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口車大王「旅のおもひで」

 
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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-05-06 [Czech]プラハのホテル
2004-05-02 [Czech]プラハ中心街へ
2004-05-01 [Czech]まずは一杯!
2004-04-30 [Czech]チェコ航空
2004-04-27 [Czech]スキポール空港のスシバー
2004-04-26 [Czech]いざ、プラハへ
2004-03-08 [英國]THE LANSDOWNE CLUB − 日英同盟署名締結の場所
2004-03-08 [英國]トラファルガースクエアからピカデリーサーカスへ
2004-03-07 [英國]ロンドン漱石記念館
2003-08-29 [英國]巡洋艦ベルファスト その3 日本の技術力のすごさを知る


2004-05-06 [Czech]プラハのホテル


 今回のプラハ滞在のホテルは、 http://www.HotelsCzech.com/ というサイトを見つけ、ここで直接手配した。予約したのはPension 2000という、実際に着いてみると、ホテルといってもアパートの一室を改装した、日本で言えばウィークリーマンションのような感じである。建物の外観は古い建物であるが、内装は新しく改装されていてモダンである。台所もついているので、自分で食材を買ってきて調理することもできる。実は、ここよりさらに安い1泊3000円少々というホテルを見つけたのだが、設備の関係で6日間の宿泊はつらいという担当者のコメントでPention 2000に決めた。その安いホテルはImperial Hotelと言い、会議の間3回ほど昼食でレストランに行った。歴史的な建物でそれがために大規模な改装ができないので設備が悪いということであったが、レストランの部分は歴史的建造物だけあって天井も高くゆったりとしており、これだったらこのホテルでもよかったなと、後から思った次第である。

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チチロー様、朝食はついているし、昼と夜は結局仕事仲間と外食していたので、ほとんど使いませんでした。昔ポーランドで7か月、狭いホテルの部屋に暮らしたことがありましたが、自室に台所はありませんでした。ただ、別に会社が家を借りていて、そこの居間と台所が使えたので、交代で晩ご飯を作っていました。 / 口車大王2号 ( 2004-05-10 10:49 )
長期滞在だとキッチンが欠かせませんが、6日間だと微妙ですね。気に入ったホテルがあれば、そっちの方がいいかもしれません。前に10週間ホテル暮らしをしたことがあるんですが、そのときはキッチンつきのホテルにしたので、快適でした。炊飯器も持ち込んで。 / チチロー ( 2004-05-10 00:09 )

2004-05-02 [Czech]プラハ中心街へ


 プラハに着いたのは午後5時半過ぎ、ビールを一杯やってプラハの中心部へ行くバス乗り場にやって来たのは午後6時半、10月も半ばになると夏時間とはいえもうすっかり暗くなってしまう。

 市の中心部に向かうには、バスで地下鉄の駅まで行って乗り換えるのが一般的である。しかし、今回プラハを訪れたちょうど2か月前、プラハは市内を流れるヴルタヴァ川が氾濫し、市の中心部は大被害を被った。事前にもらった情報では地下鉄は不通のままであり、代替交通手段として路面電車とバスが運行されているということである。代替の路線番号も教えてもらっている。

 バス乗り場の案内では、100系統で地下鉄B線、119系統で地下鉄A線に乗り継ぐようになっている。今回の宿泊場所のホテルにはA線の代替の路面電車で行くのが便利である。ほどなく119系統のバスがやって来る。

 バスに乗ると、品の良い老婦人が乗ってきた。実にファッションセンスがすばらしい。歳の頃から言って第二次世界大戦中のナチスドイツの圧迫、そして戦後の旧ソ連の圧迫を受けてきた世代であることは間違いない。そのような圧迫の中でどうのようにしてこのような豊かな感性と表情を保つことができたのであろうか。思わずシャッターを向けてしまった。

 バスの車窓から見るプラハ郊外の風景は、ポーランドもそうであったが味気ない東欧圏独特の安っぽいアパートが続く。旧ソ連による圧迫のひとつの証拠である。

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2004-05-01 [Czech]まずは一杯!


