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口車大王「旅のおもひで」

 
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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-09-10 [蘭国]ただ今アムステルダム・スキポール空港におります
2002-08-22 [波蘭]フレデリック・ショパン
2002-08-04 [昔話]口車父,初めての海外旅行−口車画像付
2002-08-03 [会津]街道を行く その2
2002-08-03 [会津]街道を行く その1
2002-07-30 [会津]強清水の千本蕎麦
2002-07-29 [会津]梅雨の晴れ間の青空
2002-07-22 [大阪]ディープサウス−食い倒れ 朝から焼き鳥で一杯
2002-07-21 [大阪]ディープサウス−通天閣と猫
2002-07-20 [大阪]ディープサウス−阪堺電軌 世界の車窓から


2002-09-10 [蘭国]ただ今アムステルダム・スキポール空港におります


 9月10日の10時25分、定刻に成田を出発したKLM862便で、ただ今アムステルダム空港に到着しております。現地時間午後3時。定刻より1時間も早くついてしまった。ただ今マルタ行き20時25分発KM395便を待っておりまする。あう、まだ5時間以上ある。

 それにしても、無線LANは便利です。スキポール空港は昨年からインターネットアクセスが出来るようになったのだが、無線LANも使える。つながるかどうか確認したら感度有り。しかし、ちゃんとプロテクトはかかっていました。コミュニケーションセンターでアクセスコードを購入せよとな。24時間使用できて9.8ユーロなんで、ちょっと高いけれど(1ユーロ150円)、まあ仕事のメールとか旅先でも読めるので、口車のような立場だとほんと助かります。無線だから、適当な場所で作業できるし。さすがに日本人の利用は少ないようで、user idあっさり自分の名字で登録できてしまいました。これで今後スキポール空港ではこのuser idで使えるでしょう。

 画像をアップしようと思ったら、メモリカードのアダプタを預けてしまった。。。間抜けだ!ということで、後日画像はアップします。

 つづく

先頭 表紙

gewbieさま、まだちょっと高いですけれど、ほんと便利です。電源さえなんとかなれば、近くのカフェでビール飲みながらでもできますからね。 / 口車大王2号 ( 2002-09-22 23:13 )
どこでも無線LANができる環境が増えるとといいですね。 / gewbie ( 2002-09-22 08:47 )
なみまるさま、そうですスキポールは進化しています。スシバーもできたし。 / 口車大王2号 ( 2002-09-20 03:29 )
peachさま、御愛読ありがとうございます。今回の旅行は、濃かったです。 / 口車大王2号 ( 2002-09-20 03:28 )
でじかめさま、あってもよさそうですな。ただ今、スキポール空港が世界の最先端ではないかと思います。 / 口車大王2号 ( 2002-09-20 03:27 )
八百八六助さま、そういや球根屋あったな。八百八六助さまもKLMですか。ちなみに、KLMはRoyal Duch Airlinesのオランダ語の頭文字です。 / 口車大王2号 ( 2002-09-20 03:26 )
あ、ちなみにこのアクセスコードは24時間のみ有効ですからね。念のため。 / 口車大王2号 ( 2002-09-20 03:19 )
っちゅうことで、画像です。 / 口車大王2号 ( 2002-09-20 03:18 )
皆さま、昨日帰ってまいりました。結局、帰ってくるまでアクセスできませんでしたな。 / 口車大王2号 ( 2002-09-20 03:09 )
おぉ!懐かしのスキポール!1997以来行ってませんが、今や無線LANとは…時代もありますが、進化する空港ですね。Bon Voyage! / なみまる ( 2002-09-15 00:04 )
口車大王様らしい日記!!私の中で口車大王様は旅人な感じなのです。。あ〜懐かしきひまじん日記を初めて覗いた頃の事。。右肩で紹介されていた頃を思い出しますわ!画像のアップも日記と共に楽しみにしています。 / peach ( 2002-09-14 10:09 )
お久しぶりです!へ〜便利ですね。上海にもできないかなぁ(笑) 画像お待ちしてます♪ / でじかめ ( 2002-09-14 00:56 )
向かい側はチューリップの球根屋ですね(球根食うなって).先月行きました. / 八百八六助 ( 2002-09-13 23:44 )
シュガーサマ、ど真ん中に寿司バーがあります。 / 口車大王2号 ( 2002-09-11 01:19 )
はじめまして。スキポール空港にいるんですね!私もいつかいってみたい・・。スキポール空港はおいしそうな手軽な食事はありますか?どうもヨーロッパ料理は苦手なもんで・・。 / シュガー ( 2002-09-10 23:52 )
しまった、夏時間設定されていなかった。ただ今午後4時12分でしゅ。 / 口車大王2号 ( 2002-09-10 23:12 )

