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Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-10-13 後藤久美子さんのこと 3
2001-10-09 後藤久美子さんのこと 2
2001-10-08 後藤久美子さんのこと 1
2001-10-05 「ベニハナ・オブ・トーキョー」に学ぶ芸術的経営学 3
2001-10-05 「ベニハナ・オブ・トーキョー」に学ぶ芸術的経営学 2
2001-10-05 「ベニハナ・オブ・トーキョー」に学ぶ芸術的経営学 1
2001-09-30 小休止 2
2001-09-30 小休止 1
2001-09-28 カレンに捧ぐ 2
2001-09-28 カレンに捧ぐ 1


2001-10-13 後藤久美子さんのこと 3

淡々と書いてきたが、僕自身、後藤久美子さんに関心がなかったわけではない。むしろ昔から非常に注目していたタレントだった。「愛(めご)にござります」という科白で、伊達正宗の幼き正室として衝撃的なメジャーデビュー。少女の体には不釣合いな、鼻筋の通った、強い意志を感じさせる顔立ち。その美しさは、捉えようのない、独立して機能するといった種類の美しさだった。

大人になってからは、より意味性のある、現実的な美しさが備わってきたように思う。アレジ氏と肩を並べて写ったいくつかの写真での微笑みは、人に多くを与えるような、そんな微笑みになっていた。貫いてきた生き方がより洗練されて、柔らかな薄肉のように彼女を覆っていた。

日本を発つ前に彼女の所属するオスカー・プロモーションを訪ね、社長と簡単な事前確認をしていた。最後に社長がこう話した。「生意気とか言われてますが、久美子は曲がったことが嫌いで嘘が言えないだけですから。『久美子ちゃんよかったよ』なんて言われても、『どこの部分がどうよかったの?』と鋭く切り返したりする。だからできるだけ正直な対応をしてやってください。そのほうが彼女も真面目に取り組めますから」

「寅さん」の山田洋二監督は、初対面のとき、余りの緊張感に水を飲みすぎたのと、うまく会話が続かないのとで、一時間に二度も三度もトイレに行ったそうだ。

でも僕にとってはそういう人のほうが全然楽だった。僕もどちらかというとそういう部分があるし、僕の周りにもそんな人が多かった。

12月14日。前日の夕方にパリ経由でアヴィニヨンに着いた僕は、スタッフと合流し、朝からロケハンに出た。撮影候補地を順番に回り、クライアントと一緒に最終確認をするのだ。クリエーティブ的見地に加えて、坂が坂らしく見えるか、左側通行を前提にした構図になっているかなど、営業的な細かいチェックをする。仕事とは言いながらも、一筋一筋が趣のあるアヴィニヨンの道を歩き、土地の人たちのくつろいだ年末の情景を眺めるのは楽しいことだった。

ロケハンを終えた夕方6:00頃、僕は自分のホテルで諸用を済ませ、スタッフの集まるホテルに向かった。10日間借り切った会議室では、昨日までとはうって変わった静寂の中で、ポラロイドのシャッター音だけが響いていた。後藤さんが既にフィッティングを始めていた。20人くらいのスタッフの視線が集まる中、雑誌広告のカンプやCFコンテを基に、後藤さん専属のスタイリストが集めてきた数々の衣装を後藤さんが次々に着てみせてくれた。

カンプに忠実に選ばれた光沢のあるグリーンのパンツに、花柄のシャツ。ボーイッシュな黒のジャケットに白いシンプルなインナー、黒のタイトなパンツ。水色のピンストライプのシャツにフレアー。青いデニム地のジャケットにシックなベージュのロングスカート。6、7通りのパターンを試してもらって、スティル撮影用(雑誌など)に2パターン、CF撮影用に2パターンを選択した。

日本を出発する前に銀座の博品館で僕が買ってきた、二人のお子さん用のクリスマスプレゼントを、クライアントからということで渡した。後藤さんはとても喜んでそれ受け取り、クライアントと後藤さんを中心に、しばし談笑が続いた。簡単な日程の確認をして、「明日からよろしく」と彼女は去った。

後藤さんの第一印象。二児の母の強さと貫禄。穏やかな笑顔に、対照的な鋭い目。あけっぴろげな話し方と笑い声にも、うっすらと漂う緊張感。想像していた通り、いまやある種のスタイルを身につけた、立派な大人の女性だった。

(つづく)

先頭 表紙

ゆーさん、本当に見習いたいですね。自分をだますことなんて簡単ですから。たった一人、誰にも見られないところにいたとしても、自分を甘やかさないでまっすぐ生きる力。本当に見習いたいです。 / Hidey ( 2001-10-15 12:12 )
浪花撫子さん、彼女も確かに丸みを帯びたのだと思いますが、基本線は変わってないですね。本当に、山口百恵さん以来、日本の誇れる女性であり、母であるような気がします。 / Hidey ( 2001-10-15 12:09 )
パンドラさん、本当にそうですよね。自分自身でいること。。。僕はできているだろうか、と考えさせられます。そんな風に考えさせられる人だったので、僕にとっては特別な出会いだったのだと思います。 / Hidey ( 2001-10-15 12:07 )
oggiさん、昔はそんなことも多かったのかもしれませんね。少なくとも我々と同行のカメラマン、監督は、そんな迎合はしない人だったので、誰にとっても気持ちのよい撮影になりました。かえってカメラマンや監督は頑固な人が多いので、後藤さんはそういう人たちとはウマが合うと思いますよ。代理店の太鼓もちが嫌いだったのかな? / Hidey ( 2001-10-15 12:05 )
ぴぴさん、筋を通すということは誰にもできることではないですよね。かつては矛盾に満ちた世界の中で予防線を張るためにも肩肘張って「生意気」な口をきかなくてはならなかったのだと思いますが、今はそんな必要もなく、ただただスタイルがきわまったという感じでした。 / Hidey ( 2001-10-15 12:02 )
おとじろうさん、はじめまして。あの有名な方ですね。僕もひまじん読者暦は1年くらいあるので、かつては読ませていただいてました。光栄です。ゴクミちゃんは和装も洋装もかっこよかったですね。 / Hidey ( 2001-10-15 11:59 )
一貫して自分を持ちつづける強さが人をひきつけるものなんですね。見習わなきゃって思います。 / ゆー ( 2001-10-15 11:10 )
どうも、ゴクミ孃ご本人は以前からそのままで、時代が彼女に追い付いたという事ですやろか? あるいは、年齢が彼女に追い付いたという事ですやろか?女の子からオバハンになって(されて)しまう日本女性の中でも、マダムへと成熟できた希有な人ですよね。 / 浪花撫子@オバハ─ン ( 2001-10-15 02:22 )
私自身でいることって実はとてもむずかしい・・・。でも、後藤久美子さんはそれができる人なんだな、と感じました。その強さをうらやましいと思います。 / パンドラ ( 2001-10-14 22:05 )
撮影時にカメラマンが気分をよくさせようと「いにね〜きれいだね〜」褒めまくるんですよね。そういう薄っぺらな世界で生きてきたから、具体的にどこがいいのか聞きたくなるのかな。 / oggi ( 2001-10-14 15:38 )
彼女の顔には、彼女のスジの通った生き方が反映されているわけですね。若い頃は、それを生意気と言われてしまうことがあるのかもしれないけれど、このくらいの年になると、もうそれはポリシー、とかスタイルということで彼女の大事な基盤なんですね。続き、待ってます。 / ぴぴ ( 2001-10-14 07:57 )
「めごにござりまする。」の美しさは強烈な印象が残ってます。その後桜田淳子に替わって、あれ?でしたね。あ、それた。現在のゴクミは自分のスタイルを持ち、貫禄と自信に溢れた魅力を感じますね。 / おとじろう ( 2001-10-14 03:43 )
akemiさん、まあ、華やかといわれても仕方ないでしょうね。そういう仕事ですからね。「気になることが…」ってのは何でしょう?ああ、気になる。 / Hidey ( 2001-10-14 00:37 )
そうなんですか。こちらのつっこみが「後藤久美子さま絶賛」っだったのを裏付けるようなお話の数々…なわけなんですね。ここいらへんは、本当に華やかな世界、って感じで進んでいきますね。 / akemi@気になることが… ( 2001-10-14 00:14 )

2001-10-09 後藤久美子さんのこと 2

さっそく後藤さんの事務所と連絡を取り、出演可否の確認を取る。二人の子供と一緒にいることを大事にしたいので、今はどんな仕事に関しても日本に戻ったりすることはできない。フランスでの撮影なら可能、ということだった。フランス、結構。かえってこの状況はプラスにできるかもしれない。クリエーティブが数日考えて作り上げたCF案は、南仏アヴィニヨンに住む後藤さんの日常の断片を切り取り、電動自転車で素敵に暮らす姿を描くというものだった。二つのバージョンを考えた。

<朝市篇>
アヴィニヨンの目抜き通りを爽やかに電動自転車で走り抜ける後藤さん。朝市でお買い物。ポルシェに乗ったプレイボーイが登場。「マダム、家まで送りましょうか?」「Non, merci」さりげなく断る後藤さん。車も要らない、バスも要らない。彼女には素敵な自転車がある。再び自転車に乗り、丘の上の家に向かう。細道もスイスイ。急坂もらくらくクリア。足を開いておどけながら、「ただいまー」とお屋敷の門をくぐる。ラストカットはせっせと自転車の手入れをする執事と運転手。後藤さんが遠くで微笑む。

<花束篇>
「最近奥様が車に乗ってくださらないのだ」と執事に向かって嘆く運転手。ノースリーブにタイトなパンツできびきびと電動自転車を走らせる後藤さん。カゴには花束があふれる。「ロッキュッパ(69,800円)にはお手上げだよ」再び嘆く運転手。アヴィニヨンの街のすぐ脇を流れるローヌ川のほとりを走る後藤さん。川の向こうには城壁と旧法王庁が見える。「ただいまー」とお屋敷に戻る後藤さん。先ほどは嘆いていた運転手も、後藤さんから一輪の花をもらってご満悦。ラストカット。自転車の手入れをする執事と運転手。

