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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-07-17 パッキャラマド
2003-07-16 流浪 17  針屋への道すがら
2003-07-15 使わないでいるとダメになる
2003-07-14 美しい日々
2003-07-14 転載 新世紀へようこそ 101(号外) これまでとこれから
2003-07-13 ただそこにいるだけで
2003-07-11 もの思う雨の夜の空
2003-07-10 三冊目を今まさに読了
2003-07-09 ふたつの初めて
2003-07-06 つまびら、か


2003-07-17 パッキャラマド

ドとレとミとファとソとラとシの音が出ない。

って、全部やん。

クラリネットだって「やってらんねえや!」とか思っちゃったりするのかしらん?

とりあえず今日は仕事を平穏無事に済ませて帰ってきた。
でもなんか、パッキャラマド。

ああなんかやってらんねえや。

さて寝て起きてまた頑張んべや。

ドとレとミとファとソとラとシの音が出せるようになるのだ。

明日はしんどそうだなあ。

先頭 表紙

結構楽ちんだったなあ。 / 揚水@未ログイン他所から ( 2003-07-18 22:06 )

2003-07-16 流浪 17  針屋への道すがら

なしに諒解出来るような気がした。代掻きの済む時期に桃が咲いている。この里はまたそういうところでもあるのだろう。ここならば一年中桃が咲いていても不思議はない。後で知ったところによれば、この里は実際に一年中桃が咲き、そして実を結ぶのだという。気の早いところはもう田植えを済ませている。用水脇に生えている丈の高い草を折り取ってそれを振り回しながら歩いていく。道は狭い。人二人が擦れ違うに少し余裕があるくらい。向こうから一人の青年がやってくる。僕は草の茎を振り回すのを止めた。お互いに近付いてきて、僕と青年は会釈を交わした。この男は。他の誰を見てもそれがいつどこであった人間であるのか判らなかったが、彼が誰であるのかは判った。向こうでも僕が誰であるかに気付いたようだ。一瞬男の表情が硬くなった。それでも彼はすぐに思い直したかのように微笑んだ。僕も笑った。言葉は交わさなかった。彼には野良着がよく似合っていた。よく晴れている。通り過ぎて僕は一度振り返ったが、彼はこちらを振り返らずまっすぐ前を見て歩み去った。鍛冶屋に聞いてきた道順によれば、お針子の家に至るには用水の脇の小径から外れるらしい。鍛冶屋の小屋から里への道は全体に緩やかな下り坂になっていたけれど、その道からお針子の家に至るには小径からそれて少し上ることになるようだ。鍛冶屋は板葺きだが、里の家々のほとんどは萱葺きだった。小川は里の中心に、右側に離れていく。僕の歩く小径の右側には用水が流れさらに田が広がり、左側は林になっている。下生えの雑草が、日向では白や黄色の、日陰では青や薄紫の小さな花をつけている。脇道の入り口は林が切れて、その道筋が少しばかりひらけている。そちらにもそこかしこに桃が植えられていた。まず右側に二軒、次に左側に一軒。明るい日差しの下に三軒の家。道が曲がっていて見えないが、お針子の家はそのさらに奥ということだ。字が四軒家で屋号は針屋といったところか。僕は脇道に入って上の方を見遣った。下の三軒を越えてもまだしばらく目指す家は見えなかった。藪の中で何か気配がした。さして気にも留めないで通り過ぎると、今度ははっきり藪の植物が揺れる音がする。振り返った。何も音がしない。動物でも通ったか、気のせいか。僕はまた歩き始めようとする。違う、気のせいではない。人のうめくような声がしている。僕は荷を道端に置き、踵を返して藪に分け入った。驚いた。誰か怪我でもしているのではないかと思って声の方に進んでみると、男が若い娘に覆い被さっている。はじめ逢い引きの邪魔をしてしまったのではないかと心配したが、娘は口に布を詰められ涙を流している。急いで近寄って男を引き剥がした。突然の闖入者に男は抵抗したが、僕が数回殴られる間に一回殴り返すとすぐにおとなしくなった。僕にしてみれば決死の覚悟で割って入ってみたものの、よくよく見れば男は歳のいったおっさんだった。よれよれのおっさんがぺたんと座り込んでしまった。酒臭い。娘は大儀そうにゆるゆると身を起こし衣服の前を掻き合わせている。僕はなるべくそちらを見ないようにするため、じっと親爺を見つめた。親爺は目を逸らす。僕は彼に近づいた。あの娘は喋ることが出来ない、知恵が足りないんだ。そう言ってアル中の親爺は顔をあげ、生臭い息を吐いた。額は血に濡れている。押し倒されていた娘の頭があった位置の近くに両手に少し余る大きさの石が転がっていて、よく見れば血が付いている。桃花源、という風でもなさそうだな。娘は静かに涙を流している。泣きじゃくっていたのが収まってきた、そういう風にも

