お盆ですけど、あまりの暑さに子ども達の体調を考えて母に電話しました。
「おじいちゃまのお墓に参り、行けないけどいい?」
「いいわよー。私も行かないことにしたし〜。」
「なんで?」
「○○おばさんが連れてきてくれるって。」
「どういうこと?」
「お墓参りに行った帰りにうちに寄って、置いていってもらうことにした。」
○○おばさんとは父の実妹で、隣のマンションに住んでいます。
幼かった娘をずいぶん昔に亡くしている関係で、毎月のようにお墓参りをしています。
そして、そのお墓の一つ置いた隣に私の父も入っている両親のお墓があるのです。
だから、おばさんにしてみれば、娘だけでなく、両親、長兄を一緒にお墓に迎えに行くのはなんでもないことなんでしょうけど。
舅姑の命日にお盆。と真夏に何回もお墓を訪れる、高齢の母を気遣って「おねえさん、かわりに行って来ますよ。」と声をかけてくれたんでしょうけど。その言葉に甘えるのって、なんか違う気がしません?
血の繋がりこそないけど、嫡男のヨメが生きているうちは先祖の供養はヨメの役目ですよね。あ。今日日は嫡男なんて言わないんでしたっけ?
それに、「家」から出てしまった私がいう台詞ではないかもしれませんよね。
祖父母にも父にも「跡をとれ」なんて1回も言われなかったし。
でも。なんとなく納得がいかなかったので。
一昨日。
「やっぱりお墓参り行きたいわ。」母に連絡をいれました。
「行こうと思ってたとこ。でも、子どもがいると大変だから独りで行く。」
との会話が電話でなされたあと。
改めて。
「やっぱり一緒に行こう〜。」と電話がかかってきて無事、行ける事になりました。
そして昨日。
猛暑の中、行ってきました〜。
幼子たちがおじいちゃんのお墓を掃除して。
御花を生けて。
お線香をあげて。
娘達の子どもの世代までは期待していません。
その頃に無縁仏になってしまうのならそれは仕方がないと思うのです。
かわりにだんな様の実家のお墓を大切にしてくれるのなら。
でも、こういう日本の風習って無くなってほしくない。
命日、お彼岸、お盆。
小さい頃からそういう季節の行事がまわりにあるように。
心がけたいものです。
先祖を大切にするのって自分の命を大切に思うことに繋がるような気がするし。
こういう小さな積み重ねが大事だと思うのです。
立ち去り際、母が一言。
「おじいちゃん、またね〜♪」と言いました。
「違うでしょー。今日はお盆だからお迎えに来たんでしょ?連れて帰らなきゃ。」
「あら、ほんと。」
一緒に来てよかったかも。
帰りに、デパートでお昼ごはんを食べていた時に思い出したように母が言いました。
「私が小さい頃はね、お墓参りに行くといつも外食だったのよ。それが楽しみでね〜。」
ムスメ達にもいい想い出になってくれるはず。
熱中症ギリギリ。ぐったりと疲れましたが、良い一日でした。
父が亡くなってから、実感がわいてきたんですが。
結婚して違う姓になって、心残りがあるとしたら、ゆくゆくは無縁仏になってしまうお墓のことかもしれませんね。
私たちって。
「家」とか「お墓」にしばられる最後の世代になるような気もしますが。
※6歳になりましたー。 |