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Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-09-02 つらい洗礼 2
2001-09-02 つらい洗礼 1
2001-08-29 恩師との再会 4
2001-08-28 恩師との再会 3
2001-08-28 恩師との再会 2
2001-08-27 恩師との再会 1
2001-08-26 公開!これが20年来の恋人です
2001-08-25 いよいよ始まる
2001-08-24 ボストンの奇跡
2001-08-23 カレーのお話


2001-09-02 つらい洗礼 2

(前回よりつづき)

スタッフの人数を変更したり、無駄な書類を省いたり、効率的なワークフローを考えたり、製作物の優先順位をつけたりと、様々な創意工夫を促し、またこれらの意思決定をする際のチームワークを学ばせるというのが作業の目的なのだ。20分の作業の後、各チームは1時間ほど議論をし、このような意思決定を行う。

しかーし、これはバイリンでない日本人学生にとってはたまらなくつらい作業になる。もともとsloppy(くだけて曖昧)な英語を話す最近の若いアメリカ人が、時間的制約のため、信じられないような速度で議論をする。そこに割って入って貢献度の高い発言を普通の日本人がするというのは不可能に近いのである。しかも、僕は学校側からのオリエンテーションの際、自分の行く部屋を間違えるという決定的なミスを犯し、右往左往したうえ、オリエンテーションの前半を聞き逃すというハンディがあったので、もうお手上げだった。流れに任せて作業内容を再確認、受動的に作業を行いながら慣れていくしかなかった。

幸い本当にいい連中が集まったチームだったので、「沈黙する日本人」も徐々に作業を把握、たまには貢献できる発言もできるようになった。ランチタイムは和気藹々。芝生の上で輪を作って色んな話をした。

6回のサイクルを経て、当初11枚のオーダーにも四苦八苦していたうちのチームは、最終的に120枚のオーダーをこなせるようになり、キャッシュは900ドルを超え、チームワークは飛躍的に増した。6チーム中2位を獲得。

個人的には大変つらかったが、これが現実だ。認めるしかない。金曜にサマースクールで一緒だった連中50人くらいで飲みにいったが、アジア人は多かれ少なかれ同じ思いを噛みしめていた。目標は高い位置にあったほうがいい。お互い頑張ろうとみんなで話した。その日はみな大変スパークしてしまい、僕も翌朝二日酔いに悩まされたのは言うまでもない。

先頭 表紙

はらぽ〜ん、ガルシアパー太さんは多分日本在住だと思うよ。 / Hidey ( 2001-09-06 16:33 )
たまたまさん、わがまま言ってすみません。ただ、reiさんが15日のほうがよいなら、それにあわせます。 / Hidey ( 2001-09-06 16:32 )
はらぽ〜ん、今日はちょっと無理して書いてみました。奥さんはどんな感じ?そろそろかな? / Hidey ( 2001-09-06 16:30 )
業務連絡っっ。ガルシアパー太さんのところにも書いたんですが、たまたまさん、僕とhidey、他にボストン近郊の「ひまじん」知りませんか?8日、どっかで生シーフードたらふく食べたいと思っているのですが... / はらぽ〜ん ( 2001-09-06 11:18 )
8日にオフ会しましょうー。で、何しましょうか?あとでメールします。あと、はらぽ〜んさんにでも電話しましょうか?金曜日にボストンまでどうにかいけそうなので、ただ車でしか行けない場所はちょっと無理です。ホームパッティーとかいいけど、場所が、、、 / たまたま ( 2001-09-06 05:54 )
忙しそうですね。文章家の日記が更新されないので、毎日同じものを横で読んでいる妻が不憫... / こちらは暇なのに更新しない匿名希望 ( 2001-09-06 01:58 )
みかりんさん、日本人に限らずアメリカ人も平日はちゃんと勉強してるので、週末の盛り上がり方は半端じゃないのです。今週末も来週末も2個掛け持ち。 / Hidey ( 2001-09-05 20:23 )
なんだか難しそうですね。。タイヘンなのだね。。でも50人で飲み会だなんて、スゴイ盛り上がりますね☆二日酔いに決まってます(笑) / みかりん ( 2001-09-05 20:21 )
たまたまさん、15日は実は一応別件が入ってしまってるのですが、どうしても8日は無理でしょうか?reiさんも含めて15日のほうがよければ何とか調整しようとは思いますが。。。 / Hidey ( 2001-09-05 17:55 )
ガス欠コインさん、日常会話や普通の授業なら大丈夫なのですが、あの限界的な状況で、特に聞き逃してわからない部分を探りながらの討論は、ひじょーにつらかったです。 / Hidey ( 2001-09-05 17:45 )
↓たまたま様、他人の芝でのお返事。8日でも15日でも僕はOKですよ〜。 / はらぽ〜ん ( 2001-09-05 14:17 )
まだ勝手がわからないボストン、まだどうやっていくかもわかりません。8日でなく15日とかはどうですか??乳ーヨークから誰かこないかなーー。 / たまたま ( 2001-09-05 06:15 )
もう、日常会話ぐらいしか出来なくなったなあ。sloppyな英語なんて話された日には。でも、僕はまだ日本でやり残したことがあるから。とにかく、頑張って。 / ガス欠コイン ( 2001-09-05 04:15 )
yukiさん、僕は83年から84年にかけてIFで高校留学したのですが。。。嘆きながらも、今2ヶ月が経って、昔の10ヶ月の留学の終わりに近いくらいの英語力には戻ってますので、これからの自分の伸びに期待したいです。それも努力次第なのですが。 / Hidey ( 2001-09-03 20:35 )
lamanchaさん、おっしゃる通り序の口なのです。でも、日本人には家でしっかり予習ができるケーススタディーのほうがあってるかもしれません。これからはずっとケースばかりなのです。 / Hidey ( 2001-09-03 20:31 )
はらぽ〜ん、君の周りはいつも楽しそうでいいですね。奥様のお人柄もあって楽しい環境ができるんでしょうね。うちももうすぐ! / Hidey ( 2001-09-03 20:30 )
ゆーさん、3連休だったのでガス抜きはたっぷりしました。でも今週は読むものがいっぱい!頑張らねば。 / Hidey ( 2001-09-03 20:24 )
はじめまして。きっとあなた様よりず〜っと前に、某留学機関で、高校生留学をしました。常に意識していないと、英語を聞き取れないつらさ・・・身にしみています。「言葉」が好きなだけに、縦横に使いこなせないつらさ・・・ああ、英語で駄洒落が言いたい!と何度、思った事か・・・ / yuki@どうぞよろしく ( 2001-09-03 19:44 )
きっと、これはまだ序の口なのね! / lamancha ( 2001-09-03 15:39 )
寄附を募ってきた訳の分からない電話の相手と議論したのがもう数週間前、それ以来、議論らしい議論してません。呑気なアメリカ暮らしです。そういう趣味って、... この前、子の大三元自摸られたのを親の四暗刻自摸り返してギャフンと言わせたりしてます。えぇ、呑気なアメリカ暮らしです。 / はらぽ〜ん ( 2001-09-03 15:06 )
たいへんなストレスが溜まることでしょう。適度なガス抜きをしつつ、頑張ってください! / ゆー ( 2001-09-03 09:51 )
たまたまさま、おいしい白ワインも忘れずに。最近は朝晩が冷えるから風邪ひかないように気をつけてね。 / Hidey ( 2001-09-03 05:53 )
予定は未定。今日と明日はこの家でぼーっとしています。きっと、火曜日から学校なので、、その様子をみて、、オフ会すぐにでもしましょうね。まずは、ロブスターとクラムチャウダー。 / たまたま ( 2001-09-03 04:53 )
れいじくん、負けたのねのねん!今夜もスパークだ!日本酒をご用意しましたぜ。 / Hidey ( 2001-09-03 04:27 )
くららさま、国際結婚でもやっぱり難しいものなんですね。夫婦ゲンカしないからかな?MBAの場合、ボキャブラリーは逆に決り文句を覚えれば大丈夫そうです。でも抽象的な名詞や動詞はこの歳ではなかなか脳みそに定着しないですね。 / Hidey ( 2001-09-03 04:25 )
たまたまさま、おこしやす。今日のボストンは気持ちがいいですねー。これからはどんな予定なのでしょうか? / Hidey ( 2001-09-03 04:22 )
はらぽ〜ん、そういう趣味があったのねー。ちなみに君はどうやって英語で議論してるんでしょうか?議論なんてしないの? / Hidey ( 2001-09-03 04:21 )
パンドラさま、ありがとう。そう信じるしかないです。 / Hidey ( 2001-09-03 04:19 )
フィー子さま、ほんとに、20年近く前に留学してた頃の英語とはちょっと違うんですよ!慣れるっきゃないです。 / Hidey ( 2001-09-03 04:19 )
フィー子夫くん、僕はJチームだったのですが、なぜかJというアルファベットがA〜Eの間にあると思ってしまい、A〜Eチーム用の部屋に行ってしまったのです。がっくし。 / Hidey ( 2001-09-03 04:18 )
たらママさま、普通の授業は大丈夫なんですけどねー。あそこまで限界的な状況だと、ちょっとつらかったです。 / Hidey ( 2001-09-03 04:16 )
僕もつらかったっす。お互いがんばりましょう。でもうちのチームの方が、キャッシュが多いのねのねん。 / れいじ ( 2001-09-03 03:22 )
2位おめでとう!たいへんな授業ですね。英語の議論は私の場合困難を極めます。思考ができるボキャブラリーが不足して、最適な言葉は日本語になるんです。助けて〜〜 / くらら ( 2001-09-03 02:59 )
到着しました。とりいそぎ、ご挨拶を、、、 / たまたま ( 2001-09-03 01:21 )
6回の半荘を終え、当初平和をあがるのにも四苦八苦していたうちのチ−ムは、最終的には跳ね満もあがれるようになり、総合点は+90を超え、チ−ムワ−クは飛躍的に増した。などと読み替えてました(禁断症状)。英語で論議しまくるのは本当大変ですよね。頑張ってください。 / はらぽ〜ん ( 2001-09-03 00:34 )
どんどん磨かれていかれるんですね・・・すばらしいなあ。 / パンドラ ( 2001-09-03 00:26 )
sloppy、勉強になりました(^.^)。とにもかくにも大変そうだってことは伝わってきました。がんばれー!(^o^)丿 / フィー子 ( 2001-09-02 23:51 )
自分の行く部屋を間違えるとは君の本領発揮ですね。その大物ぶりで今後も頑張ってください。 / フィー子夫 ( 2001-09-02 23:49 )
時間管理、優先順位決定、効率追求、目標達成のためのチームワーク、競争・・・このプログラムを考案した人はさすがですね。苛酷でしょうが、言葉は数ヶ月でキャッチアップなさるでしょう。頑張ってください。 / たらママ ( 2001-09-02 23:07 )

