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揚水の「人生薔薇色計画」

僕のハンドルは「ようすい」ではなく「あげみ」と読みます。表記はaghemiとしています。

妻の海月は「くらげ」と読みます。



ふりぃのかうんた

yesterday ふりぃのかうんた today ふりぃのかうんた


自分が何者であるか今よりももっとわからず身悶えしていた学生の頃、何をしたらいいのかについて友達と話しに話した。
結論は出なかった。どころか何をしてもいいんだということにすらなった。
ただし、本当に何をしてもいいというのではなかった。
一つだけ基準がある。
それは俺の、俺たちの、ひいてはほかの人たちの人生を薔薇色にするか、その一点。
時々それを思い出しては行動する。
それが僕たちの人生薔薇色計画。



    よそいき仕事日記   

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-03-21 転載  新世紀へようこそ 097 「戦争が始まった」 2
2003-03-21 転載  新世紀へようこそ 097 「戦争が始まった」 1
2003-03-20 わたしは戦争に反対します
2003-03-20 敵の敵は味方とは限らないが、敵の味方は敵だ
2003-03-19 12年と少し前
2003-03-19 ごめんなさい
2003-03-18 再録 「やがて来る未来に託す手紙 」
2003-03-18 愚者の言葉
2003-03-17 天才の言葉
2003-03-17 これは空文か?


2003-03-21 転載  新世紀へようこそ 097 「戦争が始まった」 2

イラクの人々をサダム・フセインの圧制から解放するための戦争であるとアメリカは言いはじめました。

たしかに、ある国で一部の国民が極端に不当な扱いを受けたり、つぎつぎに虐殺されたりしている時、国際社会はそこに介入すべきだという説があります。旧ユーゴスラビアの内戦の時はこの理由によって国連軍が武力を
行使しました。

しかしそのためにはどの段階で介入すべきか周到な議論が必要ですし、現実にはそれでもなかなかうまくいかないようです。まだ歴史が浅いし、試行錯誤が必要なのでしょう。

この問題については最上敏樹氏の『人道的介入』(岩波新書)が詳しいので読んでください。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/400430752X/impala-22

いちばん大事なところを引用します――「もし加害者への攻撃が許されるとすれば、それは現に虐殺がおき(ようとし)ており、かつ、加害者に攻撃を加える以外に手段がない場合に限られる。それも国々が勝手な判断でおこなうのではなく、国連のような世界的機関の集団的な判断に基づく、集団的な措置でなければならない」。
 
いずれにしても今のイラクは「人道的介入」を必要とするような事態ではありません。それが必要なのはイスラエルの方です。

まして、国連がそれを認めていないのにアメリカが勝手に他国の国民を「解放」するのは、武力による内政干渉すなわち侵略です。

メディアに言いたいことがあります。

アメリカ軍の動きを報道することを控えてください。飛び出すミサイルや、離陸してゆく戦闘機、したり顔で成果を説明する司令官、これらは戦争ではありません。

戦争とは破壊される建物であり、炎上する発電所であり、殺された人々、血まみれバラバラになった子供の死体です。水の出ない水道、空っぽの薬箱、売るもののないマーケット、飢えて泣く赤ん坊、それが戦争の本当の姿です。そちらを映すことができないのなら、戦争を報道することなど最初から諦めてください。

今の段階で攻撃側の動きばかり伝えるのは、この道義なき戦争に加担することです。

政治家でも軍人でもないぼくたちは、この戦争がイラクの普通の人々にとってどういう現実であるか、それを想像してみなければいけないと思います。

戦争が始まりました。

戦争に反対しましょう。

池澤夏樹 2003−03−20)


