密かな叫び声も、暗闇を貫くようにして遠く離れた僕の心の糸を震わせる。何かを乗り越えた時の歓びには自分のことのように嬉しくなり、励まされる。多分それは他の海外ライターさんも同じではないかと思うし、これだけは海外で苦労している者同士にしか分からないことだと思う。

りぃなさんの印象は、「よく悩む人」だ。21歳という年齢は確かに誰でもよく悩む年齢だと思うけれど、彼女は律儀に、多角的に、徹底的に悩む人なのだ。りぃなさんはよく自分の将来について悩むのだけれど、大学生の頃の僕は自分のちっぽけな能力の範囲でやりたいことは何かを漠然と考えることしかしなかった。要はあまり積極的に将来を捉えていなかったのだ。大人になることを拒んでいたのかもしれない。それに比べてりぃなさんは夢をはっきりと見定めて、そのために今自分が保有している資質、足りない資質を見極め、不足を補うために海外に飛び出し、努力をしながら悩んでいる。僕はそういう殊勝な人間ではなかった分、彼女の悩める日記に好感を持っている。ようやく最近彼女の気持ちも少しは分かる立場になったということもある。

また彼女の日記には相反する彼女の顔がたくさん映し出されている。きっと日記を通じて普段の姿、普段の生活には表れない別の姿、こうなりたいという姿を描き出し、そうしながら自分を成長させているのだと思う。どれが本当の彼女なのかはなかなか言い当てられないし、すべてが彼女なのかもしれない。21という微妙な年齢というだけでは説明できない虹のような多彩さがある。

そんなりぃなさんとボストンのローガン空港ではじめて対面した。他の方の日記でも読んでいたとおりの小柄な彼女からは日記に描かれているどの彼女の姿も容易には想像できなかった。あれだけのエネルギーや葛藤や様々な表情がこの小柄な彼女のどこにあるのだろうと、僕は笑顔で挨拶しつつも多少面食らっていた。

でも二日間一緒にボストンの街を歩いてみてりぃなさんらしい姿をいくつも見せてもらった。美しいボストンの街を歩いても彼女が街を眺める視点は少し違った。路地裏の建物と建物の隙間にわずかに切り取られた細長い空を眩しそうに見上げて写真を撮っていた。古い時代の集会場跡に残された、言論の自由のために闘ったその時代の人々の記録を真剣に読み耽っていた。普段着の街の姿を見たいと彼女は言っていたが、僕はどれだけのことをしてあげられたか今ひとつ自信がない。

欲を言えばもっとじっくりお酒を飲みたかった。一日目はほとんど寝ないで未明にオクラホマを出発してきたし、二日目の晩は翌朝早いバスに乗るために夜更かしができなかったのだ。またお連れの方がいる前であまりひまじんノリそのままに話し込むのも気が引けたし、全員に共通の話題を探すように努めたため、それほど深くつっこんだ話はしなかった。だけど言葉にはならなくても空気は伝わりあうものだし、彼女の気遣いあふれた言葉の選び方、穏やかな笑顔は今もしっかりと心に焼きついている。これからも大いに悩んで邁進してほしい。

りぃなさんがボストンで見たものしたことを僕が書くのも何なので、僕の見た彼女の印象を書くにとどめてみた。より詳しいボストン話は彼女の日記にご期待ください。

先頭 表紙

りぃなさん、本当に遅くなりましたがようやくつっこみに行きました。ごめんね。その理由は最新の日記参照。差し飲み、ぜひやりたいねえ。今日は珍しく酩酊しながらこうしてつっこみ返しをしています。明日を考えるとちと恐いけど。今学期もお互い頑張ろう! / Hidey ( 2003-02-03 16:12 )
ちゃらさん、ほんと、その通り。でも僕が何かの刺激になったっかどうかはよく分かりません。何よりもう少しリラックスして話したかったです。ちゃらさんも今度秋にボストンに来るのですか?タッチの差で会えなくて本当に残念。でも僕の麗しのボストン、楽しんでいってくださいね。 / Hidey ( 2003-02-03 16:09 )
みほちゃん、海外組のアイドルが何をおっしゃる!その年齢でそれだけの分別、思慮深さ、そして人生に対する真剣な態度、どれをとっても心から応援したくなります。本当に、本当に、余裕ができて殻でいいので、NZの様子も教えてください。楽しみにしています。 / Hidey ( 2003-02-03 16:07 )
PAOさん、りぃなさんは本当に真剣に生きてますからね。あの歳であそこまできちんと人生を考えていて。PAOさん、会いたいなあ。夢パンパーティーはお二人にお会いしたかったこともあるけれど、PAOさんとお会いできなかったのもとても悔しいです。ぜひ6月以降にお会いしましょう。 / Hidey ( 2003-02-03 16:04 )
でじかめさん、せっかくお越しいただいたのにお返事が遅くなってしまって大変失礼しました。前から時々日記は読ませていただいていました。クイズはけっこうはまりました。海外ひまじんオフは国内とはまた一味違うと思います。色んな国の人が一堂に会せたら、きっと楽しいでしょうね。これからもよろしくお願いします。 / Hidey ( 2003-02-03 16:02 )
より詳しいボストン話+その他も書き終えました。かなり割愛してしまいましたが。。本当に色々とありがとうございました! ところで、これを読んで私と会う人の反応が怖いのですが、はっは(汗) 今度はサシでお酒を飲んで下さいね! この時は全くダメダメでしたので、鍛えておきます。 / りぃな ( 2003-01-26 07:30 )
りぃなちゃんはちっちゃくてかわいかったでしょぅ??たぶんHideyさんと会って話したことで何か刺激になったことがあるんじゃないかと思います。 / ちゃら ( 2003-01-25 06:48 )
野望以前に課題こなすことで精一杯らしいですけどねぇ、まだ一年ですから、って、私に関しての話題でいいものなどあったかな、はて、と思ってしまったので自分磨きを今年の目標とします(笑) / みほ ( 2003-01-21 03:23 )
りぃなさんのように悩んだり壁にぶつかったりしながらも、真剣に自分に向き合って突き進もうとしている人を見ると、大声で応援したくなってしまいます。 / 走る酔人(PAO) ( 2003-01-20 23:14 )
「海外に住む事は、それだけで自分を磨く行為。」「若い時に1人で海外に出るのは凄い事」と言われたのを思い出しました。海外ひまじんオフ会したら楽しそう♪ / でじかめ@りぃなの影響でひまじん参入〜! ( 2003-01-20 07:22 )
みほさん、いえいえ、僕と同じ立場の方でしょう?きっと今はあれもやりたい、これもやりたいと野望が渦巻いている頃ではないかと思います。僕の方は元の会社という枠組みの中ですが、やはり色々な思惑がふつふつと沸いてきています。りぃなさんとみほちゃんの話もしたよ!もちろんいい話ばっかり。 / Hidey ( 2003-01-20 07:11 )
りぃな姉さまとっ!?いいなぁ(笑)将来を捉える事をしないととんでもない事になる、という良い例が身近にいるので(笑)気を引き締めなければいけませんなぁ・・・。 / みほ ( 2003-01-19 14:16 )

