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口車大王「旅のおもひで」

 
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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-03-12 [英國]Russel Hotel - Le Meridianは野村グループ
2003-03-12 [英國]Thai Restaurant 「山」
2003-03-11 [英國]Pub The Ship Anson
2003-03-10 [英國]港内クルーズ
2003-03-09 [英國]教育というもの
2003-03-07 [英國]産業革命の証人、戦艦Warrior号
2003-03-06 [英國]驚き!戦艦Victory号とネルソン提督
2003-03-06 [英國]Portsmouth Historic Dockyard
2003-03-04 [英國]そして事件は起きた
2003-02-27 [英国]South Seaを散歩する


2003-03-12 [英國]Russel Hotel - Le Meridianは野村グループ


 9月16日

 ロンドンに向かって10時過ぎに出発。ホテルのご家族全員で見送りです。ここのホテルはまた泊まってみたい。

 ロンドンからポーツマスへはアンバレーに寄るため一般道を来ましたが、帰りはモーターウェイM27をいったん西へサウザンプトンまで行き、そこからM3を北上。サウザンプトンはタイタニックが処女航海へと出発した港です。

 M3経由だとちょっと遠回りなのですが、M27とM3のジャンクションまで出発してから20分ほどで到着。M3に入って快調に飛ばします。ロンドンから西へ向かうM4は単調な道なのですが、M3は変化のある道です。気が付いたらポルシェに追いついている。ポルシェに道を譲ってもらいました。メーターは100キロを指しています。ん?イギリスだからマイル?

 M3の終点でそのままA316を進み、テムズ川を渡ります。もうロンドン市内に入っていて都心(バッキンガム宮殿?)から15キロほどのところなのですが、テムズ川の川幅が驚くほど狭い。ロンドンの西のはずれで一気に川幅が狭くなっているようです。ここまでは1時間少々で着いてしまいました。

 A316はA4と合流し、Hummersmith、South Kensingtonと街中を走り抜け、Knightsbridgeのハロッズの前を通過します。ここら辺りまでは渋滞もなく順調に来たのですが、そろそろ車の流れが渋くなります。Piccadilly Circusの辺りでは全く動きません。おっと道を右へひとつ間違えてしまいました。その先は一方通行の嵐。この辺は東京と変わりません。Sohoのど真ん中を走り抜けて、なんとか軌道修正したけれど、今度は西へ寄り過ぎ。ロンドン大学の裏手から走り抜けて、なんとか目的地のRussele Squareに到着。やれやれ。M3を降りてから、1時間もかかってしまいました。

 ロンドンの宿泊先のRussele HotelはこのRussele Squareに面していて、真向かいはロンドン大学です。そしてそのちょっと奥に大英博物館があります。外観は夕方撮ったので黄昏れていますが、風格のあるホテルです。このホテルは元々Principal Hotelsというグループの所有でしたが、Principal Hotelsを2001年に野村アセットマネジメントが買収し、続いてLe Meridianを買収してLe Meridianに統合しました。そして、現在Le Meridianのブランドでホテルを改装中で、改装前の古い設備の部屋をディスカウントで提供していました。

 ロンドンのホテルは外観はすごいけれど、高くてぼろいというので有名ですが、このRussel Hotelもまさにそういうホテルだったようです。今回ディスカウントで泊まった部屋の設備は、正直言って高級ホテルの設備とはほど遠いもの。他の人たちの改装後の部屋も覗いてみましたが、格段に良くなっています。

 それにしても、Le Meridianが野村の傘下だとは知らなかった。

 つづく
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レイさま、過去形ってこともないでしょ。ちなみに、ロンドンはほんとに高くてぼろかった。それで高級ホテルはだいぶ敬遠されたようで、野村がPrincipal Groupを買収したように、経営はよろしくなかったようです。悪循環なんでしょうね。だから、最近はディスカウントがすごくて、やっと1万円そこそこで泊まれるようになりました。インターネットでのホテル予約は、ロンドンが一番競争激烈ですね。 / 口車大王2号 ( 2003-03-13 22:48 )
ロンドンのホテルってこういう一流と言われるところはほんとに高い!でも近代的ではないし・・・そこがいいのかと思いつつもいつも安宿ばっかりでした^^;一度はトライしてみたかったなぁ。高級ホテルではアフタヌーン・ティーするのがせいぜいでした。 / レイ ( 2003-03-13 19:32 )