# 引用・転送は自由です。

先頭 表紙

遅きに失したとしても、だから戦争に反対します。日々の暮らしに汲々としながら。 / 揚水 ( 2003-03-22 12:30 )
日々の暮らしに汲々とすることが、これは負け惜しみでなく、悪いことだとは思いません。しあわせなことだと思います。それに感謝するなどと言えば僕はなんだかいい人のようですが、そんなもんでもありません。他人との関わりでよく腹も立てれば人に嫌われることもたくさんしています、多分。感情だけで戦争反対を言うのは愚かなことかもしれませんが、現実に止めるには理が必要だとも思いますが、爆撃で亡くなる人、逃げる人がいるのは、どんなにそれが現実なくなっていなくてもいやだと今回気付かされたのです。 / 揚水 ( 2003-03-22 12:28 )
池澤さんの最後の言葉にあるように、政治家でも軍人でもない僕たちに出来ること、しなければならないことはそうしたことから始まるのではないかと思います。特別の技術を、知識を持って戦争を早く終わらせるために活動できる人或いは戦後の復興に寄与できる人、すでに活動している人もいらっしゃるのでしょう。僕は何も出来ない。戦争に反対する人ばかりでなく賛成する人ももちろんいるでしょう。そうした中、戦争に反対の意を持つ僕に出来ることは、まず戦争に反対すること、それだけしかありません。 / 揚水 ( 2003-03-22 12:19 )
世界は確かに交通手段、情報の点で狭くなっています。それでも人は自分の手足の届く範囲で生きていることもまた事実ですね。行けるところにしか行けないし、出来ることしか出来ない。遠くの戦争より明日の糧、今日の仕事、日々の暮らし、です。それでもあなたがおっしゃるように、やはり世界は狭くなっている。僕たちは好むと好まざるとに関わらず、遠く離れた国のことも知ることが出来るからです。そうした「自由」を僕たちの親の世代に教えたのもまたアメリカであったりします。 / 揚水 ( 2003-03-22 12:11 )
現実に自分が火の粉を被るか被らないかでいえばもちろん今回の戦争(僕に限って言えば生まれてから世界で起こった戦争全て或いは「戦後」生まれの日本人全て、その他の国々でもそうした人は沢山いるでしょう)は自分に関わるものではありませんね。当事者に言わせればそうしたものが言うことは軽く映るのはある意味当たり前ですが、それと当事者でない人間が戦争に反対することはまた違ったところがあるのもまた事実でしょう。 / 揚水 ( 2003-03-22 12:05 )
ゲームじゃないんだよね。世界はどんどん狭くなって、これは近所でおきてる問題なんだよね。 / KJ ( 2003-03-22 06:10 )
田中宇さん「田中宇の国際ニュース解説:3月18日付け:イラク侵攻のリスク」 / 揚水 ( 2003-03-21 07:15 )

2003-03-21 転載  新世紀へようこそ 097 「戦争が始まった」 1

戦争が始まりました。

ぼくたちは長い間、希望をもって戦争を始めさせないよう運動をしてきましたが、開戦は止められなかった。

戦争はなかなか正当化できないものですが、しかしこれほど明快に理不尽な戦争もありません。

国連は認めていないし、アメリカとイギリスの政府に賛同する国はごく少ない。アメリカを除くどこの国でも反対派の国民の方が圧倒的に多い。

査察は続いていたし、イラク側は協力的だった。ブリックス氏はまだまだ査察を続けるべきだと言っていた。

こうならないよう動いてきた世界中の人々が落胆し、憤慨していることでしょう。ぼくもその一人です。

しかし、戦争が始まったからと言って、戦争に反対する理由がなくなったわけではありません。むしろ逆なのです。これから本当にたくさんの人が死にます。早く止めさせるにはやはり戦争反対の意思表示をしてゆくしかない。

今まで以上に力を出さなければならない。
 
なぜこうなってしまったのか、国連のことを少し考えてみます。

アメリカは、フランスが拒否権を行使すると言っているから決議案を撤回したと言っています。まるで言うことをきかないフランスが悪いみたい。

国連ができた時、一国の勝手な欲望から戦争が始められないよう、安全保障理事会という制度が作られました。主だった国の合意のもとに国際社会を運営してゆく。拒否権というのはそのための最後の歯止めであり、合意がないことの表明です。

今回のイラク攻撃を国連は認めなかった。安保理の中間派6か国、いわゆるミドル・シックスはさまざまな圧力を受けながら、よく踏みとどまりました。フランスが拒否権を使う場面はたぶんなかったでしょう。

だからアメリカは国連を回避した。あるいは無視した。

そして戦争を始めた。

つまり、アメリカは世界を私物化した。

日本政府はたぶん困っています。国連重視とアメリカとの協力の二本を外交の柱にしてきたのに、その二つが分裂してしまった。国連を捨てるというのは外交方針の重大な転換です。本来ならばたくさんの論議が必要なはずですが、小泉首相が口にしているのはすり替えロジックばかりで、まともな説明になっていない。

経済的に多くをアメリカに負っているトルコやメキシコでさえ賛成しなかったのに、日本はアメリカを支援している。これは自主性を欠くだけでなく、非常に危険なことだと思います。