10月下旬、マーケティング、クリエーティブ、メディア、セールスプロモーション、PR、販売店対策、WEBなどの包括的な提案が実り、競合プレゼンに見事勝利。

さっそく制作作業に入ったのだが、商品の発売時期、制作スケジュール、及び後藤さんの都合をあわせると、クリスマス前の撮影になることが分かった。僕はこの頃仕事で多忙を極めつつも、MBA留学のための小論文を書きまくり、塾でアメリカ人と一緒に文章の添削を重ねていた。ひとつの学校に対して平均5本、6校で合計30本にのぼる論文を書かなくてはならず、毎日3時間睡眠の生活を続けていたのだ。

12月から1月にかけて各校のapplication(論文を含む願書)締切りが集中しており、クリスマス前にはNYとシカゴの学校にapplyを済ませようと計画していた。クライアントにはまだ留学することは秘密にしていた。CF、雑誌広告、カタログ、POPで、正味5日間の撮影が必要だったので、事前準備などあわせると、10日間フランスに滞在することになる。営業という立場なので、撮影自体に加えて、クライアントのケアなど、仕事は夜まで続く。ロケに行くということは、受験前の一番大事な時期に10日間の空白ができることを意味していた。

この商品に関する営業作業は7年間僕がひとりでやってきたので、商品やプロモーション意図など、細かい部分は僕にしか分からない。何とか人に引き継ぐこともできたが、何より最後の仕事になるであろうこのプロジェクトを完遂したいという気持ちが強かった。悩んだ末に、ロケに行くことを決定。不利になるのを覚悟で、シカゴの学校のapplicationは1月の第2回締切りに遅らせることにした。また、どうせならということで、シカゴの学校の面接を受けてからロケに参加することにした。

そんなわけで、12月10日、僕は成田からシカゴに向かった。12月23日に帰国という、14日間の無謀な日程の始まりだった。

(つづく)

先頭 表紙

ガス欠コインさん、ありがとうございます。僕は、ガス欠コインさんが多分一番多く仕事で関わっていらっしゃる代理店の出身です。10年前まではスポーツ関係の部署にもいましたので、かなり共通の知り合いがいるはずです。 / Hidey ( 2001-10-14 02:47 )
Y社のあのCMですか。嫌みのない爽やかなものだった印象があります。Y社ということは、僕はやっていませんが、共通のお知り合いがいるのは間違いないでしょう。やっぱり、この業界、狭いですね(笑)。 / ガス欠コイン ( 2001-10-14 00:36 )
はるぴょんさん、いらっしゃいませ。いえいえ、結構怠けたり、自分で情けなく思ったりすることはしょっちゅうですよ。でも何とかやらないとね。もう仕事をしてたときの感覚はすっかり忘れてしまいました。この文章を書きながら、久しぶりにそんなものを思い出しています。 / Hidey ( 2001-10-13 23:37 )
makiさん、そんなことないです。準備期間だったし、ただただかっこ悪くボロボロになっていただけのような気がします。今もまだ長い準備期間中。いつに日に輝けることやら。makiさんも頑張ってください! / Hidey ( 2001-10-13 23:35 )
Hideyさんがいつも全力で頑張っていらっしゃるのが文章から読み取れます。ステキ!お勉強かなりハードそうですが、必ず目標を達成されるであろうことを確信します。頑張って下さい。 / はるぴょん@なかなか自分にストイックになれない ( 2001-10-12 01:28 )
おぉ〜。なんかすごく格好良いなっ。仕事と夢を全力で頑張ってる人ほど、輝いてみえる人はいないと思う!これを読んで私も頑張りたいって思えました♪ありがとう! / maki ( 2001-10-11 11:34 )
あややさん、ほんとに数少ないカリスマですよね。ほんとはもっとそのカリスマを活かしたプロモーションにしたかったのですが。。。色々あるんです。続き、僕も早く書きたいのですが、ちょっと忙しくて、いつ書けるか。。。少々お待ちを! / Hidey ( 2001-10-11 03:38 )
TAKEさん、このときはトータルキャンペーンだったので、CF、雑誌、編集タイアップ、POP、PR。。。と、死にました。でも、商品を子供のように愛してましたので、何とかやりました。 / Hidey ( 2001-10-11 03:36 )
ゆーさん、残念ながらもうあのCFはなかなか流れないと思います。そもそもが自転車の需要期の春にあわせてつくったものだったし、今はニュースステーションの水曜でやってるかどうかといったところ。会社とは全然連絡とってないのでわかりませんが、来年またやるかな。。。? / Hidey ( 2001-10-11 03:34 )
パンドラさん、僕は指揮はしましたけど、僕がつくったわけではないです。クリエーティブのスタッフが原案を作り、プロの監督さんが仕上げるといった形です。僕はその作品にたどり着くまでの理屈っぽい部分や、作品ができてからどの媒体に載せるか、全体のプロモーションをどうするかなど、包括的なことをやってました。 / Hidey ( 2001-10-11 03:32 )
ume-koさん、ってあのume-koさんですよね?いらっしゃいませ。徹子の部屋は僕も見ました。非常に哲学のある人だと思いました。ゴクミちゃんのイメージに疑問を抱いていたクライアントもあれで納得でした。 / Hidey ( 2001-10-11 03:29 )
りさ子さん、はじめまして。僕もチェックのためにそのサイトに行ったのですが、残念ながらダウンロードできなかったのですが。今はニュースステーションの水曜日にまだやってるかな。。。? / Hidey ( 2001-10-11 03:27 )
たらママさん、そんな年に限って、この仕事を含め、5つも大競合プレゼンがあったのです。昨年は一生で最も忙しい年になりました。今年もかな。。。? / Hidey ( 2001-10-11 03:25 )
oggiさん、僕もクリエーティブではなく営業なので、総指揮を取る立場でした。CFの生まれる源のような、そして最後まで主旨が一貫しているかどうかチェックするというような仕事でした。おかげで11本の作品に深く関わることができました。 / Hidey ( 2001-10-11 03:23 )
みかりんさん、少女の頃のゴクミちゃんは、なんというか、つかみ所がないくらい、独立して機能する「美」という感じでしたよね。今はもっと落ち着いておおらかな、人に多くを与えることのできる「美」という気がします。 / Hidey ( 2001-10-11 03:19 )
浪花撫子さん、そう言っていただけると嬉しいです。ただ、価格がまだ中途半端だったので、効果は今ひとつだったのですが。それでもここ数年のなかではかなり売れたようです。 / Hidey ( 2001-10-11 03:16 )
ぴぴさん、春にぴぴさんも日記に書いてらっしゃいましたよね。フィー子さんとちえちゃんがつっこみで書いてた、「ゴクミの家に行ったことのある友達」というのが僕のことです。あのCMは確かによい作品でした。それほど量が出なかったのが残念ですが。 / Hidey ( 2001-10-11 03:13 )
たまたまさん、そうですね、確かに部署によっては派手な部分もあるのでしょうが、ほとんどの人たちは普通のサラリーマンです。それもかなり疲れた。今は今で大変ですが、たしかに食生活、青空を見上げることが多いことなど、人間的な生活になったとは思います。 / Hidey ( 2001-10-11 03:10 )
akemiさん、それはセコイ!うちも昔は構造的にそういうこともできましたが、最近はめっきり厳しくなって、そういうことは一切ありません。。。と思います。 / Hidey ( 2001-10-11 03:08 )
私もFRAU、今回は買い求めました。憧憬ももちろん、山口百恵的な「結婚して(ほぼ)ブラウン管から消えたけれども鮮烈なカリスマ性を保つ人」としての彼女の魅力に、久しぶりに彼女を見ました。ああ、続きが気になる、早く読みたい!! / あやや ( 2001-10-11 00:00 )
ううっ、ハードなお仕事と留学の準備・・・・。僕は直接CM制作にかかわったことはないんですけど、お仕事の内容とスケジュールの苛烈さだけは良く分かります(想像すると、胃にくる〜^^;) でもすべて前向きに挑まれたのですね。(続きが楽しみです) / TAKE@お祝いメッセージありがとうございました ( 2001-10-10 13:05 )
CM見るたびにHideyさまのお話し思い出します、きっと。できるCMはほんの十数秒なのに、その裏の苦労は計り知れないものなんですね。続きが楽しみです。 / ゆー ( 2001-10-10 09:49 )
<朝市編><花束編>ふたつともHideyさまのプランですか!?すごい〜〜〜!!想像しただけでうっとり^^ 広告代理店ってこういうお仕事するのか、なるほど・・・(無知でゴメンナサイ) / パンドラ ( 2001-10-10 01:32 )
初めてつっこみします。五感にうったえる文章、いつも楽しく読ませてもらっています。徹子の部屋で話すゴクミはとても知的に感じられました。天は二物を与う?!続きを楽しみに待っています。 / ume-ko ( 2001-10-10 01:15 )
ここでそのCM見れますね。http://www.yamaha-motor.co.jp/cf/0006.html / りさ子 ( 2001-10-10 01:06 )
仕事と受験の両立、本当に大変でしたね。 / たらママ ( 2001-10-10 00:01 )
私にも大手代理店勤務の友人がいますが、CM制作ではないので、初めて聞く話に興味津々!しかもゴクミ嬢!うふふ / oggi@次も楽しみです ( 2001-10-09 22:57 )
ゴクミちゃんって。。私の中では、まだ少女だな。。二人も子供がいるママなんですね。。なんだか時の流れを感じます。。。 / みかりん ( 2001-10-09 22:17 )
文字読んだだけでも、綺麗な画像が浮かんで商品価値が上がりましたわ。日常の手段としてのチャ─リ─やなく(特売に走る為の)風を感じたい時にお乗りくださいって事を、ゴクミ孃なら伝えられますなあ。 / 浪花撫子@いやー、美しわあー。 ( 2001-10-09 13:50 )
後藤久美子さん、私も大好きです。それにそのCMも雰囲気が出ていて大好きでした。つづき、早く、早くぅ! / ぴぴ ( 2001-10-09 09:44 )
うーん、続きが気になるー。。。でも、貴社も弊社も世間ではかなり派手なイメージですが、ほんとーはボロ雑巾ですよねー。自分はいまこちらでいかに人間らしい生活を送っているか実感しています。 / たまたま ( 2001-10-09 06:12 )
それが「領収書いただけますか?」と差し出された名刺にあった社名、大手でした。しかも来店されていたのはあきらかに仲間内での食事会だった(しかもこの人の後輩がうちのお馴染みさん、しかも払いはワリカン)ため「セコイ!身銭切って遊べや!」と思ったし、翌日「日付けなし」をもう一枚請求してきたのです。印象悪いでしょう?(笑)でも、こんなことこと細かく覚えてるあたしもイヤな女だ!(爆) / akemi ( 2001-10-09 05:17 )
いや、12時半に一旦寝て3時半にトイレに起きて、誘惑に負けPC立ち上げてしまいました。>ひま中(笑) / akemi ( 2001-10-09 05:09 )
はらぽ〜ん、僕はドラマはまったく観ない人なのでよく分からないですし、ゴクミちゃんの若い頃のこともよく知りません。世の中では「生意気」と言われていたようですが、不安定な若い時期に、虚飾に充ちた芸能界で、流されず自分を守って生きるということは並大抵の努力ではないと思います。人から恨まれることもきっと多かったと思います。 / Hidey ( 2001-10-09 05:07 )
akemiさん、こんな時間まで!お弁当は別にいいじゃないですか〜。でも我々の仕事は、95%までは地味で激しく、ストレスのたまる仕事です。5%の派手っぽい部分は年に数回のご褒美程度。いつもクライアントとメディア、制作者、社内スタッフの間に入って調整をし、ぼろ雑巾のようになってました。確かに(特に小さい代理店やプロダクションに多い)大勘違い野郎も沢山いるのですが。 / Hidey ( 2001-10-09 05:04 )
若い芸能人(ゴクミはもうそんなに若くないか)の鼻持ちならぬ様子が、ドラマ「ムコ殿」や「ブランド」に出てきましたが、ゴクミは若い頃どうだったんでしょう?(情報源がドラマしかない自分、とんでもないフィクションなのにさ。)。芸能人と仕事するのって結構たいへんなんだろうなと思っています。 / はらぽ〜ん ( 2001-10-09 05:01 )
あ〜、こんなにも仕事をし、学んでいる人がいることを改めて知って、安易にお弁当を取った(野球の昼の弁当は作ったの…言い訳)ゆうべの自分を反省。まだまだやれるじゃねぇか!>自分。。すいません、同じ次元で語るつもりはないんで。。(^^;; うちの店で、Hideyさんとおそらく同業の方が見えますが、芸能人と仕事してることをやたらハナにかけて派手な部分だけ誇張して話されるので、イメージ悪かったんです。派手なだけのお仕事じゃないですよね。あたしちょっとうわっつらだけで見てたかもしれません。広告のお仕事。。 / akemi ( 2001-10-09 04:41 )

