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ねむり猫の福だより ふくとねむりの近況報告

ふくは元気!飼い主ねむりは大衆芸能鑑賞にはまってます!

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-02-22 今日は2/22猫の日 ところで一月は一回しか落語に行っていません
2001-02-20 久久に最近の[愛猫ふく]の様子でも・・・
2001-02-02 テレビで柳家花録発見!ダンスを踊りピアノを弾く落語家に期待
2001-01-18 夕刊フジ「三木助さんの最期、愛猫は見てた」
2001-01-16 20世紀最後の月の芸能鑑賞 後編 「ほーぉ、人間国宝!」
2001-01-15 20世紀最後の月の芸能鑑賞 「やっぱり日本人」「おそるべし狂言」
2001-01-12 ふくは元気!オヤバカぶり爆発の「ふくちゃん年賀状」
2000-12-29 番外編 サバ〜 おとじろうさんの誕生日 おっと驚いた、あのムッシュ登場!!
2000-12-05 11月の芸能鑑賞報告 2部
2000-12-05 11月の飼い主の芸能鑑賞報告 1部


2001-02-22 今日は2/22猫の日 ところで一月は一回しか落語に行っていません

今日は猫の日、ふく元気。本日の日記はふくとは関係ありません。
最近、面白いところに出掛けていない。飼い主が日常の些末な物事に追われているせいだ。そう、最後に寄席に行ったのは、正月二之席の新宿末廣亭夜の部だった。かなり話題として古いけれど、レポートの一環として思い出してみよう。

トリは志ん朝師匠だった。
何分、寄席通いをはじめたのが昨年の後半、師匠の落語は見るのも聞くのもはじめてだった。師匠のことは「錦松梅」のコマーシャルくらいでしか知らなかったが、5代目志ん生師匠の子供だということと、今良くテレビに出ている中尾彬夫人の池波志乃さんのおじさん(いや,従兄?)ということくらいしか知らなかったが、落語界ではむっちゃ偉いお方だ。

ともかく楽しみに末廣亭に行った。流石に二の席、平日の夜でも席を見つけるのがやっとというくらいの混み様、寄席はこうでなくっちゃ気分が盛り上がらない。結構好きな「よたろーの」志ん五師匠も幇間(たいこもち)の話で笑わせてくれたし、ヒザは私の大好きな紙きり正楽師匠だった。師匠は皆のお待ちかねが志ん朝師匠ということで軽〜く流し、いよいよ真打(芯打ち)の登場。初めてお目にかかった実物は、何だかお身体の具合でも悪いのかチョット痩せた印象だったが、落語は一言、「面白かった〜」。その日は「明烏(あけがらす)」、堅物の大店の若旦那をナントカしようと、旦那と近所の若い者とが結託して吉原に連れて行く・・・というチョット艶絡みの噺。知ってる話なのに、なんでこんなに面白くて盛りあがるのか?不思議なんだけれど、それが芸の深さなんだろうねぇ。オペラもよーく知っている「惚れた、切った」ってストーリーだけど毎回盛り上がっちゃうのよね、うん、芸の共通点。

そうそう、忘れてならないのが16日の金曜日、大久保で元「ニュースペーパー」の松元ヒロさんのソロ・ライブを見た。最近寄席のイロモノとしていろいろなところにも出演されている。基本はパントマイムというか物まねなのだが、これがまた面白いんだなぁ。落語とまた一味違った大人の笑い。ヒロさんは、サラリーマン金太郎の映画版で「金太郎が火事の現場から子供を救う場面で、近所のおじさんを好演」しているらしい。もしも見たことがある人は、その人が松元ヒロさんよ、念のため。

ところで、2月はこれから、24日三宅坂の国立演芸場で名人会、あとはもう一回新宿に行く予定。
実は21日、毎月新宿安田生命ホールで立川志の輔師匠の「ライブ」があるけれど、今月は所用でいけなかった。来月21日は行けるかな。