先頭 表紙

ですが事が起こるまでは何もしていない。今回多くの日本人、いや日本人以外の紛争に関わらない人々ももちろん、戦争反対、と思ったことでしょう。そう思うことの方が普通で多数だと思います。ですが、戦争を起こすことを望む人がいて、多くの人が反対するにも関わらず、戦争は起こった。喉元過ぎた時、その時にどれだけ関心を持続するか、でしょうか。 / 揚水 ( 2003-03-22 12:00 )
そうですね。そして僕もやはりどうしたって自分も日本人だと思うのです。この期に及んでやっと声高に「戦争反対」を唱えている訳ですし。今まで何もしていなかったことも踏まえて、自戒します。特に直接戦争反対、ということでなくとも、これまでの記事でそれに連なるようなことを考え書いてきたとは思っています。日々暮らす中で自分が他人に抱いた悪意を自分でおちょくり(時に他人もおちょくっていますが)、喜ばしいことを書いてきたとは思っています。 / 揚水 ( 2003-03-22 12:00 )
お人よしな日本。このままじゃいつまでたっても、豊かになれないね。平和憲法/非核三原則だなんて胸張って言えないな〜。 / KJ ( 2003-03-22 06:12 )

2003-03-20 わたしは戦争に反対します

わたしは戦争に反対します

人という生き物が戦争を起こすことが避けられない事実なのだとしても
わたしは戦争に反対します

人という生き物は争いを好まない生き物であることもまた事実だと信じるからこそ
わたしは戦争に反対します

人が戦争を起こす生き物だからといって
それが仮にもうどうしようも仕方のないことだとしても
それでもそのことが戦争に反対することを無意味にする理由にはならないと思うから
わたしは戦争に反対します

日々の暮らしで小さな敵を作り人から敵とみなされても
滅ぼさねばならない敵はつくりません
わたしは戦争に反対します

戦争に反対すると言葉を綴っただけでは殺されることがない環境にいるからこそ
そうした甘ったれたことが言えるのだとしても
わたしに大切な人がいるようにわたしが人を憎んだとしてその人にも大切な人がいることを考えると
憎しみとは別にまた切ないから
殺されたくもないし殺したくもないから

わたしは戦争に反対します

先頭 表紙

はじめまして、KJさん。正味な話矛盾しますが、僕はそこまで強くなれる自信はないんです。ここでもまだ自分は安全なところでいてキレイ事を言っていると思うんです。自分が直面したときに戦争反対と言えるのかどうか、正直なところ判らない。多分紛争が現実に起きている現場をよく知る人に言わせれば、僕の言うことはちゃんちゃらおかしいと思います。それでも今現在、戦争に反対しているのです。弱く、矛盾していますが。 / 揚水 ( 2003-03-22 11:44 )
↓戦わないでください。戦わないと言いきっちゃってください。ニューヨークで起きたテロ被害者の肉親のように・・・ / KJ ( 2003-03-22 06:15 )
ですが今このぬるい場所から僕が反戦を唱えることはきっと容易なことでもあるのでしょう。自分が殺される場に直面したら? 自分の大切なものが殺されようとしたら? 僕はそれでも戦わずに死んでいくことが出来るでしょうか。 / 揚水 ( 2003-03-21 04:28 )
僕は人間という愛すべき猿が愚行を繰り返しつつ滅びに向かう種だとは思いたくはありません。 / 揚水 ( 2003-03-21 04:14 )
戦争が起きて、起こしてしまった以上次に何をするかなのは間違いないでしょう。でも「和平」という言葉がこんなに悲しい言葉だったなんて。争いの後に和平があるのですね。和平を望みますが、それが戦争を仕掛けた方の都合で争いとワンセットになった力で抑え付けるものにならないようでないと和平とは言えませんね。未来の歴史に今回の戦争はどのように書かれるのでしょう。愚行か栄光か。ですがベトナムもソマリアも愚行であったはずなのです。 / 揚水 ( 2003-03-21 04:12 )
人が人を殺す、そんな野蛮な行為は悲しすぎます。戦争はNO、アメリカもイラクも和平に向けて一歩進んで欲しい。 / 夢樂堂 ( 2003-03-20 16:31 )