2001-10-08 後藤久美子さんのこと 1

ひまじんネットでも取り上げた方がいらしたが、FRAUで後藤久美子の特集があったらしい。多数の20〜30代の女性ライターさんが活躍されるこのひまじんでも、他のタレントとは違う意味で、いま注目に値する女性であるようだ。

実は昨年の12月、後藤さんと仕事をすることがあったので、差し支えない程度に、ここに記しておきたいと思う。セレブリティとしての彼女に関するgossipyな話はするつもりはない。仕事で出会った魅力ある人たちの中でも、ひときわ輝きを放っていた人のひとりとして、記憶があやふやになってしまう前に、文章にしておきたいと思った。

それは、ちょうど今から一年前のことだった。10月の中旬、たび重なる深夜残業で、出勤猶予をもらい、それでも8時半頃に目を覚まして、久しぶりに朝のテレビを見ていた。僕は広告代理店の営業をしており、某社の電動自転車のプロモーションを担当してから7年目にして、初めての競合プレゼンを経験するという危機にあった。7年間、総じて満足度の高い作業を行い、常に指名を勝ち取ってきていながら、政治的な理由で、他の代理店の名前が浮かび上がったのだ。

電動自転車という商品も、大きな岐路に差し掛かっていた。当初は社会的な脚光を浴び、価格の低下とともにたまに街で見かけるようになりながらも、今ひとつ世の中に浸透しなかった。普及の伸びは次第に下がり、我々の言う「レーザーディスク化現象」(あったらいいなとは思っても、最後は「なくてもよい商品」というレッテルを貼られる)の危険性が感じられるようになっていた。

そしていよいよ、7万円を切る、スリムで軽い、クライアントとしては乾坤一擲の新商品の発売が決まる。そんな重要なキャンペーンにふさわしいタレントが求められていた。

今回のタレントの選択では、いくつかの要件を満たす必要があった。まず、低下してしまった商品のニュース性を一気に高めることができる人であること。次に、価格の低下に伴うターゲット年齢の低下を象徴できる、30歳前後でできれば既婚者であること。そして、「こんな素敵な生活ができるなら絶対欲しい」と思わせるに足る、ヤング主婦の憧れの的になりうる人。

クリエーティブチームとともにキャスティングの資料をひっくり返して、誰にならそんな条件が満たせるか、思案する日々が続いた。藤原紀香…もう今さらという感じ。ニュースにはなり得ない。松嶋菜々子…本命のつもりだったが、先方の都合が合わず、検討する以前に話が消えた。彼女の場合も、ニュースということではどうかと思う。スコア的には常にトップの山口智子…ちょっと今回は違う。子供という意味では象徴的で、ニュース性も期待できる安室奈美恵…何年も続けてのキャンペーンにはそぐわない。いない。世の中は「あゆ」や「宇多田」という爆発的な人気を誇る女性タレントで充ちていたが、今回のターゲット、商品にマッチする人となると、誰もいない。

そんな状況で、僕は出勤猶予をもらって朝のワイドショーを見るともなしに見ていた。後藤久美子がジャン・アレジの日本グランプリ出場に伴い帰国し、久しぶりにマスコミを引き連れている絵を映していた。ふと何かが心の弦を弾いた。後藤久美子だ。そうだ、日本には後藤久美子がいたんだ。成田空港に降り立つだけでニュースになってしまう日本人タレントなんてそうはいない。

早速クリエーティブとの会議の中で、彼女の名前を出してみた。一瞬の沈黙のあとに、4人のスタッフは「それ、いいね」と同意した。こうして、最近には珍しい、キャスティングを中心に据えたプロジェクトが始動した。

(つづく)

先頭 表紙

TAKEさん、はいそうです。とてもいい方ばかりのクライアントでした。ジャンもこれから登場しますのでお楽しみに! / Hidey ( 2001-10-11 03:06 )
あ、ひょっとしてY社のオシゴトでしょうか^^ 僕はF1好きでもあるので「後藤久美子ママ、なかなかいいなあ、うらやましいぞ、アレジ〜」なんて思ってました。結婚してますますステキな女性になりましたよね。 / TAKE ( 2001-10-10 12:57 )
LANIさん、あの眼差しで微笑まれると、そのギャップだけで心が溶けてしまいそうでした。逆に、どんなに和やかに話をしても、程よい緊張感が走ったものです。 / Hidey ( 2001-10-09 04:53 )
浪花撫子さん、マダームとオバハーンの分岐点、研究しがいがありそうですね。あの人は本当に、美しく歳を重ねていける数少ない人なんでしょうね。 / Hidey ( 2001-10-09 04:50 )
oggiさん、でも藤原紀香は思ったより息が長いですよね。はやりすたりというレベルを超えてしまったようですね。でも確かにCFに関しては、どこの企業のものかよく覚えていない、ということもありますね。 / Hidey ( 2001-10-09 04:48 )
ゴクミは3月生まれの27歳です。独眼竜正宗でのお姫様役でのデビューは衝撃的でしたよねー。これからいよいよ彼女が登場しますのでお楽しみに。 / Hidey ( 2001-10-09 04:44 )
たらママさん、それも彼女の場合は、決して与えられたものでなく、選び取ったものですからね。いろいろ話して勉強になりました。 / Hidey ( 2001-10-09 04:40 )
Chieちゃん、ありがとう。あそこまでの気高さ、強さを持つまでには、様々な経験が必要だったのだと思います。すごいことですよね。 / Hidey ( 2001-10-09 04:39 )
ゴクミのちょっときつめの目が好きです。「マダーム」な雰囲気も嫌みでなく素敵。 / LANI@わしは一生無理 ( 2001-10-08 23:02 )
うちは、年齢ではゴクミ孃に勝ってますが、それ以外は何も対峙できるもんはありまへん。マダ─ムとオバハ─ンの分岐点はどこから発するんか、興味シンシンですわ。 / 浪花撫子@まずミーハー精神を何とかせんと ( 2001-10-08 14:56 )
待ってました。続きも楽しみにしてます。藤原紀香さん、最近「初めての家電CM」が流れてますが・・・私も今更だと思うのです。 / oggi ( 2001-10-08 12:28 )
ゴクミって確か同じ年だったような、、彼女がデビューしたとき同年代でアイドルがと思ったものだー。元マスコミ志望としても続きたのしみにしています。。明日、こちらは学校がります。ぐすん。 / たまたま ( 2001-10-08 10:42 )
そうですね。ゴクミは他の誰にもマネできない独自の地位を築いちゃいましたね。 / たらママ ( 2001-10-08 09:37 )
ゴクミちゃんのお話、前に聞いた時とっても楽しかった!もっと聞きたかったから楽しみ♪本当に素敵な女性なのよね、ワクワク〜♪ / Chie ( 2001-10-08 08:38 )

2001-10-05 「ベニハナ・オブ・トーキョー」に学ぶ芸術的経営学 3

ほとんど同時に8人がセットで出てゆくので、カクテルラウンジで待っている客はいっせいに座ることができる。まるでジェットコースターのようだ。人気店なだけに行列をなすことがあっても、外で待っている客としては、5〜6分おきに景気よく8人セットで出てゆく様を見れば、すぐに入れると思って安心して並んでしまう。