2003-01-03 Management in Perspective 3

その他に印象に残ったゲストとしては金融情報を提供するトンプソン・ファイナンシャルという大手企業の役員を務め、CEO就任を確実視されながらもそれまでに仕事の影響で家庭にもたらしたひずみを正すべく敢えて役員に留まり、最終的には社を辞めて、より家庭生活との両立を図れる条件を求め、情報産業をターゲットにしたプライベート・エクイティを設立したというAndy Mills氏がいた。彼は妻と二人の子供たちに対する義務を尊び、またコミュニティに対する奉仕の大切さも強調した。この場で話すことは多少憚られるが、と断りをおきながら、彼はキリスト教信者としての義務をも全うしたかったのだと話した。

もう一人、ナイプロというこれも大手の鋳型製造メーカーの社長候補になりながら、南米出身であることから明らかに状況が不利と判断し、ヘッド・ハンティングにより別の機械製造メーカーの社長に就任したSam Landol氏も印象的だった。彼の話を振り返った翌日の授業では学生たちから、彼の行動には逃げの要素もかなり含まれていたのではないかとの批判が相次いだ。後日二度目にLandol氏が訪れた授業である学生が不躾な聞き方ではなかったが、「人種差別についてはあなたの思い込みもあったのではないか」というニュアンスの質問をした。それに対し彼は、自分に自信がなかったのも事実だが、人種的な問題は企業のトップに行けば行くほどいまだに根強く残っていることも悲しい真実なのだと話した。アングロ・サクソン系のリゾート地などへ旅行するときもラフな格好はしないで敢えてジャケットやネクタイを着用するということだった。そうしなくてはホテルでの扱いが低くなるからだ。

日本の企業のトップにもざっくばらんに学生と対話してくれるような人もいるが、それとはまた本質的に異なる真摯さが彼等の中にはあった。言語にまで及ぶ文化性の問題は確かにある。年齢や立場による上下関係はそもそも日本と比べれば格段に希薄であり、それがざっくばらんな対話を可能にしていた。しかしそれ以上に彼等は学生である我々を尊重し、いずれは同じ立場になる者として敬意を示してくれていた。なにより自らの失敗、弱点を包み隠さず話してでも短い時間でできるだけ我々に何かを学ばせようという誠実さが見て取れた。日本と比べれば遥かに、人の上に立つ者にintegrity(誠実、高潔)を求めるアメリカ企業社会ということもあるけれど、ことさらにintegrityを強調するうちのリーダーシップの授業の影響もあるように思えた。

そんなわけで楽勝ながらもなかなか意義深い授業であった。ケーススタディに非ざれば授業に非ずというこの学校で敢えて毎年このような授業を貫き通すお爺ちゃん教授、やはり只者ではないのかなあ。