2001-09-02 つらい洗礼 1

8月27日、いよいよ1学期の授業が始まった。

900人の新入生が講堂に集まり、学長の講話を聞く。この学校は、リーダーを育てるための学校であるが、誠実さに充ちた、強く優しいリーダーになってほしいとのこと。余りにも競争主義的と長年批判にさらされていたうちの学校は、最近イメチェンを図っているとの話だったが、確かにそういう部分はあるらしい。

先日の日記にも書いたが、まずはこの学校のやり方になれるための基礎を学ぶFoundationというプログラムが3週間続く。その中でも名物といわれているのが、13、4人のチームに分かれての2日間に渡るグリーティングカード製作の演習である。簡単そうだが、全然簡単ではないのだ。

1クラス80人なので、チームは6つできる。各チーム、200ドルの資金からスタート。チームは管理スタッフ、セールス、R&D、実製作担当により構成されている。

決められたオーダーの枚数と内容に対し、必要と思われる材料の購入をR&Dが指示、管理スタッフはこれを許可した上で購入。R&Dは同時にデザインの指示を製作に送り、製作はひたすら効率的にカードを作る。オーダーは「ハイクオリティのクリスマスカード」とか「一般向けのバレンタインカード」とか、内容もサイズも多岐にわる。余った材料を保管することは許されないので、無駄のない製作が必要になる。

管理スタッフが品質をチェックし、セールスは「市場」に対してカードを売り込む。「市場」には学校側のスタッフが机に座っていて、各チームからの売り込みに対し、価格交渉をしながら製品を買う。セールスは、同時に顧客満足度、改善点をリサーチ(有料)によりチェック。

管理者の中には会計担当者がいて、売上高、売上原価、一般管理費、利益を管理、損益計算書を作成する。注文書や作業指示書等、合計14種類の書類を各スタッフが必要に応じて記入しなくてはならない。

これらすべてを20分で行い、これを2日間で6回繰り返すという大変な作業なのだ。

(次回へつづく)

先頭 表紙

どこにでも穴を埋めるために入ってきます。 / はらぽ〜ん ( 2001-09-03 15:09 )
こういうところ使って、隠れチャットでもしようかぁ。たまたまさんも呼んで来てさ。 / はらぽ〜ん ( 2001-09-03 15:08 )
お、ここはまたすいている。 / はらぽ〜ん ( 2001-09-03 15:07 )

2001-08-29 恩師との再会 4

(前回よりつづき)

ボストンの補習校は正式名称をボストン日本語学校といい、ボストンから車で15分くらいの距離のMedfordという街にあるハイスクールを借りて、週一日、土曜のみの授業を行っている。日本語学校という名称は、そもそも開校の理念が、国籍に関わらず、日本語を学びたい子供たちの学校を設立することだったことに由来し、補習校としての機能は後から付加されたということである。

僕の恩師を団長とする11人の視察団に、特別参加者として僕が加わり、校長先生から日本語学校の説明を聞いた。

生徒数は小学校から高校まで合わせて600人余り。そのうち3分の1は学者の子弟だという。学園都市ボストンには一般企業の駐在員はそれほど多くはいないのだ。先述のとおり、補習校ということで文部省からの補助金、教員の派遣等のサポートは非常に限定的であり、しかも頼みの綱の日本企業も少ないので、経営状況は非常に苦しい。特に教員の確保は、ビザの問題もあり、大変困難を極めているという。

メインイベントである授業の視察に移る。高校の物理、古典、小学生の国語等の授業を見学。驚いたことに、非常に授業の質が高い。物理の先生は、学者夫婦のご夫人で、もともと教育者としても有名な人なのだそうだ。アメリカ人や、母国語が不自由な子供のための日本語部の授業も見学した。かなり状況は異なるが、遠い日本を心のどこかに浮かべながらも、かけがえのない友人達とともに学んだカラチの日々が思い出された。

政治・経済の両面から、これだけ国際化の重要性が叫ばれている中、柔軟な感性を持つ海外在住の子供たちは、貴重な存在のはずだ。にも関わらず、外務省からのサポートは年々減る一方だという。ボストン日本語学校の年少の子供たちは、大部分が国際結婚で生まれた子供たちである。ほとんどアメリカ人として生まれ育ってはいても、半分は日本の血が流れていることをどうしても忘れてほしくないというのが、親の切実な願いなのだ。純粋に日本人の両親であればなおさらだ。たった二人の本職の派遣教員に加え、そのような親たちができる限り協力し合い、教師の役になったり、その他の当番、ボランティアを務めたりして、この学校を成り立たせているのだ。