そして、経営学的に最も大事なのは、こうした一連のサイクルをシェフが一手にコントロールしているということだ。専門的にはボトルネック(いわゆる「ネック」)というのだが、一連の作業の中で、最も時間がかかるのがシェフのパフォーマンス&料理である。ここを速くするか遅くするかで、全体のスピードが決まり、回転率が変わる。大勢の客で込んでいるときは、シェフはパフォーマンスも早々に切り上げ、さっさと肉を切ってわたし、野菜で客を満腹にする。逆に客が少ないときは、特別サービスで長めのパフォーマンスを演じ、客と会話をし、客をテーブルに釘付けにすることによって、店が賑わっているように見せかける。

こうしてベニハナ・オブ・トーキョーは、利益構造も回転率も非常に優れた、神業的な商売を展開し、世界中に進出したのである。

授業のために配られた8ページのケースには、こんな親切な解説は一切ない。読み物的な文章の中に、断片的な事実が散らばっているだけだ。我々学生はそんなケースから、奥深い経営学を洞察するのだが、そう簡単にはいかない。80人の学生によるディスカッションが教授の指揮でだんだん深まってゆき、点が線となり意味と脈絡が生まれ、最後に一気に教授が種明かしをする。このベニハナのケースは、何の変哲もないレストランの情景が、80分の授業を通じて、比類なき経営の手本に一変した、芸術的なまでの授業だった。

そんな授業を指揮する教授は、同時に中堅の電気機器メーカーの会長でもある。この学校の卒業生でもあり、めざましい活躍と深遠な知識を買われて今年の1月に教授陣に名を連ねたそうだ。白髪で、眼鏡の奥の優しい眼差しが印象的だ。80人の学生のバックグラウンドをきちんと読み込み、一人ひとりに気を配った、大変丁寧な教え方をしてくれる。8人ずつの小グループで、毎週水曜には学生とランチをともにする。僕も一昨日彼とはじめて食事をし、我々をより理解しようと気を配る姿に感銘を受けた。

試験のほうは8時間にわたる一夜漬けが効いて、何とかなったと思う。教室を後にするとともに、待ちに待った4連休が始まった。いま、10月5日の朝7:00。これから20人くらいの仲間とVermontへ1泊旅行に行く。ここNew England地方にはインディアンサマーが訪れており、久しぶりの陽気が心地よい。ハイキングや乗馬など、つかの間の解放感を味わえるアクティビティが予定されている。そんな話も、後日ぜひアップしたいと思う。

先頭 表紙

LANIさんパリコレにも出てるんですか。そろそろでしたっけ?ファッションショーは僕も一度見てみたいものです。 / Hidey ( 2001-10-09 04:38 )
プルーさん、教えていただきありがとうございました。たしかに青木氏は賑やかな人みたいですね。東洋人のモデルエージェンシーを作ろうとしたとか、ショービジネスを始めようとしたとか、すべて失敗に終わったようですが、娘さんだけは成功したわけですね。しょうゆでビーフ、僕も大好きです。 / Hidey ( 2001-10-09 04:36 )
しゃどう猫さん、いらっしゃいませ。ベニハナの青木氏の場合、多分直感で始めて、ところどころけちけちしまくって、試行錯誤の末この流れができたんだと思います。このコースは工場の複雑なラインの効率について学ぶコースで、ベニハナはいわば比喩的な概論ということです。 / Hidey ( 2001-10-09 04:34 )
たまたまさん、確かに数学的思考は色々な局面で役に立ちますよね。最近とみに、文系も理系もないのだと痛感しています。 / Hidey ( 2001-10-09 04:32 )
デボン・青木はパリコレでも活躍してる、青木元オーナーのお嬢さんです。 / LANI ( 2001-10-08 23:03 )
実は、私もべにはなには行ったことがない。Midtownにあるのだけどね。それより、Mt.Fujiというのには、数回あります。大抵ウッドベリーコモンへ行った帰りだったりする。たまには、ああいうShowもいいかもしれない。しょうゆあじのビーフっておいしい。デボンは青木氏の娘でシャネルなどのモデルをしています。青木氏は、スピードボートで大怪我したり、脱税で捕まったりと話題豊富です。 / プルー ( 2001-10-08 22:39 )
さらりと解釈を受けると、なるほど、アートなビジネスだな、と感心してしまいます。わかってみると、すぐに思い付きそうなことなんだけど、実際にアイデアを生み出すまでには、長い道程があるのでしょう。奥深さを感じます。 / しゃどう猫 ( 2001-10-08 17:27 )
いろんなこと学べて楽しそうですねー。もちろん、勉強は大変でしょうが、、、自分も社会にでていろんなところで自分の数学的考え方に助けられています。うーん、そういう勉強したいんだなー。 / たまたま ( 2001-10-08 11:15 )
Risaさん、KBSに行かれていたんですか?日本ではビジネスをどのように教えるのか興味津津です。HBSのケースを翻訳する権利をもっていて、それを使っているように聞いていたのですが。。。写真の件、まだ日本にいる妻がデジカメを持ってるので、11月まではアップできないんです。いずれやりますのでお楽しみに。 / Hidey ( 2001-10-08 07:41 )
りりさん、Vermontは紅葉真っ盛りで、とても美しいところでした。ドライブあり、ゲーム大会あり、ビリヤードありで、心から楽しい旅行になりました。 / Hidey ( 2001-10-08 07:38 )
LANIさん、ベニハナには行ったことないし、青木氏についてもほんとはよく知らないんですよ。デボンって誰ですか? / Hidey ( 2001-10-08 07:36 )
たらママさん、この授業を通じて、社会を見る眼が多少変わってきたような気がします。ファーストフード店に入っても、目のつけどころが変わってきました。 / Hidey ( 2001-10-08 07:35 )
しゃむさん、70年代に作られたというこのケースの後半には、当時の青木氏の荒唐無稽な夢が語られていました。ほとんど失敗してしまったようですが、ベニハナだけはうちの学校でも30年の時代の波を超えて、教材として存在しつづけるくらいの金字塔なのです。 / Hidey ( 2001-10-08 07:34 )
ガス欠コインさん、ベニハナはコースの第1回目、概論だったので楽しい授業だったのですが、その後は冒頭のテストの問題のような話がずーっと続いて、結構大変でした。自分の将来を考えると余り関係はないかもしれないけど、いい勉強になりました。 / Hidey ( 2001-10-08 07:29 )
浪花撫子さん、飲食店って商売の構造としては決して楽じゃないですもんね。沢山の競合もあるし、外食率低下、価格破壊の波にもさらされてるし。経営者としてはかなり考え抜いた戦略が必要ですね。 / Hidey ( 2001-10-08 07:28 )
りるりるさん、僕も20年近く前にメイン州にいたときに、日本の鉄板焼屋と称する似たような店に行き、パフォーマンスを見ました。シェフは日本人ですらなく、味もイマイチでがっかりした覚えがあります。 / Hidey ( 2001-10-08 07:25 )
akemiさん、哲学のある、素晴らしいお父様ですね。実は僕はベニハナに入ったことがないので、ベニハナの哲学はあまりよく知らないのです。でも、お父様のおっしゃるような店は日本でも何軒か知っており、その大切さは分かる気がします。 / Hidey ( 2001-10-08 07:23 )
マイケルさん、Vermont特産というメイプルシロップを味わうことはできました。あのカレーはそこから来てるんですかね? / Hidey ( 2001-10-08 07:22 )
パンドラさん、余りマニアックな勉強の話は書いてても面白くないので、このベニハナはちょうどいいと思いました。楽しいといっていただけて嬉しいです。Vermontは本当に楽しい旅行になりました。ちょっと雨が降って乗馬ができなかったのは残念だけど。 / Hidey ( 2001-10-08 07:21 )
KBSでもマーケティングのテーマとしてベニハナはしばしば取り上げらます。青木氏の出身大学ですしね。Vermont!今紅葉が素晴らしい時期ですね!週末旅行で何度か行った事がありますが、大好きな場所のひとつです。是非写真をアップしていただきたいわ… / Risa ( 2001-10-08 00:51 )
Vermontって春樹さんのエッセイ集にもありましたね。楽しい休暇でしたか?ベニハナの仕掛けってこうなってたんですねぇ。消費者としては気持ちよくだまされていたいけれど、これを知った今となっては…(笑)。でもタメになります。今後も色々教えてくださいね。 / りり ( 2001-10-07 18:18 )
勉強になりますなー。 / LANI@不愛想顔のデボンが好き ( 2001-10-07 00:45 )
シェフにいい人材を確保するのが重要ですね。回転率をあげる術がここまで集大成されていると面白いな、と思います。 / たらママ ( 2001-10-07 00:15 )
紅花の経営もそうですけど、オーナーの生きざま&デボンちゃんに興味津々です。 / しゃむ ( 2001-10-06 14:13 )
教える側の熱意も伝わって来る話しでした。芸術的経営学っていい言葉ですね。 / ガス欠コイン ( 2001-10-06 06:44 )
うちの近所に「KOUBE」というもどきがあり、入り口には琉球王国守札の門のノレンがかかってます。ここでは人件費の押さえも徹底してて、鉄板シェフ、ウエートレス、バスボーイ(片付け係)は営業時間=勤務時間。時給の安いキッチンヘルパーに下こしらえを任せてます。鉄板シェフ以外は最低賃金或はチップで賄う。寿司シェフは月給+健康保険等の手当てがあるようですが、彼以外は何もなし。あと、ご飯か焼き飯(残り飯利用)の選択があり、アメリカ人はリサイクルに協力的です。 / 浪花撫子@肉は普通の牛だす。 ( 2001-10-06 04:05 )
トランプの札を一枚一枚めくるような爽快な種明かし。読んでいて引き込まれました。アメリカでこの手のレストラン(8人セットではなかった。)に行きましたが、確かに食事内容はたいしたことがないのにエンターテイメント的な雰囲気で、なんとなく満足してしまった私。まんまとこの戦略にはまっていたんですね。(笑) / りるりる ( 2001-10-06 00:35 )
カウンターで客をこなせてこそ職人、と亡き父は私に言った。手のひらに乗せて心地よくさせておあしを頂く。そんな父は良く「ベニハナスタイル」の話を18の私にしてくれました。「一度来店した客を逃すな」ということも父の話の中によく出てきたっけ。…お疲れさま、いってらっしゃ〜い!(^^)/~~ / akemi ( 2001-10-05 22:02 )
バーモントではやはり林檎と蜂蜜とろ〜りとけてるカレーを食べることができるのでしょうか? / マイケル ( 2001-10-05 20:52 )
うわあ〜〜すごい!!ひとつひとつの種明かしに、なるほど〜!ってうなづいてしまいました。・・・Hidey先生の授業はいつも楽しいよ^^ 貴重なお休みのひととき、十分羽をのばしてらしてくださいね。おみやげ話待ってます! / パンドラ ( 2001-10-05 20:22 )