 チェコはピルスナータイプのビールの発祥地であり、ビールの大変美味しい国である。そもそも、ドイツのビールもチェコから広がっていったらしい。アメリカにバドワイザーというブランドのビールがあるが、これはチェコのBudweiserというビール産地の地名を勝手に使ったものであり、チェコにもBudweiser(ブドヴァイゼル)という名前のビールがある。チェコの「本物」のBudweiserは飲んだことはないが、アメリカの偽物Budweiserよりはるかにおいしいのは間違いない。

 プラハ空港の到着ロビーに出てみると、洒落たバー(パブ)が目に入った。もちろんプラハは初めてであるが、かつてポーランドで暮らした時に共産主義国家がどんな感じであるかは実感している。洒落たバーが空港ビルの中になんかあるわけがなく、かつての灰色のプラハからの変貌を想像する。

 スーツケースをころがしながら、とにかくカウンターに座ってビールを一杯頼む。銘柄は、あとでわかったことだが、チェコで最も一般的なピルスナー・ウルケル。

 うまい!

 独特の甘味があってコクもあるのだが、重たくない。すっきりしている。ヨーロッパでは日本ほどビールを冷やさないのであるが、その温度も絶妙である。空港のような場所であまり味は期待できないのが一般的であるが、とにかくおいしい。写真のビール一杯で200円ほどだろうか。しかし、これでもまだ高いことを後で知ることになる。

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akemi様、青島はかつてドイツが租借地としていました。ここを第一次世界大戦の時に日本が分捕りました。そういうわけで、チンタオビールはドイツゆかりなのです。 / 口車大王2号 ( 2004-05-06 19:34 )
うちの近所のドイツレストランを経営しているドイツ人兄弟は、「ドイツビールでなければ、チンタオ(青島でしたっけ?)ビールがいい」って言ってました。ドイツから製造法を学んだのが、このチンタオなんだ・・・なんて話を以前彼らから聞きました。 お祝いカキコありがとうございました。(*^-^*) / akemi ( 2004-05-05 06:02 )
サマンサ様、バドワイザーはチェコが本物です。アメリカのあんなまずいビールがなぜ最大手なのか、理解に苦しみます。 / 口車大王2号 ( 2004-05-02 16:00 )
チチロー様、ヨーロッパはベルギーやアイルランドに限らずどこの国へ行っても美味しいビールがあります。イギリスの地ビールも捨てがたいし、フランスにも美味しいビールがあります。そして、ビール紀行の旅をするのだったらチェコも外せません。その最大の理由はおいおい説明します。 / 口車大王2号 ( 2004-05-02 15:59 )
ビールと言えばドイツだと思ってたけど、チェコのビール美味しいんですね。てか、バドワイザーはチェコが本家だとは知りませんでした。飲んでみたい〜!! / サマンサ@つっこみありがとう♪ ( 2004-05-01 21:34 )
ベルギーとアイルランドでビール紀行の旅を敢行したいという夢を持っているのですが、すっきり系のピルスナーも捨てがたいですね。 / チチロー ( 2004-05-01 21:23 )

2004-04-30 [Czech]チェコ航空


 今回のフライトのアムステルダムからプラハまでの乗り継ぎ便は、KLMと提携しているチェコ航空の飛行機であった。機材はBoeing 737-500であり、737シリーズの最新鋭機である。基本設計は30年以上も前の737であるが、マイナーチェンジをして今も現役であるということは、基本設計が良くできているということであろう。旧型との明確な違いは、エンジン吸気口の形状が楕円であることである。吸気口を横に広げてパワーを増したような感じ。不思議なもので、これだけのことでデザインがモダンに見える。

 客室乗務員の制服は、機体のデザインもそうであるが、チェコの国旗をベースにしたデザインでなかなか垢抜けている。チェコ人は人種的には西スラブ系であり、ポーランド人と同一である。ポーランドに駐在して以来、実に久しぶりの東欧圏なのであるが、なんとなくなつかしい。

 機内食は結構しっかりしたものが出た。頼むアルコールはやはり何と言ってもビールである。プラハではもっとおいしいビールに巡り合うが、Radegastというブランドの、こくのある深い味わいの美味しいビールであった。

 1時間余のフライトでプラハに着く。プラハ国際空港は日本の地方航空のような感じの小さい空港で、タラップを使っていた。登場ゲートで建物直結というのは楽ではあるが、旅の風情というのがない。一番下のような写真も撮れないのである。

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2004-04-27 [Czech]スキポール空港のスシバー