2003-03-20 敵の敵は味方とは限らないが、敵の味方は敵だ

共通の敵を持つ者同士がまた反目し合うことはよくあることです。
敵の敵は味方とは限らない。

しかしたいていの人にとって自分に敵対するものに味方するものは、これはすなわち敵です。

国としての日本は今回明確にイスラムの敵となりました。
たとえ直接に武力を行使せずとも、それをいくら言い募っても、そんなものは詭弁に過ぎない。
「同盟国」であること、武力の行使を「支持」するということはそういうことです。
そこを考えずに同盟や支持を強調するのはあまりにおめでたい。

けれどしかし、今このままの状況でイラクというアメリカの敵に味方をすれば、アメリカは即日本を敵とみなすことも間違いないでしょう。
別にイラクの味方をする必要はないのだけれど。
イラクに味方をすることと開戦に反対することは、別です。

だけれども、僕は今恐ろしいことを考えています。
日本の政府がいくら国際協調という美名の下アメリカとのべたべたの関係を続けることに固執し安保の重要性を強調し、それが為に今回のような行動をとったという事を正当化しようとしても、そんなことは多分間違っていて無駄になるでしょう。

今回国連や独仏中露などの言葉を無視して武力行使に踏み切ったアメリカの姿勢は、アメリカという国が何かきっかけがあれば日米安保など簡単に踏みにじって日本にミサイルを向ける国でもある、非常に判りやすい証明になると思います。
日本に以後落とされるミサイルは、北朝鮮からではなく韓国やアメリカ本土から発せられたものではないと言い切れるでしょうか。

この先どれだけアメリカに向かって、イラクという共通の敵を持つ日本はあなた方の敵ではありませんと媚を売ったところで、アメリカは自身が欲すれば日本に爆撃することになんら躊躇いを持たないでしょう。
これまではたまたまアメリカが日本に武力攻撃をする必要を持たなかっただけなのかもしれません。安保を結んだ同盟国だから攻撃しなかったというのは物事の一面に過ぎないかもしれない。
今回日本は国としての立場で、アメリカに、全世界に向かって日本はイラクに敵対すると意思表示してしまった。
アメリカに自分が敵ではない、アメリカの敵であるイラクは日本の敵だと言うことが同盟国のつとめである、ただそれだけのことが言いたかっただけなのに、周りが見えずについでにそうしたことも言って「しまった」。

けれど敵の敵は味方とは限らない。
イラクの敵の日本がアメリカの味方とみなされることは、甘い期待かもしれない。

次の標的は僕たちの街かもしれません。

先頭 表紙

簡潔に言い当ててくださって感謝します。 / 揚水 ( 2003-03-20 15:21 )
ホントは日本がイスラムと欧米諸国の緩衝材的な役割を果たすのが理想なんだけどな。こちらはイスラムの敵だと思っていないけど、今度は違うと思うよ。 / 夢樂堂 ( 2003-03-20 15:09 )

2003-03-19 12年と少し前

海月が部屋の整理をしていて古新聞を見つけたそうです。
1990年11月の新聞。

そこには一人のアメリカ人の少年の写真が載っていたらしいのです。

9歳の少年はサダム・フセインの顔写真が付けられたかなにか、ともかく彼に模せられた人形の首を絞めていたそうです。
笑いながら。

怖い。とても怖い。

その少年が怖いというのではなく、9歳の少年が無邪気に笑いながら「悪魔」の人形の首を絞めている。
そのことこそが怖い。

そう仕向けたのは少年の周りの大人達です。

その少年も今では21歳か22歳の青年でしょう。

ひょっとしたら今回戦争が起こってしまった時、青年はイラク人を殺すのかもしれない。
戦争にもし参加したとして彼がイラク人を殺すより可能性は低いでしょうが、イラク人に殺されるかもしれない。

でももしかしたら、今その青年は戦争に反対するパレードの人々の中、一緒に歩いているかもしれない。
それは僕には判りません。知る由もない。

けれど今僕がその少年の写真を見たとしたら。

きっととても怖いでしょう。

先頭 表紙

実に不謹慎なのですが中東や中近東、旧東欧など紛争地域に生まれなくてよかったと思うことがあります。正直に言えばあんなところに生まれなくてよかったということです。我が身の幸運に震えながら、我が国の首相の演説には反吐が出る思いです。ですが僕も彼と同列の卑劣漢です。お二方の言われる無垢な子供と自分を同一視して大人達の教えの犠牲者ぶるのはあまりに無責任ですものね。 / 揚水 ( 2003-03-20 15:53 )
悲しいことです。何も知らない子供たちに憎む心を植え付ける。それが割りとどの国でも平気でやられているのを見ると、ホントに悲しい。 / 夢樂堂 ( 2003-03-20 01:36 )
イラクに限らず、戦禍の国の子供達の無垢な瞳を見ると胸がつまります。誰がこの子達の未来の償いをするのかと。同時にいらんこと教えるなと。 / kotarou ( 2003-03-19 18:20 )