先頭 表紙

なかなか僕のツボにはまるお言葉で嬉しく楽しいです。岩手の風景とはなぜか非常に嬉しいです。今は海の底ですが、いつか浮上できますでしょうかねえ。 / 揚水 ( 2003-07-23 07:20 )
母の田舎の岩手の風景がフラッシュバックしたよ。 桃源郷のような地獄のような不思議な世界だ。 改行をしない文体の全体像がロゼッタストーンを想起させるわね。 思想の深い海の底にはまった気分だわ。 / さにゃえもん ( 2003-07-17 23:31 )

2003-07-15 使わないでいるとダメになる

昨日今日と連休。
草刈るために村の家に帰ったのに、長いこと使わずほったらかしにしていた草刈機はエンジンがかからなかった。
使う用事がないチェーンソーは調子よく回るのになあ。

井戸の水は少し茶色がかっているものの、豊富に出る。
寮でばかり寝ないでまめに帰ろう。

井戸も使わないと水が細くなるからね。

もともと去年空梅雨気味で水が涸れたことから寮暮らしを余儀なくされた。
帰れる希望が出てきたので気分がよい。

海月の部屋でご飯を食べて、とりあえず寮に帰る。

明後日か明々後日くらい、家で寝ようっと。
久し振りに家の風呂に入るのだ。先月くらいまでは風呂の水を溜めることが出来ないくらいに井戸は細くなっていたものだ。
水みちが帰ってきた、のかも。
嬉しい。

草刈りしたいなあ。

先頭 表紙

そうか、カビるんだ。蜘蛛の巣じゃないんだ、ふーん。って、何のハナシやねん、キミタチ(笑)。なんやしらん、ズレてんねんで。 / 揚水 ( 2003-07-19 03:37 )
長く入院していてようやく自宅に帰れた時のこと、さて使うかと思ったのですがミョーに痒くてね〜。婦人科いったすよ。猫旦が一言言いましたわ「使わないとカビるんだな」おーっほほほ / 闇猫 ( 2003-07-18 07:10 )
僕はエンジン式しか使ったことないです。ああ草刈りたい。 / 揚水 ( 2003-07-17 01:33 )
僕らは涸れない。押せば命の泉湧く。なんつって。 / 揚水 ( 2003-07-17 01:32 )
初めて電動の草刈機を使った時は爽快でしたね。でも、雑草を取るなら昼下がりがいいと聞かされて、やり直したんです。 / 夢樂堂 ( 2003-07-16 14:32 )
このタイトルに思わず引き寄せられた今日の私。。。そう、使わないとダメになるんだって。使って使って常に刺激してないと出が悪くなるのよね。ちゃんと使ってね♪ / kotarou ( 2003-07-16 13:07 )