 残念ながら、まだプラハの話ではない。

 9月に続いて再びアムステルダムのスキポール空港に降り立つ。9月の時の5時間待ちほどではないが時間に余裕があるので、写真を撮って回った。

 スキポール空港は埋め立てでできた土地にある空港で、なんとここでかつて海戦が行われている。世界広しと言えど、そんな空港はここくらいであろう。

 以前の日記でも登場したが、スキポール空港のフロアのど真ん中の目立つところに前年からスシバーがある。今回はじっくり眺めてみた。前年見たときはお客もまばらであったが、今回観察しているとお客が入れ替わり立ち替わり立ち寄り、結構飛ぶように売れている。メニューを見てみるとアボガド巻きなんてのもあって、どちらかというとアメリカの鮨の影響を受けているようである。「のり巻きの盛り合わせ」が "Assorted Rolls" となるところも、なんとなくアメリカ的である。

 それにしても、ヨーロッパに来て小生のような身長の低い日本人にとって困ることは、用を足すときにつま先立ちをしなければならないことである。ここスキポールのトイレも、その一例である。写真はスシバーの近所のトイレの写真である。なんとなく高そうな雰囲気が伝わっているであろうか。

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チチロー様、身長はそうらしいですね。パリで活躍するモデルさんのかなりの数が、オランダ人だそうです。ここのトイレはまだ届きましたが、イギリスで一度ほんとにつま先立ちしないと用を足せないトイレに遭遇したことがあります。イギリス人だって小さい人いるのですけれどね。 / 口車大王2号 ( 2004-04-30 12:21 )
世界で一番平均身長が高いのがオランダ人だと聞いたことがあります。男性の平均は、確か180センチ超。オランダは、陸路で出入りしたので、スキポールは行ったことがありません。 / チチロー ( 2004-04-28 23:32 )

2004-04-26 [Czech]いざ、プラハへ


 2002年10月13日から19日まで、チェコのプラハへ仕事で行ってきた。今更であるが、その時の旅行記である。

 エアラインは、先月のマルタ、イギリス旅行に続き今回もKLM。結構海外に出かけているようで、2か月連続ヨーロッパというのは初めてである。Northwest/KLMのマイレージは有効期間がないというのが最大の魅力であり、運賃が安い割に食事も良いのも魅力である。また、アムステルダムという位置が、ヨーロッパの各都市に乗り継ぐのに便利な場所であったりする。そんなこんなでここのところ10年ほどはKLMを使っている。

 今回の便の席は、たまたまビデオの制御室の真横であった(上の写真)。これまで何度も飛行機に乗っていて、制御室を見るのは初めてである。フライト中に我々が見ている映画は、ここで制御している。複数のチャンネルを放映しているのであるから考えてみれば当たり前なのであるが、デッキがずらっと並んで壮観だ。KLMとは縁があるのであろうか、パジャマ姿のスッチーを見たりとか、あまり機内でお目にかかれないことに遭遇する。

 今回のフライトの食事の中に「カツ丼」があった(写真下)。これは日本料理といって良いものなのだが、以前とは打って変わり、日本料理の知名度が世界中で上がったことによって、機内食でもこのような日本テイストのものが外国のエアラインでも出されるようになっている。もっとも、日本便はそれだけ日本人客が多いということでもあるけれど。まあ、KLMではカップヌードルが出てきてかなり驚かされたのではあるが。

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ストロボなしで撮ったので、手ぶれしておりまする。 / 口車大王2号 ( 2004-04-26 12:00 )

2004-03-08 [英國]THE LANSDOWNE CLUB − 日英同盟署名締結の場所


 一番上のの写真は、ピカデリーサーカスから北に延びるリージェントストリート。私はこのゆるくカーブを描いた通りが大好きです。世界で最も美しい通りのひとつではないでしょうか。写真のバス停の先を左折するとピカデリーストリートへのショートカットで、そこにBentley's Oyster Barがあります。この日の夜、ここで食事をすることになります。