2001-10-05 「ベニハナ・オブ・トーキョー」に学ぶ芸術的経営学 2

客は店に入ると、まず8人の一組ができるまでカクテルラウンジで待たされる。ヒバチテーブルは8人掛けになっており、客が8人揃わないとシェフとしても効率が悪いからだ。カクテルラウンジで客は連れと会話を楽しみながら、トロピカルカクテルなどを注文する。そこに初めの罠がある。トロピカルカクテルはオレンジやらパイナップルやらのジュースを使用するので、ベースになるラムやジンの味の良し悪しなどはまず分からない。店としては安酒を使ってもごまかせるのだ。ここでまず客は気持ちよく店の利益に貢献することになる。

人数が揃ってヒバチテーブルに通され、メニューが配られる。内容はいたってシンプルで、ステーキ、フィレミニヨン、チキン、海老の4種類の中から好きなものを選ぶか、これらを組み合わせるというスタイル。付け合せは、モヤシ、ズッキーニ、マッシュルーム、オニオン、ライスと決まっている。もちろんここでの意図は、注文の選択肢を絞ることによって、低価格での大量仕入れを可能にし、使われないで捨てられる食材をなくし、貯蔵スペースの効率化を図り、さらにはシェフの作業時間を短縮して客の回転率を上げる、ということである。

二つのヒバチテーブルが向かい合わせにレイアウトされており、シェフはその間のスペースに入ることによって、二つのテーブルで同時に料理をすることができる。

注文は、二つのテーブルをひとりで担当するウェイトレスが受ける。その場で注文に応じて材料を用意するだけなので、いちいちいろんなテーブルに行ったり来たりして複雑な注文をこなしたりと、無駄な動きをする必要がない。また、シェフがその場で料理するということは、材料を出したり、しまったり、そのたびに皿を用意して洗い物が発生したりということが避けられるということでもある。人件費も節約できる。

まずはスープとサラダが出てくる。それも結構量がある。メインの肉にたどり着くまでに結構おなかが膨れてしまう。これによって余分な注文がなくなり、回転率はさらに上がる。

いよいよシェフが登場。巧みな話術で客の心を捉えながら、メインイベントのパフォーマンス。肉を切り分けて食べやすくするというのは、実はこれも食事のスピードを上げるための作戦。必ずしも心のこもったサービスということではないのだ。この間もシェフはバンバン付け合せの野菜を客に差し出し、あっという間に満腹にさせてしまう。

客が満腹になったのを見計らって、シェフは片付けにかかる。食事の最中にシェフ本人がさっさと片付けること自体も効率的だが、何よりそのやり方が大胆にして巧妙だ。シェフは鉄板に水を注ぎ、焦げ付いた食材を取り除く。当然ものすごい勢いで蒸気が舞い上がる。劇的な終了の合図であるとともに、熱を帯びた蒸気が客を否応なしにそろそろ帰ろうという気分にさせる。

デザートはアイスクリーム。まだ冷めやらぬ鉄板の熱で、あっという間に溶けてしまう。食後の会話を楽しむ暇など与えない。

そして決定的なのは、ショーが終わり、シェフが去り、気がつけば、連れはいるものの、赤の他人と席を並べて座っているということだ。プライベートな語らいをする雰囲気ではなく、皆申し合わせたように会計を済ます。こうして、平均1時間という短さで、客は店を出てゆくのである。

(つづく)

先頭 表紙

2001-10-05 「ベニハナ・オブ・トーキョー」に学ぶ芸術的経営学 1

<問題>
グレープジュース製造工場は、「搾り出し」「濾過」「濃縮」という順の三つの作業工程により成り立っている。「搾り出し」と「濾過」では毎時20,000ポンドの作業が可能だが、「濾過」では、90分に一度フィルターを交換する必要があり、交換には30分かかる。「濃縮」では毎時18,000ポンドの作業が可能。ブドウは三つの工程を自動的に流れていくものとする。@8時間の作業シフトを想定した場合、一日に産出できるグレープジュースは何ポンドか?A工程と工程の間に一時貯蔵用の設備を設けることができるとしたら、どこに設置すれば最大どれだけの産出量が期待できるか?

<答え>
@108,000ポンド。A「濾過」と「濃縮」の間に設置すれば、最大120,000ポンドの産出が可能。

昨日はこんな問題を2時間で23問解くという中間試験があった。TOM(Technology and Operations Management)という、要は効率的な生産管理の授業である。問題の解説はややこしくなるので割愛する。

ファイナンスやコンサル出身の切れ者が多いこの学校だが、ことTOMの話になると、誰もが自信をなくしてしまう。エンジニアをやっていた人間もたまにいるのだが、ここまで体系的、数学的に学んだわけではないので、ほとんどすべての学生にとって、まったく新しい概念の勉強なのだ。

4週間前、第1回目のTOMの授業は、世界中に82の支店を持つ、あのパフォーマンス系鉄板焼レストラン、「ベニハナ・オブ・トーキョー」のケーススタディーで始まった。

純日本風の店舗に、欧米人には新鮮な「ヒバチテーブル」が並ぶ。日本人にはお馴染みの、鉄板を囲んで客が座るというあのテーブルだ。そのヒバチテーブルで、訓練を積んだシェフが客の目の前で見事なパフォーマンスを演じ、食べやすく切り分けてくれる。我々日本人にとってはサーカスっぽくて味のほうを疑いたくなってしまうが、欧米人には感動的なショーだ。

結構経営的には手が込んで、元手のかかった薄利多売の商売と思われるかもしれないが、実はその奥には緻密にして周到な経営術が潜んでいるのだ。

(つづく)

先頭 表紙

たまたまさん、すばらしい!ちゃんと理解してらっしゃる。本職でやってこられたのですね。おっしゃるとおり、バッファーを入れることによる投資対効果など、現実的にはもっと難しい判断を要求されると聞いています。今後授業では、もう余り数字は出てこないで、経営判断に集中した、うちの学校らしいないように移行するようです。うちの連中は数字には弱いんですよ。 / Hidey ( 2001-10-09 04:56 )
↓それに、BTをいれることで人材の補強、設置場所のスペース確保、配管工事、配管、バルブ、計器類の追加、ソフトの追加などいろいろ考えなくてはいけません。中国でのリンゴジュースプラント立ち上げを思い出します。最近は、ビールとワイン工場の立ち上げが多いのですが、、、 / たまたま ( 2001-10-08 11:05 )
18,000*1.5*4=108,000ですねー。ちなみに、わたしの日本での商売はこういうラインを売り込むことで、客先の希望能力にあわせるための機械の選定(能力選定)をしたりしました。特に、この途中にバッファータンクをいれることでトラブルが起こったときに貯蔵もできまた濾過では圧力変動をすると商品を再濾過するリスクなどあり、いろいろなファクターがありました。 / たまたま ( 2001-10-08 11:03 )
マイケルさん、わざわざ計算していただいてすみません。簡単といってしまうところもスゴイ!施設を増やすとなると、今度は投資対効果の計算をしなくてはならなくなってしまうんですよー。ビジネスは難しい! / Hidey ( 2001-10-08 07:15 )
でもこんなの2時間で23問(1問6分未満)、しかも出題も回答も英語ってのはツライですね... / マイケル ( 2001-10-05 21:38 )
グレープジュースの件、答え聞いた後でやってみるとあっけないくらい簡単ですね。「濾過」と「濃縮」を4つにして、フィルタ交換を30分ずつずらせば、「搾り出し」は3つで、更に貯蔵庫無しで480,000ポンドまで生産できるようになるハズ。 / マイケル ( 2001-10-05 21:29 )

2001-09-30 小休止 2

(前回よりつづき)

マーケティングが最後の授業だったのでみんな帰ろうとしたら、10人くらいの連中が間の抜けたような掛け声とともにクラスになだれ込んできた。うちの学校は1学年900人が11個の「セクション」(日本でいうクラス)に分かれるのだが、彼らは、昨年僕らと同じSection Eに所属した2年生だった。

いきなりクラスを乗っ取られたわけだが、何か面白いことをしてくれるのだろうということで適当に囃し立てて見ていた。Section Eの良き伝統を一方的に引き継ぐ、ということらしかった。

まず、全員が起立させられた。「1974年以前に生まれた人は着席」というので、さっさと腰をおろす。平均年齢が26歳なので、半数が腰をおろした。そのあとは75年、76年とどんどん年齢が下がり、僕の隣に座っている、サマースクール時代から仲のよいKristina(23歳)が残る。かわいそうに、Kristinaはよだれ掛けをつけさせられて、教卓の上に立たされ、散々からかわれることになった。この時点で嫌な予感がしていた。

もう一度全員起立をさせられ、「1974年以降に生まれた人は着席」という展開になる。その時点でセクション中がニヤニヤしながら「Hidey!」と囃し立てる。昨年のSection Eの最年長者と思しき奴が「1972年7月以降の人は…」などとひと月単位で悠長にやっているので、僕の歳を知っているsection matesは「もっとペースをあげろ」とゲラゲラ笑いながら指摘する。結局ダントツの年寄りということで僕も教卓に祭り上げられた。

なんだか分からないが宣誓をさせられた。昨年の最年長者が「伝統の宣誓だ」というので、彼の一言ひとことを繰り返し宣誓することになる。何とか聴き取りながら宣誓したつもりが、いきなりしょっぱなから爆笑の渦を呼ぶ。後で分かったことだが、 “I, (state your name), promise to…”というつまりは「私(自分の名前を述べる)は、以下のことを約束する…」という文章を、訳もわからず、 “I state your name, promise to…”とそのままオウム返しにしゃべりだしたので、一同大ウケ状態だったのだ。結局そのあとは、「ボケのせいで会費を払わないこともあるかもしれないが、長老として年中セクションの飲み会を開催し、年末には恒例のバーベキューを主催する」などと誓わされた。やれやれ。

夜は8人の友達とHarvard Squareのタイ料理屋に行き、そのあとは別のグループで、学生寮に住む中国人の友達の部屋での15人くらいのAsian party。日本人は僕ひとりだった。セブンブリッジやら日本の伝統「大貧民・大富豪」やらをやり、最後は “Psychologist Game”という、散々ひとりをコケにするようなゲームで爆笑が朝1時まで続いた。

ちょっと一息つくことができた貴重な金曜日だった。Thank God It’s Friday!