2003-07-14 美しい日々

ひとり相撲。ひとりしずか。ひとり遊び。ひとり言。

ひとりごちる。

焚き火に誘われた火取虫はその火に灼かれて身を焦がす。
そして死ぬ。
燈蛾の死こそ哀れ。

ひとりごちる。

人は誰でも、ひとり。
誰かがそばにいても、ひとり。

焚き火に誘われた火取虫はその火に灼かれて身を焦がす。
そして死ぬ。
燈蛾の死こそ哀れ。

群れ成す燈蛾のようでいても、人はつまるところひとり。
寄り添う人がいても、ひとり。

ひとりぼっち。ひとり暮らし。ひとり立ち。ひとり旅。

否、寄り添うためにこそ、まずは、ひとりでいること。
寄り添うとしても寄り添わないとしても、まずはひとり。
人は一人で生まれ、一人で死ぬ。
それは何も悲しいことというのではなく。

焚き火に誘われ寄り添うように夜を舞う火取虫はその火に灼かれて身を焦がす。
そして死ぬ。生きて死ぬ。
燈蛾の死こそ哀れ。生こそ哀れ。

生まれてきたからには生きるという、ごく当たり前の、

あなたが生きている今日は、

些細でも、瑣末でも、もちろん比類なく美しくあっても当然、

他のなにものにも置き換えることはかなわない。

淡々とした日常。
たまに小さな、あるいは大きな事件が起こる、そういった日常。
嬉しいことばかりではない。かといって悲しいことばかりでもない。

自分も含めたあなたがたが生まれてきた奇跡を、
僕は一人考えてみる。

それはとても幸福なことで、幸せに甘やかされ狎らされた浅薄さを含むことだと、実は知っている。
他人の奇跡を踏みにじる人がいる。
踏みつけにされて苦しむ人がいる。
僕はそれを本当のところではきっと知らない。

それでも奇跡を、僕は考える。
答えは出ない。

かくあれかしと人々の美しい日々。

先頭 表紙

はじめまして、そそそさん。お礼を言われたりなんかすると、嬉しい。嬉しいけれど面映い。面映いけれど、嬉しいなあ、いやはや。美しい日々を、あなたに。 / 揚水 ( 2003-07-16 01:41 )
揚水さんはじめまして。今日はこの日記を読む為に私は休んだのかしら?と何か導かれた気になったり。深呼吸しました、ありがとうございます☆ / そそそ ( 2003-07-15 13:50 )

2003-07-14 転載 新世紀へようこそ 101(号外) これまでとこれから

 まず、「100 なぜアメリカは戦争をしたか」を発信した後、こんなに長い間が空いてしまったことをお詫びします。

 本の刊行予定が続いた上、身内の者を見取るということが重なって多忙をきわめ、どうしても執筆の時間がとれませんでした。

 次に、これまで100回にわたって「新世紀へようこそ」をお読みいただいたことにお礼を申し上げます。

 読者に促され、導かれて、ここまで来ることができました。2001年の9月24日に「001 しかし」を発信した時には、こんなに息の長い仕事になるとは思ってもみませんでした。

 100回を終えて、その内容を『新世紀へようこそ』と『世界のために涙せよ』として刊行し、一つの区切りがつきました。

 今後どうしようかといろいろ考えた末、しばらくの休憩の後、新しいタイトルと方針のもとに書き続けるということにしました。

 ぼくはもともと小説を書くのが本業で、国際政治を論じるなど不得手な分野です。状況に押されて始めてしまったものを、その時々の課題を必死で勉強しながらなんとか続けたというのが本音です。

 返信をいただいてまた考え、それに基づいて次回を書きながら、読み手あっての書き手であるということを痛感する日々でした。それがわかるのがメール・マガジンの利点でした。
 
 9.11の直後ほど緊迫してはいないものの、今も論ずべき課題はたくさんあります。テロリズムを生み出す国際的な政治環境は変わっていませんし、チェチェンやアチェに見るとおり国家によるテロはいよいよひどくなっています。