職員会議の冒頭に、特別に視察団が招かれ、代表として恩師が挨拶をした。とても辛い環境ではあるが、子供たちの屈託のない笑顔に出会えたのが大変嬉しかった。海外子女教育、国際理解教育の重要性は、実際にこちらに来てみないと分からない。日本で教えている先生みんなに、一度は行って見てこいと言いたい、と語った。

視察や懇談会を通じて、彼は多くを語らなかった。限られた時間にもっと若い団員たちに交流の機会を与えるためだ。僕にしても、せっかくの再会ではあったが、それほど多く彼と話したわけではない。かつて同様の環境で育った僕が、今一度海外に学ぶ子供たちの姿を目の当たりにすること自体が彼の本意であったからだ。

僕には分かっていた。彼は、微力ながらも僕が日本語学校の手伝いをすることを望んでいるのだ。臨時講師ならビザの問題はなく、しかも切実な需要がある。校長先生も実際に僕にも期待している旨を話していた。安請け合いはできないので、校長先生とは改めて話す機会を持つことを約束して別れた。正直自分のことで精一杯で、人の面倒など見られる状況ではないが、できれば期待に応えたいという気持ちはある。とりあえず今週始まった授業の様子を見なければならない。

彼はいつまでも、師として、僕に生き方を問いつづけるのだ。

先頭 表紙

はらぽ〜ん、見事な3連続つっこみありがとう。飲み会は週末だけにしてます。 / Hidey ( 2001-09-02 23:30 )
毎日々々勉強と飲み会たいへんですね。身体には気をつけてね。あっそれと、たまたまたまたまたまたま様、もうそこいらで僕らと同じ空気どっかでお吸いになってらっしゃるんですよね。 / はらぽ〜ん ( 2001-09-02 11:41 )
あ、それと... 足し算なら「数学」じゃなくて「算数」だね。 / はらぽ〜ん ( 2001-09-02 06:38 )
大学時代、少年サッカーのコーチもしてました。結構、さまになってたと自分では思っています。 / はらぽ〜ん ( 2001-09-02 06:36 )
↓はらぱ〜んへのつっこみ返しでした。 / Hidey ( 2001-09-01 22:30 )
Pre-MBAで知り合った50人くらいで飲みに行ったのですが、やっぱりこっちの友達のほうが気が許せるし、最初の週のフラストレーションから、みんな完全にスパークしてました。 / Hidey ( 2001-09-01 21:18 )
たまたまさん、ネットは大丈夫だったかな?ご連絡お待ちしてます. / Hidey ( 2001-09-01 21:15 )
はらぽ〜ん、実は、サッカーの先生の君のほうが想像しやすい...と言ったら失礼かな? / Hidey ( 2001-09-01 21:14 )
みかりんさん、確かに、こんな人に出会えなかったら、自分の人生は間違いなく全然違うものになってたでしょうね。 / Hidey ( 2001-09-01 21:13 )
あややさん、恥ずかしいけど、ここにある文章が僕のすべてです。違う人格の自分を作り上げられるほど器用ではないので。 / Hidey ( 2001-09-01 15:32 )
たまたまさん、そうそうラスベガスに飛んでいけるほど楽ではない留学生の実情をあなたは目の当たりにすることになります。まあ、でも遊ぼう! / Hidey ( 2001-09-01 15:21 )
Thank God, It's Friday!どうでした? / はらぽ〜ん ( 2001-09-01 13:34 )
MBAがんばっていますか?そっちでいろいろお世話になります。 / たまたま ( 2001-08-31 15:15 )
化学なんかより、少年にサッカー教えたい。北砂少年リーグの監督みたいになりた〜い。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-31 10:05 )
人生の師なんですね。。ほんとに素晴らしい先生なのだ☆ / みかりん ( 2001-08-31 08:27 )
一気に引きこまれて読みました。文章ずっと読ませていただいてなんとなく感じていたHideyさんのお人柄のようなものの由来が、さしでがましいながら分かる気がしました。 / 素晴らしい先生ですね。 ( 2001-08-30 22:44 )
いよいよです。オフ会いっぱいしましょう。できれば、いろんなことしましょう。ラスベガスでみんーなあつまってオフ会なんていかが?? / たまたま ( 2001-08-30 16:52 )
パンドラさん、つっこみありがとうございます。長々と書いてしまってすみません。僕も、先生という非常に高い目標値を設定されてて、昔から頑張ろうとしているのですが、なかなか大変です。でも、人の人生は人の人生。自分にしか生きられない人生があるので、それを全うするしかないと思ってます。 / Hidey ( 2001-08-30 14:30 )
たまたまさん、数学、僕に教えてください。最近足し算もつらい。 / Hidey ( 2001-08-30 14:26 )
ガス欠コインさん、アイデンティティって難しいけど最後は立ち戻っていくものなんですかね。年取るとそんな気がしてきます。 / Hidey ( 2001-08-30 14:25 )
フィー子さん、漢字といわず、人生教えてやってほしい。あなたならできます。ダンナはこっちでは役に立たないもんね。 / Hidey ( 2001-08-30 14:24 )
たらママさん、たらちゃんもいい先生に出会えればいいですね。 / Hidey ( 2001-08-30 14:23 )
はらぽ〜ん、確かに教員やってたってことになるわけだよね。ちょっと意外。君なら理想の先生になれるでしょ。 / Hidey ( 2001-08-30 14:22 )
くららさん、確かに補習校は難しいですね。自主的に勉強したい気持ちになれる環境を作ることが一番大事なんだと思います。 / Hidey ( 2001-08-30 14:19 )
すばらしいなあ!・・・・・自分の生き方ってどうだろうって考えてしまいました。 / パンドラ ( 2001-08-30 08:10 )
なんか格好良すぎーー。いいねー。ほらぽ〜ん↓が化学なら、わたしゃー数学を教えたい。。でも、数学用語を英語にはできなんだなーー。 / たまたま@メール返信しました ( 2001-08-29 19:19 )
僕のアメリカ人のいとこは、10代の頃は自分に日本人の血が流れていること(両親とも日本人)が嫌でしょうがなかったそうです。今は、積極的に日系人コミュニティに参加していますが。エール大学卒業なので、偏見ややっかみ、差別を受けたことがあるのだと思います。 / ガス欠コイン ( 2001-08-29 14:25 )
ふぅむ、今すぐそちらに行ってお手伝いしたいなあ。漢字くらいしかできないけど・・・(-_-;)。 / フィー子 ( 2001-08-29 13:44 )
本当にいい先生との出会いに恵まれるのは幸せなことだと思います。 / たらママ ( 2001-08-29 13:02 )
学生にマラソンとかサッカーばかり教えてた僕の教員時代を反省... / はらぽ〜ん ( 2001-08-29 12:50 )
僕も化学の先生くらいにはなれるかな〜?でも、大事なのは学を教えることじゃなくて、理念を教えることだよね。良い先生とはそういうものですよね。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-29 12:48 )
すばらしい先生ですね!!補修校の子供達もHideyさんと同様の素晴らしい体験を理解しますようにね!!週末のお勉強の量の多さや時間的なきつさにギブアップしてしまう子供達を多く見ます、実際厳しいですね。 / くらら ( 2001-08-29 12:40 )

2001-08-28 恩師との再会 3

(前回よりつづき)

日本語の授業も大事だが、もっと大事なのは、子供たちが歳若くして国際的な環境に身を置いているという事実を最大限に活かすことだった。彼は、インターネットを活用し、デトロイトの子供たちと明石の子供たちを結びつける。日本の子供たちは、同じ歳でありながら異文化に日々接しているデトロイトの子供たちから世界を学び、デトロイトの子供たちは日本の子供たちと接することで、自らのアイデンティティを認識する。副次的に、授業時間の制約を超えて、日本語に親しむこともできるのだ。ここでも彼は、仕組みを作る黒子に徹し、主役である子供たちの自主的な学びを促す。