先頭 表紙

azzurriさんのお仕事、とても興味があります。フィー子さんともお知り合いのようなので、いずれぜひお会いした折にはそんな話も聞かせてください。楽しみにしています。 / Hidey ( 2003-01-18 23:42 )
azzurriさん、アメリカのビジネスのトップのintegrityはそのまま公明正大な企業文化として反映されて、それが規範となっているアメリカン・ビジネスから見ればやはり日本のビジネスはどこかいつも裏がありそうだったり、腹黒そうに見えたりするのだと思います。日本は人が集まることによって個の善悪の判断が圧殺されて集合的な論理による全然異なる価値基準が形成されてしまうけれど、アメリカはどんなに人が集まっても結局は個人自身の価値判断が求められるので、何かが歪むというのは少ないのだと思います。 / Hidey ( 2003-01-18 23:41 )
ブチョー、あけましておめでとうございます。アメリカは確かに白黒させた結果現代のアメリカ社会が成立しているわけですからね。ただし、一度白黒はっきりした結果を万人が理性としては受け入れなければいけないことは分かっていても、どこか口には出さない依然とした差別意識はちゃんとあるのも事実。その意味では白黒はっきりしただけにナァナァが永続してしまうかも。 / Hidey ( 2003-01-18 23:34 )
たらママさん、そのバランスは人それぞれですけどね。カリスマと言えば、先日ジャック・ウェルチの有名なGEのturnaround劇に関するケースを勉強しました。機会があればぜひ書いてみたいと思います。 / Hidey ( 2003-01-18 23:30 )
ライラックさん、いえいえ、あらためて考えさせられるつっこみをありがとうございました。書いてしまって絡もう一度覚めた頭で考え直すいい機会になります。沖縄の話、辛い話だと思いますがシェアしてくださってありがとうございました。今でこそ沖縄はブームですが戦前から現代にいたるまでずっと悲しい歴史をたどってきたことは認識しています。大学時代に英語のスピーチコンテストでもっとも熱心に書いた話が読谷高校(でしたっけ)の卒業式で生徒が日の丸を引き摺り下ろしたことに啓発された話でした。 / Hidey ( 2003-01-18 23:28 )
ウサ子さん、素晴らしい恩師に恵まれましたね。僕も幸いなことにこれまでの上司はほとんどがそのような尊敬できる人ばかりでした。今年もよろしくお願いします。 / Hidey ( 2003-01-18 23:23 )
りぃなさん、アメリカでもビジネスを極めた人が家庭を破綻させているケースが多いのは事実です。しかしそれに対する罪の意識は日本以上に強く、多くのビジネスマンがその是正を試みようとします。ビジネスで成功した人間には日本と同様貪欲で狡猾で人としても尊敬できない人も多い反面、日本以上に出世の条件として人格が挙げられるのも事実です。ですからビジネスが人のバランスを狂わせる傾向は万国共通だけれども、社会的規範やシステムとしては遥かにアメリカの方がバランスを保たせるものになっているということだと思います。 / Hidey ( 2003-01-18 23:22 )
因みにazzurriはいろんな業界を渡り歩き中(漂流中ともいう)で、現在はWEB制作関連のお仕事をしております。ポケモンは以前のお仕事で少し、、、身近にある商品やモノ、流行を作り出す裏方の世界は見ていても関わっていても日々勉強になります。でも、サボってないでお仕事しなくちゃ(笑)。 / azzurri ( 2003-01-08 10:42 )
授業の内容もさることながら、日本の企業のトップとかなり比較してしまいました。アメリカ企業が伸びる理由の一因を垣間見た気がします。机にかじりついているだけよりも仕事でも授業でもディスカッションやこういった現場の生の声を聞く方が好きなのですが、語学力さえあったなら(それだけじゃダメだろう!)この授業には参加してみたいですもん。でも、きっと普段の授業を投影できるからこそ余計に有意義なものなのでしょうね。 / azzurri@面白かったです♪ ( 2003-01-08 10:34 )
部落問題もそうだけど意識の薄い(もしくは過剰な)差別者と歴史的に被害意識(経験)のある被差別者という構造の中で真実を見極めるのは困難ですね。それでも白黒させるのがアメリカでナァナァで終わらせるのが日本ってのは言いすぎかな?まずはおめでとうございます。 / ブチョー ( 2003-01-07 13:31 )
Integrity、確かに必要ですね。カリスマも必要。 / たらママ ( 2003-01-06 22:38 )
父が大学に入った時は当然復帰前ですから、ものすごい嫌がらせにあったとよく言ってました。アメリカからよりも本土からの蔑まれ方のほうがよほど苦しかったですね。女性はみんな娼婦のようにも思う人がいるんですよ。開放的なんでしょ、とか言われます。ああ、また話しが逸れてしまいました。あらゆる分野でトップを極めて行く人は、人を大切にし、努力を惜しまない人なんですね。今回、3が読めてすごく嬉しいです。ありがとうございました。 / ライラック ( 2003-01-05 08:47 )
Hideyさん、私のトンチンカンなつっこみ、根気強く読んでくださってありがとう。後から読んでみたら自分でもよく判りませんでした(涙)。人種差別は思い込みではなく確実にあります。私はLandol氏のような考えは決して嫌いではありません。自分の持っているハンディ(自分がそう感じるなら)は自分の力で克服する努力をする人が好きです。日本の地域差別も相当なものですね。私は会社に入った時に上司に「沖縄の人ってお風呂に入るの?」と明らかに挑戦的に言われたことがあります。絶対に見返してやろうと思いました。その時だけ(笑)。 / ライラック ( 2003-01-05 08:39 )
あけましておめでとうございます。本当にすばらしい人はこんな人なんだろうなと思います。私の恩師がそうなのですが、業績だけでなく、何よりも人としてもすばらしい。尊敬しますし、憧れます。 / ウサ子@今年もよろしくお願いします ( 2003-01-04 21:10 )
正月休みでうかれて、頭をどこぞに置いてきてしまったので、あんまりマトモなつっこみでなくて申し訳ないのですが、こうして読んでいると、家庭を大事にする方が多いな、と。 ビジネスで成功している人は、人としても素晴らしい人が多いのではないかな、と感じました。全ての成功者がそうとは思いませんが、普通の人とは際立ったものを持っているからこそ、成功者になりえたのだな、と思いました。自分が、ゲストスピーカーになったとして、そこまで堂々と話せて、質問にも答えて・・・とか思うと、・・・ですね。。 / りぃな ( 2003-01-04 12:44 )
字数の関係でこの「3」の文章ははじめ書くのをやめようと思ったのですが、どうしても書いておきたいと思い追加いたしました。僕たち学生のためにあそこまで真摯に語ってくれた人たちのことを皆様にもお伝えしておきたかった。 / Hidey ( 2003-01-03 14:18 )

2002-12-31 Management in Perspective 2

10人ほどのゲストの中で唯一スタンディング・オベーションで送られたのは、フィデリティ・グループの一企業であるフィデリティ・パーソナル・インベストメンツの社長を務めたGail McGovernという女性だった。彼女はうちではなくコロンビア・ビジネス・スクールを卒業したが、その代わり今年からうちの学校で一年生のマーケティングを教えている。フィデリティの前にはAT&Tの消費者市場部門の副社長を務めていた。2000年と2001年に彼女は雑誌「フォーチュン」により「アメリカ経済界でもっともパワフルな50人の女性」の一人に選ばれた。

彼女はリーダーに必要な資質を5つ挙げた。一つ目は人を見抜く能力。人は簡単には変わらないものだから1%の疑問も残さないほど相手を見つめ尽くしてから人を雇うべきだと強調した。二つ目は柔軟性。特に失敗にとらわれ続けず、終わったことは終わったこととすぐに立ち直る能力を指した。三つ目は変化を愛すること。殊にアメリカ社会では変化に抗う者は生き残れないと語った。四つ目は、すべての決断はそれがビジネスにとって正しいか否かによって下すということ。その際顧客、株主、社員の利害関係の対立が懸念されることがあるが、彼等の利害は必ずしも矛盾するとは限らず、どこかに必ず一致を見るポイントがあると主張した。五つ目は仕事と人生のバランスをとること。他のゲストがこのバランスを常識・与件として捉え、ある種自明の理のように語っていたのに対し、彼女はリーダーがそれを実践しなければバランスを求める部下たちはついてこないと根拠を述べ、そのような根拠がなければバランスなど本人の自由だと冷徹に語った。

質疑応答についても彼女は楽しむかのように自信に溢れ、原稿が用意されていたかのように淀みなくすべての問いに対し明晰な回答を示した。部下に敢えて意外な、または不得手そうな役割を与えたという彼女の話に対し、一人の学生が「あなたは先ほど人の性質を見切ることを大事な要件として主張していたのに、今の話とは食い違うのではないか」と質問したが、彼女はすぐさま「I took staffing risks but not people risks.」と切り返した。