2003-03-19 ごめんなさい

今回の起こるかもしれないところまで来ている戦争に関して、僕は話し言葉でも書き言葉でも、沢山の言葉を費やしました。

けれど、なにか、芯からの言葉でないためか、僕の言葉は冗長で上滑りしています。

みなさんごめんなさい。

先頭 表紙

お三方、ありがとうございます。 / 揚水 ( 2003-03-20 15:39 )
戦争に対する憤り・・そして人間に対する愛を感じましたよ。上滑りなんて全然感じませんでした。気にせず・・どんどん書きましょう。 / ほ肝 ( 2003-03-20 06:28 )
いえいえ、とんでもない。どこから言葉がきているか、夢樂堂には判るような気がします。 / 夢樂堂 ( 2003-03-20 01:32 )
賛成でも反対でも上滑りでも、発することが大事なのね。私はそう思います。意見が対立してもそれを持ち寄ってすり合わせることができるのは人間だけなのだから。 / kotarou ( 2003-03-19 18:18 )

2003-03-18 再録 「やがて来る未来に託す手紙 」

息子よ。
君がこの手紙を読む時には、君はいくつになっているのだろう。

もしも、明日世界が滅びるとしたら。
そして今そのもしもは現実となろうとしている。

君には最期の時を共に迎えたいと思えるただ一人の人がいるだろうか。
息子よ、僕にはそうした人がいる。いや、いた。
君のお母さんその人こそが、僕にとってのそうした人だった。

彼女に出会い彼女に恋して、彼女とお互いに気持ちを通じ合わせるようになった僕は、そんなことを考えるようになった。かつてないことだった。彼女こそが、そのただ一人の人であると、強く思った。
その頃はもちろん、まだ君は産まれていなかった。

けれどその時は、まさかそれが現実のことになろうとは夢にも思わなかった。最期の時を彼女と迎えること、それだけに心を砕いて生きる時がくるとは。
戦争が、起こった。

他に望みは何もなかった。毎日が苦しいことばかりの、つらい日々だった。それでも、僕は幸せだったと言える。
胸を張って。
ただ、こんなことになるとは思っていなかった。僕たちはいずれ結婚し、子をなし普通に年老いて死んでいくものとばかり思っていた。

けれど、いいのだ。これでいい。年老いるまで彼女と共に生きることは叶わなかったけれど、僕は彼女と最後の最後まで愛し合って、そして死んでいくことが出来る。

そう思うことはわがままだろうか。
僕は死を迎えるその時まで彼女を愛し続けることが出来るが、遺される彼女はそれが叶わない。
やはり、わがままなのだと思う。
彼女や君を遺して自分だけが先に往くことを考えると、もうやがて訪れるであろう自身の死そのものよりもつらく、恐ろしい。

君が健やかに育つことを祈っている。

人に嫌われることは実に簡単だ。その人の望むことをせずに、望まないことをすればいい。
そうしたことがあっても好きでいてくれる人も中にはいるだろう。けれど逆にそうしたことをせずとも嫌われることもある。
誰にでも好かれる人になって欲しいというのではない。
嫌われるよりも好かれるに越したことはないが、全ての人に好かれようというのは、それは、不可能だ。

けれど、好かれることもまた簡単なのだ。
その人のことを、好きであればいい。誰かを愛して生きていって欲しい。
君の行く先に、喜びや悲しみをも分かち合う友や、共に生きたいと願う恋人となるような、そうした人々が生き延びている世界が拓けていくことを望む。

死が僕をどこかへ連れ去るその時まで、僕は君の幸せを願っている。わがままな僕を許して欲しい。僕は、死んでしまう。
まだ産まれて間もない君を遺して。
息子よ、おまえは、生きろ。
生きてお母さんと僕が望みながらも出来なかった、愛する人と共に普通に年老いていく暮らしをして、子をなし、そうして死んでいって欲しい。