最近落語に偏り気味の日々だが、昨年に仕込んだオペラがあとひと月に迫り、また今年後半のオペラ・チケットの仕込み時期、オペラ関係もなかなか忙しくなってきた。

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JAI様はじめまして。米朝師匠は人間国宝ですよね?是非聞いてみたい。上方落語は文枝師匠と文都師匠しか聞いたことがありませんが、ハメものとかはんなりした言葉が江戸と違ってまた別な趣がありますね。 / ねむり猫 ( 2001-02-22 16:51 )
関西の落語もいかがですか?桂米朝様、すばらしいですよ。うちの姉は落語大ファンで、志ん朝師匠の大ファンです。旦那は米朝師匠。おかげで私も何度か寄席に行きました。面白いですよね。 / JAI@はじめまして ( 2001-02-22 11:03 )

2001-02-20 久久に最近の[愛猫ふく]の様子でも・・・

米国から帰国中の元上司、会うといきなり「最近、書いてないじゃない!」。一瞬何のことやら分からなかったが、表情から察するに仕事ではない。すぐにHimajinを指していることが分かった。個人の猫自慢や勝手な鑑賞ノートも、日本を離れて暮らしている人たちにとっては、もしかすると「日本」に触れる大切な手段なのかもしれないし、ましてや知っているものが書いているなら尚更なのだろう・・・。もう少し頻繁に書こうか、などど考えている今日この頃だ。そうなると、学生時代を京都で過ごしたこの元上司には、私のもう一つの凝り性を追加し「ねむり猫の教えたくない京都日記」とか書いてあげるといいかもね。

さて、ふくである。信じてもらえないほど甘ったれで困っている。ソファで座っていれば膝の上に登る、まあこれは極当たり前だったのだが、今は膝の上に登っているといきなり立ち上がり、両の手を肩口にかけてねむりのあごのあたりをナメにくる・・・。嬉しいやら、なんやらなのだ。ふくの睡眠中に、こちらがキッチンに立ち食事を作ったりしていると、わざわざ起きてきて足元にきちんと座ってこちらを見上げる・・・、甘えた声で鳴いてくるなどということはもう当たり前の日常の風景だ。

飼い主、やはり[ふく]なりに日中ひとりで過ごすことに寂しさとストレスを感じているのではないか?とかなり心配になり、もっと家にいるときはスキンシップを!などと、子供になかなか会えないサラリーマンお父さんのような心境で遊んでやろうとした。するとどうだ、遊んでもすぐに飽きてしまって、結局定位置で身繕いの後、ソファに上って眠ってしまうのだ。

どうも若いお嬢さんの考えは分からない。
ともあれ、食欲よし、排便よし、睡眠よし、体調の悪そうなところ無しなので様子を見るとしよう。しかし、あんなに愛想の無かったふくが、こうも毎日[猫なで声]だと、こっちがどうも落ち着かなくっていけない。これが人間だったら、何か大きな何かを[おねだり]するつもなのかって、勘ぐりたくもなるってものだ。

家で最近聞いている「5代目古今亭志ん生」の落語CDで、マクラの中の小噺にこんなのがあった。
ねずみのお嬢さんが嫁ぎ先から戻って来て、いじめられでもしたのでは心配した両親が理由を尋ねるとお姑さんは優しくしてくれるという。両親が優しいなら良いじゃぁないかというと、「だって、猫なで声なんですもの・・・」。

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ぽたり子様もねむり様も分○○山ごひいきですか?私はお店は行ったことありませんが、そこの野崎さんのレシピは買いました。結構おいしくて何度も作っているものもあります。 / おとじろう ( 2001-02-25 16:18 )
いやー時間とお金が無くて、ただいま「京都に行く人旅程計画人」としてのみの活動です。自分で好きな寺なり庭なり随時チェックしておかないといけないのにね・・。ぽたりこさまもお忙しそうだったもので(メールの返事が無かった)つい・・。いつ? / ねむり ( 2001-02-21 09:31 )
もっと頻繁に書いてください。ついでに京都編なども。 / たらママ ( 2001-02-20 21:42 )
はぁ〜い、ごぶさた。ところで、分○○山はいつ行きますかい? / ぽたり子 ( 2001-02-20 19:09 )