 アフガニスタンは軍閥割拠の混乱状態にあり、イラクの「復興」の先行きはまるで見えない。大量破壊兵器については、ぼくたち開戦反対派の言ったとおり、存在しなかったことがほぼ明かになりました。最初から大義なき戦争であった。「だから言ったじゃないか」と言いたいところです。

 にもかかわらず日本はいよいよ右へ傾いて、「戦争ができる国」になりつつあります。与党とメディアが誘導するだけでなく、国民もまたそちらに目を向けはじめて
います。

 事態はいよいよ悪くなっているわけで、今、考えるべきことは多い。

 それを承知の上で、2か月ほど沈思黙考の期間を置くことにしました。

 9月中には新しいタイトルの新しいシリーズの1回目を発信するつもりでいます。

 「新世紀へようこそ」は9.11という具体的な事実から始まって、ぜんたいとしては各論から総論へという流れをたどりました。

 この先はもっと広い視野を用意して、世界と日本、現在と未来を考えていきたいと思っています。

 基本姿勢は、平和の原理を探すこと、になるでしょう。

        (池澤夏樹 2003−07−14)


池澤さんの公式サイトはこちら

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2003-07-13 ただそこにいるだけで

昨夜は海月にお呼ばれして野菜尽くしのお食事を食べさせてもらった。
逢えないと思っていたのに逢うことが出来た。
南瓜、トマトのサラダ、茄子の甘辛赤味噌和え、隠元の胡麻和え、ついでに帆立。

アワビなんかよりよっぽど豪華。
ごちそうさまでした。

今晩は例によって外食だったけれど、食べていると海月から電話。
「今どこに居るの?」

寮よりも海月の家に近いところで食べていたので顔を見にだけ行った。

海月は勉強していた。

彼女が鉛筆を走らせる音を聞きながら、たまに話し掛け、話し掛けられしていたけれど、彼女はそのうち勉強することに熱中するようになった。

僕は半分寝ながらまた彼女にたまに話し掛けられ、
「うん、うん」と半ば生返事。

勉強を終えた彼女が「寝る」と言ったので布団を敷いて帰ってきた。

ただ僕がそこにいるだけで。
あなたがそこにいてくれるだけで。

先頭 表紙

いえ、「昨夜」は「だけ」だったので…。ただそこにいるだけ。それだけで、嬉しい、しあわせ。二人とも本当に「眠」かったから。「寝」てはいません。残念ね(笑)。 / 揚水 ( 2003-07-14 13:35 )
あり???? 当然「寝て」きたよね?こらこら・・・ / 闇猫 ( 2003-07-14 06:08 )

2003-07-11 もの思う雨の夜の空

軽いストレスで首が、肩が痛い。

痛みをもって、ああ、生きているな、と思うこともある。
今日は特に何事もなかった、そんな日。

何も起こらなかった、あまり感じるところがなかったという日でも一日は一日。
時間は過ぎていく。
置き去りにされたように感じても、僕の上でも時間は飛び去っていく。
たとえどんな日であったとしても。
月日は経っていく。