また彼女は仕事や人生におけるすべての興味を追い得るかという質問に対し、テーブルからこぼれ落ちるものもあることを認識したうえで、テーブルに残っているものを「すべて」と呼べばよいと答えた。また彼女には養女がおり、育児のために午後7時には必ず家に戻ることを実践したという。彼女がいられない時間には、仕事と同様に彼女が冴えた目で見切った完全無欠なベビーシッターがその世話をこなした。

翌日のゲスト抜きでのセッションでは「彼女はテーブルにあるものしか見ないことで人生の幅を狭めている」とか「午後7時に帰れたのは彼女の役職特権によるもので、彼女はラッキーなだけだ」といった意見も出た。的を射たような意見だけれど物事の本質は語られた言葉の字面にあるのではなく、誰がどのようにそれを語ったかにあるのだと僕は思う。成功者の語る「秘訣」ほど字面にして陳腐なものは世の中にはない。しかしその陳腐さを曲げることなく実践したことが彼等を彼等ならしめ、陳腐に見える言葉は人にある種のエネルギーを与える。ビジネスにおいては目に見えない様々な人的要素が大事な役割を果たすものである。先述の意地悪い学生の発言は同様に語る者を小さくする。彼等にはコンテクストがないのだ。

(つづく)

先頭 表紙

KATSUMIさん、そうそう、そうなんです。言わんとしたことを分かってくださってありがとうございます。そしてそのような環境をつくること自体も才能でもあるわけですからね。行動が成否を決める実社会に早く戻りたいと思ってしまいます。ポケモンの話はぜひお会いした時にお聞かせください。 / Hidey ( 2003-01-03 14:50 )
成功者の状況を特殊なものとして皮肉る人は多いです。でもただそれだけならば、普通の環境にいる人の方がもっと成功するためによい場所にいるはずなのに、ねぇ。エナジーを感じて前向きに話を貰うことの良さを実感できました。来年もよろしくお願いします。 / KATSUMI@ポケモンの話はいずれ。 ( 2002-12-31 23:09 )

2002-12-31 Management in Perspective 1

先日の日記で「楽勝科目」と表現したManagement in Perspectiveという授業について書いておこうと思う。

何をもって楽勝かというと、まずこの授業はうちの学校の最大の特徴であるケーススタディ形式をとらない、もしかしたら唯一の授業である。毎週水曜日の2時間の授業は、有名企業のCEOやそれに準ずる役職を務める(または務めた)うちの卒業生をゲストとして一人ずつ招き、彼らのリーダーシップを生で学ぶというスタイルをとった。事前の予習はゲストのプロフィールや企業の概要、ホームページなどを読むということだけで、それもすべて授業のほとんどを占める質疑応答のための参考資料に過ぎない。他の授業では10〜15ページにわたるケースを何時間もかけて真剣に読み込むことを考えると予習は皆無に等しかった。

授業の冒頭にはゲストが10〜20分ほど彼らのビジネスにおける信条などを話し、その後は延々と質疑応答が続く。他の授業では多くの場合授業のはじめに教授がいきなり一人の学生を指名してアイスブレーカーの役割を負わせる、いわゆるcold callという恐怖の慣例があり、そのためにも学生は欠かさず予習をするのだが、この授業にはcold callは存在しない。基本的にはゲストの話や質疑応答を聞いてからでも十分質問は考えられるので、予習の必要すらないのだ。

しかも学生の数が通常の二倍以上の180人である。楽勝科目ということでこれだけの学生が履修を希望したわけだが、教授自身は単に人気があると勘違いしてか、敢えて人数を半数に押さえようなどとはしなかった。事実上出席をとることもできないので相当数の学生がさぼっていた。僕も寝不足が重なった日や論文作業に追われた日は何度かさぼった。

そしてこの授業では、直近に訪れたゲストについて忌憚ない意見をゲスト抜きで交換し合うセッションを毎週木曜日に持つのだが、この木曜の授業は効率を考慮してクラスの半数のみの出席で行うのだ。その授業ですら、90人いるはずの学生たちは大概その半分くらいしか出席しなかった。

教授はそんな学生たちにどんな態度をとるかというと、空席が目立つ教室を眺めては、出席している学生たちに対して満足そうに微笑みながら頷いたりするのだ。多分60歳過ぎくらいだと思う。プロフィールによればこの教授には多数の著書があり、しばしばメディアにも登場してコメントを述べたりするそうである。しかし授業はほとんどすべてゲストと学生のやりとりに終始するため、彼が気の利いたことを話す場面は皆無に等しい。木曜日のセッションでは前回のゲストとの質疑応答のポイントを再現したり整理したりするのだが、それもほとんど内容的にはゲストの言葉に過ぎなかったり、かなり一般論に近い言葉に過ぎなかったりする。

そんな楽勝科目だが、それなりに履修した意義はあったと思っている。通常のケースでは描ききれない、経営者の人間臭さやビジネスにおける経験的処方を、生の声を通して感じ取ることができたのだ。

(つづく)