先頭 表紙

はらぽ〜ん、ワールドひまじん、いらっしゃい!またいつでも会合はセッティングしますので、いつでも行ってください。もう少し落ち着いてからかな。 / Hidey ( 2001-10-08 07:19 )
たまたまさん、計算を使う部分は実は簡単なんです。加減乗除で済んでしまいますので。それよりも、工場の環境を正しく想像、理解し、作業効率に関する理論にもとづいて、どういう計算をするかを考えるところに時間がかかってしまうのです。詳しくは10/5の日記を参照。 / Hidey ( 2001-10-08 07:18 )
何も不純だなんて思ってませんよ〜。僕は、もう学者仲間の社交性の低さに長いことうんざりしてきましたから。これからは僕ももうちょっと楽しく生きていこうと思ってます。 / はらぽ〜ん ( 2001-10-05 11:58 )
僕もワールドのほうにやっと...、やっと移行しました〜。 / はらぽ〜ん ( 2001-10-05 10:10 )
数学の試験がんばってください。数学専攻で大好きな数学なのでうけてみたい。。でも、もう忘れてますよーきっと。週末4日間も休みなんですか?でも、勉強いそがしそうですねー。そろそろ、傍聴の予定立てようかと思っています。ほんとーに見学にいっていいんですか??またイベント企画してくださーい。 / たまたま ( 2001-10-04 08:57 )
akemiさん、本文にもあるようにセブンブリッジもやったのですが、韓国ルールに従ったところ、やたら細かい決め事が多くてびっくりでした。いろいろなところで国際理解ができて面白いです。 / Hidey ( 2001-10-03 13:29 )
大貧民は、我が家の定番のカードゲームです、しかしいつしか大喧嘩に発展する確率も高いです。 / akemi ( 2001-10-03 13:26 )
たまたまさん、元気になりましたか?全裸はたまたまさんが希望しない限りはなさそうです。 / Hidey ( 2001-10-03 12:34 )
↓くららさん、「年末っての早くの間違い」→「年末ってのは訳の間違い」 / Hidey ( 2001-10-03 12:34 )
Hideyさんの次が30歳以下ってことは、、、来年20代とおさらばする自分は他でMBAとりにいったほうがいいみたいですねー。幹事はいいけど、みんなにいじめられるのは、、、まあー、そのときはBBQじゃなくすき焼きパーティーでもやりまっか? / たまたま ( 2001-10-03 10:50 )
来年なにかの間違いで、Hideyさんの下の学年になりそちらにお世話になったら、、、と思うとぞっとしまーす。やっぱ、全裸になるとかさせられそー。 / たまたま ( 2001-10-03 10:47 )
りるりるさん、よだれ掛けをしたKristinaは、下にも書きましたがバブバブ言わされていました。最後にひとつ上の連中から世界地図(学生一人ひとりの出身地に小旗を立てる)と、各国の国旗を授かりました。さっそく教室に貼ってあります。 / Hidey ( 2001-10-03 04:46 )
makiさん、ようこそ!僕は26歳じゃないよー。個々の学生の平均年齢が26歳。でも、彼らに混じっていると、からだも心も若返ります!アメリカ人から見ると僕はどう見ても25歳以下なのだそうです。 / Hidey ( 2001-10-03 04:42 )
ナライフさん、長老なんです。うちの会社の選抜試験が確か既に30歳以上くらいを前提にしているので、その時点で既に長老です。会社の方針だから仕方がないけど。 / Hidey ( 2001-10-03 04:40 )
みかりんさん、僕もドキドキする年齢になりました。心が若ければ、それでいいのだ。みかりんさんは永遠の少女ですよ! / Hidey ( 2001-10-03 04:37 )
プルーさん、僕も経営者と決めたわけではないのですが、少なくとも体系が備わることを期待してがんばってます。ISは実は僕もこちらで最も学びたいテーマのひとつです。knowledge managementがずっと自分の中のテーマでした。日本では6000人弱の会社にいましたので、数的優位をleverageして質的優位に変換する経営プログラムを作りたいと思っています。普通の学校では理系の範疇の勉強になってしまいがちですが、ここでは純粋に経営的観点から斬ってくれると期待しています。 / Hidey ( 2001-10-03 04:36 )
りらさん、長老の仕事。。。くーっ、きつい。Psychologist gameは、ざっと言うと、誰かひとりを外に締め出して、その間にある決め事をして、外から戻ってきた人が質疑応答をすることでその決め事を当てる、というもの。結構ルールが複雑で、当たるまでには1時間半かかりました。その間ずっと彼はおちょくられて笑われつづけるという、ひとりだけまったく楽しめないゲームです。 / Hidey ( 2001-10-03 04:29 )
oggiさん、ちょっと勘違い。僕は35ですよ。66年3月生まれ。見た目は27〜8くらいなのですが。 / Hidey ( 2001-10-03 04:21 )
くららさん、ゴメンなさい、年末っての早くの間違いですね。year endということなので、学年の終わりの5月のことです。それでもまだちょっと肌寒そうですが。 / Hidey ( 2001-10-03 04:18 )
はらぽ〜ん、おかえりなさい。この学校は本当にパーティースクール。ここに来る目的の2、3番目は多分世界中のコネクションを作ることではないかしら。不純に聞こえるかもしれないけど、将来のビジネスのために来る場所なので当たり前なのかもしれません。 / Hidey ( 2001-10-03 04:17 )
ゆーさん、Kristinaは挨拶するとき「バブバブ」と言えとか、そんなことを言われてました。仕方ないからみんなを日本料理屋にでも連れてくか。。。 / Hidey ( 2001-10-03 04:14 )
ガス欠コインさん、宣誓の中では「グランパ」という言葉を使われました。sigh... / Hidey ( 2001-10-03 04:11 )
たらママさん、僕が35で、次の男は確か30を切っていたような気がします。そこまできちんと分かってしまうとさすがにちょっとショック。 / Hidey ( 2001-10-03 04:10 )
パンドラさん、楽しいです!どんなに勉強が辛くても、この友達がいれば全然大丈夫という気持ちになります。人のチカラってすごい。 / Hidey ( 2001-10-03 04:08 )
フィー子さん、見た目だと最年少と張ってるんですけどね。こちらではTシャツにジーパンなので、アメリカ人はおろか、日本人にも年下扱いされて、年齢を教えると相当びっくりされています。 / Hidey ( 2001-10-03 04:07 )
よだれかけをつけた彼女、何をされたのか気になります。(笑)どこでもこんな伝統芸ってあるんですよね〜。 / りるりる ( 2001-10-02 17:51 )
はじめまして!あらっ。あたしも26歳です( ̄▽ ̄)Σテヘッ♪ヨロシクです。あぁ、あたしが聞いてると羨ましく聞こえます、楽しそうな授業でいいなぁ。。。 / maki ( 2001-10-02 14:21 )
一番長老とは驚きました。でもこの儀式、なんか体育会的でいいですね。どっかの会社みたい・・・ / ナライフ ( 2001-10-02 09:24 )
楽しい時間ですね☆年のことになると。。わたくし、どきっ!としてしまいますぅううう。 / みかりん@笑ってごまかすぅ ( 2001-10-02 08:21 )
とても楽しそうな学生生活ですね。勉学は大変だろうと思いますが。。遠い昔、私もMBAを思った事がありましたが、経営者むきじゃない事が分かり、止めました。 / 昔ISを勉強しました@プルー ( 2001-10-02 05:20 )
長老のお仕事もがんばってくださいね。毎日お勉強でお忙しい中のこういう日って貴重なのでしょうね。・・・散々ひとりをコケにするゲーム、怖いけど興味津々! / りら ( 2001-10-01 23:37 )
↓しかもお名前に余計な[l]を入れてしまって、ごめんなさい。大変失礼しました。 / oggi@反省 ( 2001-10-01 21:50 )
え・・・Hidely様はお若かったのですね。30前半くらいの方かと思ってました。 / oggi ( 2001-10-01 21:49 )
楽しい週末をお過ごしのようですね!飲み会とバーベキューの幹事はかなりの重労働だわ。年末のBBQはまさか野外で凍えながらってことはないですよね?? / くらら ( 2001-10-01 14:21 )
しばらく読む時間がなかったので、み〜んなの話フォローしていくのに苦労してます。いくら読んでも追いつかない!でも、... それにしても、.... MBAってところは会食、飲み会、パーティーづくめですね。研究者生活とは正反対だな〜。ジョーク、サプライズも気が利いている。僕もサッカーチームの中では一番の長老です。でも歳には勝ちますよ。80までマラソンやるつもりだし! / はらぽ〜ん ( 2001-10-01 11:46 )
楽しいお話しでした〜。つい、笑っちゃう!ダントツの若者も、同じ約束をさせられたのですか? / ゆー ( 2001-10-01 10:36 )
長老なのに、挑戦しているところが凄いんじゃない?ねえ。でも、面白かった(笑)。 / ガス欠コイン ( 2001-09-30 22:47 )
ダントツの年寄りなんですか。週末はリラックスできましたか。それとも宿題漬けでしょうか。 / たらママ ( 2001-09-30 21:01 )
楽しそう〜^^ よかったね。凝縮された時間のなかで、こんなひと時があるとうれしいね。それにしても、飲み会楽し!は万国共通なのね♪ / パンドラ ( 2001-09-30 20:20 )
え?Hideyが長老だったの?見た目年齢で判断してほしいやね。 / フィー子 ( 2001-09-30 16:54 )