2001-02-02 テレビで柳家花録発見!ダンスを踊りピアノを弾く落語家に期待

夕べ、何気につけたNHKの「TOP RUNNER」という番組に、落語家の柳家花録師匠(人間国宝小さん師匠の孫)が出ているのを見つけた。

落語家として「いまいち!」だとか「まだまだだ」とか言う声と、「とにかく可愛い」「才能にあふれている」という両方の話を聞いていたが、実際に噺家としての彼に接したことはなかったのでまじめに番組を見た。 立ち話はあるよ。ねむりの12月芸能報告観てね。
「おそるべし狂言 −花録さんにあった」

9歳から高座にたし、中学卒業と同時におじいさんである小さんに入門し、18で二つ目、22で真打に・・・とそれはそれは凄い出世ぶりである。実際何十人抜きで真打になったのは小さん師匠の息のかかりかたが違うということもあるだろうけれど、落語家になったのが15歳とあれば、22歳で大学の落研出身の人が落語の世界に入ったとして7歳、22歳で真打はまあ、妥当なところなのかなぁなどと納得してしまった。

とりわけ、ジャズダンスにラップ(なかなかのものでした)、ピアノもまあまあでこれからの落語にとっては人寄せの意味も含めてヤハリ好影響を与えるのだろうなと、感心。

彼曰く「落語が面白くない」と思った人は「落語ではなく、その落語家が面白くなかった」のだから、またぜひ面白い落語に足を運んでくれ! 同感である。

ちなみに、バレエダンサーの小林十市、本当のお兄さんなのね。おそるべし小林ブラザーズ!

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こぶ平師匠はまだ拝見したことが無いのですが、時々池袋演芸場などで「同じ古典ねたを毎晩違う若手の噺家がやる!」などという企画を立てたり、結構落語に前向きですよね。こんど観てみたいと思います。 / ねむり ( 2001-02-05 14:57 )
口車、これ見損ないました。くっそー。口車、こぶ平師匠もなかなかと思っているのですよ、ばかにされていますが。以前、アコーディオンのおじさんと出てきて、父親の持ちネタ再現してやった番組見て、「こいつぁ、すごい。」と思ったのですよ。 / 口車大王 ( 2001-02-02 21:41 )

2001-01-18 夕刊フジ「三木助さんの最期、愛猫は見てた」

友人からYahooに載っていた夕刊フジの記事が転送されてきた。

「 三木助さんの最期、愛猫は見てた(夕刊フジ)」
http://news.yahoo.co.jp/headlines/fuj/010116/ent/12040000_fujient016.html

猫が嫌いだった三木助が、ひょんな事から猫を飼い始め、自分の前座名「小太郎」と名づけ本当の息子のように可愛がっていた・・・、その猫はお姉さんが発見するまで自殺した三木助さんのそばに居た・・・、と猫好きが思わず涙する内容。

この記事を見て思ったことが二つ。
ひとつめは、以前にも書いたが、猫好きはよその家の猫も大好きで、その猫の猫格を認めて感情を分かち合う。ふたつめに、猫嫌いだったひとがいざ猫と一緒になると思いもかけず猫好きになる・・・、私はこのような友人を何人も知っている。

一般的には、人間が猫の死を見取ることになる。この記事を送ってきた友人も引越しを考えていて「次の家が愛猫にとっての最後の家になる可能性が高いから”日当たりと大きな窓”が家探しのポイントだ」といってきた。納得である。いまは元気一杯のふくも、10数年には寿命が来て私が見取ってやることになるだろう。小太郎は、どのような心持ちで主人であり親である三木助の最期を見守ったのか、また最期を発見したのだろうか?

人間は親より先に死ぬのが何よりの親不孝と言われているが、猫との暮らしでは決して親が先に逝くわけにはいかない。ふくのためにも健康に気をつけねば!と決意を新たにした、最近体のあちらこちらが痛んでいる飼い主である。