僕はまだ生きている。

彼女はもう寝ていることだろう。閉め切った部屋の壁越しにそちらを仰ぐ。
明日もまた、まだ逢えない。
それでも。

ああ、生きているな、と思う。

先頭 表紙

jinkoさん、それもアリ。 / 揚水 ( 2003-07-14 13:30 )
僕の痛みはそんなに大きなものではありはしませんが…。何事もない中でほんの少しの異物感みたいなものを感じて、その異物感によって普段知覚されない自身の身体感覚を再認識させられる、のかも。「静かな海」と呼んでもらえるのは、最高位に嬉しいです。 / 揚水 ( 2003-07-14 13:30 )
そこにある、ここにいる、ということですね。 / 揚水 ( 2003-07-14 13:26 )
それは素敵なスタンス、です。 / 揚水 ( 2003-07-14 13:25 )
うん 腹筋をした後 お腹に軽い痛み。 締まってきてカナ?と勘違いします。 / jinko ( 2003-07-13 23:23 )
昔、ちょっと大変な手術をした時に同じ事感じだよ。 痛みで命を感じる。  好きな人と同じ空の下って感じる時の郷愁ってすき。 ここはいつでも静かな海みたいな世界があるなあ。 / さにゃえもん ( 2003-07-13 22:58 )
存在を感じる。これが幸せなときがある。 / 夢樂堂 ( 2003-07-13 08:58 )
すごくショックなことを言われた。でも、ショックだけど、落ち込んでない私。なんでだろう?私は私、だからかも。 / ど〜にゃ ( 2003-07-12 01:14 )

2003-07-10 三冊目を今まさに読了

ある日偶然眼に留まり買ってきた三部作の一冊目。
昨日その完結編が書店にあることに気がついて、買ってきた。

デイブ・ペルザー著  『 “ I t ”(それ)と呼ばれた子 』

そんなに売れているなんて知らなかった。

この先もっともっと読まれるべきだろうと思う。

すでに本国では彼の他の本も出版されているらしい。
僕は英語読めないので、ペーパーバック買ってきて辞書片手より翻訳待つ方が早いに違いない。

先頭 表紙

貸してあげてもいいけれど、そのくらいの本を買う余裕があるというのであればぜひ買って読んでください。微力ながらも著者の活動の資金に売上げの一部なりとも役に立てるのではないかと思うからです。 / 揚水 ( 2003-07-14 13:24 )
その衝撃は如何ばかりのものかと考えさせられます。そういう方々にとってはショックだったことでしょう。僕が怖いのは読んでなお衝撃を受けずに済む人もいるのではないかと想像がつくことです。「よみもの」として済まさないで欲しい。そう願います。 / 揚水 ( 2003-07-14 13:22 )
三部出ましたから、読み返してみてください。 / 揚水 ( 2003-07-14 13:19 )
読んでください。 / 揚水 ( 2003-07-14 13:18 )
間違いなく売れてはいるようですから、あとはきちんと読んでもらえることを望みます。 / 揚水 ( 2003-07-14 13:17 )
私もそのタイトル、本屋で見てすごく気になってたんだ。そうなんだ。母として是非読まなくちゃ! / もげんぴ ( 2003-07-11 22:47 )
私は古本屋さんで軽い気持ちで手にして読んだよ。 凄く考えさせられたよ。 私の友達は幼児教育に携る人が多いのね。 そう言う人たちは発売と同時に衝撃を受けてたらしいよ。 / さにゃえもん ( 2003-07-11 00:09 )
1部目が出た頃いろいろ沢山出たので記憶がゴッチャ。今度はじっくり読もうと思っています。 / 闇猫 ( 2003-07-10 08:45 )
家族が買ってきてうちにあるのに、まだ読んでません(^^;  これから読みます。  / ぷらら(^ー^)  ( 2003-07-10 08:37 )
夢樂堂も読みました。虐待は意識しないで行うことが多いとか。いろいろな人にホント読んでほしいです。 / 夢樂堂 ( 2003-07-10 07:23 )

2003-07-09 ふたつの初めて

海月は最近仕事がとても大変なようです。
疲れています。

電話が掛かってきて話を聞くところ、何も食べる気がしないと言うのです。

僕は夜勤明けでだらだらと起きて本なぞ読んでいましたが、「心配かけてごめん、でも来なくてもいいから」と言って電話を切った彼女の家まで、途中スーパーに寄って出掛けていきました。