先頭 表紙

ライラックさんのつっこみに励まされて、一度は字数の関係で書くことをやめた続きの原稿をアップしましたのでよろしかったらご覧ください。とても真剣なつっこみ、本当に心から嬉しいです。ありがとうございました。 / Hidey ( 2003-01-03 14:47 )
この、文化における合致をもとめるという観点は、僕の取った別の授業でもセオリーとして教えられたことです。少し前の試験について書いた日記のazzurriさんへのつっこみ返しにも書きましたが、企業文化成立の要件のひとつは価値観における合意であり、それを実現するには採用、解雇を通じて同じ価値観の人間を集めるか、または企業を分割することで同じ価値観の人間を各部門ごとに固めるかという方法論しかないということです。ですのでMcGovern氏の方法論は極めて合理的といえます。 / Hidey ( 2003-01-03 14:46 )
彼女は現在ちょうど50歳です。養女はまだ10歳に満たなかったと思います。1%の疑問も残さないための考査の方法は、ひたすらプライベートな興味や趣味についての話をすることだそうです。能力的なことはレジュメにすべて書いてあるし、それは目がある人間なら誰でも読めると。むしろ「culture」における「fit」を求めるそうです。だからある程度のポジションの人間を雇うときなどはディナーパーティーで個人的に話し込むとか、そういう方法をとるそうです。 / Hidey ( 2003-01-03 14:41 )
McGovern女史ははじめAT&Tの一介のプログラマーとして技術的に優れた成績を残し、ついで中間管理職として部下を束ねる能力を身につけ、その後セールス、マーケティングなどの部門長として他部署の部門長たちとの調整能力に磨きをかけ、ついに役員になったということです。それぞれのステージでまったく別の能力が求められながら、彼女はそのすべてに卓越していたのです。 / Hidey ( 2003-01-03 14:38 )
そのようにゲストには慣れっこになっているとは言え、ケーススタディという呪縛から解放された授業というのはこの学校においては大変新鮮味があります。その意味ではこの教授は確かに異端であり同時に冒険者でもあります。 / Hidey ( 2003-01-03 14:34 )
単位が取得しやすいかどうかは分かりません。授業はすべて相対評価ですのであまり関係ないように思います。この教授ももちろんそうですが、うちの教授は企業の個人コンサルティングもしている人ばかりなので、企業のトップともつながりが深いです。ですので色んな授業を通じて名だたる企業のトップを招くというケースはしょちゅうあるのです。それがうちの学校の売りにもなっています。昨年は学校全体での講演でしたが、過去日記にもあるようにジャック・ウェルチ氏も来校しましたし、かつてはビル・ゲイツ氏も来ていたはずです。 / Hidey ( 2003-01-03 14:31 )
ライラックさん、怒涛のつっこみありがとうございます(笑)!僕としてはこれだけ熱くつっこんでいただいて、それに対して感謝こそすれ、迷惑だ何て微塵も思いません。この日記につっこみを入れてくださる方は皆さん何かしらこの分野にご興味を持ってくださり、深い考察、異論までも忌憚なくくださる方ばかりですので、他の方へのご配慮もご無用化と思います。 / Hidey ( 2003-01-03 14:25 )
Hideyさん、一人でこんなにつっこんでしまってごめんなさい。こういうのはあまりよくないことと思っています。でも!私にとってHideyさんのこの日記、授業みたいで面白くて仕方がないのです。後先、周りのことも考えずに行動してしまう私なんです(涙)。ごめんなさい。きっとこれを見たらもうつっこみたくなくなってしまう人もいるでしょうね・・・。いつの間にかつっこみはじめたら、考えずに書きはじめてしまってどんどん長くなってしまいました。これからはもう少し、整理してつっこむようにします。 / ライラック@すみませんでした ( 2003-01-02 00:29 )
テーブルのたとえでは、こぼれてしまったほう「だけ」に気をとられてしまう人もいるのですね(笑)。一つ疑問だったのですが、女史のおっしゃる5つの資質の中の1番目に言う、1%の疑問を残さない採用とはのどのようにして考査されるのですか?実際にどのような方法で見極めるのか興味を持ちました。 / ライラック ( 2003-01-02 00:22 )
きっと教授も普段はゲストへのアプローチでお忙しく、そちらの方ではなかなかやり手の方でいらっしゃるのかもしれないですね(笑)。長くなってすみませんが・・・ところでこのMcGovern女史には大変興味を持ちました。養女をお育てのようですが実際お幾つくらいのお方なのでしょうか?木曜日の交換セッションではいろんな意見が出て面白そうですね。 / ライラック ( 2003-01-02 00:14 )
McGovern女史の話は大変興味深かったのですが、実際にmanagementに関わっていく人は、常にいろんなチャンスを見逃さず、そこから必要な正しい判断で正しい情報を引き出し、そしてそれを最大限に生かす努力をする人だということがHideyさんの書かれたことからもわかりました。教授もそのことをご存じでいらっしゃるから、すべての学生にも自由な形でそのチャンスを平等に提供しているのかもしれませんね、人数制限もせず、出欠も取らずに(笑)。Managementは管理する側で管理される側では無いですものね(笑)。 / ライラック ( 2003-01-01 23:59 )
入っていたのですね。ビジネススクールでmanagementを学んだとして、たとえば5000人位の企業でもCEOレベルにまで上りつめる人はほんの一握りのはずです。そのことを考えるとこの授業にある程度きちんと出席していくということは(将来そういう職を希望しないにせよ)何かしらのヒントを得るチャンスを孕んでいるということなのかもしれませんね。。 / ライラック ( 2003-01-01 23:46 )
あまりパッとしない講議も多いのかもしれませんね。でも、深読みのし過ぎなのかもしれませんが、そんな学生さんたちの思惑ももしかしたらある程度ご存じなのかな、なんて思ってしまいました(笑)。だってHideyさんはそれなりに履修した意義があったとおっしゃってる。Hideyさんがそう思われたのは書かれてありますようにこの授業を通してessentials of managementに触れることができたからでしょう?一見楽勝科目でありながら、実際は普段のケーススタディーでは得られない、机上だけでは学び得ないエッセンスがふんだんに / ライラック ( 2003-01-01 23:35 )
Hideyさんがいらしてるビジネス・スクールにも楽勝科目と呼べるものがあるなんて意外に思っていました。そして何処の大学と同じように半数が欠席だなんて。よくありますよね、そういう「一見」人気科目って(笑)。実際、単位は取得しやすいのでしょうか?でもでも、このおいちゃん教授、なかなか徳のあるお方なんでしょうね。企業のCEOレベルの方々を毎週お呼びできる訳ですか?すごいです!こういうポーカーフェイスなおいちゃんていますね(笑)。普段の授業もHideyさんがおっしゃるように、 / ライラック ( 2003-01-01 23:20 )

2002-12-24 Pokemon -Japanese Invasion- 4

このように「パッションの創出」、「伝播の促進」、「離脱者の回避」というステップを経て、ポケモンは一時的に大流行りしてすぐに消えたたまごっちのような「fad」に留まらず、より持続性のある「franchise」になることができたのである。

ではポケモンはさらに一段上の「platform」にレベルアップすることはできるだろうか。まずは「platform」とは何かを押さえておきたい。教授はマドンナを「platform」の例に挙げた。さして音楽的な実力があるわけでもない彼女はデビューから現在にいたるまでの20年間、常にトップスターの地位を保ってきた。それはマドンナという単一の素材が、曲のスタイルを変え、ファッションを変え、ライフスタイルを変え、コンスタントに驚きを提供することにより、必ず次を期待させるブランドになったからである。先述のバービーも「platform」である。一定不変のバービーというキャラクターが時代性を反映したファッションや職業を身につけて、今年のバービー、来年のバービーと、常に期待を抱かせるのだ。