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仁木悦子さんの「猫は知っていた」かと思っちゃいました。 ところでただ一度猫を飼ったことがありましたが、引っ越しをする前の日に急にいなくなってしまいました。連れていけないねえと言っていたのがわかったのでしょうか。 / 小枝 ( 2001-02-26 11:52 )
看取るって見取るじぁないのね、失礼!猫って、結構気持ちをいろいろな気持ちをくみ取ってくれるように思います。私もふくの子供ができたらいいけれど、避妊手術ズミなので残念ですね。 / ねむり ( 2001-01-18 13:38 )
この記事を読み、私もお福さんとねむりさんの関係を思いました。看取るということではなくて、どれだけ痛みをわかってくれているのだろうって。 / おとじろう ( 2001-01-18 13:27 )
私の母も元々は猫嫌いだったのが大好きになってしまったクチでございます。現在2匹飼っているのですが、「この子達はきっと私よりも早く死んでしまうのだから、この子たちの赤ちゃんが欲しいわ。」と言っております。 / まみ ( 2001-01-18 13:13 )

2001-01-16 20世紀最後の月の芸能鑑賞 後編 「ほーぉ、人間国宝!」

・・・という訳で、後半になりました。

12月下旬某日、両国江戸博物館「大江戸落語展」。これは落語の歴史や、落語関係の様々なコレクション、名人たちの思い出の品々などを一同に集めた展覧会。この規模での企画はおそらく最初で最後。わたしの習っている寄席文字の実演有り、もう亡くなられた名人のビデオが一日中流れていたりして落語好きにはたまらない空間だった。数時間見てまわったけれど回り切れずに結局明けて正月、また足を運んだ次第・・・。

12月下旬クリスマス、池袋演芸場「正楽のクリスマス・パートI」。前述の正楽師匠のいわば独演会。この企画にパートIIがあるのか疑問を持ちながらも池袋に行くと、もう正楽ファンでいっぱい。補助席もでている。いつもの着物姿から一転タキシードで現れた師匠様々な趣向で「たっぷり」紙切りを見せてくれた。この日の落語の柳家喬太郎さんは「おやじがゲイだと友人にからかわれ悩む息子が、本当は女であることを隠し男に成りすまして男親として息子を育てようとしていた、という母の愛に気づく」という、滅法複雑な新作落語を披露していた。いやはや、ごくろうさん。

12月晦日、紀伊国屋ホール「鹿芝居、興話情浮名横櫛」。全く不勉強で知らなかったが、鹿芝居とは落語家さんが演じる歌舞伎のことのらしい。聞いていた分かったが「いやさぁお富、久しぶりだなぁ〜」というあの名科白の演目。噺家さんが歌舞伎役者に扮して歌舞伎を演じるわけだが、まあ素人さんということでやるほうも見るほうも気楽なもの。とはいえ雲助さんは、なかなかホンモノのようにハリのあるいい声でたっぷりと聞かせてくれました。落語はといえば、私の好きな三三(さんざ)さんと人間国宝、小さん師匠(永谷園のお味噌汁)。小さん師匠、ご存知の通りかなり高齢の方だから、一瞬でも言葉が途切れると会場全体が「うぅ〜、運命の一瞬か?」とでもいったような緊張が走り、結構終始ドキドキしていた。当日は「睨み返し」という落語をやってらした。話すほうは聞く人が聞くと色々といいたいことが有るのだろうけれど(何分私は全盛期を知らない)、キセルを加えて只睨み返すだけの「間」の持たせ方なんかは、やっぱり極めた方の芸の域、といえるのでしょうねぇ。

とまあ、20世紀の締めに人間国宝の芸を観て華やかな舞台に触れられたとあれば、これ以上何を望めば良いのだ・・・。21世紀の初めに何を見に行くか少し迷っているけれど、オペラのチケットは3月まで仕入れていないのできっと落語になるでしょう。

では、おあとがよろしいようで・・・・・・。

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2001-01-15 20世紀最後の月の芸能鑑賞 「やっぱり日本人」「おそるべし狂言」

2000年の最後の月、オペラの「オ」の字もコンサートの「コ」の字にも縁の無い月となった。単純に興味ある演目が無かっただけなんだけれどね。
かわりに、落語、講談、狂言、鹿芝居・・・それに大江戸落語展と一体どうしちゃったの?というくらい日本の古典芸能関係の場所に足を運んだ。世紀末に日本人のDNAが騒いだのか・・・。