 イギリスでは別行動しているT夫妻のだんなが、「イギリスにうまい食い物はない!」と断言したので、「そんなことはない!」と、小説家Nさんと口車が切り返し、Dr. I姪御さんの御主人に4か所挙げてもらい、その中からホテルのコンシェルジェにどこが一番良いか選んでもらいました。ここは12年前に不祥口車が昼食をとったところで、今回大人数だったので、「高いよ。」と言われていた2階になってしまったのですが、高いだけにさらにうまかった。しかし、食事しながらの会話は犬の落とし物に2B弾突っ込んで爆発させた話とか、高級レストランにはふさわしくない内容であったことは内緒です。直前まで隣の席に日本人の団体さんいたけれど。

 Bentley's Oyster Barを通り過ぎピカデリーストリートにでると、そこに和菓子屋さんがありました。鎌倉の源吉兆庵という店です。以前ロンドンに来たときはなかったのでびっくり。さらに西に進みピカデリーストリートから北にちょっと入ったところにTHE LANSDOWNE CLUBはありました。そうです、アンバレー村を訪れるきっかけになったアーサー・ラウンスダウン外相の邸宅です。

 まず外から写真を撮って、続いて入り口の写真を撮って良いか、中の受付にいたベルボーイと交渉です。すると、「今マネージャーが来るからちょっと待っていてください。」と言われてしまいます。待つこと5分、マネージャー登場。すると、「会員がいるので写真は勘弁してもらいたいが、中を案内しましょう。」と言ってくれるではありませんか。日英同盟百周年のセレモニーがあった上に問い合わせていたので、我々の訪問目的を理解してくれたようです。早速日英同盟が署名された部屋に通されました。入り口のすぐ裏側にあり、広さは10畳ほど、さほど広くありません。今から百年前に、この同じ場所で条約締結が行われたかと思うと、感慨深いものがあります。現在この建物はプライベートクラブになっており、地下にあるプールも見せてもらいました。このプールも百年以上前に作られたものです。

 帰ってきてから THE LANSDOWNE CLUBのページを読んでびっくりしました。

 1782年、日英同盟締結の120年前、この同じ建物でアメリカの独立を認めたパリ条約が作成されているではありませんか。ベンジャミン・フランクリンが訪問しています。作成が行われたthe Round Roomというのがどの部屋か確認し忘れたのですが、ひょっとしたら日英同盟締結の部屋と同じ部屋かもしれません。道路拡張に伴い解体された部分は、現在ニューヨークとフィラデルフィアに移築されているそうです。

 また、ロンドンのプライベートクラブで最初に女性を会員にしたクラブでもあります。ちなみに、海外会員は入会金7万円弱、年会費4万5千円ほど。1年以上の会員二人の推薦があれば会員になれます。

 おひとついかが?

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みほさま、ぼんさい、ふとんなんちゅうのも英語になっておりまするからなぁ。それに、サンフランシスコには日本のアンティークの家具だけ扱っている店あったし。鮨は、今や世界中どこでもブームです。アムステルダムのゴッホ美術館にもスシバーあるし。あ、ヨーロッパではパリのオペラ座近所の、オペラ座通りとサントノーレ通りの間の「ふじた」の鮨が大変うまいっす。 / 口車大王2号 ( 2004-03-18 23:09 )
イギリスでも和風なものは人気なのですね〜。ていうか、世界で和ブームなきが・・・ / みほ ( 2004-03-16 22:29 )
まさや〜んどの、どういたしまして! / 口車大王2号 ( 2004-03-15 19:30 )
御祝いメッセージありがとう。^^ / まさや〜ん ( 2004-03-14 21:37 )
走る酔人(PAO) さま、ロンドンは歩いて回るだけでも見どころ一杯です。日記にも書きましたが、大英博物館なんか、最低1週間は通わないと半日ではごく一部を駆け足で見ることになります。 / 口車大王2号 ( 2004-03-10 09:50 )
チチローさま、"Two of the rooms were shipped intact to America: The ‘First Drawing Room’ is reinstated at the Philadelphia Museum of Art and the Dining Room was re-erected at the Metropolitan Museum in New York." ということです。 / 口車大王2号 ( 2004-03-10 09:48 )
ロンドンは1年ほど前トランジットで2時間ほど街をうろうろしただけです。ああゆっくり遊んでみたい。 / 走る酔人(PAO) ( 2004-03-10 03:29 )
フィラデルフィアには住んでいたんですが、美術館にそんな大物があったとは。常設展示ですようねえ。大きすぎて気がつかなかったのか(笑)、見ていても、背景を十分に知らないので記憶に残っていないのか。センチメンタルジャーニーの折には是非確認してみたいです。 / チチロー ( 2004-03-10 03:02 )