2002-08-22 [波蘭]フレデリック・ショパン


 ポーランドが生んだ偉大な音楽家と言えば,フレデリック・ショパンでしょう。映画シャインでも,主人公の父親がポーランド出身ということもあり,たびたびショパンの曲が登場します。その甘美な曲想は,女性的なやさしさを表しているようにも聞こえます。

 しかし,ポーランドに行ってショパンの曲の後ろにあるものを知ったとき,その音楽に対する感じ方はまるっきり変わってきます。決して,甘美で甘ったるいだけの音楽ではない。

 夏の間9月末まで,ショパンの生家のワルシャワ郊外のZelazowa Wola(ジェラゾヴァ・ヴォーラ:写真右上)とワルシャワ市内のワジェンキ公園で,屋外コンサートが行われます。ワジェンキ公園にはショパンの銅像があって,その前にピアノを置き,そこでコンサートが行われます。

 このいずれかでショパンの曲を聴いていると,ショパンが生きた時代の彼の祖国への熱い思いが,ひしひしと伝わってきます。ポーランドでショパンの曲を聴くと,こうも印象が変わるものでしょうか。

 ショパンが生きた19世紀,ポーランドはロシア,プロイセン,オーストリアの3国に分割され,国自体が存在しませんでした。当然,祖国独立の民族運動はあり,武装蜂起なども起きていました。ショパンは,このような祖国独立の活動家でもあり,結局祖国にいられなくなり,人生の最後は父親の故郷であるフランスで過ごします。彼は39歳で亡くなりますが,ついにポーランドに帰ることはなかったのです。

 ショパンの音楽は,こういう,強烈な祖国ポーランドへの思いから出てきています。ですから,ショパンの音楽の根底にはたっぷりポーランドの民族音楽が含まれている。ポーランド人からショパンが愛される,大きな理由でもあります。


 さて,口車はワルシャワから約100キロ離れた町におりましたが,ワジェンキ公園でのコンサートは無料で聴けることもあり,夏の間は毎週のようにワルシャワまでバスに2時間乗って出かけていました。そうすると,仕事場では何と言われたか。

 「あいつは,ワルシャワに女がいるから毎週出かけるんだ。」

ですと。それも,ポーランド人ではなくて日本人の,同じ会社の人間からです。

 全く,自分たちの行動パターンの範囲でしかものを考えられず,「女」しか頭にない。こういう,教養のない人間達と仕事をしていたわけですから,ストレスもたまるというものです。