2003-03-12 [英國]Thai Restaurant 「山」


 この日の夕食は、South SeaのSouth Pierのすぐそばの、海岸に面したタイ料理屋さん。看板が「山」の文字なので日本料理屋かと思ったら、タイ料理屋でした。ウェイトレスのお姉さんに由来を聞いたら、オーナーがつけたそうで彼女もしらないそうです。中国系のタイ人でなかったらわかるわけないですね。

 店内はモダンな造りで、いわゆる伝統的なタイの装飾では全くありません。そういう、モダンな感じを狙ったのでしょう。お客も、近所の割と若い人たちが多いようで、最先端のスポットとして定着させようという、経営者の意図が見えます。

 90年代に入ってイギリスでもタイ料理が大ブレークしたのですが、South Seaにもタイ料理屋があるのは驚きです。日本料理屋はないですから。

 それにしても、ウェイトレスのおねえさん、英語がうまかった。イギリスに10年いるそうです。

 つづく
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2003-03-11 [英國]Pub The Ship Anson


 Historic Dockyardを後にし、Dockyard目の前のPub The Ship Ansonに行きます。Ansonとは、第一次大戦時に建造されたAdomiral級の戦艦の1隻の名前です。

 名前もそうですが、場所柄海軍ゆかりのパブで歴史もあるのですが、ご他聞に漏れず、ここも大型のテレビが据えられていて、サッカーのゲームをがんがん流しています。小説家Nさん「いいパブがある!」と言っていたのですが、ちょっとがっくり。

 つづく
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しんちゃんどの、まあ、今やイギリスのパブにもカラオケがあるくらいですからねぇ。ただ、静かに飲みたいときはうっとうしい。つい最近、四谷駅から徒歩5分のところにRising Sunという、ナイスなパブを見つけました。ギネスが生でないのがちっと悲しいが。 / 口車大王2号 ( 2003-03-12 18:05 )
上海にいるイングランドの人たちも週末はパブでサッカーを見るのが好きだといいます。僕的には部屋でこっそりと見るのが好きなんですが。「オマリーズ」つう三年連続で上海ベストパブに選ばれたところは年齢層も高めでいい感じです^^でも高い・・・・。 / しんちゃん ( 2003-03-12 14:58 )

2003-03-10 [英國]港内クルーズ


 昼食をとってから、港内クルーズの観光船に乗ってみます。船着き場はWarrior号の隣。船は出航するとすぐに右に曲がり、Victory号を遠めに見ながら進んでいきます。やがて、護衛艦または駆逐艦のような船が見えてきます。我々の船の左舷を、ノルマンディ行きのフェリーがすれ違っていきます。ここは軍港でありながら、こういう民間船も発着しているわけです。

 右手奥に砕氷船とおぼしき船を眺めていると、前方に空母が視野に入ってきます。空母が入港していたのは、ラッキーかもしれません。イギリスの艦載機は、垂直離着陸機のハリアーが中心のせいか、飛行甲板の形状がアメリカ海軍のものと異なっており、舳先が上にそり上がっています。船内の説明でも、「アメリカのより効率がいいんだぁ。」なんてことを言っていて、その瞬間、見学者が「ウォー!」と腕を突き上げて盛り上がっていました。空母の横を通ると、写真では分からないのですが、乗務員が釣りをやっていました。そして、遊覧船に向かって手を振ってくれています。

 船は、反転して戻り始めます。軍港の反対側はヨットハーバーになっていて、風景は一変します。別のフェリーが出航していくのも見えます。

 そして、出発地点へ戻ってきたのですが、スウェーデンの帆船が入港しているのが見えました。Historic Dockyardとはいえ現役の軍港なので、こんなところに停泊しているのも驚きです。スウェーデン海軍署風の船なのでしょうか。そして、Warrior号の後ろを回り込んで、出発した桟橋に戻ります。Victory号の船尾の旗は白地でしたが、Warrior号は赤くなっています。これは、軍籍がなくなった船か、その他の船であることを示しています。

