下のムスメを連れて実家に遊びに行った。
少し痩せた父が電話をしている。
「芝居の切符がとれたぞ。」。
「そんな。お芝居とか見られる状況じゃないでしょ。」答える母。
「生きてるうちにやりたいことをたくさんやっておくんだ。」。
結局その晩は実家に泊まって一家団欒を楽しんだ。
いやに鮮明な夢だった。
多分、私が望んでいた父の姿。
人生を楽しんでいる父の姿。
父は「駅で転んでから腰が痛い。」と整形外科に通院して、1ヵ月近く湿布を張っていた。それが効かないほど痛みが強くなって、新しくできた大病院に自分でタクシーに乗って出かけた。
即、検査入院。数値を安定させるために1週間の断食。
胆嚢が悪いことがわかった。胃に初期癌がみつかった。
「すぐに治療を始めて、病巣を早く取ってくれ」という父に対して「全部検査してから。」とさらに2週間の断食を余儀なくされた。
3週間も続いた点滴のみの生活。
父は憔悴した。
「歩かないと筋肉が落ちちゃって歩けなくなるよ。」
「腹が減ってあるけん。」
父は長距離あるけなくなってしまった。
そして告げられた病気は「転移性の末期癌」。
今でも思う。
あの3週間はいったい何だったんだろう?
それだけの時間があったら旅行だって行けたし、お芝居だってみられた。
断食させられて、筋肉が落ちて、歩けなくなった父。
本当に3週間の断食をしての検査が必要だったのか?
余命わずかの癌患者や家族にとって「体が自由に動ける時間」がどれだけ貴重なことか、病院側はわかっているのだろうか。
「正確な診断」。それも大切。けれどもっと大切なことを見失ってはいないか。
父が病院に対する不信感を募らせていったのも仕方ないと思う。
点滴を失敗する若い看護婦を怒鳴りつけたり、騒ぐということで4人部屋からの退去を告げられた。
「余計な金は取られたくない」。
「じゃあ、今空いている緊急用の部屋に同じ料金で。」
そういわれて病室を移った。
寂しかっただろう。ひとりっきりの病室で。治らない病気と向き合わなければいけなかったなんて。
すったもんだがあった挙句、無断で病院を抜け出して強制退院。
父の自宅療養が始まった。
慣れ親しんだ家と家族に囲まれて少しだけ良くなった。
近所の病院から痛みどめだけをもらって過ごす毎日。
父に笑顔が戻った。
それでも。病気は治りはしない。徐々に蝕んでいく病魔。
そして父は意識不明に陥った。
自宅から救急車で大病院に運ばれた。
検査の結果「低血糖」と告げられた。
「心配なので一晩泊めてください。」と言う母。
「強制退院になった方をうちの病院ではお預かりすることはできません。」と病院側は、はねつけられた。
結局、注射一本打たれて自宅に戻された。
翌朝すぐ、近所の侍医が駆けつけてくれて、それから一日3回、注射を打ちに往診してくれた。
最後まで父は自宅にいた。
それはそれでよかったと思う。
でも。大病院に対する不信感は今でも私の中にわだかまっている。
※お口直しの平和な光景♪ |