この手紙は、お母さんに託しておく。
やがて君が大きくなり、彼女がこれを君に読ませるにふさわしい時期が来たと判断した時に、君はこの手紙を読むことになるだろう。

忘れないで欲しい。僕は君のお母さんを愛していた。心の底から愛していた。お母さんも僕のことを愛してくれていたものと信じている。
君はその二人の間に産まれた、愛の子なのだ。
君の成長する時間を共に過ごすことが叶わない僕が君に残せるものは、この言葉だけだ。

息子よ、君は、愛の子なのだ。

息子よ、僕はもうじき往く。
僕は、幸せだった。

人の世界よ、滅びないで欲しい。
息子よ、生きろ。

先頭 表紙

なにか、芯からの言葉でないためか、僕の言葉は今冗長で上滑りしています。みなさんごめんなさい。 / 揚水@未ログイン ( 2003-03-19 14:01 )
ここで僕が「戦争はいやだ」と言うことは遠吠えに過ぎないのでしょうか。きっと日本の政治が、僕ら国民が、外に対する顔を作ってこなかったツケなのでしょう。もの申す主体の自身というものがそもそもなかった。追随するのはラクですもの。でも一括りに語ってしまうことは危険ですね。いやだ、と言う人々は、活動するにしろ親しい間柄で語り合うだけにしろ、確実にいるのですから。 / 揚水 ( 2003-03-19 12:23 )
ほたての肝さん、でよろしかったでしょうか。よくこそのお越しです。「NO」といってしまったときに怖いのは多分テポドンよりも「アメリカ」そのものなんでしょうね。実際にミサイルが飛んできてしまえばそんなことも言っていられないでしょうが。このままでは、この先日本人は、何も感じない人とアメリカが嫌いな人に分かれるのではないかと先走って考えます。「NO」といっても聞き入れられないから言わない、あるいは何とも思わない。 / 揚水 ( 2003-03-19 12:23 )
あみさん、思うんですが自分の「思い通り」というところに愛があるかないかの違いは大きいですね。あみさんが実験を楽しんでいることと世界を思うがままにしたいと思うことには同じ稚気でも質が全く異なる。僕はあみさんの世界の楽しみ方は、現実にあみさんを知っているわけではないくせに、好きだと思います。 / 揚水 ( 2003-03-19 12:04 )
かばちたれさん、ありがとうございます。この戦争の後、現在アメリカという国を戦争に導こうとしている人たちは世界をどうするつもりでいるのでしょうね? 自分ばかりの利益、覇を唱えたい欲求、誰しもそうでしょうが自分から見た異物を認めない度を超した頑迷さ。稚気しか見えてはこない。彼らが世界をどうしたいと思っているのか、僕は判りません。 / 揚水 ( 2003-03-19 12:00 )
小泉総理は、この件について十分な説明も議論も無いままにあっさりと支持を表明した。フランス・ドイツ・中国・ロシア等々ははっきりと「NO]と言明したにもかかわらず・・・。その背景には、北朝鮮問題があるのだろうが、・・米国の顔を窺いながらの国民不存在の戦争支持の論理なんて成り立つわけがない。無力感が漂います。ちょっと語気が荒くなってしまいました。申し訳ありません / ほ肝 ( 2003-03-19 08:48 )
破壊から生み出される物など何もない。心の荒廃・環境破壊は永遠に続く。そして憎しみの連鎖。この地球でもっとも賢いのは人間・・しかし・・もっとも愚かなのも人間。そしてその愚かな人間達を止めるのも人間なのだが・・。 / ほ肝 ( 2003-03-19 08:48 )
お詫び(?)なんて・・とんでもないですよ。21世紀がこのような形で進行していくとは正直思っていませんでした。権力に酔いしれるジャンキーブッシュ。大国のエゴと自己陶酔の中で世界を翻弄し国連の存在意義すら無意味にするという暴挙。明日への希望・夢・愛・そして尊い生命さへも彼らの手の中で握りつぶされようとしている。正義と言う大義名分での殺戮など存在はしない。戦争は悪でしかないのだ。 / ほ肝 ( 2003-03-19 08:47 )
開戦の危機、ミサイル被弾の危機...。その昔、キーボードを操作するだけで自分の思い通りに動くプログラミングに憧れてPCの世界に入りました。そこ止まりにしてください!A国の大統領様。 / あみすけ ( 2003-03-19 00:18 )
なんの罪のない人が犠牲になる。そんな戦争、私も絶対反対です。自国の利権ではなく、地球全体の将来を考えてほしい。 / カバチタレ@はじめまして ( 2003-03-19 00:06 )
ええ。そりはあなたも含みます、ねんねこさん。お赦しくださいまして感謝いたします。それから以前から読んでいてくださった由、こんなテーマでの記事で何ではありますが、とても嬉しく思います。読み逃げ全く気付いていませんでした(笑)。 / 揚水 ( 2003-03-18 13:15 )
夢樂堂さん、全く仰せの通りです。そしてお互いがお互いを「悪魔」と罵る。そこに「救い」はあるでしょうか? / 揚水@わたしはこの度の戦争に賛成しません ( 2003-03-18 13:12 )
そりは私?いえ、謝ることではありませんよ。以前から読み逃げしてましたから・・(汗)いや、いつバレたんだろうと・・どきどき(笑) / ねんねこ@よろしく ( 2003-03-18 11:28 )
誰もが生まれてきたら希望を持つ権利があります。幸せになる権利があります。その権利を力づくで奪うのは悪魔の所業です。 / 夢樂堂 ( 2003-03-18 10:58 )
新着記事で戦争に触れたと思われる方のページにお邪魔しました。その方々のところではお詫びできませんでしたのでこの場でお詫びいたします。突然の、本当に突然の訪問申し訳ありません。 / 揚水@わたしはこの度の戦争に賛成しません ( 2003-03-18 10:20 )
もともとはこちら。ほんの少し加筆しています。こんな世界にならないで、させないで。させない。 / 揚水 ( 2003-03-18 09:47 )