2001-09-30 小休止 1

金曜日は思いのほか学生らしい笑いに充ちた一日になった。

マーケティングの授業では、珍しくケースの読み込みがなく、ちょっとした演習だけだったので楽な授業になることは分かっていた。そんなこともあって、普段鋭いつっこみで知られる韓国人の女性の教授は、いきなり授業とはまったく関係のない、来月ボストンで行われるNFLの試合のチケットを2枚差し出した。

教授曰く、「…というプラチナチケットが2枚あるんだけど、ほしい人いる?」クラスのほとんどが挙手をする。「あなた達、私の性格分かってるわよね。それでもこのチケットがほしい?」挙手が半分に減る。僕もこの時点で手を下ろした。多分授業の進行上のたたき台として吊るし上げられるに違いない。「あら、ずいぶん勇気があるのね。もう一度聞くわ。本当に、このチケットがほしい?」3回くらい揺さぶりをかけられて、10人ほどの怖いもの知らずが残った。彼らは全員前に引っ張り出された。

「さて、そんなにこのチケットがほしいというなら、これからかける音楽にあわせてその気持ちを表現してもらいましょう。」クラス中が唸りをあげる。黒板の前に立つ10人ほどの連中は頭が真っ白になっていた。7人くらいがあえなく退散。ふたりの男子学生とひとりの女子学生がおどおどしながらも残ることになった。

場違いも甚だしいファンクミュージックが大音量でクラスに響いた。ひとり目のMattはいきなり教卓に飛び乗り、狂ったように踊りだし、そのままクラス中の机を飛び回った。ふたり目のWayneは韓国人の女の子Haleyを引っ張り出して、激しく腰を振る。最後にAndreaはwild and sexyなダンスを披露。結局Mattがチケットを勝ち取った。そのあとは極めて真剣なブランドに関する授業が続いた。

(次回へ続く)

先頭 表紙

peachさん、盆踊りでもしろと!?サマースクールでまだ楽だった頃は、毎週のようにクラブに行って踊ってました。もうそんなことしたら気絶して勉強できなそうです。 / Hidey ( 2001-10-03 04:49 )
パンドラさん、大学院の教授がここまでノリがいいというのはアメリカならではですね。サイコーのビジネスにも確かに役に立つかもしれません(?) / Hidey ( 2001-10-03 04:48 )
ご免なさい。。。お名前がヘンテコになっているわ。Hidey様、お許しくだされぇ〜〜。 / peach ( 2001-10-01 18:27 )
おぉ!アメリカで大切にされている?自己表現にて自己アピ〜ルと言うモノですね。我らがHeidy様にも是非とも!?トライして頂きたかったわ!!踊りは日舞か歌舞伎モノかしら!? / peach ( 2001-10-01 18:26 )
わあ!それは演劇でいうところのエチュード、かな?あれは羞恥心を捨てて表現に徹する、ってためなんだけど・・・・いやあ、何でもあり、って授業なのね(爆) サイコーのビジネスには必要なのかしら^^ / パンドラ ( 2001-09-30 20:14 )

2001-09-28 カレンに捧ぐ 2

(前回より)

多少なりとも大人になり、世の中を知り、新しい音楽を聴き、なぜカーペンターズが一時の熱狂的な人気にも関わらず評価が高くないかが分かるようになった。いみじくもそれはカレン自身が一番よく知っていたことなのだ。

混沌の60年代が終わり、ベトナム戦争への非難の声の高まりとともに、古き良きアメリカの価値観への回帰が叫ばれていた頃、象徴的にデビューしたのがカーペンターズだった。彼らは清く正しいアメリカの若者の理想像を負わされ、本人達、特に兄のリチャードはそれを利用することでスターダムに登り詰めていった。

大ヒット曲 “Superstar”の歌詞の中では、 “And I can hardly wait to sleep with you again.”という原曲の歌詞を “…hardly wait to be with you again.”と修正して歌っている。カレンの清純なイメージを壊さないためだ。

以後彼らは、決して耳を苛立たせず、爽やかで毒のない、新しい平和の時代を象徴する音楽を演奏し続けることを義務付けられる。 “Top of the World”、 “For All We Know”、 “Sing”など、気持ちよく流れても何も残らないようなヒット曲が量産されていく。 これにはカレン自身が一番不本意だった。しかし歯車は回り続けた。こうして彼女の悲劇が始まったのだ。

本当のカレンは、陽気だが控えめで、純粋に音楽を愛し、ドラムを叩きながら気持ちよく歌うのが好きな普通の女の子だった。しかし、敏腕プロデューサーでもあるリチャードは、カレンを前面に出すことが成功の鍵であることを認識する。クラシックにも通じ、音楽的才能においては自他ともに天才を認める彼にとっては皮肉な戦略だった。

リチャードは個人的なスランプに加え、世の中の脚光をカレンが一身に浴びている事実も重なり、不眠解消のために睡眠薬を多用する。こうして心身を病んでいったリチャードは、自分の均衡を保つために、最も近くにいたカレンに対して、自分がいかに音楽的才能に充ちており、カレンが遠く及ばないかを見せつけ、刷り込むことによって自らを癒す方法を取った。兄思いのカレンは、従順にその事実を受け止めたという。こうしてカレンは二人の成功の陰に潜んでいた毒性を一人体内に蓄積していった。

こうして何度も過食と拒食を繰り返し、カレンは衰弱していった。絶望の底から救ってくれた男性との結婚、程なく訪れた離婚。81年、痛々しいまでに痩せこけながらも、久々のヒットとなるアルバム “Made in America”を発表する。しかし、それが最後の花火だった。

評論家の評価がどうであろうと、どんなに虚構に押しつぶされた人生だろうと、唯一、誰にも否定できない価値がある。それはカレンの、類まれな、雄々しいまでの「声」だ。どんな凡曲も今なお人の心を打ち続けるのは、命を懸けて歌い上げた、誰にも真似のできないカレンの「声」が今なお息づいているからなのだ。

こんなドロドロした話を知らずに素直にカーペンターズを愛する方には嫌な思いをさせる文章だったかもしれない。だが、誰もがカレンの悲しい死は知っていると思う。なぜ、と思う方がいるとしたらその真実を知ってほしかった。

彼女の苦悩、悲劇に関係なく、今なお普遍的に高く評価できる作品は沢山ある。普遍的といいながらも結局は僕の主観に過ぎないが、最後にそんな曲を紹介して駄文を締めくくりたいと思う。

“All of My Life”
“Sometimes”
“Bless the Beasts and the Children”
“I Won’t Last a Day Without You”
“You”
そして、奇跡のアルバム、 “Horizon”に収められた名曲たち。

Karen, may you rest in peace.