アメリカ人との相互理解を深めることも忘れない。様々なレベルでの交流に加え、校舎を貸してくれている現地の公立高校の校長先生を、日本に招待。できるだけ生の日本を見てもらおうと、横浜に住む彼の息子の集合住宅に滞在させる。僕もデトロイトを訪ねたときに面識があったので、東京から駆けつけた。

自ら始めたプロジェクトが余りに大きく回転し始め、3年の任期を終えて帰国するはずだった彼は、周囲からの熱烈な求めに応え、1年間任期を延長する。こうして形が整ったデトロイト日本人補習校は、現在も先進的な国際理解教育を実践している補習校として、高い評価を得ている。

彼はその後再び明石に戻り、今度は養護学校の校長に就任する。これまでとはまったく違う環境ながらも、変わらない生徒たちへの愛情によって、誰もが賞賛する学校運営を果たす。そして今年の3月、定年を迎えた彼は、自らが開催したパーティーに関係者を招き、惜しまれながら教職を辞した。

しかし、彼に定年は関係なかった。教員という立場はとらないまでも、これまでの功績、活動により、知的障害者通所授産施設の施設長及び、全国海外子女教育国際理解教育研究協議会の事務局長に就任。後者は、外務省外郭の財団とは立場を異にし、あくまで現場教師の視点から海外子女教育、国際理解教育を考え、サポートしていくという団体である。今回彼は、協議会関係者有志及び関東、関西の心有る教育者に声をかけ、すべて参加者の自己負担によるツアーを主催。彼のまいた種が芽を出しすくすくと育っているデトロイトの補習校を皮切りに、バッファロー、ボストン、ニューヨークと、すべて経費節減のためにレンタカーによるツアーを強行。観光はそっちのけでの補習校視察を行った。

そして8月25日、ボストンで僕は彼との再会を果たした。

(次回へつづく)

先頭 表紙

ゆーさん、お恥ずかしい。書くに足るだけの彼の行動があるからなんとか書いている次第です。長くてごめんなさい。やっと完結しました。 / Hidey ( 2001-08-29 11:27 )
はらぽ〜ん、マジスパ、見ました。もう夜中になるのにおなかがすいてきてしまいました。この方も大きな夢を追いかけている方のようですね。 / Hidey ( 2001-08-29 11:26 )
TAKEさん、ありがとうございます。僕も心に撒かれた種を無にしないように、日々努力中です。 / Hidey ( 2001-08-29 11:22 )
たまたまさん、たしかに小説のような人なんです。ボストン行きの準備は整いましたか? / Hidey ( 2001-08-29 11:19 )
フィー子さん、機会があったらお引き合わせしたいくらいです。昔からダンナにもよく話してました。 / Hidey ( 2001-08-29 11:18 )
はらぽ〜ん、長ったらしい文章でごめんね。自分のために、ちょっと文章にしておきたかったのです。 / Hidey ( 2001-08-29 11:16 )
まるでこの先生の伝記を読んでいるかのようです。Hideyさまの文章力に脱帽です! / ゆー ( 2001-08-29 10:09 )
すごいことを発見した。(本題からずれているのだけど)以前お話しした珍しいカレー屋magic spiceがなんと今年NY支店を出すのだそう。magic spiceをご覧あれ。妻はもうNYに引っ越そうと言っています。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-29 01:56 )
ホントに素晴らしい先生でらっしゃったのですね。先生の蒔かれた種子が、たくさん芽吹いて、さらにおおきく広がっていくといいですね。 / TAKE ( 2001-08-28 22:31 )
なんか小説みたいーーーー。すごいねー。 / たまたま ( 2001-08-28 21:19 )
ドキュメンタリーのようですね。ぱらぱらと聞いてる話をこれだけきちんと文章にできるHideyの能力にあたまがさがりますです(~_~;)。次回も楽しみにしています! / フィー子 ( 2001-08-28 17:11 )
カラチで出会った恩師が、そんな偉大な人だったのも、hideyの運だよね。でも運に恵まれた人がまた大きい運をまいてくれるだろう。次回へ続くとつっこみのタイミング難しいよォ〜。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-28 13:27 )

2001-08-28 恩師との再会 2

(前回よりつづき)

カラチから帰国後、数年間の明石での勤務を挟み、彼は再び海外へ赴いた。今度は先進国アメリカはデトロイトの日本人補習校に、校長として赴任。先進国とは言え、逆にそれが災いして日本的な教育は難しさを増す。せっかくアメリカにいるのだからと、現地校に通うのが当たり前になり、それでも国語をはじめとする日本の教育を施そうとなると、子供たちは現地校に加えて、毎週土曜日に数時間、補習校に通うことになるのだ。外務省の扱いや補助金なども、全日制の日本人学校に比べはるかに劣ることになる。週1日の授業という時間的制約により、必然的に宿題に頼らざるを得なくなり、子供たちの負担も増してしまう。

校長という立場から、直接教鞭を執ることができなかった彼は、もどかしさを感じながらも、まずは子供たちひとりひとりと交流することから始める。今度は幼稚園から高校まで合計800人以上。全員の名前を覚えるのは不可能だ。せめてもと、彼は子供たちが下校する際、ひとりずつ握手ををして一言声をかける。現地校での勉強だけでも手一杯の子供たちが積極的に日本の教育を学ぶためには、まず補修校というコミュニティを好きになってもらうことから始めなくてはならない。

彼は持ち前のイベント好きを生かし、次々と新しい行事を創っていく。また、親からの教育相談などを一手に受け付ける「よろず相談室」を設置。何のことはない、彼の家に一本余計に電話を引いて、あらゆる相談を受けるのである。子供の悩み解消も大事だが、図らずも大人までもがこうして彼の熱意にほだされ、引き込まれていった。

公費があてにならなければ、企業を味方につけるしかない。日本人補修校において、企業との関係というのは斯くも大事なものだが、彼は親たちと同じだけの愛情を生徒に注ぐことによって、自然発生的なサポートを得ることができた。

(次回につづく)

先頭 表紙

おや、こんなところに。 / Hidey ( 2001-08-30 14:22 )
やっほ〜。ここはつっこみ僕一人。天涯孤独なはらぽ〜んであった。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-30 10:27 )

2001-08-27 恩師との再会 1

生涯の恩師がこのほどボストンを訪問、昨日は彼と一日行動をともにした。全国海外子女教育国際理解教育研究協議会の事務局長という立場で、かつて彼が校長を勤めたデトロイトの日本人補習校をはじめ、バッファロー、ボストン、ニューヨークの補習校を視察することが目的だった。その重要性は後述することにする。

彼との出会いは1978年に遡る。僕は中学3年間のほぼすべてをパキスタンのカラチで過ごした。僕が通った日本人学校は、小中学校あわせて児童・生徒数が約35人。それに対し教師は6人。そのうちのひとりが彼だった。

日本では小学校で教えていたが、カラチでは小学3年生以上の国語の担当を受け持った。僕が中学2年のときは担任をしてもらったこともある。

彼の国語の授業は、魂を揺さぶる授業だった。国語を国語としてのみ教えることなく、「生きること」の授業として教えてくれた。情熱的な語りは、物語が教材であることを忘れさせ、ほんの中学生の我々の人生にも関わる、人間の生き方の問題を我々に突きつけた。彼の授業の後は、嵐が過ぎ去ったような激しさの余韻があったり、心に新しい灯がともることがあったり、敗北感に頭を抱えさせられたりすることもあった。

彼は、ともすると母国語が不自由になりがちの我々に、ひたすら「書く」ことを強いた。一日一句の俳句、週に一首の短歌、一篇の詩、一本のエッセイ。特に詩については、「詩大賞」と称し、我々7人の中学生の詩を、作者の名を明かさずに朗読、自分の作品も含め、最もよかったと思う詩に投票させる。4票以上獲得したら「詩大賞」となり、受賞者は彼の家に一泊ご招待となる。それは生徒にとって最高の賞品だった。