2004-03-08 [英國]トラファルガースクエアからピカデリーサーカスへ


 ロンドン漱石記念館を後にして、ガトウィック空港で指を怪我したのが悪化して腫れてきてしまった小説家NさんとマネージャーMさんはホテルに戻り、残るDr. I ご夫妻、I博士の姪御さんそして口車の4人はバスに乗ってトラファルガー広場に向かいます。目的は、日英同盟が署名調印、即日発効した場所を訪問するためです。

 いわゆるロンドンバスの2階に乗り、ゆったりとして車窓の変化を楽しみます。バスはテムズ川を渡り、しばらく川に沿って走ります。と、姪御さんが左手の黒い建物を指して、「あのね、ここがつい最近所在がわかってしまったMI6よ。」と言います。そうです。ここが007の所属する英情報部であり、最近国連盗聴疑惑などでなにかと話題になっている場所です。あわてて写真を撮ろうとしたのですが、残念。写真を撮るにはバスは速かった。

 さらにトラファルガー広場に近づくにつれ、東京で言えば霞が関、永田町界隈のようなところを通ります。首相官邸を左手に見て、大蔵省が右手に見えます。そしてトラファルガー広場をバスはかすめ、そこでバスを降ります。

 上の写真はバスを降りたところで見つけたポール。クラシック音楽好きだったら"St. MARTIN IN THE FIELDS"という名前にピンとくるでしょう。

 たまたまトラファルガー広場は乗っていたバスが目的地に最も近づくところだったので降りたのですが、考えて見ればトラファルガー海戦にちなんでネルソン提督を顕彰している場所ではありませんか。広場にある像もネルソン提督の像です。後になって気がつきました。残念ながら、ネルソン提督の像の写真はありません。

 ここで電話ボックスを見つけ、日英同盟署名調印の場所が見学できるかどうか、頼んでおいたJapan Societyに確認です。「今日は会員がいるので見せられない。明日10時に来てもらったら見学できる。」という返事。残念ながら、明日は日本に帰国する日です。そこでめげないDr. I、「入り口だけでも見せてもらおうよ。」と、歩いていくことになりました。

  目的の場所、THE LANSDOWNE CLUBはピカデリーサーカスの西側にあります。トラファルガー広場からピカデリーサーカスはSOHOを抜けて以外と近い。SOHOはかなり危ないところだったのですが、かつてに比べると安心して歩けます。そして、歩いてみて驚くのは、ロンドンの町並みのかつてに比べてほんとにきれいになったこと。SOHOやピカデリーサーカスには紙くずがそこら中に舞っていたものですが、そんなものは全くありません。しかも驚いたことに、かつては清掃人といったらかつての植民地出身の肌の黒い人たちがやっているのが当たり前だったのですが、若い白人のお兄さんがやっていたりする。随分変わったものです。

 つづく
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りゃん吉さま、お久しぶりです。前の日記に突っ込めなくなってしまった。そうですね、英国人にはそういう傾向があると思います。加えて、第二次世界大戦の時は敵味方になってしまいましたが、日英同盟を締結していたという関係でもあるんです。基本的にイギリス人というか、ヨーロッパの人たちは日本が好きです。 / 口車大王2号 ( 2004-04-30 13:35 )

2004-03-07 [英國]ロンドン漱石記念館


 気がつけば、半年も日記を放置してしまいました。

 さて、巡洋艦ベルファストの前のパブで一服し、次に我々はタクシーでロンドン漱石記念館へ向かいました(80b, The Chase, London SW4)。ここは漱石ロンドン留学時代の最後の下宿の向かいにあります。

 館長のサミー恒松氏はかねてよりの知り合いで、今回の旅行でロンドンを訪れるので是非訪問したい場所のひとつでした。また我々が訪問する半年前にここは英国の歴史的建設物に指定され、3月22日に除幕式が行われました。以下はそれを伝える共同通信の記事です。


 明治の文豪、夏目漱石がロンドン留学時代にに下宿した家が、英国の政府機関イングリッシュ・ヘリテイジの「ブルー・プラーク」指定を受け「歴史的建設物」と正式に決まり、漱石の名を刻んだ
ブループラーク(青色の金属板)の序幕式が二十二日に行われることに決まった。