 つづく
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Portsmouth Historic Dockyardについて、詳しくはこちら。 / 口車大王2号 ( 2003-03-13 19:27 )

2003-03-09 [英國]教育というもの


 Warrior号を見学してから、構内のカフェテリアで昼食。隣で顔を迷彩色で塗った小学生の集団が昼食を取っていました。そのうちの一人が誕生日で、特別に作ってもらったケーキでお祝い。

 さて、この子供たちを見て考えさせられてしまいました。

 この海軍工廠には、ヘンリー8世の時代の軍艦から、Victory号、Warrior号と展示され、さらに現在の軍艦を港内で見ることができます。こういう施設を見学することによって、小学生のうちからイギリスという国に対する帰属意識が養われ、国を守るということはどういうことか、意識の底に植え付けられます。

 日本で、同じようなことをやったらどうなるでしょうか。必ずどこかから、異を唱える声が出てくるでしょう。こういう施設を見学することと軍国主義につながるということは、全く別の次元の話なのですが、そういうことが理解されないのが日本の現実でもあります。軍艦など軍備を見せ、なぜこういうものが必要なのか、できることなら使わずに済むにはどうするべきなのか、そこをきちんと教えなければいけない。しかし、異を唱える人たちの頭の中には、隠すことしかありません。隠すということは知らないでいることになり、それは自分さえよければ良いという考え方につながっていくものです。

 一番下の写真は、士官クラブ。ここは士官クラスの軍人の社交場でもあります。今の自衛隊にも、このような施設はあるのでしょうか。

 つづく
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しんちゃんどの、こういう話しになるとすぐ右翼だとかなり、ちゃんと説明しない、すなわち教育しないと言うのは大問題なんですね。もっとも、こういう話しになるとちょっとご遠慮したいと言うわけのわかんないのがいることも事実なんですけれど。あ、それは右も左もいますね。例えば、年間の軍事費、中華人民共和国より日本の方が多いなんて言うこと知られていないし、10年くらい前だと、東京都の年間の予算と中華人民共和国の年間の予算が等しかったのです。 / 口車大王2号 ( 2003-03-12 18:03 )
たしかにその辺への話になると日本人の大人の人たちは教えてくれませんが。僕チンは右側の人ではないのですが「知りたいと思う」ことは自然なことだと思うしそれについての教育もすこし考え直してもらいたいものです。 / しんちゃん ( 2003-03-12 15:00 )

2003-03-07 [英國]産業革命の証人、戦艦Warrior号


 Victory号の見学に続いて、戦艦Warrior号を見学。

 この船は1860年の竣工で、Victory号が純粋に帆船だったのに対し、蒸気機関を持つ蒸気帆船です。

 Victory号がトラファルガ海戦で勝利を収めてから約50年後、この船は竣工するわけですが、Victory号と比べると、驚くほど近代化しています。まず、船体が金属製になったこと、天井が高く居住空間が格段に快適になったことなどです。もちろん蒸気機関がついています。

 この船はヴィクトリア女王の時代建造されており、それはまさに産業革命のど真ん中でした。産業革命がなぜ「革命」と言われるのか、こうして産業革命以前の軍艦とその時代の軍艦を比べると、はっきりとわかります。この時代に建造された貴重な軍艦として、Warrior号は保存されています。

 しかし、この船は不運な船でした。技術的に中途半端な船だったのです。この船が建造されてから10年後には、軍艦は帆船でなくなり、エンジンのみで動くようになりました。すなわち、あっという間に時代遅れになってしまったのです。

 その後、Warrior号は軍籍から抜かれ、民間に払い下げられます。そして、油層船として使われたり、浮き桟橋として使われたりして、ぼろぼろになっていました。しかし、奇跡的に解体されず、ずっと現代まで残ったのです。そして、Warrior号の歴史的意義を認めた保護団体が復元作業にかかり、1990年代に入ってかつての姿が蘇り、現在の場所で繋留されて展示されています。