12月上旬某日: 新宿末廣亭上席。まったくもって分かりやすい私は、またもやヒザの紙きり3代目正楽師匠目当てに寄席に行く。この晩は、一緒に行った友人が「今日はどうしても師匠に何かを切ってもらいたい!」ということで、いかに掛け声を書けるとリクエストに答えてもらえるかを偉そうにブってみる。実際、友人は念願叶い「クリスマス・イブ」というお題で紙を切ってもらった。めでたしめでたし。

この正楽師匠、ビートたけし絡みのテレビで最近よく見かける。正月番組では「ここが変だよ日本人」の海外でこの日本の芸は受けるか?というコーナーに出演していらした。まぁ、テレビも良いけれど、ひとつ寄席へ・・・。

12月中旬某日、日本橋亭: 講談師、宝井琴柳(たからいきんりゅう)師匠の会。私の師匠のご紹介で琴柳先生と飲む会あり。お歳は随分上だけれど何とも色っぽくて可愛いらしい方だったので、講談とはどんなもの?という気持ちで出かけたが、「これからの講談の世界を必ずや引っ張っていかれる先生です」といわれた通り、退屈だろうか?などというイメージを持っていたことを忘れるほど「あっという間に」お話に引き込まれてしまった。先生はそれはそれは見事な「鶴っパゲ」なのだけれど、講談師としての語りが始まると、とたんにそのハゲ頭がパーッっと紅潮してきてそれもビジュアル的に色っぽいし楽しい。同日、落語家二ツ目の柳家三三(さんざ)さんも、お若いのに気味悪いくらいお上手で私好みの噺家さんだ。

12月中旬某日、渋谷クロスタワーホール、狂言小劇場。狂言といえば、最近一番有名なのは紅白で司会をし、大河ドラマで主役をやっている和泉元やだと思うし、ちょっと前なら野村万X。Xになってるのは狂言に詳しくないから忘れてしまったのだ。今回行ったのは京都ベースの「茂山(しげやま)家」の若手の方々の会だ。まったく予想だにしなかったのだが、観客がほとんど女性、しかも若い、とにかく若い・・・。一体、わたしは何を見に来たのか一瞬分からなくなるほどの「ジャニーズ」状態。中にカナリ年配の女性たちも混ざっているあたりは、さしずめSMAPのコンサートといったところか?とにかく20代のこの茂山家の若者たち、「トークタイム」なるもので登場すると、着物から一転「フツーのボーダーのTシャツにジーンズ」みたいな、手が届きそうなトナリの可愛いお兄さんたち風なのだ。たしかに可愛い。またNHKの朝ドラマ「オードリー」に茂山逸平くんが出演している、このあたりが人気の秘密なのか?落語と圧倒的に違う客層に、近くでこの狂言を見に来ていた落語家の柳家花録(かろく、人間国宝柳家小さんのお孫さん)さんも驚いていた(実は花録さんと一言だけお話する機会が合ったのよ)。

狂言は独特の言い回しが可也難しく、私にはまだ難しい・・・という率直な感想だが、チャンスがあればまた足を運びたい。おっと若い女性の皆さん、手が届きそうでりながらあの一家は「名家」だから、そう簡単に手は届かないのよーん。

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経を読む音に確かに似ているかもしれませんねぇ。野村家の会だったら、交通渋滞になるくらい凄い混みようなんでしょうl=ねぇ。 / ねむり ( 2001-01-16 16:20 )
狂言はどうしても眠くなる。周りをみても舟漕いでいる人が多かった。気持ちよく寝てしまった。そう言えば仏経を読む音にも似ている。安らかに眠れるはず。危ない、危ない。 / おとじろう ( 2001-01-15 13:27 )
先週!万作&萬斎が近所で会を開いてましたけど!凄い人だったっす! / ムッシュ ( 2001-01-15 13:00 )

2001-01-12 ふくは元気!オヤバカぶり爆発の「ふくちゃん年賀状」

さて、年も改まり随分と経ち、一年で一番寒さのこたえる時節となった。「ふく」ことだい福お嬢様は、外の寒さとは無縁のぬくぬくの中で甘やかされて暮らしている。去年は「勿体無い」といちいちつけたり消したりしていたエアコンも、今年猫が一匹居るか居ないかで「存外エアコンもつけっぱなしの方が効率がいいかも」と、飼い主の解釈もいいかげんに変わった。まあ、おかげで外から帰ってもエアコンの下で部屋が暖まるのを待つこともなくなった訳で・・・・・・。