詩なんて、俳句なんてと、はじめこそ毛嫌いして抵抗を試みるのだが、一度自己表現の喜びを覚えた多感な年頃の子供たちは、次々と恥ずかしげもなく若い感性を日本語に託していくようになる。

彼は子供たちの作品からよいものを選び、手書きでガリ版刷りの新聞に掲載する。新聞は3〜4日に一号のペースで発行され、全校生徒に配布された。新聞に自分の作品を見つけることは、何よりも嬉しく、誇らしいことだった。新聞は彼が明石で教鞭を執っていたときから続いており、カラチで300、400、500号を迎えた。そのたびに彼は生徒や親たちを自宅に招き、すべて自費でパーティーを開いた。

昼休みには小学3年生から中学3年生までを一堂に集め、器楽合奏の練習をさせた。扱ったことのないような楽器を課せられることもたびたびだった。2〜3週間くらいかけてひとつの作品を仕上げる。はじめはぎこちない演奏が日に日に仕上がってゆき、25人がひとつの音を作り上げていく感激は、多くの子供たちにとって初めて知るものだった。

誰かが帰国するときは、テープレコーダーを抱えて全校生徒を一人ひとりをたずね、メッセージを録音したテープを編集して手渡した。

彼が、日本語の美しさ、芸術の豊かさ、人と何かを作ることの大切さ、友情のかけがえのなさを教えたかったことは、今ならよく分かる。そして、彼はそれを子供たち自らの手で学ばせる方法を採った。彼は常に仕組みを作るだけだった。しかし、それには大変な苦労と献身を要したと思う。

帰国子女は帰国後、周囲の心ないひとことふたことから、海外での特異な経験を恥とし、周囲に同化する努力をしてしまうことがある。しかし、我々はそうではなかった。彼のもとで学んだことは恥じるようなことでは決してなく、むしろ一生誇りにしていくべきものだった。

彼は、そのような種を、新しい出会いの中で、次々と撒いていくのだった。
(次回へつづく)

先頭 表紙

「日本語が好き」っていう気持ち、すっごくわかります!公平に見ても、同じ言葉でこれだけニュアンスを変えられる言語って少ないと思います。あややさんの日記の文章を読んで、ずっとそんなことを痛切に感じていました。僕はあややさんの言葉の操り方、ニュアンスの一貫性がすっごく好きです。技巧だけじゃなくて、文章ってほんとに人間性が出るもんね。こわいこわい。 / Hidey ( 2001-09-01 21:24 )
4まで読んでから突っ込もうと思ったのに、耐えられず突っ込ませていただきます。私、『日本語』が大すきなんです。いきなりですが。Hideyさんの恩師の方のような方が私にもいて、その方に人生学んだ、って感じです。 / あやや ( 2001-08-30 22:38 )
サンキューはらぽ〜ん。たまたまさん、そういうことです。ドライヤーやシェーバーは、マルチ電圧対応のものがあるので、長期的に考えれば買ってしまってもいいかも。いちいち変圧器かますのもめんどいし。テレビやビデオが規格が違うことはご存知ですよね? / Hidey ( 2001-08-28 11:21 )
↓100Vのトランスはアメリカでは手に入りにくいし、手に入ったとしても成田で買うより高いですよ、きっと。容量の十分なものを秋葉原や各地のカメラ屋量販店などで手に入れておいた方がいいと思います。だけど、こっちは115V, 50Hz、コンセントの形状は同じ、だから日本のものがそのまま使えるものもたくさんあります。詳しくはたまたまさ〜んの方にフォローしておきました。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-28 11:16 )
はらぽ〜んさんにも質問したのですが、今週の土曜日に出国です。それで、日本で使っている100ボルトの電源(コンタクトの煮沸機、ドライヤー、シェーバーなどの充電器)など買っていこうか迷っています。そちらでも安価で手に入りますか?成田空港だと高価らしい。どんなのがいいのかな?基本的にはプラグ(フィッティング)はいっしょですよね。。 / たまたま ( 2001-08-28 10:16 )
みかりんさん、今会っても何気ない一言が心の底まで響く人なんです。全然難しいことは言わないんですけど、すべての熱い言葉が、真実の言葉なのです。それって何にも増して強いですよね。 / Hidey ( 2001-08-28 10:14 )
Emikoさん、ちょっと美化して書いてしまったけど、実はとっても三枚目の先生なんです。それだけに、ひとたび真面目な話になると、大人の男の強さ、大きさが感じられるんですけど。 / Hidey ( 2001-08-28 10:10 )
たまたまさん、カラチは普通はいいとことは言わないです。でも、本当にいいとこと思ってくださる人は、ものが見えてる人だと思います。 / Hidey ( 2001-08-28 10:07 )
フィー子さん、大学時代まで詩はコンスタントに書いていたんです。とても人様に見せられるようなものではなかったけど。子育てについては昔からまったく同じことを考えていました。そのうち、そのうち。 / Hidey ( 2001-08-28 10:06 )
はらぽ〜ん、不思議なことに、あと2年でであったときの先生の歳に追いつくんだよね。ちょっとプレッシャー / Hidey ( 2001-08-28 10:05 )
感動的ですね。。心に残る「言葉」を教えてくれた先生って。。いつまでも忘れられないですね。。 / みかりん ( 2001-08-28 05:03 )
恩師の先生の熱心な授業のお話に思わず鳥肌立っちゃいました。 / Emiko ( 2001-08-27 23:51 )
おひさしぶりです。ちょっと野暮用で、 カラチにはうちのお店があり、駐在しているひと知っています。いいとこらしいけど、、、でも、いつも海外にいて羨ましい!!! / たまたま ( 2001-08-27 16:54 )
一生懸命詩や俳句を考えて、どきどきしながら先生の朗読を聞いているHidey少年が目に浮かぶようです。だいぶ忘れかかったピュアな気持ちを大人になるともう一度自分の子供から思い出させてもらえるって素晴らしい体験ですよね。そういう意味でも子育てってほんとにエキサイティングな仕事ですよね。 / フィー子 ( 2001-08-27 15:32 )
羨ましいな。感動的な師匠との交わり。異国の地で不安を抱えた子供を親身に色々なことを教えてくれる先生は、母国の先生より尊く見える。僕もアメリカでの小学校最初の先生はいい先生だった。今でも感謝してるけど、残念ながら音信はない。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-27 15:04 )

2001-08-26 公開!これが20年来の恋人です

過去の日記にある通り、20年来の恋人Olivia Newton-Johnに再会することになった僕は、勢い余って彼女のネット上のファンクラブに入会してしまった。そのお陰で本日、再会の地ネバダ州レイクタホでの彼女のコンサートの模様を写真で伝えるメールが届いたので、ここでシェアしようと思う。

どうです、皆さん。これで52歳って誰が信じられますか?