ニジマスを買いました。

生まれて初めてお金を出してアワビを買いました。
僕にとってアワビというものは、父親が潜って採ってきてくれるものでした。
買うものだとは思っていなかった。
 
生まれて初めて生のさくらんぼを買いました。
これまで人からいただいたことしかありませんでした。
買ったことがない。

ニジマスは液体胡椒、荒挽き黒胡椒と白ワイン、牛乳と赤玉葱、マイタケをぶち込んで蒸します。
アワビは刺身でバルサミコと米酢、醤油、ワサビ、大葉と和えます。
玉葱とマイタケは海月のお父さんが作った味噌で味噌汁、隠し味はアワビのえんがわとでも言うのでしょうか、身の周りのビラビラしたところを刻んで出汁替わりに。
ご飯は玄米と黍。これは海月が炊いてくれていたもの。

そしてデザートはさくらんぼ。

ずいぶん久し振りに彼女にご飯を作りました。
そもそも料理すること自体久し振り。

調味料の分量の加減に対する勘が鈍っていました。
白ワインは多すぎる、マスに下味の塩をしない、バルサミコはこれまた多すぎる。
敗因だらけ。
しかし不思議と瓢箪から駒、どれもみな美味かった。

愛おしくてたまらない人においしいものを食べさせられてとても嬉しい。
僕は嬉しい。海月も嬉しい。
そして僕は自分の部屋に帰るのです。

気持ちよかった。
とても。

先頭 表紙

あわびってめちゃくちゃ高いのよ、おじさんもうびっくりだわ。庶民の味方閉店前のタイムサービスがなければ躊躇したわいな。たぶんタイムサービスで半額になってなくても買ったは買っただろうな。でも躊躇ったね、ボンビーなあたくしは。僕の料理はね、ハニーさんに聞けばわかると思うけど玄人っぽいっつーより適当よ、テキトー。 / 揚水 ( 2003-07-12 00:35 )
そうですね、フローラさん。いつもいつもそんな食事が出来ればいいのに。いまはまだ。 / 揚水 ( 2003-07-12 00:31 )
美味しかったですよ。でも彼女はまだ疲れていそうです。なんとかしてあがられればいいのに。今は僕に出来ることはこのくらいしかない。 / 揚水 ( 2003-07-12 00:30 )
病気ではないのです。疲れていたのです、ありがとうございます。でも僕の愛し方はそっけなくないぞ。鬱陶しいくらい。 / 揚水 ( 2003-07-12 00:28 )
ふふふ、夢樂堂さん、あなたからそんなことを言っていただけるとは。汗顔の至り。 / 揚水 ( 2003-07-12 00:27 )
あ、あわびってめちゃくちゃ高いことない?頑張ったねー。しかも料理が玄人っぽい。液体胡椒って何?おいしそーう。夕食食べたばっかなのにお腹がすいてきた。料理は愛をこめてつくれば何だっておいしいし、いくら高価な食材使ってもいやいや料理したらまずい。そうゆうもんだよね。 / もげんぴ ( 2003-07-11 22:45 )
結婚して、食べることが本当に楽しくなりました。 ふたりで食べることのしあわせ、何よりの贈りものだね。 / フローラ ( 2003-07-10 14:56 )
バルサミコ酢とお醤油って合うんだよね。美味しそう。良かったね、手作りディナー。また元気で頑張れるね。 / みるみる ( 2003-07-10 10:43 )
ああ病気ではなかったのですね。疲れているときは、してもらうのがうれしいですよね。時にこちらが弱っているのに、見舞いと称してさらに壊していく人がいますが、少し足りないくらいのそっけなさっていうのも愛ですね。 / 闇猫 ( 2003-07-10 08:43 )
誰も作ることの出来ない魔法の調味料、これが一番ですね。 / 夢樂堂 ( 2003-07-10 07:24 )

2003-07-06 つまびら、か

まだ首の据わらない赤ん坊をあやしてるお爺さんと道端ですれ違う。
あまりのこぼれんばかりの笑顔につられて笑って見ていると、彼はこちらに気付いて会釈をくれる。
会釈を返す。
赤ん坊に我がないのでもないだろう。むしろ赤ん坊にも我はあるに違いない。
我を張る能力にいまだ欠けているだけなのかもしれない。けれどまだ人間になっていないその生き物は目立って我を張ることはない。
それを見ている者は自分も我を張ることが少ない。