年賀状が届いた皆さん、驚いたでしょう、オヤバカぶりに!「オヤバカとは聞いていたけれど、あそこまで・・・」とわざわざ久久に連絡をくれた友人もいる、これもオヤバカ効果だろうか。とまれ、概ね好評ではあった。

飼い主は「世の中がどう変わろうと、私がパソコンで年賀状を作ることだけは主義に反する」という考えている。頂いた年賀状を拝見すると、最近は色々とパソコンでも面白いことができるようであるが、それでも飼い主、2001年年賀状も手すり・筆ペン宛名書きを実行した。今回はもちろん「ふく」だ。落語の高座に見立てた賀状の中心のお座布の上にふくがいる、と言う単純な構図。しかし彼女の毛の色の感じを出したり、全体の雰囲気を作り上げるため、年末の糞忙しい時期に「3刷り」もやった飼い主だ。3刷りとは単純にいえば100枚 x 3。ただ地色なんかインクをたっぷり使ったときになかなか乾かすにも時間がかかるから、刷って乾かすだけで半日以上かかった。おまけに自分の落款を押し、キレイに出なかった字を修正したりで100枚 x 5の手間がかかった。それからやっと宛名&一言書きなのだ。

ふくは、年賀状作りの間かまってくれない飼い主にソファの上から「にゃじゃら風」睨みを利かせていた。こちらがどんなに「ほーら、ふくちゃんがこんにゃにキレイににできまちたよ〜」と見せようが「馬の耳に念仏、猫に賀状」だ。

「こうなると来年もふくちゃんだね!」と早くも来年のオヤバカ年賀状を予言する友人もいる。いずれにしても、自分の子の写真(最近は親も一緒だけどね)を送る皆さんの心境が「初めて理解できた」飼い主であった。

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おとじろうさま、加湿器(冬支度の項参照のこと)が大活躍でございます。 / ねむり猫 ( 2001-01-15 12:19 )
猫ちゃんは暖房がんがんの中で乾燥はしないのでしょうか?今年もよろしくお願いします。私の年賀状はインクの色を間違えて失敗でした。 / おとじろう ( 2001-01-12 14:10 )
ムッシュさん、その節は・・・ありがとうございました。たらママさん、本年もよろしくね。 / ねむり猫 ( 2001-01-12 13:45 )
次はねむりさんが、ふくちゃんをぎゅっと抱きしめたお写真なんてどうでしょう。親ばかステップ2. / たらママ ( 2001-01-12 12:43 )
おひさしです!昨年はね〜「ドッキリ」ごめんなさい・・・・・! / ムッシュ ( 2001-01-12 12:09 )

2000-12-29 番外編 サバ〜 おとじろうさんの誕生日 おっと驚いた、あのムッシュ登場!!

ねむり猫、久々のHimajinです。実を申しますと私おとじろうさんとは10年来の知り合い、ここ数年は毎年おとじろうさんのお誕生日あたりに忘年会と称して飲み食いをしております。

おとじろうさんの彼はこの季節お仕事で忙しく、まさしく誕生日に今年も集まることにした。何を隠そうねむりも12月生まれだが私のは初旬、もう自分がひとつ年をとったことなど忘れそうになっておりました。

飲みながら食事をはじめていると、別の友人○○○のもとに不振な電話、話し振りからすると彼ではない。「ちょっとゴメン」こっそりと席を外す・・・・・?すると、少しして「ふィ」と戻ってきた友人と一緒に見知らぬ男性、その両手に麗しい花束・・・・・・。おとじろうさんはすぐに気付いたらしいが、私は自分の誕生日もあんまり覚えていないから花の意味がまず分からず・・・で、花・・・華・・・「もしかして、私名前だけ存じ上げている方かしら?」。そう、ムッシュ!

