ワタシは考え方が偏っている。と思います。
「人類はみな平等。」とか「世界中の人がすべて幸せに。」とかは思いません。
いろいろな人がいるから社会が、世界が成り立っていると思っています。
みんながクローンのようだったら、生きている意味がない。とまでは言わないけど、人生面白くないじゃない。と。
大人の発達障害。という言葉を最近聞きます。
発達障害という言葉自体、初めて耳にしたのは、数年前でした。
「うちの子。実は発達障害と診断されたの。」と親しい人から告白された時。
「知ってたよ。それもひとつの個性なんだなと理解してた。」と答えた記憶が。
その子は、自分の感情のコントロールが得意でなかったから。
私も初めての子育て中だったから、最初は「親のしつけが悪い」と思っていました。
でも、よく見ていると…。どうやら違っていて。
親はちゃんと子供と向き合っていたのに、子供が自分の思うようにいかないと急に暴れ出したりしたから。
子育てをしなかったら、身をもって学ぶことができませんでした。多分。
昨日。
ある、卓球の大会だったのだけど。
試合の最中に「ラケットの向きが違う!たてろ。」とか大声で言って応援しちゃうOBのおじさんがいて。
相手チームから「気が散って、試合に集中できません。マナー違反では?」とクレームが入りました。
確かに、ダブルスの味方同士でも試合中にはアドバイスをしあったりはしません。
コートチェンジの時に、こそっと一声かけるくらい?
「流れ」を大切にするスポーツだから。
本当に、あまりにうるさかったので、うちのリーダーが注意してくれました。
そのあと、おじさんが「注意されちゃったよー。俺のアドバイスでボールが決まったからかなー。」
それでいったんは収まったのだけど。
午後。また、おじさんが騒ぎ出しました。
サーブしようと構える人に対して。
「カットサーブは出すな。失敗するから。」
私がもし、それを試合中に言われたら、キレます。
一年間、この日のために頑張って練習してきたんだから、好きにさせて。って。
でも、大の大人に。同じことを何度も注意するのは勇気がいります。
困りながらも、相手からのクレームもなかったので、そのままになりました。
内心、むかむかしていました。
大人なのに、なんで注意されたことを真摯に受け止められないんだろうと。
打ち上げの時。そのおじさんの話題になりました。
新しい仲間がみんなそのおじさんの行動を不審に感じていたから?
以前からいた人たちが。
「卓球が大好きなんだよね。子供の頃、居場所がなくて暴れていたのが、卓球部の顧問に誘われて、初めて誰かに向き合えてもらえて、『好きな事』ができたって言ってた。」
「私達には、とても親切なんだよね。」
「でも、ときどき『海外旅行に3か月行って来ます』って音信不通になるんだよね。」
「小指がないのねー。」
「最初の奥さんは着物美人で有名。」
「新宿三丁目を歩くと、黒い服の人が挨拶に来るんだって自慢してたよねー。」
すとん。と胸に落ちました。
正体不明のそのおじさんが、個性的なおじさんに変わりました。
昔は、その職業はそういう個性の人たちの居場所だったんですよね。
今はいろいろな個性に「病名」的なものがつけられて、生きやすくなった半面、レッテル的なものを貼られてしまう嫌な面もあるのかなと。
いろいろな個性の人が、必要とされる職業を選べていた時代。それも悪くなかったのかな。と。
「鬼龍院花子の生涯」の時代をふと懐かしく思いました。(違っ)
※お祭りでもらったお花♪ |