でも大事なのは、彼女の「声」が僕をまだゾクゾクさせてくれたことだった。


先頭 表紙

はらぽ〜ん、それは、「愛の告白」(英題 I Honestly Love You)という彼女の代表曲を知ってのつっこみなのでしょうか?コンサートのラストがその曲でした。もちろん"I honestly love you."と言いましたよ。心の中で。 / Hidey ( 2001-08-27 11:15 )
ゆーさん、大昔というところがいいですね。僕はカレン・カーペンターから英語の発音を学びました。 / Hidey ( 2001-08-27 11:12 )
たらママさん、声も甘く美しく、健在です。しかも、10年前くらいから、昔より声量がついてきてます。でも彼女の場合、声の使い方の妙が、聴いてて楽しいのです。 / Hidey ( 2001-08-27 11:11 )
くららさん、まずは気持ちからですよ!僕も通常7つくらい若く見られるようなのですが、Oliviaにはちょっとかなわないなあ。 / Hidey ( 2001-08-27 11:06 )
ガス欠コインさん、主要都市すべてって凄いことですね。その中でもボストンというのはとても嬉しいです。昨日Tuftsのそばを通ってきました。何の勉強をされるはずだったんですか? / Hidey ( 2001-08-27 11:04 )
彼女に愛の告白はしたのでしょうか? / はらぽ〜ん ( 2001-08-27 10:25 )
大昔、高校時代の英語の先生が彼女の大ファンで、たまに授業で聞かせてせてくれたのを思い出しました。 / ゆー ( 2001-08-27 09:34 )
お声もこのように今も甘く美しいのでしょうか。 / たらママ ( 2001-08-27 09:27 )
うわぁ、美しすぎる!オリビア様、こんなふうに年齢を重ねるのは私の夢です。(どこかで無理無理という声が聞こえます) / くらら ( 2001-08-27 08:01 )
BOSTON、アメリカの主要都市はすべて行ったことのある僕にとって、最も好きな街です。オリビア、風貌もさることながら、声がぞくぞくさせてくれたってのが凄い。昔、Tuft Universityに留学するチャンスがありましたが、色々な事情で叶いませんでした。そして、今は野茂英雄。羨ましいなあ。こんないい日記があるとは気づきませんでした。 / ガス欠コイン@はじめまして。 ( 2001-08-27 01:25 )
フィー子さん、よく見るとちょっとだけ肉付きがよくなってますけどね。この人はスポーツも万能で、目下テニスが若さの秘訣だそうです。 / Hidey ( 2001-08-26 22:01 )
TAKEさん、松田○子がジャケットをパクったアルバムですね。あのアルバムでは「ポニーライド」での歌唱にいつも感心させられます。 / Hidey ( 2001-08-26 21:59 )
美しいーーーーーーーーーーーー! / フィー子 ( 2001-08-26 19:27 )
オイラも大昔^^;「水の中の妖精」聞いて、「ジョリ〜ン、ジョリ〜ン♪」なんて口ずさんでいた頃もありました(笑) ホントに変わってないですよね。 / TAKE@はじめまして ( 2001-08-26 13:25 )

2001-08-25 いよいよ始まる

昨日、学校の登録手続きを済ませてきた。仮のIDカードの発行、ID用の写真撮影、教材の配布、諸々の説明があった。

880人の学生に対しひとつずつ、小さなメールボックスが用意されているのだが、慣れないダイヤル式のロックを何とか開けると、中には山のように教材が詰まれていた。

これから3週間にわたり、Foundationと呼ばれる、本番前の基礎学習のようなカリキュラムが組まれており、実際のコースに近い教材を使った演習中心の授業を経験する。パーソナルスキル、市場経済、リーダーシップとバリューとディシジョンメイキング、現代資本主義といった科目で、授業の形式は基本的には先述のケーススタディーである。

家に帰ってじっくり見てみたが、さっそく月曜日にパーソナルスキルのケーススタディーがあるのでケースを分析してこいとか、ミクロ経済の教科書を読み込んでこいとか、まだ夏休み気分が抜けない僕はいきなりげんなりしてしまった。まあ、会社の金で遊びにきたわけではないので仕方ない。

市場経済の宿題がちょっと面白いのでご紹介。10月末の土日1泊2日で、近郊のマリンリゾート、ケープコッドへ行くツアーを想定したとき、ツアーの内容や、ツアーに行かない場合の週末の過ごし方などを考え合わせると、このツアーの代金がいくらだったら参加するに値するかをそれぞれが持ち寄る。また、クラスメートの値付けの分布も予想してくるというものだ。実際の授業では、値付けの正当性を議論するだけでなく、このツアーに関する入札を行う。システムがよく分からないが、落札者は複数出るらしい。

そして、注意書きに曰く、「これはただの演習ではありません。『市場経済』の教員グループは、既にケープコッドのリゾート事業者と、このツアーをクラスで販売する旨契約を済ませています。クラスごとに、落札者の名前を書いた紙を帽子に入れて、そこから2枚を選び、あたった人たちは自分の書いた金額を払ってツアーに参加しなくてはなりません。ですから、値付けは慎重に行ってください」

リゾート事業者まで巻き込んで、クラスを市場に見立てた恐ろしく実践的な授業。こういう発想ってすごいなと思う。

その他にも、学校常駐の警察というのがあって、(俺たちだってインテリで、修士を持ってるやつが多いんだと言ってた)盗難防止、危険防止の心得をレクチャーしたり、ITサポートスタッフが、各自にカスタマイズして使うサイトの使い方を説明したりした。うちの学校はかなりIT化が進んでおり、学生はこのサイトを通じて、各々の授業スケジュールや宿題を確認したりダウンロードしたりする。先ほどの値付けについてもまずはこのサイトで回答、授業にはその結果が反映されるのである。期末試験もすべてネットで行う。

夜はプールバーで何百人が集まっての大パーティーがあったが、怒鳴っても相手の言うことがよく聞こえない状況では、それほど心踊るような出会いはなかった。アメリカ人ってこういうのが大好きなんだよね。僕はどちらかと言うと静かにゆっくり話さないとだめなほうなんで、結局はサマースクールのときの友人といる方が楽しかった。どうせ来週からは毎日のように新しいクラスメートと死ぬほど話すことになる。

何にしても、いよいよ主役のアメリカ人学生がそろい、彼らのペースで本番が始まろうとしている。ペースに追いつかなければ、家で補うしかない。とにかく振り落とされないよう、初めから全力投球で行こうと思う。

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うちの学校の場合、専攻というのは特にありません。2年目で選択科目があるだけです。それもあって、General Managementの学校と言われています。明日の授業のパーソナルスキルは、カリスマ的リーダーを失った中堅アイスクリームメーカーで、これまでそれほど経営的判断をする必要がなかった役員たちが一気に互いのやり方を批判しあい、社長がそれをどうまとめていくか、という内容のケースです。 / Hidey ( 2001-08-27 11:21 )
MBAでも、特にbusiness managementとかの専攻でいらっしゃるのでしょうか。パーソナルスキルやリーダーシップって興味シンシンです。 / たらママ ( 2001-08-27 09:27 )
↓そうそう、私も初めは「あの」ムーチョさんかと思ってびっくりしましたよ(笑)。 / フィー子 ( 2001-08-26 19:27 )
あらま、れいじくん、つっこみありがとう。今日は僕は中学時代の恩師に再会したため、カジノは行きませんでした。盛り上がったのかな? / Hidey ( 2001-08-26 11:34 )
僕も、数百人の大パーティー系は、あんまり好きじゃないですよねー。 / れいじ ( 2001-08-26 11:29 )
ゆーさん、そうなんです、緊張なんです。でも何とか本番にはベストに持ってくように努力しないとね! / Hidey ( 2001-08-26 11:26 )
くららさん、10月末のCape Codは単純に寒いだろう!と思うのですが。。。ツアーに行かない場合の週末の過ごし方…「ひまじん」と比較するのはあまりにも酷!? / Hidey ( 2001-08-26 11:25 )
Emikoさん、僕も放心状態です。でも明後日からなんですよね。気合、気合。 / Hidey ( 2001-08-26 11:23 )
ムーチョ母さん、どこのムーチョかと思ってしまいました!昔英単語日本一になったムーチョ君というちょっと面白い友達がいたので、まさかその母?ってわけはないもんね。つっこみありがとう。ダーは元気ですか? / Hidey ( 2001-08-26 11:16 )
フィー子さん、この授業はまだゲーム的要素が多いので多分遊んでいられるんですよ。いわゆるケーススタディーのほうが大変なのです! / Hidey ( 2001-08-26 11:14 )
すごく緊張感が伝わってきます。。。頑張ってください!!!!! / ゆー ( 2001-08-26 10:11 )
第一回目のケーススタディは面白そうですね。CapeCodでの週末、私達なら幾らなら行くことにしようかな〜。10月末はハロウィーン前、実はその週末、実際に小旅行を計画中なんです。CapeCodはちと遠い。 / くらら ( 2001-08-26 05:36 )
はじめまして。フィー子さんと同じく放心状態の私。頑張って下さいね。 / Emiko ( 2001-08-26 00:34 )
「こんな事できない・・・」と、ダーが申しております。初めてつっこみを入れてます、長野のムーチョ母です!大変そうですね。(「メールありがとう!」とも言ってます。)奥様からも写真&メールをいただきましたよ。本当に日本語で拝見していても目がまわりそうなのに、今度はアメリカの学生さんと一緒になって勉強されるなんて・・・。考えただけで鳥肌がたちます。(笑)でも、『Hideyさんらしい』と言ったら失礼かもしれませんが、とても尊敬します!!!お体にお気をつけて下さいね★ / ムーチョ母 ( 2001-08-25 17:40 )
ケープコッドがスケープゴートに見えて、そんな恐ろしい町!って思ってしまった(~_~;)。しかし無茶苦茶大変そうです。日本語で読んでても大変そうなのに、全て英語かー。(←放心) / フィー子 ( 2001-08-25 16:48 )