ポケモンが「platform」になり得るかどうかは実は教授は結論を出さなかった。しかしその答えはディズニー・ブランドという完全に「platform」化されたブランドとの対比でよく分かるのではないかと思う。結局のところポケモンはストーリーや状況設定が明確に規定されたゲームにしっかりと組み込まれてしまっているのに対し、ディズニー・ブランドは既に物語から独立したキャラクターの集合体であり、ミッキーマウスなどの多くのキャラクターは様々な設定やストーリーのもとで動き回れる自由度を持っていた。またポケモンは複雑なルールに基づく自己完結したひとつの世界であり、子供たちはそのルールに則ってのみポケモンの世界に参画できるのに対し、ディズニーの世界観はよりシンプルで、「私のミッキー」、「私のディズニーランドの思い出」というように、ブランドと自分の関係をパーソナライズすることが可能である。その結果ディズニーにまつわる美しい記憶は世代を超えて蓄積され、老若男女がそれぞれに手を添えて回していくサイクル性というものが成立したのである。このようにブランドの独立性、単純性は「platform」を成立させる大きな要件になりうる。その意味でポケモンはそもそも「platform」になり得ないような設計をされていたのだ。

実際のところポケモンが日米両国でとうに一時の勢いを失ってしまったのは周知の事実である。しかしポケモンがアメリカで果たした大切な役割がひとつあった。それは日本のコミック文化をより自然に受容させる素地をつくったということである。もちろんポケモン以前にも日本のコミック文化はアメリカに入り込んでいたが、それらが懸命にアメリカ文化への同化を図っていたのに対し、ポケモンは初めてアメリカ人を日本に振り向かせたと言ってよい。「千と千尋の神隠し」が好評を博したのもポケモンがそのための道を整えたからと言える。

ウォルト・ディズニーに多大なる影響を受けた手塚治虫によって基礎がつくられ、今や真っ盛りの日本のコミック文化。そしてそのコミック文化をベースにした独特のゲーム文化。ある意味逆輸入とも言える昨今のJapanese invasionはまことに感慨深い。しかしながらポケモンが現代日本の病んだ空気をも一緒にアメリカに運んでいないことを祈りたい。そしていずれは日本発の本物の「platform」が世界を席巻することを期待したい。