先頭 表紙

あ〜もったいない。プロレスの本当の良さがわかるのは30過ぎからですぞ!(笑) / akemi ( 2001-10-03 19:22 )
烏丸さん、それは衝撃のひとことですね。何か超自然的な力がお子さんを通じて言葉を発したのでしょうか?「グリーンフーズ」、是非探してみます。それにしてもほんとに幅広い知識をお持ちですね。 / Hidey ( 2001-10-02 13:08 )
akemiさん、プロレスは小学校でかなりの勢いで惚れ込んで、一気に卒業してしまいました。ゴメンなさい。でも、おっしゃるように、何であれどっぷりとはまるものがあるということは人生を豊かにしますよね。 / Hidey ( 2001-10-02 13:04 )
なお,漫画家・山岸凉子の短編集『パエトーン』に収録された「グリーンフーズ」という作品が,カーペンターズとおぼしき兄妹ポップミュージシャンの葛藤と妹の拒食症,死にいたるまでを描いています。細部は明らかに実情と異なっていますが,もし機会がありましたらご一読ください。 / 烏丸 ( 2001-10-01 21:07 )
冗談なんてとんでもない!(以降は蛇足ですが)数年前,朝帰りして酒を飲みながらカーペンターズをかけておりましたら,当時3歳の長男が起きてきて「これ,なに?だれ?」,しばらくしてぽつりと「やさしいうただねぇ」。少々衝撃を受けました。3歳児にもいろいろあるでしょうが,「たべたい」「だっこ」「テレビ」程度の語彙しかなかった子供のセリフとも思えません。なんだか急に背中が重くなるような思いでした。 / 烏丸 ( 2001-10-01 21:07 )
多感な時代にあたしが出会ったものこそ【プロレス】です。今あたしは人生というリングの上でバンプ(受け身)を取りつつ、反撃のチャンスを窺っているのです!ニヤリ! / akemi ( 2001-09-30 20:25 )
たまたまさん、うらやましい限りです。勉強が忙しすぎて、ボストンの街中もろくに見ていません。先日のクインシーマーケットも始めていったくらいです。カナダ、楽しんできてください。 / Hidey ( 2001-09-30 15:51 )
フィー子さん、偉そうなことは言えないけれど、発音が変わるというよりは、よりsloppyな英語を話す人が増えているのだと思います。これはある世代の問題というよりは全社会的な問題かと思います。いついかなる時代にも同じような大きな溝があったのでしょうし。今思うと既に懐かしいのですが、サマースクールではアメリカ人の先生が、自虐的なまでにアメリカ人の発音の曖昧さを指摘していました。 / Hidey ( 2001-09-30 15:49 )
パンドラさん、おっしゃるとおり、彼らの真実とは関わりなく、我々の不確かな生活を今なお無条件に照らしてくれるのが、Karenの歌声なのだと思います。だんだん時代も混沌としつつありますが、我々の前世代を生き延びたこの世の至宝を、ずっと大切にしたいですね。 / Hidey ( 2001-09-30 14:34 )
プルーさん、この話はあまり語られていないはずです。カーペンターズに関する情報ソースはリチャードによって管理されていますし、いわゆるファンの人たちは、二人の醜い時代を知ってか知らずか鼻から無視していますから。そんなレベルを超えて、人間として彼女の魂をいつまでも称えたいと、心から思います。 / Hidey ( 2001-09-30 14:25 )
ガス欠コインさん、こちらこそ、若干年長でいらっしゃると思いますが、同世代の方の確かな視点の文章を読むことを無上の歓びとさせていただいています。あのイージーなメロディーラインに対して、あの、誰も難癖をつけられない絶対的な歌唱力。皮肉な物悲しさをかもしますね。j / Hidey ( 2001-09-30 14:20 )
ゆーさん、一度ひまじんのカレンシンパで集まってみたいものがありますね。大げさではなくて、ひまじんオフを楽しみながら、ちょっとカレンの声が聞こえてくるくらいの感じで。 / Hidey ( 2001-09-30 14:16 )
烏丸さん、ご冗談を。烏丸さんの文章は時々読まさせていただいています。多角的で、確かな裏づけがあり、誰にも媚びない文章が好きです。今後もしびれる評論を楽しみにしています。 / Hidey ( 2001-09-30 14:14 )
マイケルさん、ご無沙汰です。おっしゃるとおり、大好きなひまじんに拘束されないように、バランスを保ちながら投稿しようと思っています。現実逃避の方法論にはしたくないですから。今のところバランスの取れた生活をしていますので大丈夫。日本の生活はどうですか? / Hidey ( 2001-09-30 14:11 )
↓くららさま。 / Hidey ( 2001-09-30 14:09 )
なんだかんだ言いながら、確かにリチャードは天才だと思います。当時考えられたなかった録音のテクニック、限界までこだわった音質。でもそんなものを簡単にひっくり返すくらいの圧倒的なカレンのボーカルは、やはり原動力でしたね。彼女の生の声を聞くことができなかったのは、一生の心残りのひとつです。 / Hidey ( 2001-09-30 14:09 )
akemiさん、あの時代は何者にも変えがたいですよね。みんなそれぞれの癖があった。大人になるための縮図がちゃんとあったのでしょう。akemiさんにとってそれがどんなものだったのか、興味あります! / Hidey ( 2001-09-30 14:06 )
明日の朝から実は、ナイアガラとトロントに行きます。。もういきました??風邪早く治さないと、、、、 / たまたま ( 2001-09-29 12:54 )
素朴な疑問なんですが、カレンのような発音って今でもアメリカ人にとって理想的なのですか?現代のアメリカ英語に触れてどんな感想を持っているのか、そのへんの話もとーっても興味あるのでいつか書いてくださいな。 / フィー子 ( 2001-09-29 10:06 )
なんだか涙がでてきました・・・・カレンの悲しい話は知っていました。でも、どんな悲劇も、あのやさしい繊細な声が全て吹き飛ばしてしまうの・・・。変わらないやすらぎがいつだってある。きっとずうっと好きだよね。 / パンドラ ( 2001-09-29 07:52 )
昔、確かに何気なく聞いていた、カーペンターズ、カレンの中にそんな大変なことがあったなんて、また、Hideyさんに教わりました。有り難う。 / ダウンロードしてみる@プルー ( 2001-09-28 21:49 )
(続き)訃報を聞くまで、そんなことになっていることすら知らなかったと思います。そして、Hideyさんには遠く及びませんが、僕もカーペンターズを聞いて英語を覚えたのです。素晴らしい原稿、本当にありがとう。 / ガス欠コイン ( 2001-09-28 20:23 )
大体のことは知っていましたが、こうして文章で見ると、記憶が鮮やかに蘇ってきます。僕は、Beatlesのカバー、『Ticket to Ride』の3人称を変えて歌っているのが印象的でした。あなたと同世代の僕が初めて聞いたのもカーペンターズです。初めて聞いた時は、とても2人で歌ったものとは思えなかったのを覚えています。誕生日も一緒だった。 / ガス欠コイン ( 2001-09-28 20:23 )
次にカーペンターズを聞く時、少し、感じ方がかわるかもしれません。 / ゆー ( 2001-09-28 19:00 )
素晴らしい文章ですね。 / 烏丸 ( 2001-09-28 18:17 )
Hideyさん、遅ればせながら誕生日のメッセージありがとうございました。最近日記のペースが落ちている僕ですが、マイアミ時代のあの怒涛の更新ペースは何だったのだろう? と時々思います。Hideyさんも日々の勉強大変だと思いますけど、無理せずマイペースで更新してくださいね。これからも楽しみにしています。(ちなみにカーペンターズでは"Close to you"がお気に入りです) / マイケル ( 2001-09-28 17:48 )
中学校の頃カーペンターズファン!美しいメロディ、歌声、歌詞にはまりました。お亡くなりになった時、心の病の奥にあった問題まで知りませんでした。偉大な才能が悲しいわね。ちなみに彼らは青春時代をDowneyという町で過ごしましたが、ここから30分くらい南ののどかな町です。 / くらら ( 2001-09-28 15:26 )
多感な時期になにと出会うか…というのが、人生のその後に大きな影響を与えるのですよね。私が出会ったものはHideyさんとは違うけど、カレンの歌声がHideyさんに与えたものの大きさを感じることはできます。 / akemi ( 2001-09-28 15:23 )

2001-09-28 カレンに捧ぐ 1

パンドラさんの日記に触発されて、カレン・カーペンターについて書いてみたくなった。

出会いは中学時代、今をときめくパキスタンの、カラチ日本人学校に通っていた頃に遡る。当時うちの家にはテレビがなかった。パキスタンのテレビ放送が国営の1チャンネルしかなく、それも夕方5:00から、とても外国人にとっては心躍るとは言えない番組しか流さないからだ。そんなわけで、音楽が我が家の娯楽の中心になった。当時僕はご他聞に漏れずピンク・レディーやらゴダイゴやらを聴く普遍的な中学生だった。

さすがにテープの数にも限りがあって、だんだん、聴くともなしに聴いていた父親のテープに手が伸びるようになる。スタンダード、オールディーズが多い中で、唯一親近感の湧いたのが、もう既に世の中からは忘れられつつあったカーペンターズであった。

少年の好奇心はひとつのきっかけで無限に広がってゆく。まさに1曲聴くごとに新しい世界が開けていくようだった。なぜ今までこんな世界を知らないでいたのか。やがて好奇心は純粋に音楽を愛でる心に変わってゆく。カレンの、腹の底に響く重低音が、成熟した大人の女性のかすれた侘しさを、粘りのある力強さを、14歳の少年に仄めかしていた。

たった2本の海賊版のテープを擦り切れるほど聴いた。歌詞カードなど存在しなかったので、つたないヒアリング能力の限界まで聴き取った。かなり間違って聴いていた部分もあった。だから、1981年に高校受験で帰国したとき、本物のカーペンターズのアルバムを手にした僕の幸福は今思うにも健気なものがある。

小遣いが貯まるとLPレコードを1枚ずつ買った。時間を遡りながら、僕はカレンの声が紡ぎ出す物語を、一つひとつ汲み尽くしていった。どんなアルバムのどんな小曲ひとつもすべて歌詞を暗記した。リフレインのときの発声や発音の加減の細かい違い、息継ぎのタイミングもすべて脳の奥底に染み込んでいた。男子校に通う多感な高校生のことだ。僕はスピーカーに額をつけて目をつむり、カレンの圧倒的な声の中に入り込んだ。音が視覚化した。嵐に揺れる森林のように、夜を切り裂く激しい滝のように、カレンの声が瞳孔の奥に画像を結んだ。

不思議なことに、こうして僕は英語の発音を視覚的に学んだ。いつどこにいてもカレンの声の記憶が再生できたので、自分の発音との「ぶれ」を、視覚的な「隙間」として認識し、それを埋めることによって上達させていった。お陰で今でも発音だけは、アメリカ人からも誉められる。

そして、1983年2月4日が訪れた。僕は高校2年生で、その日は土曜日だったことをはっきり記憶している。先月の日記でも書いた現在スタンフォードに通う、当時は同級生だった親友が、朝6:00過ぎのFENのニュースで、カレンの死を知り、真っ先に僕にそのことを教えてくれた。32歳の、誰からも惜しまれる孤独な死だった。

“A Song for You”という歌がある。 “…And when my life is over, remember when we were together. We were alone and I was singing this song for you.” ひとりで部屋にこもって何度も何度もこの曲を聴いた。ひっそりと営んだカレンの葬式だった。

(次回へつづく)

先頭 表紙

フィー子さん、いまでもいつどこにいても彼女の発音が記憶中枢にちゃんと存在しているのです。でも発音ってやっぱり難しくて、何も考えずにベラベラ話していた大学時代と比べ、ここ何年かは、日本人というアイデンティティが精神的なつっかえ棒になって、敢えてヨーロッパ的な発音をしたり、もっとひどいときにはどこにも属さない発音をしたりしていました。どんどん英語を話すのが嫌になっていた時期でした。今はそんな気持ちは消滅しつつあります。この国の生活に組み込まれるということはやはり何物にも代えがたい経験を生みます。 / Hidey ( 2001-09-30 13:58 )
パンドラさん、まさにカレンに彩られた青春時代でした。当時好きだったのは、"Rainy Days and Mondays," "I Need to Be in Love," "Desperado," "Happy," "Solitaire," "I Believe You," "Maybe It's You," "Happy"というところです。 / Hidey ( 2001-09-30 13:46 )
「日本で英語を学んだ人間でHideyほど発音にこだわって完璧に習得した人を僕は知らない」ってフィー子夫から100回くらい聞いてます(笑)。でも音から入ったり耳から入ったり何かが細胞に訴えかける時ってわかる気がするなあ。それにしても最初に英語に惹きこまれた相手がカレンで本当によかったね♪ / フィー子 ( 2001-09-29 10:03 )
Hideyさまの熱い青春^^ カレンの声につつまれてしあわせだね。 / パンドラ ( 2001-09-29 07:53 )

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