 ブループラークは、日本人関係では、漱石が初めて。

 ロンドン漱石記念館の恒松郁生館長によると、漱石ブループラークは、五ヶ所の漱石の下宿のうち漱石
が、最も愛したロンドン南部チェイスの下宿がった建物に掲げられる。(ロンドン一日共同)


 写真の一番上は記念館入口のドア、2番目が向かいの下宿、そして一番下がブループラークの写真です。記念館では漱石の肖像画も特別に撮らせてもらえたのですが、うっかり削除してしまいました。

 つづく
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英国人は人に敬意を表するのがうまい国民のように思われます。日本人が下手だという証拠ですか・・ 名前がきちんと”日本読み”になっておる・・すばらしい! / りゃん吉@久しぶりです! ( 2004-04-19 22:09 )
asariさま、ほんとにそうですね。 / 口車大王2号 ( 2004-03-08 22:08 )
「SOSEKI NATSUME」となっていないところになんというか、日本の文化に対する包容力みたいなものを感じます。 / asari@未ろぐいん ( 2004-03-07 23:39 )

2003-08-29 [英國]巡洋艦ベルファスト その3 日本の技術力のすごさを知る


 気がつけば、2か月も書き込んでいませんでしたなぁ。そして、英國旅行からもうすぐ1年ではありませんか。

 さて、巡洋艦ベルファストの展示を見て回っていて、あるコーナーに来たら写真パネルが展示してありました。巡洋艦ベルファストが建造されたきっかけが説明してあるパネルなんですが、左側のパネルを見ると"Japanese ..."という単語が飛び込んできます。良く読むと左側が「日本の脅威」、右側は「そして、英國の対応は、、、」という見出し。おやっと思いさらに詳しく解説を読んで見て驚きました。

 左側の「日本の脅威」のパネルには、ロンドン軍縮会議の結果として1931年(昭和6年)に日本海軍が建造した軽巡洋艦「最上」が、排水量8500トンの船体に6.1インチ砲15門を備えて37ノット(68.5 km/h)のスピードを誇り、当時の軽巡洋艦としてはぶっちぎり世界最高性能であったということが記述してあります。当時、30ノット(55.6 km/h)も出れば速い船だったので、世界中を驚かせたわけです。

 これに対して、英國がどう対応したかが書かれているわけですが、急遽建造中の巡洋艦の建造を中断し、ベルファストを含む「サウザンプトン」級の設計を行い建造しました。ただし、排水量は9100トンで、6インチ砲12門に最高速度は32ノット(59.2 km/h)と、かなり見劣りするものでした。「その他のところでは最上と同等である」と書いてあるのが、なんとも負け惜しみのようです。

 ドクターIによりますと、「最上』の動力源は蒸気タービンで、これだけのスピードをたたき出すには精密なタービンの加工が必要なわけで、日本の製造技術は第二次大戦後急に良くなったわけではなく、戦前から世界トップレベルにあったことの証明です。ただし、巡洋艦「最上』はかなり設計に無理があり、最終的には船体を補強してトン数が増え、最高速度も35ノット(64.8 km/h)になってしまったのですが、それでも世界最高速度だったわけです。

 それにしても、このパネル展示は本当に驚きです。日本の技術力が当時世界トップクラスであったことが示されているとともに、第一次大戦関係の展示ならわかりますが、直接敵対関係にあった第二次大戦時の巡洋艦の展示に、このような日本を言わば称賛するパネルが展示されているのです。負け惜しみを書くくらいなら展示しなければ良いのにとも思うのですが、歴史的事実をきちんと展示して後世に残していくという英國のこの姿勢は、本当に尊敬に値します。「日本はすごかったんだよ。」と、しかも当時敵国であった英國から称賛される、日本人としてこんなにうれしいことはありません。

 つづく
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lamanchaさま、ごぶさたです。ほんと、イギリスはびびっていますよね。軍国主義のイメージにつきまとわれて、こういったことは省みられようともしませんね。 / 口車大王2号 ( 2004-02-26 17:15 )
零戦についてはあれこれ聞きますが、これほどイギリスをびびらせた最上については殆ど聞いたことが無いのは私だけでしょうか? / lamancha ( 2003-10-30 18:27 )

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