わたしの頭の中には「ムッシュと言えばかまやつひろし」くらい「かなり年配のカリスマ華のプロ」というイメージが勝手に出来上がっていたのだけれど、目の前に登場した「本物のムッシュ」はオシャレで素敵でチョット危険な感じの方でした(年齢はねむり猫マイナス3〜5歳くらいかしら?)。

おとじろうさんも私もそれぞれ雰囲気の違う花束をいただいて大喜び。私のは渋い赤、オレンジ、黄色、ピンクからなる絶妙な色彩の花束、気分は「有名人から頂いたの!」といったところ。

興奮してまともにお話も出来なかったのが残念でしたが、ムッシュが帰った後「やっぱりサバ〜!って言ってもらいたかったね」とか「帰りにはオ・ボワール!が聞きたかった」と話し合って多いに盛り上がりました。

ムッシュさん、仕事納めでお忙しい中ありがとうございました。次回のどなたかからのご依頼の際は「サバ〜!」で登場されてみては?

こっそり企画してくれた○○○、本当に思いがけず嬉しかったです。


==なお、ねむり猫の12月の芸術鑑賞も多岐にわたりました。ふくも元気です。==

先頭 表紙

初めてお邪魔いたします。遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます♪お友達のステキな演出に感動いたしました〜。ねむり様とふくちゃんにとってステキな21世紀が訪れますように!!一月の歌舞伎公演も今から楽しみにしております〜。 / ケイ ( 2000-12-29 17:37 )
○○○さん、すごいなあ。いいお友達をお持ちでステキな仲間ですねえ。ほんと加わりたいわ〜。 / フィー子 ( 2000-12-29 16:20 )
またまた!いや〜なかなかのもんです?こちらも「楽しめました」 / ムッシュ ( 2000-12-29 13:57 )
たらこ様、ムッシュさまの「妖艶な大人の・・・」と言う表現、本当に「お上手でいらっしゃる」。いわれてみたくて、いわれたことがありませんので、チョット恥ずかしゅうございます。あややさま、そりゃーもう楽しかったです、ハイ。 / ねむり猫 ( 2000-12-29 13:55 )
びっくりの演出でしたねぇ!楽しかったでしょうね!私もまざりたかったわぁぁぁ。おくれましたがお誕生日、おめでとうございます! / あやや ( 2000-12-29 12:48 )
それから、ムッシュ様に「妖艶な大人の魅力」の女とおっしゃっておられますねえ!妖艶なねむりさんってどんな感じかしらぁ! / たらママ ( 2000-12-29 12:21 )
ねむりさん、タイトル見て私はてっきりねむりさんがムッシュをお呼びになったのかと思ってましたわ。友人OOOさんって粋なお方ですねえ。ちょっと危険な感じ...そうそう、いい表現ですわ。遅れ馳せながらねむりさんもお誕生日おめでとうございます。 / たらママ ( 2000-12-29 11:26 )

2000-12-05 11月の芸能鑑賞報告 2部

下旬某日: パルコ劇場に「志の輔らくご」を見に行く。ご存知立川志の輔師匠だ。この方の凄いところはどんなに有名でTVやCMにたくさん出ても「決して高座をおろそかにしない」その姿勢と、新作・古典を問わず研究熱心なところ。今回は新作2話、と古典1話。この古典「帯久」といったか、涙をそそうはなしで落語にしては「全く面白くない」お話、今現在高座でやる人は皆無らしい。師匠自身が語ったようにこの後また何十年もやる人がいないだろうというシロモノ。しっかりと勉強に裏付けられた語り口、一応落ち(サゲ)はあるが講談を聞いているようなそんな面持ちだった。月いちの志の輔師匠の落語会にはこれからは時間の許す限り足を運んでみたい。

下旬某日: 浅草東洋館、立川流名人といろものの会。この会は日米ハーフの落語家快楽亭ブラックのプロデュースした会、さすがにちょいと変わった「寄席」だった。この日のお目当てはパントマイムの松元ヒロさんと立川流の「良心」談幸師匠。お二方は期待通り。しかし全く予期していない幇間芸(所謂タイコ持ち)悠玄亭玉八さんという方が登場、凄く芸がしっかりしいて色っぽく(注:男性です)面白かった。小噺、小唄、都都逸、パントマイム・・・と普段は寄席ではなくお座敷がホームグラウンドという芸の数々は完成度が高い。そこいら辺の落語家は見習うように!と、おもわず・・・・・・。