先頭 表紙

「ポケモンストーリー」は残念ながら読んだことはありません。日本でぜひ入手して読んでみたいと思います。「千と千尋」は確かに興行のやり方が下手で、ポテンシャルがあったのに充分商売ベースに乗せられなかったと僕も聞きました。ただし身近なところでは確かによくあの絵も見かけましたし、うちの教授も子供にせがまれて映画に連れて行ったそうです。もったいなかったですね。栗鼠さんもひきつづきお勉強頑張ってください。 / Hidey ( 2003-01-20 07:08 )
栗鼠さん、おっしゃるとおりuniversalityもポケモンヒットの大きな理由だと思います。本文にも書きましたとおり、マーケター側としては従来通りの翻訳作業によってuniversally acceptableなものに仕立て上げた側面も多かったわけですから。ただしそれと同時に計算づくで日本的要素を残し、そして計算以上に「日本性」が受けて側の印象には残ったということのような気がします。上手いミックスだったのではないでしょうか。 / Hidey ( 2003-01-20 07:05 )
ところで、「千と千尋」はアメリカでは興行的に相当失敗だったようです。残念。それでは、長々と大変お邪魔致しました。 / 栗鼠/勉強頑張ってくださいね。 ( 2003-01-19 16:07 )
個人的にはポケモンのuniversalityがアメリカでのヒットの理由かと思っていました。exoticismという事なら、ポケモンがplatformになれなかったのもその辺に理由があったのかもしれませんね。Hideyさんは日経BP出版の「ポケモンストーリー」をお読みになった事ありますか?ポケモンのビジネス展開の過程の詳細を追ったもので、プロデューサーの一人も共著という形で参加しています。 / 栗鼠/私もリーディングで死んでます。 ( 2003-01-19 16:03 )
丁寧なお返事、本当にありがとうございました。またまたとても面白かったです。文化のglobalization,homogenization,indegenization,等のモデルとしてアメリカにおける日本文化(特にマンガ等のポップカルチャー周辺)を論文の題材として考えているので、ついつまらない質問をしてしまいました。 / 栗鼠 ( 2003-01-19 15:58 )
P.S. 2週間ほどイタリアに行っていたのと、帰ってすぐに怒涛のリーディングを強いられる授業が続いたので、お返事が遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした。 / Hidey ( 2003-01-18 23:12 )
なお、platformの概念には当然市場規模も含まれています。ある程度のサイズの市場が形成されなければplatformによるリピート需要は成立しないわけですから、市場規模は不可欠な与件となります。今後も鋭いつっこみを楽しみにしています。ありがとうございました。 / Hidey ( 2003-01-18 23:10 )
一番大切なことは、受け手が「ああ、これは日本という設定なんだね」ということを積極的に受け入れる素地ができたということで、マーケターとしては多分驚きがあったのではないかと思われます。exoticismがそのまま商品の魅力になったということで、考えてみれば日本の子供たちは昔からそんなものはとっくに受け入れていたのです。アメリカという設定ならではのキャラクターの魅力、ストーリーの面白さなど。だからこそ「千と千尋」の純日本的な設定もそのまま受容されやすくなったのではないかと思う次第です。 / Hidey ( 2003-01-18 23:08 )
かつて仕事をしたアメリカ人は小学生の甥にせがまれて日本でしか売っていない日本語のトレーディングカードをお土産に買って帰りました。そして大人たちはもちろんポケモン現象の源が日本であることを社会的ニュースとして知っており、日本のアニメ文化の質の高さもようやく一般の家庭レベルで認識されるようになったのです。それまでは接していてもそれがメイド・イン・ジャパンとは思われていなかったはずです。 / Hidey ( 2003-01-18 23:01 )
それはもちろん子供たちが日本的文化の香りがする作品に対して違和感を覚えることを考慮したからであって、キャラクターの名前や設定などを敢えてアメリカ的にしたり、少なくともニュートラルなものにしたりする努力が常になされてきました。ポケモンでも同様の工夫はされているものの、本文にも書いたように日本的な言葉の響きを「クール」なものとして残す部分も多かったり、現代の日本の情景がどうしても描かれてきたり、なにより子供たち自身がポケモンは日本からやってきたもの、日本こそポケモンのメッカとして認識しているのです。 / Hidey ( 2003-01-18 22:57 )
その前提で書かせていただきますが、ここで書いていることはデータに裏打ちされたものではなく、あくまで僕が見回してきた範囲での判断です。その点を先にお詫びしておきます。アメリカにおける日本のコミックやアニメは、「おたく」的な要素をそのままこちらのニッチでマニアックなマーケットに直輸入したものか、または古くはアストロ・ボーイ(鉄腕アトム)、最近ではドラゴン・ボールといったように、非日常的または非日本的な要素が強いものが多く、その数もヨーロッパと比べればとても少ないものでした。 / Hidey ( 2003-01-18 22:52 )
栗鼠さん、はじめまして。拙い言葉になってしまいますがご質問にお答えします。まずplatformという言葉は特に専門用語ではないと思います。この教授はわりと独創的なフレームワークを用いる人で、その中で彼女がしっくりくる言葉を使ったのではないかと思われます。ポケモンについては、多分栗鼠さんの入力の変換ミスだとは思いますが、一応確認させていただくと、「コミック文化需要」ではなくて「コミック文化受容」の基礎を作ったという話です。 / Hidey ( 2003-01-18 22:37 )
もうひとつ、質問です。Platformの概念には市場規模も含まれていますか? / 栗鼠@質問ばっかしてすいません。 ( 2003-01-05 15:13 )
遅いツッコミすいません。私はアメリカの大学院でポップカルチャーを勉強しています。managementの観点からのポケモン現象の分析とても面白く拝見しました。特にplatformという概念が面白かったんですが、これはmanagementの専門用語なんでしょうか? それから、ポケモンの成功が日本コミック文化需要の基礎を作ったという点ですが、コレはどのような根拠からでしょうか?←決して悪意のツッコミ(質問)ではありません!!今ちょうどその点を勉強していたので純粋に知りたいのです。 / 栗鼠@私は8月卒業です。 ( 2003-01-05 14:38 )
スーパーしえろさん、確かにご指摘の通りの部分もあるかとは思いますが、最終的にはいつの世も子供は逞しく、大人の言うなりにはならないように思います。計算され尽くしたつもりのマーケティングでもどこか必ず子供たちの創造性に頼る部分があると思います。 / Hidey ( 2003-01-03 14:20 )
とても興味深く読みました。個人的にはコマーシャルベースではなく、子どもの中から自発的に生まれる子ども自身の文化が今の日本には不可欠なのでは、と考えていますが、それを可能にする時間やゆとりを私たち大人が奪ってしまっているのが現状ですね。ポケモンは、一時151の名前を全部言えたけど(笑)、なるほど、子どものニーズにぴったりだったわけだ。 / スーパーしえろ ( 2002-12-31 18:51 )
トモコさん、ヨーロッパは少し遅れて導入されましたからね。一粒で何度も美味しくていい話ですね。僕もゲームはさっぱり分かりません。知り合いに色々と質問をしてから授業に臨みました。 / Hidey ( 2002-12-31 17:38 )
プルーさん、まだパレードに登場するのですか!たまごっちについてはヨーロッパの知り合いが、当時はヨーロッパでけっこう流行っていたような話をしてくれてました。おもしろい発想だったけど発展性がなかったですね。 / Hidey ( 2002-12-31 17:36 )
azzurriさん、その方面に関わるお仕事をされているのでしょうか?日本のアニメは近年はかなりアメリカもキャッチアップしていますが、もともとはヨーロッパのほうが早く目を向けてきましたよね。他のあらゆる文化においても日本とヨーロッパのほうがアメリカとよりは親和性がありますね。繊細さの問題でしょうか。 / Hidey ( 2002-12-31 17:34 )
Ecruさん、こちらこそありがとうございました。教授が結論を口にしなかったというのはうちの学校のシステムでは授業は生き物なので、完全に計算し尽くした展開にはならなかったからだと思います。僕も聞いてみたかったです。 / Hidey ( 2002-12-31 17:31 )
KATSUMIさんへ、つづき。特にドラえもんについては学年誌という世界的にも類稀なnew entrantsをしっかり捕捉するシステムで、しっかりその年の小学一年生なりを見据えた微妙な「着替え」を毎年繰り返してきた結果、かつて小学生だった親までもが支援するブランドになったのだと思いますが。 / Hidey ( 2002-12-31 17:27 )
KATSIMIさん、それなりに根拠のある話を繋いだとは言え所詮は部外者の素人見識。ぜひ異論反論をお聞きしたいものです。ところで僕はドラえもんとサザエさんについては立派にplatformだと思っています。これらの二つは静的な情況しか与えられずongoingなストーリーがある訳ではないし。時代性を上手く反映しながら常に「着替え」をしているのではないかと思います。 / Hidey ( 2002-12-31 17:25 )
りぃなさん、日本にも寅さんなどのプラットフォームはちゃんとあるんですけれどね。そう言えば寅さんは若干世界を席巻しかけましたっけ。僕は正直なところ日本のマーケティングはどんどん近視眼的になってきていて、プラットフォームはできにくい環境になっているのではないかと見ています。 / Hidey ( 2002-12-31 17:15 )
akemiさん、まだ残り火のように細くは燃えているのですね。貴重なお話をありがとうございます。ゲームだってなんだって捉えようですよね。みな子供は遊びから学ぶわけだから。病的な要素をうまく排除できればね…。 / Hidey ( 2002-12-31 17:13 )
みほさん、長い文章を読んでくれてありがとう。僕は実のところポケモンのことは何ひとつ知りません。教授やそれとは別に任天堂の事情に詳しい人間の話を結んで客観的に筋をつけただけです。オープニングソングってのもそんなわけでさっぱり分からないのでございます。 / Hidey@あしからず ( 2002-12-31 17:11 )
ドイツでは未だに大人気。うちの先生のお子さんも大好きなようで「ポケモンの**ってキャラクター知ってるだろう?」なんて会話にしょっちゅうなるのですが、私が分かるはずもなく・・・。日本人なら知ってて当然と思われるのも心外なんですけどねぇ。 / トモコ ( 2002-12-28 09:59 )
ポケモンって既にこちらでも終わってるって感じがあるのですが、メーシーズの感謝祭パレードなどではまだ活躍してるようですね。一時期ポケモンのカードなどがすごい値段で取り引きされていた時は本当に驚きでしたが。たまごっちは日本人の間と子供たちでちょっと受けた感じでしたね。アメリカ人は大人になってあれをするとは思えませんもの。フェリーに乗っていた時日本人らしき男性がたまごっちをやっていて、、あれはちょっとなあと思ってしまいました。 / イタリア行き、羨ましいです@プルー ( 2002-12-28 03:38 )
身近なものをテーマにわかりやすく説明していただいて、本当に面白かったです。マーケティングやブランディングについては、とても興味のある分野です。日本のアニメの評価も気になるところですが、ヨーロッパとアメリカではまた感覚が変わってくるのかな? / azzurri ( 2002-12-27 17:47 )
とてもおもしろく読ませていただきました。ありがとうございました。教授が結論を口にしなかったのは、教育的な意味もあったのでしょうけど、これだけの分析の上での結論とその理由もちょっと聞いてみたいと思いました。その意味でも、最後にHideyさんがお考えを示して下さったことがありがたく、すごい方だな〜とあらためて思いました。 / Ecru ( 2002-12-25 21:00 )
当事者の一員として異論反論は多少ありますが、知らなかったこともありおもしろかったです。ポケモンが進化することでしか発展していないのは事実ですね。ただ日本的なキャラクターやストーリーテリングは、状況設定がはっきりされた中でしか発達していないのです(ドラえもん、アトム、サザエさん・・・)。だからplatformというアメリカ的なシステムに対する挑戦なのだと思っています。ちなみに「Jump」の評価はどうですか? / KATSUMI@プレイヤーモード ( 2002-12-25 02:19 )
んんん、納得。日本発の本物の「platform」は、すぐには現れないでしょうけど、そう遠くもない気がします。段階をどんどん上にあがっているように見えますもん。 / りぃな@未ログイン ( 2002-12-24 20:33 )
うちの子たちも、いまだやってます。GBで対戦したり進化させたり…?カードの類いで盗難や恐喝まがいのことをしたとか、懇談会で話し合ったなあ。どこまで親が介入するか?ってこと。。。親の感覚の差が現れて、面白かった…と言ったらおかしいけど、そういうことを成長の糧にできない親子が多くて疲れました。病んだ空気にやられてたのかな?^^; / akemi@未ログイン ( 2002-12-24 20:11 )
興味深く読ませていただきました。いえ,ゲームとかマンガって昔大好きだったもので(笑)ポケモン大流行してたのって私が中1の頃です。長続きしてるなぁ。当時は「すぐ終わるんじゃないの〜」と思ってたんですが・・・。・・・そういえばあのオープニングソングってアメリカでも健在なんでしょかぁ(笑) / みほ ( 2002-12-24 18:37 )