2003-03-18 愚者の言葉

ばくだんをおとしてやる。
わるものをやっつけるのにはんたいするやつは、そいつもわるものだ。

夜勤明け、新聞買ってきた。

あーあ。やっちまいやがった。
おたんこなすのこんこんちきが。

まだ間に合うのかもしれない。
平和のキャンドルの灯し火は、アンクルサムには見えなかったのかもしれない。
でもまだ間に合うのかもしれない。

独仏が、こと戦争という話題において仲が悪いはずの二国が、手を取って米英に異を唱えたことは無駄ではないはずだ。
かてて加えてそれに中露も賛意を示した。
手を結ぶはずがなかった国が、アメリカの専横に対してという限定条件付きながら、世界の平和のために、不戦のために手を結んだ。
これは第2次大戦後の一つの大きな事件に数えられるべき事ではないか?
我が国がそこに並ぶことを選ばなかったことが非常に悔やまれる。

サダムの「誰がアメリカに裁判官の任をまかせたのか」との言葉と、根拠も曖昧なまま周りにそのまま突っ走るのはどうかと諫める者がいるにも関わらず「イラクは滅ぼさねばならない悪の国だ」と叫び続けることと、
いったいどちらがまともに響くことだろう。

やっちまいやがった、ということにならないで済むかもしれない。
今ならまだ。



祈ろう

祈ります。祈る。
大切な人たちが生きる大地に爆弾が落ちてはなりません。
祈ります。


海月の言葉です。

先頭 表紙

こうなってしまった以上なんともならない、などと考えることだけはしてはならないのでしょうね。北朝鮮が攻めてきたときのためにアメリカ寄りでいなければならない、と考えるように持っていくのが欺瞞である様に。なんともならない、と考えた時点で終わりです。北朝鮮が攻めてきたときのアメリカが守ってくれるように仲良くするのも手かもしれませんが、そうならないように前もって北朝鮮に顔を向けることを、であればなおさら今のうちにしなければ。手遅れと後で言わないように。 / 揚水@わたしはこの度の戦争に賛成しません ( 2003-03-19 11:55 )
くそったれ!なんとかならんのか!と思います。 / くすのき燕 ( 2003-03-19 09:49 )
ないでしょう。もしあるのだとすればそれはもう聖典ではなく狂信の書です。書かれてもいないものを「解釈」によってそこにあるかのように見てしまうのであれば、それは狂気の所業です。しかし人は「正義」のために人を殺すのです。自身と他者の正義の違いに想い馳せることなく。 / 揚水@わたしはこの度の戦争に賛成しません ( 2003-03-18 13:19 )
今、戦争を起こそうとする人にいいたい。聖書やコーランに『人を殺してもいい教えがあったか』。 / 夢樂堂 ( 2003-03-18 11:01 )
はい。でも祈るしかできない自分が歯痒く、悔しい。でも僕は祈る。 / 揚水@わたしはこの度の戦争に賛成しません ( 2003-03-18 10:36 )
複雑な思いで演説を聞きました。祈りましょう。 / みるみる@Atelier ( 2003-03-18 10:30 )