さて、年賀状の季節、飼い主は誰になんと言われようと何枚書こうとも「手作り、一枚ずつ宛名も手書き」派だ。今年は子供の写真を送る親の心境が少しだけ理解できる。しかしふくの写真を送ることは何としても避けたい(視覚に耐えても、あたしの美学がね)。飼い主から年賀状の届く可能性のある皆さん、絶対期待しすぎないで待っててね!

先頭 表紙

手作り、宛名も手書き派は素敵ですね。気持ちだけあっても実際出来ないのが普通です。依然飼い主さん手掘りの消しゴムハンコを見たのを思い出しました。ものすごい上手でした。 / ぐりぐら ( 2000-12-12 16:13 )

2000-12-05 11月の飼い主の芸能鑑賞報告 1部

この秋は、例年に無く「幅広い」ジャンルの芸術・芸能に触れることが出来た。落語に関してはド素人も同然、とりあえずいろんなところに顔を出してみたというところか。出掛けたのは落語定席1回、落語独演会その他3回、(先にも書いた)ウィーン国立歌劇場「シャモニーのリンダ」、クラウディオ・アバド指揮ベルリンフィル(前の日記ではオペラにつられてウィーン・フィルと書いてしまった)、そして歌舞伎平成中村座「法界坊」。

中旬某日: 新宿末廣亭中席に足を運ぶ。漫才の順子・ひろしさんは「とにかく面白い」。なんとも言えない「間」がいい。実は「小満ん」師匠のトリを楽しみにしていたのだが、交代の与太郎で有名な志ん五師匠だった。与太郎ものではなかったがそれはそれで流石に面白かった。3時間半もぶっ続けで寄席にいる自分が信じられない!席亭さん(末広亭のご主人)に顔を覚えてもらう(本当に覚えたかい?)。

下旬某日: クラウディオ・アバド指揮、ベルリンフィル。エグモント序曲、交響曲第7番他。この世の中でベルリンフィル(とおそらくウィーンフィル)に行くことほど「約束された安心」を保障してくれるものがあるだろうか?とは演奏を聴きながらふと頭をよぎった考え。オペラにはあたり・はずれが大きいが、ベルリンフィルを聴きに行くことは、SOKホームセキュリティーの入った家に住む猫のようである(11月29日の新聞全面広告参照)。来年、運良くチケットが手に入ったらまた出かけたい。

下旬某日: 上方落語立川文都師匠奮闘会、上野広小路亭。文都師匠は上方落語といってもお囃子と一緒に・・・・・・という芸風ではなく関西の言葉でやる落語。華(はん)なりとした軟らかな語り口がなんとも優美な噺家さん。当日は飼い主も習っている「寄席文字」の実演もありでチョット面白い落語会だった。

下旬某日: 平成中村座「法界坊」。隅田川畔におったてられた芝居小屋での公演、当初のうわさ通り、歌舞伎座や国立劇場で観る歌舞伎と違い、歌舞伎が「庶民の楽しみだった」ということを教えてくれるような舞台と雰囲気だった。こちらも弁当を食べ「ぬる燗」を一杯やりながらお遊び気分で一緒に楽しんだ。巷の話を伝法だけど普通の話し方で取り入れ客席と一体感をもちながら、しっかり見せるところは見せてくれて、初めての小屋歌舞伎は満足。ただ「歌舞伎を観る」という行為にハレなくすぐりを感じている人には「なんて俗っぽい」と思えるのかもしれないね。残念だったのは、お安い2階席で見た飼い主、列は2列のみでよく見えそうなものの、サイドだったため舞台が丸まる前方1列目客の頭に隠れる・・・、残念ながらずーと椅子の上で立ち膝したり、直に立ち上がって観るしかなかった・・・・・・(しかし立って観ててもOKな雰囲気だったのよ)。お大尽席(確か3万円以上)は確かに良く見えそうだったなぁ。


長すぎるらしいので2部に続く・・・

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