先頭 表紙

gewbieさま、ありがとうございます。例えば、シベリウスなんていう作曲家の曲も政治的メッセージ性が強くて、彼の曲にカレリア組曲なんていう曲があります。このカレリアというのはフィンランドの一地方だったんですが、第二次大戦時に旧ソ連にその一部を割譲されてしまったりしています。組曲ははるかその前の1983年に作曲されていますが、スウェーデンとロシアの間で揺れ動いたフィンランド人の心の故郷であるカレリアをテーマにしており、フィンランド人の心をゆさぶるものであることは間違いありません。 / 口車大王2号 ( 2002-09-22 23:12 )
音楽はその背景とか積み重ねられてきた歴史、背景を意識的の学ぶことでより深い表現ができてくるものだと信じています。口車さんのお考えには共鳴するところが大きいです。 / gewbie ( 2002-09-22 08:44 )
口車,世界的ヒットとなったタイタニック,未だに見たこともありません。これからも,積極的に見る気も起きません。どう考えたって設定に無理があるからで,きっと楽しめないと思うからです。この映画も,遭難した関係者が見たら,嫌悪感を覚えるかもしれませんね。 / 口車大王2号 ( 2002-08-25 18:52 )
reiさま,もちろん映画の好き嫌いで演奏家としての善し悪しが判断できるわけではありません。ただし,日本人なのかと書いたのは,日本人の場合,実力もないのに自分の狭小な価値観で他人のことをけちつける集団が存在するからなのです。自分の境遇に近いところでの映画,反発を感じることは当然あるでしょうね。 / 口車大王2号 ( 2002-08-25 18:50 )
×なたみ◎ねたみ (笑) / rei ( 2002-08-25 05:59 )
[続き]それから彼らは演奏をうんぬん言っていたのではなく、映画のストーリー自体を不快に感じたんだと思いますよ。それは厳しい世界で生きている彼らなりの意見であって、同じ世界に住んでいない私には分らない。くそみそに言っただけ、反感でも強く感じる事はあったのでしょうね。でも、映画ってそういう事があるから面白い。なたみとか、嫉妬とか関係なく、一つの映画の話で盛り上がる。こっちではよくある事です。ただ私に分るのは、彼らの演奏は聴衆の一人としての私には大きな感動を与えてくれた、という事です。 / rei ( 2002-08-25 05:58 )
口車さん、みんなアメリカ人でしたよ。個人的には映画の好き嫌いでは演奏家の善し悪しは分らないと思います。ずっと前の話なので鮮明には覚えてはいませんし、映画自体も詳しくは覚えていないのですが、サブジェクトが自分の人生に近い程、共感や嫌悪感も大きくなるのではないでしょうか。 / rei ( 2002-08-25 05:45 )
お祝コメントありがとございマウス。ショパンと言えば、昔小林麻美が唄ってた「雨音は、ショパンのしらべ」?を思い出してしまいました。今日で23才のはずなのに、えらい昔の唄を・・・。 / 千坂。 ( 2002-08-24 22:33 )
夢樂堂さま,こういう,想像力のない連中を相手にしなければならないのは,つらいです。利害関係がないと良いんですが,利害がからむとたまらんです。 / 口車大王2号 ( 2002-08-24 11:26 )
夢樂堂も全国に女がいるから旅をしているのだといわれました。そんなわけないよね。 / 夢樂堂 ( 2002-08-23 21:20 )
まあ,要するに,ねたみもあると思います。 / 口車大王2号 ( 2002-08-23 19:39 )
しかしながら,解説によるとあの映画での実際の演奏のほとんどは,モデルになった実在のピアニスト自身が弾いているそうです。私は,その演奏に心打たれるものがあった。すごくストレートで素直なのです。はたして,その不快感をあらわにしている演奏家の皆さん,どれだけの数の聴衆に感動を与えているでしょうか? / 口車大王2号 ( 2002-08-23 19:38 )