 つづく
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しんちゃんどの、産業革命が起きるまでの変化は、それはゆっくりとしたものでした。産業革命以後の技術の進展は、すさまじいものがあります。この10年を見ても、10年前にインターネットなんてごく一部の研究者のためのものでしかなかったし、WWWなんてものもなかった。携帯電話をだれもが持つようになるなんて想像もできなかったし、さらに電話で写真を送るなんてことも考えられなかった。 / 口車大王2号 ( 2003-03-09 21:07 )
当時の50年と現代の50年ではいろいろと違うものがあるのでしょうね。あと50年後にはどうなっているんだろう、いろいろと。。 / しんちゃん ( 2003-03-08 19:08 )

2003-03-06 [英國]驚き!戦艦Victory号とネルソン提督


 Portsmouth Historic Dockyardの展示で目玉の一つは、戦艦Victory号です。

 戦艦Victory号は、1805年10月21日、ジブラルタル海峡北西のトラファルガ(Trafalgar)岬沖において、イギリス艦隊とフランス・スペイン連合艦隊との間で行われたトラファルガー海戦で、旗艦でした。この海戦でイギリス海軍は決定的な勝利を収め、結果としてナポレオン1世の英本土上陸攻撃を阻止し、現在に至るも、ジブラルタルがイギリス領となりました。ナポレオン1世の凋落のきっかけともなった海戦です。

 イギリス艦には損害がありませんでしたが、ネルソン提督は勝利を目前にしてフランス兵に狙撃され、戦死しました。

 歴史上有名な海戦で、歴史の授業でも習いましたが、実際に約200年前の戦艦が目の前にあるというのは、感慨深いものがあります。しかも、驚いたことに、船尾にイギリス海軍の旗が翻っているのが見えますが、白地の旗は、この船が現役の軍艦であることを示しています。すなわち、現在はドライドックに入れられていますが、Victory号はドックに水を入れればすぐにでも出航できるように整備されています。今でもVictory号は、イギリス海軍No. 1の現役軍艦なのです。

 Victory号の内部は時間を区切って30人ずつくらいで、ガイドとともに見学できるようになっています。艦内は写真及びビデオ撮影禁止。中に入ってみてその理由はわかりました。天井が低くて、背の低い口車でも中腰でなければ歩き回れないのです。これでカメラとか構えて歩き回ったら危なくてしようがありません。

 艦内に入ってすぐ、これからのガイドの注意事項があって、その時に「英語以外の解説書必要な人いますか?」とガイドが見学者に質問します。あるわけないよなという雰囲気で小説家Nさんが、「日本語!」と言ったら、なんとなんと、日本語の説明のファイルが出てくるでありませんか。びっくりしました。一応、外の案内版にも日本語はありましたけれどね。

 実際に見てみないとわからないことって世の中多いものですが、Victory号もおどろきの連続でした。前述しましたが、とにかく天井が低い。環境劣悪なんてものではありません。

 当時の水兵は、ごろつきとか犯罪者とか、強引に徴用して使っていました。だから、ロープの鞭を使ってぶっ叩いて仕事をさせていました。ですから、士官と水兵の間には、歴然とした差がありました。今だったら考えられないですね。

 そして、面白いのはトイレの位置です。究極の水洗トイレなんですが、それは舳先の左舷にあります。写真右下の船飾りのすぐ脇ですね。

 さらに、ネルソン提督の身長。彼は168センチしかありませんでした。士官のベッドは箱形で、それはイコール棺桶にもなっていました。戦死すると、ベッドを棺桶にするのですね。そして、彼が狙撃されて戦死したときの年齢は、なんと47歳でした。もっとずっと年行っていたのかと思っていたのすが、大変驚きました。

 だいたい、今でもこの船が現役であると言うことが、最大の驚きです。

 つづく
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tomohikoさま、しかもですね、軍籍はまだ現役の船なんですね。それが驚きです。ここでは、ヘンリー8世の時代の軍艦、ヴィクトリア女王の時代、すなわち産業革命の頃の軍艦と見ることができ、軍艦、すなわち工業技術のの時代の変遷を知ることができます。 / 口車大王2号 ( 2003-03-07 13:48 )
200年前の船が今でもきちんとメンテナンスされているなんて驚きです。大切にしているのでしょうね。素敵なことです。 / tomohiko ( 2003-03-07 02:02 )