2001-08-24 ボストンの奇跡

世の中奇妙な縁はあるものだが、「こんなのってあり?」ってぐらい奇妙な話。

小学校5年生のとき、気の合う友達が二人いた。初めてできた親友と呼べる友達だった。そのうちの一人は、小学生のくせに当時いわゆる「マイコン」(若い方へ、今でいうパソコンです)に懲り、原始的なラジオみたいなものを作ってしまうような、いわゆる天才少年。瞬く間に僕を新しい世界へといざなってくれたのだが、根っから文系の僕には「電子ブロック」で遊んだりするのが関の山だった。彼はほんの半年のつきあいの後、ご両親の仕事でアメリカに行ってしまう。彼が中学生になって帰国すると、すれちがいで僕はパキスタンへ。幼い友情はこれで記憶の底にゆっくりと沈んでいくことになる。

26歳くらいの頃だったと思う。休日の山手線で、子供の頃のあだ名で僕を呼ぶ声がした。彼だった。びっくりするとともに、15年余りの時を隔ててよく分かるものだなと感心したが、まあ確かに僕は子供の頃からあまり顔が変わっていない。彼もひょろっと背が伸びただけで、基本的には同じ顔をしている。彼はその後東大を出て、何かの研究をしていたというような話を聞いた気がする。彼らしい話だ。ほんの一駅だったが旧交を温め、お互い用事があったので、そのまま別れた。

話はそこからなのだ。今回ボストンに来る直前に、会社の友人の結婚式の司会を頼まれた。開会直前、わさわさと原稿の確認をしているところに、ホテルの人から「本日読んでいただく電報です」と電報の束を渡された。僕の目は一通の電報に釘付けになった。

「ボストンより愛を込めて。○○○○&○」

彼の名前だ。奥さんらしき女性の名前もある。そう言えば、新郎も彼も高校時代を都内の某超有名進学校で過ごしている。二人ともサッカーが趣味だった。新郎に確認すると、間違いなく彼で、二人は高校のサッカー部で親友だったのだと言う。友人の式で彼の名前に遭遇すること自体奇遇だが、それがまたボストンとは…!

細い糸をたどるようにして彼のボストンの連絡先を聞いた。ボストンに来て少し生活が落ち着いてから、彼に電話をかけた。「×××だよん」とお恥ずかしい昔のあだ名での第一声に彼はきょとんとしていた。慌てて説明をすると、ようやく驚嘆の声。彼は国の派遣でこちらの大学で化学の研究をしているのだそうだ。9月に出産を控えた奥さんを交え、僕らは7月中旬に実質的には25年ぶりの再会を果たし、お互いのこれまでの人生を語り合った。その彼が、僕の日記に時々つっこみを入れる「はらぽ〜ん」なのである。

話はここでも終わらない。先日のレッドソックス対マリナーズの3連戦で何とかチケットを確保しようとしていた僕の現在のクラスメートが、ネットを通じて同じ日本人から余っているチケットを買うことになった。そのチケットの売り手がまたもや「はらぽ〜ん」だったのだが、まあこれは狭いボストン、ありうる話。クラスメートがチケットの受け渡しに向かったところ、「はらぽ〜ん」の奥さんが、「あの人知ってる」とつぶやく。実は奥さんと僕のクラスメートは幼稚園時代の級友だったのだ。彼らにしたって27歳。何で幼稚園の友人が分かるのかと思うが、まあこんなことってないよね。

そんなわけで昨夜、奇妙な縁で結ばれた4人は、ボストンでもおいしくて有名なインド料理屋に集結、しみじみと語り合ったのだ。昔話よりもお互いの今の価値観、考え方を深く語れたのが嬉しかった。すれ違っているだけで、世の中ほんとは奇妙な縁で満ちているのかもしれない。

先頭 表紙

たらままさん、小学校から知ってるのに本当の友情がこれから始まるなんて不思議ですよね。 / Hidey ( 2001-08-25 08:39 )
みかりんさん、赤い糸だったらどうしよう。 / Hidey ( 2001-08-25 08:38 )
はらぽ〜ん、ナイスヒントだ。 / Hidey ( 2001-08-25 08:37 )
すごいご縁ですね。きっと生涯のお友だちになるのでしょう。 / たらママ ( 2001-08-25 01:18 )
縁って。。ほんとに不思議ね☆目に見えない糸で繋がっているんだよね。。きっと! / みかりん ( 2001-08-24 23:33 )
カレー王子だけあってカレイ。ん?いやいや、眼が逆についてるやつですね。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-24 14:26 )
フィー子さん、はらぽ〜んの奥様も、日本の学校で研究をされていたところを三十路過ぎの親父に(きみだよ、はらぽ〜ん)見初められたこともあり、とっても知的な方です。恥ずかしいあだな…とある魚の名前とだけ言っておきましょう。もうお分かりだよね。 / Hidey ( 2001-08-24 13:21 )
ゆーさん、すんません、三つ下はゆーさんへのつっこみ返しです。 / Hidey ( 2001-08-24 13:17 )
くららさん、はらぽ〜んに限らず、僕の友人のつながりというのは、心底尊敬に値する人間が多いのです。はらぽ〜んとも、これからどんな友人になれるか、楽しみです。 / Hidey ( 2001-08-24 13:15 )
はらぽ〜ん、こんなもんでいかがでしょ?君の思いのたけにも触れたかったんだけど、ちょっとスペースの制約がありましたし、他人の口から語られるよりは、今や自分の日記で表現できればいいことですよね?とにかくデビューおめでとうございます。 / Hidey ( 2001-08-24 13:07 )
逆もあるのかもしれませんね。実は今のパートナーが10年前には5メートルの距離ですれ違ってたとか。そうなると人間を超えたところでしか分からないものですね。 / Hidey ( 2001-08-24 13:05 )
peachさま、奇跡の出会いに加えて、本当に彼と再会できたことは僕の誇りでもあります。少年の頃とまったく替わらない世の中に対するまなざし、そんな純粋な精神を支える確かな知識、世界観。再会と言うよりは新たな出会いに感謝しています。 / Hidey ( 2001-08-24 13:03 )
たぶん、管理者様のおかげでリンクが本家に移りました。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-24 12:18 )
なるほどぅ。はらぽ〜ん様の奥様の出産も気になるなあ(笑)。ところでその恥ずかしい昔のあだなって・・・!? / フィー子 ( 2001-08-24 10:22 )
本当にステキなご縁ですね。作ろうと思っても作れない、努力してもうまくいかない縁の方が多いですが、Hidey様のお友達とのご縁は超自然的、お大切に。 / くらら ( 2001-08-24 10:13 )
いやぁ、私評はまずいよ。本読む時間ないしさ。今本家ひまじんに再登録しなおしてみるね。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-24 09:44 )
はらぽ〜んにリンクがついたかな。でも間違えて私評の方に登録しちゃったみたい。ま、いいか。僕の素顔も覗いてみてください。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-24 09:37 )
広い世界のなかで、時を同じくして同じ土地にいるなんて、不思議な縁ってあるのですね。 / ゆー ( 2001-08-24 09:27 )
Hidey様、四半世紀ぶりの再会と言い、数々の奇縁!!これはもう「ソウルメイト!!」に間違いはないのデワ!?こう言うお話も好きです。。。不思議なのだけれど、チットモ不思議ではなかったりする、人智では計り知れない何かを感じてしまいますよね。親交が深まってゆく事を楽しみにしています!! / peach ( 2001-08-24 07:29 )