reiさま,不快感をあらわにしたのは日本人ですか?アメリカ人ですか?日本人の場合だったらすごくわかるのです。日本人のクラシック音楽の愛好家とか演奏家の中には「クラシックとは,高尚なものである」というきめてかかった連中がいて,そこからはずれると下賎なものなのです。彼らにはただ今ロンドンのロイヤルアルバートホールで開催されているプロムナード・コンサートなんて言うのは,全く理解できないのです。アメリカ人の場合も,大なり小なり同じかな。あの映画,演奏以外の余計なものがいっぱい入ってますから。 / 口車大王2号 ( 2002-08-23 19:36 )
ショパンに関しては,本当に変わりました。正確に作曲者の国ではなくても,ヨーロッパで音楽を聴くと,やはり日本でしか聴いたことないのとでは印象が変わります。それで,学生時代所属していたオーケストラで,一度ポシャったのを,何にもないところから立ち上げてヨーロッパ演奏旅行を実現したことがあります。口車は行きませんでしたけれどね。その後,ほぼ4年位一度というのが定着し,最近はウィーンの楽友協会ホールなんて所でもコンサートやっています。ウィーンフィルの楽器借りられるのだから,うらやましぃ。 / 口車大王2号 ( 2002-08-23 19:32 )
作曲家の故郷でその音楽を聞く事にとても憧れています。口車さんも書かれている通り、曲に対する印象の変わり方を体験してみたいのです。ちなみに、シャインは私の周りの音楽家にはくそみそに言われて嫌われていました。私は好きでもない代わりに、どこがそこまで不快だったのかよくわかりませんでした。 / rei ( 2002-08-23 13:58 )
ちゃな坊さま,ヨーロッパの場合,芸術とキリスト教は密接です。すなわち,教会で毎週1回は音楽を聴くし歌う。そこから始まりますね。人間として幅のない人物,結局会社組織においてもだんだんスポイルされていくわけです。今で言えば,真っ先にリストラされる。当時,こういうくだらないことを言ったり口車のことをぼろくそに言っていた上司達は,結局その後社内においてどんどん隅に追いやられました。 / 口車大王2号 ( 2002-08-23 12:43 )
fukuさま,旅行会社の方が「俺は客だ」という態度で来るからきついのではないでしょうか。ショパンの音楽は,明らかにポーランド再興の象徴でしたね。 / 口車大王2号 ( 2002-08-23 12:37 )
プルーさま,ルビンシュタインですか。葬送行進曲は,ショパンの屈折した思いがいちばん込められた,ある意味ショパンの代表曲ではあります。 / 口車大王2号 ( 2002-08-23 12:30 )
そうですね,お師匠の言われること,口車も同意できます。例えば,ブラームスやドボルザークなど民族音楽に根差した作品,いっぱい残しております。 / 口車大王2号 ( 2002-08-23 12:28 )
勇者パオラさま,当時いっしょにいた日本人,余暇を楽しめる人とそうでない人とはっきりしていましたね。いっしょに行った人で,隣町がコペルニクスが生まれた町であることをちゃんと調べていて,写生に行った人もいるのです。そうかと思うと,これだけ文化が豊かな国で目も向けない。海外での工事はいわば共同生活の場でもありますから,個々人の人間性がもろに出ます。 / 口車大王2号 ( 2002-08-23 12:26 )
ヨーロッパって,子供のころから生の絵とか音楽を与えて育てるんですよね。なんかうらやましいです・・・そういう環境が。 最後の文章,お気持ちがわかるというものです。人間って結局自分の理解できる範囲内でしか物事考えられないんですよね。 / ちゃな坊 ( 2002-08-23 12:19 )
ポーランドは悲惨な歴史の国ですからね・・・。音楽はいつの時代も自己表現の場ですからね。しかし、旅行会社でも‘女’と‘ゴルフ’とにたりよったりでしたから普通の会社はなおさらでしょうね・・・。あっしも付き合いきれませんでした・・。 / fuku ( 2002-08-23 10:36 )
思わず、今日ルビンシュタインのショパン聞いてしまいました。晩年は、男装の麗人(名前失念)と一緒だったと聞きました。 ショパンいいですけど、、お葬式の曲はパスです。。 / プルー ( 2002-08-23 10:11 )
低次元のみで生きている人とつきあわねばならないのはつらいことですね。私の師匠はロマン派は民族楽派であるということを常々申しておりますが、この日記でそのことが再確認できました。ありがとうございます。 / 勇者パオラ ( 2002-08-22 20:18 )