2003-03-17 天才の言葉

一昨日年若の同僚が仕事の合間に、彼が今読んでいる本を見せてくれました。

僕たちの仕事は顧客から掛かってきた仕事の依頼の電話を受け、応対し、それを実際に現場で働く営業サイドの人々に割り振りする類のものです。
電話が集中する間はとてもめまぐるしく、慣れない僕などはてんてこ舞いしています。

暇な時間もわずかばかりはありますが、そうした時間帯に電話を掛けてくる方もみえるので気は抜けません。

そうした合間に、一冊の本を見せてくれました。
人が読んでいる本を見せてもらうことは、何かそれまで知らなかったその人の内面を垣間見るような淫靡さがあります。
ましてよく知らなかった人であれば。

同僚は見た目そのまんま若者、と言った然ですが、真っ直ぐな人間であるのは一目見れば誰にでも判るような男です。
実に判りやすい。

見せてくれた本は、彼がただ若く素直な若者であるばかりではないことを示す豊かなもの、アインシュタイン博士の言葉を抄に編んだ小本でした。
彼はその本を買って、何処からでも開いたところから読んでいく方法で読み始めたということでした。
偶然か必然か、彼が最初に開いたページに載っていた言葉を見せてもらいました。


博士は言います。

「わたしには第3次世界大戦がどのようなものになるかは判らない。
 けれど第4次世界大戦がどのように戦われるかは判る。

 人々は石と棍棒を振り回して戦うことになるだろう。」

そのような内容でした。


「深いねえ」
同僚は言いました。

僕にはその若者の方こそが眩しかったのですが。

僕や同僚の子供達、そのまた子供達が石や棍棒を持って戦うことになるような世界にはしたくないと思います。

先頭 表紙

お二方へ。彼の国の大統領がその任につく宣誓の際掌を載せる本には「汝隣人を愛せよ」と書かれてあるはずではなかったでしょうか? アメリカは十字軍の愚を繰り返すつもりでしょうか。これを言うのは実は怖いのですが、新約聖書の下にでなくシオニズムの下に。 / 揚水 ( 2003-03-18 07:35 )
人が起こす戦争。どこに向かって行くんだろうね。現代にまたよみがえって。 / みるみる@Atelier ( 2003-03-17 17:27 )
深い言葉だと思います。破壊兵器すら作れない時代、その危険性を現代の戦争は秘めています。 / 夢樂堂 ( 2003-03-17 14:20 )

2003-03-17 これは空文か?

この世界ぜんたいに正義と秩序をもとにした平和がもたらされることを心から願って、われわれ日本人は、国には戦争をする権利があるという考えを永遠に否定する。
国の間の争いを武力による脅しや武力攻撃によって解決することは認めない。

この決意を実現するために、陸軍や海軍、空軍、その他の戦力を持つことはぜったいにしない。
国家というものには戦う権利はない。



池澤夏樹さんが進めている日本国憲法の新しい訳の仕事の一端です。
正義、秩序、心から、永遠、否定、物々しい言葉が並びます。
言葉本来の持つイミや力をきちんと考えれば、これらの言葉は「武力」や「攻撃」なんかより余程物々しい。
言わずとしれた、第9条です。

空文はそれがまともに取り合われることが少ないからこそ空文やキレイ事に堕すのであって、向き合ってみれば美しいことであることが多いのかもしれないと考えます。

これを空文と思うなら、理想論と思うなら、まして「押しつけ」と決めつけたいならば、
嗤わば嗤え。

俺は嗤わない。





(池澤夏樹さん「新世紀へようこそ」

先頭 表紙

ボケ結構。上等じゃないですか。志向するボケは力が必要です。誰かの血の下に与えられた平和なのにそれも知らず感謝もせず与えられることに甘んじるだけのボケと一緒にしないで欲しいもんです。平和を志向するボケがあってもいい。年長の方にそう言ってもらえるのは、とても嬉しい。 / 揚水 ( 2003-03-18 07:30 )
最近、平和を志向する者を平和ボケと揶揄する者がいます。多くの血を流して出来た日本憲法、平和ボケできる国家があっていいんだと思う。 / 夢樂堂 ( 2003-03-17 14:23 )

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