2002-12-24 Pokemon -Japanese Invasion- 3

「fad」をさらに広範なものにする要件である「伝播の促進」についてもポケモンの「特権的クラブ」という要素が有効に働いたと教授は説明した。伝播を促進するにはword of mouth(口コミ、噂話)が大きな威力を発し、これに有効なのはbuzz word(専門用語)の存在である。151匹のモンスターの名称やその特性を暗記した上でポケモン独特の用語を交えて得意げに会話をすることが特権性をさらに増幅したのだ。子供たちは遅れを取ることなくいち早くモンスターの名前や専門用語を覚え、口にした。そうしてポケモンはアメリカ中の小学校に伝播したのだ。

これは例えば2ちゃんねるの浸透を見ればよく分かる。その存在をろくに知らない者までがいつの間にか「2ちゃんねる用語」を見よう見まねで使い始め、これらの用語を正しく使うことが一種の優越感を生みさえする。そうして人から人へと特異なコミュニティ性が伝播した結果が、Yahoo! JAPANが先に発表したとおり検索ワード第一位「2ちゃんねる」という事態である。

しかし「fad」はその意味の通り一過性のもので長続きはしない。長続きさせるためには一時的な「パッション」を持続的な別の何かに変換し、「離脱者の回避」を図らなくてはならない。その方法は三つある。

一つめは「パッション」を「習慣」に変換する方法である。「パッション」の強度を敢えて弱めて「愛着」というレベルに落ち着かせ、コカ・コーラやマクドナルドのように好意的な習慣化を図ることである。誰にも熱狂的に愛されない代わりに誰にも嫌われない息の長いブランドの構築が可能になる。

二つ目は「パッション」を「絶対的なアイデンティティ」に変換する方法である。これは極端なブランド・アイデンティティを妥協することなく頑なに訴え続けることにより、好きな人はとことん好きだが嫌いな人はとことん嫌いという極化(polarization)を図るというやり方である。過激な広告により好き嫌いがはっきりと分かれるベネトン、嫌味なまでの富の象徴ローレックスがその好例である。この方法論は敢えてブランドを手に届きにくいものにするための何らかの障壁(イメージや価格)を設けるという、危険な賭けをともなう方法でもある。その代わり成功すれば、コアな崇拝者は決してブランドを裏切らないという効果を得られる。

三つ目は「パッション」を「ヒエラルキー」に変換し、顧客の中にピラミッド型の階層を創り出すという方法である。実はポケモンはこの方法を採用した。我先にポケモンに飛びついた子供たちは、誰もがポケモンをするようになってしまうと、当初の「パッション」を失いかねない。自分たちを特別な存在にしていたブランドが今や万人のブランドとなったことによって、彼らは特別な存在ではなくなってしまうからだ。そこでマーケターはコアなファンをその他大勢のファンより一段上に位置づけることを試みる。「裏技」などの仕組によりコアなファンの差別化を図ったのである。これによって実力に勝るコアなファンは自己満足を維持でき、残りのファンは彼らのようになろうと努める。ケースには書かれていないが、日本市場においてこの方法論はもっとはっきりしていた。任天堂とはそもそも関わりのなかったトランセル種市氏というポケモン・フリークをポケモン・エキスパートとして暗に認め、彼をヒエラルキーのトップに据えたのである。また任天堂はポケモン・リーグという大会を主催し、その優勝者のデータを商品に組み込んで、優勝者とバーチャルに争わせるという企画も実行した。

(つづく)

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