2002-08-04 [昔話]口車父,初めての海外旅行−口車画像付


 この40年間で,あらゆる意味でインフレの激しいものは海外旅行ではないだろうか。当節は,うまくするとニューヨークやロンドンに行くのに往復10万円でおつりが来る。全く信じられない。

 そして,もうひとつ変わったのが見送りの風景である。現在,海外旅行に行くというのに,わざわざ空港まで見送りにまでいくことはどれくらいあるだろうか。

 写真は,口車父が初めて出張で海外旅行に行ったときの写真である。当時,まだ海外旅行は自由化されておらず,厳しく制限されていた。そして持ち出し外貨も1渡航500ドル,当時のレートが1ドル360円だったから18万円である。これで1か月も2か月も暮らさなければならない。観光旅行ででかけるなんてあり得なかったのである。当然,渡航者数もケタ違いに少ない。すなわち,海外渡航はきわめて珍しかった。

 珍しいものだから,口車家親戚一族郎党が羽田までかけつけ,見送りとなった。一番左端に立つのが口車父,ど真ん中のくそがきが口車である。これでも静かなほうで,周囲では横断幕があちこちにあり,万歳三唱が至る所から聞こえてくる。それが,当時の当たり前の風景だった。

 写真の看板から察するに,チェックインカウンターの前で撮影したようである。このときすでにそうなっていたか記憶にないのであるが,出発ロビーは入るとすぐに横一直線でチェックインカウンターがあり,その真ん中にエスカレータと階段があって2階の待合ロビーへと続いていた。そのエスカレータを昇っていくと,なんだかこれから未知の世界に行くようで,とてもわくわくしたものである。

 2階の待合ロビーでも確かここでも写真を撮った記憶がある。その時は口車父が真ん中に座った集合写真であったはずだ。ちょっと見つかっていないけれど。そして,ここで乗客はイミグレーションへと進み,とりあえずお別れ。しかし,当時はタラップで飛行機に乗っていたので,展望台から直接最後のお別れができた。今は搭乗ゲートから直接で快適にはなったが,風情が無くなってしまった。

 羽田空港の,このかつての出発ロビーのある場所は今は新B滑走路となり,ただの野原となってしまった。穴守稲荷の大鳥居も隅に追いやられ,時代は移ろっていく。

先頭 表紙

さにゃえもんどの、ありがとーーーー。こういう時代もあったのだよ。 / 口車大王2号 ( 2002-08-11 13:27 )
おぉぉぉ! くっちーさんかわいい〜♪ 正しい日本の家族って感じで素敵だね。 / さにゃえもん ( 2002-08-10 01:57 )
オーテマチエンヌさま,羽田の国際線出発ターミナルにはデッキがあってそこで見送りが出来ました。船旅の名残ですね。成田が出来て,そんな風情全くなくなってしまいました。 / 口車大王2号 ( 2002-08-09 18:18 )
ゆうりさま,口車が初めて長期で韓国に出張したときは,両親さっさとどっかに旅行に行っていて,自分で朝飯作って出てきましたからね。なんなんだ,この違いは! / 口車大王2号 ( 2002-08-09 18:16 )
はなさま,ぶはははははは。 / 口車大王2号 ( 2002-08-09 18:14 )
reiさま,写真はアルバムに貼ってあったものをスキャニングしたのですが,台紙もそのまま残してみました。いやー,照れるっス。 / 口車大王2号 ( 2002-08-09 18:14 )
でじかめさま,ここでも書きましたが,ラサからこの日記を読むことが出来るというのが,まさに時の流れを感じさせます。 / 口車大王2号 ( 2002-08-09 15:53 )
私も行きましたよ。叔父の長期出張のために、一族郎党・・・子供としては、飛行機が見れるので屋上(?)から見送るのがとっても楽しかった! / オーテマチエンヌ ( 2002-08-08 23:40 )
懐かしいよね〜羽田での見送りかー。。。ワタクシの叔父がJ@Lに勤務していて海外赴任があるのは当然で よく子供の頃は見送り、出迎えと華々しくやってた記憶が・・やっぱり一族総出でした(笑) / ゆうり ( 2002-08-08 22:16 )
口車様、やんちゃでお茶目なおぼっちゃんだったのねん(^^) / はな ( 2002-08-08 15:11 )
写真のふちの色に特に時の流れを感じますね。口車ぼっちゃん、やんちゃっぽくて、かわいいっすね。その後ろの男の子もかわいいです。 / rei ( 2002-08-08 12:16 )
うーん、時代というのを感じますね。ちなみにでじかめは今ラサでございます☆楽しく見させて頂いています! / でじかめ ( 2002-08-08 00:54 )
夢樂堂さま,坊っちゃん刈りっていつからなくなったのでしょね。 / 口車大王2号 ( 2002-08-07 19:22 )
まさや〜ん★復活どのも坊っちゃん刈りだったんですな。ていうか,あれしかなかったな。 / 口車大王2号 ( 2002-08-07 19:21 )
その頃はみんな坊ちゃん刈だったんだね。懐かしいね。 / 夢樂堂 ( 2002-08-07 14:59 )
懐かしい髪型の皆さんで御座るな。拙者も口車殿と同じ髪型で御座った。 / まさや〜ん★復活 ( 2002-08-06 19:35 )
fukuさま,をを,もとギョーカイの方ですか。行き先も決めずに申し込みにくるか。。。 / 口車大王2号 ( 2002-08-06 13:15 )
スマイリィさま,まさに戦争中の出征兵士の駅での壮行会状態でしたね。あと,最近見なくなったのは,お酒の瓶ぶらさげた海外渡航者。で,ぎりぎり八幡野ということは,スーパー長屋の方ですな。 / 口車大王2号 ( 2002-08-06 13:14 )
akemi様,こうして振り返ってみるとこの10年間で急速にいろいろなものがなくなったような気がする。 / 口車大王2号 ( 2002-08-06 13:06 )
いまや行き先も決めずに申し込みに来ますからねー。元旅行会社社員より・・・。 / fuku@はじめまして ( 2002-08-05 15:20 )
万歳三唱とは…まるで戦地に赴く兵隊さんみたいですなw 最寄駅は城ヶ崎ですが、住所はギリギリ八幡野なんすよ。 / スマイリィ@初めまして ( 2002-08-05 00:58 )
あら、、ほんとに負けん気強そうなおぼっちゃまですこと。  時代を感じさせるスナップですね^^ / akemi ( 2002-08-04 16:11 )