裏山に麻が生えている。
当然ただ生えているのではなく、誰かが植えたに違いない。
周りの草を刈りいい土をくれて肥料を与えた痕跡まである。
魔法の草を使ってまで開放されたい者が望む境地は、逃れるのは自分の我からか他人の我からか。
逃れるのでなく別の場所に行くことを望むものか。

息子は母親の介護を訪問介護にくる他人に任せたい。
母親は摂食もままならず週に二度栄養点滴を受ける。
風呂に入りたくてたまらない。
肩まで湯船に浸かりたい。
心臓が弱く近頃では肺炎の気もある。
息子夫婦は母親を風呂に入れることはしたくない。
任せている他人がやってくれればいいと思っているしそう口にする。
「死んでもいいから風呂に入れてくれ」と母親は言う。
「死んでもいいから風呂に入れてくれ」と息子も言う。
それが出来ない担当者はもう来てくれるなと息子は言う。
訪れて要請される者は結果として人を殺すことになるかもしれないことをするのは当然躊躇われる。
母親は自分が無理を言っていることは承知している。
息子は自分が無理を言っている自覚はきっとない。
みんなが少しずつ我を張り合ってその糸が絡まりあう。
事態は硬直する。
「あたしは業が深い」と彼女は嘆く。

みんな首が据わらない姿で生まれてきた。
何も知らない無垢な姿こそが美しいのだとは言わない、考えない。
人と関わるからこそ人は人でいることとなる。
「あたしは業が深い」と彼女は嘆く。

まだどこを見ているとも定かではない赤ん坊の視線。
視線の先にはその子がやがてもまれるであろう波。
穏やかなものも荒れ狂うものもあるであろう、波。
波、波、波。

波にもまれてやってきた老婆が口にする言葉。
彼女は麻を焚いた煙を吸引したことはない。
そんなことをせずとも彼女は充分、
「あたしは業が深い」

わたしたちを照らす闇と、見ようとするものを隠す光。
業が深いのはなにも彼女ばかりではない。

見えるから見えているとは限らないし、見えないから見えてこないとも限らない。
見ようとするものを隠す光と、わたしたちを照らす闇。
詳らかなのは闇ばかり。
安らかな暗闇。

先頭 表紙

ご本人が希望されることと、それがご本人の体にとっていいことなのか悪いことなのか。そこいらの判断はケースによってまちまちで一概には言えないのでしょうね。 / 揚水 ( 2003-07-10 23:41 )
ハニーさんのご母堂は偉大だ(笑)。 / 揚水 ( 2003-07-10 23:39 )
わがオヤジ殿、体が大分弱っている時に、家族の反対をよそに夜中に風呂に入っていました。皮膚感覚が弱くなっているためかなり暑い湯、やはり入らせたくない。 / 夢樂堂 ( 2003-07-07 11:09 )
おお、とうとう始めたんだね。私達は今「八月のキリン(発泡酒)」にはまってるよ。うちの子最近めっちゃくちゃ我が強くて(というか性格が激しい?)自分の思いどおりにならないと、全身全霊から怒りのオーラを吹き出して怒るんだけどその姿がきゃわいいのなんのって。ハニーのお母さんも「(ハニー)の小さい頃と一緒」って、目を細めてるよ。 / もげんぴ ( 2003-07-06 10:29 )
ずいぶん下の記事のもげんぴさんに対する返事ですが、七月に入ってから酒もタバコも買ってない。くれる人からもらって吸ったりはするけど、何しろ買うのも自分から吸うのも止めた、とりあえず。いつまで続くか。 / 揚水 ( 2003-07-06 02:20 )

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