2003-03-06 [英國]Portsmouth Historic Dockyard


 9月15日

 Portsmouth Historic Dockyardを訪問します。Dockyardとは海軍工廠のことで、historicと言っても、海軍工廠として現在も使われています。その一部が海軍ゆかりの軍艦や記念物の展示場になっていて、軍港内を遊覧船で見てまわれるようにもなっています。

 写真ではそんなに人がいるようには見えませんが、平日だというのに、結構観光客が来ていました。この日は、日本人は我々以外に一人しか見かけませんでしたが、案内表示に日本語があるので、かなり訪問しているようです。

 引退した水兵さんが、ロープワークを実演していました。話をすると、かつて軍人であったことを誇りとしていることが、ひしひしと伝わってきます。祖父の軍服姿の写真を見せたのですが、しみじみと見入っていました。

 この元水兵さんの説明によると、右下の絵は、海軍刑務所に終身刑で服役した服役囚が描いたものだそうです。

 定かではないのですが、祖父もここを訪れた可能性があるのかと思うと、感慨深いものがあります。

 つづく
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2003-03-04 [英國]そして事件は起きた


 この日(9月14日)、夕食はホテルから海岸線とは反対側の、South Seaのメインストリートにある中華料理屋に決定。ホテルの電話帳でレストランを探し出して、予約をします。土地勘がないので、電話帳についている地図とにらめっこしながらレストランを選定。結構時間がかかりました。たどり着いてみれば、正解、正解。ホテルから歩いて5分の距離。

 さて、レストランに入ると、なんというか、貸し切りでパーティーをやっているのではないかというやかましさ。気がつけば、我々が通されたテーブルの隣で、バチュラーパーティー女性版をやっているではありませんか。

 バチュラーパーティーとは、言わば結婚前夜祭であり、独身最後の夜をどんちゃん騒ぎしようというもの。これは男性だけかと思ったら、女性もやるんですね。小説家Nさんに聞いたら、女性の場合はバチュレット・パーティーというのだそうな。料理を待っている間、我々は隣のテーブルのどんちゃん騒ぎを、唖然としながら見ておりました。

 料理ですが、日本の横浜中華街で食べるくらいの料理と言うところですか。すなわち、可もなく不可もなくと言うところ。その昔、南イングランドのもっと西の田舎町で食べた中華料理が、それはそれはまずかったことを思うと、たいしたものではあります。日本料理もそうですが、中華料理の食材も、昔と思うとはるかに入手しやすくなっています。

 食事を終わって、小説家Nさんと口車は、ほろ酔い気分で、通りの斜め向かいのパブへ向かいます。そしたら、なんと、先ほどのパーティーの一行がいるではありませんか。彼女たちもここで二次会。酒飲みのパターンは、万国共通性別に関係ありませんな。

 そして、ごきげんになってホテルに帰ってきて事件は起きます。

 あれ?部屋の鍵がない!そうです。部屋を出る時に持って出るのを忘れてしまったのです。

 高級ホテルならいざ知らず、ここは言わば民宿です。入り口は真っ暗で、宿の人たちはすでにお休み。呼び出しのベルを鳴らしてみます。しかし、だれも起きてこない。まだ夜の11時だというのに。10回鳴らしてみても、だれも起きてこない。ついにあきらめ、入り口のすぐ脇の共通スペースの居間のソファにごろっとよこになります。

 早朝、人の気配で目が覚めます。気がつくと、目の前にご高齢の女性が座っていらっしゃる。そこで、「鍵を閉じ込めてしまって、部屋に入れなかったんですよね。」と説明します。ご老人は、「あら、そうなの。大変だったわね。私は、アメリカの姪に電話するので待っているの。」と静かに返してきます。時刻は6時過ぎ、そこに宿のご主人が起きてきたので、ようやく鍵をもらい、部屋に入ります。