2002-08-03 [会津]街道を行く その2


 会津若松から宇都宮に抜ける会津西街道国道121号線沿いに,大内宿があります。ここは瓦葺きやトタン葺きにした家を茅葺きに戻し,集落の中の道も舗装を歯がしてしまって,江戸時代の雰囲気を復元した集落です。

 大内宿は明治初頭まで駅,すなわち馬の乗り継ぎで繁盛していたのですが,明治初期にバイパス(現在の国道121号線の原形)ができてしまい,衰退してしまいました。そこで,関東一円に茅葺き職人として出稼ぎで収入を得ていましたが,茅葺きの家も減り,昭和40年代には集落も衰退しかけます。ところが,昭和50年代に入って古い町並みに対する日本の社会の評価が変わり,街道からはずれてしまっておいてきぼりを食ったことが幸いし,江戸時代の町並みがほとんどそっくり残った大内宿は,一躍観光資源を手にすることになります。

 集落を歩いてみると,今や有名な観光地ですから表面的には俗化しています。しかし,それも集落の人たちが食っていくためには仕方ないでしょう。考えてみれば,かつて宿場町として栄えたときもこんな雰囲気だったかもしれません。でも,感心するのは彼らは魂まで売っていないということです。お店の人と仲よくなるとみなさん純朴ですし,集落の入口のおじいさんとおばあさんなんか,商売っ気なんてありはしません。

 観光地とはどうあるべきか,非常に良いお手本でしょう。

先頭 表紙

そうそう,野岩鉄道が開通して東武鉄道とJR会津線がつながり,その後会津線が第三セクターになって会津田島まで電化し,浅草から会津田島まで乗り換えなしで行けるようになったことが大きいですね。観光地化してしまいましたけれど,土地の人は十分素朴です。しかし,自分たちが住んでいるところが観光地というのも,結構つらいだろうなぁ。 / 口車大王2号 ( 2002-08-03 21:43 )
15年ぐらい前に行きました.会津鉄道が開通したとき.最近は観光地化されているんですね. / 八百八六助 ( 2002-08-03 18:35 )

2002-08-03 [会津]街道を行く その1


 会津は,街道筋に江戸時代からの町並みが残っているところがたくさんあります。国道294号線茨城街道も,白河から強清水までの間に御代,福良,赤津と三つの宿場があり,かつての宿場町の雰囲気がそのまま残っています。左上の写真は猪苗代湖西岸の,原の部落で見つけたお社。茨城街道沿いです。

 残りの写真は喜多方市の西に位置する蕎麦の町山都の駅と中心街。ここも越後と喜多方を結ぶ街道沿いの宿場町で,駅周辺にはやはり当時の雰囲気が残っています。

 こんな町並みが至る所にあるのが会津です。いずれも,築後100年から200年が経過しています。知り合いの会津人の,「家は百年以上持って初めて家と言うんだ。」という言葉が,会津の人たちの家に対する思いが伝わってきます。

先頭 表紙

2002-07-30 [会津]強清水の千本蕎麦


 国道294号線茨城街道を,猪苗代湖の西岸に沿って北上していくと,国道49号線にぶつかります。この辺りを強清水(こわしみず)と呼びます。この一角に,そば屋さんが固まってあります。元祖清水屋から始まり、今回立ち寄った千本蕎麦を含め,現在は4軒あります。