2001-08-23 カレーのお話

僕は中学の3年間をパキスタンのカラチで過ごしたこともあり、カレーには目がない。一部の人からは「カレー王子」と呼ばれていた。「王子」というのは単に僕が歳の割に童顔なだけで、さしたる意味はない。

一応「カレー王子」の名に恥じないだけのカレー研究はしたつもりだ。都内のあらゆる有名店はまわったし、自分でも一応本場のカレーらしきものは作れるつもりでいる。味にばらつきは出てしまうが。

東京で「カレー王子」お薦めの店は、なんと言っても高田馬場の「ラージプート」だ。明日この世が滅びるとしたら今夜間違いなく僕はその店にいるだろう。ここのメニューのトップにある「クライチキン」は、皆さんのカレー観を変えるといっても過言ではない。何しろどこのカレーとも違うのだ。11時間煮込むだとか、野菜の煮汁だけで、一切水は使わないだとか、そんなうんちくはどうでもよろしい。とにかく一度食べてみてほしい。あんなに感動を与えられる食べ物ってなかなかない。しかも、1400円でスープ、サラダ、ライスに加え、ナンまたはチャパティがついてくる。辛さは-3から+7まであるが、とにかく味わって食べたいので、辛い物好きの僕でも+3にとどめる。できれば店長のハッサンが作ってくれる日がよいが、最近は同じ高田馬場にある2号店も掛け持っているので、いきなり飛び込むとちょっと賭けになる。

ということで僕は日本を発つ前日もクライチキンをテイクアウトし、家で妻と食べた。「向こうに行ったらインド料理もそれほどチョイスはないだろうし、味も保証はできないから」と、心して食したのだった。

しかし、それは大間違いだったことが分かる。ボストンという街には、本当においしいインド料理屋が山ほどあるのだ。僕の住んでいるアパートの周りにもインド料理屋が4件ある。どこに行ってもそれぞれのおいしさがあるのだ。しかも、日本のインド料理屋と比べてメニューはかなり充実している。普通日本の店ではなかなか見かけないChicken Makhaniという、トマト、ハーブ、スパイスが効いたとろりとしたクリーム風のカレーなどは絶品である。豆と野菜とスパイスの効いたMulligatawny Soupというのもこっちに来てから好物になった。

学校の近くにも3件ほどあるし、どこのエリアに行ってもカレー屋だらけだ。こちらに来てから2ヶ月弱で、数えてみたらなんと11件まわっている。ちなみに今夜も友人とBombay Clubという店で食事をすることになっている。

この街は、インド料理に限らず、エスニックが非常に充実している。中華、メキシカン、タイは当たり前で、ベトナム、マレーシア、レバノン等々。概しておいしい店ばかりである。わざわざそのためにボストンに来る必要はないが、こちらに来る用事があったら、期待していただいて間違いない。

しかしそれでも「ラージプート」の「クライチキン」は数段上であることを認めざるを得ない。ハッサン、やっぱりあなたが世界一です。こちらではせいぜい替わりの店を探索するが、2003年6月には間違いなく高田馬場商店街界隈で「カレー王子」の姿が頻繁に目撃されることだろう。

先頭 表紙

間違い発見。王子の名がついたいきさつ。童顔は認めるけど、貴公子なハンサムなんよ、hideyは。じゃなきゃ、王子なんて誰がつける?玉子でもいいじゃん。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-24 10:04 )
六本木のほうは行ったことあります!ホント、おいしかった。パリにあるチェンマイには何度かいきました。同じお店なのかな??? / ゆー ( 2001-08-24 09:21 )
あややさん、2003年6月に食べに行くのでワゴンの出没場所を教えてください!僕は週4日くらいはカレーを食べます。 / Hidey ( 2001-08-24 05:35 )
ゆーさん、タイカレーなら日比谷のチェンマイと六本木のバンコクは行かれましたか?おいしいですよー! / Hidey ( 2001-08-24 05:33 )
たらママさん、今日は学校で諸々の登録手続きがあり、どっさり課題がわたされました。いよいよ始まります。 / Hidey ( 2001-08-24 05:29 )
おお!私も今日のランチはカレーでした。会社の近くにワゴンで売りに来るカレーが絶品なのです〜。水曜日お休みなので、木曜になるとどーしても買いに行ってしまう〜。 / あやや ( 2001-08-24 00:34 )
ボストンは1度しか行ったことありませんが大好きな街です。ボストンでMBA大学院なんて羨ましいです。ハードでしょうが頑張ってください。 / たらママ ( 2001-08-23 23:07 )
カレー大好き♪タイカレーは大丈夫なのに、インドカレーだと必ずおなかがゆるむんです。なんでだろ? / ゆー@はじめまして♪ ( 2001-08-23 21:40 )
フィー子さん、確かにラージプートも開店当初はやってないときは僕以外みんな外人ということもありました。今度、築地の「ジャラル」というバングラデシュ料理屋も行ってみて。ここも絶品。辛くしてもらうことを忘れずに。 / Hidey ( 2001-08-23 21:07 )
はらぽ〜ん、昨日は楽しかったね。Shalimar of India(例のMass Ave.沿いの店)も是非行ってね。Magic Spice覚えておきましょう。 / Hidey ( 2001-08-23 21:05 )
Goanいつか行ってみます。カレーも食べ過ぎてるとダイエットの敵なんですよね。本場では無節操に油を使うから。ちょっと僕も気をつけないと。 / Hidey ( 2001-08-23 21:02 )
よだれ・・・。欧米人はほんとインド料理好きですよね。日本のインド料理屋もふと気づくと外人ばかりだったりしますし。どこの国に行ってもインド料理店ってあるような気がする。やっぱり美味しいものはみんな美味しいって思うんでしょうね。 / フィー子 ( 2001-08-23 14:04 )
hidey、今日はご馳走様です。今度は、ArlingtonのPanjubという店を訪れてください。ここもまた違ったカレーを体験できます。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-23 12:33 )
2003年6月以降出張で札幌に行くことがあったら、「Magic spice」という店、秘境のスパイスを南アジア各地に従業員全員で数ヶ月旅行して買い付けに行く何とも大胆な、けれど不思議な味を出すカレー屋に食べに行ってみてください。もちろんその期間、その店は閉まってます。 / はらぽ〜ん ( 2001-08-23 12:32 )
ボストンの食文化の程度はかなり高いですよね。うちもインド料理の大ファン!NY州に居た頃のお気に入りはGOANのレストランでした。ポルトガル色の強い料理でしたが、カレーは最高、2時間かけてドライブして食べに行ったものです。パキスタンとは随分違うんでしょうね。 / くらら ( 2001-08-23 08:13 )

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