 話はここで終わったと思ったのでした。

 さらに翌日、朝食で食堂に行くと、例のご老人がいらっしゃる。そして、口車の姿を見つけるや、満面の笑みを浮かべて、「あらあら、この人よ!鍵がなくて部屋に入れなかったの!」と、給仕をしている宿の奥様に話しています。奥様は、「あらー、ベル鳴らしてくれなかったの?」と聞くので、「あう、10回も鳴らしましたよ!」と言ったら、手で顔を隠していました。

 ご老人にとって、非日常的な楽しい話題を提供してしまったようです。

 つづく
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雅(みやび)さま、だいじょぶだったざんす。9月で良かった。 / 口車大王2号 ( 2003-03-06 03:26 )
ソファで風邪ひかなかった? / 雅(みやび) ( 2003-03-06 01:07 )
tomohikoさま、タイトルは、ちょっと狙ってみました。はっはっは。ま、かつて こういう目 に遭っていますから、これくらい、事件でもなんでもないんですけれどね。しかし、いっしょに小説家Nさんがいて良かった。ホテルには入れましたから。 / 口車大王2号 ( 2003-03-05 23:04 )
しんちゃんどの、そりゃ世界中にチェーンを持っている国際級のホテルだったら至れり尽くせりかもしれませんが、どこの国言っても基本的に一緒。だから、こういう民宿の方が楽しかったりするわけです。安いしね。地図は、必ず手に入れるようにしますね。地図持っているだけで、旅の楽しみがめちゃくちゃ広がります。 / 口車大王2号 ( 2003-03-05 22:49 )
タイトルを見てものすごく緊張しましたが何事もなくて安心しました。私は中国でヤサぐれた事があり、たまたま知り合いがいたホテルを知っていたので夜中にたたきおこして泊めてもらったヒヤヒヤな一日を思い出しました。 / tomohiko ( 2003-03-05 00:53 )
そうですよね民宿クラスになるとそういうあたりのサービスに問題がありますよね。でもアットホームな雰囲気が出ていてよい場合もありますし、悩みどころですね。ところで僕は旅行の目的地につくと地図を買うのですが(誰でもかな)その地図たち旅行が終わってしばらく時間がたってから眺めるものいいもんですよね^^ / しんちゃん ( 2003-03-04 20:09 )

2003-02-27 [英国]South Seaを散歩する


 ホテルでチェックインをして荷物を置き、落ち着いたところで散歩に出てみました。

 ホテルを出てすぐ公園があり、池があります。時間は午後6時半過ぎ、子供たちはまだ遊んでおり、空をゆったりと雲が流れていきます。これが1か月前だとこの辺りも観光客が多かったのでしょうが、今は9月、地元の人の日常の時間に戻っています。

 公園を突き抜けると、そこはもう海岸線。南イングランドの海岸沿いでは、今回訪れたポーツマス/サウスシーの東にあるブライトンがロンドン近郊の避暑地として有名ですが、この辺りも同じような風景が続いています。

 海岸に面してホテルなどの建物が続き、海岸線には桟橋が構築されてその上に歓楽施設が建つ南イングランドの典型的な原風景は、ビクトリア王朝時代に形作られました。日本で言えば、熱海や有馬温泉といった風情ですか。

 海岸沿いの売店はフィッシュアンドチップスの店だけが開いていました。思わず買いそうになったのですが、これから夕食、思いとどまりました。桟橋を歩いて回りましたが、人気はなくうらぶれた感じ。こういう、けだるい感じもいいものです。

 もちろんシーズン中の観光地も良いですが、季節外れの観光地も別の楽しみがあります。

 つづく
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南イングランドの一帯は、長期滞在形のリゾートです。ですから、安くて居心地の良い、気の利いたホテルや民宿がいっぱいあります。 / 口車大王2号 ( 2003-03-04 04:22 )
「けだるい感じもいいものです」というとこに共感です^^僕の旅行は一ヶ所長時間滞在系なもので。 / しんちゃん@今夏こそはウイグルに♪ ( 2003-03-03 19:25 )

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