 ここの蕎麦屋の名物は,にしん,するめ,納豆,まんじゅうの天ぷら。これがうまいんです。なんとも言えず素朴。そして蕎麦。会津は蕎麦の名所でもあります。今回は身欠きにしんの蕎麦を頼みましたが,酸味を聞かせなんとも形容しがたいおいしさ。にしんもするめも保存食ですが,内陸部の会津の地でも昔から食されていたようです。にしん蕎麦というと京都が有名ですが,ここ強清水もなかなかです。会津藩の最後の藩主松平容保は京都守護職として京都に赴きましたが,この関係で味の影響があったかもしれません。

強清水元祖清水屋  TEL0242(94)2008
もろはく屋菅井商店 TEL0242(94)2411
やまぐち屋     TEL0242(94)2428
千本蕎麦      TEL0242(94)2051

追記(2004.6.13)
 会津出身の方から、千本蕎麦は最も新しくできた店であるという指摘を受けました。かつて強清水のそば屋のことを教えてくれた人は千本蕎麦が古くて美味しいと言っていたのですが、間違って教えられたようです。

先頭 表紙

千本蕎麦のにしん蕎麦,ほんとーーーーに絶品です。 / 口車大王 ( 2002-07-31 23:51 )
ニシンそば、好物だったりします。食いに行きたいぞ。 / 夢樂堂 ( 2002-07-31 14:22 )

2002-07-29 [会津]梅雨の晴れ間の青空


 6月に会津まで行ってきました。え,またワールドじゃないのにって?だって,会津に行くには白河の関を通らないと行けないではありませんか。

 写真は,猪苗代湖の西岸,白河から国道4号線を左折して,国道294号線茨城街道を北上してくるとここにたどり着きます。途中の茨城街道はすばらしい景観の道で,御代,福良,赤津の3つの宿場町があります。かつては豪壮な茅葺き屋根の建物が道の両側に並んでいたのですが,さすがにほとんどが茅葺きでなくなってしまいました。ちょっと残念。それでも,築100年以上の建物はほとんどそのままです。日本の,隠れた景勝地ですね。

 それにしても,梅雨の真ん中にこの青空。林の向こう側は猪苗代湖です。

先頭 表紙

水田の緑,空の青,そしてこの構図。思わず車を止めて写真を取ってしまいました。鶴ケ岡茶寮はこちらですな。これは知らんかった。ここから西若松の駅のご近所に行くと,ラーメンのうまい店があります。 / 口車大王 ( 2002-07-30 19:59 )
会津も好きな場所、確か鶴ヶ岡茶寮という店だったと思うけれど、昼飯は最高だった。 / 夢樂堂 ( 2002-07-30 16:24 )

2002-07-22 [大阪]ディープサウス−食い倒れ 朝から焼き鳥で一杯


 写真は、道頓堀沿い、食い倒れの焼鳥屋である(真ん中奥、茶色の店)。機会があれば、立ち寄るようにしている。昨年7月もすぐ近くに宿を取ったので立ち寄れた。この写真の雰囲気から時刻がわかるであろうか。そう、朝なのである。しかも、日曜日である。この焼鳥屋、すぐ近所の場外馬券売り場が開いているときは営業しているのである。すなわち、朝の8時半から焼き鳥片手に酒が飲める。

 なんて、ナイスなお店だ!

 口車は、東京生まれの東京育ちであるが、大阪が大好きである。まあ、たまにはうっとうしいこともあるが、本音で突っ込んでくるのが心地よい。言うことに裏表がないのが良い。もちろん、いやなやつもいるが、そんなのはどこにでもいる。いや、むしろ東京の方が多いか。

 そんな大阪だから、まずはお客のことを考える。お客もシビアだからお店を選別する。そうして大阪の店は鍛えられていく。そうすると、こういう、日曜日の朝から営業する焼鳥屋なんてのが登場する。

 聞くところによると、東京にも朝からやっている焼鳥屋があるそうである。場所は下町。共通するのは飾りっけのなさである。お客に喜んでもらえて自分たちも儲かる。商売の原点である。そういう商売に対する考え方は、やはり大阪に軍配が上がる。

 そんな大阪も、最近やたら東京の、しかもいやなところを真似しようとする傾向が強い。食い倒れでも、「おおだこ」なんていう、水っぽい冷凍のタコを使ってまだ冷たいようなたこ焼きを、観光客相手に平気で出すよう店も登場している。店の作りはかっこよいが、味は三流なんて言う、東京だったらそこら中にあるような店が増えている。

 大阪は大阪。その泥臭いど根性と誠実さが魅力なのである。東京を表面的に真似して、自分たちのアイデンティティをなくすことはないではないか。

 この焼鳥屋で飲んでいると、そんな思いを忘れさせてくれる。店主と常連の心地よい競馬談義。ここは、まぎれもなく大阪である。

先頭 表紙

うちの旦那も数年前、単身赴任していた大阪を懐かしがっています。 / スーパーしえろ ( 2002-08-04 12:07 )
さにゃえもんどの,大阪はいいですよ。 / 口車大王 ( 2002-07-29 13:41 )
何だか楽しそうだなあ。 慣れてる人から教えてもらって行きたい町だね。 いいなあ大阪。 / さにゃえもん ( 2002-07-27 02:06 )
よく見たら、反対側の手前の焼鳥屋も営業中のようですな。 / 口車大王2号 ( 2002-07-22 10:41 )

2002-07-21 [大阪]ディープサウス−通天閣と猫


 阪堺電軌鉄道阪堺線の始発駅、恵美須町駅は通天閣の真下にある。まるで、大阪ディープサウスへのゲートウェイのようだ。昨年7月に、初めて訪れてみた。

 別にどこにでもある展望台ではあるが、通天閣は通天閣だけで成り立っているのではないことが、地下鉄の出口を出て新世界の通りを歩いていて良くわかる。新世界の通りは今風にきれいになってはいるが、街の醸し出す、なんとも言えない泥臭い雰囲気までは変わっていない。この泥臭さこそ、通天閣の通天閣たる所以である。だれが何と言っても通天閣なのである。

 いよいよい通天閣に登ってみる。エレベータは新しくなって最新型のものがついているが、やはり通天閣のにおいがする。なんとも言えないこの泥臭さが最高である。

 そして、通天閣と言ったら、これ、ビリケンである。もともとアメリカのものであるのに、ここまでこの通天閣の風景に合ってしまうとは。。。おそるべし、大阪である。

 さらに、もうひとつ通天閣名物を見つけた。そう、猫達である。なんとも言えない愛嬌で、お客を迎えてくれる。

 夢樂堂様、おひとついかがですか?

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よしのさま,通天閣のビリケンさんは,なんというか不思議な存在感があります。 / 口車大王2号 ( 2002-07-24 19:26 )
夢樂堂様,ビリケンはじめてみましたが,メリケン人なんですな。 / 口車大王2号 ( 2002-07-24 19:22 )
失礼・ビリケンときいて飛んできましたが、あたしのはほっぺのふくらみもかわゆい色白のQPさんみたいなオチビちゃんなんですが。目を閉じて後ろに手を組んで威張ってはいますが・ / よしの ( 2002-07-22 18:16 )
これだこれだ。家にあるはずのビリケン像、どこにあるんだ。 / 夢樂堂 ( 2002-07-22 15:54 )

2002-07-20 [大阪]ディープサウス−阪堺電軌 世界の車窓から


 昨年7月に浜寺公園まで行ったときは、南海本線ではなく、通天閣の真下の恵美須町駅から阪堺電軌鉄道阪堺線に乗って行った。終点の浜寺駅前駅まで29駅、普通の人はこんなことやらんですな。

 ひまじん日記に路面電車を登場させるのは、ストックホルムオスロに続いて、三度目である(ほら、ワールドでしょ!)。路面電車の走る街はどこも例外なく風景がやさしい。乗務員もなんとなくのんびりしているし、お客さんもあくせくしていない。

 大阪市と堺市をわける市境に大和川がある。路面電車は鉄橋への上り勾配をあえぐように駆け登り、大阪市から堺市、すなわち、ディープサウスへと突入する。同じ大阪でも、大和川を堺になんとなく雰囲気が変わるから不思議だ。

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